いつかその日は今日である   作:炉心

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 物語に於ける王道中の王道とはなんだろうか?

 先人は言いました。『ボーイ・ミーツ・ガール』だと。





第壱話:緩やかにして、日常 ~その弐~

 

 

「――何か御用ですか?」

 

 見惚れてしまっていた。

 

 絵になる光景というものは実際にあるわけで。一応の趣味と部活動で絵やイラストなんかを細々と描いたりしている身としては、そんな光景に出会った場合には画材道具とかがその場に無い状態でもついどんな風に写生しようかと考え込んでしまうことがある。

 

 後になっても同様の光景を見ることができるならばまだいい。だけど、殆どの場合はその瞬間を逃すともう見るチャンスが無いような光景ばかりだから、そうなるともうその瞬間を逃すまいと必死になってその光景を目と記憶に焼きつけてゆく。と言うより、正確には僕の場合は殆どがそう言った光景を見た時には印象をしっかりと自分の中に留めておいて、それを後から絞り出すような感じに近いのだけれど。

 

「聞こえている? あなたに質問をしているのだけれど?」

 

 何にせよ、我を忘れるような状態だった僕が我に返ったのは、いつの間にか僕の方を振り向いていた女の子の刺すような視線と声のせいだった。

 

「え、えっと。いや、その、特に用事とかはないんですけど……」

 

 どうしようか。「ただ単に見惚れていただけです」とか馬鹿な台詞を言えるわけもないし、だからと言って何か別の上手な言い訳が出来るわけでもない。

 

 そもそもが、ナルの店から家に帰って服を着替えた後、特に目的もなくブラブラとした挙句に田舎の良くも悪くも見慣れた光景に若干の飽きを覚えながらも少しでも変化を求めて海岸付近まで足を延ばしていた。

 

 潮の香る海岸沿い道路はまだ季節的に好んで人が訪れる時期じゃない。滅多に人の通らない道路を当て所なく歩いていた結果、埠頭付近に辿り着いた時に出会ったのがその光景だった。

 

 雲一つなく晴れ渡った梅雨の中明けの蒼穹。

 

 時折吹く潮風に僅かに波立つだけの穏やかな蒼海。

 

 そんな空と海の境界を切り分けるように伸びた使われなくなって久しい寂れた桟橋の先、まるで世界に唯一人だけで存在するように佇む人影が僕の視線と意識の全てを引き寄せた。

 

 気が付けばお互いの存在が認識できるくらいの距離まで僕の足は進んでいて、近づいたことでその姿はより鮮明になる。この近辺では見たことのない黒地のベスト付きの制服に白手袋を身に付けた女の子。だけど、それ以上に印象的なのはその髪の色で、吹く風に小さく揺れるポニーテールの髪は薄い赤味がかった紫色にも近い色をしていた。

 

 夜明け前の空みたいだ。――そんな印象をイメージさせる髪の女の子は、脇目を振ることもなく穏やかな海の遥か先をただひたすら見詰め続けている。それは横目からでも充分に分かる程に、強く睨みつけるかのような鋭い表情と視線だった。

 

 どうしてだろう。よく分からない奇妙な感覚があった。

 

 既視感。

 

 遠目から見ても全然似ていないにも関わらず、僕にはその女の子と知り合いの子の姿が一瞬だけ重なって見えた。

 

「用がないのならそこを退いてください。通れません」

 

 僕はこの子に何かしたのだろうか?

 

 向けられた鋭く射殺すような眼光と抑揚のない声。整った綺麗な顔に浮かんでいる無感情とも鉄面皮とも取れる硬質な表情は、言い様のない圧倒的な迫力を伴っていた。

 

「えぁっ、ああっと。うん。ごめん」

 

 小さな桟橋の中央で道を塞ぐように陣取っていたことに気が付き、慌てて脇に逸れるようにして通り道となる空間を空ける。

 

 終始一貫して表情を一ミリたりとも変えることなく足を進めたその女の子は、僕の前を横切る瞬間にほんの一瞬だけ僕の顔を一瞥すると、すぐさま興味を無くしたかのように視線を外してしまう。

 

「――――――――」

 

「え?」

 

 不意に聞こえた気がしたのは……呟き?

 

 それが女の子の口から出たものなのかどうか瞬時に判断できず、浮かんだ疑問と二の句を発するべきかどうかを迷っている間に女の子の姿は遠ざかってしまう。

 

 キビキビとした澱みのない足取りは、なんだか軍人みたいな感じだった。

 

「不思議な子だな……」

 

 ボンヤリとしている内に気が付けば女の子の姿は見えなくなっていて、僕以外の人の気配は完全に無くなっている。天気も良くてあの女の子がいなくなった以外はほとんど何も変わらない筈なのに、何故だが今のこの場所はひどく色褪せて見えた。

 

「まさかこれを見越して……なんて訳ないか」

 

 耳に微かに残っている。

 

 消え入りそうな声で呟かれた言葉の意味を考えながら、僕も特に長居をする必要のないこの場所から離れることにする。

 

 潮風の吹く晴れ晴れとした海岸線を再びダラダラと歩きながら、女の子が見ていたであろう穏やかな海の遥か先を眺めて思う。

 

『なんでこんなところに』――そんな言葉を、あの子は呟いていた。

 

 

               *        *        *

 

 

「マズい。思いっきり寝過ごした」

 

 部屋の時計が指し示す時間を見て血の気が引いた。

 

 ブラブラと外を散策すること数時間。いい加減に飽きて家に帰った後は自分の部屋で浮かんでいたイメージを下絵として粗描して、ちょいと一休みとベッドに横になったのが運の尽き。仕事関係の用事で昨日から明後日までは家に家族が誰もいなかったことも相まって、当然ながら起こしてくれる人もおらずにそのままぐっすりと今の今まで。

 

「22時過ぎって、もう既に夜どころか夜中じゃんか」

 

 慌ててスマホを見れば、案の定だがナルからのメッセージアプリでの通知が何件も着ている。

 

 最初の方はいつまで経っても店に来ないことへの心配。その次は約束をすっぽかしていることへの怒り。そして次第に内容は不安を表すものへと変わり。最終的には僕の家にまで着てチャイムを押したけども応答が無かったためにどこかに遠出しているものだと思ったらしく、時間が出来たら連絡を返して欲しいとの内容のメッセージが着ていた。

 

 と言うより、家のチャイムが鳴っていたにも関わらずにまったく気づくこともなく僕は寝続けていたのか。一体どれだけ爆睡していたんだろう。

 

「とりあえず、謝っておこう」

 

 素早く謝罪のメッセージを打ち込んで送る。いくら近所で顔馴染みとはいえ、流石にこの時間に訪問するのはありえないだろう。明日学校であったら速攻で謝らないといけない。

 

「って、早いな」

 

 ものの数分もしないうちに既読となり、返信が送られてくる。内容は……まあ、当然だと言えるかな。そしてナルの性格も良く出ている。

 

「ナルの優しさに感謝感謝」

 

 口にしたそのままの文面を再びメッセージで送信し、すぐに返信でナルからのお許しのメッセージを受けて遣り取り終了。自業自得とはいえど、なんだかドッと疲れた。

 

「お腹が減っていると言えば減っているけど……晩御飯かぁ。どうするかな?」

 

 今日の晩御飯の予定――ナルの店へと早めに行って適当に食べる。とかを実は考えていただけに、予定が大きく狂ってしまった。カップ麺か冷蔵庫にある残り物の惣菜でも適当に温めて済ますしかないか。

 

 「何が残っていたかな?」と、冷蔵庫の中身を思いだしながら部屋の明かりを消して階下のリビングに行こうとしたところで違和感に襲われる。

 

「……なんでこんなに明るいんだ?」

 

 今し方部屋の照明を落としたはずなのに、何故かそれなりに明るさを感じる部屋の中。その要因となるのが月明かりにしては明るすぎるくらいの明かりがカーテン越しに窓から射し込んできているせいだと気付いて、違和感にプラスして疑問が一気に湧き上がった。

 

「隣の家? 今は誰も住んでいないはずなのに……。なんだ? 電気が点いてる?」

 

 隣は我が家よりも遥かに年季の入った平屋の一軒家で、長年住んでいたお婆さんが介護施設に入ったとかで1年程前からは誰も住んでいない。誰か別の人が代わり住むこともなく、お婆さんも帰ってこなければいずれは取り壊してしまうこともあるのだろが、今のところは特に音沙汰もなくそのまま空き家での放置状態が続いていた。

 

 窓に近付いてカーテンを引いて窓の外を見下ろしてみれば、確かに隣の家の照明が点いていることが確認できた。

 

「誰か引っ越してきた?」

 

 田舎特有の狭いコミュニティと独特のネットワークからか、他所から誰かが引っ越してくるとなるとすぐに情報なり噂なりは広がるから、特にその手の話題を耳にしていなかっただけに少しばかり意外な感じだった。

 

 これ、一応は挨拶とかをしておくべきなのだろうか?

 

「……まあ、別にいいか」

 

 もしも本当に引っ越してきたのだとしたらおそらくあちらの方から挨拶に遣って来るだろうし、それに家主でもない僕みたいな子供だけで挨拶をするのもどうかと言った感じだろう。どのみち時間が時間だ。常識的に考えても明日にすべきだろう。以上。

 

 隣の家のことはとりあえず明日に回すとの結論を導き出したので、そうなれば後はさっさと晩飯を済ませてシャワーを浴びて寝ることにしよう。明日は月曜だし。普通に学校だ。学校自体は嫌いじゃないし、特に明日はナルに謝る必要もあるんだけれど、それでも週明けの学校って正直言ってめんどくさいよね。あ~、何か突発的な施設の不具合とかで休校とかになったりしないだろうか。

 

 あまり褒められた考えではないけれど、それでも全国の同年代達の多くが考えそうなことをつらつらと考えながら階段を降りて、一階の照明を点ける。

 

 瞬間――“バチッ!!”っと、そんな感じの音が鳴ったかと思うと同時に一瞬にして視界が暗転した。

 

「えっ!? て、停電!?」

 

 急に真っ暗になったことで動揺したが、幸いと言うのか照明を点けたばかりだった為もあってか目が暗闇に慣れるのが予想以上に早かった。リビングの窓から途切れ途切れに射し込む月明かりも相まってすぐにそれなりに見えるようになる。窓の外の様子を見ると、どうやら家だけじゃなくてお隣さんとかも同時に停電しているらしい。

 

「ええっと、懐中電灯は……どこだ? って、そうだ。スマホで」

 

 とりあえず、動転した気持ちを落ち着けつつもスマホのライトを点灯させて周囲を照らし、玄関近くに設置されている電気の設備……何て名前だっけ? 電圧盤? いや、安全盤だっけ? とにかくそれを開いて確認。案の定、原因は分からないけれどブレーカーのスイッチが落ちていたので、それをひとつずつ確認しながら上げてゆく。おおっと、上の方にあるスイッチに手がギリギリだった。

 

「よかった。点いた」

 

 ホッと息を吐く。

 

 明かりが戻った室内を見渡すけれど、特におかしなところもブレーカーが落ちる原因になりそうなことも見当たらない。やっぱり、停電の原因になったのは家とは別のところにあるようだ。

 

「電線とかに落雷でもあったのかな?」

 

 突発的なアクシデントが発生したためかもしれないが、なんだか興奮気味と言うか自分のテンションが露骨に上がっているのがハッキリと分かる。しかも自分の家に特に問題がなかった安心感からか、今度は周囲の様子が気になって仕方ない。

 

 なんというか、居ても立っても居られない心境。

 

「近くで事故でもあったりしていたら大変だし、やっぱりここはちゃんと近所の様子は見ておくべきだよ」

言い訳がましい台詞で自分を納得させて、様子を見ようと家の外へ。

 

 田舎というものは都会と違って建物と建物との距離が遠い。地域によっては隣近所であっても数分の距離から数十分かそれ以上離れていることもざらにある。僕の家は庭を挟んで数メートルの距離にお隣さんの建物があるけれど、それ以外の近所の建物は少しばかり離れている。

 

 玄関から出ると少し冷たい夜風が興奮気味で火照った頬を冷やす。周囲を見渡して近所の様子を窺うと、停電の影響からか点在する古い街路灯の幾つかが明滅を繰り返し、夜空を雲が覆っている為か普段よりも暗く感じる。だが、目に付いた殆どの建物には明かりが確認できて、騒動と言った騒動が起きているようには見えない。

 

「……なんだ」

 

 不謹慎だとは思うけれど、安堵と同時に退屈を感じてしまう。

 

 いや、実際には何もないことに越したことはないだけどね。人様の不幸とか困難を喜びたいわけでもないし。そこまで自分の性格が捻くれて歪んでいるとは思えないし。でもほら、何て言うか日常とはちょっとだけ異なった出来事が起きることに対する渇望と言うか憧れと言うか、些細な非日常に心躍らせると言うか。あれだ、所謂“突発性エンターテインメント症候群”ってやつかな。

 

「ナルとかだったら『不謹慎だ』って言いそうだよな。絶対に。なんかイメージ的な感じで――って。誰かな?」

 

 噂をすればなんとやら。ナルからメッセージ通知を知らせる音がスマホから響く。

 

 内容自体は別に大したことはなくて、停電したことに対して僕の状況の確認と心配のメッセージだった。すぐに問題ないことを返信すると、すぐに既読に返信でナルの方も問題がないことを伝えてきた。……なんだろう、今日のナルとのやりとりはこの手の内容ばっかりな気がする。

 

「あれ?」

 

 お隣の電気がまだ点いてない。

 

 さっきまで電気は点いていたのだから誰かしら人は居るはずだけど、何故だかまだ建物の中は暗いままだ。引っ越してきたばかりだし、ブレーカーの場所が分からずに復旧に手間取っているのか?

 

「いや、それはないか」

 

 引っ越してきた際に家に電気類を動かす為には通電する必要から絶対にブレーカーを上げているはずだ。場所が分からないなんてことは流石にないだろう。

 

「となると……」

 

 1年くらい放置していた上に建物自体も相当古いはずだから、もしかしたら電気系統や照明関係に何かしらの不具合が発生したのか。はたまた引っ越してきた人自身に停電によるアクシデントが発生したのか。もしも後者の状況で、それも動けなくなるような怪我でもしている状態だったら流石にヤバいかもしれない。

 

「とりあえず、ちょっとだけでも様子を見てみるかな」

 

 初対面の挨拶がこんな形になるのはアレな気もするけれど、都会と違ってこんな田舎だと何かあった時の隣近所での助け合いや声の掛け合いは結構大切だったりする。それに、何かあったにも関わらず気にかけも知りもせずに一晩を過ごしました。その結果、大事に至ってしまいました、なんてことになったらその後の目覚めが悪すぎる。逆に何も問題が無かったのならそれはそれで特に問題ないのだし。

 

「『今晩は』? 『こんにちは』? いや、『すみません、夜遅くに失礼します』か? この場合だと、どんな感じで声をかけたらいいんだろう?」

 

 隣の家の玄関へと辿り着くまでの短い時間に考えたことは、こんな特殊な状況での初対面の挨拶をどんな感じでするのかということ。第一印象はその後のその人に対する印象の良し悪しの大部分を決定付けると言うらしいから、その第一歩である挨拶はきっと何よりも大事なのだろうと思うのだけれど、いかせん僕の人生の経験などは大学ノート数ページ分も書ければ良い方。要するにただの田舎の中学生男子なわけで、ボキャブラリーとか引き出しの中身が少なすぎて困る。

 

 畏まった真面目な感じか、それとも明るく軽い感じでいくか。さあ、どうするべきか。

 

「あの~。す、すみませーん。隣の家に住んでいる“鳩羽”って者ですけど。だ、誰かいますか~?」

 

 結論。なんだか非常によそよそしくもおっかなびっくりな感じになってしまった。なんなんだろう、このダメダメ具合は。

 

「……うん」

 

 返事がない。まるで空き家のようだ。

 

 インターホンも押してみたが反応ナシ。これが今起きている停電の影響なのか、そもそもが壊れていたのかは定かではないけれど……古いタイプだし後者か。

 

「さて、どうしよう」

 

 人は居るはず。おそらく。確証はないけど確率は高いはず。

 

 ここで僕に人の気配とかを敏感に察知できる技能なり高い野性の勘なりが具わっていたりすればよかったのだろうけど、残念ながらそんな特殊なモノなど持ち合わせていないのでしょうがない。

 

「って、これ。鍵が掛かってない?」

 

 なんとはなしに玄関扉に手を掛けてみたら、まるで施錠されている感じがしない。内心で「大丈夫かな~?」と思いながらも、そのまま手を横に動かせば予想通りいとも簡単に開いてしまった。

 

「これって、不法侵入になるのかな?」

 

 引き扉式の玄関は完全に開かれた。正しくオープン・ザ・ドアって状態で屋内へと入ることは容易な状況になったけど、この先に立ち入るのはどうなのだろうか? 流石にマズいだろうか?

 

 取り敢えず、スマホを取り出してライト機能をオン。正面を照らしてみる。

 

 田舎の古い家だからかどうかは知らないけれど、建物に奥行きがある上に構造的に玄関から奥へと続く通路部分に窓などの外からの明かりを取り込むものがない。その為か中が非常に暗くて見通しが悪い。おまけに建物の奥や隙間から吹き込んでいるのか変な風がこちらに向かって流れてくるようで、思わず息を飲む。正直、お化け屋敷とかは苦手とする方なんだよ。

 

 及び腰になっているのは自覚しながらも、意を決して建物の中へと入ってゆく。がま口でサンダルを脱ぎ、木張りの床を一歩一歩進むけど、踏み締めるたびに鳴る“ミシッ”“ミシッ”って音がもうなんか嫌だ。肝試しの季節にはまだ早いと思うんだ。

 

 にしても、暗い。ライトで照らしていなければ奥の方なんかほとんど見えない状態だけれども……予想外の事態発生。

 

「充電しとくんだった」

 

 スマホの充電が切れそうになっている。ライトを点けっ放しだとマズそうなので点灯をオフ。仕方ないので待合画面の明かりだけを頼りに周囲を照らすことにする。とは言え、一応すぐにでもライトをオンに出来る状態の位置に指は待機させているけど。

 

「だ、誰もいませんか~?」

 

 ……うん。自分でも変なことを口走っている自覚はある。けど、少々ビビりが入っているこの状態では文章的におかしいことを口にしてしまうのも仕方ないと思う。目の見える人間は周囲の情報取得の八割以上を視覚情報に頼っているらしいから、それが阻害される暗闇の中では僕のこんな反応もきっと当然のことなのだと思う。だって、見えないって怖いし。

 

 おっかなびっくりしながら通路を進み、幾つかの閉じられた引き戸の前を通り過ぎて行き止まりの手前付近まで来たところで左右を見る。右手には半分まで開かれた引き戸で、隙間からその先を窺い見ると中はおそらく居間的な部屋。逆に左手には曲がった先には通路が更に続いていて、どうやら中庭に面しているようだった。

 

 取り敢えず、まだ視界の利きそうな中庭に面した通路沿いに進んでみるけど、タイミングが悪いことに月が雲に隠れているのかガラス戸越しにまったく明かりが射し込んでいない。お月様もこんな時くらいは空気を呼んでサボらずにしっかりと仕事すればいいのに。

 

「――――――――」

 

「ん?」

 

 今、何か聞こえた? 空気の擦れるような……軋むような音?

 

 それに……水の匂い?

 

「なんだ――――うぐぅっ!?」

 

 襲撃は背後から来た。

 

 後ろで何かが動いた気配を感じたかと思うと、振り返る暇など無く後方から伸びてきた何かで口を塞がれ、混乱と動揺にパニック状態を起こす間も無く強い力と勢いでもって身体が後方に引き摺り倒される。

 

 残念ながらインドア系の平凡な中学生である僕には護身術や格闘技の経験などはなく、当然ながら受け身を取るなんて真似も出来ない。勢いもそのままに木張りの床に背中を打ち付けるようにして倒れ込み、衝撃で一瞬息が出来なくなる。痛み自体は思ったほどではなかったけど、それでもそれなりに痛いし苦しい。

 

 思わず閉じてしまった瞼が作った暗闇の中、数度咳き込んでいる中で感じたのは腹部に圧し掛かる重さ。そして、喉元付近に不意に当てられた冷たい感触。

 

「なん…ごほッ…んだぁ……ごほッ……」

 

 喉元にかかる僅かな圧迫感。

 

 閉じていた瞼を押し上げると同時に視界が開けていき、薄暗闇と涙が浮かんで霞む世界の先におぼろげながらも人の輪郭を捉える。

 

 突然の襲撃によって床に組み敷かれ、痛みとか混乱とか主に喉元部分から伝う謎の圧力とかでまともに身動きがとれない。そして、そんな中で不意に感じたのは突き刺すような意志のこもった視線。暗闇の中で冷やかな光を纏った眼は、その眼下で横たわる僕を睥睨している。

 

「だ……ごふッ…れ……?」

 

 その瞬間、まるで見計ったかのようなことが起きる。

 

 ずっと夜空を覆っていた雲が途切れて、それまでの夜の暗闇が嘘のように消え去ってしまった。

煌々と輝く月の透き通るような光がガラス越しに射し込み、照らし出された僕のぼやけていた視界は息衝く間もなく鮮明なものへと変わっていく。

 

 水気を帯びて艶を孕んだ肩に掛かる長い髪は夜明け前の空の色。

 

 得物を鋭く射抜くような眼光を備えた瞳は深い海の淵を想わせる。

 

 顕わになった輪郭は滑らかに人の曲線を描き、蒼白い月光に映える肌は透き通るような神秘的な白さを湛えていた。

 

「き…み……は……」

 

 夢の中にでも迷い込んでしまったんのだろうか?

 

 昼間出会った女の子の、一糸纏わぬ姿がそこにあった。

 

 

 






 Q:謎の少女の正体とは?


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