Dear…【完結】   作:水音.

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第27話 Back to Usually ―日常への帰還―

 誰かの体温を感じて目が覚めた。

 うっすらと輪郭を取り戻していく視界の中心に、自分のものとは違う骨格の整った肩が映しだされる。

 彼の腕の中にいるということを理解した沙羅は、まだ眠気の残る瞼を押し開いてふっと表情を和ませた。

 

 沙羅の目と鼻の先にいるウルキオラの瞼はまだ閉じられたままで、唇からは規則的な寝息がもれている。こんな無防備な寝顔を見るのは初めてだ。

 そういえば『ウルキオラ』としての彼との初対面では、今とは逆に沙羅が無防備極まりない寝顔を晒してしまったことを思いだす。(それも屋外で)

 ウルキオラにだけ弱みを握られているようで悔しかったけれど、それもこれでおあいこかな、などと子供じみたことを考えて沙羅はひっそりと笑いを噛み殺した。

 ──と。

 

「ずいぶん楽しそうだな」

「わっ」

 

 腰に回されていた腕に急に力がこもって、不意を突かれた沙羅は難なくその胸に抱き寄せられた。

 

「びっくりした……起きてるなら言ってよ」

「人の寝顔を盗み見しているようなやつに言われたくないな」

 

 憎たらしい表情を浮かべて言うウルキオラに喉を詰まらせて沙羅は反論する。

 

「だってウルキオラの寝顔なんて滅多に見られないじゃない。だからよーく眺めて憶えておこうと思って」

「寝顔なんか眺めていて楽しいか? それなら俺は昨日のおまえのほうが「わわわわ!!」

 

 なにやらとんでもないことを口走りそうなウルキオラの口を沙羅は無理やり両手で塞いだ。

 誰に聞かれているわけでもないが、改めて言葉にされるのはあまりにも恥ずかしすぎて耐えられない。されるがままになっているウルキオラは、顔を真っ赤に上気させる沙羅を見てくつくつと肩を揺らしている。

 

「~っ、わかってて言ってるんでしょう! からかわないでよ」

「本当のことを言っただけだ。大体あれはおまえがあんな顔で──」

「それはもういいってば!」

 

 強気な表情が一転、泣きそうになって頭をうずめる沙羅をウルキオラは愉しそうに眺めながら髪を撫でた。

 そして思い出したように一言。

 

「沙羅、言い忘れていた」

「……なに?」

 

 次はなにを言われるのかと恐る恐る顔をあげる仕草が可笑しくて、ウルキオラは頬が緩んでしまうのを止められないままに告げる。

 

「おはよう」

 

 その言葉に一度大きく瞬きをした沙羅は、すぐに顔を綻ばせると「おはよう」と返した。

 一日の始まりを告げる挨拶を交わすことが、こんなにも嬉しく感じられるのは初めてかもしれないと沙羅は思った。

 

 *

 

 身支度を整えてふと窓の外に目を向けると、東の空が徐々に白み始めていた。

 無意識のうちに身体を強張らせる沙羅を、後ろから伸びたウルキオラの腕が包みこむ。

 

「沙羅」

「……ん。大丈夫」

 

 労わるように身体の前に回された手に掌を重ねて、背を向けたまま頷いた。

 

 大丈夫。もう泣かない。

 心に巣食う哀しみは、昨夜ウルキオラが瞳の奥の涙ごと全て受けとめてくれた。

 

 彼の熱も、息遣いも、触れる手の温もりも

 全てをこの身体が、心が憶えてるから。

 瞼を閉じるだけで、ふたり想い合えた喜びで満たされるから。

 だから、寂しくなんてない。

 

 

「……そろそろ戻らないとね」

 

 気を抜けばあふれだしそうになる感情の波をやり過ごしてから、沙羅は肩越しにウルキオラを振り返った。

 そこに無理な作り笑いや悲愴な面持ちが浮かんでいないことを確かめてウルキオラは頷く。

 そうして宿を出たふたりは、次第に朝日に包まれていくあの桜の公園へと向かった。

 

 *

 

「じゃあ……行くね」

「ああ。その道具、すぐに戻しておけよ。見つかればおまえの立場が危うくなる」

「わかってる。うまくやるから心配しないで」

 

 軽く笑ってみせた沙羅の手にはふたつの義骸が抱えられていた。霊体へと戻ったふたりは、既に元の姿に戻っている。

 つまり今ここにいるのは、ひとりの死神と、一体の破面。だがその間に流れる空気はとても穏やかなものだった。

 

「これ、ありがとう。大切にするね」

 

 首元で揺れる翡翠のネックレスに指先で触れて、沙羅は心底嬉しそうに微笑む。

 それにウルキオラが短く頷きを返して、至近距離で視線が絡まると、どちらからともなく唇を寄せた。

 一度深く口づけ合ったあと、ゆっくりと身体を離す。

 

 頭上で青々と葉を茂らせる桜の合間から射しこむ朝日はちょうどふたりの間に空いた僅かな隙間を照らしており、それはまるで沙羅とウルキオラの境界を示しているかのようでもあった。

 やがて穿界門(せんかいもん)黒腔(ガルガンタ)を呼びだすと、ふたりは同時にその中に踏みこみそれぞれが本来あるべき世界へと帰っていった。

 

 

 ***

 

「失礼します。松本副隊長はいらっしゃいますか?」

 

 沙羅が十番隊の隊舎を訪れたのは、それから二週間ほど経過したある日のこと。

 

「あらー沙羅? わざわざ隊舎まで来るなんてどうしたの?」

「別に急用じゃないんだけど、お昼一緒にどうかなと思って。乱菊今日の休憩は何時から?」

「ちょうど今から入ろうと思ってたとこよ。あんたから誘いに来るなんて珍しいわね」

「だって最近ちっとも話せないんだもん」

 

 拗ねたように沙羅が言うと乱菊は「確かにねー」と笑って手早くデスクの上を片づける。

 なんだかんだ言って副隊長に籍を置いているふたりは忙しく、こうして時間を合わせて食事を取ることも以前に比べて難しくなっていた。

 

「じゃ、今日は久々にあの定食屋にでも行きますか! その顔だとなにか話したいことでもありそうだしね?」

 

 ニカッと首を傾げた乱菊には全て見透かされているようで、沙羅は敵わないなと苦笑した。

 

 

「それにしても、最近本当に忙しいわよね」

 

 馴染みの定食屋でお決まりのさばの味噌煮定食を注文した乱菊は、辟易といった様子でぼやきながら味噌汁をすする。

 その溜め息は決して大袈裟ではなく、虚や破面の出現頻度が急激に増したここ最近では護廷十三隊の席官──とりわけ副隊長はその対応に追われていた。

 

「平隊士はちょっと問題が起こっただけですーぐ席官頼みだし。少しは自分たちで解決しなさいっつーの」

「仕方ないよ。破面が絡む事案については五席以上の者が対応するようにって通達が出たじゃない」

 

 乱菊の向かいで肉じゃが定食に箸をつけている沙羅は、肩をすくめて彼女をなだめようとする。しかし乱菊は相変わらず不満を全面に押しだしたままだ。

 

「だからってこんなにあちこち引っ張り回されてたんじゃ身体が持たないわよ。あーあ、副隊長がこんなに大変だとは思わなかったわ~」

「……多分よその副隊長さんはその何倍も苦労してきたんだと思うけど」

「あら、言ってくれるじゃない。一応言っとくけど副隊長としてのキャリアはあたしのほうがあんたより何倍も長いんだからね! もっと先輩を敬いなさいよ」

 

 悪びれるどころかふんぞり返って胸を張る乱菊に、沙羅は半分呆れつつ黙々とお茶をすすった。

 

「──で? なにを話したいわけ?」

 

 食事を終えてひとしきり世間話で盛りあがったあと、ズバリと切りだした乱菊に沙羅は一瞬言葉を詰まらせた。

 

「……うん」

 

 今日乱菊を誘ったのは、ここのところの激務の息抜きも兼ねてゆっくり話したかったから──という思いにもちろん偽りはない。しかし彼女の指摘する通りどうしても話しておきたいことが今の沙羅にはあった。

 彼の──ウルキオラのこと。

 

「あのね……私が……現世で逢っている人のことなんだけど」

 

 言いよどみながら口火を切ると乱菊は途端に瞳を輝かせた。

 

「なになに、やっと話す気になったってわけね! で、誰なの? イケメン? 身長は? なにやってる人?」

 

 矢継ぎ早な質問に苦笑する。乱菊なら説明すればきっとわかってくれるであろうとは思うものの、一体どこから話すべきか。そしてどこまで話していいものか。

 

「……その人は死神じゃないの」

 

 言葉を選びながら紡ぎだすと乱菊はけろりとした顔で頷いた。

 

「そんなのわかってるわよ。死神だったらわざわざ現世まで行って会う必要ないじゃない。だから誰なのかって聞いてんの。現世にとどまってる(プラス)? それともまさか……人間?」

 

 顔をあげるといつになく真剣な面持ちの乱菊と目が合う。沙羅の思い悩む姿を見て、半端な覚悟で聞いていい話ではないと察しているようだ。

 もしかしたら、話すべきではないのかもしれない。

 乱菊まで苦しめることになってしまうかもしれない。

 そんな躊躇いが脳裏を掠める。

 

 けれど彼女にだけは、この無二の親友にだけは、全ての胸の内を明かしたいと思うから。

 

「彼は──」

「松本副隊長!」

 

 意を決して口を開くも、定食屋に駆けこんできた十番隊の隊士の声によって見事に遮られてしまった。

 

「休憩中申し訳ありません! 松本副隊長へ取り急ぎご報告がございまして──」

 

 隊士が懸命に言葉を紡ぐ一方、いよいよというところを邪魔された乱菊は分かり易いほど眉間に皺を寄せている。

 

「あーはいはい、前置きはいいから。用件は?」

「はっ。実はつい先程、現世へ派遣中の第八分隊が破面と遭遇したとの報告が入りました!」

「また破面?」

 

 隊士の口から出た単語に、乱菊のみならず沙羅の表情にも動揺が走った。

 

「はい。十刃ではないようですが、突然の襲撃だったため苦戦している模様です。日番谷隊長よりただちに救援部隊を編成し向かわせるようにとのご命令です!」

「今月に入って何度目よ……どうしてあいつらはこう隊士を派遣する先々に現れるのかしら」

 

 憤りを全面に押しだしながらも乱菊の行動は早かった。湯呑みのお茶を一気に飲み干して席を立つ。

 

「ごめん沙羅、そういうことだからあたし行くわ。今の話の続きはあとでぜぇーったい聞かせてもらうからね!」

「うん、気をつけて──」

 

 沙羅が言い終わるか終らないかのうちに頷いた乱菊は、隊士とともに身を翻すとすぐさま瞬歩で消えた。

 

 ひとり残された店内で、沙羅は湯呑みをぎゅっと握りしめた。中で頼りなく揺れるお茶の表面を見つめながらぽつりと呟く。

 

「破面……」

 

 その響きを耳にするだけで、臓腑(ぞうふ)が掴みあげられたような感覚に支配される。

 先程の隊士は十刃ではないと言っていた。少なくともウルキオラではない。

 それでも、心は軋む。

 

 どうか隊士に被害が出ないように──

 その一方で、襲撃してきた破面も無事に虚圏へ退却してくれればいい、そう思わずにはいられなかった。

 

 それがどれだけ都合のいい願いか分かっていても。

 

 *

 

 翌日、前日と同じ類の知らせが今度は沙羅にも届いた。

 

「草薙副隊長! 現世で任務に就いている朽木隊士の小隊から救援要請です。任地から北へ三百の地点で破面と遭遇、現在交戦中とのことです!」

 

 血相を変えて隊舎へ飛びこんできた隊士の報告に、沙羅は即座に椅子から立ち上がった。

 

「ルキアの隊が!? どうしてこんな頻繁に……」

 

 相次ぐ破面の襲撃に疑問が湧くものの、考えている余裕はない。

 

「すぐに霊波計測研究科へ連絡、交戦中の破面の数と霊圧濃度を解析するよう依頼をかけて! それから四番隊へ地獄蝶を飛ばして、治療要員二名をただちに西の穿界門へ向かわせるように要請を。救援には……仙太郎!」

「ああ、すぐにでも出れるぜ」

「ありがとう。席官三名を連れて西の穿界門前で出撃準備、四番隊と合流後すぐに現世へ向かってくれる?」

「任せとけ!」

 

 力強い頷きを返して隊舎を飛びだしていった仙太郎の背中を見送って、沙羅はぎゅっと拳を握りしめた。

 しかし次の瞬間にはすぐさま思考を切り替え、報告をもたらした隊士に向き直る。

 

「少しの間ここをお願い。私は隊首室へ行って隊長に報告を──」

「俺ならここだ」

「隊長!」

 

 言いながら隊舎を出ようとしたところで、ちょうど浮竹と鉢合わせた。

 

「また破面か」

 

 事情を察したらしい浮竹に沙羅は複雑な表情を浮かべ、頷く。

 

「このところの破面の連続襲撃……とても偶然とは思えないな」

「はい……」

 

 それは沙羅も感じていたことだった。

 任務で現世へ向かわせた死神が、たまたま破面と遭遇することなどそう何度も起こるはずがない。破面は明らかに死神が出現する場所を狙って襲撃している。

 

 けれどどうやって? 

 脳裏に浮かぶのはどれも憶測の域を出ないものばかりで、沙羅はぐっと唇を噛んでルキアたちの無事を祈った。

 

 

 その後、沙羅の素早い判断が功を奏し、死神側は取り立てて大きな被害を受けることなく破面を退却させることに成功した。

 

「ルキア! 無事で良かった!」

 

 穿界門の前で待ち構えていた沙羅はルキア・仙太郎ら一行の帰還を笑顔で喜んだ。

 

「大丈夫だった?」

「ああ。向こうの数が多くて手間取っていたんだが、小椿三席たちが来てくださったおかげで助かった」

 

 わずかに表情を緩ませて頷くルキアの隣で、仙太郎が得意げに鼻の頭をこする。

 

「へっ、俺の手にかかりゃあれぐらいどうってことねーよ! やつらにトドメ刺せなかったのが心残りだけどな」

「ううん、みんなが無事に帰って来てくれたことが一番だよ。ありがとう仙太郎」

 

 心底安堵した面持ちで沙羅が笑いかけると、仙太郎は満更でもなさそうに頭を掻いた。

 隊舎への帰路につきつつほかの隊士たちにも一通り声をかけてから、沙羅はふと最後尾を歩いているルキアに目をとめる。

 

「ルキア……なにか気になることでもあった?」

 

 やや俯き加減で顔を強張らせていたルキアは、その問いにはっと顔をあげ沙羅を見上げる。

 

「ああ……いや、私の思い過ごしかもしれないんだが」

「構わないよ、話して?」

 

 隣に並んで小さく首を捻ると、ルキアはまだ少し躊躇いながらも口を開いた。

 

「あの破面共……今日の任地のすぐ傍で襲いかかって来たんだ。まるで我々があの場に現れるのを知っていたかのように──」

「……」

 

 その発言に沙羅は足を止め、黙りこむ。

 やはりこの事態はどう考えても不自然だ。

 しかしそれは沙羅の中でひとつの信じがたい仮説が裏付けられつつあることを示していた。

 

「……その話、あとで隊長だけに伝えておいてくれる? ほかの隊士に知れると不要な動揺を招くかもしれないから」

「ああ……わかった」

 

 神妙な面持ちで告げる沙羅にルキアはそれ以上なにも言うことなく頷いた。

 沙羅が見据える先の瀞霊廷は、夕闇とともに訪れた不穏な影に包まれ始めていた。

 

 

 ***

 




《Back to Usually…日常への帰還》

 平穏な日常に忍び寄る影。
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