赤い西日が仮面に覆われていない側のウルキオラの半身を照らしだした。
その翡翠の瞳も、漆黒の髪も、なにひとつとして変わらない。静かに響く、その声も。
「……いつ思い出したんだ」
自分に向けられる表情に記憶の中の面影を重ね合わせながら、沙羅はゆっくりと口を開く。
「今朝──あの桜の前で……」
空座町の町外れの公園。一本だけ高く伸びた桜の木。
その雄大な姿は樹齢数百年はあろうかと思わせる──否、あるはずだった。なぜなら遥か彼方の記憶の中でも、あの桜はずっとあの場所に立ち続けていたのだから。
そう、その太い幹に決して癒えない傷を負った……あの日も。
「……紫苑」
もう一度、確かめるように沙羅は呼んだ。
ぴくりと肩を揺らしたウルキオラを見て、間違いではないのだと知る。
今度こそ夢じゃない。彼は確かにここにいる。
百年もの時を越えて。
それは、遠い遠い昔の記憶。
今より百年を遡る過去の話──
*
第一印象は『宝石のような眼をした人』だった。
「本日より防衛軍・第三部隊に配属されることになりました、草薙沙羅と申します。どうぞよろしくお願いいたします!」
百年前──現世。
時はいくつもの党派が天下の掌握をかけて勢力争いを繰り広げる戦乱の時代。
「部隊長の
その中のひとつ、都の治安を護る王都防衛軍に所属する沙羅は、新たな配属先である第三部隊の詰所を訪れていた。
「本部からの報告じゃなかなかに腕が立つそうじゃないか。期待してるよ」
「ご期待に添えるよう頑張ります」
握手と共に力強い頷きを返した沙羅に、部隊長を名乗った萩谷という男性はにこやかに笑った。
「しかしまさかこんな別嬪さんが来るとはなぁ。大の男を一太刀でのす女剣士だっていうからどんな豪傑かと思いきや……あぁ、すまない。別に偏見持ってるわけじゃないんだが」
「いえ、気になさらないでください」
途中で言いよどんだ萩谷に思わず苦笑を浮かべ、首を振る。
女の身でありながら闘いの中に身を置くことに疑問や蔑みの目を向けられるのは日常茶飯事であり、沙羅自身もう十分に耐性ができていた。
それを支えているのは確固たる実力。事実、沙羅に後方援護主体の第九部隊から前線の第三部隊への転属命令が下されたのも、その力量を正当に評価されてのことであった。
「それじゃ改めて、第三部隊へようこそ。まずは隊員たちを紹介するからこっちへ来てくれ」
「はい!」
萩谷に連れられるまま詰所内を案内され、隊員たちと手短に挨拶を交わしていく。
最初こそほとんどの隊員が萩谷と同じように驚きの表情を見せたものの、そこはきちんと指導が行き届いているらしくすぐに笑顔で歓迎の意を表してくれた。
「さて。あとはあいつだけなんだが──」
一通りの挨拶回りを終えた頃、窓から首を出して辺りを見回していた萩谷の背後でガラリと詰所の引き戸が開かれた。
「お、噂をすればだな。こいつが最後のひとりだ。おーい紫苑!」
萩谷の呼びかけに顔を向けた黒髪の男。
その瞳の中で深緑色の宝石が静かな光を放っていた。
「紫苑、今日から配属された新しい隊員だ」
男の瞳に魅入っていた沙羅は萩谷の発した声にはっと我に返り、慌てて頭をさげた。
「この度第九部隊より転属命令を受け参りました、草薙沙羅と申します。若輩者ですがよろしくお願いします!」
先程までの隊員たちとのやりとりの流れで行けば、ここで「こちらこそよろしく」と笑いかけられるか握手を求められたりする。……はず、だった。
「…………?」
一向に返らない返答に沙羅が恐る恐る顔をあげると、目の前の男はそこでようやく声を発した。
「桐宮紫苑だ」
たった一言。
それだけを告げ、男は身を翻して詰所奥の鍛錬場へと姿を消した。
「……え、あ……」
沙羅は半分だけ
「あの、私なにか気に障ること……」
「いやいや、そうじゃない。いつものことなんだよ。あいつは腕は立つんだが愛想がなくてなー。俺も手を焼いてるんだ」
「はぁ……」
ぽりぽりと頬を掻く萩谷に気の抜けた返事を返し、沙羅は扉の奥に消えた背中を見つめた。
第一印象は『宝石のような眼をした人』
そして
『ものすごく無愛想な人』──
*
無事新部隊への配属手続きを済ませた、その翌朝。新人隊員らしく早朝のうちから詰所へ出勤した沙羅であったが、まだ日も明けない時間帯であるにも関わらず奥の鍛錬場から人の気配がした。
足音を殺してそっと引き戸の隙間から窺い見る──と。
(……う)
そこでは沙羅が昨日出逢った中で唯一印象の悪かった人物──桐宮紫苑その人が剣を振るっていた。
相手が相手だけに声をかけるのを躊躇う沙羅が決断するよりも早く、戸の向こう側で彼が振り向く。
「……誰だ?」
「……」
一応気配は殺していたつもりだったのだが、気づかれてしまっては仕方がない。すごすごと引き戸を引いて頭をさげた。
「おはようございます」
「……ああ」
……ってちょっと、「ああ」って。挨拶しているのにその返しはないんじゃないの? それも気心が知れている間柄ならまだしも、昨日が初対面の相手に対して!
などという心情は無論おくびにも出さず、にこりと愛想良く笑ってみせる。
「てっきり一番乗りかと思っていたのに驚きました。桐宮さんはいつもこんなに早くからいらしてるんですか?」
「……ああ」
……もうこの人に話しかけるのはやめよう。
「……お邪魔しました」
「待て」
即刻この場を立ち去ろうと体を反転させた沙羅を紫苑が後ろから呼びとめた。
「はい?」
「俺はおまえの上官でもなんでもない。その話し方はやめろ」
「……え? ですが桐宮さんは──」
「紫苑でいい」
「紫苑さんは」
「紫苑でいい」
「…………紫苑は次の部隊長候補の筆頭だって、昨日萩谷さんから聞きましたけど」
少々苛立ちを含んだ目で見上げれば、紫苑は表情ひとつ崩さずに首を振った。
「候補であろうと今はただの隊員だ」
「──でも」
「普通に話せと言っているだけだ。聞いているこっちが疲れる」
「そんな言い方しなくても……わかったわよ、普通にすればいいんでしょ! これでいい!?」
「ああ」
半ばやけくそになって凄めば当の本人があっさりと頷いたものだから沙羅はやや拍子抜けした。
「これからよろしく頼む」
そんな今更ともとれる台詞を真顔で口にする紫苑に、あるひとつの仮説が湧く。
……もしかして。いやもしかしなくても、これが彼の素なのでは?
「……よろしく」
再び剣の素振りを始めた紫苑をまじまじと見つめつつ、ぎこちなく頷きを返す沙羅であった
*
翌朝。前日よりもさらに一時間早く起床した沙羅であったが、薄闇に包まれる鍛錬場にはやはり人影があった。
「……驚いた。本当に朝早いんだ」
小さく目を見開きながら鍛錬場に足を踏みいれると紫苑は一瞬だけ顔を向けたが、またすぐに素振りを開始する。呆れるほどの愛想のなさだがそれはもう気にしないことにした。
というか彼相手にいちいちそれを気に病んでいたら、この先とてもやっていけないであろうことを沙羅は出逢いから三日目にして悟っていた。
「──ねえ。朝礼までまだ時間あるし、一本相手してくれない?」
自身の刀の手入れをしながら彼の素振りを静観していた沙羅がそう告げると、そこでようやく紫苑は動きを止めた。傍らにかけておいたタオルで汗を拭い、沙羅をまっすぐに見つめ返す。
「女と剣を交えるつもりはない」
「あ。紫苑も偏見持ってる人なんだ。今時そんなの流行らないよ?」
「流行り廃りの問題じゃない。女に剣は振るえない」
「じゃあ戦場で斬りかかってきたのが女だったらどうするの?」
「……そのときは斬るしかない」
「ならその練習ってことで、ね?」
にこりと首を傾げた沙羅に紫苑は拒絶の声をあげようとするが、それは次に彼女が発した言葉によって制された。
「大切なものを護るために闘うのに、男も女も関係ないでしょ?」
「……護る?」
「そう」
向けられた微笑みには微塵の迷いもない。
それが何故なのかは今の紫苑には到底理解しがたかったが、どうやらなにを言っても無駄なようだということは十分にわかった。
「……一本だけだ」
「うん! ──ってちょっと待ってよ」
低く呟いた紫苑に満面の笑みで頷いたものの、その手に木刀が持ち替えられたのを見て沙羅は片眉をあげた。
「木刀じゃ真剣勝負にならないでしょ。そっちにして」
そう言って彼の腰で立派な鞘に収まっている刀を指差す。
「……それこそ勝負にならないぞ」
「ばかにしないで。自分を過信しているわけじゃないけど、そこまで気を遣われるほど弱くもない」
凛とした表情ですらりと抜刀した沙羅に嘆息しつつ、紫苑もまた腰鞘から刀を抜いた。
「そこまで言うなら手加減はなしだ。──来い」
*
キィン!
真剣ならではの小気味よい金属音を響かせて、打ち合った刃の間から火花が散った。
「いい太刀筋だ」
「どうもっ」
ギリギリと押し合って、再び間合いを取る。互いに牽制し合うその中で沙羅はひっそりと歯噛みした。
勝負を始めてまだ数分と経っていないはずなのに、すでに息があがっている。一方の紫苑は汗の一滴さえ流していない。
決して防戦一方というわけではないはずだ。攻めの打ち込みの数はほぼ同等。異なるのはその質。
こと刀と刀での闘いにおいて、攻めの一手というのはそれがより身に迫る脅威であればあるほど、受ける側の心身の疲労は否めない。自分よりも精度の高い剣撃を繰りだす紫苑を相手取る沙羅は、その点でかなりの体力の浪費を強いられていた。
「……そろそろか」
明け方の静寂の中にもらされた小さな呟きに、沙羅が身構えたその直後。紫苑の姿が視界から消えた。
(──右!)
右頬を一陣の風がすり抜け、そこからの沙羅の判断は早かった。だが体の反応が一瞬だけ遅れた。
相手の軌道はうまく塞いだものの十分な力は込められず、打ち合った刀は右手から大きく吹っ飛んで遠く離れた地面に突き刺さった。
「…………」
しばしそのままの体勢で視線を交えていたふたりだったが、やがて沙羅はふっと笑みをこぼして手をあげた。
「参りました。本当に強いのね」
手加減はしないと言ったにも関わらず、彼が最後の一撃で力を抜いてくれたことは言わずとも知れた。根本的な体力の違いを除いても、絶対的な技術の差がある。──完敗だ。
「……いや」
刀を鞘に戻しながら紫苑が低い声音で告げる。
「あそこで受けとめられるとは思わなかった。見事な反応速度だったな」
「え……」
ぽけっと口を開いた沙羅に、わずかに表情を和らげて。
「太刀筋もよく精錬されているし、うちの隊員にも見劣りしない。侮るような言い方をして悪かった」
それが褒められているのだと気づくのには少々時間がかかった。
そしてようやく言葉の意味を呑みこんだところで、無性に嬉しくなった。
「……ありがとう」
花の零れるような笑みを浮かべて、沙羅は嬉しそうに笑った。
*
「手」
次第に朝日が射し始めた鍛錬場内で、沙羅が刀の汚れを拭き取っていると横から紫苑の手が伸びた。
「え?」
「右手を出せ」
「なに──っつ!」
出す前に無理やり持って行かれた右腕にぴりりと痛みが走る。見ると右の肘から手首にかけて真新しい血が滲んでいた。
「あれ? 私いつこんな怪我──」
「……すまない。まさかおまえがあれほどの反応を見せるとは思わなくて剣閃が逸れた」
沈痛な面持ちを浮かべて、慣れた手つきで傷口に血止めを塗りこんでいく紫苑。
彼の言葉から察するに、恐らくは最後の一撃のときに受けた傷だろう。だが気が昂ぶっていたせいかちっとも気づかなかった。
「紫苑が謝ることないじゃない。むしろ良い意味で期待を裏切れてよかった」
笑顔で言ってのける沙羅に、紫苑は彼女の右腕にガーゼをあてがいながら吐息をもらした。
「……本当に変わったやつだな、おまえは」
「沙羅」
「……?」
「おまえじゃなくて、沙羅」
包帯を巻き終えた紫苑は今度はありありと嘆息する。
「そんなことか」
「そんなことじゃないでしょ! ちゃんと名前で呼んで。そうでもしないと紫苑っていつまで経っても名前覚えてくれなそうだもの」
「おまえのようなやつなら嫌でもすぐに覚えるさ」
「……それって良い意味? 悪い意味?」
ギロリと鋭い視線を向けた沙羅には答えずに、薬箱の蓋を閉じた紫苑は颯爽と身を翻した。
「もうじき朝礼が始まるな。そろそろ中へ戻ろう」
「こら! 逃げないでよ!」
「逃げてないだろう。──行くぞ、沙羅」
首の半分だけ振り返って彼は言った。
「えっ、あ……」
初めて呼ばれた自分の名に、一瞬だけ動きをとめた沙羅は
「──うん!」
すぐに笑顔になってその後を追った。
第一印象は
『宝石のような眼をした人』
それから
『ものすごく無愛想な人』
第二印象は
『本当はちょっとだけ、優しい人』──
***