ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。   作:4kibou

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一人だけの美しさ

 

「ひぐっ……ふぇ、う、ふぅっ……」

「……いい加減、泣き止んでもらえると嬉しいのだが」

「だ、だっでぇ……!」

「…………、」

 

 まったく、と有耶は嘆息した。街中から離れた公園のベンチ。完全に別物だと会った当初は騙されそうになったが、なんてことはない。一枚皮を剥がせば中身は同じ。彼女の姿が鮮明に見慣れたそれと重なる。これでは、怒るに怒れなかった。

 

「……まあ、そんな資格もないのだがな……」

「ふぇ……?」

「いや、こちらの話だ。……おかえり、一美」

「た、ただいま、でずぅっ!!」

「はは。何語だそれは……」

「うぇっ」

「嗚咽で返事をするな。……変わらんな」

 

 言うと、彼女はぐしぐしと顔を拭いながらぶんぶんと犬のように首をふる。……色々と女子力的に大事なものが欠如しているのは、そのままそっくりなので仕方ない。三度の飯より……むしろ三度の飯をボーイミーツボーイでいけると豪語した女性だった。正直、九留実を見た時にそんな振る舞いができたのかと驚いたほどである。

 

「ゆ、有耶ざんも、おがわりなぐっ!」

「……、なにか、飲むか?」

紅茶(ごうぢゃ)でっ……!」

「ああ、分かった。すこし待っていろ」

 

 立ち上がった有耶が、自販機まで足を運ぶ。一美の分の紅茶を購入して、さて自分は何にしようかと悩んだとき。

 

「(……うん?)」

 

 ふと、離れた遊具の物陰に、見慣れたモノを見つけた。

 

「(……仲が良いな。あれで、隠れているつもりなのか)」

 

 くすりと笑って、結局微糖の缶コーヒーを選ぶ。明透有耶であるのならコレ一本だ。視界の端に映った黒髪を見ないフリをしながら踵を返す。そこで言うのは野暮であるし、なにより彼にも考えがあった。ふたつの飲み物を手に、一美のもとまで戻る。

 

「落ち着いたか」

「は、はいっ……その……」

「ならば良い。君の分だ。代金はいらん」

「あ、ありがとう、ございましゅっ……、す」

「――ふっ」

「ひ、人のミスを笑うのはどうかと思いますっ!?」

「いや、すまない」

 

 くすくすと笑いながら、有耶がぽんと一美の頭に手を置いた。それだけでぴたりと彼女の体が固まる。顔が真っ赤に染まっていく。ぷるぷると震えだして、およそ噴火三秒前。そっと手を離して、彼は遠くの空を見た。

 

「――すまなかった」

「……え? あ、いえ……その、そこまで、怒っては……」

「違うのだ。……本当に、すまなかった。私は、君の願いを果たせなかった」

「――――――」

 

 ……鈍い彼のコトだ。きっと気付くまでには時間がかかったか、誰かに教えてもらうしかない。それでも果たせなかったのなら、たぶん後者だと彼女は思った。繋いだ命の重さに込めた、ほんのすこしのたしかな望み。それが実を結ぶことは、

 

「馬鹿なことをした。君の願いを。その子の命を、無為にした。無為なままにしてしまった。……私が殺したようなものだな、アレは」

「有耶さん……」

「……君には私を殴る権利がある。零では無いと、最期まで気付くことができなかった。我が子の名前にそんなものが込められていたことなど、知る由もなかったのだ」

「…………、」

「私は父親失格だ。それでもなお、こうして生きて、君とまた会った。ならばなによりも先ず、謝ろうと決めていたのだ。……だから、殴れ。私の、失態だ」

 

 目の前の人物は、顔も体つきもなにもかもが違う。似ていると感じる部分は容姿という点でほとんど無い。けれど、それがそうだと知ったいま、なんとはなしに重なる部分があった。……本当に、変わりない。不器用な彼が子育てすらロクにできない姿は、まあ、想像に難くなかった。

 

「……殴れません。だって、じゃあ、私も同罪です」

「なに……?」

「私も……有耶さんにぜんぶ任せちゃいましたから。あとのこと」

「…………しかし、それは」

「ううん。……同罪です。分かってたんです。本当は……だって、あなたの妻でしたから。きっとこの人はやらかすだろうなあって、どこかで……だから、願ったんですけどね」

 

 それでもどうしようもなかったのなら、仕方ない。自分だって同じだ。彼ひとり残したまま逝って、大きなものを押し付けてしまった。本当はそんな重りや枷になんてなりたくなかったのに。まったくもって、死期を悟った人間というのは厄介だ。あの頃の、なんとか彼のなかに自分が生きた証を刻み付けようと考え込んでいた己を一美は思い返した。

 

「……零無。うん。たしかに私、そう込めてましたね。ちゃんと、つけてくれたんですね」

「当たり前だ。……おまえの言葉を蔑ろにするものか」

「……じゃあ、私から言っておけばよかったです」

 

 意味、と一美は軽く続ける。それに彼は、そうだな、とだけ答えた。だからなにが変わったというワケでもないだろうが、すくなくとも見るコトもできない可能性を考えるぐらいは良いだろう。……なぐさめにもならない、遠いモノだとしても。

 

「二羽から聞きましたね?」

「……すごいな、なぜ分かる?」

「あの子にだけ教えておきましたから。ほら、なにかと自分が()()()()には容赦がないでしょう? 彼女。だからまあ、そういう意味を込めてもいいんじゃないかって」

「……そうだな。彼女は大概、ぬるい気持ちではいさせてくれなかったな」

 

 治塗瀬二羽は一美の唯一無二の大親友にして最高のパートナーである。そんな彼女にのみ秘密を教えていたというのは、有耶からしても妥当なものだった。……もっとも理由が、どぎついモノを書き上げてくる彼女に対してのコトもあってとは思わなかったが。

 

「……零無は、どうでしたか」

「どう、というのは?」

「あの子は……どう思って、生きたのかなって……」

「それは、分からん」

「……ですよね」

 

 が、とそこで有耶は区切って。

 

「分からないのだから、確かめなくてはな」

「はい……?」

「……すこし耳を貸してくれ。いいか、一美。そこの物陰にな、黒い髪の男の子がいるだろう――?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――あなた達、なにしてるのよ……」

「あ、先輩」

「ウワサのブルーブルーパイセンっすか」

 

 ちっすちーす、とあからさまになめ腐った挨拶をくり出す真墨をスルーして、蒼唯がはあと息をついた。手には重めの紙袋。どうやら書店へ行って来た帰り道らしい。

 

「公園で不審な影が見えたかと思えば……まさか知っている相手だなんて」

「すいません……」

「あたしは知んないすけどね。……お兄につきまとって勝手に自爆して勝手に奮起して勝手にあたしのお兄を直す切欠なんてつくってくれやがった蒼色パイセンとか

「真墨」

「やだぁ~☆お兄こっわ~い」

 

 言いながら、真墨がぴゅーっと逃げていく。むっとした玄斗の顔が、次の瞬間には呆れた様子に変わる。ドスのきいた声を浴びせても一ミリも効いていないであろう妹は、こと本気の度合いを受け取るのが上手い。おそらくは冗談交じりの反応を感じ取っていたのだろう。やれやれと息をつくと、眼前の蒼唯が珍しいものを見るような目で見ていた。

 

「……? あの、なにか」

「いえ……あなた、そういう人だったのね」

「……そういう、とは……?」

「冗談とか、言える人。……そう、そういう……ああ、なんか、馬鹿みたいね」

「??」

 

 くすり、と蒼唯が笑った。――笑った。ぜったいに笑った。いま笑った。玄斗はぽかんと口をあけたまま、「え? え?」と二度見三度見する。

 

「……なによ。人の笑顔がそこまでおかしい?」

「い、いえ……先輩、笑うんですか……?」

「……人をターミネーターかなにかと勘違いしているんじゃないかしら。ぶん殴るわよ」

「ごめんなさい」

「まったく……あなたみたいな人が、わざわざ赤音にちょっかいかける勘違いしてるような奴じゃないってことよ。すくなくとも、そういう人種とは違うみたいだから」

「……そういう人だと思われてたんですか……?」

「だって校内のあなた、とても雰囲気がそういうアレだし」

 

 アレなのだろうか。だとしたらなんとも、こう、やはり俺の部分が引き摺っているのではと思わざるを得ない。すくなくとも十坂玄斗は在学中、一度も女子にキャーキャー言われた事実はなかったのだが。

 

「すこしだけ、安心したわ。思ったよりちゃんとしてるみたいね、生徒会長さん?」

「そうでもないですよ。まだまだです」

「ところで、先ほどの彼女の言葉なのだけれど、付きまとうとか自爆とか、なに? 私はむしろあなたにつきまとわれる側だと思うのだけれど」

「えっと、それは……まあ……」

「まあ、なに?」

「あはは」

「笑って誤魔化すんじゃ無いわよ……」

 

 分かりやすい、と蒼唯が鼻を鳴らして腕を組む。こういうときの彼女はちょっとだけ気に喰わないときだ。イライラしはじめると指をトントンと叩きはじめる。そして貧乏揺すりとつま先のカツカツステップが響き始めたらもう誰にも止められない。

 

「……というか、冷えるでしょうここ」

「コーヒーでなんとか」

「……そう」

「……飲みますか?」

「なんでよ」

「いえ、先輩、本を買ったあとは財布の中身がその、冬なので」

「……あなたのそういう裏事情みたいなのは本当にどこから入手しているのかしら……!」

 

 無論入手しているのではなく知っているだけである。若干怒ったような口調で言いながら、蒼唯はじっと睨みつけたあとに玄斗のコーヒーを一口だけ含んだ。「あ、」という玄斗の声は冗談で言ったのに、という内心から来るものである。

 

「……苦い」

「微糖です。……というか、あの、これ、飲みかけ……」

「余計安心したわ。それを気にするぐらいは純真で」

「先輩は気にしないんですか……」

「寒いのよ」

 

 察しなさい、と少女は頬を赤らめながら睨みつける。……無理して虚勢を張らなくてもなにもしないのに、とは玄斗の内心だった。

 

「……そういえば、今日はおふたりで一緒じゃないんですね」

「……断られたの。用事があるとかって。だから、もしかして、最近ウワサのどこぞの誰かが、変なコトをしているかもと思っていたのに。……あなた、ここでなにをしているのよ」

「父親がアウトな年齢に浮気しているので出歯亀を」

「とんだ精神力ね……」

「それであまりにもアレなのでいまからシバきに行こうかと」

「あなたの行動力が意外すぎて怖いわ」

 

 なんなの、と蒼唯が一歩後じさった。玄斗としては事実を並べただけである。余計酷かった。

 

「だって、女子高生と中年親父って、駄目じゃないですか?」

「……駄目ね」

「しかもけっこう親父のほうが押してて、あまつさえ女の子が泣いちゃったらアウトじゃないですか?」

「……アウトね」

「じゃあやっぱり悪いのは父さんです」

「もう遠慮無くやりなさい」

 

 父親の風評被害がどんどん広がっていく。玄斗も真墨もその真相は知らない。蒼唯は完全に勘違いしていた。だがもしこれが二之宮赤音だったならばどうなっていただろう。……比べてもまだマシである相手なのは、間違いなかった。

 

「それじゃあ私は家に帰って本でも読むわ。また学校で、生徒会長」

「はい。また放課後お邪魔します」

「そっちは来なくていい……!」

「あはは」

「愛想笑いが下手! その顔なんだか腹が立つのだけれど!?」

「すいません」

 

 ひらひらと手を振って、去っていく蒼唯の背中を眺める。なにが琴線に触れたのかは不明だが、どうにも彼女の警戒は解けたらしい。いや本当、なにがどうしてかは分からないが。

 

「(前は三ヶ月ぐらいかかったっけ……)」

 

 仲良くなってからは早かったが、それまではとても長い道のりであったと玄斗は思い返す。正直十坂玄斗としてのこじれた使命感さえなければ途中で諦めてもいいレベルのものだった。よくやったなあ、なんて我ながらしみじみ思う。

 

「……生徒、会長」

「!」

 

 そうやって感傷に浸っていたところへ、声が響いた。ふり向けばそこには今日一日父親と共に追ってきた灰寺九留実の姿。すわ尾行がバレたのか、と考えて玄斗はハッとした。さりげなく姿を消した妹の真意を。

 

「(き、気付いてたのか真墨……っ!)」

 

 恐ろしい子……! なんて戦慄している場合ではない。びっくりして固まったままでいる玄斗に、そっと九留実が近付く。一歩、前へ。

 

「……ああ。そういう、ことだったんだ……」

「は、はい……?」

「だから……ううん。でも、そうなんだね。……あなたは」

「…………??」

 

 なにを言っているのだろう。つい先ほどまで父親と何事か話していて、その直前まで泣いていた少女の言葉に困惑する。会話の流れが読めない。真実、玄斗はふたりの会話なんて聞いていないのだから当然だ。一体全体どういうことだ、と一歩足を引こうとして。

 

「――――ぇ」

「…………、」

 

 ぎゅっと、優しく抱き締められた。

 

「あ、ちょっ……ぁ、の……」

「……………………、」

「は、灰寺、さんっ? こ、これ、は……」

「……零無(レイナ)

 

 思考が、停止した。もがいていた手足から急激に力が抜けていく。その名前で呼ぶのは父親を入れてたったの三人。彼の正体を知っている人間だけのはずだ。教えてもらったのだろうか。にしては、父親がわざわざ彼女に教える意味が分からない。なにが、どうして、どういう、と言葉が絡まり合っていく。

 

「……納得、しちゃったなあ。どうりでね、似てるはずだって。……本当、あの人そっくり」

「え、っと……」

「そっかあ……こんな、立派に……ね……?」

「……っ?」

「――大きくなったね、零無」

 

 にこり、と灰寺九留実が微笑んだ。とても似合わない表情で。とても似合っている顔で。

 

「え――――……」

「本当、そっくりだね。なんだか、色々と経験しちゃったみたいだけど、見た目じゃなくて中身がそう。……ふふ、ああ、幸せだなあ」

「はい、でら……さん……?」

「ううん。……いまはね、違うの」

 

 ふわりと抱き締める腕の力を緩めて、暖かな笑顔のまま九留実が玄斗を見る。理解していない彼と、理解してしまった彼女。なにせ、少年にとっては生まれてこの方一度も感じたことのないものだ。ましてや、今更味わうとも思えまい。アトウレイナだった頃の、懐かしい温もりなど。

 

「ありがとう、零無。私の、大事な、大事な、男の子」

「あ、その、や……」

「はじめまして、じゃないけどね。でも、とっても久しぶり。……あなたのお母さんだよ、零無」

「――――――」

 

 愕然とした。

 

「……ぁ、え……、……?」

「……信じられないかな。でも、私も。……良い子に、育ってくれたね。ちゃんとした子に、なってくれたんだね。いっぱい、有って、なにも無くなんかないんだね……それだけで、私は嬉しいんだよ」

「ぇ、と……あ、……っ、ぅ……?」

「――大丈夫。零無。ありがとう。生まれてくれて、ありがとう。生きててくれて、ありがとう。零無であってくれて、ありがとう」

「――――、」

 

 まったく、意味が、分からない。

 

「……お、かあ……さん……?」

「……うん。えへへ……お母さんって、呼ばれちゃった……」

「ぁ……そ、その、……僕、は……っ」

「……うん」

「…………ご、めん。なんて言ったらいいか、わかん、ない……」

「ううん。いいよ。いいの。それで。……お父さんが、ごめんね。色々と苦労させちゃったよね。でも、あの人、不器用なだけなんだよ。ちゃんと、優しいところもあるから」

「……うん。分かってる」

 

 答えながら、すっと体の力が抜けていく。分かっている。それはもう十分把握している。ただ、目の前の現実がどうにも受け止めるには用意ができていなさすぎて。まさか、同じ生徒会に属する人が、そんな相手とか夢にも思わないトンデモで。

 

「あなたは、零じゃ無いから。ちゃんとなにか有るんだよ」

「そう、だね……やっぱりお父さんは、間違ってたんだね」

「あらら……なんて、間違ってたの?」

「……零で、無いって。なにもあるはずがないんだから、なにも要らないだろうって。そう、言われたからね……」

「へえ……」

「(……ん?)」

 

 なんだろう。ちょっと、周辺の温度が下がった気がする。

 

「……他には?」

「え、……ほ、他?」

「他、お父さんになにかされなかった?」

「なにかって……いや、むしろ、なにもされなかったというか……外にも出してもらえなかったというか……家に帰って来ない日は食事もどうにかできないときもあったというか……」

「――――――」

 

 ぴしり、と九留実の表情が固まった。内心では極めて冷静になるほどと頷いている。あの男が自分に謝ったのは、それが原因かと。それであんなコトを言ったのかと。

 

「あ、いや! その、今はぜんぜん、良いんだけどね! ただ、あのときのお父さんは、ちょっとトラウマで……」

「トラウマ?」

「あ、ちょっと、うん。倒れて病院に運ばれても、手間をかけさせるなって、言われちゃって。迷惑かけちゃいけないなって、大人しくしてたんだけど、でもやっぱり病気が悪くなっちゃって……おまえなんて生まれてこなかったら、とか、言われたけど! でも! うん! 僕は大丈夫だから!」

「ちょっと待ってて」

 

 笑顔のまま九留実は玄斗を離して、ニコリとよりいっそう微笑んだ。彼も返すように笑顔をつくる。――直後、少女は凄まじいスピードで遠く離れたベンチまで駆け抜けた。

 

 〝……む? どうした一美。もう零無との話は終わっ……え、いやちょっ、待て待て待て!? なんだいきなり!? 腕を!? 振りかぶって!? どういうつもりだ!? ……なに? 私が零無を虐待した? いやそんなつもりは……。いや、うむ。たしかに甘んじて君に殴られるとは言ったが! 言ったがこれはちょっと唐突すぎないか!? ああ待てちょっとすこしは時間を――〟

 

 どがっしゃーん! と公園の片隅から壮絶な音が鳴り渡る。多分因果応報だ。玄斗はもしかしなくても余計なコトを言ってしまったのかもしれない、と両手を合わせて天に拝んだ。十坂真斗、並びに明透有耶。ここに眠る――

 

 〝死んでいないが!?〟

 

 続いて響いた音を、玄斗は聞かないことにしておいた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「――――レイナ」

 

 遠く、後ろから微かに聞こえてきた言葉に、心がざわついた。

 

「(…………なに……?)」

 

 ズキン、と不自然な頭痛が走る。名前、なのだろうか。どこかで聞き覚えのある――否、そんな名前は一度も――一度は――彼を――誰を――表すための、記号。

 

「(……っ、頭、が……っ)」

 

 ふらついて、近くの木にもたれかかる。なんなのだろう。こんなときに立ちくらみを起こすなんて……と悠長に思っている場合でもない。そも、これが立ちくらみかどうかなんてどうでもいい。ざわめく感覚は胸からわき上がって、喉を通って頭まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……とりあえず、座ったらどうかしら。十坂くん』

 

 

『だから、何に謝ってるか分からない』

 

 

『……訊き返さないわけ? それとも、私のことには興味ない?』

 

 

『冗談に決まってるでしょう。まったく会話が下手。相変わらず』

 

 

『うるさい。あなた反論できる立場だと思ってるの? ()()()()()しておいて』

 

 

『……まったく、本当変わらないんだから』

 

 

『ええ、そうよね。酷い男よね。謝罪のひとつも言わないなんて』

 

 

『平気よ。二度も言わせないで』

 

 

『うるさい。喋るな。だから嫌いなのよあなたは』

 

 

『――玄斗くんっ。はい、口開けて? これすっごい美味しいからっ!』

 

 

『そうね。ついでに私とデートしてました、なんて言っておかないとね』

 

 

『……いいじゃない別にほっぺぐらい』

 

 

『あなたは誰? いったい、どこのなんていう人?』

 

 

『……本当。馬鹿ね、あなた。会話が下手なのよ。分からない?』

 

 

『あなたの歪さも、おかしさも。すべて気付かないと、本気で思っていたの?』

 

 

『……うん。言わない。だから、教えて。私にだけ』

 

 

 

 

 

 

 ――〝明透零無〟。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(ぁ――――)」

 

 ドサリ、と持っていた紙袋が落ちる。寄り掛かった木にそのまま体重をあずけて、ずるずると座り込む。不意に、風が落ち葉を舞いあげた。……ふり向いたその隙間に、()が見えている。

 

「……ふ、ふふ」

 

 笑う。視線を戻す。何事かを考えている少年から目を背けて、ちいさく笑う。

 

「あはは……な、なによ、それっ……ふ、ふふふ……っ――ああ、もう、本当に」

 

 なんてことかと、蒼唯はゆっくり立ち上がった。

 

「――そういうことなのね? レイ

 

 風に遮られた名前。そう呼ぶのは、きっと―― 












>親父
彼は悪くないよ! 主人公が生まれてきたのがいけないんだよ!

>お母様
ところでそこの旦那さんがっつり結婚してるんすよ

>息子
さあ次は君の番だね?

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