冬木市にそびえる円蔵山の中腹、深いけもの道を進んでいった先。本来ならそこに洞窟の入り口があって、その最奥にある大空洞という広い場所には大聖杯があったという。
……もっともこれは、わたしが本来いた世界の話。こちらの世界でその役目を担っていたのは、生きた聖杯である美遊だったに違いない。
もちろん憶測でしかないけど、聖杯戦争っていう共通項のみを見て結論付ければ、きっとそういうことなんだろう。
現在そこに洞窟は無く、数十メートル四方のクレーターがあるだけだ。
その原因はわたしたちが元いた世界で、二枚目のアーチャーの英霊が色々やらかした挙げ句、イリヤと英霊の渾身の一撃がぶつかり合ったため。
元々こちらの世界と空間ごと入れ替わってたらしくて、時空の揺り戻しと共にわたしたちは、こちらの世界に跳ばされた、ということらしい。
「……やっぱり、変化は無し、か」
クレーターの淵に立ったわたしは、ポツリと呟いた。
この世界に跳ばされてから数日。わたしは毎日ここへやってきた。目的は、イリヤ。
倒れたイリヤに駆けつけたリンが首を横に振ってたけど、わたしが直接確認したわけじゃない。だから、ちゃんと確認が取れるまで、わたしはそれを信じないことにしたのだ。
この世界にやってくるタイミングはズレがあるみたいで、実際合流できたバゼットとは、半日ほど出現のタイミングが違っていた。
だから。毎日ここへ確認に来てるのだけど、いつも空振りに終わっている。
……今日も無駄足だったみたいね。
そう思って踵を返そうとした、その時。目前の景色が歪む!
やがて、倒れた人影を確認したわたしは、慌ててそこへ向かって駆けだした。
「イリヤッ!」
顔の判別なんて関係ない。あの服装は、わたし達が家を抜け出したときにイリヤが着ていたものだから。わたしは大声で叫んだけれど、イリヤはピクリとも反応しない。
駆け寄ったわたしは、イリヤを見下ろす。イリヤはまるで眠っているようだ。その口元まで手を伸ばして。
……!!
「息、してない…」
慌ててイリヤの頬に触れる。
「冷たい…」
それじゃ、やっぱりイリヤは…。
わたしはその場でペタリと座り込む。わき上がる想いが抑えられない。ああ、わたしはいつの間に、こんなに弱くなってしまったんだろうか。
わたしは、イリヤに縋りつきながら、唯々泣くしかなかった。
あー、恥ずかしい。我ながら、なかなかに女々しかったと思うわ。誰かに見られなくてホントによかった。
「さて、と」
わたしは四苦八苦しながらイリヤを背負う。
「
投影した拘束帯を使って、イリヤがずり落ちないように巻きつけた。
イリヤをこんなところに放ってはおけない。全てに片をつけて元の世界に帰ってから葬ってあげないと、ママたちの心の整理もつかないだろう。
イリヤを背負ったわたしは、山を下っていった。
街中を歩いていて、ふと気がつく。わたしの今の拠点、穂群原小学校とは別の道を歩いていることに。そして、ある場所まで来て立ち止まる。
そこには有刺鉄線で囲まれた、
こちらに跳ばされた日以来、足を運んだことはなかったんだけど、どうやら思った以上にショックが大きかったらしい。無意識に足が向いたようだ。
……あーもう、何ウジウジしてんのよっ。イリヤじゃあるまいしっ! こういうときは!!
「……っざけんな、コノヤロー!!」
わたしは大きな声で叫んだ。ふう…、これで少しはスッキリと…。
「はややっ」
なに!?
突然の声に振り返ると、[田中]という文字が目の前に迫っていた。わたしは慌てて避け。
ズッシャアアアアア!
ごいぃん!
「ふいー、急にでっかい声出すからコケちゃったですよ。
発声練習ですか?」
立ち上がったそれは、
「まーた会ったなァ!」
全く、こっちはこのタイミングで会いたくはなかったわよ!
目の前に立つゴスロリ女に、わたしは内心で毒づいた。
さっき出会った人、「田中」は、どうやら記憶喪失らしい。仕方がないので、取りあえず保護して一緒に拠点に向かっていたところで、こいつに出会ってしまった。
名前は知らない。わかってるのは、ミユを連れ去った二人組の片割れだって事と、使っているクラスカードが、おそらく[雷神トール]だっていう事だ。
「……あーん? 背中に
「……だったら、何だって言うのよ」
ゴスロリ女の問いに苛立ちを覚えながら、わたしは聞き返す。
「べーつにー? ただ、死人なんか背負って、バッカらしーって思っただけよン♡」
コイツッ!!!
「
「!! チッ!
わたしが投影して落下させた複数の刀剣類を、彼女は限定展開した右手を振って弾き飛ばす。
「おいおい、この程度であたしはァ、……って逃げた!?」
当然! 三十六計逃げるにしかず、ってね。もちろん、普段ならもう少しやり合うところだけど、イリヤを背負ったままそんなことするわけにもいかない。
オマケに田中もいるんだ。今のわたしには、逃げるしか…。
ドガシャアアア!
そんなわたし達の前に自動車が降ってきて、その進路に立ち塞がった。そんなことをしたのは、もちろんあのゴスロリ女。
「せっかく会えたってのに、簡単に逃がすと思ってんのかァ?」
チィッ! こうなったら不本意だけど、一戦交えるしか…、え?
「田中…?」
わたしの前に出て、ゴスロリ女に対峙する田中。一体…?
「あの…、わたしは誰ですかー!?」
「知るかァーッ!!」
「アホかァーッ!!」
ゴスロリ女とわたしは思いっきり突っ込む。
「それじゃあ、あなたは誰ですか?」
「……まァいいわ。聞かれたからにはメイドギフトってやつ?
あたしはベアトリス・フラワーチャイルド!! エインズワースの超絶美少女ドールズよ!!」
エインズワース…、それがミユをさらった奴らの名前!
田中…。この子は一体何なの?
ベアトリスが振るった電柱の一撃を受け、それでも擦り傷程度で立ち上がった彼女。魔術で強化したのかとも一瞬思ったりもしたが、記憶喪失という事実を差っ引いても、魔術師らしいところは全くと言っていいほど無い。
その後ベアトリスは、夢幻召喚しようとしたものの誰かとの会話…、おそらく念話をしたのかと思うと、その場から去っていった。
そして田中は言った。
「エインズワース家を滅ぼす。それが田中の役目です」
って。
「食い逃げとは、舐められたものだ」
ちょっと! この人、ただのラーメン屋じゃないの!? 何だかとんでもない殺気なんですけど!?
いや、ただのラーメン屋にしては筋骨隆々で、変な威圧感は放ってたけどッ!
……わたしが拠点に帰りもせず、
気がつけば田中は空腹のあまり、まさしく行き倒れた。そこに通りかかったその男に連れられて、わたし達はその男が経営するラーメン屋「麻[まー]」に来た。
……そして、思い出したくもない、僅かな麺の上に超激辛麻婆の餡かけが大量に乗った殺人料理を、有無を言わさず食べさせられたのだ。リンが[あかいあくま]なら、こっちは[あかいあくむ]と言ったところか。
そしてすべてを食べ終わった後、きっちりと料金を請求された。麻婆ラーメン二杯で三千二百円為り。
そしてお金の持ち合わせがないとわかった店主は、先程のセリフを吐いたわけである。
「心臓よりも、肝臓や腎臓の方が高く売れると知っているか?」
知るかァーッ!!
内心で、さっきのベアトリスと同じツッコミを入れるわたし。
マズい。このままじゃわたしと田中、それにイリヤの身体が、本当の意味での対価にされてしまう。……わたしの体は使い物になるのかとか、田中に刃物が通るのか、なんていうのはこの際問題じゃない。
いざとなったら徹底抗戦するしかないか。そう思っていると。
「おじさん、やってるー?」
入り口の戸を開けて入ってきたのは、八枚目のカードの少年だった。
「せっかく立て替えてあげたのに、なんだってのさ」
お店を出たわたしに言うそいつ。
「随分とおかしな顔で睨んでくるね?」
「人の顔をおかしいとか言うな!
……ついこの間まで命のやり取りしてた相手に、お金を立て替えられたのよ? 警戒するべきか、感謝するべきか、悩むのが普通でしょうが!」
「それは、難儀だね」
まるで些細なことだ、とでも言うように軽く流す。なんかむかつくわね。
「まあそこは、君が背負っている彼女が僕に勝利したって事でお終い、でいいんじゃないかな?
僕は黒い方の僕の意思を尊重しただけだし、君と敵対する気はないよ」
そいつがイリヤに視線を移したとき、一瞬敬意の隠った表情を浮かべた。全面的に信用するわけにはいかないけど、どうやら嘘はついてないみたい、ね。
「……わかった。今の所は信用してあげるわ」
「ははは、手厳しいなぁ。
……ところで、そちらのお姉さんは?」
話の矛先が、田中に向けられる。
「田中です! あなたは誰ですか? 何する人ですか?」
ホントにこの子は、記憶喪失って言うより、小さな子供ね。まったく。
「そうだなぁ、僕のことは『ギル』って呼んでください。とりあえず今は、現世の生を謳歌しているところです」
ギル、か。もしかしてコイツの真名って…。
「召喚時に、この時代やエインズワース家まわりの知識は入ってきたけど、田中さんのことはわからないなぁ」
「なっ、ちょっと! エインズワース家の事、知ってるの!?」
「知ってるも何も、僕はそいつらが作ったカードから呼び出されたんだもの。
エインズワース家がこの世界で[聖杯戦争]を起こしたんだ。美遊という聖杯を据えてね」
!? それじゃあまるで、エインズワースはアインツベルンの…。
「それで? それを知って君はどうす…」
「滅ぼします。
田中はエインズワース家を滅ぼすためにいます」
わたしに言ったのと同じことを言う田中。謎は多いけど、その想いは本当らしい。
「なるほど、ね。……で? 君はどうなんだい?」
ギルは試すような眼差しでこちらを見る。わたしは深く息を吐いてから、ギルを見返し口を開いた。
「わたしはエインズワースからミユを取り戻す。例えそれが困難だとしても!
……でも」
「でも?」
「でも、まずは拠点に戻らないと。イリヤを背負ったまま、エインズワースの拠点に攻め込むわけにもいかないからね」
わたしが背負ったイリヤを見ると、ギルが覗き込んできて。
「ふぅん。なかなか面白いことになってるみたいだね」
面白いことと言われて一瞬カチンときたけど、どうやら興味深いって意味で言ったみたいだから、とりあえず言葉は飲み込んだ。とはいえ腹の虫が治まったワケじゃない。後で困らせてやる。
拠点に戻ると、田中を見てバゼットが戸惑い、ギルを見て困惑した。とりあえずはベッドのある保健室へと向かいながら、報告を兼ねて帰ってくるまでのことを説明する。
保健室に着いたわたしは拘束帯を解いて、イリヤをベッドに降ろし、眠るような体勢へと整えてあげる。
「イリヤスフィール…。やはり亡くなっていたのですね…」
どうやらバゼットも、イリヤが死んだことを俄には信じられなかったらしい。
「バゼット。執行者の貴女が、随分とイリヤを評価してるみたいね?」
皮肉を込めて言うとバゼットは、横に小さく首を振ってから口を開いた。
「いえ…、ただ、手加減していたとはいえ、わたしと引き分けた貴女達です。少しは贔屓したくもなります」
封印指定執行者としては随分と甘い理由ね。でも、そこがイリヤのすごいトコなんだろう。イリヤの、誰とでも仲良くなる
わたしはイリヤに向き直ると、そっと頬に手を当てる。
「イリヤ…」
そっとつぶやく。もちろん、イリヤからの返事はない。それが、無性に悲しくなる。
---……ヤ……
……何? 今、何か聞こえたような?
---……ヤスフィ…
ううん、確かに聞こえた! そして。
---イリヤスフィール!
ハッキリと、わたしの本当の名前を呼ばれる声が聞こえた瞬間、わたしの意識は昏い空間へと引きずり込まれた。
前々回のあとがきで書いた、カズマ達が一切出ない話です。当初は前回投稿するつもりでしたが、エリス(クリス)が忙しかった理由を書くならこのタイミングだと思い、差し替えた次第です。
プリヤ読者の為の補足
クロエは美遊が囚われてる場所に目星をつけていたため、美遊云々を口にせず、田中の「美遊はエインズワースに……」という発言も無くなったため、クロエの中で田中は、謎の知識を持つ不思議ちゃんポジでは(今の所)ありません。