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♪ペールギュント『朝』
「ふあぁぁぁぁぁ、よく寝たぁ…………って、ここどこ!?」
あ……ありのまま今起こった事だ。……目が覚めて欠伸をして、何故か俺の知らない天井が見えた。な……何があったのかわからない、頭がどうにかなりそうだった。
とても恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。
「ここはラビットハウスだ、おはよう」
ダンディな低音が上からかけられた。
「あ……おはようございますお父さ――」「私の名前はタカヒロだ」「タカヒロさん」
この人は、俺が昨日ぶつかって怪我させてしまった少女の父親、タカヒロさん。彼女はタカヒロさんの開いている喫茶店「ラビットハウス」を手伝っており、その穴を埋めるためにアルバイトをしばらくする事になった。……そういえば、俺がラビットハウスに運んでから一度も少女に会っていない。謝りに行きたいが、まだベッドで安静にしているのだろうか。
「娘さんの足の様子は……」
「まだ万全とはいかないな。動けるようになるまでバイト頼むよ。そろそろ開店準備する時間だから起こしに来たんだ。……寝ぼけていたようだがね」
そう言い残し、タカヒロさんは部屋を出ていった。「話をする暇はない、早く準備しろ」という事だろうか。……まあ、今回の件は完全にこっちが悪い。せいぜい労働に従事しよう、俺の記憶喪失を信じているのかは分からんが、部屋を一つ与えてくれたし(ベッドと、趣味じゃない本が詰まっている本棚くらいしかないが)、食事もついてくる(昨夜は冷凍チャーハンだったが)、まあ文句も言っていられない。さっさと準備しよう。
※ 男の朝の準備は需要が無いのでカット
昨日の昼は、慌てていたのもあって詳しく観察できなかったのだが、喫茶店「ラビットハウス」は割と席は多く繁盛していそうだった。あと、俺の顔は特にかっこよかったわけでもなく、身体は太ってはいないが筋肉が少なかった。
「この香り……コーヒー豆!!」
いや、むしろコーヒー豆というよりは喫茶店の香りなのかもしれない。ただ、俺はこの香りを覚えている。自分に関係する記憶だけが抜けてしまっている俺だが、コーヒーの匂いは俺に関係していないのだろうか、う~ん。
「キミが新しいバイトくんだね!」
思考に没頭していると、後ろから明るい声がかけられた。思わずびっくりして振り返る。
「わっ、ごめんね、驚かせちゃったかな……?」
亜麻色の髪の美少女が申し訳なさそうな顔で立っていた。
「先輩バイトさんですか?」
予想をふと口に出してみた。これで客だったら恥ずかしい。
「え!? どうしてわかったの?」
どうやら当たっていたらしい。やったぜ。……得意げに解説するとか、何か嫌いな奴の猿真似をするような、何ていうか嫌な感じがするんだけど、まあいいか。折角だし良好な関係の為の掴みにしよう。
「お互いに服装ではバイトか判断できないので、『俺を新人バイトだと知っていること』で判断したんです。バイトの皆さんなら、新人が入ったことを事前に連絡があったんだと思って。逆に、お客様にそんな事を伝えても不安にさせるだけなので」
少女の真っ白なシャツの上に桃色のベスト、黒いスカートという恰好では客かバイトかは特定できない。俺も、今は普段はバーで使うらしい白いシャツに黒いパンツ、ロングエプロンといった格好。喫茶店のバイトというよりは、脱走したレストランのバイトといった装いだ。
だから、会話から導き出した。……なかなかの推理だ、タグに「ミステリー」を増やすべきじゃないのか? ……タグって何だっけ?
「す、すごいね……」
……アレェ? 俺、何かやっちゃいました? 引いてるように見えるのですが……
「……すごいよ、すごいよ君! 探偵みたいだよ!」
「へ……?」
ショックの余り、真っ白に燃え尽きて近くの椅子に座り込んでいた俺の右手を掴んで握りしめた両手はホットココアのように温かかった。
「あの……恥ずかしいんですが……」
「あ……ごめんね、えっと……」
パッ、と手を離す少女。何だか顔が熱い。手の熱が移ったみたいだ。
ふぅ……どうやら名前はタカヒロさんから聞いていなかったようだ。……まあ、折角もらった名前なのだから、名乗っておこう。
「植物の『ウメ』に北斗の『ト』で『梅斗』と言います」
「……あれ? 自分の名前はわかるの? 記憶喪失じゃなかったっけ……?」
タカヒロさんは、すでに記憶喪失の件を他のバイトにも伝えていたらしく(どうせなら名前も伝えておけば良かったのに)、それで困惑しているようだ。こめかみを人差し指でつんつんしながら「ん~っ」と考え込む姿は大変可愛らしいが、悩ませてしまうのは不本意ではない。
「タカヒロさんに付けてもらったんです。名前を含めて自分については何も覚えていません」
昨日「名前が無いと不便だろうから」と付けてもらったが、俺は適当に付けたんじゃないかと疑っている。だって「梅」を音読みして読んだら「バイト」だぞ……?
「良い名前だね!」そうかなあ……「私の名前は――」
自分の名前をはにかみながら教えてくれた彼女の表情を、俺はきっと忘れる事はないだろう。
「ココアっていうの、よろしくね!」
自身に関する記憶が無くてもこれだけはわかる。わかってしまった。
…………俺は、彼女に恋をしたのだ。