ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。 作:4kibou
疲れきった体は、自宅を前にして気が緩んだ。ひとつ息を吐きつつ、ゆっくりとドアノブを回す。ガチャリと玄関を開けてみれば――そこに、エプロン姿の妹がいた。
「おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それとも――」
「ご飯」
「あた……いや食欲に正直すぎるだろ」
太るぞ、なんて呟く真墨の隣を、玄斗はなんともないようにすり抜けていく。ここ最近の慣れの成果だった。妹からの激烈アタックが日々留まるところを知らない。
「真墨」
「なに?」
「体重、あまり気にしなくてもいいと思うよ」
「おいそれはどういう意味だ」
「いや、最近よく体重計とにらめっこしてるから……」
「てめえそれをどこで見てやがった!?」
うがーっ、と吠えながら真墨が飛びかかってくる。色気一切なしの攻撃はわりと兄として楽しいものがあった。高校一年生といえどれっきとした乙女であり女子高生である。ゼロコンマ一の差であったとしても気になるお年頃だった。
「ばれてんなら仕方ないっ! あたしのカロリー消費運動に協力しろっ!」
「
「セッ○ス!」
「やめないか!」
身も蓋もない単語だった。わたわたと廊下で転げ回りながら玄斗は最終防衛ラインを死守する。ズボンのチャックを下ろさせてはならないのだ。色んな意味で。ファーストキスは奪われても貞操だけは守り抜きたい純朴少年(その他は経験済み)である。はたしてそれは純朴と言えるのだろうか。
「ていうかさー! お兄さー! 学校で五加原センパイといちゃつきすぎじゃん!? なんなん!? 壱ノ瀬センパイ一筋じゃなかったわけ!?」
「いやいちゃついてないし……」
「あれでか!? あんなに密着しててか!? 言うか、それを!? おいその口のどこが言うんだ!? あたしとももっと近付け!?」
「本音がドストレート……!」
どうして自分の近くにいる女子はこうも肉食的というか、なんというか。隙あらば牙を剥くようなタイプなのだろう、なんて玄斗は真剣に悩んだ。そも彼が肉食系ではないのだから当然とも言えた。唯一現状に限ってがっつくようなタイプではないのが白玖ぐらいなものである。
「でも、それなら別に良いだろう」
「なにが良いのっ!」
「じゅうぶん近いじゃないか。いま。こんな風に自然と話せる相手なんて、真墨以外にいないし」
「……っ! そ、それは事実上の告白と受け取ってよろしいので!?」
「いやそれはおかしい」
ズボンに手を伸ばす妹の細腕を止めながら、吐息がぶつかるぐらいに近い真墨を見詰める。実際、この距離で心臓ひとつ跳ねずに会話できるのは彼女だけである。いくら碧でも近付いていれば自然とドキッとするし、白玖ならばもうメトロノームもかくやといったモノである。良いか悪いかはどうであれ、すくなくとも特別という点では間違いなかった。
「……おかしくても、いいじゃん」
「…………真墨?」
と、不意に勢いが止んだ。とても、とても、静かに。ふたりの寝転がった廊下には、なんとも言い難い静寂が流れている。
「あたしはっ……変でも、おかしくても、お兄が、好きなんだもん」
「……うん」
「だから、さ……ちょっとは、見てほしいよ。あたしのこと。ちゃんと、見てほしい」
「うん」
うなずきながら頭を撫でる玄斗に、真墨は俯きながらちいさく声を漏らす。そんな態度に、考えてみれば……なんて思い返してしまった。兄妹だとしても、彼女の抱いた想いこそが本物だ。周りが大事だと言っておいてそれを無視するのはいただけない。向き合わなくてはならない問題から逃げるのは、なんとも彼として納得いかないところだった。だから、あとほんのすこしでも、この少女には真摯なモノであろうと――
「あたしは……お兄の妹のままでも、良いよ。ううん。むしろそれが良いの。でも、それ以上だって……ほしいんだよ」
「……わがままだね、真墨は」
「うん。わがまま。でもさ、仕方ないじゃん……お兄が、さ」
「うん」
「――こんな、エロい格好してるから……!」
「ごめんちょっと離れて?」
「はい」
素直にうなずく妹に圧力が通じているようで一安心だった。玄斗はすっと立ち上がりつつ、いつの間にか外れていたボタンやベルトを直して、くるりとリビングのほうへ向いた。
「今日の夕飯、きのこたっぷり使った炊き込みご飯にしてくるから」
「待って! おねがい許して! あたしが悪かったです! ごめん! ごめんってお兄!」
「次やったら本気で一週間無視するから」
「いや殺す気!? あたしお兄に無視されたら泣くよ!?」
「…………、」
「ふえぇ……!」
「いや早いって……」
「うえぇ……!」
ため息をつきながら玄斗は真墨の前に屈んで、よしよしといま一度頭を撫でる。その隙に乗じて真墨は兄の制服の匂いを嗅いでいた。計画通りである。そんな事実に鈍感な兄は気付いてもいない。妹はやっぱり偉大だった。
「すん……すん……」
「ああもう、良い子だから……無視とかしないから……」
「ぐすっ……本当?」
「本当、本当」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃない、嘘じゃない」
「幸せにしてくれる?」
「うんうん、するする」
「キスする?」
「うんう――いやそれはおかしい」
「ちっ」
雑な誘導尋問はおおかた本気でもなかったのだろう。肩を落とす玄斗とは対照的に、真墨は元気いっぱいだった。理由はまあ、すぐさっきまで密着していた誰かのコトを思えば見えてこないこともない。
◇◆◇
「――ただいまです、
「ああ、おかえり。七美」
彼女が帰宅すると、すでに家主はリビングで寛いでいた。橙野千華。引っ越してからもその前からも、色々と七美がお世話になっている人である。今回チケットをどこからかもらってきたのも彼女だ。そのあたり、気にはなっても聞くことでもないのだろう、と気軽に台所まで足を運ぶ。
「なにか食べましたか?」
「いいや、コーヒーだけ。できればなにかつくってくれると、ありがたいな」
「そのつもりなので気にしないでください。料理、好きですから」
「そう。いいお嫁さんになるだろうね」
「そうですか? 私はあまり、そうでもないような気もしますけど」
答えながら、七美は冷蔵庫のなかを覗きつつ今日の献立を考えてみる。料理は最近になってできた趣味のひとつだった。体を動かすにしても限界のある彼女としては、適度に動きつつ激しすぎる運動はしないというのがちょうど良い。頭を使うというのもある。実は家事全般が壊滅的な千華に代わって彼女が料理するのは、もはや引っ越してから当たり前の光景になっていた。
「ああ、そういえば、この前もらった水族館のチケット、相手が見つかりました。今週の土曜日に行ってきます」
「ほほう。それは重畳だね。……友達かい?」
「そんな感じです。玄斗、というんですけど」
「玄斗? 男の子か?」
「ええ、そうですけど……なにか、問題が?」
「――ああ。大アリだね。これは、おめかししないといけない……」
「?」
学力はそこそこ、常識的なコトに関しても致命的なまでの欠如はない。よくぞここまで、というのは皮肉も込めて千華の言いたい一言だった。そも真っ当な生活を送らせる気があったのかどうか、というのもある。その点、いまを十分に楽しんでいそうなのが救いだった。
「なにしろ初めてだ。存分に楽しんでくるといいよ。なに、私はすこしばかり帰りが遅くなっても気にしない。せいぜい煙草をふかすぐらいさ」
「……煙草は体に悪いそうですよ、千華さん」
「分かっていてもやめられないんだよ。こればっかりは。まあ、そろそろ時期かもしれないとは、思うけれども」
言って、千華は咥えていた煙草を灰皿に押し付けた。七美はそれを不思議そうに見詰めている。いつもなら何を言ってもどこ吹く風だった保護者が、急に素直になったのだから当然だ。
「どうしたんですか? 具合でも……」
「いいや、これでもまあ、考えてはいたりするからね。子供ができたみたいなものだ。副流煙というものがある。気になるなら、すこし調べてみればいい。きっと君は私のことを嫌いになるよ」
「よく分かりませんけど、でも、千華さんのこと嫌いにはなりませんよ? ぜったい」
「……言ってくれるよ、本当。分かった。しょうがない。禁煙だ。……君のいる前では煙草は吸わない。せっかくの名前が、台無しになるからね」
「はあ……?」
要領を得ない話をする千華に首をかしげながら、七美は適当に豚肉と野菜をいくつか取り出した。ちなみに肉嫌いの千華はちいさく切らないと滅多に口に運ばない。好き嫌いをしない七美のこともあって、どっちが子供か分からなくなるぐらいだった。
「七美だよ。覚えているかな?」
「まあ……忘れたくても、忘れませんよ。あれは」
「そっか。……願わくば、そのとおりにね。名前に意味を込めすぎてもアレだが、本当に、私はそう願ったんだよ」
「……はい」
うなずいて、彼女は調理に取りかかった。橙野七美。それが単なる記号であっても、単なる文字の羅列ではないと知っている。なにせまだその名前になって二ヶ月ほど。彼女はしっかり、自分の名前というモノの重大さを理解していた。
◇◆◇
ああ、でも、どうするべきか。
時間がない。
この身体は長く保たない。
だから、その前に。
早く、早く。
どうか、彼女を……
……でも、それだけでいい。
それだけでいいんだ。
それ以外はいらない。安心してほしい。
あとの負債は、ぜんぶ、俺が請け負っていけばいい――
>あとの負債
ハッピーエンドはちょっと欠けてるぐらいがちょうど良いんです。
警戒しなくても本気で十章は優しいので安心してくださいね。クッションですからね。まだ甘い雰囲気ですからね。