Dear…【完結】   作:水音.

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【Side Story】 Snow Drop Ⅲ ―待雪草Ⅲ―

 それから幾年もの歳月が過ぎ、季節は再び春を迎えた。

 

「海燕先輩! いつまで寝てるんですか!」

 

 爽やかな五月晴(さつきば)れに包まれた早朝、沙羅は勢いよく副隊長邸宅の寝室の扉を開く。

 

「うー……あと五分……」

「そんな時間ありません! 今朝は席官会議だって隊長が言ってたじゃないですか」

 

 強制的に布団を剥ぎとればしぶしぶ身体を起こす、十三番隊副隊長。

 

「あー……そういやそんなこと言われたな。おまえも出んのか?」

「なんで席官でもない私が出席するんですか。私は隊長から今日の議案の資料作りを頼まれただけです」

「……つーか今日の議案ってなんだっけ」

 

 欠伸(あくび)をこぼしている海燕に沙羅はまざまざとため息をもらした。

 

「副隊長がそんなことでどうするんですか。今度の席官試験の実施要項を決める大事な会議です!」

「席官試験? ああそっか、来月だもんな」

「しっかりしてください、もう願書もこれだけ集まってるんですからね!」

 

 束になった席官試験受験の願書を目の前に突きつけると、海燕はそれをぱらぱらと捲りながら「へーこんなにいんのか」と呑気な声を上げている。

 

「で、おまえの願書は?」

「え?」

「なにとぼけてんだよ。今度の席官試験受けろって言ったろ」

 

 急に真顔になった海燕に沙羅はしばし返事に窮した。

 

「私には席官なんてまだ早いです」

「別に早くねえだろ。おまえの同期の吉良と雛森だっけか? あいつらなんてもうとっくに席官になってんだろ? 十一番隊の阿散井も今回受験するって聞いたぞ」

「それはみんなが優秀だから、」

「俺はおまえがそいつらに遅れを取ってると思ったことなんて一度もねえよ」

 

 ふんと鼻を鳴らす海燕に沙羅は無意識に頬を緩めた。彼がいかに自分のことを認めてくれているか、言葉や表情のひとつひとつが伝えてくれる。

 

「それにおまえ、いつか十番隊の松本を超えるっつってなかったか? 松本は先月の昇格試験にも受かったみてえだし、急がねえとどんどん離されちまうぞ」

 

 院生時代に出会った乱菊とはこのときすでに親友と呼べる間柄になっていた。

 死神としては沙羅の遥か先を行く彼女に追いつくこと。それがふたりの間に交わされた約束でもある。

 けれど沙羅の中には焦りはなかった。

 

「いいんです。肩書だけ追いついても意味がないですから」

 

 席官の称号が欲しいわけじゃない。それに見合う死神になることが自分の目標だ。

 目指すものを視界の中心にはっきりと捉えている沙羅にとって、先を行く仲間に対しての劣等感や焦燥は皆無に等しかった。

 

 それに、沙羅が誰よりも追いつきたいと願っているのは、今目の前にいるこの人だ。

 入隊から数年が経ち、死神としての戦闘技術や状況判断力は格段に鍛えられたと思う。

 それでも海燕との距離はちっとも狭まった気がしない。それは手合わせで一本取ったからとか、事務を苦手とする彼を度々サポートしているからとか、そんな些細なことで埋まる距離ではなくて、言うなれば死神としての『格』における距離。

 その格差が目に見えて存在する以上、席官となって位の上でのみ海燕との距離を縮めようとすることがどうしても躊躇われるのだった。

 

「肩書だけだなんて誰も思わねえよ。おまえは十分席官に見合う力をつけた」

「いえ、まだ足りません。それに私以上に席官に相応しい人はたくさんいます」

 

 沙羅が苦笑交じりに吐露した言葉を即座に否定しようとして、海燕は喉まで出かかった台詞を呑みこんだ。

 

 無理に席官になれとは言わない。むしろ体裁に拘らない純粋な上昇志向はたいしたものだと思う。

 だが沙羅にはもう十分にその資質も評価もあるはずだ。彼女の成長を見守る海燕にとってはもどかしいことこの上ない。

 とは言え向き合った沙羅の瞳は揺らぐことなくこちらを見据えていて、いくら説得を試みたところで今の彼女を頷かせるのは難しいだろう。

 

「沙羅、いい話聞かせてやろうか」

 

 一旦宙を仰いだ海燕は話題を変えた。わざともったいぶるように言って、左肩に括られた副官証を取り外す。

 

「この花の意味、知ってるか?」

「意味?」

 

 副官証を手渡された沙羅はそこに刻まれた花の紋様を目にとめて首を傾げた。

 

「護廷十三隊の各隊には、それぞれに隊を象徴する花が決められてんだ。俺たち十三番隊の隊花は待雪草(まつゆきそう)。この待雪草が持つ意味はな──」

 

 ニッ、と海燕は口の端を持ち上げた。

 

「希望だ」

 

「希望……」

「ああ。この花にはこんな言い伝えがあってな」

 

 復唱した沙羅に頷き、続ける。

 

「遠い昔、禁忌を破って楽園を追われた一組の男女がいた。雪降る冬の世界へと追いだされ、絶望と寒さで嘆き哀しむふたりの前に、天使が現れこう告げる。 『寒い冬のあとには、必ず暖かい春がやってくる』 ふたりを慰めた天使が雪に手を触れると、溶けた雪のしずくが待雪草になった──」

「…………」

 

 真剣に耳を傾けていた沙羅は、いたたまれなくなったように目線を横にずらした。

 

「海燕先輩って……前から思ってましたけど、意外にロマンチストですよね……メルヘン好きっていうか」

「あァ!? おまっ、人がせっかく真面目に話してやってんのに! 嘘じゃねえよ! 本当にこういう言い伝えがあんだよ!」

 

 途端に形相を変えて詰め寄る海燕を耳を塞いでやり過ごして、沙羅は再び副官証に目を落とす。

 

「希望か……難しいですね」

「かもな。一言で希望っつっても、中身は人それぞれだ。ま、それはこれからのんびり考えていきゃあいーんじゃねえの? 自分の希望は自分で見つけるもんだ」

「……。海燕先輩って……」

「なんだよ!? またメルヘンとか言うんじゃねえだろうな!」

 

 頬を赤らめて身構える海燕に沙羅は声を上げて笑う。

 

 ──海燕先輩って、初めて会ったときと少しも変わらないんですね──

 

「なんでもないです」

「おまえソレ余計に気になんだろうが!」

「じゃあ気にしないでくださ──いたいいたいいたい!」

「吐けコノヤロウ!」

「暴力反対!」

 

 傍目には子供の喧嘩にしか見えないじゃれ合いを展開するふたり。その間に流れる空気は、やかましい声とは裏腹にとても和やかなもので。

 

「って先輩! 時間!」

「やべっ! もう8時回ってんじゃねえか!」

 

 慌ただしくも笑顔が絶えないその日常に終焉が近づいていることなど

 

 このときはふたりとも、気づきもしなかった──

 

 

 *

 

 青天の霹靂(へきれき)

 まさにそんな出来事だった。

 

「都さん……?」

 

 隊舎の中央に据えられた棺。泣き崩れている仲間達。

 任務を終えて隊舎に戻った沙羅が目の当たりにしたのは、あまりにその場にそぐわない光景だった。

 

 震える足を無理やり引きずり棺の前に立つ。十三番隊第三席・志波都が、棺の中で白い花に包まれて眠っていた。

 

「帰還中に虚の急襲に遭ったそうだ。……彼女の部隊は全滅した」

 

 沈痛な面持ちを浮かべた浮竹の声が耳をすり抜けて消えていく。

 ふらりと視線を横に移すと、棺のすぐ傍らに海燕が立っていた。涙も流さず、声ももらさず、ただ茫然と妻の亡骸を見つめて。

 

「都さん……」

 

 再び棺へと目線を戻して、沙羅はその横に(ひざまず)いた。つい今朝方までいつもの優しい笑顔で沙羅に語りかけてくれていた人が、そこにいる。いるのに、彼女は、もう笑ってくれない。

 

「都さんっ!」

「沙羅、落ち着け!」

 

 ガッと棺に手をかけると後ろから浮竹に押さえられた。しかしそれすらも振りほどいて沙羅は棺を揺らす。

 

「どうして! どうして都さんがッ!」

「……っ!」

 

 そんな沙羅の姿を見て抑えていたものが弾け飛んだのか、それまで立ち尽くしていた海燕がバッと踵を返した。

 

「待て! 海燕! おさえろ! まだ敵の能力もわかってな……」

「じゃあなんならわかってんすか!」

 

 激昂する海燕に浮竹はしばし目を伏せ、やがて低く押し殺した声で現状で明らかになっているわずかばかりの情報を明かした。

 その虚が一か所に巣を作ってそこにとどまる常駐型であること。そして、その棲み処を。

 

「隊長。出撃許可をお願いします」

「……どうせ止めたところで行くつもりなんだろう?」

「はい」

 

 怒りとも哀しみとも取れない色を宿した瞳を向ける海燕に、浮竹は短く嘆息して頷いた。

 

「……わかった。出撃を許可する」

「私も行きます!」

「それはだめだ」

 

 斬魄刀を腰に携えた海燕に続いて沙羅が立ち上がると、浮竹は今度は首を左右に振った。

 

「おまえは任務から戻ったばかりだ。霊力を消費しすぎてる。それに冷静さを欠いた状態で虚と対峙すれば、確実に足元を掬われる」

「まだ闘えます! 油断もしません。お願いです、どうか私も行かせてください!」

「だめだ、認められない。討伐には俺と海燕と朽木の三人で行く」

「隊長!」

 

 必死に懇願する沙羅にも浮竹は頑として譲らない。それでも尚食い下がろうとすると、頭上にポンと大きな手が乗せられた。

 

「ここで待ってろ」

「でもっ……私も一緒に!」

「付いててやってくれ」

 

 出会いの瞬間と同じように沙羅の頭を右手ですっぽりと包みこんだまま、海燕は棺の中で眠る妻を見つめる。

 

「都の誇りは、俺が護る」

 

 固い意志が刻まれたその横顔を前にしてはそれ以上の言葉を紡ぐことなどできなかった。

 

「……わかりました」

「んな顔すんな。すぐ戻るから」

 

 唇を噛んで俯く沙羅の頭をわしゃわしゃと掻き回す海燕。

 こんなときにまで変わらないその労りが、今はただ痛くて、苦しい。

 

「じゃあ行ってくる」

「はい……」

 

 頭から手を離して背を向ける間際、一瞬だけ垣間見えた海燕の悲壮な表情に妙な胸騒ぎを覚えたのはなぜだろう。彼の左肩に括られた副官証は、今もあんなにも眩しく希望の花を咲かせているのに。

 浮竹やルキアと連れ立って出ていく海燕の後ろ姿を見つめたまま、沙羅は両手の震えを抑えられずにいた。

 

 *

 

 都の傍らに付き添っていた沙羅の元に報せがもたらされたのはそれから数刻後のことだった。

 

「沙羅! 急いで出撃の準備して!」

 

 切羽詰まった形相の清音が隊舎に飛びこんできた時点で、沙羅は即座に斬魄刀を握って立ち上がった。

 

「朽木さんから救援要請が入ったの」

「ルキアから? ……隊長と海燕先輩は!?」

 

 愕然とする沙羅に仙太郎が顔を歪めたまま伝える。

 

「海燕副隊長が虚に身体を乗っ取られて……今隊長が応戦しているそうだ」

「──っ!」

 

 押し隠していた不安が(せき)を切ったように胸中を埋め尽くした。

 海燕を見送るときに感じた、あの言いようのない悪寒は。

 

「都さん……」

 

 棺に横たえられた彼女の身体は徐々に霊子へと変わり空気と同化し始めている。その姿が完全に失われるのは時間の問題だろう。

 白く滑らかな、けれど今は冷たくなった頬に触れて、沙羅は一度閉じた瞼をしっかりと見開いた。

 

「……行ってきます」

 

 

 *

 

「沙羅! ひとりで飛ばしすぎよ!」

「……」

「くそっ、聞いちゃいねえ!」

 

 後続の清音と仙太郎の制止に耳も貸さず沙羅は全速の瞬歩で駆け抜けていた。

 ルキアから救援信号が発信された地点に近づくにつれ、色濃くなる強大な霊圧。

 対峙しているふたつの霊圧はどちらも良く知る人物のものだ。だがそのうち一方は重く禍々しい霊圧と混ざり合っていて、いつも彼が放っている本来のそれとは似ても似つかなかった。

 

「……っ」

 

 ビキン、と右のふくらはぎに鈍痛が走る。既に千を超える瞬歩を続けている沙羅の足は限界を訴えていた。

 それでも速度は緩めない。足が折れようと腱が切れようと構わない。間に合ってさえくれれば、それで。

 

 

「ルキア!!」

 

 その場へ辿り着いた沙羅の瞳に真っ先に映ったのは、斬魄刀を握りしめたまま呆然と立ち尽くすルキアの姿だった。

 

「沙羅……」

「大丈夫? 怪我は!?」

「私は……どこも……。しかし海燕殿が……海燕殿の身体が虚に……!」

 

 錯乱しているルキアの両肩を強く抱き寄せて、前方へ目を凝らす。

 浮竹が極力霊圧を抑えて応戦している『ソレ』は──海燕であって海燕ではない。彼とは全く別の異形の存在。

 

「……大丈夫。海燕先輩なら、きっと──」

 

 半分は自分自身に言い聞かせるように言いながら、沙羅は奥歯を噛みしめてルキアとともに後方へ下がる。

 浮竹を援護しようにも介入できる隙がない。下手に手を出せばかえって邪魔になるだけだ。

 

「どうした! なぜ斬りかかって来ん!?」

 

 一定の距離を保ったまま決定打を放ってこない浮竹に、海燕の姿を(かたど)った虚はせせら笑った。

 

「無駄だ! 人間の肉体に入りこんだのとは訳が違うぞ!」

「……」

「わしも霊体こやつも霊体、霊体同士の融合だ! 永劫解けることはない!」

 

 その言葉を聞き止めた沙羅は全身の血が凍りつくのを感じた。

 一度融合した霊体が個々の姿に戻るのは、どちらかが霊体としての形を保てなくなった場合のみ。

 

 それは、それはつまり。

 

 ザシュ……

 

 刀が風を切る音と血飛沫が舞う音はその直後に響いた。

 

「……あ……か……ッ!?」

「ならば致し方ない……海燕の身体ごと、おまえを斬ろう」

「──!」

 

 海燕の血に濡れた斬魄刀を構えた浮竹に、沙羅とルキアは同時に息を呑む。そして浮竹の刀の切っ先が海燕の首筋に狙いを定めたそのとき。

 

「……っ! げほっげほっ! ごほっ!」

 

 赤い鮮血を吐きだしたのは海燕ではなく、浮竹だった。

 ただでさえ増え続ける虚への対応に追われ連日の激務を余儀なくされていた浮竹。そこへ今回の都率いる部隊全滅の事件も重なり、過度の心労が彼の身体を蝕んでいることは明白で。

 

「隊長!」

 

 反射的に沙羅は斬魄刀を鞘から抜き放った。しかし沙羅が飛びだすまでもなく、虚は次の狙いを沙羅とルキアに定めていた。

 

「さて──どちらから喰ってほしい?」

「く……っ!」

 

 虚の牙を受け止めた夢幻桜花の刀身がガチガチと小刻みに震えている。

 宿る精神は違えど、その肉体が海燕のものであることに変わりはない。

 力も、速度も、身体能力も。全てが自分を超越する存在。

 

「海燕、先輩……!」

 

 刀が弾かれるギリギリの体勢で踏みとどまりながら、沙羅は必死にその名を紡いだ。

 強く、優しく、誇り高く。誰からも慕われた十三番隊の副隊長の名を。

 

「こんなやつなんかに……負けないでください……!」

「無駄だ。おまえの声など届くものか」

「先輩!」

「無駄だと言うのがわからんのか!」

 

 圧倒的な力を前にとうとう右手から夢幻桜花が弾かれ、海燕の──否、虚の腕から伸びた触手が沙羅のふくらはぎを深々と引き裂いた。

 

「うぐ……っ」

「沙羅!」

 

 左脚の自由を失い倒れこむ沙羅にルキアが駆け寄ろうとするも、その前に黒い影が落ちて進路を阻む。赤々と染まる触手を翻した虚はルキアを見下ろしてニタリと口角を上げた。

 

「あ……」

「まずはお前から喰ろうてやろう、小娘」

 

 ずっと焦がれ続けてきた人の姿をそのまま象っているその存在に対し、ルキアは斬魄刀を構えることができない。

 

「海燕殿……」

「ルキア! 逃げて!」

 

 沙羅が叫ぶ間にも虚との距離は縮まり、鋭い触手の尖端は今にもルキアに達しようとしていた。

 

「く……ぅっ!」

 

 ずるりと足を引きずって片膝を立てるも、尋常ではない激痛に苛まれ力が入らない。腱をやられたか神経を損傷したのだろう。

 けれど今は己の身を案じている余裕などなかった。

 

「だめ……」

 

 強く握りしめた拳に血が滲む。

 

 だめです

 

 海燕先輩

 

 見上げた先に映る彼はもう沙羅の知っている彼ではない。ただ肩に括られた副官証だけがいつもと変わらぬ輝きを放っている。

 

「こんな……」

 

 こんなことを

 

 貴方が望むはずがない

 

 だって

 

 だって貴方は

 

 海燕の身体を支配する虚は伸びた触手を天に向けて大きく振り上げ、ルキアに照準を定める。それがまっすぐに振り下ろされていく様を見つめながら沙羅は声の限りに叫んだ。

 

 

「 海 燕 副 隊 長 ッ !! 」

 

 

 おぞましい触手はルキアの頭蓋を貫通することはなく、尖端を彼女の額に触れたままピタリと動きを止めていた。

 

「ばかな……」

 

 海燕の喉から紡がれる虚の声が驚愕に震える。

 彼は確かにルキアを喰らうべく触手を振り下ろしたはずだった。今この瞬間も。

 

「なぜ動かぬ……完全に支配したはず」

 

 指の一本すら思うように動かないこの状況を理解しようとして、虚は視線を彷徨わせた。やがて後方で地面に這いつくばったままこちらを見上げている少女と目が合い、その答えを知る。

 

「海燕副隊長……」

 

 ──だぁーやめろやめろ! おまえに副隊長なんて呼ばれっと調子狂うんだよ! ──

 

 脳裏に甦る記憶はこの肉体の本来の持ち主のもの。

 自分とはなんら関わりのないはずのその記憶が執拗にまとわりついて離れず、虚は憎々しげに呻きを上げた。

 

「小娘……貴様か……!」

「思いだしてください……十三番隊の隊花を!」

 

 苦痛に顔を歪めながらも沙羅は懸命に言葉を紡ぐ。つい先日、目の前のこの人が聞かせてくれた話を頭の中で反芻しながら。

 

『俺たち十三番隊の隊花は待雪草。この待雪草が持つ意味はな──』

 

 彼の左肩に光る副官証に刻まれているのは、凍てつく冬を耐え忍ぶ白い花。どんな吹雪に晒されようとも、春の訪れを信じて待ち続ける希望の花。

 

「私にその意味を教えてくれたのは、あなたです──!」

 

 裂けたふくらはぎからおびただしい血が流れるのも厭わず、沙羅はゆらりと立ち上がった。

 

 

『闘う理由なんて、んな大層な御託並べねえでも『護りたいモンがある』の一言で十分だろ』

 

 この身に宿る力の使い方を諭してくれたのも

 

『おまえならきっといい死神になれるぜ。俺が保証してやる』

 

 私に死神として生きる道を示してくれたのも

 

『副隊長の志波海燕だ。ま、わかんねーことがあったらなんでも聞いてくれ! これからよろしくな!』

 

 無知で未熟で失敗ばかりだった私を、ここまで導いてくれたのも

 

 すべて、なにもかも、貴方でした

 

 その貴方が

 

 みんなに希望を与え続けてきた貴方が

 

 こんな哀しい絶望なんかに、囚われないでください

 

 

「都さんの誇りを護るって……言ったじゃないですか……! 希望を忘れないでください……海燕先輩!!」

「小娘が……戯言を! ……っ!?」

 

 血走った眼で沙羅を睨みつけた虚は次の瞬間形相を一変させた。

 

「う、ガ……ァア!」

 

 異様な声を上げて頭を抱え、のたうち回る。苦しげに吐きだされる吐息の合間を縫って響いたのは沙羅にとって馴染み深い声だった。

 

「っ……んな大声出さなくても聞こえてるっつーの……」

「先ぱ……!?」

 

 憎悪に歪んだ虚の声とは違う。これまでずっと追い続けてきた、大好きな人の声。

 しかしそれはほんの一瞬の安堵に過ぎなかった。

 

「小賢しい真似を! 内側から喰い尽してくれるわッ!」

 

 同じ口から今度はまったく別の声が放たれ、海燕の身体が再び黒い霊圧に飲みこまれてゆく。

 

「海燕先輩!」

 

 伸ばした手が彼に届くことはなかった。左脚がまるで言うことを聞かずただ痛みと熱だけを訴えてくる。

 そんな沙羅に刹那視線を預けた海燕は、わずかに残った霊圧の全てを費やして自らの声帯を震わせた。

 

「……朽木」

 

 海燕の腕から伸びた触手に今にも絡めとられそうな距離にいるルキアは、はっきりとその声を聞いた。

 

「頼めるか……?」

「え……」

 

 声は聞きとれてもそこに宿る意思を汲みとるのは難しかった。いや、汲みとったからこそ、容易には受け入れがたかった。

 ルキアは唇を震わせて海燕を見上げる。

 

「なにを……言っているのですか? 海燕殿……」

「……頼む」

 

 それは今にもかき消えそうなほど弱くかすれた声だったが、そこに揺るぎない決意を覗かせて海燕はルキアに懇願した。この絶望的な状況を打開するための、ただひとつの手段を。

 

「できません……私には──!」

「やれ……俺はもう……ぐあぁッ!」

 

 当人の意思とは裏腹に暴れ出す肉体。憎悪に染まっていく瞳。

 

「殺す……殺してやるうゥゥッ!!」

 

 物々しい雄叫びは、まるで

 

 異形なる存在の浸食に苦しむ海燕の、救いを求める悲鳴のようだった。

 

 

「う……うああああああ!!」

 

 

 ドッ……

 

 

 そして沙羅の耳にはルキアの絶叫と、刃が身体を突き抜ける音が響いた──

 

 

 

 ***

 




《Snow Drop Ⅲ…待雪草Ⅲ》

 避けられぬ運命。
 次話でこの長い番外編も終わります。

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