もしも白蘭島事件が起きなかったら   作:ロンメルマムート

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第87話

「大統領は秦檜をご存知ですかな?」

 

「確か宋代の宰相でしたな」

 

「ええ。靖康の変で開封を追放された宋が金と和睦する紹興の和議を主導して岳飛を処刑、20年に渡る専横を行った中国4000年の歴史における代表的な売国奴です。」

 

「それがどうかしましたか?」

 

「大統領はわが父が祖国で何と呼ばれてるかご存知ですか?」

 

「なんですか?」

 

「今秦檜。中華を己の実の可愛さ故に欧米列強に売り渡した売国奴ですよ」

 

 ホワイトハウスの窓からそう物悲しげにカークマンに言う30過ぎ程の若い男、彼の名は鄭青林、北中国政府とも呼ばれる中華共和国の外務大臣で前大統領の鄭成功の長男だ。

 彼の言葉には北中国政府の実情が現れていた。

 中国が南北に分かれて18年、法的に正当性のある中国政府は北中国政府である。

 しかし、民衆にとっては北中国政府は全く人気のない政府である。

 外圧に屈して欧米と講和し国を二つに割り外国勢力の大規模介入を招き中国の栄華と繁栄を一瞬にして消し飛ばした。

 アジアのシリコンバレーと呼ばれた華南は戦争で破壊され泥沼の内戦で国内工業も大きなダメージを受けている。

 その元凶は鄭成功の起こした党内クーデターだ。

 その男が外国勢力の支援で動かす国、支持できる要素など何一つないのである。

 

「しかし、君の父は祖国に奉仕したではないですか。

 内戦から15年ほど経ちますが中国の復興には目覚ましいものが…」

 

「その大半が外国資本ではないですか。

 21世紀前半、我が中国とその資本は世界の工場であり世界中に投資をしていた。

 アメリカに次ぐGDPを誇る巨大国家だった。だが今はこの通りだ。」

 

 彼の言う言葉の通り、中国の復興は外国資本が中心だった。

 彼の父はつい数年前まで大統領だったがその権力を維持できたのは欧米の支援あっての物。

 事実上北中国は欧米の食い物であった。

 

「大統領、かの世界も同じようにするつもりですか?」

 

「何のことですかな?」

 

 カークマンはとぼける。

 彼の言うのは現在巷に流れているある言葉を示唆していた。

 それは「かの地の経営の唯一の要訣は、陽に平和維持活動の仮面を装い、陰に百般の施設を実行するにあり」

 数か月前、元駐米日本大使で衆議院外務委員長の後藤正治が彼の先祖後藤新平が南満州鉄道創設の際に言った言葉「戦後満洲経営唯一ノ要訣ハ、陽ニ鉄道経営ノ仮面ヲ装イ、陰ニ百般ノ施設ヲ実行スルニアリ」を捩ったこの言葉をある議員に向かって言い、そのまま日本政府内から海外へと広がった言葉であった。

 つまり事実上国連によって植民地化し始めている事を皮肉った言葉だ。

 

「貴方方の食い物に」

 

「人聞きの悪い事を、今回は貴方方にも取り分は与えるつもりですよ?」

 

 カークマンがそう言うと鄭は内心恥知らずな白人と思いながら返答する。

 現在事実上向こうの世界の権益はアメリカが独占していた。

 そこでこの年の7月1日、アメリカとその他25か国が向こうの世界との交易に関する経済協定を締結していた。

 この協定は締結を主導した日本の外務大臣室賀大翔の名前から室賀協定又は締結交渉が行われた場所の名前を取って有馬協定とも称されていた。

 ただこれはまさに傲慢とも言うべきものだった。

 何せ向こうの権益をこちらの事情で分配するのだから。そしてその協定の参加国の中に中国もいた。

 

「我が家の冷蔵庫を食い漁った野犬が隣の家から肉を持ってくるようなものだ」

 

「頂かないのですかな?」

 

「政治は義では動かない、利で動く、か。

 これ程今の仕事を恨めしく思うことはない」

 

「ふふ、それは似たようなものですよ。

 アメリカ大統領はあの2020年に学んで国内の弱者を阻害すれば次は議事堂が燃えると学んだのですから」

 

 鄭とカークマンの会談は欧米人の傲慢が多分に含まれていた。

 

 

 

 

 

「ココツェフが来る」

 

「は?え?」

 

「君のところの人間だ、知ってるだろ?ココツェフ」

 

「ええ。この世で休日の仕事の電話に次いで嫌いな奴です」

 

 アーチポフ中将はグッドイナフにそう返す。

 彼の言うココツェフ、それはロシア国防次官でロシア海軍大将、前ロシア太平洋艦隊司令長官にして中国内戦のロシア海軍最高の英雄、ロシアという国の海軍の負の連鎖を遂に断ち切った男と名高いヨシフ・ヴラディミロヴィチ・ココツェフであった。

 そしてこの男、ロシア海軍の航空分野における棟梁であり海軍の航空戦力強化派閥のボスである。

 そのため空軍中将で名門軍人一家出身のアーチポフとは非常に仲が悪い。

 その上このココツェフはアーチポフとは真逆の両親は単なる労働者、己の才覚のみで成り上がった男という立場の違いもあった。

 更に二人の関係についてややこしくしている存在もあった。

 

「うちの息子の直属の上官ですがね」

 

 それは彼の長男イヴァン・ハリトノーヴィチ・アーチポフ空軍大佐の存在であった。

 現在の彼の職務は国防省国防次官補佐官。つまりココツェフの部下である。

 

「そんなに嫌いなのか?」

 

「ええ。うちの最新鋭戦闘機とその艦載機型の生産を巡って一時期内紛になりましたから。」

 

 彼は8年ほど前の最新鋭戦闘機を巡る政治的騒動を思い起こす。

 その件で当時アーチポフの上司だった将軍はカムチャツカに左遷された。

 

「何処の軍も同じか、そういうところは」

 

「ええ。ですがココツェフの野郎が面倒なのはそこだけじゃない」

 

「文字通りの英雄なのだろ?」

 

「ええ。親衛空母プリモーリエの初代艦長、東シナ海のクラーケンとかいう大仰な渾名を頂いてやがる」

 

 ココツェフの厄介な点は文字通り英雄な所だ。

 かつて中国との内戦でロシア海軍の最新鋭空母プリモーリエの艦長として中国海軍と戦い大戦果を挙げロシアという国の持つ海軍の負の歴史を断ち切った男という名声があった。

 

「そこまで君が嫌うのなら逆に気になるよ。」

 

 グッドイナフはなんだかんだで一年以上一緒に仕事をして人となりをよく知っているこの男がこれほど嫌う男に興味を持った。

 

 

 

 

 

 その頃、情報部では優雅に部下に作らせた昼食を摂る貴族がいた。

 姿振る舞い食事の仕草はまさに完璧な英国紳士にして古の特権階級たる名門貴族の振る舞い、ハイランドの名門氏族の末裔にして古くはスコットランド王国以来王家に仕えたキャラウェイ伯爵家当主らしい所作であった。

 そしてその部屋に入ってくる者が。

 

「ただいま戻りました、伯爵」

 

 入ってきたリーエンフィールドが敬礼すると伯爵は返礼し訊ねた。

 

「お帰り、リー。久しぶりのイギリスはどうだった?

 うちの息子のバカ嫁は相変わらずか?」

 

「ええ。相変わらずの浪費癖です。

 ジョンも尻に敷かれているようで」

 

「あのバカ嫁、何とか我が家の家計はこの仕事と息子の仕事の給与で回っている事を分かってないのか。

 場合によっては次はフランクだな。」

 

「フランクのところは娘しかいませんが?」

 

 イギリスから戻って来たので本国に残した家族の話を少しする。

 

「大したことない。今時女伯爵は珍しくない。

 ところでヤツはアレに食いついたか?」

 

「ええ。かなり」

 

「ザザビーズで98万ポンドまで競ったからな。

 ところでこれを読んで感想を聞きたい」

 

 突然伯爵は手元に置いていたクリアファイルをオークで出来たアンティークの机を滑らせた。

 ファイルは寸分たがわずリーエンフィールドの前に滑って行った。

 

「はい、ベオグラードですか?」

 

「ああ。座ってくれ。」

 

 促されるままに座って書類を読む。

 十分ほどかけて一通り読んだ彼女は書類をファイルに戻す。

 食事を終えた伯爵はナプキンで口元を拭きながら聞いた。

 

「感想は?」

 

「不味い事が起きる可能性がないとは言えませんね」

 

 その内容は実に不穏なものだった。

 ソ連軍の不満分子、パラデウスの主戦力がまだ維持されている事、ベオグラード駐屯軍内部の不和、中央政府に対する不信、カーター事件の余波による過激化等々だ。

 

「ああ。ありえない事が起きるのがここだ。

 私もその内容に関して少し懸念を抱いている。」

 

「他の方は?」

 

「ヴェンク中将は心配し過ぎではないか?と疑っていたね。

 少なくとも、パラデウスに余力はないと見ているようだ。」

 

 だが行動を行える余力の有無については意見が分かれているようだ。

 リーエンフィールドは更に畳みかける。

 

「伯爵は余力があると考えていますか?」

 

「私はあると考えている。

 少なくとも製造法に関してまだ何もわかってない。材料だけ分かっている状態だからな。

 ここには我々が使用できる偵察衛星も何もない、最大限の警戒を行うしかあるまい。」

 

「それで、伯爵は何を警戒しているのです?」

 

 リーエンフィールドが伯爵の考えている最も恐ろしい可能性を訊ねる。

 

「ソ連軍の反国連軍勢力がパラデウスと結びついて反乱」

 

「またですか?」

 

「ああ。まただ。どの国にも憂国の士とやらを気取るバカはいる物だ。

 だが、今回はカーターより面倒だぞ」

 

「どうして?」

 

「ソ連中枢部に対する純粋な不満が地方で溜まってる。

 国連軍に対する反乱ではなく、彼らの反乱の向きはソ連政府だ」

 

「それは、不味いですね」

 

 カーターの事件との違いはカーターの場合は小規模、且つ正面からの軍事作戦になることを想定していない物だった。

 しかし今回の場合は最初から向こうが反乱を起こす前提で動いている可能性があるのだ。

 更に補完する情報を得たいところだが直接的物証はない。

 

「ああ。その上エストニアの敵基地は完全に破壊されてる。

 あそこから情報を得るのは難しい、となるとこの間押収したベオグラードの情報を漁るかシギントしかない」

 

「シギントで何か情報は?」

 

 現物ではなくともネットワークや通信ではいくらか収穫はあった。

 

「ない事もない。CIAの優秀なハッカーがパラデウスのネットワークに侵入することに成功した。

 セキュリティの程度は、まあ我々と比べて圧倒的に劣るそうだ。

 そこで、連中のスパイに関する情報を幾らか得たそうだ。」

 

「それをCIAは?」

 

「小出しにしてきている。

 少なくとも今わかっている情報だけで言えば、連中の施設の一部か大半はまだ絶賛稼働中という事、そして東ドイツと欧州連合の中枢の情報が洩れている可能性が高い」

 

「それは…」

 

「私が懸念を抱くだけある情報だろ?

 便宜上、CIAはスパイは少なくとも東ドイツに一名、欧州に一名だ。

 それぞれ牛、枢機卿と呼んでいるそうだ」

 

「変わったコードネームですね。」

 

「集めた情報を東ドイツ、欧州連合内部の情報と照らし合わせるとそれぞれ医療系を中心とした情報の範囲と政府中枢を中心とした情報の範囲があったそうだ。」

 

「それで(聖ルカ)枢機卿(カーディナル・オブ・ブリュッセル)ですか。

 アメリカ人らしいですね」

 

 先方の欧州側中枢にスパイがいる可能性。

 CIAのハッキングチームが手に入れた情報を分析して得られた結果だ。

 

「警備関連の情報は欧州連合側と共有していますからね。

 最悪の可能性が」

 

「会談会場の襲撃、パラデウスは情報を持っているし、武器も戦力もまだ維持している。

 その上現地には上手く焚きつけられる不満分子も。」

 

「中止か延期を提案しましょう」

 

「もうしたよ。答えは今更止められないだそうだ。」

 

「危険があるのにですか?」

 

「『この一世一代の会談を延期中止するとなると一体どれだけの関係者が関わるのか。それはもう我々で関与できる域を超えている』だそうだ。まあ一理はある。」

 

 中止か延期を提言してもあまりにも多くの人が関与しているこの会談を中止したり延期をするのは殆ど不可能だった。

 

「我々情報機関の手に余る出来事ですからね」

 

「そうなれば早急に排除だ。」

 

 そこでキャラウェイは別の策を選んだ。

 それはソ連軍の反対勢力中枢の人間の殺害。

 思い切った策にリーエンフィールドは驚き聞き返す。

 

「排除ですか。誰を?」

 

「ベオグラード駐屯軍参謀将校、フィリトフ大佐。

 反中央政府を焚きつけている憂国の士を気取っている男だよ。

 その上、パラデウスと接触している。

 上の許可が下りた。

 勿論ソ連政府には伝えていない、現地軍もだ」

 

「誰が?」

 

「GRUのスカルプハンターがやってくれるそうだ。

 我々はランプライター」

 

「イングリッシュはセルビアでは目立ちますね」

 

「スラブ人の方が都合がいいってことだ」

 

「そう言う事だ」

 

 キャラウェイはリーエンフィールドに頷いた。




・鄭青林
中華共和国外務大臣
前大統領鄭成功の息子だが政府自体が欧米の支援を受けなければならない程人気がないので本人も人気がない。
そしてその現状を憂いているが同時にどうしようもないと理解している。

・室賀大翔
日本国外務大臣
現在の日本政府である安室内閣の大臣。
選挙区が兵庫県であったため外交協定交渉の場として地元有馬温泉を提供して外交交渉を主導した。
名前は室賀正武から

・後藤正治
日本国衆議院外務委員会委員長
古参議員で先祖は後藤新平。
経済協定を主導した国家でありながら内部では半分侮蔑の目線を向けている日本の立場を代弁した。
名前は後藤新平から

・ヨシフ・ココツェフ
ロシア国防次官
海軍大将
ロシア海軍の英雄で成り上がった人物。
中国内戦で最新鋭空母プリモーリエ(沿海州)の艦長として海戦に参加、第二次大戦以降最大の海戦となった中国東海艦隊との艦隊決戦で大戦果を挙げついでに寧波を破壊した戦果から
名前はロシア帝国大蔵大臣ウラディミール・ココツェフから

スパイの牛と枢機卿の由来はそれぞれ聖ルカとクレムリンの枢機卿
国連軍の姿が気がつけば利権を担保する存在に変質していると皮肉ってる。
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