失言には注意しよう。
そんなお話。
正直に言えば、お昼ご飯は美味しくなかった。
正確に言うならば、味がどうとかと楽しむ余裕すらなかった。
旧校舎裏で向けられた人生初体験であるナルからの氷柱の様な視線攻撃。
冷や汗全開の中で何だか適当な言い訳とかを口走った挙句、最終的には不知火さんと連れ立って何処かに行くのを偶然にも見かけて、いろんな意味でナル達の様子が気になったので後を追ったことと少しだけ隠れて聞き耳を立てていたことを平謝りした。
平身低頭。流石に地面に額を擦りつけてまでとは言わないが、それくらいの勢いと気持ちで頭を下げた僕に向けて返ってきたナルの反応は、
「ふ~ん」
と、何だか淡白なもの。
疑問符が湧いて止まないナルの声と反応。恐る恐る下げていた頭を上げてナルの顔を窺ってみると、先程までの無表情ではなくなってはいたけれど、今度はもの凄く微妙そうな表情と視線で僕を見ていた。
表情も視線もその意味が理解できない。かと言って下手に問い質すわけにもいかず、精々できるのは愛想笑いでその場の空気を誤魔化すことくらい。不知火さんを相手にする時もそうだけど、明確な反応が無いってのは本当に対応が取り辛い。
そんなこんなで今後の対応に窮していた僕だけど、そんな状況を救ったのは意外にもナルだった。つまり、
「そうだった。お昼まだ食べてなかったんだっけ」
僕の呟きは、ぐうぅぅぅきゅるるるるぅ~っと、タイミングを見計らったかのように軽快に鳴り響く音に対してのもの。
「何の音?」とは言わない。
僕の正面から聞こえてきたこと。瞬く間に頬とか耳を赤く染めて、両手で身体のある一部を抑えるようにしたナルがいたこと。そのナルから今度はあからさま過ぎるくらいの視線――それは何故だか僕が非難されるような視線――を送られたこと。
幸か不幸か、結果的にその音が契機となってそれまで停滞していた状況は動くことになった。
「マズい。昼休みの時間が思ったよりも過ぎてる。ナルもまだお昼食べてないよね? 今日もお弁当?」
「……そうよ。教室に置いてきちゃったから、早く戻らないと……って、湊はまた購買のパンなの?」
目にした腕時計の文字盤に表示されている時間。既に休み時間の半分以上が過ぎていることに焦る。
「ダメよ。小母さん達が忙しくて家に居ないことが多いからって、そんな適当な食事ばっかりじゃ。自炊するのが難しいのも分かるけど、それでもいつも同じような総菜パンばっかりだと栄養が偏っちゃうじゃない」
「分かってはいるんだけどさ。でもほら、うちの学校の特製ハムカツサンドとかは美味しいからさ。こう、ついつい同じものに手が出ちゃうんだ、これが」
本当に。一般的な公立中学校の購買部であるにも関わらず、何故か総菜パンのレベルは異様に高いしその上に値段設定も安い。時々、変な創作パンも平然と置いていることがあるのが玉に瑕だけど。
「ナルもたまには購買のパンを食べてみたら? ホントにハマるから。新しい発見が見つかるから。きっと病みつきになること請負だから」
「変な勧誘みたいな言い方ね。でも、残念だけど私はお弁当持参派だから。パン自体が嫌いなわけじゃないけど、それでも今のところは購買パン派になるつもりはないわ」
「知ってるけどね。でも、そこはこう方針を曲げてみてさ。新しいことにチャレンジしてみるのも大事だと思うんだ。……そう言えば、前々から思ってたんだけど、ナルのお弁当っていつも誰が作ってるの? やっぱりナルの小母さん?」
「どうしておかあさんが作っている前提なのよ」
「どうしてって、だって普通はその家のお母さんがお弁当を作るもんでしょ。……え? 待って。そんな台詞が出てくるってことは、もしかしてナルのお弁当ってナル自身が毎日作ってたの?」
い、意外……でもないか? 曲がりなりにもナルは食事処の一人娘なわけだし。家の手伝いだって率先してするような性格なんだから。自分のお弁当くらいは自分で作ったりするか。
「なによぉぅ。何かおかしなことでもあるっていうの? 流石に毎日じゃないけど、自分のお弁当くらい自分で作れるわ。そんな反応されるなんて……ちょっと傷付くんだけど?」
うわっ。何だコレ?
あからさまに拗ねた表情のナルが半眼で睨んできている。不機嫌気味な様子はさっきまでとあんまり変わらないけど、別のベクトルでインパクトが強い。心臓に悪い。
「ああ、御免。ちょっとだけ考え違いをしていただけだから。そうだよね。ナルなら自分のお弁当くらい作っていても不思議じゃないよね。でも、やっぱ大変そうだけど」
「馴れの問題じゃないかしらね。変に気を張って手の込んだキャラ弁とかを作るって言うんなら話は別だけど、特に凝ったものさえ作らなければそんなに大変じゃないわよ」
「そうなんだ。自分で作る気がまったく無いからからな、全然分かんないや」
「どうして始めからヤル気ゼロなのよ」
「いや~、僕が作ってもきっと確実に不味いものしか出来ないし。もしくは冷凍食品とかを詰め合わせただけの完全手抜きお弁当になるのが関の山だし」
僕に出来る料理なんて、精々が適当に食材を放り込んだ鍋物とかチャーハンくらい。揚げ物とか煮物なんてのはまず無理。ミッションインポッシブル。
因みに、こんな会話をしながらも僕達は結構な早足で新校舎へ向かって移動していたりする。時間が無いのに敢えて全力ダッシュしないのは、流石にそこまですると疲れ果てそうだから。それと、本気で走るとナルの方が僕よりも足が速いので確実に置いていかれること間違いなしという悲しくも厳然たる事実があるから。
「そうだ。それじゃあ、今度ナルに余裕があって気が向いた時でいいからさ、僕の分のお弁当もついでに用意してよ。そうしたら僕も購買でパンを買わなくても済むし」
我ながら特に考えもなしに口にした言葉。だから、横を歩いていたナルが急に立ち止まったことと、その後のナルの反応を見て僕は固まることになる。
「なっ、なっ、なっ、なっ、なぁぁぁっ!? 何を言ってるのよ!? 急にッ!!」
立ち止まったナルに向かって振り返ると、そこには予想もしていなかった光景。――頬も耳も真っ赤に染め、見開いた瞳を潤ませたナルが叫んできていた。
「なんで私が湊の分のお弁当まで作ってあげなきゃいけないのよ。そりゃ、一人分作るのも二人分作るのも作業量には大して変わらないわよ。でも、それだからって私がわざわざ作ってあげる理由にはならないでしょ。確かに湊が毎日お昼を購買のパンですませていることは気になっていたし、幼馴染として何かできないかとは思ってはいたわよ。そう思っていたのは確かだけど、だからと言って湊の為にお昼のお弁当を作るなんてこと……。そうよ、それは流石にちょっと……それは……。別に本当に嫌ってわけでも面倒ってわけでもないけれど……でも……。そう、それこそ昔の私だったら……。いやでも、やっぱり今の私だといろいろと……」
明らかにテンパった様子で、ナルが早口に捲し立ててくる。視線は常に左右に動き続けて定まらないけれど、それでも僕のことを時折一瞬だけ見ては逸らすが繰り返されている。
こんな反応をされるとは思っていなかった。戸惑いを覚えつつもナルの反応が伝染してくるようで、何故だか僕の思考もテンパっていきそうだった。
だからこそ、どうしてこうなったかと考えてみる。出来るだけ冷静になろうと自分自身に言い聞かせ、原因を追究しようと自分が言ったことを振り返ってみて……
「あ~……あははははっ」
……うん。我ながらもの凄く恥ずかしい台詞を言っちゃってる。言っちゃってます。
あからさまな苦笑いの声を上げたのは自分自身を含めたいろいろなことを誤魔化す為。本当は今すぐにでも家に帰って自分のベッドに潜り込み、思いっきり絶叫した後で引き籠りたい気分。今日と言う日に、僕の人生の一ページにまたひとつ消し去りたい黒歴史が刻まれた。
「あっ、ナル!! こんな所にいた。あんた、今までどこに行ってたのよ?」
自分自身の迂闊さで招いた微妙な空気。生きていればそれなりにあるようなそんな当事者達にはどうしようもない空気を払拭してくれるのは、いつだって第三者の登場だと思う。
「お昼休みになるなり少し用事があるって言ってどこかに行ってさ。すぐに帰って来るかと思って待っていたのに、なんでだか全然帰ってこないし。まだお昼のお弁当も食べてないんでしょ? グズグズしてると昼休みが終わっちゃうわよ? ……って、鳩羽も一緒?」
ナルに向けられたハスキーな声。憶えのあるハキハキとした物言いの声が発信された方へと顔を向ければ、そこいたのは予想通りの人物。
癖のない長い黒髪に強気な顔立ちの女の子。ナルの友人にして僕にとってはクラスメイトでもある出谷 逢【いずたに あい】さんだ。
「何? 用事って、鳩羽関係だったの? わざわざ昼休みを潰してまでの用事だから何事かって思ってたのに、その相手が鳩羽か~」
出谷さんの驚いたような表情と視線が僕に向けられる。
「ナルちゃん、お昼に鳩羽君とこっそり逢引?」
そして、どこか呆れ顔な出谷さんの傍から爆弾を投下してきたのは、穏やかな雰囲気を纏った明るく柔らかな髪色の女の子。これまたナルの友人兼クラスメイトの望房 希【もちふさ のぞみ】さん。
「ち、違う!!」
望房さんの言葉に瞬時に反応したナルが叫ぶ。
「じゃあ、逢瀬?」
「希。それ、あんまり変わんなくない?」
「そう? それじゃあ……秘密のお昼休みデートだね」
「どれも違うから! 希ちゃん、からかってる!?」
「ナル、あんた……まあ、いいけど。希もあんまり適当なこと言ってんじゃないわよ」
『女三人寄れば姦しい』とは言うけれど、本当にそう思う。ナルは基本的には男女分け隔てなく溌剌とした対応をするタイプだけど、それでもやっぱり異性である僕や櫂人と会話する時と気心の知れた同性の友人達といる時とでは明らかに雰囲気が違う。当然と言えば当然だけど。
「――んで? 結局、ナルの用事は終わったの? てゆうか、本当に鳩羽関係なの?」
「いや、違うよ。ナルとはさっき合流したんだ。僕も昼休みにちょっと用事があったんだけど、それが終わった後で教室に戻る途中で偶然に会ってさ。それで一緒に教室に戻っている途中だったんだよ」
出谷さんの質問にすぐさま返答をする。もっとも、不知火さんとナルが会っていたことは敢えてボカして、虚実入り混じったものにはした。正直に話すには微妙すぎる内容だし、下手に話すとそれはそれで妙な憶測を生みそうだし。一瞬だけナルの顔を見て僕の行動が正しかったかどうかを確認したけど、特に口を挿まないと言うことはどうやら問題は無いようだ。
「へえ~。それにしては、なんだかナルちゃんや鳩羽君の様子が変だったよね? ただ単に連れ立って教室に戻っているだけって感じじゃなかったと思うんだけど?」
「え、ええっと、それは、その……僕がうっかり変なことを言っちゃったからで……」
「そ、そうよ。湊が急に変なことを言いだすから、それでビックリしちゃって」
「変なこと? 鳩羽君……もしかしてナルちゃんにセクハラ発言? いくら幼馴染でもそれは駄目だと思うな」
「いやいや、それは絶対に違うから! そんなこと言わないから!!」
酷い誤解を招いている。
柔らかな雰囲気から一変した望房さんが向けてきた蔑むような視線と苦言を全力で否定する。全身に鳥肌が立って背中を嫌な汗が伝っている。
「ほんと~? ナルちゃん、幼馴染だからって、鳩羽君に遠慮なんかしたら駄目だよ。ナルちゃんは優しいから」
「大丈夫よ、希ちゃん。確かに湊は失言をすることは時々あるけど、わざとセクハラ発言をしたりはしないわ」
ナルのフォローの言葉。非常にありがたいけれど、同時に微妙にフォローされてない発言に対しては正直複雑な気分だった。確かに失言したのは事実だけどさ、そんな“時々”って頻度ではしてないと思うだけど。
「うん、そうだとは思うけどね。それでも、幼馴染って関係の気安さから無意識の内にしちゃってることもあると思うんだ。だから鳩羽君……――注意はしないとね」
「ははは、肝に銘じます」
何やら恐ろしげな空気を纏いながら釘を刺してくる望房さんに対して、僕は苦笑いを浮かべながら答えるしかない。確かにナルとの関係は幼馴染ということもあって気安いものが多分にあるのは否定できないから、それ故に普段あまり意識しない性別に関しての発言には少し注意をしておかなければならないのかもしれない。
「ねぇ、ところで悠長に話をしているのは別にいいんだけど……。あんた達、二人共大丈夫なの?」
「大丈夫って、何が?」
「何か気になることでもあるの? 私と湊のことで?」
出谷さんの不意の発言。意図が組み取れなかった僕とナルは揃って疑問符を浮かべる。
「時間。マジでヤバいわよ」
そう言って腕を掲げる出谷さん。手首に巻かれているあんまり女子っぽくないシンプルなデザインの腕時計の文字盤を示し、それが伝える時刻。長針と短針が指し示したその意味が脳内でただの数字から現状への理解へと変換される。
「「し、しまった!!」」
僕とナルの声が見事にハモった。思わず互いに顔を見合わせれば、お互いの表情から読み取れるのはタイムリミットに対する焦りと限られた時間に対する覚悟。
「それから忘れてはないと思うけど、今日の午後一の授業って体育になったのを覚えてる? たく、先生にだって都合があるから授業日程の変更は仕方ないとしても、食後に激しい運動をさせるなって言いたいわよね」
焦る僕達に出谷さんが更なる追い打ちの言葉を掛けてくる。
「「あっ…………」」
再び僕とナルの声がハモる。
そうだった、朝一のホームルームでも言ってたじゃないか。完全に失念していた。忘れていた事実が絶望と言う名の現実として襲ってくる。
「湊……ごめんね! 私、先に行くから! 希ちゃん、逢、先に教室に行ってるわ!!」
意を決したナルはそう叫ぶと、一目散に教室へと向かうべく走り出す。廊下を走るのは校則違反だけど、この際それには目を瞑っているようだ。そんなナルに笑顔を向けていた望房さんも、「じゃあ、わたしも行くから。鳩羽君も急いだ方がいいと思うよ」と言い残すと、小走りでナルの後を追いかける。
「そうそう、鳩羽。分かってはいるでしょうけど、教室は女子が更衣室代わりに使うから。着替え始める時間になったら問答無用で男子は叩き出すからね」
「……ジーザス」
なんたる追い打ち再び。思わずクリスチャンでもないのに、天を仰ぐようにして言葉を呟いてしまう。いや、分かってはいるんだよ。体育前に教室が女子の更衣室代わりになるのはいつものことだし、男子は少し離れた場所にある視聴覚室とかで着替えるのが慣例になっているんだってことも。
「ちなみに、時間的な余裕ってあとどれくらい?」
僕の質問に僅かに憐みが見て取れるような微笑みを浮かべながらも、淡々とした物言いで出谷さんが示した時間。それを聞いて僕が取れる選択肢はひとつしかなかった。
「教室で食べるのは諦めるしかないってことね」
とにかく全力で教室に戻って体操服を回収。その後は先に体操服に着替えた上でどこか適当な場所で食べるしかない。
「……急ごう」
品行方正を自認している僕だけど、今だけは校則違反も辞さずに廊下を走ることにした。
……そう言えばだけど、不知火さんは午後の授業が体育だってことを知っているのだろうか?
授業時間は長く感じるのに、同じ時間でも昼休みはあっと言う間に終わってしまう。
学校生活を送る上での七不思議のひとつでした。