Dear…【完結】   作:水音.

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第19話 Two Men ―ふたりの男―

 清音に引きずられるように瀞霊廷(せいれいてい)へ帰還した沙羅は、そのまま強制的に救護詰所へと連行された。

 

「姉さん! 姉さんいる!?」

 

 夜も更け人もまばらな詰所にズカズカと踏みこむなり声を張りあげた清音に、奥の控え室から呆れ顔の姉──虎徹勇音が姿を見せる。

 

「清音、詰所では静かにって何度言えば……沙羅ちゃん!? どうしたの!」

「すみません勇音さん……ちょっとドジっちゃって」

 

 辛うじて身を覆っていると言っていいすりきれた死覇装姿の沙羅に、妹を超える金切り声をあげた勇音は顔色を変えて駆けよった。

 

「ひどい怪我……すぐに治療するから横になって!」

 

 勇音に言われるまま死覇装を脱ぎ、診察台に寝そべりながら沙羅は苦笑した。

 つい数日前までここに入院していた身でありながら、また世話をかけることになるなんて。本当に情けない。

 冗談ではなく隊長のことばかり言っていられないな、と胸中で吐息をもらした。

 

 *

 

「……うん、これでもう大丈夫。最初見たときは驚いたけど、すぐに手当てしてあったおかげで傷口の炎症は防げたみたい。この分ならすぐに良くなるわ」

「ありがとうございました」

 

 思いのほか短時間で済んだ治療のあと、新しい死覇装に袖を通して深々と頭をさげる沙羅に首を振りながら、勇音は治療の最中気にかかっていたことを問いかけた。

 

「それより、よく自分でこれだけの処置ができたわね」

 

 もうほとんど痕すら残っていない傷口を見て、改めて感心する。

 皮膚組織を破壊せずに霊圧を注ぎこんで傷口を塞いだ鬼道の腕前ももちろんだが、その霊圧を崩さずして、なおかつ一切の無駄なく巻かれている止血帯と包帯の使い方もまた見事なものだ。治療を専門とする四番隊の中でも、自力でこれだけの的確な処置を施せる隊士はそうはいまい。

 純粋に感服と称賛の気持ちでそう告げた勇音だが、それを受ける沙羅は曖昧な笑みを返すばかりだった。

 

「さて沙羅、治療も終わったことだしこれ以上遅くならないうちに帰るよ! 部屋まで送ってあげる!」

「そこまで面倒かけられないよ。ひとりで帰れるから──」

「いーからいーから!」

 

 言いながら清音がぐいぐいと沙羅の腕を取って立たせたところで、診療室の扉が開かれた。

 

「──卯ノ花隊長! お疲れ様です」

 

 勇音の声につられて振り返った先にいたのは、この詰所の責任者であり四番隊隊長、卯ノ花烈にほかならなかった。

 慌てて会釈する沙羅に、卯ノ花はいつもの穏やかな笑みをたたえて歩みよる。

 

「草薙さん、どうやら大事には至らなかったようですね。なによりです」

「……?」

 

 まるで現世での出来事を知っているかのような口ぶりの卯ノ花にきょと、と目を瞬いていると、隣の清音に背中をはたかれた。

 

「なに呆けてんのよ、あんたが現世で限定解除したってあたしに伝えに来てくれたのは卯ノ花隊長なんだからね!」

「えっ?」

 

 更に目を丸くした沙羅に卯ノ花は小さく頷く。

 

「たまたま技術開発局の霊波計測研究科へ伺っていた最中だったんです。かなり霊圧の高い相手と闘っているようだったので、清音さんにも行ってもらったほうが良いかと思いまして」

「あ……ありがとうございます。すみません、ご心配をおかけして──」

「いいえ。あなたが無事ならそれでいいんですよ」

 

 ふわりと瞳を和ませると、卯ノ花は沙羅の横へと視線を移した。

 

「清音さん。草薙さんのことは私がここの責任者として自宅までお送りします。夜も遅いですし、あなたはもうお戻りなさい」

「えっ、でも──」

「傷の治療は終わったとはいえ、彼女はまだ病みあがりの身ですから。念のためほかの部分にも異常がないか診察しておきたいんです」

 

 そういうことなら、と引きさがる清音。

 

「じゃあ沙羅、あたしはもう帰るけど明日も無理はしないでよね。身体が辛かったら休んでもいいんだから」

「うん……清音、いろいろありがとう」

 

 申し訳なさそうに感謝を述べる沙羅に、清音はにかっとVサインを向けると診療室をあとにした。

 その後ろ姿を見送ったところで、卯ノ花はおもむろに背後の副官を振り返った。

 

「勇音。夜の回診を代わってもらえますか?」

「わかりました。行ってまいります」

「ごめんなさいね。頼みましたよ」

 

 そうして勇音も去り静まり返った診療室の中で、沙羅はじっと卯ノ花が口を開くのを待つ。

 沙羅にはこのしなやかな物腰の女隊長が故意に人払いをしたように思えてならなかった。神妙な面持ちで自分を見上げてくる沙羅に、卯ノ花は表情を緩めて微笑む。

 

「どうやらあなたには見透かされているようですね」

「いえ、その……虎徹副隊長に十分な治療をしていただいたので、もう診察の必要は……」

「ええ。勇音が診たのであれば問題ないでしょう」

 

 こともなげに言いきる卯ノ花に沙羅は自然と表情を引き締める。

 今の言い口だと彼女が自分になにかしらの話があってここに残したのは明白だ。その上わざわざ人払いまでしたことを考えれば、あまり良い話とは思えない。

 その菩薩のような笑顔の裏に言い知れぬものを感じ、こわばった身体の横でぎゅっと拳を握りしめた。

 

「どうかそんなに硬くならないで。少しお話がしたいと思っただけなんです」

「はい。どのようなお話でしょうか」

 

 頷きながらも、緊張の色を隠せない。

 そんな沙羅をどこか哀しげに見つめて、卯ノ花は静かに口を開いた。

 

「先程も申しあげましたね。あなたが現世で破面に遭遇したとき、私は霊波計測研究科にいました」

「はい」

「ですからあなたが限定解除をしてからの一部始終は、霊圧感知モニターから見ていたんです」

 

 霊圧感知モニターとは、現世でのありとあらゆる霊圧の変動を捉えることが可能な、言わば霊波計測研究科の核。

 そのモニター上には無数の霊圧が点状で示され、それぞれの霊圧の強弱は色の違いに現れる。また、霊圧の急激な変動があった場合には、それに対応する点が激しく発光して監視員に知らせてくれるという仕組みだ。

 

「とても強大な相手と闘っていましたね……十刃ですか?」

 

 確信を伴って告げた卯ノ花に、沙羅は正直に頷いた。

 

「はい。第6十刃(セスタ・エスパーダ)を名乗っていました」

「やはりそうですか。本当によく無事で戻ってきてくれましたね」

「いえ……運良く見逃してくれただけです。もう少しで私も殺されていました」

「ええ──あなたの霊圧が急激に弱まったのがわかって、肝が冷えましたよ。そのあとにすぐ相手が退却したようで安心しましたが」

 

 そこまで告げると、卯ノ花は沙羅の目を見据えてずばりと核心をついた。

 

「草薙さん、私が聞きたいのはその十刃が退却したときのことです。……あの場にはもうひとつ、別の霊圧がありましたよね?」

 

 言葉に詰まった。

 決して動揺を露わにしてはいけないと自制しながら、沙羅の頭は辻褄合わせをするべく必死に思考を繰り返す。だが沙羅にうまい理由を探す猶予を与える間もなく卯ノ花は先を続けた。

 

「霊圧感知モニターにもほとんど色が映らないほどの微弱な霊圧だったので、ほかの研究員たちは付近の魂魄が戦闘に巻きこまれている程度にしか考えていませんでした。ですが……いささか不審な点があって気になったんです」

「不審な点……?」

「ええ。その霊圧の波動が、常にぶれているんです。モニター上から消えるほど弱くなったり、またすぐ色濃くなったり。まるで──」

 

 光る双眸が、沙羅を射抜いた。

 

「膨大な霊圧を無理矢理抑えこんでいるかのように」

 

「──っ」

 

 震える拳を握りしめ、俯く。これで動揺を見せるなというほうが無理な話だった。

 

「その霊圧は十刃の霊圧が消えても尚その場にとどまっていました。清音さんがあなたを迎えに行くまで、ずっと。仮に十刃の仲間であったとしたら、一緒に退却するはず」

 

 ……だめ。もう誤魔化せない。

 この聡明な女性を前にしてこれ以上真実を隠し通せる自信などない。

 

 けれど

 けれどウルキオラのことを話すわけには……

 

 なにか言わなければ、と思うほどに焦燥が募り頭がうまく回らない。

 苦しげな表情で下を向く沙羅の頭上で、不意に穏やかな声が響いた。

 

「詮索はここまでにしましょうか」

「え……」

「今お話ししたのはあくまで私の推測です。研究員たちが言うようにたまたま傍にいた魂魄が映っただけかもしれません」

 

 ぽかんと開いた口から呆気に取られた声がもれる。そろそろと顔をあげて視界に映ったのは、いつも通りの穏やかな笑みをたたえた四番隊隊長だった。

 

「あなたの働きはいまや護廷隊の隊長格の誰もが認めるところです。特に副隊長になってからの働きには感服しています」

「卯ノ花隊長……?」

 

 すらすらとそんなことを述べる彼女の意図が掴めない。困惑する沙羅に卯ノ花は諭すように続ける。

 

「ですが、先の藍染惣右介の謀反の一件以来、尸魂界が背信行為に特に敏感になっているのもまた事実。いくらあなたとはいえ、理解を得られぬ行動は疑いを招くことになります」

「……はい」

「幸い今回のことに気づいたのは私ひとりです。もしもあなたが誰にも知られたくないと思うのであれば、今後はもっと気を払うようになさい」

「はい…………、え?」

 

 首の半分まで頷きかけて、沙羅は目を丸くして卯ノ花を見つめた。

 

「私を咎めないんですか……?」

「なにを咎める必要がありますか? あなたは自分の心に反することはなにもしていないのでしょう?」

「ですが──」

「人に言いたくないようなことなんて、誰にでもひとつふたつあるのが普通でしょう。もちろん私にもありますよ? それを無理に暴こうとは思いません」

 

 小さく首を傾けて、卯ノ花は含みのある笑みを浮かべる。

 

「私はただ、あなたが尸魂界を害するような人ではないと信じているだけです」

 

 その言葉に、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。

 

「卯ノ花隊長……」

「それではいけませんか?」

 

 全てを包みこむ慈悲深い眼差しに、ぶんぶんと首を振る。

 副隊長に就任してからというもの、失態ばかりの自分をこんなにも買ってくれている。こんなにも信頼してくれている。

 その想いに胸が詰まった。

 

「私……尸魂界を裏切るような真似は、絶対にしません。本当にありがとうございます……」

 

 もしかしたら宿敵である十刃のひとりに心を許してしまっている時点で、すでに裏切り行為を働いていることになるのかもしれない。

 でも、自分の心に反するようなことだけはしていないと、胸を張ってそう言えるから。

 それを信じると言ってくれた彼女の言葉が本当にありがたかった。

 

 その後、遠慮する沙羅に半ば強引に言い含めて自室の前まで付き添った卯ノ花は、何度も頭をさげる沙羅に向けてこう告げた。

 

「最後にひとつだけ。草薙さん、あなたご自分の霊圧が急激に膨れあがったことに気づいていますか?」

「…………え?」

 

 かなり間を置いてから声をもらすと、「やはり自覚していませんでしたか」と彼女は笑った。

 

「十刃と闘っているあなたの霊圧反応を見て驚きました。うちに入院していたときとは比べ物になりませんよ」

 

 沙羅が救護詰所を退院したのはつい5日前の話である。これだけの短期間で霊圧が跳ねあがるなど、通常の鍛錬ではありえないことだ。

 

「強敵と刃を交えることであなたの中で眠っていた霊力が呼び覚まされたのか、それとも他に原因があるのか──いずれにしろ隊を任される身としては喜ばしいことですね」

 

 卯ノ花の声を聞きながら沙羅はじっと自分の手を見つめていた。

 グリムジョーとの闘いの最中は無我夢中で刀を振るっていたせいか気づかなかったが、言われてみればこれまでにはなかった力を感じる……ような気もする。

 卯ノ花が言うように、十刃という強大な霊圧を持つ相手と闘ったことにより触発されたという理由ももちろんあるのだろうが──きっと最大の原因はそれじゃない。

 

「……思い出したんです。昔の闘い方を」

「昔?」

「はい。ずっと昔の……私が人間だった頃の記憶です」

 

 沙羅が人間だった頃──

 都の治安を護る防衛軍に憧れて、毎日毎日血が滲むほど刀を振り続けた。

 紫苑に出逢い、刀の振り方だけではなく闘いにおける身のこなし、心構えを叩きこまれた。

 

 今朝あの桜の下で前世の記憶を取り戻したとき、沙羅の身体もまた思いだしたのだ。

 大切なものを護りたいがために強くなろうと励んでいた、あの頃の自分の動きを。

 

 どこか遠くを見つめるような眼差しの沙羅に、卯ノ花はそれ以上追及することはせずにこう告げた。

 

「私たちが前世の記憶を失っていくのは、魂魄が次の転生に備えているためだと言われています。……それでも忘れられないなにかが、あなたの魂には刻まれているのかもしれませんね」

 

 忘れられない──そう、忘れてはいけない。

 あんなにも愛し、そして愛された人のことを。

 

 私はなにがあっても忘れてはいけなかったんだ……

 

 *

 

 卯ノ花が去り、自室に入った沙羅はどさりとベッドに倒れこんだ。

 

 とても長い一日だった。

 前世での記憶を取り戻し、第6十刃・グリムジョーと対峙し、そしてウルキオラと再会した。

 

 宝石の輝きにも劣らない翡翠の瞳。

 その瞳を持つ彼こそが、沙羅の前世の恋人、桐宮紫苑その人だったのだ。

 でも──

 

 顔の右半分を枕にうずめながら、清音が現れる直前にウルキオラが口にした言葉を思いだす。

 

『俺はもう紫苑じゃない。……おまえの知っている俺とは違うんだ』

 

 彼がなにを言おうとしていたのかは、なんとなく想像がつく。

 ウルキオラは紫苑だったけれど、今の彼はあの頃の彼ではない。恋人として肩を並べて笑い合っていたふたりの立場も、今となってはまるで違う。

 

「どうして……?」

 

 静まり返る部屋の中で、沙羅はぽつりと呟いた。

 

 あんなにも強く、優しく、仲間想いだった紫苑が。

 どうして虚に堕ちてしまったのか。自分の死後、彼になにがあったというのか。

 考えても疑問は深まるばかりで、沙羅は埒が明かないと首を振って布団を被った。

 

 いずれにしろ、ウルキオラとはもう一度ちゃんと話し合いたい。もうあの人を敵とは思えない。

 

『あの場所で待ってる……』

 

 別れ際に呟いた声は彼に届いたろうか。

 

『来てくれるまで、ずっと』

 

 彼は……来てくれるだろうか。

 

 今はただ、信じて待つしかない。

 明日の勤務後にまたあの桜の公園へ行こう、と胸に決めて沙羅は瞼を閉じた。

 

 もうあの哀しい夢を見ることはなかった。

 




《Two Men…ふたりの男》

 【グリムジョーとウルキオラ】そして【ウルキオラと紫苑】というふたつの意味での【ふたりの男】でした。

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