「しーおーんー!」
就業時間後、荷物片手に詰所をあとにする紫苑を背中から声高らかに呼びとめる人物がいた。
彼相手にそんな気安い振る舞いができる者は第三部隊の中でもそう多くはない。
「沙羅……その子供のような呼び方はやめろ」
「照れなくてもいいじゃない。ねえ紫苑、あの店行きたい!」
紫苑の眉間に深々と刻まれた皺など気にもとめず、沙羅はけろりと言ってのける。
「あの店……鍛冶屋か?」
「うん。今日予定ある?」
「いや。すっかり気に入ったみたいだな。じいさんも喜ぶ」
薄く笑みをもらした紫苑は、どこか嬉しそうに頷いて誘いに乗った。
*
「こんにちはー!」
「おや──これはこれは。こんなにすぐ再訪してくれるとは思わなんだよ、沙羅さん」
意気揚々と店先の暖簾をくぐった沙羅を、鍛冶屋の店主は笑顔で出迎えた。
「名前覚えてくださったんですね」
「ほっほ、当たり前じゃろう。なんせお主は紫苑の──」
「……俺のなんだ?」
「おや。おまえさんもおったのか。つまらんのぅ」
沙羅のあとを追うようにして店内に足を踏みいれた紫苑に、刀鍛冶は口惜しそうに嘆息しつつもすぐに含みのある笑みを浮かべてぼそりと耳打ちする。
「して、どうじゃ紫苑。その後の進展は?」
「……だからなんの話だ」
わざわざ手まで添えて耳打ちした割には声はしっかり沙羅の耳まで届いている。
楽しんでいるとしか思えないあからさまな小芝居にそれこそ本物のため息をもらしながら、紫苑は絶対にここへ沙羅をひとりでは来させまいと心に決めた。このお節介な老人になにを吹きこまれるかわかったものじゃない。
しかしそんな紫苑の杞憂を知ってか知らずか、当の沙羅は傍らでくすくすと笑ってその姿を見ている。
沙羅がここへ来たがるのは、他に類を見ないこの有能な刀匠の作品に触れたいのはもとより、その刀匠にまるで子供のようにあしらわれる紫苑を見ていたいというのも本音であった。
「うむ……手入れは怠っていないようじゃの。丁寧に磨かれておる」
沙羅の刀に指を滑らせて、刀鍛冶はその刀身をしげしげと見つめる。
「だが刃の老朽がひどい。もうずいぶん長いこと使いこんでいるのでは?」
「はい。剣術学校にいたときからずっと使っている刀なんです」
「物持ちがいいのは結構じゃが、形ある物にはなんでも耐用年数というものがある。こればかりはどうにもならんからの。そろそろ替えどきかもしれんな」
「そうですよね……」
難しい顔つきで愛用の刀と睨めっこしている沙羅をよそに、壁かけの剣鞘を眺めていた紫苑は刀鍛冶を振り返った。
「じいさん。この木鞘、新しく削ったものか? 素材は?」
「おお、さすが目が利くな。五十年物のクダヒノキで作った鞘じゃ。樹脂が染みこんでおるから刀の収まりが良く、刃こぼれもせんぞ」
「そうか。これを貰おう」
「毎度」
決して安いとは言えない代金の支払いを事も無げに済ませる紫苑を、沙羅はあんぐりと口を開けて見つめる。
「……どうした?」
「え、ううん。なんでも」
やはり次期部隊長を囁かれるほどの人材となれば、待遇もそれ相応に異なるのだろうか。
自らの給料
「じゃあまた来ます! お邪魔しました」
「ああ、いつでもおいで。できれば次はひとりでな」
「……じいさん、黙ってろ」
鍛冶屋をあとにした帰り道、沙羅と紫苑はとりとめのない話をしながら家路を辿っていた。
ときに屈託なく笑い、ときに子供のようにからかい合って。
出逢いから一ヶ月。日を追うごとに距離を狭めるふたりは、時間があればこうして言葉を交わし互いに理解を深めるようになっていた。
「そうだ、沙羅」
「ん?」
「明後日の公休日は空いてるか? もし時間があれば──」
表情は変えないもののどこか声を上擦らせている紫苑に沙羅は「あー……」と眉尻をさげる。
「ごめん、明後日はだめなの。剣術学校時代の友達が誕生日のお祝いしてくれるって言うから」
途端に黙りこむ紫苑。気を悪くさせたかと焦る沙羅をよそに彼はぽつりと反復した。
「……誕生日?」
「うん」
「誰の」
「私の」
沙羅の目をまじまじと覗きこんで、再びたっぷり数秒間沈黙する。
「……いつ」
「だから、明後日」
三度、沈黙。
「……なぜそれを早く言わない」
「え? いけなかった?」
まるで自覚のない面持ちで首を傾げる沙羅に思わず吐息がもれる。いや、はっきりと自覚されていてもそれはそれで困るのだが。いずれにしろこれは由々しき事態だ。
「……鍛冶屋に忘れ物をした。ここで待ってろ」
「え? ちょっと、紫苑?」
沙羅が呼びとめる間もなく紫苑は身を翻してもと来た道を引き返した。
「……断ったのまずかったかな……?」
若干見当違いの方向で反省を深めつつ、なすすべもなくその場でぽつんと立ち往生する沙羅。
数分後、息を切らして戻ってきた紫苑は先程購入した鞘以外にこれといって荷物が増えた様子はなく、なにを忘れたのかと問えば巧妙に話を逸らされた。
「明後日は都合が悪いんだったな。それ以外で空いてる日はないか?」
「仕事のあとならいつでも平気だけど」
「じゃあ金曜の夜だ。空けておけ」
「はーい。……ふふっ」
「?」
急に吹きだした沙羅に紫苑が不思議そうに眉をひそめれば、沙羅はますます可笑しそうに肩を揺らした。
「ごめん、今更なんだけど。紫苑っていつも偉そうだなぁと思って」
「……悪かったな」
「別に悪い意味じゃないってば。ただあのおじいさんの前だと子供みたいなのに、あまりにギャップがあるから面白くて」
「あれはじいさんが勝手にガキ扱いしてくるだけだ」
むっと唇を引き結ぶさまは途端に彼を幼くさせる。
そういうところが面白いんだけど、と口には出さないながらも沙羅が笑いを噛み殺していると、横から伸びてきた長い指にふにっと頬を引っ張られた。
「……いい加減そのにやついた顔をやめろ」
「いひゃい!」
身をよじって逃れようとしたがさすがに力では敵わない。と、思いのほか伸びた頬を見据えた紫苑がくっと喉を鳴らした。
「おまえのほうがよほど面白い顔をしてるんじゃないか?」
「ちょっ……面白いとはなによ!」
「おまえが言いだしたんだろう」
「だったら紫苑も同じ顔に──あっ逃げないでよ! こらー!」
戯れるふたりの背中を追いかけるように、赤い夕日が辺りを照らしていた。
*
迎えた金曜の夕刻。先に仕事を終えた沙羅は、詰所の前に座りこんでいまだ帰らない約束相手の姿を待ちわびていた。
ふと気配を感じて路地に目を向けると、長身の影が視界の隅に映った。茶色がかったその髪色にすぐに待ち人ではないと判断したものの、その人物の姿をはっきりと捉えるなり沙羅は腰をあげた。
「杉原さん」
良し悪しは別として、何分印象が強い相手だっただけに名前ははっきりと覚えていた。
「ああ君か──桐宮はいるか?」
「いえ。まだ公務から戻っていませんが」
首を振ってそう告げると杉原はこちらにも聞こえるような大きさでちっと舌打ちする。彼がひどく苛立っているのは一見して見てとれた。
「あの、中でお待ちになりますか? 伝言でもよろしければ私が伺いますが」
ピリピリした空気に居心地の悪さを感じながらも尋ねれば、杉原は「いや」と首を振った。そうしてゆっくりと首を巡らせ、また沙羅をあの値踏みするかのような視線で眺めおろす。
「……君は桐宮と親しいのか?」
「親しい、かどうかはわかりませんが……少なくとも私は同じ部隊の隊員として信頼しています」
どうしてそんなことを聞かれなければならないのだろうと憤りを感じつつも、慎重に言葉を選んで沙羅は告げた。この男に胸のうち全てを明かす気などさらさらない。
「同じ部隊の、か。よもや君がいるからなどと言うのではないだろうな……」
「え……?」
低く押し殺したような声音で杉原が呟く。その鋭い視線は沙羅を通り越してその後方に向けられていた。
「桐宮──」
杉原の声につられて背後を振り返ると、公務を終えたらしい紫苑がこちらに向かって歩いてくるところだった。
「杉原……なんの用だ?」
眉ひとつ動かさずにふたりの前まで来た紫苑は、困惑した面持ちの沙羅をさりげなく背後に庇うように立って杉原と対面する。だが対する杉原もそれに怯むことはなかった。
「君は私をばかにしているのか」
「なんの話だ」
「とぼけるな。うちの部隊への誘いを断ったそうじゃないか。貴様……なにを思いあがっている」
それを聞いた紫苑はなんだそのことかとばかりに短く嘆息してみせた。
先日沙羅にも話した通り、第一部隊への転属の誘いを紫苑はきっぱりと断っていた。とはいえもう
「なにも思いあがってなどいない。俺には第三部隊のほうが肌に合っていると思っただけだ」
「それが思いあがりだと言っているんだ。貴様ごときに所属部隊を選ぶ権利があると思うな。上から転属命令が下ればその意のままに動く、それが部隊の駒たる隊員の務めだ」
杉原の言うことはもっともだが、別に第一部隊への転属を強いられたわけではなかった。ただ「その気があるなら手を回す」との働きかけがあっただけで、そこで嘘をつく理由もなく、紫苑は素直に第三部隊に留まりたい旨を伝えていた。だからこそ話が表沙汰にならずに済んだのだ。
そもそもエリート揃いの第一部隊への転属志望者なら掃いて捨てるほどいる。ならば乗り気でない自分よりもその者たちにチャンスを与えるほうがずっと有意義だと、紫苑は客観的にそう考えていた。
だがそれを杉原に理解させるのは少しばかり難しそうだ。
「なぜそうまでして第三部隊に執着する? 女がいるからか?」
頭に血がのぼった杉原は蔑むような眼差しで紫苑を睨みつけ、同じ視線を沙羅にもぶつける。
「言葉を慎め。彼女はなにも関係ない」
「はっ! あれだけ他人には無関心を貫いていた君がずいぶんな熱のあげようだな? 失望したぞ桐宮。たかが女ごときで──」
キン。
杉原が全てを言い終える前に、紫苑の腰元で金属音が響いていた。
左手の親指で刀のつばを持ちあげ柄に手をかけた紫苑は、鋭い眼光で杉原を見据えている。
「紫苑! なにを……」
「俺のことならなんと言おうと構わん。だが彼女を侮辱することは赦さない。おまえに彼女を語る口はない」
驚愕の声をあげた沙羅を無言で制し、杉原に向けて冷やかな声を紡ぐ。
「やれるものならやってみろ。同胞への抜刀は極刑だぞ?」
「ならば試してみるか?」
腰を低く落とし抜刀体勢を取った紫苑に、最初こそ余裕の笑みを浮かべていた杉原の表情はすぐに崩れた。目の前の男が放つ殺気が決して偽物ではないことを、ビリビリと震える空気が肌を通して訴えかけてくる。
「……調子に乗っていられるのも今のうちだ」
苦虫を噛み潰したような表情で杉原は去っていった。その後ろ姿が完全に路地の奥に消えたのを見届けて、沙羅はほうっと押しこめていた息を吐きだす。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない! あんな冗談やめてよ。心臓に悪い」
刀を抜こうとしたのは決して冗談ではなかったのだが、それを明かせばまた沙羅が騒ぎかねないと判断した紫苑は「すまない」と目元を和ませた。
「不快な思いをさせて悪かったな。さて──日が落ちる前に行くか」
「どこに?」
「……そろそろいい頃合いのはずだ」
沙羅の問いにそれだけ返した紫苑は、ゆっくりと歩きだした。
*
夕焼けを背景に薄桃色に色づく花を無数に散りばめるその姿はまさに圧巻だった。
桜の木の根元から大きく上を仰いだ沙羅は、しばし息をするのも忘れてその美しさに見惚れた。
「綺麗……! もう咲いてたんだ」
「ああ。今朝開花したばかりだ」
即答を寄こす紫苑になぜそこまで知っているのだろうかと不思議そうな視線を送れば、彼は慌てた様子で付け加える。
「今朝たまたまここを通ったら咲いているのが目についただけだ。昨日はまだ咲いていなかったから──いや、昨日も偶然通る機会があって……」
まるで弁解するような口調の紫苑に、もしかしたらあの約束を交わした日以来こまめに足を運んでいてくれたのではないかと思うと胸がくすぐったい気持ちでいっぱいになった。
そのままこれといって言葉を交わすわけでもなく桜の花を眺めていたふたりだが、日も沈みかけた頃紫苑はおもむろに口を開いた。
「沙羅──おまえの闘う理由とはなんだ?」
「え……?」
「以前言っていたろう。大切なものを護るために闘っていると。おまえにとってその大切なものとはなんだ?」
その問いに沙羅は表情を和らげた。
「たくさんありすぎて一言じゃ言い表せないな。生まれ育ったこの町も大切だし、家族も友達も大切。もちろん、部隊のみんなもね」
言いながら後方に広がる町並みを振り返る。
「護るために闘うなんて矛盾してるかもしれないけど、争いの絶えない今の世の中じゃ力のない人たちはただ虐げられるだけでしょう? だから強くなりたいと思ったの。刀一本振るい続けることで護れるものがあるのなら、それがどんなに小さなものだとしても、私は闘いたい」
そう語る沙羅の瞳には力強い意志が満ちていて、それを見つめる紫苑もまた自然と口元が綻ぶ。
「おまえらしいな」
「紫苑は? どうして闘っているの?」
逆に問いを投げかけられて紫苑は返事に窮した。一度は緩んだ表情を引きしめて、「俺は……」と低く沈んだ声を吐きだす。
「俺は戦で家族を失った。まだ物心ついて間もない頃だ。……だからだろうな。ガキの頃からずっと戦を憎んでいた。防衛軍へ入隊志願したのはその復讐だ。おまえのようになにかを護るためだのという大義は持ちあわせていない」
「そう? 家族を失った苦しみを知っているからこそ、自分と同じ境遇の人を生みださないために闘っているんでしょう」
「そんなできた人間じゃない」
「ううん。ずっと見ていればわかる。紫苑は奪ったり傷つけたりするために刀を振るうような人じゃない」
微塵の迷いもなく言いきった沙羅の台詞に柄にもなく心が弾むのを感じながら、紫苑は小さく笑みをこぼした。
彼女の言葉はどうしてこうも自分の心を掴んで離さないのだろう。その理由は紫苑本人が一番よく理解していた。
「……どうだろうな。ただ今の俺に唯一護りたいものがあるとすれば、それは──」
ざあっと風が舞い起こり、ふたりの頭上から桜の花弁を散らす。
そして鮮やかな色彩に包まれる沙羅に向けて紫苑はまっすぐに告げた。
「それはおまえだ、沙羅」
「……私って護られるほど弱い?」
「人の告白を茶化すな」
はっきり「告白」と口にすれば沙羅は頬を桜の花と同じ色に染めて押し黙った。
「おまえの話を聞いてからずっと考えていた。俺にとって護りたいものとはなんなのか」
地平線の果てに姿を消した太陽に代わって、青白い光を放つ月が桜の大木を見上げる紫苑の横顔を照らす。淡い月明かりを帯びた翡翠の瞳が一層輝いて見えた。
「……いくら考えても思い浮かばなかった。家も家族も失って孤独になった俺に、今更大切なものなどない。護るものなどあるはずがないと」
そこまで告げて再び視線を沙羅へと戻す。
「だがそれもおまえといるうちに少しずつ変わった。初めて自分以外の存在を大切だと思った。……おまえを護りたいと思った」
熱のこもった眼差しには確かな想いが含まれていた。
「ありがとう……」
恥ずかしくて、でもその何倍も嬉しくて。素直な気持ちを言葉に乗せれば紫苑は小さく首を傾けた。
「それは肯定と受け取っていいのか?」
「……それくらい察してよ」
「俺の勘違いでは困る」
困るどころかこちらの反応を楽しんでいるような余裕すら覗かせる紫苑に悔しさを覚えつつ、この状況では敵うまいと沙羅は観念して頷いた。
「……好き。私は紫苑のことが大好き、です」
「…………」
「な、なに」
「いや……そこまで言われるとは思ってなかった」
「なっ……」
驚いた様子で頬を掻く紫苑に沙羅の頬はますます紅潮した。
「そっちが言えって言ったんじゃない! なによその言い草は! もう知らないっ」
泣きそうになってそっぽを向いた横顔に、思わず笑みがこぼれる。
「悪かったよ……怒るな。おまえがあんまり嬉しいことを言うから驚いたんだ」
言いながら近づいて、そっと後ろから腕を回した。途端にこわばる小柄な体が少しでも安心するようにと、極力優しく抱き締める。
「沙羅」
ぴくっと反応した赤い耳に今にも触れそうな距離まで唇を寄せて、紫苑ははっきりと告げた。
「俺におまえを護らせてくれ。これからずっと──」
*
桜の木の根元に並んで腰をおろしたまま、想いを通わせた恋人たちは飽くことなく話し続けていた。
「不思議なものだな。おまえを護ろうと思ったら、急に大切なものが増えた」
「例えば?」
「なにも沙羅ひとりを護ればいいわけじゃないだろう? おまえが大切に思ってるものも全て護ってやりたい」
「……ありがとう」
さも当然のように言う紫苑の想いが嬉しくて、沙羅は柔らかく瞳を細める。
「それなら紫苑の大切なものは私が護ってあげるからね」
「だからそれがおまえだと言ってるだろう」
「う……じゃあ私はどうすればいいの?」
困り顔の沙羅に紫苑は「そうだな」と考えこむそぶりを見せて。
「戦のときは安全な場所に避難してくれ」
「えー! なにそれ! 嫌よそんなの。護り甲斐ない!」
途端にむすっと膨れるその仕草があまりに予想通りだったので、紫苑はこらえきれずに笑った。
決して冗談で言ったわけじゃない。大切に想う女性が戦場で刀を振るって、心中穏やかな男はいないだろう。敵の凶刃がいつ何時その身を脅かすかわからないのだ。
他のなにを置いても沙羅だけは護りたいと願う紫苑にとって、彼女が戦線を離れてくれることは最大の望みとも言えた。無論それを大人しく受け入れるような性格ではないことは重々承知しているが。
「……惚れた弱みか」
「なにが?」
「いや」
首を捻った沙羅の頭をぽんとやって、紫苑はおもむろに荷物の中から縦長の木箱を取りだすと沙羅の前に横たえた。
「なに?」
「少し遅れたが……誕生日祝いだ」
「ええっ! 私に!?」
「……驚きすぎだろ」
目を丸くした沙羅がおっかなびっくり木箱の蓋を開けると、中には一振りの刀が納められていた。
沙羅が緊張気味に刀の柄に手を伸ばすと、それは驚くほどしっくりと右手に納まった。丈夫な造りの鞘からすらりと抜き放たれた刀身は、月明かりを浴びる桜を映して淡い薄桃色に輝いている。
「紫苑……この刀」
「じいさんに打たせた。久々に満足できる一本に仕上がったそうだ」
紫苑がそう告げなくとも、この歪みひとつない精巧な刀身を見ればあの才気溢れる刀匠の作品に違いないことはすぐに知れた。
「……皮肉なものだな。護ってやるなんて豪語しておきながら、おまえに贈るものといったらこれしか思い浮かばなかった」
自嘲の笑みをこぼす紫苑を沙羅はぎゅっと刀を握りしめたまま見上げる。
「何度も言うが俺はおまえに刀を振るってほしいわけじゃない。だが──なにを言ってもおまえは闘うことをやめないだろう?」
「……うん、やめない。私だけ闘いから逃れて安穏と暮らすなんて落ち着かないもの」
「だろうな。それならせめて、おまえは自分の身の安全を一番に考えてほしい。俺もいつも傍にいてやれるわけじゃない。だから、そのときはこの刀で──」
歯痒そうに顔を歪める紫苑が、それだけ自分の身を案じてくれているのがわかって胸が締めつけられた。
ならば少しでも彼が安心するように、と沙羅は力強く頷いてみせる。
「大丈夫。自分の身は自分で護るから。心配しないで」
「ああ……」
それでもまだ顔をこわばらせたままの恋人にそっと手を重ねて沙羅はふわりと笑った。
「それじゃあ私は、紫苑の笑顔を護るね」
「……どうやって?」
「私が隣にいれば笑顔になるでしょ?」
満面の笑みでそう言い放った沙羅に紫苑は思わず破顔した。
確かに。
こんなにも自分を笑顔にさせてくれる存在など、世界中のどこを探しても彼女しかいない。
「言ったからには護りぬけよ」
「任せて」
重ねられた手を掴んで細い体を引き寄せる。
桜の枝の隙間から射しこむ月光が腕の中の彼女を照らして、ただ純粋に「綺麗だ」と、そう思った。
濃紫に輝く澄んだ瞳も、桜色に染まる頬も、緩い弧を描く唇も、なにもかも。胸にこみあげてはあふれでる愛しさをとめるすべなど知らなかった。
誰にも傷つけさせるものか。
必ず護ってみせる。
自分の中に初めて芽生えた感情に誓いを立てて、紫苑は瞼を閉じた沙羅にそっと口づけた。
朧月の光がいつまでも優しくふたりに降りそそいでいた。
***
《Oath…誓い》
遠い昔の、愛しき日々。