Dear…【完結】   作:水音.

11 / 87
 院生時代の沙羅と、乱菊との出会いを描いた番外編です。



【Side Story】A Gray Cat Ⅰ ―灰猫Ⅰ―

 気まぐれな猫との出会いは突然に──

 

 その朝、真央霊術院(しんおうれいじゅついん)の渡り廊下にはバタバタと(せわ)しない足音が響きわたっていた。

 

「嘘でしょー! こんな日に寝坊なんて!」

 

 霊術院の院生服に身を包んだ沙羅は、悲壮な声をあげつつも速度を緩めることなく廊下を駆けぬけている。

 この真央霊術院は尸魂界(ソウルソサエティ)随一の死神養成教育機関であるだけに、その校舎はやたらと広い。下駄箱から教室までの距離の長さにうんざりしつつ、悪態をついたところでなんら現状を打破できるものではないと沙羅はただただ先を急いだ。

 ──と、渡り廊下を走り終えて曲がり角に差しかかった瞬間、反対側からかすかな霊圧の接近を察知する。

 

(危ない!)

 

 すかさず身を反転させて進路を変えた直後、ガンッと鈍い音が響いた。

 

「~~~っ!」

 

 石で殴られたような痛みを訴える額を押さえ、声すら出せずにうずくまる。すると目の前の人物も同じようにうずくまっていた。

 

「っつー……てめっ、同じ方向によけんじゃねえよ!」

「そっちこそ!」

 

 互いに涙目になりながら顔をあげたところで、ふたり同時にあ、と口をあけた。

 

「恋次!」

「沙羅じゃねーか! なんでまだこんなとこにいんだよ」

「それはこっちの台詞──って、そんなこと言ってる場合じゃない!」

「あ、おいっ! 抜けがけすんなよ!」

 

 再び腰をあげて走りだした沙羅に続いて、すぐさま恋次もあとを追いかける。

 

「遅刻魔の恋次と一緒にされちゃ迷惑なの!」

「そうはさせるか! こうなったら道連れだ!」

「縁起でもないこと言わないでよー!」

 

 もとより時間に正確な沙羅はともかく、遅刻常習犯の恋次までもがここまで焦っている理由は至って明白。今日はふたりが所属する三回生第一組が、同期生の中でも初となる虚の昇華実習を行う日であった。

 

 *

 

 かくして辿り着いた教室の前の廊下で、後ろの扉の隙間からちらりと中の様子を窺った沙羅と恋次はほっと息をついた。

 

「間に合った……」

 

 厳密に言えばちっとも間に合ってはいない。始業時間はとうに過ぎており、霊術院きっての鬼教師と称されるクラス担任もどっかと教卓の前に腰をおろしている。

 だが幸いにも今は実習の組分けをしている最中らしく、院生たちがあちこちにたむろしている教室内にこっそりと忍びこむのは容易かった。

 

「あ、おはよう沙羅ちゃん! 阿散井くんも! よかった、今日お休みかと思っちゃった」

「しーっ! 雛森、しーっ!」

 

 ふたりの姿を見つけるなり話しかけてきたクラスメイトの雛森桃に必死に口の前で人さし指を立てて、沙羅と恋次はそそくさと席につく。

 

「あはは、阿散井くんはともかく沙羅ちゃんが遅刻なんて珍しいね」

「今日に限って目覚ましの電池が切れてて……まだ出発してなくてよかった。こんな日に遅刻したなんてバレたらただじゃ済まないもん」

 

 教卓でいつものしかめっ面を浮かべている担任を横目に沙羅が盛大に溜め息をこぼすと、雛森はくすくすと笑って小さな紙切れを差しだした。

 

「はい。沙羅ちゃんの分もくじ引いておいたよ」

「雛森ー! ありがとうっ!!」

 

 ひしっと雛森に抱きつく沙羅の傍らで、恋次は前の席の吉良イヅルをつつく。

 

「おい、吉良。俺の分は?」

「早く取ってきなよ。さっき先生が『なんで一枚余ってるんだ』って騒いでたよ」

「オメーには助け合いの精神っつーもんがねーのか!」

「阿散井くんに助けられた覚えはないな」

「てめっ、この前消しゴム貸してやっただろーがっ!!」

「そこ! なに騒いでる!」

 

 吉良の胸倉を掴みかかったところで担任のドスの効いた声が響き、恋次はさっと首を引っこめた。が、時すでに遅し。

 

「阿散井──そういや今日おまえの顔見るの初めてじゃないか? 実はここに組分けのくじが一枚残ってるんだが……誰の分か心当たりはないか?」

 

 紙切れをぴらぴらとさせる担任に、恋次はできる限りの愛想笑いを浮かべてみせた。

 

「あーそれ多分俺のっす。やーおかしいな、さっき取ったつもりだったんすけど……」

「……馬鹿モンがァっ! 今日だけは遅れるなとあれだけ言っといたろうが!」

「ぎゃぶっ!!」

 

 担任に踏みつけられている恋次に心の中で手を合わせながら、沙羅は「間に合ってよかった」とつくづく思うのであった。

 

 *

 

「いいか! 本日諸君らが行うのは『(ホロウ)』の昇華だ! 相手は悪霊、これまでにやってきた『(プラス)』の魂葬とはわけが違う。各自心してかかるように!」

 

 現世へと繋がる穿界門まで移動した院生一向を前に、担当教師は声高に説明を続けた。

 

「実習には四人一組であたってもらう。くじの記号が同じ者同士で班を組むこと!」

「やった、沙羅ちゃん一緒だね!」

「本当だ、よかった。あとのふたりは?」

 

 雛森とふたりで首を巡らせていると、ぴらぴらと★が描かれた紙をちらつかせながら恋次が話しかけてきた。

 

「おい。おまえらこの記号か?」

「そうだよ。阿散井くんも?」

「おう、よろしくな」

「……まさか恋次と一緒なんて」

「おい沙羅、どーゆー意味だコラ」

「だって恋次と一緒だと先生に目つけられそうじゃない」

「俺だって目ェつけられたいわけじゃねーんだよ! ついでにあいつも一緒だぜ」

 

 そう言って恋次が顎でしゃくった先には、斬魄刀をガシャコンガシャコンと出し入れしている吉良が立ち往生している。

 

「……吉良。なにそわそわしてるの?」

「え! あ、いや、別にっ」

「吉良くんも同じ組なんだ。よろしくね」

「あ、ああっ。よ、よろしく──ゲホゲホゴホッ」

 

 にこりと笑いかけた雛森を前になにやら盛大にむせている吉良。

 

「……吉良って分かりやすくていいよね」

「それあいつに直接言ってみ。全力で否定するぜ、きっと」

 

 ふたりを尻目に沙羅と恋次がボソボソとそんな会話を交わしていたところで、再び担任が太い声を張りあげた。

 

「各班、メンバーの確認はできたな? それでは班ごとに整列せよ! これより引率者を紹介する!」

 

 担任の最後の一言にざわついていた院生たちが一斉に静まり返る。

 霊術院で行われる『虚の昇華実習』は、例年護廷十三隊より数名の隊士が派遣されて引率役を務めるのが通例となっており、それがこの実習が院生の注目を集める最たる理由でもあった。自分たちが目標とする護廷隊士と直接触れ合える機会などそうあるものではない。

 そんな期待と羨望から固唾(かたず)をのんで引率者の登場を待ちわびる院生たちであったが、その姿を()のあたりにした途端、彼らは別の意味で言葉を失うこととなった。

 

「こちらが本日諸君らの引率を務めていただく、護廷十三隊十番隊第八席──松本隊士だ!」

 

 院生たちの前に並んだ数名の隊士のうち、いかにも彼らのリーダー格として先陣きって紹介されたのは、なんとも見事なスタイルを誇る金髪美女だった。

 

「十番隊の松本でーす。今日一日よろしく!」

 

 あっけらかんとした物言いでそう挨拶した金髪美女に、それまで黙りこんでいた院生たちは蜂の巣をつついたような勢いで口々にざわめきだした。その例にもれず、沙羅もまた驚いた表情で隣のチームメイトたちを見遣る。

 

「……すっごい美人! 護廷隊にもあんなに綺麗な人がいるんだね」

「本当……」

「顔もそうだけど、あの胸見てみろよ。ありゃ~男のロマンだよなぁ、吉良?」

「なななにを言いだすんだ君は! ぼ、僕は別に鼻の下伸ばしてなんかっ!」

「いや誰もそんなこと言ってねーよ」

「違うんだ雛森くん! 今のは阿散井くんが勝手に──ぎゃっ!!」

 

 真っ赤になって雛森に詰めよろうとした吉良は、突然後方から尋常でない勢いで蹴り飛ばされた。

 

「……え? え?」

 

 そのまま沿道の木に激突した吉良は、鼻血を垂らしながらもわけがわからず首をキョロキョロとさせている。と、その首根っこを白い手がむんずと掴んだ。

 

「な──っ!」

「うるっさいわよあんたたち! ちょっとは黙って人の話を聞きなさいっての!」

 

 右手を高々と掲げて吉良を宙づりにしているその女性こそ、今まさに彼らの注目を集めていた十番隊の女隊士であった。

 

「ったく、だから引率なんてやだって言ったのよ。近頃の院生って落ち着きのないやつばっかりだし」

「あ、あの……申し訳ありません」

 

 早く解放されたいがために懸命に頭をさげる吉良をギロリと一瞥すると、金髪ダイナマイト美女は吉良の体を傍らで呆気に取られていた恋次に向けて放り投げた。

 

「どぅおおおお! 危ねェッ!」

「ぐわっ! なんでよけるんだよ! ここは受けとめるところだろう!」

「ふざけんな! オメーさっき俺のこと売っただろーが!」

「……れ、恋次! 吉良も黙って!」

 

 沙羅の切羽詰まった声にふたりが振り向くと、すぐ目の前に豊満なバストが迫っていた。

 

「……あんたたち、耳、ついてる?」

 

 ふたりの少年は今度こそ青褪めた。

 

 *

 

「さっきも説明があったと思うけど、今日あんたたちにやってもらうのは虚の昇華! まあ院生の霊力なんてたかが知れてるから最初は雑魚(ざこ)を相手してもらうけど、虚は虚よ。気を抜いたやつは──」

 

 女隊士はそこで言葉を切ると、後ろでパンパンに腫れあがった頬を押さえている恋次と吉良を顎で示した。

 

「こんなもんじゃ済まないからね?」

「…………」

 

 軽い調子の口調がかえって恐怖を煽り、院生たちは一様に黙りこんだ。

 

「さ、全員地獄蝶は持ったわね? んじゃサクっと行ってサクっと終わらせるわよ」

 

 髪をかきあげながらなんともやる気のない様子でそう言って、女隊士は穿界門の扉を解錠し、そのあとについて院生たちも門をくぐっていく。

 

「なんか……綺麗だけど、すごい高飛車な人」

「わわっ、沙羅ちゃん! 聞こえちゃうよ」

 

 隣であわあわと手を振っている雛森に「ごめん」と笑って、沙羅もまた尸魂界をあとにした。

 

 *

 

 現世におりた一行は順当に虚退治を進めていた。

 

「なんだ、あんたお喋り以外も一応できるんじゃないの。──はい、イレズミマユゲ合格」

「イレズミマユ……っ! ……あ、あざーっす」

 

 霊圧放出装置によって呼びよせられた虚の昇華を滞りなく終えた恋次は、額にピクピクと青筋を立てながらも頭をさげて斬魄刀を鞘に納めた。

 

「んじゃ次! そこのナヨナヨしてるやつ!」

「……まさかとは思うけど……僕か? 僕なのか?」

「ちょっとぉ! また耳塞がったわけー!? あんたよあんた、そこのお坊ちゃんあがりの!」

「……」

「こらえろ、吉良。あんなんでも大先輩だ」

 

 恋次に肩を叩かれた吉良は、力なくうなだれながらキーキーと甲高い声をあげている女隊士の元へ向かっていった。

 

「ふわ……阿散井くんも吉良くんもすごいね。ど、どうしよう。あたしみんなみたいにうまくできないかも……」

「大丈夫、雛森ならいつも通りにやればできるよ。はい、深呼吸深呼吸!」

 

 緊張に顔をこわばらせる雛森の肩をぽんぽんとほぐして沙羅が笑いかけると、それにつられて雛森もわずかに表情を緩めて頷いた。

 

「じゃあ次──雛森桃!」

「はっはい!」

 

 うわずった声をあげて飛び跳ねた雛森は、腰の斬魄刀を抜き放つと現れた虚に向かって果敢に斬りかかっていった。

 

「まだ恐怖が拭えてないわね。太刀筋が甘いわ」

 

 懸命に刀を振るう雛森を横で腕組みして見つめながら女隊士は呟く。異形の姿を模した虚に対し雛森は苦戦していた。

 その様子をやや離れた場所から見守っている沙羅も、不安げな面持ちでぎゅっと胸の前で拳を握りしめる。

 

「くっ……『君臨者よ! 血肉の仮面・万象・羽摶き・ヒトの名を冠す者よ』!」

「ばか! 後ろよ!」

 

 目の前の虚本体に向けて鬼道の詠唱を唱える雛森は、背後から迫る鋭い爪に気づかなかった。女隊士の声に反応し辛うじて刀で受けとめるものの、その小さな体はなす術もなく吹っ飛びコンクリートの地面に叩きつけられた。

 

「ぐぁ……っ」

「雛森!」

「だめよ」

 

 即座に抜刀し飛びだしかけた沙羅を女隊士の腕が制する。

 

「ここであんたが加勢したらあの子は不合格よ」

「でもこのままじゃ雛森が──」

「本当に死にそうになったらあたしがとめるわ。あんたたちは黙って見てなさい」

「そんな!」

 

 思わず声を荒らげた沙羅を気にもとめず、女隊士は雛森へと視線を戻した。

 

「この程度の虚も倒せないようじゃまた二回生からやり直してもらうしかないかもね。どうするの? ギブアップ?」

「だい……丈夫、です。まだやれます……」

 

 口の端から血を流しながら、ふらりと立ちあがる雛森。そして女隊士の隣で歯がゆそうに身を乗りだしている沙羅に向けて弱々しく笑いかけた。

 

「心配しないで……」

 

 再び襲いかかってきた虚に斬魄刀を構え、雛森は次々と繰りだされる攻撃を(さば)いていく。だが先の一撃で負った傷は見ている側が思うよりもずっと彼女の体を(むしば)んでいた。

 

「……つっ」

 

 虚の攻撃を右に跳んでよけた直後、雛森の顔が苦痛に歪み着地の際にわずかによろめいた。その隙を逃さず、虚はすかさず次の一手を放ってくる。

 雛森は必死に応戦しているが、傷を負った焦燥からかいつもの冷静さを欠いている今の彼女では形勢は明らかに不利だった。

 

「雛森っ!」

 

 ついに雛森の斬魄刀が虚の腕に弾かれ、離れた地面に突き刺さる。そして虚が鋭い爪をかざした瞬間、沙羅は心の中で叫んだ。

 

(ごめん──雛森!)

 

 ギァンッ!! 

 女隊士の腕を振りはらって飛びだした沙羅は、雛森の前に立ちはだかり自らの斬魄刀で虚の爪を受けとめていた。

 

「沙羅ちゃ……」

「早く斬魄刀を!」

 

 押しつぶされそうなほど重い一撃を必死に抑えながら、沙羅は背後で立ちすくんでいる雛森を振り返る。

 

「落ち着いて、雛森なら大丈夫!」

 

 とてもそんな余裕はないはずなのに、笑みを浮かべてそう告げた沙羅に雛森は息をのんで吹っ飛ばされた斬魄刀を手に取った。

 

「……ごめんね。ありがとう。あとはあたしがやるから」

「うん」

 

 キッと瞳を細めた雛森を見て、沙羅は今にも自らに食いこみそうなほどに迫っていた虚の爪を弾き返し、後方に跳ぶ。

 

「──心を失った虚よ! あなたを昇華する!」

 

 たん、と高く跳躍して声高に言い放った雛森は、見事な太刀筋で襲いかかる虚を両断した。

 

「はぁっ……はぁ……。やっ、た……?」

 

 断末魔の叫びをあげた虚が完全に消えるのを見届けて雛森は肩で息をつく。

 

「やったじゃないか雛森くん! 一撃なんてすごいよ!」

「真っ向からぶつかってくなんてオメーもなかなか度胸あんじゃねーか」

 

 わっと駆けよった吉良と恋次に雛森は照れくさそうに笑って、すぐさま沙羅を振り返った。

 

「沙羅ちゃん……ありがとう」

「ううん、雛森の実力だよ。無事でよかった」

「ちーっともよかないわよ」

 

 背後で響いた声に視線を向けると、女隊士が呆れた表情で見下ろしていた。

 

「言ったわよね? 加勢したら不合格にするって」

「……すみません。ですが雛森は自分の力で虚を倒しました。そこを考慮してもらえませんか?」

「他人の助力を受けてるようじゃ『自分の力で』とは言えないわね」

「雛森はうちのクラスの誰よりも鬼道の扱いに長けているんです。今だって緊張さえしていなければひとりでも十分に──」

「そういう問題じゃないわ」

 

 冷めきった声色で沙羅の主張を遮って、女隊士はじっと沙羅の後ろの雛森を見据える。

 

「いくら鬼道が得意だろうが剣技が冴えていようが、実戦で使えなきゃ意味がないのよ」

「松本隊士、お言葉ですが……誰しも初めは緊張するものではないでしょうか? 雛森くんが本来の実力を発揮できなかった以上、これだけで不合格と決めるのはいささか早計に思えます」

「こいつ、体はちっさくてもまじで強いんすよ! もう一回ぐらいチャンスをやってくれませんか?」

 

 自分に同調して口々に雛森を擁護する吉良と恋次に、沙羅は嬉しそうに顔を綻ばせた。雛森はそんな三人を呆然と見つめて必死に涙をこらえている。

 だが、次の瞬間彼らに降りそそがれた声はあまりに冷たかった。

 

「あんたたち……なにか勘違いしてるみたいね」

「勘違い……?」

 

 戸惑いを浮かべる四人を前に、女隊士はその鮮やかな金髪を悠然となびかせる。

 

「これは子供のお遊びじゃないのよ。実力がどうのとか言ってたけど、それを言うなら『実戦で出せる力』があんたたちの実力のすべて。どれだけ潜在能力があろうが、発揮できなきゃ単なる宝の持ち腐れ」

 

 そして再び雛森へと視線を巡らせた。

 

「──雛森って言ったわね。あんた、もしもさっきこの子が飛びださなかったらどうしてた? 斬魄刀を吹っ飛ばされて、次にどう動くかちゃんと考えてた? ただ頭が真っ白になって立ち尽くしてただけでしょう?」

「それは……」

 

 言いよどむ雛森に、彼女は顔色ひとつ変えずに淡々と言い放つ。

 

「そこで動けなかったら──あんた、死んでたのよ」

 

 四人はごくりと喉を鳴らして黙りこんだ。あまりにも現実味を帯びて響いた『死』という単語の重さに、誰も口を開くことはできなかった。

 

「言いたいことはそれだけ。雛森桃は不正を働いたため本試験を不合格とする。文句ないわね?」

「……はい」

 

 力なく頷いた雛森を見て、女隊士が記録帳を開くのと同時。

 

「待ってください」

 

 沙羅はその前へと歩みでた。

 

「お話はわかりました。松本隊士の仰ることはもっともだと思います。……軽率な行動をして申し訳ありませんでした」

 

 女隊士は筆を握った右手をとめたまま、頭をさげる沙羅を黙って見下ろしている。

 

「……ですが、今回の不正は私の勝手な行動によるものです。雛森は関係ありません。不正行為を罰するというのであれば私を不合格にしてください」

「沙羅ちゃん!?」

 

 その言葉に誰よりも早く反応を見せたのは雛森だった。

 

「なに言ってるの、そんなのだめだよ!」

「いいの。私が勝手にやったことだもん」

「違うよ! あたしを助けるために出てきてくれたんじゃない! あたし、沙羅ちゃんがいなかったらきっとやられてた。沙羅ちゃんが大丈夫って言ってくれたから倒せたんだよ──!」

「でもそのせいで雛森が不合格になることなんてない。自分がやったことの責任は自分で取るよ」

 

 なんでもないことのようにそう言って、ふわりと笑う沙羅に雛森は声を失う。

 

「……だめ。だめだよ、そんな──」

 

 それでも懸命に言葉を紡ごうとする雛森の背後で、不意にくすくすと笑い声が響いた。

 

「え……?」

 

 沙羅と雛森が怪訝な表情で振り返った先で腹を抱えて笑っているのは、紛れもなく金髪の女隊士その人だった。

 

「そんなに必死になっちゃって。おっかしーわね、あんたたち」

 

 小馬鹿にされているとしか思えない口調でそうもらした女隊士に、沙羅はむっと眉間に皺を寄せる。

 

「なにがおかしいんですか? 私たちは真剣に──」

「まあいいわ。実際最後の一撃は見事なものだったしね。雛森、あんたは特別に合格にしてあげる」

「へ……」

 

 沙羅の声を遮って言いわたされた言葉に、四人はぽかんと口をあけた。

 

「い……いいんですか? でも、それで沙羅ちゃんが不合格になるならあたしは……」

「そうするとまたあんたたちはガタガタ喚くんでしょう? いいわよ、さっきの不正は不問にしてあげる。ただし──」

 

 そこまで言いかけると、女隊士は沙羅に向けてぴっと人さし指を突きつけた。

 

「あんたには今度こそ誰の加勢もなしにひとりで闘ってもらうわよ。このあたしにあれだけでかい口叩いたんだもの。できるわよね?」

「もちろんです。ありがとうございます!」

 

 挑発的に首を傾げた女隊士に、沙羅は迷わず頷いた。試験を諦めかけた沙羅にとっては願ってもない申し出だ。

 

「この辺りの虚はさっきので全部倒し終えたわ。他の場所に移動することになるけど──ここと同等の雑魚とは限らないわよ」

「構いません。それで試験を受けさせてもらえるのなら」

「じゃあ一番近い場所まで移りましょ。瞬歩で行くけどついてこれる?」

「意地でもついて行きます!」

「……ホンットいい度胸してるわね。ま、そーゆーの嫌いじゃないけど」

 

 ニッと笑みを浮かべた彼女に力強い頷きを返すと、沙羅はぎゅっと草履(ぞうり)の紐を結び直した。そこに慌てた様子で雛森たちが駆けよる。

 

「沙羅ちゃん、あたしも行くよ!」

「俺も行くぜ。おまえひとりじゃ危なっかしくて行かせらんねーよ」

「ダーメーよ! それじゃひとりで闘うことにならないでしょ。あんたたちはここで待ってなさい」

「でも……!」

「雛森、大丈夫だから。恋次と吉良も。すぐに帰ってくるよ」

 

 なんの根拠があるわけでもないだろうに、沙羅は笑ってそう言ってみせる。

 

「沙羅ちゃん……気をつけてね……」

 

 心許なさそうに手を握りしめる雛森に大きく頷いて、沙羅は女隊士のあとに続いて跳びたった。

 

 

 

 ***




 沙羅は恋次たちと同期です。乱菊と親友の間柄にまでなった経緯は後編にて。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。