もしも白蘭島事件が起きなかったら   作:ロンメルマムート

96 / 100
感想ください


第86話

 ベオグラードでの国際会議のため国連軍は事前準備として現地情勢の安定化及びELID駆除に乗り出していた。

 その一環としてスラム街とその近辺に赤十字・国連難民高等弁務官事務所・国連世界食糧計画などによる大規模医療・食糧・生活支援が行われた。

 その一環として設置されたアメリカ赤十字社の診察所では医者のマーク・ハミルトンが体調の悪い子供を診察していた。

 その症状を確認するとタブレットに症状を打ち込んで送信した。

 

「軽度のELID症状と栄養失調ですね。

 中和剤を投与しますので安静にしてください」

 

「ありがとうございます」

 

 貧しい母親が頭を下げて感謝する。

 彼女らにとってこのような医療サービスを受けられるなど夢のまた夢だったのだ。

 それこそ最近めっきり話を聞かなくなった宗教団体に助けてもらわなければならない程酷い有様だった。

 だが彼らが来ると医療・食料・生活必需品だけでなく仕事や教育まで彼らは与えてくれたのだ。

 診療所の洗濯夫でも薬の配達でも仕事があり、しかもその支払いはドルでちゃんと日給を支払い、一緒に設けられた店で買い物もできる。これ以上の環境などここにはなかった。

 

「点滴の用意が出来ましたよ」

 

 診療所の奥から看護師が呼ぶと二人は奥へと消えていった。

 これが日常になり早数か月、ベオグラードの治安は急激に安定しELID患者や怪しい集団も急激に減っていた。

 そしてこの状況を快く思わない物もいた。

 

「どれもこれも…」

 

「お姉さま」

 

「ええ。お父様の為にも作戦は必ず成功させなければ」

 

 黒い喪服のような服を着た女たちがそんなことを言いながら病院を見ていた。

 

 

 

 

 一方、ベオグラード中心部、サヴァ川の対岸のノヴィ・ベオグラード地区にある高級ホテル。

 そこは現在国連軍ベオグラード駐屯部隊司令部として使用されていた。

 その総司令官はロシア軍のイヴァン・ウラジミロヴィチ・ウスチノフ陸軍少将であった。

 彼は長年ロシア陸軍でも閑職をたらい回しにされた冴えない将軍であった。

 一応現場上がりで中国内戦でも部隊を指揮した男なのだが50過ぎでレンズの大きな古臭い老眼鏡をかけて白髪交じりのソフトモヒカン、年齢相応に老けた顔、今時珍しい口髭を生やした細身の貧相なおっさん、それが彼の印象である。

 

「全く、なんでこんなのと相手しなくちゃならんのだ。」

 

 全く似合っていない高級カーペットが敷かれ、高級家具と椅子が置かれた執務室で彼は司令部からの機密書類を見てやる気なさそうに椅子を回転させていた。

 その姿はベオグラードの1個セルビア軍連隊、1個イスラエル軍大隊、1個インド軍大隊、1個ロシア軍連隊を指揮する将軍とは思えない姿だった。

 

「少将、いじけられては困ります」

 

 ウスチノフにセルビア軍を率いるトミスラブ・ポポヴィッチ大佐の苦言する。

 彼からすれば貧乏くじもいいところの仕事だった。

 

「なんでこんなバケモノだかなんだかとやり合わなくちゃいかんのか。

 実戦経験なんて満州で一か月だけだぞ、それももう18年前だ。

 あの頃の俺はただの少佐で歩兵大隊の副大隊長だっただけだぞ」

 

「閣下は優秀と聞きましたが?」

 

 ロシア軍とは恐らく最も関わりの薄いイスラエル軍から派遣されたエフード・アイデルバーグ少佐が訊ねる。

 

「一体どこから出た噂だ?

 優秀なわけないだろ?俺の同期知ってるか?ヤナーエフは陸軍参謀本部参謀次長やってるんだぞ?

 全く、いやな仕事だ。」

 

「それで、どうするんです?」

 

 インド軍のラクシュミー・ヤーララガッタ中佐が聞いた。

 こんな愚痴を言いまくる奴も一応彼らのトップなのだ。

 

「どうもこうもないさ、とりあえずこいつら叩き潰すしかないだろう。

 まあ、市街から追い出されば十分だろう。」

 

 彼の手元にはパラデウスの完全追討を命じる司令部発の命令書があった。

 ウスチノフはそう言うとヤーララガッタとアイデルバーグとポポヴィッチの後ろのソファに横柄にも座っている銀髪のミステリアスそうな女に半分呆れたような目で言う。

 

「てなわけだ、お前にもいい加減馬車馬の如く働いてもらうぞ」

 

「いやよ、仕事が少ないから満州志願したのになんでこうなるのよ」

 

「そこらの兵卒よりいい給与貰っていい飯食ってるんだ少しはその贅肉落としてもらうぞ」

 

 このガワだけはミステリアスな美女のAK-12にウスチノフは嫌味を言う。

 この人形らしからぬ怠け者は満州からの長い付き合いだが一応最新鋭人形なのだ、まあ計画が頓挫して使いにくくてありゃしないという評版だが。

 

 

 

 

 2063年7月、一本の研究論文が学会に発表された。

 それは「かの地にて発見された特殊なELID耐性を持つヒトゲノム遺伝子の解析及び特性」と題された論文だった。

 発表者はヴィルヘルム・フォン・オーバーシュタイン教授。

 その内容に学会は驚嘆した。

 彼らにとって夢物語又は危険すぎ尚且つ人為的に作るには倫理に反する遺伝子が存在したのだ。

 そしてそのニュースは統合されたばかりのソ連学術界に大きな衝撃を与えた。

 そしてある男にも。

 その男はこのニュースを伝えるネットニュースに驚きパソコンの画面を掴んでいた。

 

「な、なんだと…!」

 

 そう、ウィリアムである。

 彼が何年もかけて探していた情報をこの男は発見したのだ。

 その上その姿は自分そっくりであった。

 だが印象も態度も何もかもが真逆であった。

 中年であるがさわやかな好印象を持つ科学者、ノーベル医学生理学賞を受賞しこの分野で世界のトップを走る科学者という地位と名誉、その上絵画コレクターという側面を持った文化に通じた紳士という評版。

 まさにカルト教団を裏から動かし、倫理観もへったくれもない性格、研究に邁進するが少しも芽の出ない研究とまさに真逆。その事は彼の心に黒い感情を灯した。

 そしてもう一つ、その感情を間接的に火に油を注ぐ存在が。

 それはそのニュースの関連記事にあった。

 関連記事の名は「新ドイツ外務大臣にオーバーシュタイン博士の姉就任」

 クリックして開ければそこには今から1年半ほど前のドイツの新内閣成立の際の人事に関するニュースが、そのトップ画像には新外務大臣のルシニア・ツー・レーヴェンシュタイン・ヴェルトハイム・ローゼンベルクの画像があった。

 

「…潰す」

 

「絶対に潰してやる」

 

「私のルシニアを!!取り返してやる!!」

 

「絶対に許さない!!」

 

 全く関係のないところで、国連軍はウィリアムに喧嘩を売っていたのだ。

 

 

 

 

 数日後、ベオグラード郊外のスラム街の一角。

 国連軍の除染で今ではすっかり邪魔者扱いされている防護壁の傍の建物のドアが荒っぽく叩かれた。

 

「はいはい、何でございましょうか?」

 

 中から男が出てくると外に立っていたソ連軍人が書類を見せた。

 

「お前たちを国家反逆罪で逮捕する。」

 

 男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。

 そのまま軍人たちは建物に入っていく。

 

「キャー!!」

 

「放せ!お前らなんだ!俺が何をしたって言うんだ!!」

 

「おら!連れてけ!」

 

 荒っぽく人々は部屋から連行される。

 この日、一斉にこんなことが行われた。

 これらは全てソ連政府によるものだった。

 目的は簡単、パラデウス排除。

 国連軍からパラデウスの完全排除を求められたソ連政府は大規模粛清と人事異動、摘発に動いていた。

 その動きは中央が中心で中枢にいたパラデウスと繋がりのあった将官士官の多数が退役や地方へ左遷されるという大規模人事異動が行われる傍ら地方のベオグラードでは今回の大規模摘発が行われた。

 その動きは流石はソ連の名を受け継ぐ国らしく乱暴で素早くそして過激であった。

 ウスチノフはその派手で乱暴で無茶苦茶な摘発に苦笑いしながらソ連軍ベオグラード司令部で様子を見ていた。

 

「乱暴だなぁ」

 

「お宅の要請なんですがねえ」

 

 ウスチノフの漏らした感想に横にいたソ連軍の士官が嫌味が混じったような口調で言う。

 それに彼は頭髪が後退した頭を撫でながら

 

「はは、まあ文句をつけれる立場じゃねえからねぇ俺達。

 こういう派手な事は後々恨みを買わねえか心配だよ。」

 

 どことなく部外者的な立ち位置からの事を言う。

 そしてその心配が心配で終わることを祈っていた。

 この摘発でパラデウスは表向きベオグラードでは壊滅した。

 こうして当面の敵は去ったように、思えた。

 あの男の執念はこの程度の障害を簡単に乗り越えるとは…

 

 

 

 

 

 

「あいつら…大きな顔して我が物顔で歩きやがって」

 

 古参の少佐がしかめっ面で眼下の街を歩くセルビア兵を睨む。

 今や無用の長物と化し世界三大バカの新たな代名詞とまで裏で揶揄されているベオグラードの巨大防護壁の一角の屋外喫煙所、そこで将校たちが燻っていた。

 皆不満の矛先は国連軍と国連軍に弱気な中央政府に向いていた。

 

「全くだ。部外者の癖に上から目線であれしろこれしろ!

 ガキじゃねえんだよガキじゃ」

 

「俺達が今までバケモノと戦ってたのにあいつらが来れば一瞬で片が付いて俺達のこの壁をさっさと片付けろ、ふざけんじゃねえ。俺達の犠牲は一体何だったんだ。

 助けるんだったらもっと早く来やがれってんだ。」

 

 それに同じく古参の中佐二人も同調する。

 今までの苦労を一瞬で解決した国連軍、そしてそれに対して今までご苦労様とか言わずに上から目線であれしろこれしろ壁をどけろなどと言ってくるあいつらの態度は彼らにとって軍人としてのプライドを大いに傷つけるものだった。

 

「司令官のウスチノフのジジイも下っ端の兵士もみんな人形侍らせやがって。

 俺達が必死に戦ってる間あいつらは人形相手にセックスしてたに決まってる!!

 戦場を舐め腐ったクソ共が!!」

 

「あれがロシア人だって!?あんな腑抜けた腰抜け共が!?

 バケモノが来たらどうせちびって赤ちゃんみたいに泣きわめくに決まってる連中がいちいち戦略だの防衛だの上から目線で!!」

 

 ここの国連軍司令官のウスチノフに対しても不満があった。

 何せ今までむさっ苦しい男どもの巣窟に対して国連軍は後方業務では女性も多いし人形の割合も非常に高い、その上みんな美女というのに嫉妬と舐め腐っていると勘違いされていた。

 その上人形を人として扱っているという気持ち悪い感覚は彼らにとって虫唾が走る物だった。

 

「そんな連中にへ―こらへーこらおべっか使ってるモスクワもだ!!

 あんな連中に弱気になってどうなんだよ全く、俺達のソ連はそんな弱い国じゃない」

 

「その上連中の言う事に従って色んな奴を軍から追放だ。

 去年はカーター将軍が死んでこの間もプーゴ将軍を追放したのも国連軍の命令だとさ」

 

「部外者におべっか使ってる政府と人々の為に尽くしてたパラデウス、どっちが売国奴だ反逆者だ。」

 

 将校たちは皆口々に言う。

 国連軍による急速な改革や戦闘や変化、更には駐屯と交流は市民からは生活の向上という面で大いに喜ばれたが今まで国連軍と同じことを担っていたソ連軍将兵にとってはいらぬ軋轢が産まれていた。

 彼らにとっては上から目線で物を言い無用の長物と言い切り勝手な都合で人事を捻じ曲げたりあらゆるものに介入する国連軍、そんな連中に唯々諾々と従っている政府と人々の為に尽くしている(と思われている)のに国家反逆罪という汚名を着せ反逆者・売国奴・テロリストとして弾圧されるパラデウス、どちらが反逆者売国奴侵略者か彼らにとっては国連軍こそが侵略者のように見えていた。

 ベオグラード駐屯軍、その内部では国連軍に対する不満が大いに高まっていた。




・マーク・ハミルトン
アメリカ赤十字社勤務の医師
専門は小児科

・イヴァン・ウラジミロヴィチ・ウスチノフ
ベオグラード駐屯国連軍総司令官
ロシア陸軍少将
出世街道から離れた50代の将官。
同期の中には陸軍参謀本部次長がいるが当人の前職は満州勤務。
名前のモデルはソ連国防相ドミトリー・ウスチノフ

・トミスラブ・ポポヴィッチ
セルビア軍司令官
実はスプルスカ出身

・エフード・アイデルバーグ
イスラエル軍司令官
歩兵科出身でユダヤ人の中でもアメリカ系ユダヤ人に属する。
とは言っても世俗派
名前のモデルは軍人・学者のヨセフ・アイデルバーグ

・ラクシュミー・ヤーララガッタ
インド軍司令官
砲兵科将校
名前のモデルは映画プロデューサーのショーブ・ヤーララガッタ

・AK-12
ロシア軍の人形
クソ怠惰な人形で嫌味を言われるぐらい酷い
ウスチノフ曰く「猫が言葉をしゃべるようになったらAK-12になる」「こいつの量産計画が頓挫してくれて心の底から感謝してる。部下がこいつだらけになったら俺はすぐに軍を辞めてシベリアの鉱山で働く」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。