朝、目が覚めると、見慣れない天井があった。
……やっぱり、夢じゃなかったんだ。
わたしは身体を起こすと、両足をベッドの外へやり、淵に腰をかける。
『イリヤさん、お目覚めですかー? 気分は、……まあ、よろしくはなさそうですね』
「まあね」
ルビーに気のない返事を返すわたし。正直な話、夢だったらよかったのにって気持ちが強い。今の状況って、以前リンさんに答えた「元の生活」からはほど遠いものだ。気持ちが沈んできたってしょうがない。
……とはいえ、落ち込んだままじゃいらんない。わたしがみんなのトコに戻るには、ここでがんばって魔王を倒すしかないんだから。
『どうやら、気持ちを持ち直したようですね』
「うん。……ルビー、心配かけちゃった?」
『いえいえ。今のイリヤさんなら、すぐに立ち直ってくれると思ってましたからー』
すぐにつけあがるからゼッタイに言わないけど、こういうときに結構気を遣ってくれるルビーには、感謝の気持ちでいっぱいだ。これで普段のアレがなければ、もっとよかったんだけどね。
「……さて、と」
『おや、いつもは布団の虫のイリヤさんが、もう起きるんですか?』
「い、いつもじゃないでしょ! たまにだよッ!」
た、確かによく、セラやリズお姉ちゃん、たまにお兄ちゃんに起こしてもらうけどッ! よくある「あと5分~」みたいなのは、ホントにたまにしかないんだからねッ!!
『まあ、それはいいんですけど。それにしたって冒険者なんて自由業なんですから、もっとぐだぐだしてるもんだと思ってましたよ』
まあ、確かにそんな気持ちもあるんだけど。
「今日はやることがいっぱいあるから。
まず、わたしが取ったスキルの確認と練習もしたいし、昨日出来なかった街の探索もしたいでしょ。そのついでに、その、下着も買っておきたい…」
『……あー、それは確かに切実ですね』
さすがに
「え、えーと、あと、クリスさんに会えたら、今後の方針について相談もしたいなーって」
『そうですねー。いつまでも厄介になるわけに行きませんから、今のうちに色々と相談した方がいいでしょうねー。
……判りました。今日はその方針で行きましょう』
特訓前の腹ごしらえ、ってほどじゃないけど、朝ごはんを食べるためにギルドへ行くと、ばったりクリスさんに出会った。うん、まあ、いるかもしれないなーとは思ってたけど。
「やあ、イリヤ。待ってたよ」
どうやらクリスさんも、わたしのことを待ってたみたい。
わたしはクリスさんと同じテーブルに着くと、軽い朝食のセットを頼んだ。
『それで、イリヤさんを待ってたってことは、何か用事があるって事ですよね?』
ウェイターさんが離れたのを見計らって、ルビーがクリスさんに尋ねる。……どうでもいいけど、昨日みんなの前に姿を現して、今更隠れる意味ってあるのかな?
「うん。イリヤの、今後の身の振り方についてなんだけど。
ただ、アタシはこれから、
あっち、って天界? の用事でいいのかな。
「だから詳しいことは、カズマくんに聞いてくれないかな?」
「カズマ、さん?」
思わずつられて、「カズマくん」って言いそうになっちゃった。危うく赤っ恥をかくとこだったよ。
「うん。カズマくんに全部話してあるから」
カズマさん、随分と信用されてるなぁ。それとも、他に何か理由でもあるのかな。
「それじゃ、アタシはこれで。ホント、用事の合間を縫ってきたから」
用事、天界のお仕事が大変なのかな。一瞬だけど、疲れた表情が浮かんでた。そんなクリスさんに、わたしは。
「あの、昨日はいろいろと、ありがとうございました」
「アハハ、別に構わないよ。アタシが好きでやったことだからね」
ホントに、クリスさんがいい人でよかったよ。
『そんなクリスさんの隠された本性を知るのは、もっと、ずっと後のことだったのです』
ちょっとルビー! 変なナレーション入れないでッ!!
食事が済んだわたしは、正門を出てから壁沿いに進んでいき、昨日クリスさんと降り立った場所までやってきた。ここには大きな岩とかがいくつかあって、魔術の訓練にはぴったりな場所だった。
『まー、新技開発でお風呂の給湯器を破壊したり、斬擊で草刈りをしようとして校舎の窓ガラス割ることを考えれば、とても妥当な選択ですねー』
「や、やめてっ! わたしの黒歴史をこれ以上掘り返さないでッ!!」
特に草刈りのときはタイガをメチャクチャ怒らせて、とんでもない量と、独り身女性の生々しい内容の宿題が出されて、ヒドい目に遭ったんだから!
『さて、それではまず、魔術師としての基本中の基本、魔術回路の開放からいきましょうか』
「放置プレイ!?」
こうしてルビーの指導のもと、わたしの魔術訓練が始まった。
俺がギルドで遅い朝食、……ってより昼飯を食ってると、入り口からイリヤが入ってきた。片手に紙袋を下げている。
「よっ、イリヤ。ようやくのお出ましか」
軽い口調で言うとイリヤがこっちへやって来た。
『何言ってるんですかねー、この人は。
イリヤさんなら、ここで朝食を食べてから魔術の訓練、その後、街を散策しながら買い物を済ませたところですよ』
「なっ…」
ルビーの説明に俺は言葉を詰まらせる。
「カズマなんて朝からぐだぐだしてて、ようやく朝ごはん食べてるとこなのよー」
「うるさい黙れ! 間違ってねーが、お前には言われたくねーわ! このクソビッチ!!」
「何よ! ホントのこと言って何が悪いのよ! この引きニート!!」
「誰が引きニートだ!」
「やろうっての!? 女神の力、思い知らせてあげるわよ!」
俺とアクアの舌戦が切って落とされようとした、その時。
「いい加減にしないか、ふたりとも」
「イリヤがふたりを見て、オロオロしてますよ」
ダクネスとめぐみんに窘められてイリヤを見ると、なるほど確かに、どうしたらいいのか分からずにオタオタと落ち着きをなくしている。
「すまないイリヤ。ほら、もうケンカはおしまいだ!」
「ふふん、カズマさんは負けをみむぐぅ!」
まだ何かを言おうとするアクアの口を、ダクネスが後ろから塞いだ。ナイス、ダクネス!
俺はサムズアップでダクネスに応えた。
「……あの、カズマさんはアクアさまと、いつもこんな感じなの?」
「まー、大体こんな…、アクアさま?」
何だ? イリヤは何でわざわざ、アクアを様付けになんか。……あ、コイツ女神だっけか。
「何? 今、ものすごくバカにされたような気がしたんですけど」
バカになんかしてませんよー。忘れてただけですよー。
「あの…」
「ああ、ごめんごめん。
ええと、クリスの件だろ?」
俺が言うと、イリヤはコクリと頷いた。
「えっと、わたしの身の振り方について、カズマさんに話してあるって…」
丸投げかよ。まあ、しばらく用事で忙しいとか言ってたからな。
「……あー、何だ。まあ、その、単刀直入に言うとだな。
イリヤ。俺たちのパーティーに入らないか?」
これが、クリスが俺に頼んだことだった。
イリヤは強さと優しさを兼ね備えた子だけど、このままひとりで冒険者を続けたら、いずれ潰れてしまうか、そうでなくても歪んでしまう。
だから、俺たちみたいな、騒がしくて愉快なパーティーに入れてあげてほしいと言われた。
俺が、別方向で歪むかもしれない、って言ったら、
「それは諸刃の剣だけど、箱に入れて守ってあげる、ってのは違うと思うから」
と返された。なんかよく分からない言い回しだったけど、言いたいことは伝わったので、俺はその申し出を承けることにしたのだ。
「……あの、いいの?」
「ああ。イリヤが嫌じゃなきゃな」
もちろん、イリヤにはまだ、理由は話さないように言われている。そりゃそうだ。そんなこと話したら、イリヤが気を遣うのは目に見えてるからな。
「……イヤじゃない。むしろうれしいよ!
……でも、どうして?」
ホラきた。だが、理由はすでに考えてある。というか、かなり本気でもある。
「実は俺のパーティー、かなり問題があってな?
アークプリーストは使えない子だし、アークウィザードは爆裂魔法しか覚えてないうえに一発撃ったらガス欠だし、クルセイダーは防御だけで剣が当たらないうえにドMときたもんだ。斯く言う俺も最弱職…」
……って、マズい! 本当のこと言い過ぎた!?
「ちょっとカズマ、使えないって何よ!?」
「文句があるなら聞こうじゃないか」
「さ、さすがカズマ。なかなかの言葉責め…、ゴホン! いや、何でもない」
お前らは今言ったとおりだよ! それよりもイリヤは…?
……え、何? その達観したような眼差しは?
「そっか。カズマさんも苦労してるんだね」
まさかの憐れみ!? ……ん? も?
「わたしもねー、ルビーはこうだし、リンさんとルヴィアさんはケンカばかり、クロは元々わたしの命を狙ってたでしょ? ミユはいい子だけどわたしに対しての想いが時々おかしい気がする。
学校の友達だって、タツコは残念だし、ナナキはソフトS、スズカは腐女子で、ミミは腐女子になっちゃった」
「お、おう…」
なんだかイリヤも苦労してた。
「……だから、カズマさんの苦労はよくわかるよ。
わたしなんかで役に立つのかはわからないけど、これからよろしくお願いします」
そう言ってお辞儀をするイリヤ。
俺は思わず泣きそうになる。イリヤ、なんていい子なんだっ!
「それじゃ、改めて自己紹介だ。
俺は佐藤和真。最弱職の冒険者だが、一応このパーティーのリーダーだ」
カズマさんの自己紹介に、わたしは黙ってうなずいた。せっかくの日本人同士なんだし、後で漢字でどう書くのかも教えてもらおう。
『(だからイリヤさんはハーフでしょう?)』
細かいことは気にしない! あと、モノローグに突っ込むのはやめて。
「わたしはアクア。アークプリーストとは世を忍ぶ仮の姿。その正体は、アクシズ教の御神体、女神アクアよ!」
「アクア。自分を女神だと思い込むのは勝手ですが、それを吹聴するのはどうかと思いますよ?」
「うむ。アクシズ教の信者も気分を害すると思うぞ?」
「どうしてふたりとも、信じてくれないのよぉ」
アクアさまは、女神さまだって信じてもらえないみたい。まあ、ぱっと見、ただのきれいなお姉さんだもんね。
「コホン。
我が名はめぐみん! 紅魔族随一のアークウィザードにして、爆裂魔法を操りし者!!」
……えーと。
「あー、アレだ。紅魔族は厨二病な一族で、名前のセンスもおかしい連中なんだ」
「なにおう! カズマ、いい度胸ですねっ!」
り、了解。取り敢えず、めぐみんさんはめぐみんさんでいいって事で…。
「私はダクネス。クルセイダーを生業としているが、不器用すぎて攻撃は当たらない。だが、防御力には自信があるので、いつでも盾代わりにしてもらって構わない。いや、むしろ盾代わりにしてくれっ!」
「こらダクネス! 子供相手に自分の性癖見せてんじゃねぇ!!」
「いいぞカズマ! もっと私を罵るがいいッ!!」
……確かにカズマさんの苦労、半端ないなぁ。
「えっと、それじゃ私の番だね。
わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。愛称はイリヤ。カズマさんと同じ国の出身です。
職業はメイガス。昨日冒険者になったばかりだけど、訳あって戦いにはある程度馴れてます」
「確かに、昨日の試合は素晴らしかった」
ダクネスさんが真剣な表情で言った。どうでもいいけど、この人も振り幅が広いなあ。
「とにかくイリヤ。これからよろしくな」
そう言ってカズマさんが右手を差し出す。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
わたしは差し出された右手を握り返して、そう応えた。
……と、次の瞬間。
『緊急! 緊急! 全冒険者の皆さんは直ちに武装し、戦闘態勢で街の正門に集まってくださいッッッ!』
突然、ルナさんの声でアナウンスが入る。カズマさんはまたか、という顔をしてる。だけど。
『緊急! 緊急! 全冒険者の皆さんは直ちに武装し、戦闘態勢で街の正門に集まってください!
……特に、冒険者サトウカズマさんとその一行は、大至急でお願いします!』
もう一度流れたアナウンスは、カズマさんたちパーティーを名指ししていた。
……でも、何で?