「……こっち」
「は、はい」
義手にこびり付いた血も乾ききった頃、用事を済ませた俺たちは拠点に帰還した。
学園からここに戻るまでまともな会話は無く、案内された通りに移動している。
「…………」
「…………」
と言うのも、束様の様子がいつもと違うせいだ。昨日からあの人を小馬鹿にした態度は無くなっていたが、今目の前にいる彼女はさらに静かで、何と言うか暗い。
学園での話が本当ならこれが素というわけだが、普段は演技だったというわけか?
「ん」
「……はい」
そうして到着したのは整備室。何をされるかもわからず、指示されるがままに入室し、適当に腰を下ろす。
ふぅ。と一息ついて、顔を上げた先には、
「……ぐすっ」
「!?」
子供のように口元を歪め、ボロボロと涙を流す束様の顔があった。
「ちょ、泣いてるんですか?」
「そうだよっ……びずっ、私だって人間なんだから涙だって出る。悪い?」
「いや、そういうわけじゃないですが……」
確かにそれ自体はおかしくない。しかし、篠ノ之束という存在が、こんな唐突に、人が見ているのも構わずに涙を流しているのはかなり衝撃的だ。
どうして泣くのかもわからないし、そもそもいい年の大人が大号泣している光景なんて誰が見たって困惑する。
「私にだってさぁ、良心ぐらいあるんだよ。仮にも親友だった人を傷つけたら、後悔するぐらいには」
「……はい?」
俺は何度もこの人に殺されかけた。当初は殺す予定であったそうだし、今も命を握られているに等しい状況だ。
俺の存在を例外としても、この人は興味のない人間の命は明らかに軽視していた。望んで命を奪おうとはせずとも、結果的に奪われてしまうことには気にも留めない。それが篠ノ之束だ。
そんな倫理感が壊れた人が、今更後悔の涙を流すものか?
「……うん。君といっくんからすれば、今の私はいつにも増して異常に見えるよね」
「失礼ながら。本当に本人なのか疑うレベルで」
「いーよ。実際そう見せかけてたわけだし」
どこからか取り出した椅子に腰掛け、嫌な気分ごと吐き出すようにため息をつく。実は別人でしたと言われれば、きっと信じてしまうくらいに似合わない姿だ。
「IS展開して。調整し直すから」
「あ、はい」
【Bug-VenoMillion】を展開。俺自身は乗ったままで、束様からの調整を受ける。ここの整備室はいい。こうして完全展開した状態で調整できるからな。学園では狭いせいで中々できなかった。
無言の空間にかちゃりかちゃりと音が響く。
「一つ聞いても?』
「……何?」
「あなたは、何者ですか?』
それはふと、口から出た疑問だった。無言に耐えきれなくなったのか、単に好奇心でも湧いたのか、どうして自分でも聞こうと思ったのかはわからない。
まあいい。答えてくれるならそれでもいいし、嫌なら嫌で無視されるだけだろう。
「……ただ凡人より少し頭の良い、元人間好きの人嫌いだよ」
「『元』人間好き?』
「わかんないか、そりゃそうだ」
「いや、それはさすがに……!」
珍しく自分の才を低く言っているが、頭が良いというのはその通り。人嫌いというのもまあわかる。だが……人間好きだと? 元とはいえ、数えられる程度の存在にしかまともな受け答えもしないこの人が?
いくら何でも冗談だろう。その考えは束様の表情を一目見ただけで消えた。
「知りたい? どうしてこうなったか」
「……はい』
「ん、わかった」
知りたい。命の恩人で、共に世界の脅威となるこの人のことを。
きっと、一夏もこうだったのだろう。成功作と失敗作の違いはあっても、こういうところは似ているらしい。
「調整が終わるまでもうしばらくかかる。だから教えてあげるよ……私の全てを」
それから束様は話し始めた。過去、思想、変化、計画、願望。いかにして今の束篠ノ之束が出来上がったのか、その全てを。
『あぁーぅ』
『よしよし、いい子ね』
『かわいいなぁ……俺にも抱かせてくれ』
『うふふ。ほら束、お父さんですよー』
『うー……』
最初の記憶は、母親に抱かれる赤子の頃。
普通よ人間から普通に生まれた、まだ普通だった私は、確かに両親から愛されていた。
話せないけれど、両親の言うことは理解できて、毎日注がれる愛情が嬉しくて仕方がなかった。
『ふんふーん……』
『束は賢いわねぇ。もうこんなに本が読めるなんて』
『そう? だって、すごく面白いから』
幼稚園に通う頃。私にとって世界は、面白いことばかりだった。
厳しくも優しい家庭。様々な知識を与えてくれる書物。世界を見せてくれる映像。毎日が楽しくて、寝食すら忘れて没頭していたこともある。
賢いと褒められるのがちょっぴり恥ずかしくて、両親には素直に甘えられなくなったのもこの時だ。
『束、読書もいいが、父さんと一緒に剣道はどうだ?』
『んー、いいや』
『そうか……』
『……冗談、やろっか?』
父に勧められた剣道はあまり好みじゃなかったけど、父と同じことをするのは嫌いではなかった。
真に幸福だったと言えるであろう素晴らしき日々。私は、楽しみを作ってくれる人間が大好きだった。
『……はぁ』
小学生になった頃。私は矛盾を知った。
両親の助けを得ずとも、大人以上に情報をかき集められるようになった私は、本で、テレビで、インターネットで知れるだけの情報を得続けた。
最初はよかった。知らないことを知れて、世界が広がったようだった。最初だけは。
『『殺人』『強盗』『暴行』『汚職』『戦争』……どうしてだろう』
いつの間にか私は、子供が触れてはいけない世界を覗いてしまっていた。
知識ばかり貯め込んだ無駄に純粋な頭脳は、この不完全で非効率な世界を嫌悪した。もっと美しい形があるはずなのに、それを知りながら目指さない人類が酷く醜いものに見えた。
そんな私を見て、他の人は『考えすぎだ』と言った。『今だって捨てたものじゃない』とも。確かにその通りだったかもしれない。けれど私は、この苦しみを理解してほしかった。
それでもまだ、私は人が好きだと思えた。
『すぅ……すぅ……』
『箒ちゃん……』
そしてもしかすれば、私の理解者になってくれるのではないかと。
『ま、ママ、ぱ』
『聞いた!? ママって言ったわよ!』
『……うん、よかったね……』
初めて言葉を口にした瞬間、
そしてこの頃から、人の見分けがつかなくなってきた。私は誰かとの関わりを減らすため、他人を遠ざける
小学校も高学年になった。この時の私はもう、天才を通り越して異常とまで呼ばれるようになっていた。それは自分が勝手に被った
『くだらない』
私は人間の何もかもが嫌になっていた。毎日この世に生まれてしまったことを後悔し、一人で過ごすようなった。
たかだか十やそこらの子どもが何を言うと思うかもしれないけれど、それは凡人の考えだ。
『…………』
しかし人間を嫌う私もまた人間だということが堪らなく嫌で、実家の裏山に自分だけの場所を作り、そこに閉じこもるようになった。
そんな時だ。
『……っ誰だっ!』
『……お前こそ誰?』
まだ小さな弟を抱いて私を睨むその姿は、一目で普通ではないとわかった私は彼女を匿うことにした。適当な家を用意して、そこに住まわせる代わりに事情を聞き出し、交流を始めた。懐柔ついでに始めた友人ごっこが思いの外楽しくて、いつの間にか本気になっちゃったけど。
『…………』
ちーちゃんの語る事情は、私を完全に失望させるには十分すぎることだった。
失望は怒りへと変化し、私は醜い世界を変えなければならないという結論を下した。これが計画の始まり。
『人は管理されるべきだ。善意とか、悪意とか、そんなあやふやなものを抱えているくらいなら』
この世界が醜くなった原因は、人の持つ善性と悪性によるものだ。双方を持ち合わせるから人は、世界は不完全で、非効率で、醜くなっていく。
だからISを作ることにした。善性も悪性もデータとして理解し、しかしそれらを持たない
『できた。これが新しい神様』
まずは当時起きていた戦争のパワーバランスを崩すため、ISは女にしか動かせないようにした。
問題が起きたのは第二回モンド・グロッソの直前。最初の計画で、『神』になってもらうはずの【暮桜】が拒絶を始めた。私の心は、ISに与えた自我にすら否定されてしまった。
『許さないよ』
だから【
もちろんその事実は公表されてないし、箒ちゃんは顔を隠した上で洗脳状態だったから、ちーちゃんですら知らないだろうけど。
『……ごめんね』
いつの間にか、私はかつて嫌悪した人間と同じことをしていた。
『あはははっ! あはは、は……あれ?』
その矛盾を誤魔化すためにさらに深く
『違う、違う! 私は、私は……世界を
気づいたところでもう止まれなかった。
修正した計画はしばらく邪魔が入らずに進んだけれど、一つ問題があった。『救世主』は作れたが、『世界の敵』を用意できていなかった。救世主の前には災厄が、創造の前には破壊が必要なのに。
無人機で代用することも考えたが、どうしても人間を役に当てたくて、ずっと保留にしていた時。
『……残党?』
織斑計画の生き残りがいることを知った。失敗作ではあっても、究極の人類を目指したものの残滓が。
それから急いで特定した残党の研究所に襲撃をかけて、勝手に死んだ奴らの中から、偶然死にかけで留まっていた君を見つけたの。
『
『えっ』
ちょっと面白そう。その第一印象は嘘じゃないけれど、それ以上に私の中にあったのは期待だった。
醜い人間の欲望から生み落とされ、毎日を死と隣り合わせの環境で過ごし、
最後のピースが揃った瞬間だった。
『俺は! 貴方に! 従います! それでいいんですよね!?』
『……うん? えーと…よろしく』
……あまりにもあっさりと服従したのは逆に困っちゃったけど。
それからは君も知っている通り。本当に役割を果たせる存在か調べるために色々と仕事を与え、詳細なデータを採り、調整をして……君の努力もあって期待以上の完成度に仕上がったよ。最終的な運用はだいぶ変わったけど。
あとはまぁ、くーちゃんも拾ったり、裏から必死に手を回し続けたり、
ここからもう、君が知っている通りだよ。
「これが、『
「あー……何というか、うん』
初めて聞かされた束様の過去。意外ではあったし、どうしてあんなぶっ飛んだ計画を立てたのかも少しは理解できた。だけどまぁ、そうだな。
「病気ですよ、あなた』
その上で俺の頭に浮かんだ感想はこれだった。
だってそうだろう? 勝手に好いて勝手に嫌って、勝手に抱いた希望を勝手に失望に変えて悩んでいる……何もかもが勝手だ。
それが天才故の悩みなのかもしれないが、凡人の俺からすれば今すぐ精神科に行くことをお勧めしたい。
「あ……あぁー、そう言うだろうね、君は」
「怒りました? 撤回はしませんよ』
「いいよ、何も間違ってないから。狂った振りでもしないとやってられなかった。そして本当に狂った……ほんと、病気だね」
特に大きなショックを受けた様子もなく、手を動かし続ける束様。
よかった。まずないとは思っていたが、逆上されて調整打ち切りなんて御免被る。
「でもさ、
「暴論ですね」
数学の証明感覚で世界を壊す気とは。この人が持っているのは間違ってる確信ではなく、間違っていてほしいという願望なのかもしれない。
「もっと早く、君みたいな人に出会っていれば……私はこんなことはしなかったかもね」
「俺如きでそんな変わりますか? ……まさか』
買い被りすぎだ。いつ俺と出会っていようが、大して変わりはしないだろうに。
「中途半端な同情も、的外れな否定も、無駄に遠慮して黙りもせず、理解した上で正直な意見を返す……それができる人は意外と少ないんだよ。少なくとも、私のこれまでの人生では出会えなかった」
「へぇ。まぁあなたみたいに大きな存在相手じゃ、何も言えない人は多いでしょうね』
「ほらまた」
「もう癖ですねこれ』
……こういうことか。全く意識してなかったから、改めて指摘されると不思議と恥ずかしいものだ。
別にこの人を恐れていないわけじゃない。今だっていつ気まぐれで殺されるかヒヤヒヤしている。けれど、それが嫌で自分を曲げるほどじゃない。
「やっぱり私と君は少し似ているよ。そうやって自己矛盾を抱えて生きているところなんて特にさ」
「自己矛盾ねぇ? あなたのはともかく、俺にもあると?』
「そうだよ。だって、本当に死にたくないなら私に媚び売ってるだけでいいのに、君はそうしない。死にたくないことは嘘じゃないけど、そのための生き方は徹底できていない。情のせいでね」
「……そう言われると自覚しちゃいますね』
……確かに。俺の生き方は矛盾だらけだ。認めるしかない。
だがそれは束様もだ。人を嫌い、正しく変えようとするために嫌った人と同じことをする。これが矛盾でなくて何だというのか。
そして、矛盾を抱えるのは俺たちだけじゃない。
「人間は皆矛盾だらけですよ。大多数の人はそれに気づかないか、目を逸らすか、あるいはうまく折り合いをつけているだけ』
「うん。それができない少数派が私たち。どっちが愚かだかわかりゃしないね」
その愚かさに付き合わらせられる世界はとんだ迷惑だろうな。自分が世界に付き合わせる側だということを棚に上げてそう思った。
「でもそれに悩まされるのももう終わる。私が、この世界を変えるから」
「期待していますよ。俺が少しでも生きられる世界になることをね』
「うん。全てが終わったら、約束通り君を自由にするよ」
そのためにやりたくもない罪を重ねてきたんだ。ここまできたら何がなんでも生き延びてやらないと。
「で? 結構話しましたけど、そろそろ終わるんじゃないですか」
「もう少し……はい、できた」
「どうも」
話が一区切りついたところで調整完了。ISを解除して床に降り立つ。
特に感覚は変わっていないところから、弄ったのは中身の方らしい。
「私の準備が終わるまではもう少しかかる。動き出すはその後。だからそれまではお休みだよ」
「休みと言われてもなぁ、……まぁしっかりやっといてくださいよ……また想定外の事態とか嫌ですから」
「どうだろうね、凡人はともかく、特別な人間は容易に想像を超えてくるから……」
そりゃそうだ。俺たちがどれだけ策を弄しても、あいつらは必ずそれを乗り越えてきた。向こうからすればこちらが好き勝手しているように見えるだろうが、それができてたならどれだけよかったことか。
だが次はない。これ以上、俺の生存の邪魔はさせない。
べぎり。
残った左手の指が音を立てた。
第62話「束・矛盾」
一般に提唱される篠ノ之束解釈論とはだいぶ違う形になったのではないかなーと書きながら思いました。原作の彼女はたぶんこんなんじゃない。
この先の展開じっくり練ってから書くので次回の更新は遅くなります。
一応今月中が目標です。