ギャルゲーの友人キャラに転生したら主人公が女だった。 作:4kibou
「~♪ ~♪」
かちゃかちゃと食器の擦れる音に乗って、台所から綺麗な鼻唄が聞こえてくる。ほう、とひと息つきながら椅子に背をあずけるのと、対面の千華が煙草を取り出すのは同時だった。時刻は夜の九時前。玄斗のお腹は、たらふく食べてすっかり膨れていた。
「……おっと」
「? 吸わないんですか?」
「……ああ。いまは禁煙中なんだよ」
「でもさっき……」
「あれは……ほら。ひとりだったからね。子供の居る前では、吸わないようにしているんだよ」
なるべく、と付け足して千華が煙草をポケットに戻す。そのまま湯飲みを手に取って、そっと口を付けた。広いリビングにたった三人。誰もわいわい騒ぐようなタイプではないため、なんとも言い難い静寂が時折流れている。
「しかし、本当によく食べるんだね……流石は男の子。もしかして、まだ足りないかな?」
「いえ、さすがにもう」
「ふふっ、そっか。だろうな。すこし休んでいるといいよ。なにも、急ぐわけではないんじゃない?」
「……はい、そうさせてもらいます」
「うん」
暇ができれば七美の手伝いでもしようと考えていた玄斗だったが、彼女自身からノーと突きつけられては動けもしない。今日一番の笑顔を見せていたあたり、料理が好きであるのは間違いなかった。キッチンは七美の領土である。
「……楽しそうだな、七美」
「そうですね。いつもあんな感じなんですか?」
「まあ、そうとも言えるし、ちょっと違うかも分からないよ。いつもより、気分は良さそうだからね」
「……なら、良いんですけど」
「おや。なにが良いのかな?」
笑う千華に、玄斗はこてんと首をかしげた。そのままの意味なのだが、という意思表示である。やはり鈍い。鈍感、天然、唐変木。おまけに人間として未熟にすぎる。そんな少年の反応に、千華は納得しなかったらしい。
「……いや、君も大概だな、十坂くん。なるほど、似たもの同士だったか……」
「? まあ、たしかに……七美さんに親近感は覚えますけど」
「ほう?」
――と。刹那、鋭い視線が突き刺さった。瞬きの間の一瞬の変化。今の今までのんびりとお茶を啜っていた千華が、試すような瞳を向けている。ぞっと、背筋にいやなものが走った。
「あの……?」
「親近感と、君はそう言ったね。……なんて甘い。七美は……」
ちらり、と台所の少女を一瞥する。あちらは洗い物に夢中で話に耳を傾けてもいなさそうだった。ならば、と千華がひとつ息を吐く。彼女とて七美の親代わりだ。譲れない部分は、そこそこある。
「……彼女の境遇を、知っているかい?」
「いえ……あまり」
「そうか。なら、親近感なんて、あまり言わないほうがいいよ。七美にはね。……十坂くん。君は、目を閉じて生活したことがあるかい?」
「? ……えっと、それは」
「生まれてからずっとモノが見えない生活をしたことがあるのかい?」
「……あり、ません」
くすりと千華が笑う。どこか悪戯の成功した子供みたいに。どこか取り返しのつかない部分を悲しむように。ほんのすこし、寂しげに笑う。
「……あの子は山奥の村にいたんだ。人里離れた奥地でね。どこもかしこも古臭い山村だった。人も、モノも、なにより考え方もか。時代錯誤にも程がある」
「……村で暮らしていた、というのは訊きました。どこかは、知りませんでしたけど」
「知らなくて良いよ。地図にも載らないような僻地だ。……そこで、彼女はこの歳になるまでずっと、監禁されていた」
「え――」
咄嗟に、七美のほうを向いた。彼女はいまだに背中を向けて食器と格闘中。背鼻歌交じりに台所でオレンジ色のポニーテールが揺れている。
「厳密に言うと、監視だけどね。村の奥につくられたちいさな神社に、世話係と一緒に暮らしていた。彼女が自分からなにかできないように、布で目隠しをされて」
「それ、は……」
「おまけに、その下からも〝覗くな〟なんて躾られたみたいでね。勢いよく剥ぎ取っても、瞼ひとつ動かさなかった。本当に、彼女はずっと、なにも見ないままに生きていた」
見えていたものが見えなくなる、という経験なら玄斗にもある。視力が薄れてなくなった明透零無の最期だ。けれど、はじめから見えないのであれば――というのは、どうしても想像の域を出ないコトになる。なにせ十坂玄斗も明透零無も、最初から世界はしっかり見えていた。
「あの子の目の色、見たかな」
「はい。綺麗な赤色だったと……」
「うん。綺麗だろう? なんせ、ひとつの集落の人間が必死こいて少女の人生を潰してまで守り通した輝きだ。さぞ綺麗でなければ、困るというものだろう?」
「……あの目が、ですか……?」
「そうとも。古くからある言い伝え、なんてくだらないものでね。それはむかしむかし、近くの川が氾濫して村が危機に陥ったときに、救ってくれたそうだよ。今まで村人たちが爪弾きにしていた、赤い瞳の青年が」
本当にくだらない、と千華が湯飲みを握りしめる。変わり者と忌避されていた人間が、なにかの拍子に危機を救って認められる。そこまで変な話でもない。よくある田舎に伝わるなんとやら、だろう。
「そんな理由で、赤い目を持った人間は隔離される。どういうわけか一定周期でそういう子供が生まれるみたいでね。ちょうど今回が彼女だった。……緋色の瞳だから、ヒメ様なんて呼んでいたか。馬鹿らしい。あんなのは、人間の扱いでもなかろうに」
「…………、」
「だからまあ、気付いた瞬間に怒鳴り込んでぶち破って振り切った。勢いもそのままに彼女を拾い上げてしまったよ。……親は、いなかった。たぶん、死んだか殺されている。あれは、ああいう空気だった」
「そんなの……」
「あるよ。十坂くん、世界は広い。あってしまうさ、そんなコトぐらい。……だから、目の前の手が届く範囲に見えたら、伸ばしたくなるんだよね」
心が弱い証拠だ、と千華は自嘲気味に呟いた。なにも知らず、なにも見えず、なにも自分なんてあるはずもない。その教え方は、けれど、やっぱり――いつかの少年を思い出させた。おまえは零であると。ひとつもないのなら、何も無くてもいいだろうと。いまは懐かしい冷えきった父親に、そう言われていた。
「もちろん最低限、必要なことは世話係というのがしていたよ。勉強とか、軽い運動も。目が見えなくてもできることはあるからね。だから、下地は抜群だった。あとは目を慣れさせて、一般常識を教えてみれば意外なことに順応が早かった。……七美はそうやっていまみたいになった。どうだい? わくかな、親近感」
「……それではい、なんて言えるほど図太くはないみたいです」
「そっか。……いや、ごめん。いじめるような真似をして。でも、譲れないところではあったんだ。……あの子のこと、あまり、軽いものだと思わないでほしい」
複雑なんだよ、という彼女の笑顔はお世辞にも良いものではなかった。親心、というものだろうか。どうだろうと玄斗は考えてみる。自分なんて大した経歴も過去もないだろうと言われても、玄斗自身そこまでなにを思うでもないが――
「(ああ……でも、お父さんとか、すっごい怒るか……)」
おそらくは、彼は自分に対して。そんなの不幸にも入らない、というのは実際玄斗も若干思い始めていることだが、父親だけは未来永劫違っているのであろう。自らの失敗をどこまでも裏で攻め続ける。そういう人なのは分かっていた。
「……わかりました。聞いちゃいましたから。それぐらいは十分に」
「聞いたじゃない。聞かされた、だよ。十坂くん。……いまのやり取りで気付いたけど、君、結構自罰的だな? しかも根が深いタイプの」
「? いえ、そうでもありませんけど」
「あれ? ……ううん、私の勘も鈍ったかな……」
すんなりと答える玄斗に、千華があれあれと首をかしげる。真相はそれこそ本人か、彼をいちばん近くで見てきた人間しか知らない。いまのところ、黒(墨)か緑だけである。
「……でも、大丈夫ですよ」
「……なにがだい?」
「七美さん。きっと、これからはいっぱい笑っていけます。七美さんの笑顔、すごい綺麗ですから」
「……なら、いいんだけどね。七美というのは、私がつけたから。そのとおりであればと願っているんだ。……意味、分かるかい?」
「意味、ですか?」
訊くと、千華はそっと瞼を閉じた。
「ああ。……七つ、見つけてほしいんだ。美味しいと思うもの。美しいと見惚れるもの。音色。匂い。感触。それと、直感的なもの」
「……あと、ひとつは?」
「何にも頼らない。あの子自身が、素直に美しいと思った何か、だよ。……きっとそれが、あの子自身の答えになる。願わくば、それを見過ごすことなく掴めると良いんだけど」
「掴めます。だって、七美さんですから」
「……本当。君は大概だな」
いま一度笑って、千華は湯飲みを傾けた。名前に込められた意味。良いも悪いもあれど、所詮は名前でもある。玄斗はふと、懐かしい
「……綺麗に笑えるなら、きっと大丈夫。僕とは違うってことですから。なら、安心できます」
「……ふむ。それはちょっと、変だね」
「?」
「いや、なんていうかね。君も十分綺麗に笑っているじゃないか、十坂くん」
「――――そう、ですか」
だから、やっぱり。その一言は、玄斗にとってちょっとだけ嬉しかった。
>橙野七美
目隠ししたまま生きてきた隔離系少女。ちなみに本人的に「あの頃もあの頃でなあ……戻ってもいいのになあ……ちょっと寂しい……」という感じなので躾って重要ですね。ちなみに村では自由意思もなにもないよ。なお勘の良い人は気付いたかもしれないけど作中ヒロイン唯一ガチの無知シチュできるキャラ。おいおいおいなにも知らない少女に獣のごとき猛りとか玄斗くん容赦ないな(風評被害)
書いてるとわかるクッション感。やっぱオアシスなのだ……(ほっこり)