Dear…【完結】   作:水音.

39 / 87
【Side Story】Sea Swallow Ⅱ ー海燕Ⅱー

水天逆巻(すいてんさかま)け──捩花(ねじばな)!」

 

 三叉に分かれた槍の矛先に、高圧の水流が渦を巻いている。

 死神という存在そのものを初めて目の前にした沙羅には、それが死神の斬魄刀解放であることなど知る由もなかったが、そこに宿る霊圧がとてつもない濃度を有していることは見てとれた。

 

「ここでじっとしてろ。すぐに終わらせるからな」

 

 不安を微塵も窺わせない声音で告げた死神の男は、虚に向かって槍を掲げ上段の構えを取る。その身からは空気すら震わせるほどの霊圧があふれだしていたが、それは決して自分たちを害するものではないと沙羅は肌で感じていた。

 

 どうしてだろう。とても力強いのに、とても優しい。

 その絶対的な存在感を誇る立ち姿は、少なくとも沙羅が抱いていた「死神」のイメージとは全く異なるものだった。

 そこまで思考を進めたところで、力任せにもがいていた虚がとうとう水の粒子の戒めを引きちぎった。

 

「死神ガ……コノ程度デ調子ニ乗ルナ!」

「危ない!」

 

 怒り狂った虚が死神の男に襲いかかる。鋭い牙が彼の身に迫るのを見て勇真が叫ぶが、沙羅はじっと黙ったまま風に揺れる死覇装を見つめていた。

 

「……別に調子に乗っちゃいねえよ」

 

 袴の裾がふわりと舞い上がって、ほんの一瞬、沙羅が瞬きをこぼした直後には彼の姿はもうそこにはなかった。

 沙羅の霊撃を喰らってもビクともしなかった巨大虚の身体を槍で一直線に貫いて、その後方に立っていた。

 

「アァァァァァッ!」

 

 虚の断絶魔の叫びが響きわたる。死を連想させる絶望に満ちた悲鳴に、ぞっと背筋が凍りつく。

 

「終わりだ」

「──!」

 

 その虚に対して表情ひとつ変えずに槍を構えた死神に、沙羅は考えるよりも早く動いていた。

 

「待って!」

「うおっ! バカ、いきなり飛びだしてくんじゃねえよ! 危ねえから下がってろ!」

「だめだよ、殺しちゃだめ!」

 

 後退を促す彼に必死になって首を振る。

 

「おまえなに言って──」

「そいつは町のみんなをいっぱい殺した……私の大切な人を、いっぱい傷つけた! だから許せないけど、でも──」

 

 上を向いた濃紫色の瞳に涙が滲んだ。

 

「だからって殺しちゃったら、そいつと同じになっちゃうよ……!」

 

 傷つけられたから、傷つける。

 殺されたから、殺す。

 そんな憎しみの連鎖が繋がるような結末は、哀しすぎると思ったから。

 

 自身の死覇装の裾を掴んで懇願してくる沙羅をまじまじと見据えた彼は、ふっと表情を和らげた。おもむろに手を伸ばして、その小さな頭をなでる。

 

「殺すんじゃねえよ。解放してやるんだ」

「……かいほう?」

「ああ。一度虚に堕ちた魂魄はな、どうやっても元には戻れねえんだ。こいつらを救ってやるには、この苦しみから解き放ってやるしかねえんだよ」

 

 語りながら彼は地面に突っ伏してもがき苦しんでいる虚に目を細める。

 

「俺たち死神の斬魄刀は、魂魄を傷つけない。これで無理やり植えつけられた憎悪から魂を断ち切って、罪を洗い流してやるんだ」

 

 沙羅はわずかに死覇装の裾を掴む手を緩めた。それでも完全にその手を離すことはためらわれて、窺うように彼を見上げる。

 

「心配すんな。見てりゃわかる」

 

 くしゃりと前髪を掻き上げられて、開けた視界の中心に再び太陽のような笑顔が降ってきた。その微笑みに抗うことはできなくて、沙羅はようやく彼を引きとめていた手を離した。

 

「こっから動くなよ?」

 

 背を向けた彼のまとう霊圧が再び濃度を増す。そこからはほんの刹那の出来事だった。

 彼が振りかざした三叉の槍は、巨大虚の胸部を貫くと青白く発光した。

 

「グ……ゥ……ア」

 

 光とともに虚の輪郭が薄れていくのがわかる。苦しみに満ちた声をもらして、異端の存在は消えていく。

 だが、その姿が完全に消滅する最期の瞬間、それまで絶えず憎悪に歪んでいた虚の顔が一瞬だけ安らぎの色に染まるのを沙羅は見た。異形の仮面をまとったその顔に重なって、穏やかに微笑む男性の姿が見えた気がした。

 

「今のは……」

「あいつが人間だった頃の姿だろうな。誰もが最初は善良な人間の魂だった。好きこのんで虚になったわけじゃねえんだ」

 

 槍から刀の形状へと戻った斬魄刀を鞘に納めて、彼は寂しげな横顔で語る。

 

「あの人はどうなっちゃうの?」

「斬魄刀で身を清められた魂魄は、尸魂界を巡る霊子になる。そこで時間をかけて魂を清めて、時が来ればまた現世に転生するようになってんだ。ま、新しく生まれ変わるってことだな」

「……じゃあ、もう誰も傷つけることはないんだよね」

 

 虚が消えていった場所を見つめながら、沙羅は静かに呟いた。安堵とも哀しみとも取れない複雑な感情が胸の内を支配していた。

 だがその意識はすぐに勇真の声によって現実に引き戻されることとなった。

 

「ばあちゃん! しっかりしろよ──!」

 

 救援に駆けつけた後続の死神から治療を受けていた老婆の身体が、今にも力尽きようとしていた。

 

 *

 

「おばあちゃん!」

「触れてはだめよ。治療の妨げになるわ」

 

 治療にあたっていた女性の死神に制され、沙羅はすがるように自分を守ってくれた黒髪の死神を見上げた。

 

「大丈夫だよね……おばあちゃん、助かるよね?」

 

 見る間に血の気が引いていく祖母の顔を見ているのが怖くてたまらない。そんな沙羅を力づけるようにポンと頭をなでた彼は、しかし難しい面持ちで老婆の傍らにひざまずき、治療を施している部下の手元を覗きこむ。

 

「……いけそうか?」

「深い傷ですが、急所はわずかに外れています。臓器に損傷がなければ命は繋ぎとめられるはず。ただ……」

 

 老婆の身体に霊力を注ぎこみながら、女性の死神は顔を曇らせた。

 

「この女性の魂魄が、霊子の蘇生作用の受け入れを拒否しています。これではいくら治療を施しても意味をなしません」

「……そういうことか」

「ええ。もうこれ以上は……」

 

 そんな死神のやりとりを間近で聞いていた沙羅は、たまらず声を上げた。

 

「意味がないって……どうして!」

 

 沙羅にはふたりの会話が示唆する明確な事情までは掴めなかったが、それでもその言葉に落胆がこめられていることは十分に窺えた。つまり、祖母はもう助からないのだと。

 

「いやだ……助けてよ、お願い!」

 

 ほかに縋るものがない沙羅にとって、今頼れるのは目の前の死神しかいない。それこそ勇真の言葉の通り、正義のヒーローさながらに沙羅たちを守ってくれた勇敢な死神。彼ならばきっと祖母のことも救ってくれるだろうと願いを託さずにはいられなかった。

 だが沙羅の懸命な訴えにも彼は沈痛な面持ちを浮かべるばかりで。詰め寄ろうと沙羅が踏みだしたそのとき、力無く伏せられていた老婆の瞼がかすかに開いた。

 

「う……」

「ばあちゃん!」

「大丈夫!?」

 

 必死な形相の勇真と千歳に虚ろな瞳を向けた老婆は、ふたりに向かって薄く微笑むと、ゆっくりと視線を彷徨わせて反対側の沙羅をその瞳に映した。

 

「沙羅……怪我は……?」

「平気……おばあちゃんが護ってくれたから」

 

 こんな状態になっても尚自分たちのことを気にかける祖母に、沙羅は顔を歪めて頷く。

 老婆はそこでようやく安堵の色を浮かべて、子供たちの背後に立つ死神へと目線を預けた。

 

「子供たちを救ってくださり……ありがとうございます」

「いや……死神としては失格だ。もうちょい早く来てればあんたのことも──」

「いいえ、いずれにしろ私はこうなる定めだったんです」

 

 穏やかな表情で告げた老婆を、彼は確信を伴った眼差しで見据えた。

 

「ばあちゃん、あんたやっぱり気づいてたんだな」

「ええ……自分のことは自分が一番よくわかりますから」

「いつからだ?」

「もう……二月ほど前からでしょうか……」

 

 老婆の言葉に一瞬目を丸くした彼は、頭をガシガシと掻きむしる。

 

「二ヵ月も霊体を維持するなんて聞いたことねえよ。ったく……無茶するばあちゃんだぜ」

「……すみません」

 

 老婆は罰が悪そうに微笑んだ。

 

「おばあちゃん……どういう意味?」

 

 祖母がそんな顔で笑う理由がわからない。困惑する沙羅に答えを与えたのは彼だった。

 

「おまえらのばあちゃんの魂は、もうとっくに転生の時期を迎えてるんだよ」

「……それって──」

 

 多くの魂魄が集う流魂街に身を置いて生活している以上、沙羅とてその言葉がなにを意味するのか知らないわけではない。

 尸魂界で永い時を過ごして清められた魂魄は、やがて時期を迎えると霊子が再構成され現世へと転生する。

 新たな生へと歩みだすために。

 

「そんな……本当なの?」

 

 愕然とする子供たちに、老婆は困ったように瞳を細めて頷いた。

 二月前から徐々に湧き上がってきた、深い眠りに(いざな)われるような感覚。それは「死」とも「消滅」とも違う、言うなれば「再生」に近い感覚だった。

 流魂街において転生とは祝福すべきこと。

 事実、迫ってくる睡魔は決して嫌悪を感じるものではなく、幸福と安らぎに満ちたとても心地のよいもので。老婆自身その眠りに身を任せてしまおうと何度も思った。

 ──けれど、それは同時に流魂街で生をともにした家族へ別れを告げることを意味していた。

 

「もうしばらく……この子たちの傍にいたかったんです」

 

 弱々しく呟いた老婆を見て死神の彼は大袈裟にため息をもらす。

 

「自然の流れに抗えば当然魂魄への負担も大きくなる。……相当苦しかったんじゃねえか?」

「……っ! じゃあ春先からおばあちゃんの具合が悪かったのはそのせいだったの?」

 

 ようやく事の顛末を理解した子供たちは、今にも泣きだしそうな顔で横たわる老婆を覗きこんでいた。そんな三人を見て、老婆は少し哀しそうに眉根を寄せる。

 

「おまえたちと離れるのが惜しくて、無理にとどまってしまったけれど……かえって心配をかけることになってしまったね。……許しておくれ」

「そんな……そんなこと!」

 

 今にも消え入りそうな老婆の言葉を、沙羅は必死に耳を澄ませて聞いていた。

 もはや老婆の顔に苦痛は浮かんでいない。安らぎに満ちた、とても穏やかな表情で。

 彼女の魂は今にもこの老いた身体から解き放たれようとしているのだとわかった。

 

「……沙羅。やはりおまえは特別な力を持っているんだね」

 

 祖母の呟きに、沙羅はぶんぶんと首を振る。

 

「こんな力なんていらない。おばあちゃんのことも護れなかったのに……」

「いいや……おまえなら、もっと多くの人を護れるようになる……おまえとの出逢いを待っている人が、きっとたくさんいるはずだよ……」

「わからないよ……私はただ、おばあちゃんと勇真と千歳と四人で、これからもずっと一緒に暮らしていきたいだけなのに!」

「……沙羅……前へ進むことを、恐れてはいけないよ……おまえなら、きっと…………」

 

 向けられていた老婆の瞳が次第に虚ろになっていくのを見て、沙羅は息を呑んだ。

 

「待って……まだ行かないで! 私、もっとおばあちゃんに……」

 

 そう言う間にも、優しい光をたたえた瞳は閉じられていく。勇真と千歳も老婆の手を握っていた手に力をこめ、祈るように叫んだ。

 

「ばあちゃん!」

「行っちゃやだ!」

 

 そんな子供たちを老婆は心底愛しそうに見つめて、顔を綻ばせる。血の繋がりはなくとも、彼女にとってなにより大切な子供たちだった。

 

「……生きなさい。強く……まっすぐに──」

 

 初夏らしい爽やかな風が彼らの佇む丘の上を吹き抜けていく。その風に絡め取られるように、老婆の身体の輪郭が薄れていく。

 その身体は指先から徐々に光の粒へと姿を変えて、きらきらと優しい輝きを放ちながら空に吸いこまれて。

 そして、最後には風だけが残った。

 

 

「……おばあちゃん……?」

 

 まるで現実味のないその様を、沙羅はただ呆然と見つめることしかできなかった。

 だって、たった今までここにいたのに。

 祖母の身体も、温もりも、ほんの数秒前までここにあって。あんなにも穏やかな微笑みをくれたのに。

 その祖母がもうどこにも存在しないなんて。

 

 言葉を失う沙羅の隣で、黙って天を仰いでいた死神の男がおもむろに口を開いた。

 

「普通の魂魄はな、転生の作用が直接働きかけてから三日もあれば、霊子が再構成されて天に昇っていくもんだ。……けどおまえらのばあちゃんはそれから二ヵ月も霊体を維持した」

 

 それだけの間定められた摂理に抗い続けるなど、並大抵の精神力でなせる業ではない。

 

「それだけおまえらのことを想ってたんだろうな」

「……っ」

 

 その瞬間、祖母の最期の微笑みが鮮明に浮かび上がり、そこでようやく沙羅の瞳からは涙がこぼれた。

 

「……私……おばあちゃんに、なにも言えなかっ……」

 

 じわじわとこみ上げる涙は瞬く間にあふれだした。

 

 迫る別れを知りながら、変わらぬ笑顔を向け続けてくれた祖母。

 魂の定めに揺さぶられながらも、一秒でも長く自分たちの傍にいようとそれに抗い続けてくれた祖母。

 

 ならばなおのこと、ちゃんとした別れを言いたかった。

 これまで積み重ねてきた時間の中で伝えきれなかった、たくさんの「ありがとう」と

 新しい生を授かる祖母に向けて、心からの「おめでとう」を

 ちゃんと言葉にして伝えたかった。

 

「口に出さなきゃ伝わんねえのか?」

 

 不意に、頭上に温もりが生じた。自分よりもずっと大きな手の温もりが。

 

「んなこといちいち言わなくたって、とっくに伝わってんだろ。ばあちゃんが最期にどんな顔してたか見てなかったのか?」

 

 沙羅の頭をぽんぽんと撫でる彼は、そう言って斜めに首を傾げる。

 

「ばあちゃん……最期に笑ってた」

「だろ」

 

 沙羅に代わって答えた勇真に軽やかな笑みを向けて、彼は更に続けた。

 

「ばあちゃんはな、最期までおまえらの傍にいられて幸せだったんだよ。それなのにおまえらがいつまでもメソメソしてたら、ばあちゃん安心して生まれ変われねーだろうが」

「…………」

 

 束の間の沈黙のあと、めいめいに顔をこすって涙をこらえようとする子供たちに、彼はふっと表情を和らげる。そして沙羅の前にしゃがみこむとその大きな手を差しのべた。

 

「手ェ見せてみろ」

 

 沙羅がおずおずと差しだした両の掌には、火傷のような赤くただれた痕が残っていた。

 

「痛むか?」

「……少し」

「ま、あれだけの威力の鬼道をぶっ放せば無理もねえな。霊圧が制御しきれなくて暴発したんだろ」

「キドウ?」

 

 耳慣れない単語を反復して首を傾げると、彼は「ああ」と頷いて沙羅の掌の上に自らの手をかざした。

 

「鬼道ってのは死神が扱う呪術のことだ。霊力を放出することで対象を捕縛・破壊したり、あるいはその逆で傷を癒すこともできる。まー直接見たほうが早ぇな」

 

 瞼を伏せて意識を研ぎ澄ませる彼の掌から、淡い白光を纏った霊圧の波動があふれでてくる。

 光はすぐさま沙羅の両手を包みこみ、焼けただれた皮膚に浸透し失われた組織を蘇生させていく。そしてものの十数秒後には沙羅の手は完全に元の状態に復元されていた。

 

「すごい……」

 

 何度か指を曲げたり伸ばしたりして沙羅は目を丸くした。先程までの痛みが嘘のように消えている。

 死神とはただ悪しき魂を滅ぼすだけではなく、こんな特殊な力まで備えているものなのか。

 勇真の「正義のヒーロー」という形容が今になってぴたりとあてはまって、沙羅は自分たちを救ってくれた黒髪の死神を改めて見上げた。

 

「ほかに痛むところはねえな?」

「うん……ありがとう」

 

 少し得意げに胸を張った彼は、鼻頭をこすりながら「おう」と笑った。

 

 

 

 ***

 




《Sea Swallow Ⅱ…海燕Ⅱ》

 出会いと、別れと。
 海燕との出会い編は次話まで。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。