Dear…【完結】   作:水音.

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第23話 Higher & Higher ―高みを求めて―

「おっはよ、沙羅! ……あら? あんた目の下に隈できてるわよ。まさか一睡もしてないの?」

 

 場所は瀞霊廷の一角。出会い頭早々に乱菊に図星を指され、沙羅は返答に窮した。

 

「若い娘が堂々と朝帰りですかぁ? お熱いことで~」

 

 大袈裟に肩をすくめて茶化してくる乱菊は、すっかり沙羅が現世で誰かと密会していると思い込んでいるらしい。まさかその相手が破面だとは想像もしていないだろうが。

 そんな彼女の言葉に曖昧な笑みを浮かべて、沙羅はつい数時間前に別れたばかりの恋人に想いを馳せた。

 

 *

 

 ようやく互いに気持ちを通わせたものの、時間は驚くほど足早に過ぎふたりの佇む公園は瞬く間に朝日に包まれていた。

 桜の花の隙間から射し込む光に目を細め、ウルキオラは名残惜しそうに身体を起こす。

 

「……そろそろ帰ろう。おまえもここに来ていることが知られたらまずいだろう」

「うん……次はいつ逢えるかな?」

 

 不安げな面持ちで見上げてくる沙羅に、ウルキオラは他の誰にも向けないであろう優しい眼差しで応じる。

 

「そんな顔をするな。おまえの霊圧を感じたらすぐに飛んでくる」

 

 別れがつらいのはウルキオラとて同じ。けれど少しでも安心させてやりたかった。

 

 死神と破面──互いに異なる世界に生き、異なる組織に籍を置く者。現世の任務にでも就かない限り、次の約束を明確に交わすことは難しい。

 むしろ今までなんの約束もしていないのに幾度となくここで逢えたことが奇跡的だ。そのとき既に運命はふたりを結び合わせるために動いていたのかもしれない。

 

「またすぐに逢える。逢いに来る」

 

 力強く言いきったウルキオラに沙羅は安堵したように顔を綻ばせた。

 これが運命だと言うのなら、きっとまた巡り合わせてくれるはずだ。そしてこれが運命ではなかったとしても、逢えるまで何度でも来ればいい。

 この期に及んでもまだふたりを引き離そうとする運命なら、なんとしても捻じ曲げてみせる。長く苦しい時間を経て想いを重ね合わせたふたりの心にはそんな強さがあった。

 最後にもう一度固い抱擁を交わし、ふたりはそれぞれの世界へと続く門を同時にくぐっていった。

 

 *

 

「さてと。着いたわね」

 

 隣を歩いていた乱菊が足を止めたのは一番隊の隊舎前。十番隊と十三番隊の隊舎は方向が異なるのでいつもならここで乱菊と別れるのだが、今朝はこの一番隊の隊舎に集合するよう、総隊長こと山本元柳斎重國から命が下っていた。

 

「全隊長格に召集がかかってるらしいわよ。そんなに重要な話なのかしら」

「そう、だね──」

 

 ぼやく乱菊に頷きを返しながらも、沙羅はその話の中身について大体の見当はついていた。

 

 

「全員揃ったようじゃな。今朝皆に集まってもらったのは他でもない、このところの破面の動きについてじゃ」

 

 整列する各隊の隊長・副隊長を前にどんと杖をついた元柳斎の言葉に、沙羅はやっぱり……と胸中で吐息をもらす。

 

「この一月、破面、それも十刃による被害が二度も出ておる。一度目は皆も知っての通り、十三番隊が現世任務中に二体の十刃に襲撃され、四名の隊士が犠牲となった過日の案件。そして二度目は一昨日。草薙副隊長が現世にて十刃と遭遇し、戦闘となった」

 

 小さなどよめきと共に事情を知らない隊長・副隊長たちの視線が一斉に注がれたが、沙羅は背筋を伸ばしてできうる限りの平静な表情を保とうと努めた。

 

「見ての通り草薙副隊長は無事である。十刃を討つまでには至らなんだが、第6十刃の貴重な情報を得て帰還を果たした。……よくぞ戻ってきてくれた」

 

 一瞬だけわずかに和らいだ目で沙羅を見つめて、元柳斎は再び眼前に立ち並ぶ隊長格の面々へと視線を戻す。

 

「だが、今回こそ犠牲は出なかったものの、破面共による被害は確実に広がっておる。ましてやきやつらの動きが目に見えて活性化している今、我々としてもこのまま黙ってのさばらせるわけにはいくまい」

 

 そう告げた元柳斎が軽く杖を鳴らすと、背後に控えていた副官が隊首室に備えつけてあるモニターの電源を入れた。

 

「まずは敵を知ること、それが戦の定石じゃ。霊波計測研究科と解像部のデータを照合して、現時点で判明している十刃の外見と特徴をまとめさせた。各自頭に叩き込んでおけ。……これが我らの敵じゃ」

 

 そうして映し出された画面には、白い装束をまとった破面たちの姿が浮かびあがっていた。

 

「まず、第10十刃(ディエス・エスパーダ)ヤミー。巨大な体躯の大男で、腕力だけを見るなら十刃随一と言ってよいでしょう。虚弾(バラ)と呼ばれる霊撃を多用する傾向にあるのでその点も留意してください」

 

 元柳斎の副官・雀部(ささきべ)はモニターの画像を示しながら口早に説明していく。

 

「次に第6十刃、グリムジョー・ジャガージャック。一昨日草薙副隊長が現世で遭遇したのがこの十刃です。水色の髪と瞳が特徴で、非常に気性が荒く、好戦的な男です。草薙副隊長からの報告によれば、虚閃の数倍もの威力を誇る“王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)”という技を使用するようです」

 

 画面に映しだされた鋭い眼光の水浅葱の髪の男に、沙羅は無意識のうちに唾を飲み込んだ。

 予想を遥かに超える強さで沙羅を圧倒したグリムジョー。あのときウルキオラが来るのがあと一歩遅ければ、沙羅は確実に殺されていただろう。それを思うと今更ながら戦慄した。

 震える拳をぎゅっと握りしめて、唇を噛む。

 足りない。まだ足りない。もっと強くならければ。

 決意を改める沙羅の頭の片隅で、淡々と説明を続ける雀部の声が響いた。

 

「最後に──この男が現時点で確認されている中で最も数字の高い十刃です。第4十刃、ウルキオラ・シファー」

 

 その名に反射的に顔をあげ、まっすぐにモニターを見上げた。

 画面の中央で光る翡翠の瞳。白く透き通った肌に漆黒の髪。ひどく冷酷な眼差しでこちらを見つめている──第4の十刃。

 だが、まるで一切の感情を失ったかのような無機質なその瞳は、実はとても優しい輝きを帯びているのだということを沙羅は知っていた。

 

「この者については今のところ戦闘データが取れていないため、詳細は不明です。ただ、数字から考えると先のヤミーやグリムジョー・ジャガージャックよりも高い霊圧の持ち主であることは間違いないと思われます。現世で遭遇した際には十分な注意を払ってください」

 

 得体の知れない化け物みたいな言い方をしないで。本当は誰よりも繊細な心を持っている人なのに。

 

「……沙羅? どうかしたのか?」

 

 内心の憤りが表情に表れていたのか、気遣わしげに覗き込んできた浮竹に沙羅ははっと正気に戻った。

 

「いえ、大丈夫です。すみません」

 

 今はまだ気取られてはいけない。まだそのときじゃない。

 破面との確執を根本から解決し、彼との未来を掴むためには、このままじゃだめなんだ。

 

「本日の集会は以上じゃ。各隊長・副隊長は隊舎へ戻り次第全隊士を召集し、今説明したことも踏まえて対破面に備えた作戦を練ること。これ以上の犠牲が出ることのないよう、万全を尽くしてほしい」

「「はっ!」」

 

 前後二列に整列した各隊長格は元柳斎の言葉に一様に頷き、その場はそれにて解散となった。

 

 

「おい沙羅! おまえ十刃とやり合ったってまじかよ?」

 

 隊舎を出た沙羅のあとを追って声をかけてきたのは、霊術院時代の同期の阿散井恋次と吉良イヅル。

 

「やり合ったっていうか、一方的にやられたようなものだけどね。一歩間違えればここにはいなかったかも」

 

 小さく肩をすくめた沙羅に、ふたりはまじまじと顔を見合わせて溜め息をこぼした。

 

「おまえな……無事だったから良かったようなものの、そうじゃなかったら今頃瀞霊廷は大騒ぎだぜ?」

「本当に君は昔から向こう見ずというか無鉄砲というか……」

「まあまあ、こうして生きて帰ってきたんだからいいじゃない」

「だからそれをおまえが言うなっつーの!」

 

 怒りを通り越して呆れ果てる恋次にごめんごめんと笑って、沙羅はふと真剣な面持ちでふたりを見上げる。

 

「それより雛森の容体はどう? 今日も来てなかったみたいだけど……」

 

 全隊長格に召集がかかったはずの今朝の集会には、四つの空席があった。そのうち三つは五番隊・三番隊・九番隊の各隊長の席。

 無論三番隊には吉良が、九番隊には沙羅たちの先輩にあたる檜佐木修兵が副隊長として出席していたものの、五番隊の席はどちらもぽっかりと空いたままだった。

 

「雛森くんは……相変わらずだよ。救護詰所の特別療養室で治療を受けてる」

「そう……」

 

 哀しげにもらした吉良に、沙羅もまた視線を落として俯く。

 

「傷はほぼ完治してるみてーなんだけどな」

「……でも、傷を負ったのは身体だけじゃないもんね。……雛森の場合は特に」

 

 ぎゅっと唇を噛んで呟けば、吉良と恋次も同じ顔をして「ああ……」と声音を落とした。

 五番隊隊長・藍染惣右介の謀反の一件で心身ともにぼろぼろに傷つけられた雛森は、救護詰所での療養を余儀なくされていた。

 事件から数ヶ月を経た、今でも。

 

「ま、俺たちが暗い顔してたってなにも変わんねーよ。雛森だってまたそのうちいつもの調子に戻んだろ」

「ん──そうだよね」

 

 こんなとき、沈んだ空気を丸ごと吹き飛ばしてくれる恋次の気質がありがたい。

 

「つーか十刃の話聞かせろよ! やっぱすげー技とか使ってきたのか?」

「阿散井くん、君、先程の雀部副隊長の話ちゃんと聞いていたかい? 第6十刃の特徴や技を細かに説明してくれたじゃないか」

「うっせーなぁ、そういうのは闘った本人に聞くのが一番てっとり早いだろーが」

 

 もっともらしいことを言って鼻を鳴らす恋次と呆れた様子の吉良に、沙羅は少し考えてから口を開く。

 

「正直、あそこまで歯が立たないとは思わなかった。私はまだ他の破面と闘ったことはないけど、やっぱり十刃の霊力は突出していると思う」

「そんなに強えーのかよ」

「うん。……強い」

 

 険しい面持ちを浮かべるふたりにきっぱりと頷き、告げる。

 敵を称賛するようで癪だったけれど、そんな些細な意地を張る余地もないほどグリムジョーとの力の差は明白だった。過去の記憶を取り戻したことで、急激に霊圧が膨れ上がったにも関わらず、だ。

 決して自讃して言っているわけではなく、潜在能力を呼び覚ました沙羅は他の副隊長クラス以上の霊力を有しているはずだった。

 

 それでも、敵わない。十刃内で6番目の数字を持つ男にすら、敵わない。

 その事実から導きだされる解答は至って単純だ。

 

 沙羅が思うよりも、尸魂界が思うよりも、十刃はずっと強かった。

 ただそれだけのこと。

 

「くそっ……そんな奴ら相手にどう闘えってんだよ」

「強くなるしかないよ」

 

 低く押しだされた恋次の呟きに返ってきたのは、凛と響く声。

 

「十刃にも、藍染隊長たちにも、誰にも負けないくらい強くなるしかない」

 

 揺るぎない眼差しを空に向ける沙羅に、恋次と吉良は小さな驚きを覚えながらその横顔を見つめた。

 しばしの沈黙のあと、ふたりも同じように空を仰ぐ。

 

「……だよな」

「ああ。僕たちも強くなろう」

 

 そうすることでしか、望む未来を手に入れることができないのなら。

 どれだけの傷をその身に受けようと、私はただ強くなろう。

 百年前、この刀に立てた誓いを貫き通すために。

 

 

 *

 

 その日の夕刻、勤務を終えて隊舎を出た沙羅はひとり修行場に来ていた。

 

「咲き誇れ──夢幻桜花(むげんおうか)

 

 抜き放った斬魄刀に呼びかけると、あたたかいつむじ風がさあっと湧き起こると同時に刀の刀身が薄桃色に色づいてゆく。

 そして更に意識を研ぎ澄ませると、沙羅の目の前に桜色の長い髪の女性が音もなく現れた。

 

「夢幻桜花……」

 

 静かな声音でその名を呼ぶと女性は柔らかく微笑んだ。

 髪と同じ桜色の瞳を薄く細めて、形の良い唇が緩い曲線を描く。まるで白雪のような肌の上に生みだされたその微笑みは、はっきり秀麗と言えた。

 

『どうしました、沙羅?』

 

 返ってきたのは風が水面を撫でるような穏やかな声。それは常に沙羅の頭の中に流れ込んでくる声だ。

 彼女の存在を感じないことなどない。彼女は沙羅の斬魄刀そのものであり、ひとたび闘いとなれば沙羅の刃となり、盾となる最大の相棒なのだから。

 

「記憶が戻ってから、こうしてちゃんと話すのは初めてだね」

『ええ。そうですね』

 

 記憶が戻った、と告げたことに対して、夢幻桜花はその穏やかな笑みをひとつも崩すことなく頷いた。

 言葉に出さずとも、常に主の傍らにいる彼女は沙羅の身に起きたことならば全て把握している。

 だからと言って彼女が沙羅の行動に口を挟むことは絶対にない。そして沙羅もまた、どんなに悩み、迷おうとも夢幻桜花に頼ることはなかった。

 斬魄刀の化身は言わば自分自身。自分でもわからない答えを斬魄刀に求めたところで、返事が返ってくることはない。その答えを導きだすのは結局己でしかないのだ。

 だが今の沙羅にはどうしても彼女に訊ねてみたいことがあった。

 

「夢幻桜花はいつから私の傍にいてくれたの?」

『私はずっと傍にいましたよ。沙羅が私の存在に気づく前から、ずっと』

「……前と同じこと言うのね」

『沙羅が同じことを訊ねるからです』

 

 言葉遊びを楽しむような言い口の夢幻桜花に沙羅はくすっと笑った。

 まだ夢幻桜花の名を知って間もない頃、同じ問いを投げかけた沙羅に夢幻桜花がやはり同じ答え方をしたことを思い出す。

 

「あのときはね、その『ずっと』は『私が死神になってからずっと』って意味だと思ってた」

 

 夢幻桜花は頷くでも否定するでもなく、じっと沙羅の言葉に耳を傾けている。

 

「でもそうじゃなかった。前世の記憶が甦ってはっきりとわかったの」

 

 沙羅は手の中でまばゆい輝きを放っている斬魄刀を見つめた。解放状態の夢幻桜花は、前世であの刀鍛冶の老人が打ってくれた刀に驚くほど酷似していた。

 それは紫苑が「斬る刀ではなく、護る刀であるように」と願い、最期の瞬間まで沙羅の志を護るために闘い抜いた、大切な刀。

 

「私が現世にいたときから、ずっと傍にいてくれたんだね。……ありがとう」

 

 今度は問いかけではなく、笑いかけた。

 夢幻桜花は一度ゆっくりと瞬きをしてから、その桜色の瞳をふっと和ませる。

 

『いいえ。私はあなたを護るために生みだされたもの。あなたの力となることが私の存在意義そのものなのです。沙羅が私を必要とする限り、私はいつまでもあなたの傍にいますよ』

「これから先もずっと?」

『ずっとです』

 

 それを聞いて満面の笑みを浮かべた沙羅に夢幻桜花は微笑みを返し、主の右手で光を放っている自分自身を見つめた。

 

『沙羅。あなたはまだ本当の力の使い方を知らない』

「本当の力? 記憶が戻ってからは大幅に霊力があがったみたいだけど」

『ええ。ですがそれもまだ氷山の一角に過ぎません。その高い山の頂きに辿り着いたとき、あなたは己の中に眠る真の力を知るでしょう』

「力……どうすれば──」

 

 言いかけて口を噤んだ。こういうとき、夢幻桜花は必ず同じ返し方をする。

 

『それは私が諭すべきことではありません。前へ進みなさい。あなたがこれまで自分で道を切り開いてきたように』

 

 全ては主が歩むままに。それが彼女──斬魄刀に宿る魂の使命だから。

 だがそれでもその存在は沙羅にとってなにより心強いものだった。

 歩むべき道筋を光で照らしてくれることはなくとも、いつも後ろに立っていてくれる。どんな険しい道のりでも、不満ひとつもらすことなく共に歩んでくれる。

 

「わかった。今できることをひとつずつやってみる。これからもよろしくね、夢幻桜花」

『はい』

 

 頷きと共にざあっと一陣の風が巻き起こり、彼女は消えた。

 沙羅の手の中ではいまだ力強い輝きを放っている夢幻桜花が夕日を受けて赤く煌めいている。

 その日、沙羅は太陽が完全に西の地平線に沈むまで修行場で稽古を続けた。

 

 

 ***

 




《Higher & Higher…高みを求めて》

 本編では初めて斬魄刀の化身が登場。
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