爆風に巻きあげられた砂埃の中、一瞬だけよぎった黒い影にグリムジョーは意外そうに片眉をあげた。
「……この距離で
パラパラと降りそそぐ粉塵を気にもとめず、影が跳んだ先へと視線を向ける。そこには仕留めたと思った死神の女が傷ひとつ負わずに整然と立っていた。
「この前のやつらとは違うみてぇだな」
「……どうして彼らを殺したの」
依然として余裕の表情を崩さないグリムジョーを沙羅は鋭い眼差しで射抜く。
「あァ? んなの決まってんだろうが。藍染サマの命令だ。てめえらが目障りなんだとよ」
予想通りの返答にぐっと唇を噛む。
そう──きっとウルキオラも己の意思で殺したわけじゃない。それが主の命令だったから……仕方なく。
そのときの彼の心境を思うとどうしようもなく胸が痛んだ。その葛藤も、苦しみも、今ならわかってあげられるのに。
「敵を前に考えごとかよ? ずいぶんと余裕だ──なっ!」
最後の声と同時にグリムジョーは剣を抜き、一瞬で沙羅を間合いに捉えていた。
激しい金属音が響く。グリムジョーが振りおろした剣を沙羅の斬魄刀はしっかりと受けとめていた。
これだけの強大な霊圧を持つ男を前にしてまさか油断などするはずがない。ましてや相手は十刃。向かいあって対峙した時点で沙羅はとうに全神経を研ぎすましていた。
その細い体のどこにこんな力があるのかと思わせる勢いで剣を弾き返した沙羅に、後方に跳んだグリムジョーは小さく目を剥く。その隙に沙羅は両手に握った斬魄刀の切っ先を天に向け、高らかな声でその名を呼んだ。
「咲き誇れ、夢幻桜花!」
次の瞬間、赤く染まる夕焼けを背景に沙羅の斬魄刀が薄桃色に色づきまばゆい光を放つ。解放された夢幻桜花から溢れでる霊圧は、明らかにそれまでのものとは次元を
「おまえ──ただの死神じゃねぇな?」
桜の花びらのそれと同じ色の光を放つ鮮やかな斬魄刀に目を細めて、グリムジョーは問う。
「……十三番隊副隊長、草薙沙羅」
「隊長格か。まさかこんなところでお目にかかれるとは思わなかったぜ」
沙羅の返答にも顔色ひとつ変えずに彼は笑った。
「面白れぇ。相手になってくれよ副隊長」
そう言って剣を構える目の前の十刃はどこか愉しげですらあった。
「……グリムジョー。その前にひとつ聞かせて」
「あ?」
今にも斬りかかってきそうな男を沙羅はぎりぎりの間合いを保ちながらまっすぐに見据える。
「あなたは本当に藍染隊長に賛同しているの? 創造主として仕方なく従っているだけじゃないの?」
「んなこと聞いてどうする」
「もしもあなたが無理やり破面側に縛りつけられているだけだとして──本心では望んでいないのなら。これまでの罪を悔いて今後尸魂界に仇なすことはしないと約束してくれるのなら、私はあなたと闘うつもりはない」
沙羅の言葉にグリムジョーは一瞬だけ目を見開き、その表情はすぐに嘲笑に変わった。
「はっ……ははははは! 闘うつもりはないだと? 笑わせるぜ!」
「本気で言ってるの」
「それが笑わせるっつってんだよ。いいか? 藍染がどうなろうと破面がどうなろうと、俺には関係ねえ」
「だったら──」
「関係ねえんだよ。死神も尸魂界もな!」
沙羅の声を遮ってグリムジョーは剣先を伸ばした。その先に立つ沙羅に向けて、まっすぐに。
「俺は目の前にある全てのものを斬り落として上に立つ。ただそれだけだ」
その瞳に宿るのは高みを目指す強固な野心。それを前にしてはもはやどんな言葉も意味をなさないことを悟り沙羅は静かに斬魄刀を構えた。
「それでいい。せいぜい楽に死ねるよう祈るんだな。──行くぜ!」
白い衣が宙に舞い、破面と死神の闘いの火蓋は切って落とされた。
グリムジョーが振りおろした一閃をかわし、沙羅はすかさず打ってでる。
ギィン! と金属の擦れる音が空気を震わせる。あえて懐に飛びこませて彼が攻撃を放った直後の隙を狙ったというのに、沙羅の剣撃は難なく受けとめられた。もう一度激しく打ち合い、離れる。
力押しで勝てる相手ではないことは十分に理解している、ならば──
「破道の三十三、
グリムジョーが着地するタイミングに合わせて、掌から蒼炎の霊撃を放つ。だが完全に対象を捉えたはずの炎は次の瞬間バチンと弾き返された。
「……今のはちょっと熱かったぜ?」
立ち昇る煙の中、剣を振るって姿を見せたグリムジョーは沙羅に左手を向けて笑った。
「お返しだ。──
先程よりも威力を増した紅い光弾に、沙羅は斬魄刀を眼前で垂直に構えた。迫る霊圧を肌で感じながらすっと息を整える。
「
直後、あたり一面に桜の花が舞った。天に向けて突き立てた夢幻桜花の刀身から溢れる花弁は、沙羅の身を覆い隠すかのようにその眼前を埋めつくしている。
「ハッ! そんなもんで──」
言いかけたグリムジョーの余裕の表情はすぐに崩れた。彼が放った虚閃は桜の花弁に触れた刹那、次々と霧散しついには跡形もなく消えた。
「へえ……やるじゃねえか」
しばし驚きの色を浮かべるグリムジョー。だがその彼が未ださらさら本気を出していないことを、刀を交えた沙羅は思い知らされていた。
強い。やはり十刃の肩書は伊達じゃない。真っ向からぶつかれば力の差は歴然。
このままの状態で闘えば、すぐさま自分もあの儚く散った隊士たちの後を追うことになるのは明らかだった。
シャン……
踏みこみの構えを解き、斬魄刀を腰の位置までおろした沙羅にグリムジョーは鼻で笑った。
「どうした? 命乞いでもするのか?」
「そんなことをして意味があるの?」
逆に鋭い視線で問い返す沙羅を彼は満足げに見やる。
「ねえな。今更ひれ伏したところで逃がしゃしねえよ」
「……でしょうね」
ふぅっと小さく嘆息し、空いている左手を胸元に寄せた。
「命乞いはしないけど、犬死する気もない」
そう、だから
闘うしかない。
胸にあてた掌に霊圧をこめると、その下に描かれた待雪草の紋様が赤く浮かびあがった。
「限定解除!」
その言霊と同時に凄まじい霊圧が沙羅の中から膨れあがった。
「……っ!?」
目を焼くような赤い閃光にグリムジョーは咄嗟に顔を逸らす。
一瞬の後、正常な視界を取り戻したグリムジョーの瞳には、それまでと同一人物とは思えない霊圧を身にまとった死神が立っていた。
「てめえ……霊圧制御してやがったのか」
「好きで制御してるわけじゃないけどね」
眼光を光らせるグリムジョーに怯むことなく返す。
他の隊長格同様、沙羅もまた副隊長への昇格後は現世におりる際に限定霊印を打たれ、霊圧の80%もの封印を施されるようになっていた。
霊圧の限定は現世の霊なるものに不要な影響を及ぼさないようにとの配慮であり、本来であればその解除には中央四十六室の認可を要する。だが先日の十刃襲撃の一件以来、防衛体制強化の見解を強めた中央四十六室は、護廷十三隊の隊長格に対し「現世で相応の事態に陥ったときは各自の判断で限定解除して差し支えない」との通達を出していた。
主の霊圧に呼応してか、夢幻桜花もまた一層の輝きを放つ。
その切っ先を真っ直ぐにグリムジョーに向け、沙羅は再び腰を深く落とし身構えた。
「せいぜい足掻いてみるわ」
*
ドォン!
グリムジョーが放った虚閃と沙羅が打ち返した鬼道とがぶつかり合い、轟音と土煙を上げて相殺される。
互いにわずかな隙も覗かせない両者は一進一退の攻防を繰り広げていた。
「くっ」
グリムジョーが薙ぎはらった剣先が沙羅の肩を掠める。どれほどの霊圧が込められているのか、切っ先が軽く触れただけの白い肌は上下に裂け痛々しく鮮血を流した。
だが一方のグリムジョーも無傷ではない。沙羅が放った鬼道によりその白い装束は引きちぎられ、所々に赤が滲んでいた。
「俺はなァ、てめえみてぇな甘っちょろい考えのやつが許せねえんだよ!」
振りおろされた剣撃を弾き返し、グリムジョーは沙羅の首元めがけて剣を突きだす。
それを間一髪でかわし、沙羅はすかさず下から斬りあげる。だがそれもあと一歩のところで阻まれた。
「破面と死神が和解なんてできるわけねえだろ!」
「試してもいないうちから決めつけないで」
次いでグリムジョーが下段から放った蹴りを宙に跳んで
「相手を理解しようともしないで、どうしてできないなんて言えるの! 話し合えばなにか手段が見つかるかもしれないじゃない」
「それが甘いっつってんだよ!」
左腕にはしった電撃を顔を歪めて振りきり、グリムジョーもまた空中へ躍りでた。
「俺にとっちゃてめえは敵以外の何者でもねえ。破面と死神はどこまでいっても敵同士、生まれたときからそう決まってんだ!」
大きく振りかぶった剣の切っ先が西日を受けて赤く光る。
「俺たちにできんのは話し合いじゃなく殺し合い、それだけなんだよ!!」
グリムジョーの渾身の一撃をなんとか受けとめたものの、空中ではその衝撃を殺しきれず沙羅は大きく後方へ吹っ飛んだ。そのまま背後にあった木の幹に激しく背中を殴打し、むせ返りながらもすぐに体勢を整える。
口内にじわりと血の味が広がり、沙羅はぐっと歯噛みした。
限定解除した状態でもここまで押されるものなのか。力量の違いをまざまざと思い知らされる。
それでも退くわけにはいかない。
『破面と死神はどこまでいっても敵同士』
その言葉を覆さなければ、きっと今後ウルキオラにも逢うことは叶わない──そんな気がするから。
だから、絶対に、負けられない!
再び斬りかかってきたグリムジョーを視界の中心に捉えながら沙羅は夢幻桜花を水平に構えた。
「──
斬魄刀の刀身から溢れでた桜の花弁は、今度は沙羅を護るためにではなく直接グリムジョーの身に襲いかかった。
一枚一枚に微量の霊圧が込められたそれは、グリムジョーの視界を埋めつくし動きを封じる。だがそれもほんの一瞬に過ぎなかった。
「ハッ、こんな目くらましで!」
「そう、ただの目くらまし」
「っ!?」
全身から
ザンッ──
「……ぐ──」
だらりと垂れさがった右腕から真新しい血が滴る。
深々と斬りつけられた肩を押さえて、グリムジョーは獣のような形相で沙羅を睨みつけ、そして低く笑った。
「はっ……まさかここまでやるとはな」
「あなたが上を目指すのと同じように、私にも負けられない理由があるの」
「……面白れぇ。褒めてやるよ、この俺に本気を出させたことをな」
「!」
ざわりと全身が総毛立つのとその場の空気が震えるのとは同時だった。
見たこともないような高密度の霊圧がグリムジョーの左の手掌に凝縮されていく。それは彼が先程放った虚閃と似ているようで、しかしその質量は全く比べ物にならない。
空気のみならず大地が震え、頭上の木の葉が大きくざわめいた。
「──っ」
幻桜陣では受けとめきれない。放出される方向を瞬時に見定めて、避けるしか──
身をかくす場所を探して振り返った沙羅の瞳に、鮮やかな夕焼けに染まる空座町の町並みが映った。
「
次の瞬間、灼熱の青い閃光が爆風と共に沙羅を包みこんでいた。
*
「……馬鹿な女だ」
立ちこめる黒煙に目を細めてグリムジョーは低く舌打ちする。
風に流され薄れていく煙の中、次第に姿を現した沙羅は地面に片膝をつき肩で息をしていた。その右手には天に向けて垂直に立てられた斬魄刀がしっかりと握られている。だがその刀身が放つ薄桃色の光はほんの一時前と比べて明らかに輝きを失っていた。
「……っは……はぁっ……」
ぽたぽたと地面に赤いしみが広がる。もはや体のどの部分が痛いのかもわからないほどに全身を焼かれながら、沙羅は必死に意識を繋ぎとめていた。
グリムジョーが放った王虚の閃光を沙羅はかわさなかった。否──かわせなかった。
無論あれだけの霊圧がまともにぶつかればただではすまない。だがその危機に迫られているのは沙羅だけではなく、彼女の背後で平穏な黄昏時を迎えている町にも同じことが言えた。
自分がかわせば、町が吹き飛ぶ。また罪なき魂が犠牲になる。
襲いかかる灼熱の閃光を前に、沙羅は頭で考えるよりも早く夢幻桜花を構え、己の全霊力を以て幻桜陣を繰りだしていた。
「まさか本当に受け止めるとは思わなかったぜ」
「……くっ……」
脳天まで貫かれるような激痛をこらえて霞む視界を後方に向ければ、相変わらず鮮やかな赤に染まる町並みがそびえていた。どうやら町への被害は食いとめることができたらしい。
脱力して斬魄刀を握った右手をだらんとおろすと、沙羅は地面に手をついて安堵の息をもらした。
よかった。今度は……護ることができた。
気の緩みに応じてか、ついに夢幻桜花の解放が解かれその色彩を失う。斬魄刀の解放状態を保つだけの霊力すらとうに底をついていた。
「てめえの身だけ護ってりゃまだ闘えたものを──」
音もなく視界に影が落ちる。やっとの思いで首を持ちあげれば、虚ろな瞳にぼんやりと空色が映った。
「わかるか? おまえのその甘さが死を招いたんだ。まァ今更言ってもどうにもなんねえけどな」
す、と目の前の男の剣が上を向く。
「あばよ死神。……楽しかったぜ」
夕日を受けて煌めく刀身が自らに向けて振りおろされるのを、沙羅はどこか他人事のような感覚でぼんやりと眺めていた。
ごめん。
ごめんね。
私はまた、あなたを置いて逝くことになるみたい。
ねえ
叶わぬ願いだとわかってはいるけど
どうせ死ぬのなら、もう一度あなたの腕の中で死にたかったよ──
西に大きく傾いた太陽がその姿を照らしだす。
身を切り刻むまであと数cmというところで動きをとめた剣の切っ先を沙羅は呆然と見つめ、そしていつの間にか視界に割りこんでいた影を見上げた。
純白の衣が風に揺れている。
それは対峙していたグリムジョーのものではなく、その彼と自分の間に入るようにして、見覚えのある白い装束が揺れている。
「てめえ……なんの真似だ」
「…………」
険しい口調のグリムジョーにも、影の主は刃を右手で抑えたまま答えない。
だが沙羅は知っていた。その背中を幾度となく見つめてきた。
「ウルキオラ……」
思わず口をついて出たその名に、反応を見せたのはグリムジョー。
「あァ? なんでおまえが──」
「
その声を遮って静かな低音が響く。
声の主である同僚の顔をまじまじと見つめたグリムジョーは鼻で笑った。
「ハッ……まじかよ? 最近やけに現世に入り浸ってると思ったら、こともあろうに死神にご執心か? 藍染サマのお気に入りのてめえが!」
「退がれと言っている」
ぐいっと剣を押し返してウルキオラはグリムジョーを見据えた。向けられた翡翠の瞳がいつになく熱を帯びている。
「生憎俺はてめえに命令される筋合いはねえ。だが──」
グリムジョーはちらっと沙羅に視線を移して口の端をあげた。
「こんな面白い女を殺すのももったいねえしな。てめえに貸しを作っとくのも悪くねえ。いいぜ、
斬魄刀を鞘に戻しグリムジョーは身を翻した。
「命拾いしたな、女」
振り返りざまにそう呟いたグリムジョーに声をあげる間もなく、その姿は黒腔の中に消えていった。
*
ようやく元の静けさを取り戻した町の片隅で、沙羅は依然として自分に背を向けたまま立っている彼に声をかける。
「ウル……キオラ?」
その存在を確かめるかのように、弱くか細く紡がれた声。だがそれに返る言葉はひどく冷酷なものだった。
「消えろ」
「え……」
「次に会ったときは敵だと言ったはずだ」
振り返りもせずに突きつけられたのは拒絶の言葉。
夕焼けに映える白が遠く霞んだ。
「ウルキオラ……」
地べたに座りこんだ体勢のまま動かない沙羅には気づかれないように、ウルキオラは押し殺していた息をそっともらす。
「……動けないのなら仲間を呼べ」
今はそう告げるのが精一杯だった。これ以上彼女に近づけば、自分で自分を抑えられる自信がない。
グリムジョーが退いたのを見届けてから再度黒腔を呼びだし、そのまま虚圏へ帰還する。そのつもりだった。
……沙羅がその名を呼ぶまでは。
「──シオン……」
空耳だと、そう思った。
彼女がその名を知るはずがないと。
だが振り返ったウルキオラに向けて再び紡がれたのは紛れもなくその名だった。
「
迷いのない澄んだ瞳を、哀しそうに細める沙羅。
なぜ──
なぜ今になって思い出してしまったんだ。
あのまま全て忘れてしまえばよかったのに。
そうすれば、これ以上おまえの哀しむ顔を見ずに済んだのに。
「答えてよ……」
今にも泣きそうな瞳で見つめてくる沙羅から目を逸らしても、なにが変わるわけでもない。
そしてそんな自分の行動が今なお彼女を深く傷つけているのだという事実も。
だめだ
もうこれ以上は
「だから──」
ウルキオラが小さく発した声に、沙羅は一言も聞きもらすことのないよう耳を澄ました。
もう
限界だ……
「だから来るなと言ったんだ…………」
込みあげる想いを必死に抑えつけていた硝子の格子がバリンと音を立てて決壊し、崩れ落ちた。
振り返った翡翠の瞳は哀しみに歪み、ただ沙羅の姿だけを映していた。
***
《Bloom on Twilight…黄昏に咲き誇る》
次話より過去編突入です。