「…………で、おまえらは現世になにしに行ってやがったんだ?」
現世での任務から戻ったその翌日。
ピクピクと額に青筋を立たせている十番隊隊長に頭をさげながら、沙羅は隣で同じように丸くなっている乱菊をぎろりと睨んだ。
(……信じられない! よりによって報告書を忘れてくるなんて!)
(だってぇ……買い物に夢中で任務のことなんてすっかり頭から抜けてたんだもん)
(そんなの言い訳になりません! 今回の調査結果が全部書いてある重要書類でしょ!?)
(大丈夫だって。どうせ一般人には見えないんだし、誰にも見つかりゃしないわよー)
小声でぼそぼそとやっているところにドン! と机を叩く音が響き、ふたりは揃って肩を震わせる。
「とっとと戻って取ってこい!」
「ええー! また現世に行くんですかぁ」
唇を尖らせて、さも面倒そうな顔をする乱菊。
「もう買い物は十分したし、今さら行ってもねぇ……」
「……松本」
日番谷の眉間の皺がいっそう深くなるのを見てとって、沙羅は乱菊の横腹をどついた。
冗談じゃない。ただでさえ気が短いこの十番隊長を、これ以上怒らせたらどうなるか!
そんな重苦しい空気が流れる中、背後の隊首室の扉が慌ただしく叩かれた。
「失礼いたします! 日番谷隊長はおいでですか!」
「ああ……なんだ」
すぐさま扉を開き膝をついた隊士は、緊迫した様子で告げる。
「たった今、虚退治の任についていた第四部隊から緊急の伝令が入りました。目標である虚の魂葬には成功したものの、帰還途中で別の虚と遭遇。
「あら、それは大変! 隊長、救援部隊の編成はあたしに任せてください。んじゃ失礼しまーす!」
「ええっ!? ちょっ、乱──」
呼び止めるよりも早く、乱菊は隊士を引き連れそそくさと隊首室から飛び出していった。
「……はぁ」
「……」
ぽつん、とふたりだけ取り残された隊首室に、日番谷の溜め息が響く。
恐る恐る顔をあげると、さも申し訳なさそうな表情の日番谷と目が合った。
「悪りぃな、草薙……」
「………………」
──ああ、とんだとばっちりだ。
がっくりと肩を落とす沙羅であった。
*
「もー! なんで私が探さなきゃいけないのよ! 乱菊め、帰ったら絶対おごらせてやるんだから……」
ぶつぶつと小言をもらしながら沙羅は現世を徘徊していた。
右手には乱菊から手渡された「現世で行った場所リスト」が握られている。
そこには一体どうすれば三時間でこれだけの店を回れるのかと目を疑いたくなるほどの数の店名がびっちりと書きこまれていた。
こんなリストを作る暇があるなら自分で探して来い! と思うのだが、今さら文句を垂れても遅すぎる。乱菊にはまんまと逃げられた。
そんなこんなで、不貞腐れつつも仕方なくリストにあがっている店を片っ端から調べている沙羅なのであった。
……それにしても。
「……どこにもないじゃないの」
目につく場所をしらみつぶしに探すものの、報告書はいっこうに見つからない。
そのまま全ての店を探し終え、とうとうリストの最終地点──沙羅と乱菊が合流したあの公園まで辿りついたところで、沙羅はぽつんと途方に暮れた。
「……ない。ない! なぁーいっ! 乱菊ってばどこに落としたのよー!」
霊体であるのをいいことに周囲も憚らず大声で喚きちらす。
朝から晩まで身を粉にして探し回ったというのに切れ端のひとつも見つからないなんて。そりゃあ叫びたくもなる。
……というのはあくまで独り言のつもり、だったのだが。
「──相変わらず騒々しいな」
どこか聞き覚えのある声が響くと同時に、頭上で木の葉のさざめきが起こった。
「あ──」
桜の大木の頂上近くに見える白い影。
思わず口を開いたものの、呼ぶべき名を知らないことに気づき沙羅は「昨日の」とだけ告げた。
「昨日と違って今日はずいぶんと熱心だな」
一日中現世を駆けずり回ったおかげでヘロヘロになっている沙羅の姿を破面は物珍しそうな眼差しで見おろしている。
「“昨日と違って”は余計よ。いつも熱心です」
「なにか探しているのか」
「え? あ、別になにも?」
あははと笑いながら首を横に振るものの、視線は思いっきり明後日の方向に泳いでいる。
そんな沙羅を破面の男は不審なものを見るかのような目つきでじっと見据えていた。
……まずい。
いくら敵意が感じられないとはいえ、相手は破面。尸魂界に敵対する存在だ。
「大事な任務の報告書をなくしちゃったんだけど、見なかった?」なんて、口が裂けても言えるわけがない。
それを万が一にでもあの十番隊の隊長に知られてみろ。ただでさえ多い眉間の皺の本数が5割増しになること間違いなし、だ。(まだ若いのに)
だから知られてはならない、絶対に!
「そうか──ならばこれは必要ないんだな?」
男が抑揚のない声でそう呟くのと同時にぱらりと一枚の白い紙が降ってきた。
「え……ああっ! これ!」
紙の上の見慣れた文字と文面に、沙羅はわしっと紙を引っつかんで奇声をあげる。
「現世の霊圧の分布状況、虚の出没頻度、そこから想定される破面の個体の数。──よく調べてあるな」
「あ、あの……」
よくよく見上げれば男の手にはまだ数枚の紙が握られており、興味深そうに紙面に目を落としている。
……なんてことだ。
そもそもこれは破面に対抗するために作られた資料。それを当の破面に知られてはまったくもって意味がない。
十番隊長の鬼の形相が脳裏に浮かび、沙羅はくらくらと頭を押さえた。
「あの……これは、その……」
「案ずるな。よく調べてあるとは言ったが──この程度のことをわざわざ藍染様に報告するまでもない」
必死に言葉を探す沙羅とは対照的に、破面は表情ひとつ変えずにそう告げて残りの報告書も彼女のほうへと放る。
「わ! …………本当に?」
「ああ。いずれにせよおまえたち死神に勝ち目はないだろう」
ばら撒かれた報告書をかき集めていた沙羅はその言葉に顔をあげた。
「……なによその言い方。そんなのやってみなくちゃわからないでしょ」
「ではやってみるか?」
唇を結んで強気な視線を向ける沙羅に、男は不意にとん、と木の上から降り立つと正面から向き合った。
初めて
初めて、その顔を間近で見た。
割れた仮面の下から覗く素顔からは感情は読み取れない。
だからこそ余計に、表情を映しださないその中で一点の光を放つ翡翠の瞳が際立って見えた。
互いに一歩も
先に口を開いたのは沙羅だった。
「……やらない」
「怖気づいたか」
「そうじゃない。ただ、あなたと闘う理由はない」
仮面の下の瞳を見据えて首を振る。
「俺は破面だ」
「でも悪い人じゃない」
そう告げると男はあからさまに怪訝な表情を浮かべた。
まるで意味がわからない、とでも言いたげに。
それでも目は逸らさない。
なんとなく、逸らしたら負けのような気がしたから。
そのまま再度視線が絡まり、やがて破面は諦めたように目線を落とした。
「……おまえのような死神は初めてだ」
「それって誉めてるの?」
「さあな」
とりあえず否定はされなかったので、肯定として受けとっておくことにした。
多分この男を相手にするのならそういう捉え方で問題ないと思う。
「──探し物はそれで全部か?」
「ああ、うん」
男の問いかけに手の中の紙の枚数を数えれば、ちょうど乱菊から聞いた報告書の数と一致した。
報告書紛失の汚名はなんとか免れそうだ。
そう息をついたのも束の間。
「ならばもう用はないな」
「あ──待って!」
男がふわりと白い装束を翻して去ろうとするのを慌てて引きとめる。
「あなた、名前は?」
その声に首だけ振り向いた彼は真顔で問い返した。
「報告書に書くのか?」
「そんなわけないでしょ。名前も聞いちゃいけないの?」
「…………ウルキオラ」
「ウルキオラ?」
「ああ」
男が頷いたのを確認してから、沙羅はにこりと笑顔を向けた。
「そっか。ありがとうウルキオラ。このお礼は必ずするから」
「……敵に礼をするのか?」
「敵にじゃなくて、あなたにするって言ってるの。文句ある?」
挑戦的な口調でそう言えば、ウルキオラはしばし黙りこんで。
小さく「いや」と首を振った。
「じゃあねウルキオラ。本当にありがとう」
報告書をぴらぴらと振りかざして手を振るとどこか物言いたげな視線とぶつかった。
「……え? なに?」
「人に名を聞いておいて、自分は名乗らないのか?」
「あ」
言われてみればもっともだ。
沙羅は苦笑を浮かべて非礼を詫びる。
「そうだよね、ごめんなさい。私は沙羅。草薙沙羅」
その、瞬間。
これまで一度として揺らぐことのなかったウルキオラの表情に、初めて動揺の色が浮かんだ。
「……どうしたの?」
「──なにがだ?」
「なにがって」
なんでそんな顔──
そう言おうと口を開いたときには、もういつもの彼の表情に戻っていた。
「……あれ?」
「だからなんだ」
「えーと……ううん。なんでもない」
錯覚かな、と首を傾げていると目の前の彼からふっと息がもれた。
「つくづく変わった奴だな」
……あ。
笑った。
初めて笑った。
愛想のない人と思ってたけど、なんだ。
笑えばいい顔してるじゃない。
「変わってるのはお互いさまでしょ」
そう言いながらもなんだか嬉しくなって笑い返した。
破面と呼ばれる存在に対して、これまではただ「敵」としての認識しか持っていなかったけれど。
彼のような人がいるのなら、もっと知ってみたいとも思った。
そうすれば、いつの間にか敵同士として線引きされてしまった「死神」と「破面」という枠組みを越えて、少しは歩みよることができるのかもしれない。
この終わりの見えない争いを、終わらせることができるのかもしれない。
絵空事だとわかっていてもそう願わずにはいられなかった。
そう思わせるほど、目の前のウルキオラという破面に興味を抱いている自分がいた──
*
「失礼いたします。十三番隊第七席草薙沙羅、日番谷隊長へ先の任務のご報告をいたしたく──」
ノックと共に扉を引いた十番隊の隊首室の中では、乱菊が茶菓子片手にお茶をすすっているところだった。
その彼女は沙羅の姿を見てとるなり、目にも止まらぬ速さで茶菓子を片づけ書類の山ができている日番谷のデスクに顔をうずめる。
「あら沙羅、お帰りー! 隊長なら今隊首会に出席してるわよ。あたしはね、見ての通り隊長の書類整理を手伝ってるトコ! もうやってもやっても減らなくて参っちゃうわ。あっ、今はちょーっと息抜きしてたんだけどね?」
「ふぅん……大変そうね」
乱菊の息抜きの度合いはテーブルの上に散乱している大量の茶菓子のクズが物語っている。
「そうなのよーやっぱ副隊長も伊達じゃないわね。で、どうだった? 報告書は見つかった?」
つい先日「副隊長はラクでいいわよ~」と熱弁していたのは誰だったろうか、と思い返しながら沙羅は報告書の束をどさっとデスクの上に置いた。
「きゃーっ! ありがと沙羅、恩に着るわ!」
「お礼ならウルキオラに言ってよね」
「え? 誰?」
「なんでもない!」
その後もなにかとゴマをすってくる乱菊に苦笑を返しつつ、帰ってきた日番谷に報告を済ませると、沙羅は自室に戻りベッドに沈みこんだ。
なんだかんだ言って一日中現世を駆けずり回った疲れはしっかりたまっていたらしい。
ごろんと仰向けに寝転がると、沙羅は瞬く間に夢の世界に落ちていった。
*
目を開くとそこは辺り一面真っ白な世界だった。
視界は深い霧にさえぎられ、数m先ですらもう見えない。
これとまったく同じ光景をつい最近にも見た気がする。
『……沙羅……』
……ああ、そうだ。この声。
現世で見たあの夢の声だ。
哀しそうに私の名を呼ぶこの声を、私は知っている。
知っているのに……思い出せない。
その人の顔も、名前も。
『沙羅……』
ねえ、あなたは誰なの?
どうしてそんなに哀しそうに私を呼ぶの?
返事をしたくても声が出ないの。
体も重くて動かない。
あなたの声に応えたいのに──……
月明かりが射しこむ夜の
***
《Smile inside of the Mask…仮面の下の微笑み》
初めての微笑み。