Dear…【完結】   作:水音.

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【Side Story】 Snow Drop Ⅱ ―待雪草Ⅱ―

「踏みこみが甘めェ!」

 

 ギィン、という金属音と同時に手首に激しい負荷がかかり、沙羅はこらえきれず刀の柄を手放した。宙で一回りした斬魄刀はそのまま吸いこまれるように海燕の手の中に収まる。

 すかさず鬼道の詠唱を始めたものの、術式を練る間もなく刀の切っ先が喉元に突きつけられ、反撃手段を失った沙羅は力なく肩を落とした。

 

「ったく、獲物を取られちゃ勝負になんねえだろうが」

「すみません……」

「おまえは間合いを取ってからの切りこみが遅いんだよ。一瞬の隙が実戦では命取りになるんだからな」

 

 ほらよ、と放り投げられた斬魄刀を受け取り、沙羅は自分とは対照的に呼吸の乱れひとつない海燕を見上げた。

 霊術院を出たばかりの新米隊士である自分が副隊長相手に太刀打ちできるとは思っていない。沙羅が衝撃を受けたのはもっと根本的な問題で、力量の差がどれだけあるのかも推し量れないほど彼の霊力が膨大だということだった。

 大きすぎて大きさがわからない。これまでに感じたことのない威圧に戦慄を覚えるとともに、沙羅は喜びにも似た高揚感が身体の芯からこみ上げてくるのを感じた。

 

「どうする? もう終わりにするか?」

「いえ、もう一本お願いします!」

「おし、よく言った。つっても返事だけ良くても意味ねえからな。気合い入れてかかってこいよ」

「はい!」

 

 近づきたい。追いつきたい。

 太陽のごとく遠く輝くこの人に、一歩でも近く。

 

 一心不乱に刀を振るう沙羅に容赦なく怒声を浴びせる海燕であったが、その横顔はどこか嬉しそうでもあった。

 

 

「昼休み返上で手合わせなんて精が出るわね」

 

 そんなふたりの前に姿を現したのはひとりの女性隊士。その姿を目にとめた沙羅はぱぁっと顔を輝かせた。

 

「都さん! お疲れ様です」

 

 十三番隊第三席、志波都(しばみやこ)。女性の身でありながら三席の任を全うする彼女は、沙羅にとって海燕同様に目標と位置づける憧れの存在。

 そして

 

「んだよ都、なんの用だ?」

「うちの可愛い新人が鬼副隊長に絞られてるんじゃないか心配で見にきたのよ」

「誰が鬼副隊長だ!」

「あら、その副官証は偽物? あなた以外にどこ探しても見つからないと思うんだけど」

 

 明るく勝気な彼女は、副隊長・志波海燕の妻でもあった。

 

「沙羅大丈夫? やだ、死覇装ボロボロじゃないの! よっぽど海燕にいじめられたのね」

「あのなァ、人聞き悪い言い方すんなよ! 俺は副隊長としてこいつの成長をはかるためになぁ……」

「いくら副隊長とはいえ勤務時間外の拘束は隊訓に反するわよ」

「違います都さん! 私が無理を言って海燕先輩に手合わせをお願いしたんです」

 

 慌てて間に入った沙羅の言葉に、海燕はそれみたことかと鼻を鳴らして妻に視線を戻す。

 

「ま、そーゆーことだ。いくら三席とはいえ、隊士の自発的な鍛錬を妨げるのは隊訓に反するんじゃねえの」

「本当にそうなの? 海燕に脅されたりしてない?」

「どこまで信用ねーんだ俺は! とにかく今は稽古の最中だ、そんなに沙羅が心配だってんならそこで黙って見てろよ」

「そうもいかないわ。上官命令を受けておりますので」

 

 鍛錬場の隅の木陰を顎先で示した海燕に、沙羅の生傷に顔をひそめていた都は間髪入れずに切り返した。

 

「隊長直々の呼びだしよ。話があるから今すぐ隊首室まで来てほしいって」

「あァ~!? それこそ時間外労働じゃねえのかよ」

「異議がおありでしたら私ではなく浮竹隊長に直接お申し立てくださいな、海燕副隊長」

 

 にっこりと秀麗な笑みを向ける都にそれ以上の反論もできず、海燕は頭をかきむしりながら沙羅を振り返る。

 

「仕方ねえなァ……沙羅、悪りィけど続きはまた今度だ」

「はい、ありがとうございました」

「大丈夫よ。沙羅の稽古には私が付き合うから」

「えっ!? 本当ですか!」

「……おめーはなんで俺ンときより嬉しそうなんだよ」

「いひゃいいひゃい! ごめんなはい!」

 

 途端に顔を輝かせた沙羅の頬を容赦なくつねりあげる海燕だったが、鬼のような形相を浮かべた都に一喝されしぶしぶその場をあとにした。金色の腕章とともに丘を駆けおりていく後ろ姿を見送って都は沙羅に向き直る。

 

「さてと、邪魔者も消えたことだし」

「はい! よろしくお願いしま──ひゃっ!」

 

 勢いよく下げた額に冷水を浴びせられたような感覚が走り、沙羅は首を縮こめた。顔を上げると冷えたお茶缶を両手に持った都が楽しそうに肩を揺らしている。

 

「身体を動かしたあとは十分な休息を取るのも稽古のうちよ?」

 

 片目を閉じて右手のお茶を差しだした都に、沙羅は顔を綻ばせてそれを受け取った。

 

 *

 

「それにしてもまさか沙羅があのときの女の子だったなんてね。最初に聞いたときは驚いたわよ」

「私もびっくりしました。あのとき助けてくれたのが都さんだったなんて」

 

 木陰の長椅子に腰かけた沙羅は、口内のお茶を喉の奥に流しこんで隣の都に頷く。

 

 海燕と出会った七年前のあの日、沙羅は同時に都とも出会いを果たしていた。

 致命傷を負った祖母の命を懸命に繋ぎ止めようと治療にあたってくれた死神の女性。彼女こそがのちの十三番隊第三席、志波都であった。

 

「海燕ね、あれからしょっちゅう沙羅のこと話してたわ。あいつはいつか必ず死神になって、俺らと同じところまで昇りつめてくるはずだって。すごいわよね。本当に追いついちゃうんだから」

 

 ふふっと笑みをもらした都に沙羅は(かぶり)を振る。

 

「ちっとも追いついてなんかいません。刀の扱いも鬼道の腕も半人前で、いつも海燕先輩に怒られてばっかりですもん」

「海燕は自分の気に入った相手にはとことん厳しくするのよね。悪い癖だって何度も言ってるのに。わかりにくいかもしれないけど、それだけ沙羅に期待してるってことなのよ」

「そう……なんですか?」

「そうなの。受ける側にしてみればありがた迷惑でしょうけど」

「そんなことないです!」

 

 きっぱりと放って沙羅は自身の手に視線を落とした。

 

「私が死神になれたのは海燕先輩のおかげです。先輩に会っていなかったら、私はきっとこの力を与えられた意味さえも考えようとしませんでした。今でも流魂街で虚の脅威に怯えながら過ごしていただけだと思うんです」

 

 右手に握りしめた斬魄刀を見据えながら語る沙羅を、都はどこか神妙な面持ちで見つめる。

 

「……力を与えられた意味、か。ね、沙羅は死神になる前となった後で、自分で変わったと思うところはある?」

「変わったところ……ですか」

 

 しばし考えこんだ沙羅はおもむろに口を開く。

 

「苦手なものに対する向き合い方が、変わったような気がします」

 

 大好きな祖母に、家族に囲まれ、ただ穏やかに過ぎていく日々を享受していたあの頃。

 ささやかな幸福に満ちあふれた時間に育まれていくその中で、沙羅は己が死神となりえる力を有していると自覚しながらも、虚との抗争など自分には無縁なことだと考えていた。

 

『誰かが闘ってくれる』

『誰かが護ってくれる』

 

 なんの根拠もなくそう思いこんでいた。

 あの勇敢で一本気な黒髪の死神に出会うまでは。

 

「今でも虚と闘うのは怖いけど、逃げたいとは思いません。それ以上に大切なものを失うことのほうが怖いって気づきましたから」

 

 沙羅は深く透き通った眼差しで都を見上げる。

 

「本当に弱いのは、力がない人なんかじゃない。闘う力がありながらそれを使わない人だと思うんです。私はもうそんな弱虫には戻りたくない。だから闘いたいんです。今度こそこの手で護るために」

 

 力強く放ったその瞳があまりにも彼に似ていて。

 都は思わず笑った。とても嬉しそうに。

 

「道理で海燕が本気になるはずだわ」

「え?」

「まるっきり同じこと言ってるんだもの」

 

 そう言って瞳を和ませた都に、不思議そうに目を瞬いていた沙羅もつられて微笑んだ。

 

 

「そういえば、都さんと海燕先輩って私が初めて会ったときはまだ恋人同士じゃなかったんですよね?」

「ええ。あの頃はただの上官と部下。勝手気ままな副隊長にいつも振り回されてばっかりで苦労したわよ」

「へえー……じゃあ、海燕先輩のどこを好きになったんですか?」

「げほっ! ……どこって、そんなの──」

「あっ! 都さん赤くなってる!」

「こらっ! 上官をからかうんじゃないの! 休憩終わり、稽古始めるわよ!」

「えー! 続き聞かせてください!」

 

 丘の上の鍛錬場にキャーキャーと女同士の黄色い声が響く。

 海燕へ抱く思慕の情にも劣らないくらい、沙羅は都のことも心から慕っていた。

 

 *

 

「副隊長志波海燕、参りました」

「海燕か。入ってくれ」

 

 隊首室の扉の前で声を上げると、部屋の主はすぐに海燕を室内へ招き入れた。

 

「悪いな休憩中に」

「まったくですよ。こっちは昼休み返上で部下の稽古に付き合ってたってのに」

 

 給仕に出されたお茶をすすりながら、物怖じもせず不満を露わにした海燕に浮竹は苦笑する。彼をここへ呼びだしたのはまさにその件に関して話をするためだったからだ。

 

「実はそれについて少々心配な噂を耳にしてな。隊長として放っておけなくなったんだよ」

「なんすか?」

「なんでも、うちの副隊長が新人隊士いびりをしているとか」

「ぶっ!?」

 

 予想だにしなかった台詞に海燕は番茶を噴きだした。

 

「とまぁそれは大袈裟だとしても、実際おまえが新人隊士に無茶をさせすぎているという報告も入っていてな」

「はァ!? どっからの報告すかそれ!」

「うちの優秀な三席からだよ」

「……都のやつ……」

 

 噛みつかんばかりの勢いだった海燕はそこでがくりと肩を落とす。

 どうやら自分はまんまと都に嵌められたらしい。スパルタ(と思われているのであろう)指導から沙羅を救出するために(てい)よくあの場を追いはらわれたというわけだ。

 

「確かに沙羅には素質も根性もあるし、なにより心根がまっすぐで曇りがない。目をかけたくなる気持ちはわからなくもないが──焦って育てるとかえって若い芽を潰すことにもなりかねないぞ」

「……わかってるつもりなんすけど、つい力が入っちまうんですよ。あいつに対しては」

 

 罰が悪そうに頭をかく海燕に浮竹は肩をすくめる。

 

「特定の隊士への肩入れは望ましいとは言えないな」

「俺が副隊長だからですか?」

「ああ。隊長格たる者第一に考えるべきは隊の統率だ。──なんて副官に仕事を丸投げしている俺が言えた台詞じゃないけどな」

 

 苦笑を浮かべた浮竹は、ふと真顔に戻ると「それに」と続けた。

 

「隊長格は席官を目指す全ての隊士達にとっての憧れの存在でもある。おまえが沙羅のことばかり構っていては面白くない者もいるかもしれないだろう」

「……俺苦手なんすよ、そーゆーややこしいことゴチャゴチャ考えんの。やっぱ俺には副隊長なんて向いてないのかもなー」

「おいおい、恐ろしいことを言うなよ。おまえがいなくなったらうちの隊はどうなるんだ」

「平気ですよ。もうこいつの後継者は決めてあるんで」

 

 海燕が親指で左肩の副官証を指すと浮竹は目を丸くした。

 

「冗談だろう? いくらなんでも気が早すぎるぞ」

「早い分にはいいじゃないすか。備えあれば憂いなしってね」

「もっともらしく聞こえるがただ副隊長業務を押しつけたいだけじゃないだろうな」

「やだな~隊長、んなわけないじゃないすか!」

 

 へらりと緊張感のない笑みを覗かせる副官に浮竹は呆れたものの、実際のところ人一倍責任感の強い海燕がなんの思慮もなしにそんな発言をするとは思えない。つまりはそれだけあの新人隊士の少女に期待を寄せているということなのだろう。

 

「よほど沙羅が気に入ったんだな」

「……別に贔屓してるつもりはないんすよ、冗談抜きで。ただあいつにはなにか感じるモンがあるっつーか……まあ、勘としか言いようがないんですけど」

 

 波打つ番茶を見つめながらそう言うと、海燕は湯呑みを茶托に戻して顔を上げる。

 

「隊長さっき言いましたよね、隊長格は隊士の憧れの存在だって。もちろん俺もそう思ってますし、そういう存在でいなきゃならないって自覚もあります。けど沙羅は少し違う」

 

 凛とした横顔には期待と高揚がはっきりと見てとれた。

 

「あいつには死神としての高みを目指すとか、席官になりたいとか、そんな欲はこれっぽっちもない。ただ純粋に力を求めているだけなんです。それも強さを誇示するための力じゃない。自分の地位を確立するための力でもない。ただ周りを護るための力を」

「……だからこそその副官証を背負うに相応しいと?」

 

 海燕は迷わず頷いた。

 

「こいつは背負って立とうと思って立てるほど軽いモンじゃないすよ。半端な覚悟で身につければすぐに押し潰されちまう。この重みに耐えられるのは、自分が護るべきものの重みを知ってるやつだけだと俺は思うんです」

 

『……強くなりたい。強くなって、私はみんなを護るためにこの力を授かったんだって証明したい』

 

 脳裏に甦るのは、泣き腫らした瞳に強い意志を宿した遠き日の少女。己の力を『護る』ためだと定義づけ、その信念を一心に貫こうとする少女。

 

「あと数十年もすれば、沙羅は俺を超える死神になりますよ」

 

 窓から流れこんでくる初夏の風に目を細めて海燕は告げた。そして左肩の副官証に目線を落として、ニッと歯を見せる。

 

「ま、俺の目の黒いうちは譲る気はないすけどね」

「当たり前だ。おまえにはまだまだ働いてもらわないと困る。そう簡単に引退できると思ったら大間違いだぞ」

「うわーおっかねえ~」

 

 十三番隊の隊首室を気の置けない男たちの笑い声が通り抜けていった。

 

 

 *

 

 翌日、就業後に鍛錬場へと足を運んだ海燕は小さく嘆息した。

 

「咲き誇れ、夢幻桜花!」

 

 夕日に向かって刀を振る小柄な影。昨日浮竹から注意を受けたこともあり、今日は身体を休めろと言ったのに。

 

「副隊長命令違反者一名発見。ただちに取り押さえんぞー」

「っわぁ!」

 

 一瞬で背後に回りこみ右手を掴みあげると、汗だくになった沙羅が驚いた顔でこちらを見上げた。

 

「海燕先輩! 脅かさないでください!」

「そりゃこっちの台詞だ。今日はまっすぐ帰れっつったろ」

「……すみません」

 

 指示に背いたという自覚はあるのか、決まり悪そうに眉尻を下げる沙羅。見ると斬魄刀を握りしめる右手は血豆が潰れてボロボロになっていた。

 

(……怒ったところで聞くようなやつじゃねえか)

 

 また都にどやされるなと思いつつもそれ以上の追及を諦めた海燕は、代わりに別の問いを投げかけた。

 

「斬魄刀解放の練習か?」

「はい……ちっともうまくいかなくて」

 

 沙羅が院生時代に始解を習得したという話は聞いている。なんでも三回生になって行われる初めての虚の昇華実習で、複数の巨大虚(ヒュージホロウ)と遭遇し無我夢中で闘っているうちに斬魄刀の声が聞こえたそうだ。ちなみに十番隊席官の松本乱菊とはそのときの縁で今も交流が続いているらしい。

 院生のうちに始解に至るのは稀な例だが、彼女の素質を考えればさして驚くことではない。それに、真に死神としての能力を問われるのは始解の域に達することではなく、解放した斬魄刀を使いこなせるかどうかにある。

 事実沙羅も斬魄刀の名前こそ聞きだしたものの、そこからなかなか前に進めず四苦八苦していた。

 

「どうすれば自分の思った通りに解放できるようになるんですか? どれだけ呼びかけてもなんの反応も返ってこないんです」

 

 沙羅がこれまでに夢幻桜花を解放したのは数回程度。いずれも虚との戦闘中、あるいは鍛錬の途中で、自らの意図せぬところで発現したものだった。逆に解放しようと意識を傾けたところで始解に成功したことは一度もない。

 不安げに顔を曇らせる沙羅に海燕は笑いながら両腕を組んだ。

 

「沙羅、始解の条件言ってみ」

「斬魄刀との『対話』と『同調』、ですよね?」

「ああ。それがどういう意味かわかるか?」

 

 首を傾げる沙羅に目を細めて続ける。

 

「『対話』は互いに向き合って、対等の立場で話をすること。一方的に話しかけても対話とは言えねえ。もちろん対話を通じて心を重ね合わせなければ、斬魄刀との『同調』もできねえ」

 

 そこで一旦言葉を区切った海燕は、沙羅の右手を取って胸元の高さまで引き上げた。

 

「おまえが斬魄刀を呼ぶんじゃない。斬魄刀の声に耳を傾けるんだ」

「斬魄刀の声……」

 

 右手の先で夕日を受けて煌めく夢幻桜花の刀身を、沙羅はまっすぐに見据える。

 初めて始解を遂げてから今日に至るまで何千何万とこの刀を振るってきたが、こちらから呼びかけるばかりでその声に耳を澄まそうなどとは考えたこともなかった。

 言われてみればもっともだ。相手の声に耳も貸さずに対話をしようだなんて、思い違いも(はなは)だしい。

 

 ……聞かせてくれるだろうか。

 清らかなその声を。そこに宿る想いを。

 

 強く念じて瞼を伏せると、どこからかふわりと風のような声が舞いこんできた。

 

『……気づいたようですね』

 

 何度呼びかけても、どれだけ耳を澄ましても聞こえなかったはずの声が、頭の中で優しく木霊する。

 

『私の声は耳で聞くものではありません。心で聴くのです』

(……心で?)

『そうです。それはこの身に宿る力も同じこと。あなたの心と同調してこそ、私の能力は発現するのです』

 

 ゆっくりと瞼を押し上げた沙羅の瞳に映る斬魄刀には、一見してわかるような変化はなにもない。けれど沙羅は握りしめた刀の柄から確かにその鼓動を感じていた。

 

 

「咲き誇れ──夢幻桜花」

 

 

 わずかな呼吸とともにその名を紡ぐ。

 直後、おびただしい霊圧が沙羅を中心とした辺り一帯に渦巻いた。

 

「……でき、た……? 海燕先輩! 解放できました! やったぁー!」

 

 薄桃色に色づいた斬魄刀を手に飛び跳ねている沙羅を見守りながら、海燕はそっと左肩に手をやってひとりごちる。

 

「やっぱおまえの後継者はあいつしかいねえよなぁ……」

 

 夕日を浴びた副官証はそれに応じるかのように、まばゆい黄金色に輝いていた。

 

 

 **

 

 始解を完全に会得してからの沙羅の成長は速かった。

 瞬く間に剣技の腕を上げ、それと同時に鬼道や体術、対虚戦術への精通も深めていく。その傍らには必ずと言っていいほど副隊長・志波海燕の姿があった。

 

「おらぁどうした! もう降参か!?」

「誰が降参なんて! 先輩こそ気ィ抜いて怪我しても知りませんから!」

 

 鳴り止むことのない鍔迫(つばぜ)り合いの音を耳にとめながら、隊舎の縁側に腰かけていた浮竹は顔を綻ばせた。

 

「……取り越し苦労だったか」

 

 その視線の先には刀の稽古に明け暮れるふたりの部下の姿がある。

 一方は彼が最も信頼を置く副官であり、もう一方は今や新人隊士という呼称は当てはまらないほどにたくましく成長した少女。

 最初こそ海燕のあまりの執着ぶりに懸念を深めた浮竹であったが、その不安はいつしか綺麗に払拭されていた。そんな気を揉まずとも沙羅が副隊長から特別な扱いを受けているなどと妬む者は誰ひとりとしていないだろう。

 人知れず努力を重ね、自分を差しおいてなによりもまず仲間を労り、人一倍思いやり深い彼女のことを、元より気の良い十三番隊の隊士たちが疎ましく思うはずがない。

 

「本当、沙羅の成長には驚かされますよね」

 

 急須から注いだお茶を傍らに置いた都に「ありがとう」と告げて、浮竹は湯呑みを口元に運ぶ。

 

「まったくだ。海燕の目に狂いはなかったということだろうな」

「それだけ沙羅の素質が優れていたんでしょうけど、それよりも海燕の稽古に耐えられたことがすごいと思いません? あの人、気に入った相手ほど容赦しないんですから」

「ははっ、確かに」

 

 香り立つ玉露茶を一口喉に流しこんで、浮竹は声を上げて笑う。

 

「でも、わかる気がします。沙羅に入れこむ気持ち」

 

 お盆を胸に抱いて浮竹の隣に立った都は、隊舎奥の鍛錬場で未だ打ち合いを続けているふたりに目を細めた。

 

「あの子、なにに対しても一生懸命で、絶対に諦めないんですよね。そのくせ自分のこととなると向こう見ずで無鉄砲だから放っておけないし」

 

 その台詞に現れているように、都自身も沙羅を実の妹のように可愛がりなにかと目をかけていた。沙羅の将来に期待を寄せているのはもはや海燕だけではない。

 

「海燕の言うように、あの子が海燕を超える日もそう遠くはないのかもしれませんね──」

 

「っやべ!」

「隙あり!」

 

 キィンと一際高い音が響き、ふたりが組み合っていた場所から少し離れた地表に海燕の斬魄刀が突き刺さっていた。

 

「……やった!! 隊長! 都さん! 海燕先輩から一本取りましたー!」

「おまっ、一本ぐらいで大騒ぎしてんじゃねえよ! 今のはちっと油断しただけだ! ホラ次やんぞ次!」

「え? 『もう一本お願いします』の間違いじゃないですか?」

「~っざけんな!!」

 

 喧々(けんけん)と言い合う姿に浮竹と都は揃って吹きだす。

 

「そうかもしれないな……」

 

 目を細めた浮竹の呟きに、隣の都も穏やかに微笑み、頷いた。

 沙羅にとって慌ただしいながらも充実した日々は、空に浮かぶちぎれ雲が風に乗って流れていくように、瞬く間に過ぎていった。

 

 

 ***




《Snow Drop Ⅱ…待雪草Ⅱ》

 浮竹は心配性な父親、海燕と都は世話焼きな兄姉のような存在として、沙羅の成長を見守っています。
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