Dear…【完結】   作:水音.

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第28話 Suspicion ―疑惑―

 その後も破面の死神襲撃事件は立て続けに起こった。

 彼らは決まって死神が任務のために降り立った場所に現れる。まるでそれを予測していたように、正確に。

 中央四十六室は護廷十三隊の各隊に厳重な防衛体制を整えるよう指示を出したが、それでも死神側の負傷者は途絶えることはなかった。

 

 考えたくはない。けれど、この状況下ではどうしても疑わずにはいられない。

 この破面襲撃の背景にあるのは、恐らく──

 

 

「……沙羅?」

 

 隣で響いた静かな声音にはっと我に返ると、気遣わしげな翡翠の瞳が沙羅を覗きこんでいた。

 ひっきりなしの激務の日々をくぐり抜け、久方ぶりの休暇を貰った今日、沙羅はウルキオラに逢うべく現世へと降りていた。

 

「なにかあったのか」

「ううん、なんでも……」

 

 ない、と首を振ろうとして、意味がないことに気づく。

 言葉になど出さなくとも、表情ひとつで彼は沙羅の不安や迷いをすぐに読み取ってしまうのだろう。

 結局あとに続ける言葉が見つからなくて黙りこむと、代わりにウルキオラが口を開いた。

 

「……最近の破面の動きか?」

 

 ああ、やっぱり。なんでもわかってしまうんだ。

 できればあまりウルキオラには言いたくなかったが、ここまで言い当てられては否定もできず沙羅は力なく頷いた。

 

「被害が広がる一方なの……」

 

 先日の任務ではとうとう沙羅の所属する十三番隊からも犠牲者が出てしまった。

 辛うじて一命は取りとめたものの、その容体は(かんば)しくない。

 破面襲撃に対する備えを怠らないようにと言い聞かせていたそばからの被害に、沙羅は己の力不足を痛感させられていた。

 

 どんなに隊士たちに注意を促して防衛を固めたところで、穿界門から現世へ降り立った途端に狙い撃ちされればひとたまりもない。これといった対策も打ち立てられないまま被害が広まるのを指を咥えて見ているしかないのか。

 焦燥を滲ませて唇を噛む沙羅を、ウルキオラの低い声が呼んだ。

 

「沙羅……俺にも新たな命が下った」

 

 顔を上げると、神妙な面持ちのウルキオラと視線が交わる。

 

「四日後、空座町北東部に現れる死神を襲撃する」

「──っ!」

 

 空座町北東部、四日後。

 現世駐留組の任期が満了し、就任隊士の一斉交替を執り行う日だ。新任者への引き継ぎを円滑に運ぶため、空座町北東部の一点に集結して行うことになっている。

 そんなところを襲撃されたらどれだけの犠牲が出るか。

 逸る鼓動を抑える沙羅の耳に、その次の瞬間信じがたい言葉が響いた。

 

「……日程を改めるよう手を回してくれないか」

「え……」

 

 沙羅は呆然と隣のウルキオラを見上げた。

 

 破面側の行動を明かし、その目論見を阻止する。それはウルキオラにとっては明確な裏切り行為だった。

 それが彼の主・藍染惣右介の意に反することは言うまでもない。

 

「でも……私にそんなこと言ったらウルキオラが──」

 

 淡々と語ったウルキオラに対し、沙羅は戸惑いの色を隠せない。

 これまで沙羅とウルキオラが互いの立場における情報を共有することは一切なかった。敵同士であるふたりにとって、それは最大の禁忌とも言えた。

 

 相手から情報を聞きだすということは、相手を裏切り者にするということ。

 だから任務に関する話題は決して口にしない、それがふたりの間での暗黙の了解──のはずだった。

 

 けれど、今。彼はそれを覆そうとしている。

 動揺する沙羅に、ウルキオラは不思議なほど落ち着き払った表情で丁寧に言葉を紡いだ。

 

「俺は藍染様のためでもなく、死神のためでもなく、ただおまえのために生きたい。……もう二度とおまえを苦しませたくはない」

 

 そこにどれだけの固い決意がこめられているのかは、その迷いのない眼差しを見れば明らかで。

 

「……うん」

 

 その想いを無駄にしないためにも、今度こそ犠牲を出さずに護り抜かなければ。

 ただ沙羅のためだけに自ら裏切り者の汚名を被ろうとするウルキオラに、沙羅は何度も胸中で「ありがとう」と呟いた。

 

「それから……もうひとつ言っておくべきことがある」

 

 彼にしては珍しく持って回った言い方をしたウルキオラに、反射的に身を固くする。

 

「なに?」

「四日後に死神が現世に現れるという情報を流したのは、いまだ瀞霊廷に残っている藍染様の配下だ。……死神の中に内通者がいる」

 

 沙羅は音もなく瞼を伏せた。

 

 予感はあった。そうとしか考えられないと思っていた。

 けれど信じたくはなかった。

 

「……最近の破面の連続襲撃も、全部?」

「恐らくそいつがもたらした情報によるものだろう」

 

 こちら側の動きが破面に筒抜けとしか言いようのない状況に理由をつけるとすれば、それは「裏切り」という言葉ひとつで簡単に解決する。

 だけど、一体誰が──

 握りしめる拳に一層の力がこもる。

 

「俺も藍染様から瀞霊廷の内部にそういう手駒がいると聞いただけで、それが誰かまでは知らされていないが……藍染様の隊にいた者と考えるのが妥当だろうな」

 

 ウルキオラの想定には沙羅も同感だった。

 護廷十三隊の中で、藍染惣右介のために背信行為を働く者がいるとすれば、それは彼が取り仕切っていた隊──五番隊の隊士である可能性が必然的に濃くなる。

 もっとも、市丸ギンや東仙要のように他隊の要人を配下に置いている可能性もゼロとは言えないが、現存する隊長格の中になおも藍染の信奉者がいるとは考えがたい。否、考えたくはないと言うべきか。

 

「そいつをのさばらせている限り、瀞霊廷の情報はほぼ把握されていると思ったほうがいい」

 

 ウルキオラの言葉は自然とひとつの答えを導きだしていた。

 いくら策を巡らせても、敵に筒抜けでは全くもって意味がない。本気で事態の収拾を図ろうとするのなら、手段はひとつだ。

 

「──その内通者を突き止める」

 

 沙羅ならそう言いだすであろうことは容易に想像がついていたのか、ウルキオラはわずかに目線を動かしただけで止めようとはしなかった。

 

「……気をつけろよ」

「うん、大丈夫。ウルキオラこそ平気なの? 私にこんな話をしたなんて知れたら……」

 

 心配そうに見上げる沙羅にウルキオラは薄く口元を緩める。

 

「そこまで間抜けじゃない。それよりもおまえは自分の心配をしろ。……くれぐれも無茶はするな」

 

 くしゃりと頭をなでた手からウルキオラが自分を案じてくれているのが痛いほど伝わって、沙羅はもう一度深く頷いて尸魂界へと帰還した。

 

 

 *

 

 翌日、隊舎での勤務を終えた沙羅は自室ではなく、四番隊の隊舎へと向かっていた。

 四番隊隊舎──別名総合救助詰所の一室で治療を受けている同僚を訪問するために。

 

 部屋の前に立ち、一度大きく息を吸ってからノックすると「はい」というか細い声が返ってきて、沙羅はゆっくりとその扉を引いた。

 

「雛森……」

 

 部屋の奥の白いベッドの上には、沙羅の霊術院時代の同期であり五番隊副隊長でもある雛森桃が救護詰所の患者服を身につけて横たわっていた。

 

「……沙羅ちゃん? わあ、久しぶりだね」

 

 沙羅の姿を捉えた雛森はすぐさまベッドから身体を起こし笑いかけたものの、その笑顔には以前のような天真爛漫な明るさはない。

 前に顔を合わせたときよりもずいぶん痩せた印象のある雛森に、沙羅は「本当、久しぶり」とできる限り自然な笑顔を向けながらベッド横の椅子に腰かけた。

 

「沙羅ちゃん、副隊長になったんだよね。……ごめんね。あたしお祝いも言いに行かないで……」

 

 弱々しく顔を曇らせる雛森に慌てて首を振る。

 

「なに言ってるの、いいよそんなこと。私こそなかなか来れなくてごめん」

「ふふ……やっぱり優しいね。知ってるんだよ、沙羅ちゃんがあたしに何度も会いに来てくれてたこと」

 

 図星を指された沙羅は返事に窮した。

 その言葉に違わず、沙羅は藍染謀反の一件以来この救護詰所で治療を続ける雛森を案じて何度も面会に訪れたものの、担当医から「まだ会える状態じゃない」と門前払いを喰らい続けていたのだ。

 こうして自由に面会ができるようになったのも、つい最近のこと。

 

「いろいろ心配かけてごめんね。もう身体の傷はすっかり良くなったから大丈夫だよ」

 

 力ないその微笑みからはとても素直に「大丈夫」とは受け取れなかった。

 身体の傷が完治しても、彼女の内面にはまだ決して癒えない深い傷跡が残されているはず。

 

「沙羅ちゃん。遅くなっちゃったけど、副隊長就任本当におめでとう」

 

 それでも気丈な笑みを浮かべて祝福の言葉を口にする雛森に、沙羅は胸が痛くなるのをこらえて精一杯の笑顔を返した。

 

 

『沙羅ちゃん聞いて! 今日ね、藍染隊長に声かけてもらったの!』

『藍染隊長ってあの五番隊の?』

『そう、前にあたしたちが魂葬の実習で巨大虚(ヒュージホロウ)に襲われたときに助けてくれた隊長だよ』

『あ、わかった! 雛森がずっとカッコいいって言ってた眼鏡の人だ』

『かっカッコいいって……! あたしはただ──!』

『うんうん、それで? 藍染隊長がなんだって?』

『……よく頑張ってるね、って……』

『それから?』

『それからって?』

『……え? それだけなの?』

『うん』

『…………っ』

『あっ! 笑わないでよ! すっごく嬉しかったんだから!』

 

 藍染惣右介は霊術院時代から雛森の憧れの存在だった。

 藍染隊長のような強い死神になるんだ、と雛森はいつも瞳を輝かせて話していた。

 

『わぁ、あたし五番隊だ!』

『五番隊って藍染隊長の隊? やったね雛森!』

『か、からかわないでよー』

 

 護廷十三隊への入隊の儀を済ませたあの日、配属先が貼りだされた掲示板の前でめいっぱい嬉しそうに顔を綻ばせていた雛森。

 入隊後もその意気込みは変わらず、勤務を終えても尚鍛錬場で遅くまで斬魄刀を振るい続ける雛森の姿を何度も見てきた。

 その小さな掌には、刀を握りすぎたが故にできる痛々しい血まめがいくつも刻まれていることを沙羅は知っていた。

 

 そんな努力の甲斐あってか、雛森は並みいるライバルたちを押しのけとうとう副隊長にまで昇りつめる。文字通り藍染の片腕となることができたのだ。

 副隊長の任官式の折、祝いに駆けつけた沙羅に雛森が「ありがとう」とはにかみながら見せた笑顔が忘れられない。

 五番隊の副官章を肩に括りつけ、憧れの隊長の隣に立つその瞳は希望と喜びに満ちあふれ、かつて霊術院で「泣き虫桃」とからかわれていた彼女の姿はそこにはなかった。

 

 そう、誰よりも努力していた。

 敬愛する上官のために。

 ただ彼の力になりたいがために、雛森はあそこまで這いあがったのに。

 

 その上官が彼女を裏切るなど、誰が予測できただろう。

 

 

「ねえ、雛森……藍染隊長のことで聞いてもいい?」

 

 沙羅がそう訊ねると、雛森はわずかに表情を和らげた。

 

「沙羅ちゃんはまだ『藍染隊長』って呼んでくれるんだね……他の人はみんな裏切り者呼ばわりするのに」

「…………あの人は崩玉を手に入れるために多くの犠牲を生みだした。例えその裏にどんな理由があったとしても、赦されることじゃないと思ってる。……そういう意味では私もみんなと同じだよ」

 

 こわばった面持ちで告げる沙羅に雛森は「そうだよね……」と力なく俯く。

 

 尊敬する隊長に裏切られ、手ひどく傷つけられていながら、雛森の中にはまだ藍染を慕う心が消えない。

 それがどうしようもなくいたたまれなくて沙羅はギリッと歯噛みした。

 こんなにもひた向きに心を傾けた雛森を、散々利用した挙句ああも無情に斬り捨てるなんて。

 抑えようのない憤りをもてあましながら沙羅は話を再開した。

 

「藍染隊長は隊士たちからもすごく慕われてたよね」

「うん……藍染隊長はいつも優しいし、部下の面倒見も良かったから。うちの隊の人たちはみんな隊長に憧れてたんだよ」

 

 寂しそうな横顔を見せる雛森に、意を決して訊ねる。

 

「じゃあ……雛森から見て、五番隊の席官で特に藍染隊長に従順な人は誰だった?」

 

 一瞬、雛森の動きが止まった。

 その問いかけの意味を捉えると同時に、大きな黒い瞳がみるみる見開かれていく。

 

「どうしてそんなこと訊くの……?」

「……これ以上の哀しみを生みださないために」

 

 沙羅の答えは雛森に質問の真意を知らしめたようだった。

 

「最近、破面の急な襲撃が増えてるって聞いたけど……それもそのことに関係があるの?」

「……まだわからない。だからちゃんと確かめたいの」

 

 まっすぐに顔を上げた沙羅と目が合うと、雛森は哀しそうに眉根を寄せて視線を逸らした。

 

 ウルキオラから内通者の話を聞いた時点で沙羅はある程度その対象を絞りこんでいた。

 まずは藍染が統括していた五番隊の隊士であること。

 そしてもう一点は、五番隊の中でもそれなりの権力を手にしている上位席官であるということ。

 

 それはここ最近の破面の動向を鑑みれば容易に予測できることだった。

 破面は死神が現世に降り立つ時間、場所、そして恐らくその戦力までも正確に把握した上で襲撃を仕掛けてきている。即ち内通者がそれだけの情報を流しているということ。

 だが、自身の所属する隊の情報だけならまだしも、他隊の任務の詳細まで調べあげるにはそれなりの地位とネットワークが必要になってくる。となれば自然と対象は上位席官に絞られた。

 

「どう……? 心当たりはない?」

 

 沙羅の静かな問いかけに、雛森は瞳を惑わせる。

 

「わ、わからないよ……みんな大切な仲間だもん。それに、証拠もないのにあたしが名前を出しただけでその人が疑われちゃったら──」

 

 雛森のその言い方で沙羅は確信した。彼女の中には誰か思い浮かんでいる人物がいるのだ。

 

「別に犯人だなんて決めつけたりしない。確かめたいだけなの。このことも上から命を受けたわけじゃなくて、ただ私が勝手に動いてるだけだから。……私の思い過ごしならそれに越したことはないんだけどね」

 

 安堵を促すように柔らかく笑いかけると、雛森の表情からわずかにこわばりが消える。

 

「お願い、雛森。もしも破面の連続襲撃に理由があるのなら、一刻も早くそれを突き止めたいの。これ以上犠牲が出るのを黙って見ているなんてできない」

 

 沙羅の真剣な眼差しを正面から受け止め、しばし黙りこんだ雛森はやがてぎゅっと布団を握りしめた。

 

「うん……わかった」

 

 そうして苦しげに目を細めた雛森の口から、ある隊士の名前が紡がれた。

 

 

 ***

 




《Suspicion…疑惑》

 疑惑が確信に変わる。
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