「やあ、とーくん」
「──ッ!?」
何もいなかった場所に突如現れた今日の黒幕。真っ暗闇の中、束様のいる場所だけがいつの間にか空いていた隔壁から射す光に包まれている。
光の中心で、貼り付けたような笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「なんの、御用ですか……?」
この人がアポ無しで突然現れるのは今に始まったことじゃない。それ自体には別にどうとも思っていない。
ならこの全身に纏わりつく気味の悪い感覚はなんだ。ただそこにいるだけなのに、薄っぺらな笑顔を向けられているだけなのに、俺は動けない。
「色々なお話があってね。そう、とっても大事なお話がね」
「…………」
「疑ってる? それでもいいよ。勝手に話すから」
今ここに来てやることがお話だと? そんなこと、わざわざ学園のシステムをダウンさせなくとも、直接会わずともどうにでもできるはずだ。もし他人に聞かれたくないからにしても、あまりに大掛かり過ぎる。
「ああ、ハッキングの目的は別にあるよ。そっちはくーちゃんがやってくれてる。会いに来たのはどうしても直接話したかっただけ」
「……そうですか、だったらまず変なプレッシャーかけるのやめてもらっても?」
「ごめんごめん。もう楽にしていいよ」
ふっと全身に纏わりついていた不気味な感覚が消える。急に解放された違和感は残っているが、一応身体の自由は得られた。
して問題は、話とやらがどれだけ重要なのかだ。
「まずはうん、褒めてあげようかな。【Bug-VenoMillion】の出力100%到達おめでとう」
「……まだ実践はしてませんよ。というかついこの間、『査定はプラマイ0』とか言ってたくせに」
「あれはあれ、これはこれ。褒めるべきところはきちっと褒めるんだよ私は」
「嘘くせぇー……」
今までそんな褒め方したことないくせに。明らかに裏があるだろ。
「どうせ嫌にでも実践の時は来るよ。近いうちにね」
「あなたのせいで来るんでしょうねぇ、ええ」
「うん」
「そこは否定してほしかったですね」
もう半ば諦めていることだけどさ。
「それにアベレージ90から100まで上げたってその差は10ポイント。確かに馬鹿にできない差じゃないですが、そんな褒められるほどの成長じゃないですよ」
90%から100%、上限まで出せると言えば聞こえはいいが、実際はたかが1.1倍と少しの成長。60や70%から瞬間的に90%近くにしていた頃に比べれば、怪我もしない程度の差なんて大したことじゃない。
「あ、やっぱり気づいてないんだ」
「何がです? 間違ったことでも?」
「いや、その理屈は合ってるよ。確かに数値の差は10ポイントだし、約1.1倍になっただけ。今までみたいに逆転を狙えるほどじゃないね」
やっぱりそうじゃないか。まあ強くなれるのは確かだし、使えるものは使っていくけれど。
「でも、差はそれだけじゃない」
「……!」
「100%と90%の差、
「大きな……差……」
「ま、それも実践すればわかるよ……完全に、ね」
今はまだわからない。しかし必ずわかるようになる差。それは一体何だ? この言い方からして単純なパワーではないのは確か。ならば……いや……。
「ていうかさ、(2)くんから教えてあげたらいいのに」
「えっ? 知ってんの?」
『……ああ、知ってる。だけど言うつもりはない』
「あっちゃー、とーくん自分のコピーに隠し事されてるよ?」
『別に、ただギリギリまでアンタの思い通りにしたくないだけだよ』
……
『ああ、その時になればわかる』
いいよ。どうせすぐ来るみたいだし。
だが、今度はそれを知ることが束様の思い通りになるって情報が出てきた。そしてそれに
「ただ褒めるつもりだったけど脱線しちゃった。じゃあ次いこうか」
「まだあるのかぁ……」
もう大分話し込んでいる気がするけど、先輩や先生方には気づかれていないだろうか。束様のことだから探知には引っかからないと思うが、俺の挙動とかで怪しまれていそうだ。そこも含めて偽装工作してくれているのが一番なんだけど。
「最近のとーくんはさぁ、私に聞きたいことが沢山あるでしょう? いっそ直接答えてあげようと思ってさ」
「それはありがたいんですが……こんな状況じゃなければ」
「あはは、さて何から答えようか。明日の天気、株価、宝くじの当選番号……冗談だってば。とーくんが今一番知りたいことは──
「……知ってるんですね」
「あり? 驚かないんだ」
「知ってると思う方が自然でしょう。散々ちょっかい出してきたくせに」
「あは、そうだね」
だからずっと聞こうとしていたんだ。まさかあったから出向いてくるとは思わなかったけど。
とにかくこれでわかる。この右腕も、胸の装置も、そして──残りの命も。
本当はもう一つ聞きたいところだが、優先すべきはこっちだ。
「じゃあ教えちゃおっか。とーくんの身体に何が起こってるのかね」
「はい。俺にでも理解できるように、わかりやすく頼みますよ」
専門用語まみれで解説されても理解できないからな。
「大丈夫、本当に単純なことだからね。先に要約しちゃうと……その右腕も、再生速度も、ぜーんぶ胸の装置のせいだよ」
「やっぱりか」
ようやくちゃんと動くようになった手で、奥にあるものを探るように胸に触れる。当然帰ってくるのはISスーツの感触と心臓の鼓動だけで、その他に何かがあるなんてわからない。
「知っての通りそれは織斑計画の残党が君に埋め込んだモノ。仰々しくてどうでもいいネーミングを無視して簡単に言うと、『後付超人化装置』だね」
「後付……超人化」
「そう。織斑計画の中、ただの健康で丈夫なだけの凡人として生まれた失敗作をアップグレードするために作られた馬鹿みたいな装置さ」
そのストレートな名前をまたストレートに解釈するならば、この装置によって俺の身体は超人に作り変えられるということか。
織斑計画が関わるのなら、おそらく一夏か織斑先生のような超人に。先生はともかく一夏は超人らしくないように思えるが、全身焼かれても復活したり文字通り目の色を変えるなんて常人にはできないだろう。
「ですが、見ての通り俺は超人になんてなってませんよ。再生力はあっても、こんな歪で不完全な代物です」
「だろうね。だってその装置も失敗作で、しかも壊れてるもん」
「不良品にもほどがある……」
失敗作の俺には失敗作がちょうどいいとでもいうのだろうか。そんな不良品今すぐにでも投げ捨てたいんだが。俺じゃ取れないけど。
「覚えてる? 私が君を拾ったとき」
「忘れるわけないでしょう。面白そうだから埋めたままにしたとか言ってましたね」
「うん。あの時点でそれの解析はほとんどできててね。まあ何にも動いてなかったし、いつか使えるかもって放置したんだけど」
あの時治療してくれたのは本気で感謝しているが、今思い返すととんでもないこと言ってたな。命が助かった衝撃で気にしてなかった。
「で、それが動き始めたのが……」
「あの第二形態移行の時、ですか」
「そうそう。目的は形態移行だけだったけど、まさかそれに連動して動き出すなんてね。この束さんもびっくりしたよ」
今でも覚えている、初めて
確かにあの後から、俺の身体に異常が起き始めていたな。
「とにかくあの時から失敗作の装置は異常な再生力の強化だけをとーくんに施した。……ただしブレーキが壊れてね」
「だからこの右腕ですか」
この歪な右腕は暴走気味の再生力によって起こされたもの。徐々に再生速度が高まっていたのも装置なら、これからは大怪我する度にこうなるだろう。
……いつか全身なりそうで嫌だな。
「どこかに訴えたいぐらいですよ本当に」
「なら各国の馬鹿どもに……っと脱線。とまあそういうわけで、とーくんは失敗作の凡人から失敗作で中途半端な超人になったわけだよ」
「凡人の方がマシだったなぁ……」
「そうだったら夏に死んでるけどね」
「言ってみただけですよ」
こんな歪な身体になっても、死ぬよりはマシ……なはず。うん、きっとそうだ。
「さてさてとーくんの身体について説明したわけだけど、ここで最高のお誘いと最悪な事実があるの。どっちから聞きたい?」
「うわ、それどっちも最悪のやつ」
こんなときに出てくる選択肢なんてどちらが先でもいいことがない。この人が出してくるならなおさら。
しかし聞きたくないなんて言えるはずもなく、せめてほんの少しでもマシな順番で聞いてみる。
「……最悪な事実から。上げて落とされるのは嫌いなので」
「とーくんらしいや。じゃあ、最悪からね」
「……?」
変だ。『最悪な事実』と称するくらいだから、性根の捻じ曲がったこの人ならヘラヘラ笑いながら言いそうなものなのに、今は真顔になってる。
まあいい、最悪も最高も適当に聞き流して楯無先輩や織斑先生にバレる前にお帰り頂こ──
「とーくんはあと二ヶ月で死ぬよ」
「……は?」
今この人は何を言った? 死ぬ? 俺が?
「聞こえなかった? とーくんはあと二ヶ月で死ぬよ」
「いやそういうわけじゃ……でも二ヶ月って、え?」
聞き違えはしていない。
「どうし、て?
「忘れたの? あれは普通に暮らす分の話。そうじゃなくなった理由なんて自分でもわかるでしょ?
「……はぁっ」
呼吸が上手くできない、動悸が激しくなるのを感じる。膝に力は入らなくて、まるで大地震でも起きてるみたいだ。
理由は胸の装置、ほんの一分前まで説明されていた再生力の暴走。死ぬよりはマシと思った直後に突きつけられた事実に目眩がする。
「……まだ次の話聞けるような状態じゃないし、補足でもしてあげよっか。それもまともに聞けなさそうだけど」
当然話を聞く余裕なんてないが、自分のことに耳を塞ぐことができるわけもなく。無理やり耳に神経を注ぐ。
「さっき説明した通り原因は再生力の暴走。制御系の壊れた状態で異常に働いた強化が、とーくんの身体を潰そうとしてる」
「……暴走するからって、死ぬとは限らないでしょう? これから怪我さえしなければ……」
「あのさぁ、人間に新陳代謝があるんだよ? 古い細胞はどんどん新しいものに置き換えられる。再生力の強化はそれの応用。つまり再生力が異常になれば代謝も異常になって──」
「──逆に、命を奪うことになると」
「ざっつらいと」
わかってる。せめてもの現実逃避で投げた否定はあっさり否定で返され、より死を意識させるだけだった。
だったら、二ヶ月ってのはどうなんだ。
「暴走した再生力は怪我が無くとも強化され続ける。今までの成長速度と強化具合からこれからの速度を算出して、致命的な再生の暴走──脳や主要な臓器の腫瘍とか──に至るまでの期間を求めたまでだよ」
「……それが正しい保証は?」
「
「……クソッ」
これがそこらの医者や機器だったなら、まだ疑いの余地があった。しかし目の前にいるのは篠ノ之束。俺の上司で、人間性以外完璧な天災。彼女の計算に間違いはない。当然、こんな時に嘘をつく人でもない。
「これでも延命されてるんだよ? あの水色──更識楯無だっけか、あの女が余計な特訓させなければ、寿命は半分以下だったかな」
「楯無先輩が……」
「まあ、これ以上の延命は不可能だけどね。もう高出力の反動は無いし、あとは縮むだけ」
ここまで考えていたのかは知らないが、やはりあの特訓は無駄にはなっていなかったわけか。いや、それでも一ヶ月。あまりにも短すぎる。
無茶をしなければもっと延命できた? いや、そんなことをすればあの場で死んでいた。もっと負担なく、安全に勝つことができた? できるわけがない。
「あああっ…………」
結局、俺の命は詰んでいたんだ。夏休みのあの日からずっと。
そしてここまで知っているということは、だ。
「……して」
「んー?」
「どうしてあなたは、
「……へぇ」
この人は再生力の暴走もそのリスクも知っていて、それでも今まで俺に教えることなく、逆に俺を危険に晒すような事件を起こした。
エムの襲撃がそう。あれは確実にこの人の差し金で、俺を殺せるように調整された敵。これは紛れもない殺意だ。
「ちょっと違うね。死ぬかもしれないことはわかってたけど、それは目的じゃない……『殺す気だったが、死んで欲しくはなかった』って言い換えればわかるかな?」
「……ほとんど同じでしょう。そんな言い換えに何の意味があるんですか」
「大有りさ。今詳しく話してる時間はないけど……っとまた脱線。そこで最高のお誘いだよ」
そうだ、まだ最高の誘いがあるんだ。最高とはなんだ? 最悪と並べて出したぐらいだ。きっといいことだ。
もしかしてその誘いに乗れば、今のこの最低最悪の心境を吹き飛ばしてくれたりするのか?
命を、救ってくれたりするのか?
「耳、貸して? 今度は一度しか言わないから」
「……はい」
藁にも縋るような気持ちで、絶対に聞き逃さないように、さっき以上に全神経を集中させて耳打ちされる言葉を待つ。
「いい? とーくんは、学園をを裏切って、
『世界の敵』になってほしいの」
「──ぇ? 何を言って……」
「答えは今すぐじゃなくていいよ。考える時間も必要だから……次の機会で。誘いに乗るなら助けてあげる、乗らないのなら──殺すから」
想像もしていなかった誘いの衝撃に思考が追いつかない。何のために、どうして俺が? 命が救われるかもしれないという希望は、溢れ出す疑問に押し流された。
「あっそうだ。後でくーちゃんとも話しといて、会いたがってたから」
「はは、は……」
「じゃあねー」
いつの間にか去っていた束様は去っていて、開きっぱなしの隔壁から射す光を眺めながら、鈍くなった思考でも理解できた一つの事実を吐き出す。
「やっぱり、どっちも最悪だ……」
「あれ? ここだけ開いて……って透? 何してんだ!?」
「一夏か……」
それからどれだけ時間が経ったのか。十分か、一時間か、意外と数分だったかもしれない。とにかく自分でもよくわからないぐらい、一人でぼんやり考え込んでいた。
いつの間にか一夏が目の前にいる。確か今日は夜まで帰ってこないと言ってたし、今は昼間。用事は途中で放り出してきたのだろう。
まあいい。まだハッキングが続いているようなら俺は今ここを動けないし、こいつにはオペレーションルームへ行ってもらおう。
「何か暗……うわよく見たら変な人めっちゃ倒れてる!? 生きてるのかこれ?」
「こいつらは侵入者だ、俺が気絶させただけだよ」
「お、おう。ってまた敵来たのか。戻って正解だった」
「ああ。事情を説明したいところだが、俺より他の人に聞いた方が早い。このポイントへ向かってくれ」
いちいち事情も場所も説明するのは面倒だ。一旦場所だけ教えて、そこにいるであろう簪と先生方に説明させることとする。
「地下だな。わかったすぐに行く……けど、お前大丈夫か? なんかひどい顔してるぞ」
「気のせいだ。ここは暗いからな」
「そうか……無理すんなよ、じゃ」
「急げよ……はぁ」
オペレーションルームへ向かう一夏が見えなくなるのを確認し、壁を背にして座り込む。
まだ頭からさっきの言葉が離れない。俺の命が後二ヶ月で、あの人の言う通りにしなければ救われることがない。理解はしていても、本心だは信じたくないと思っている。
「乗るか、乗らないか。……生きるか、死ぬか」
IS学園に入学する前。いや、織斑先生の聴取を受けた頃の俺だったら。こんな選択肢なんて迷うことはなかっただろう。ノータイムで誘いに乗って、あっさり問題解決して終わり。
だが今の俺は、何よりも大切な自分の命がかかった選択ですらこうして迷っている。ただ一言、「乗ります」と言えばそれでよかったのに。
「……俺は、どうすればいい?」
いくら暗闇に問いかけても、答えられるものはいない。
なら誰かに相談? そんなことをすればどうなるか。 他の医療機関で装置を取り外す? レントゲンも何もできないし、そもそも束様以外に可能かも怪しいのに?
『最後に選べるのは
「……わかってる」
結局一人で考える他はなく、いつか来る決断の時は
「くそっ……」
何よりも大切なはずの命か、それと同等までに大きくなってしまったものか、二つに一つだ。
その時がいつであろうと、永遠に先延ばしにはできない。だから、今ここで決める。
「…………」
静寂の中、少し考えて。
『……そうか、
そして、俺は。
第47話「身体・二ヶ月」
めちゃくちゃどうでもいいことですが、プロローグ〜23話前半まで透くんの瞳にはハイライトがなく、23話後半〜今話まではハイライトがあります。
そして次の話からは……ということです。