「ん?」
学校帰り、何気ないアイツの一言を受けてアイツの部屋に上がった私。
勝手知ったる部屋の中で何の憂いも遠慮もなくくつろいでいると、とある物が目に入った。
「アクアリウム特集……」
この前来たときには無かった本のように思えるが……それにしてもアイツ、こんなもの好きだったっけ。割とミーハーな所があるのは知っていたが、今度はこれを始めるのか。
眺めていたスマホを脇において、カーペットの上に無造作に置かれていたそれを手に取る。
めくってみれば色とりどりの魚、草、小岩とか木がそれっぽく並べられて、何となくいい感じの写真が沢山載っている。紙面上では魚の飼育方法やら、水草の成長の説明やら、魅せるレイアウト配置やら。はたまた撮影にはどれこれすればいいやらと、ワンサカ書かれている。
うん。まあ綺麗だな。
ふと頭によぎったのはその程度の感想。
何か目を惹くものを探す訳でもなくパラパラと紙面をめくり。
巻末の広告欄で良くわからない高そうな機材の値段を見てうへぇ、と零して。
雑誌を元の位置に戻そうとした所で――、
「お待ちどおさまー、今日はオレンジジュースだよ」
アイツが帰ってきた。
既に着替えたアイツはお盆にジュースとクッキーを乗せて、テーブルの上に載せ始める。
何となく運ぶ様が危なっかしく見えるのはいつもの事だが、そんな様子を見守っていたので、掴んでいた雑誌を戻すタイミングを逸してしまう。
すると、アイツは
「アクアリウム、やってみたいのか?」
「うーん…………うんっ。何か、ほら。部屋にこういう小さな水槽があると、落ち着くかなーって。すっごい綺麗だしね」
何か歯切れ悪いな。
「まあ確かにな」
「私の部屋って何かふつーじゃん? なので一段上のインテリアに凝ってみようかと思いまして!」
「ぬいぐるみだらけの部屋に水槽なぁ……」
部屋のいたるところにはどこから手に入れて来たのか様々なぬいぐるみが所狭しと置いてあり。なんとなくぬいぐるみに囲まれた魚達は自分の場違いさに肩身を狭くするのではないのかと思ってしまった。
「でもさ。さっきチラ見したけど用意するとなると大変だし、お金かなりかかるんじゃ?」
「そう! そうなの!」
よくぞ聞いてくれました、とアイツが机から乗り出す。
特徴的な癖っ毛を揺らして一瞬だけ見えたアイツのおでこには、未だ薄っすらと前転んだときの傷が見えた。
「水槽と水とお魚と、あと水草だけだと思うじゃん。私、おっきな水槽じゃなくて小さな水槽みたいなのでいいから、苦しいけど5000円くらいで用意出来るかなって思ってたの! そしたら全っっっっ然足りてなくて! ポンプとか、濾過材とか、水質検査とか、何か色々必要で! その全部が高くて!」
「机揺らすのやめれ」
ぺしぺしぺし、と机が控えめに叩かれ、そのたびにアイツの癖っ毛が揺れる。
私は何となくアイツの怒りとも驚きとも思えぬ証言を耳に入れつつ、ストローのささったオレンジジュースを飲んでゆく。とても甘い。
「でね。でね。でね。インターネットとかで色々探して、もっとお手軽でお金かからなくて、それでいて綺麗なやつないかなーって探して、そしたら詫び草だけってのも何か良いよーって書いてあって。それにしようかなーって思ったの」
「
誰に対して詫びてるのだろう。
それとも、詫びたい相手にその草を渡すのか。
頭の中で思い浮かんだツッコミは口の中で封殺しておいた。
「ほら見て見てっ」
アイツは私から雑誌を受け取ると、ずい、と私に体ごと寄せてくる。
何度も読み返されたのだろう、少し皺になったページ上に映されるのは本当にアクアリウムに定番のよくある水草にしか見えない。特徴があるとすればその水草と土がセットになっているような。
「ね、綺麗でしょ? それでね。この侘び草なら空の水槽に置いて水を入れてあげるだけって言うの。これなら何かお金かからなそうじゃない」
「まあ……うん」
……自分の感性が枯れているとは思わないけど。やっぱり、私にはただの草だな。
というかだな。
「草だけ? 魚は?」
「とりあえず魚に関しては侘び草マスターになってから投入する事にする!」
「偉大さが感じられないマスターだな。で、侘び草ビギナーさんはそれをいつ頃始めるんだ?」
「……えーっと」
「……」
「ら、来週……来月?」
「やらねえパターンだな」
「ち、違うの! 聞いて、聞いてよー! ちょっとノリ気になれない理由がありましてー!」
アイツの話から、近所にアクアリウムショップがあると言う事を知った。
本当に民家立ち並ぶ市街地にぽつねんと佇むその古いショップには、当然ながらアクアリウムに必要な機材、魚、水草、景観用の石木。そして侘び草も置いてあったという。
「こんな近所にあるなんて私知らなくてさー。大小色んな水槽に綺麗なお魚とか一杯いたなー。みんなキラキラって光ってて~……なんだろ、整頓されてない宝石店みたいな感じ!」
「泥棒なら飛び付くだろうな」
そしてアイツはお上りさん丸出しでキョロキョロと店内を物色し、最終的に侘び草コーナーでどれを買おうかなんて、しゃがみこんでうんうんと迷い出したそうな。すると、そこに現れるのは店長。どうやら店長も暇をしているのか、アイツに対して話しかけていったという。
「めいあいへるぷゆーって来たから、侘び草欲しいです!って素直に答えたんだよー。そしたら店長さんがどんな水槽でやるの? とかー。お魚は、どんなのと一緒にするの? とかー」
「ふぅん」
「最初は私も淀みなく応えていったよ。でも質問に応えて行くうちにね、どんどん私の欲しい方向とは違った物を提示されていくの。私のイメージとしてはね、ちっちゃい金魚鉢みたいな所に侘び草ちょこんって置いて、あとちっちゃいライト置くぐらいで完成の筈だったのに……」
やれ、初心者なら60cm水槽にしなさい。
やれ、水温計やフィルターやら、これこれこういう器材を変えなさい。
やれ、冬の対策はどうするのかとか。フィルターの説明とかバクテリアがどうとか塩素なんとかとかぱいろっとふぃっしゅ?とか水を腐らせるとかなんとかかんとか。
「それで初めてスタートライン。お値段15万からですって言って、私は崩れ落ちそうになったの……」
「そんなお金ないですって言ったら?」
「言ったけど、だとしたら数ヶ月くらいでゆるゆると衰弱して冬には持たないですよって……」
「……」
「店長さんが言った15万のセットのは、魚も水草も生き生きと生きられる最低条件なんだってさ。何か、そう言われた瞬間、私説明されてるんじゃなくて叱られてるんだって思えちゃって……うん。侘び草だって生きてるんだよね。甘く見てたのを思い知らされちゃって」
その店長は興味、関心事にだけ早口になるイキリ野郎だが、多分、それだけアクアリウムを愛しているのだろう。魚達や侘び草を商品として扱ってはいるものの、その商品が
「むかーし、学校でも何気なく花とか育ててたけど……買ったからにはちゃんと生かし続ける責任があるんだもんね」
「私にとってはインテリアだけど、侘び草にとっては逃げ場のない監獄だなーって」
「そう思うと、途端に手が伸びづらくなっちゃった」
侘び草ビギナーはもう戦えないのです。べちょり。
なんて言ってアイツは頭だけ机に突っ伏してしまう。
その様子を眺めながら、私はコップの奥に残り続けるオレンジジュースを吸い上げるのだった。
§ § §
「今日は紅茶にしてみましたー」
ティーポットに入った紅茶を運ぶ姿を見守りながら、今日も私はアイツと駄弁る。
会話がなくなることもあるが、その静寂もどこか嫌じゃない毎日。
今日はそんな静寂にさしかかった所でカバンからある物を取り出す。
「これ。やる」
「え? なになに? ……えぇっ? これって! ……あれっ?」
ビニールに包まれたそれを取り出せば、中から出てくるのは――侘び草。
――に似ている感じの人工芝の造花だった。
アイツは手渡されたそれの草を軽く弾いたり、色々な角度から眺めたりして出来栄えに驚いていた。
「うん。偽物だよ」
「なんだー……ちょっとびっくりしちゃった。でも、どうして?」
「水槽飾りたいんだろ? 本物じゃないけど、綺麗じゃないかもしれないけど。これなら
「……!」
アイツの顔が驚きから、喜びに変わる様がまざまざと見える。
気のせいか、アイツの癖っ毛まで反応しているようにも思えるが……まあ、うん。よしとしよう。
「ありがとう!」
「どーいたしまして。水槽は自分で用意しろよ」
「うんっ!」
私はぬいぐるみに囲まれたこの子供部屋に大人の要素が少し混ざるのを想像し。そんなに似合わない訳ではないかな、とちょっとだけ考えるのだった。
【後日談】
「造花にカビが……」
「……小まめに掃除しなきゃだな」
どっとはらい。