Dear…【完結】   作:水音.

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第10話 Blue Sky ―青く澄みわたる空―

 退屈極まりないと思われた沙羅の入院生活は、思いのほか慌ただしく過ぎていった。

 というのは、噂を聞いた隊士たちがこぞって見舞いに押しかけてきたためである。

 

 彼らはそれぞれ「生きててよかった」と縁起でもなく泣き崩れたり、「もう二度と無茶はしないでください!」と頭に角を生やしたりしていたが、中でも人一倍小言が激しかったのがルキア。

「どれだけ心配したかわかってるのか!」だの「具合が悪かったのなら早く言え!」だの、それはもうこてんぱんに説教を喰らった。

 だが沙羅が親に叱られた子供のように(こうべ)を垂れて「ごめんなさい」と告げれば、口ではまだぶつぶつと言いながらもその表情は穏やかに和らいだ。

 そんなお見舞いラッシュもようやく収まり、静けさを取り戻した病室に沙羅が息をついた入院五日目の午後。

 

「やっほ~。あら、あんまやつれてないわね。つまんないの」

 

 冗談とも本気とも取れないような口調で顔を覗かせたのは、ニカッと笑みを浮かべた親友だった。

 

 *

 

「それにしても過労で倒れるなんて、あんたらしいってゆーかねぇ」

 

 お土産品のリンゴを頬張りながらあけすけと言い放つ乱菊。彼女のこういう物怖じしないところが沙羅は好きだ。

 

「私もびっくりした。全然自覚なかったもん」

 

 シャク、とリンゴを一口噛んで沙羅は肩をすくめる。

 

 ちなみにこのリンゴの皮を剥いたのも沙羅である。

 乱菊に剥かせようものならきっと身が半分以下になってしまうに違いないから──などということはもちろん口には出さずに、沙羅は率先して果物ナイフを握っていた。

 

 やがてひとしきり世間話を終えた頃、沙羅はぽつりと切りだした。

 

「ね。ちょっと外に出ない?」

「はぁ!? あんた少しは身の程わきまえなさいよね。いくら元気がありあまってようが病人は病人よ」

 

 珍しくまともなことを言う乱菊に、それでも、と食いさがる。

 

「少しぐらい大丈夫。無理もしないから! ね、いいでしょ?」

 

 口調とは裏腹に真剣な面持ちで乱菊を見上げた。

 白い天井、白い壁、白い布団。一面白に包まれたこの部屋はどうしても彼を思い起こさせる。

 いくら頭から退(しりぞ)けても浮かびあがる白い残像に、沙羅はこの五日間で辟易していた。

 言外に発せられたそのSOSを感じ取ったのか、乱菊は短く嘆息すると「しょうがないわね」と笑ってみせた。

 

 *

 

 うららかな春の陽気は救護詰所前の噴水庭園にも明るく降りそそいでいた。

 

「ん~! 久々の外は気持ちいい~!」

 

 胸いっぱいに空気を吸いこんで、沙羅はごろんと芝生に寝転がる。頬に触れる芝生からふわりと太陽の香りがして心地良い。

 

「まったく、病人とは思えないわ」

「だからもう病人じゃないんだってば。隊長が心配しすぎなの」

「あら。それっていつも浮竹隊長が言ってる台詞よ。『気にかけてくれるのはありがたいが、沙羅は心配性すぎて困る』ってね」

「……う」

 

 確かに、浮竹がいくら体調が良いからと主張しようが、それも一切聞きいれずに寝室に押し返したことは幾度となくある。

 彼の身を案じるが故に取っていた行動だったが──当の本人はこんなにも歯がゆい思いをしていたのかと思うと急に申し訳なく思えてきた。

 

「私……今度からもっと隊長の意見も聞いてあげることにする」

「あはは! 浮竹隊長はあんたにそれを悟ってほしくて長期入院させたのかもね~」

 

 乱菊がカラカラと笑いながら言った台詞があながち嘘とも思えず、沙羅は「そうかも」と苦笑した。

 

 

「……ね、乱菊?」

「んー?」

 

 空を流れていく白い雲を眺めながら、ぽつりと尋ねる。

 

「乱菊はさ、自分が副隊長やってていいのかなって迷うことない?」

「そんなのしょっちゅうよ」

「そうなの?」

 

 隣で同じように寝転がって空を見上げている乱菊に驚いた顔で視線を向ける。

 いつも前向きで自信に満ちている彼女が、自分と同じ迷いを(いだ)いていたなんて意外だった。

 

「あんまり考えないようにはしてるんだけどね。やっぱりふとしたときに思い出しちゃうの」

 

 いつもまっすぐ前だけに向けられているはずの瞳が、流れる雲を追いながら心なしか寂しそうに揺らぐ。

 

「あいつのこと……」

 

 それが誰を指してのものなのかは聞かずともわかった。

 

「乱菊……市丸隊長は……」

「いいのよ、気ィ遣って『隊長』なんて呼ばなくても。もうあいつは護廷隊士じゃない。ただの反逆者なんだから」

 

 世間話をするかのような軽い語り口で乱菊は言う。だがその表情に笑みはない。

 

「たまにね、思うのよ。このまま破面との争いが続けば、いつかギンとも闘うことになるのかってね」

「……」

「そのとき……あいつはどうするのかしらね。なんの迷いもなくあたしを突き放すのかしら。──あのときみたいに」

 

 藍染による謀反の一件が、今なお乱菊の心をひどく痛めつけていることを沙羅は知っていた。

 

「きっと……どうしても譲れない理由があったんだよ。そうじゃなきゃ市丸隊長があんなことするはずない」

 

 必死に言葉を綴りながらも、そんな憶測の範囲を出ない返答しかできない自分を不甲斐なく思う。せめてもう少し気休めになる言葉でもかけてやれたらよかったのに。

 だが乱菊は張りつめていた表情をわずかに和らげて言った。

 

「……そう言ってくれるのはあんたと吉良だけよ」

 

 少し寂しそうに笑いながら。

 

「ま、仕方ないわよね。あんな喰えない奴、誰も信じようだなんて思わないわよ」

 

 ぼやくようにそう言って、乱菊は瞼を閉じた。今はもう思い出の中にしか残らないその人の面影を求めて。

 

「……正直自信がないの。ギンを前にして、あたしは刀を構えることができるのかって。そしてそんな迷いを抱いている人間が、副隊長なんかでいていいのか──って」

 

 乱菊の言葉はそのまま沙羅の心中を語っているかのようだった。

 彼女の気持ちが今の沙羅には痛いほどにわかる。その葛藤も、その苦しみも。

 

「それでもやめない?」

 

 沙羅の問いかけに乱菊は静かに体を起こした。

 

「……やめない。ここで副隊長をやめても、護廷を抜けても、なんの解決にもならないもの」

 

 胸を揺さぶる葛藤も、逃げだしたくなる弱さも押し殺して。

 

「もう一度、ちゃんと向き合いたいの。ギンと」

 

 そう語る乱菊の横顔は凛とした強さを帯びていた。

 

 

「……強いね。乱菊は」

 

 思わずもらした呟きに乱菊は小さく首を横に振る。

 

「強くなんかない。本当は怖くて仕方ないわ。だけど……信じたいの」

「市丸隊長を……?」

「そ。ギンがあたしたちを裏切ったのは事実だし、今あいつがなにを考えているのかなんてあたしにはわからない。ただ……今までにあたしに見せてくれた優しさとか、かけてくれた言葉とか、そういうのは嘘じゃなかったんじゃないかって思いたいだけ。自分の都合のいいように考えてるだけよ。強くなんかないわ」

 

 そう言いきる乱菊はなにか吹っ切ったような清々しい笑みを浮かべている。それを沙羅はすごいと思う。

 

「……ううん。乱菊は強いよ……」

 

 自分も彼女のように強くなれたらどれだけいいか。その想いは余計に己の弱さを痛感させる。

 

 本音を言えば、信じたい。

 あの優しさも

 あの微笑みも

 あの温もりも

 全て嘘なんかじゃないって、そう信じたい。

 

 けどできない。信じて、また傷つくのが怖いから。

 それは紛れもなく沙羅自身の弱さだ。

 

「疑うより……信じるほうがずっと難しいものなんだね……」

 

 ぽつりと放たれた沙羅の呟きに、乱菊は肯定も否定も返さなかった。ただじっと空を仰ぐ沙羅の横顔を痛ましげに見つめる。

 

「……沙羅。あんた──」

「気持ちの整理がついたら、ちゃんと話す。……ごめん、それまで待って」

 

 乱菊が言わんとしていることはわかる。だけど、今はどうか触れないでほしい。

 そう願いながら膝を抱えて顔をうずめれば隣でふっと笑みがこぼれる気配がした。

 

「別に謝ることじゃないでしょ。あんたが言いたいと思ったときに言えばいいんだから」

 

 普段は意地でも吐かせようとするはずの彼女が、こんなときだけ妙に物分かりがよくて。親友の心遣いに沙羅は心底感謝し、うんと頷いた。

 

 

 浮竹に副隊長の辞任を願いでたのは、なにも隊士たちを護れなかった責任を感じてだけのことではない。

 それこそ先程乱菊がもらした台詞そのままに、沙羅もまた自分に自信がなかった。

 

 あの哀しい真実を告げられた雨の日。

 「殺せ」と斬魄刀を握らせたウルキオラに、沙羅はそのまま刃を突き立てることなどできなかった。

 

 相手は隊士たちを殺した憎むべき仇なのに。

 

 十刃、なのに。

 

 

 苦しそうに顔を歪めて背を向けた彼を、できることならすぐにでも追いかけたかった。

『行かないで』

 そうすがりつきたかった。

 

 もしもあのとき、ウルキオラが立ちどまって振り返ってくれたのなら

 私は迷わずそうしていたと思う。

 

 そう考えたとき自分がどうしようもなく恐ろしくなった。

 

 隊士たちの家族の嘆きが今も耳に焼きついて離れないのに。その元凶となった男を、そんなにも易々と赦してしまうのかと。

 そしてそんな自分が隊の副隊長などという立場を担っているという現実にまた戦慄した。

 隊士の仇も討てないような私が、副隊長であっていいはずがない。そう思って。

 

 けれど同じ恐怖を抱えているはずの乱菊はそれでもやめないと言う。

『ギンと向き合いたい』

 そう放った彼女は、きっと自分とも向き合おうとしているのだとわかった。

 

 少なくとも今の私にはそんな強さはない。

 ウルキオラを信じることも、敵だと割りきることも、できない。

 

 だけど今は副隊長としてなすべきことがある。不安定に揺れる十三番隊を立て直すという使命がある。

 それを全うすることが、儚くも散った隊士たちへのせめてもの償い。

 そう思わなければ。

 

 だから、今はまだ、全てを受けとめることはできないけど。

 涙が滲むのをとめられないけど。

 少しずつ、前に進みたい。

 

 

「私も……強くなれるかな」

「そう思いつづける限り、人はいくらでも強くなるものよ」

 

 乱菊の言葉に顔を高くあげた。

 青く澄みわたる空にほんの小さな決意を掲げて。

 

 

「──さ、いい加減中に戻りましょ。また風邪をぶり返しでもしたらあたしが浮竹隊長に大目玉くらうわ」

 

 パンパンと芝生を(はら)いながら立ちあがる乱菊に倣って腰をあげながら、沙羅は「そうだ」と切りだした。

 

「話は全然変わるんだけど、乱菊って前世の記憶ある?」

「本当にいきなりねぇ。さっぱり覚えてないわ。もう何百年も前のことだしね。沙羅は?」

「私もまったく……。でも最近よく変な夢を見るの」

「どんな?」

「多分……前世で死ぬ間際の」

「うわ。なんか暗いわね、それ」

 

 眉をしかめる乱菊に頷きつつ、沙羅はあの夢のことを思い返していた。

 

 死ぬな、と自分に向かって叫ぶ声。同時に心臓を突きぬけた激痛。

 夢にしてはあまりに現実味がありすぎた。

 その一部始終を話して聞かせると、乱菊は腕組みして首を捻った。

 

「ふーん……。でも、不思議よね」

「なにが?」

「こっちに転生した直後ならまだしも、今になってそんな夢を見るなんて」

「確かに……そうだね」

 

 前世の記憶なんてとうに失くしていたのに。そもそもあの夢を見るようになったのは、現世で初めてあの公園に行って──

 

「……っ」

 

 つきん、と胸が軋んだ。

 それはあのときに出逢った彼のことを思い出したからではなくて。

 そうじゃなくて、なにか大切なことを忘れているような気がして。

 

「わかった、あれじゃない? ほら、あんた最近現世へ行くことが多かったでしょ。そのときに前世の記憶を呼び覚ますようなことがあったんじゃないの?」

 

 乱菊がなんとなしに告げた言葉に更に胸が締めつけられる。

 

 記憶を呼び覚ます──

 そう、私は忘れている。とても大切ななにかを。

 

「例えば前世で縁の深かった人に会ったとか、思い出の場所に行ったとか──」

 

 現世で会った人なんてたったひとりしかいない。

 思い出の場所として浮かぶのはたったひとつだ。

 

『おまえ、前世ではどんな人間だったんだ?』

 

『おまえは……本当になにも憶えていないのだな……』

 

 声が

 頭の中で響く声が、重なる。

 あの夢の声と。

 

『死ぬな……沙羅────!!』

 

 バチン、と電流がはしるような痺れが脳天を突きぬけたと同時に視界が真っ白に染まった。

 

「──沙羅!?」

 

 自分を呼ぶ乱菊の声がやけに遠くのほうで響いた気がした。

 

 *

 

「大変ご迷惑をおかけしました!」

 

 二日後の朝、無事救護詰所を退院した沙羅は十三番隊の隊舎に入るなり頭をさげていた。

 それを笑顔で迎える隊士たちの前に浮竹が歩みでて、心配そうに眉をひそめる。

 

「そんなことはいい。それよりも本当に回復したのか? 松本の話じゃ一昨日も倒れたらしいじゃないか。まだ辛いならもう何日か──」

「あれはただの立ちくらみですって! 本当にもう大丈夫ですから」

 

 またあの白い病室に閉じこめられてはたまらない、と沙羅は慌てて首を振った。

 そうしてなんとか浮竹を言いくるめて職務復帰を果たすことに成功した沙羅に、隊士たちは歓声をあげて喜んだ。

 もはや十三番隊の中枢ともいえる副隊長の復帰は、彼らの心に確かな安堵をもたらしていた。

 

 それから数日が過ぎた頃、怒涛の仕事ぶりで一週間分の業務もあらかた片づけたところで、沙羅は「また倒れられては敵わない」と険しい面持ちを浮かべた浮竹から半ば強制的に休暇を取らされた。

 

「隊長、もう本当に大丈夫ですって……」

「また救護詰所に戻されたいのか?」

 

 本気の顔で首を傾ける浮竹。脅し文句とも取れるその言い様に苦笑しつつも、そこに含まれた心遣いを否応なしに感じて沙羅は素直に感謝の意を口にした。

 

 かくして迎えた休日の朝。

 早朝のうちから身支度を整えた沙羅は、大きく息を吸いこんで自室を出た。

 

 向かう先は──穿界門。

 そして、その先に広がる世界の片隅にぽつんと存在する、小さな公園。

 

「……行かなきゃ」

 

 きゅっと死覇装の襟を整えて、沙羅は大きく一歩踏みだした。

 

 

 遠い記憶の彼方に埋もれている真実はきっとこの先にある。

 そんな気がした──

 

 

 ***




《Blue Sky…青く澄みわたる空》

タイトルは第8話『Cold Rain』との対比。やまない雨なんてない。
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