Dear…【完結】   作:水音.

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第40話 Fraccion ―付き従う者たち―

 どこまでも続きそうな長い回廊を沙羅はグリムジョーのあとを追って駆けていた。

 

「おい」

 

 唐突に声を上げ、首の半分だけ振り返ったグリムジョー。

 

「さっき闘いに来たわけじゃねえとかぬかしてたな」

 

 沙羅が目線で頷くと彼は続けざまに吐き捨てた。

 

「そんなぬるい考えはさっさと捨てろ」

「ぬるい? 私はただウルキオラに──」

「甘めェよ。敵地に乗り込んでおいてそんな綺麗事が通用すると思ってんのか」

 

 沙羅の言葉を遮ってグリムジョーはすっと瞳を細める。

 

「その腰の刀は飾りか? 闘う覚悟もねえのに切り抜けられるほど生易しい場所じゃねえんだよ、ここは」

「……」

「下級の破面にはロクに理性が働かねえ奴も多い。俺がいてもおまえが死神だとわかれば問答無用で襲ってくるぞ」

「そのときは闘う」

 

 黙って耳を傾けていた沙羅はそこで顔を上げた。

 

 沙羅とて今や副隊長を任されるまでに成長した死神。斬魄刀を振るい、己の志を堅持することでここまで死神としての責務を果たしてきた。

 必要があると判断すれば刀を抜くことを躊躇ったりはしない。ひとたび刀を解放したらあとは全力で闘うだけだ。

 

「闘う覚悟はある。だからって意味もなく刀を抜いたりはしない。避けられる争いはなるべく避けたいの。闘いに来たわけじゃないっていうのは、そういうこと」

「よく言うぜ。てめえら死神は闘うのが仕事だろうが」

「それもひとつの手段かもしれないけど、全部が全部闘って解決するようなことばかりじゃないでしょう?」

 

 左の腰に括りつけた夢幻桜花に触れながら沙羅はグリムジョーとまっすぐに視線を合わせる。

 

「刀で斬る以外にも、道を切り開く術はあると思うから」

 

 迷いのない眼差しで告げる沙羅にグリムジョーは小さく嘆息した。

 

(……またその目かよ)

 

 闘いに来たわけじゃないと頑なに言い放っておきながら、刀を抜く気はあるのかと問えば揺るぎない覚悟を覗かせる。

 

「──ならどうすんだ? 藍染に頭でも下げて泣きつくのかよ? ウルキオラを返してくださいってよ」

「それは……わからないけど。試してもみないうちから不可能だなんて決めつけたくない。諦めなければ終わりじゃないでしょ?」

 

 そう言うと今度は力のこもった瞳で笑ってみせた。

 

 ……そういや初めて会ったときにもそんなことを言ってやがったな、こいつ。

 

『相手を理解しようともしないで、どうしてできないなんて言えるの! 話し合えば何か手段が見つかるかもしれないじゃない』

『それが甘いっつってんだよ!』

 

 現世で刃を交えた折の、激昂した彼女の台詞を思い出す。

 あのときからグリムジョーと沙羅の主張は何も変わっていない。いまだ平行線を辿るのみだ。

 それはつまり、ウルキオラが藍染の術中に落ちて姿を消した今となっても尚、彼女が同じ信念を抱き続けていることを示していた。

 

「……相っ変わらず」

「?」

「バカな女だな」

「ッ何それ! さっきからバカバカ言い過ぎじゃない?」

「言われたくなかったらしっかり気ィ持ってろよ」

 

 ムッと眉を(ひそ)めた沙羅を、グリムジョーは半目で見下ろしながら振り返った。

 

「ただでさえおまえどんくさそうだしな。俺が手ェ貸してやってるってのに、その辺の雑魚にやられたら笑い話にもなりやしねえ」

「どんくさ……! 悪かったわね! いくらなんでもそこまで油断しないわよ!」

「だといいけどな」

 

 口元に弧を描いて再び先へ進むグリムジョー。そんな彼を納得のいかない面持ちで追いかけながら、けれど沙羅にもわかってきたことがあった。

 彼は元来こういう言い方をする人なのだ。悪気があるとないとに関わらず。

 むしろこういう言い方しかできないと言ったほうが正しいのかもしれない。

 

 沙羅に協力することに関しても藍染やウルキオラにひと泡吹かせるためだと話していたが、先を歩くグリムジョーの背中を見ているとその行動動機が必ずしも悪意だけとは思えなかった。

 無論それで味方だと判断できるわけではないが。彼は彼なりの信念に基づいて、こうして力を貸してくれているのだろう。

 

 そこまで考えたところで沙羅は唐突に立ち止まった。短く息を呑んで、回廊の奥へ向けてじっと目を凝らす。

 

「来る……」

「あ?」

「霊圧が──四……五体……?」

「気づいたか。ま、感知能力は悪くねえな」

 

 感心した口調でぼやいたグリムジョーをよそに沙羅は腰を落として身構えた。

 前方から感じられる複数の霊圧は明らかにこちらへ向かっている。それもかなりの速さで、だ。

 

「安心しろ、おまえ流に言うなら『闘う理由のねえ』奴らだ」

「……え?」

 

 その言葉の意味を推し量る間もなく、グリムジョーと沙羅の目の前に五体の破面が姿を現した。

 

 

「よォシャウロン。なに難しい顔してんだよ」

「……おまえこそなぜ自分の宮でわざわざ霊圧を消しているんだ。おかげで捜すのに手間取ったぞ、グリムジョー」

 

 まるで緊張感のない顔つきでコキコキと首を鳴らすグリムジョーに、五人の先頭に立った破面は呆れた様子で歩み寄った。

 シャウロンと呼ばれたその男は左目と頭部が完全に仮面に覆われており、後ろ髪は細く三つ編みで束ねられている。

 グリムジョーの背後にいる沙羅の立ち位置からは現れた破面の全員の様子は窺えないが、いずれもかなりの霊圧の持ち主であることは辺りの空気の震えが示していた。

 

「東仙統括官がおまえを捜していた。戻ったらすぐに統括室へ来るようにと」

「あァ? 放っとけよ。どうせ今朝の定例会サボった小言でも言いに来たんだろ」

「おまえはそれでいいかもしれんがな、その小言を間接的に言われる我々の身にもなってみろ」

「あー悪りィ悪りィ。けどどの道東仙のとこへ行ってる暇はねえんだ。ちょっと面白えモン見つけてよ」

 

 くいっと背中を指し示したグリムジョーの親指を辿って沙羅の姿を捉えると、シャウロンの双眸が驚きに見開かれた。

 

「……一体どういうことだ」

 

 それと同時に彼の背後にいる破面たちの視線も沙羅へと注がれる。

 

「おい……こいつ」

「なんでこんなところに……!」

「誰だよ、この女?」

 

 どよめきが起こる中、彼らの中でも比較的幼い面差しの破面が首を傾げると、その隣にいた長い金髪の男が答えた。

 

「見ればわかるだろう。死神だ」

「死神ィッ!?」

「この女が着ているのは死神の死覇装だ。間違いない」

「なんだよそれ! なんで死神が虚圏にいんだよ! それもグリムジョーと一緒に!!」

「うるっせえぞディ・ロイ! 黙ってろ!」

 

 グリムジョーの怒声が飛び、ディ・ロイと呼ばれた破面は慌てて首を引っ込めた。が、すぐにまたにょきっと首を伸ばすと、頭が追いつかないといった様子でグリムジョーと沙羅とを交互に見遣っている。

 その一部始終を黙って見ていた沙羅はそこでグリムジョーを見上げた。

 

「グリムジョー、この人たちは……?」

「俺の従属官(フラシオン)だ」

「ふらしおん?」

 

 耳慣れない単語に目を瞬く。

 

「んだよ、そんなことも聞いてねえのか。俺ら十刃には数字持ち(ヌメロス)を支配する権利が与えられてる。従属官ってのは直属の部下みてえなもんだ」

「へえ……」

 

 沙羅はようやく肩の力を抜いた。

 先の会話を聞いていてもグリムジョーと彼らとの間に友好関係が築かれているのはわかった。確かに闘いを要する相手ではなさそうだ。

 ほうっと溜めていた息を押し出して、沙羅は改めてグリムジョーの従属官たちと向き合った。

 

「おいグリムジョー、いい加減こっちにも説明しろって」

「同感だな。何者だ、その死神は?」

 

 耐えかねた様子で従属官たちが問うと、グリムジョーはしばし視線を宙に浮かせたあと、ぽつりと一言こう告げた。

 

 

「ウルキオラの女だ」

 

 

 ……数秒、沈黙。

 

 そして。

 

「ぶっ……はははははは!」

 

 固まっていた従属官たちは、糸が切れたように一斉に腹を抱えた。

 

「ウルキオラの女だァ? やめろよグリムジョー、冗談きついぜ!」

「俺たちをひっかけたいならもう少しましな嘘をつくんだな」

 

 げらげらと笑い転げる部下を尻目に、グリムジョーは背後で呆気に取られている沙羅を振り返る。

 

「──だとよ」

「信じてもらえるとは思ってないけど……ここまで笑われると複雑」

「仕方ねえだろ。相手が相手だ」

「それどういう意味」

「そのままの意味だよ」

 

 眉間に皺を寄せた沙羅に分かり易く嘲笑を向けるグリムジョー。するとそのやりとりを見ていた従属官たちの顔つきが変わった。

 

「え……おい、嘘だろ?」

「まさか本当にウルキオラの女だとでも言うのか?」

「じゃなきゃ俺が死神の女を連れ回したりするかよ」

 

 グリムジョーへ向けられる瞳にさっと真剣味が灯る。

 彼らの主が普段から衝突の多い第4十刃の女を保護する理由など見当もつかないが、かといってこんな嘘をつく道理もない。つまりはそれが真実だということで。

 

「──まじかよ!? あんな石像みてえな奴のどこがいいんだ!?」

「こいつ騙されたんじゃないのか?」

「いや、精神作用系の毒を盛られた可能性もある」

 

「……失礼極まりないのはグリムジョー譲り?」

「オメーも十分失礼だろうが、この俺に」

 

 好き勝手に憶測を深める従属官たちを前に、沙羅は不満げに唇を尖らせるのだった。

 

 *

 

「──そういうわけだ。俺はこいつをウルキオラの宮まで連れて行く」

 

 事の顛末をかいつまんで説明すると、従属官たちは各々疑問を持ちながらも現状を呑み込んだようだった。

 

「けどよォ……それで本当にウルキオラが正気に戻んのか?」

「さあな。それはこいつ次第だ。結果がどうなろうが俺の知ったことじゃねえ。ま、いい暇つぶしにはなんだろ」

 

 ディ・ロイの問いにグリムジョーが鼻で笑いながら答えると、次いで金髪の男──イールフォルトが訊ねる。

 

「だがグリムジョー、そもそもウルキオラが藍染様の術にはめられたというのは本当なのか? ここ最近の様子を見ても特別変わったようには思えないが」

「俺もそこがイマイチ信じられねえな。今朝大回廊ですれ違ったときもいつも通りすました顔してやがったぜ? なあナキーム」

「ああ。いつ見ても人形みたいな奴だ」

「…………」

 

 屈強な体躯を誇るエドラドと、更にその一回り横幅が大きい大男・ナキームも続けざまにそう語り、沙羅はきゅっと唇を引き結んで俯いた。

 ウルキオラ・シファーという存在は、同じ破面である彼らの目にはそんな人物として映っていたのか。

 

 穏やかで、思いやり深くて、けれど少し不器用で。

 そんなウルキオラは彼らの中には存在しないのだろうか。

 

 

「そうとしか思えねえだろうな、おまえらには」

 

 沈みかけた沙羅の思考に割って入ったのはグリムジョーの声だった。

 

「確かに俺らに対する態度は何も変わってねえよ。優等生ぶって気に喰わねえのは前からだしな」

 

 視線を上方に逸らして言葉を継ぐ。

 

「けど今のあいつは前とは明らかに違げェ。中身をすっぽ抜かれたただの抜け殻だ」

「それがわかんねえんだって。前とどこが違うんだよ?」

 

 浮かび上がるのは、鮮烈な輝きを帯びた翡翠。

 

「……目だよ」

「目?」

 

 訝しげに反芻したディ・ロイには答えず、グリムジョーは脳裏に浮かんだ男の姿を辿る。

 何者をも恐れない強固な意思を宿した瞳で、自分と対峙したウルキオラ。

 そう、あんなにも『生きた』眼差しで、あのとき草薙沙羅を庇い立ちはだかったのに。

 

「今のあいつの目だけは……どうしても許せねえんだよ」

 

 一切の抵抗を失くした従順な瞳は、まるで──

 

 藍染の支配から逃れられない自分たち破面の存在そのものを象徴しているかのようだった。

 

 

「……グリムジョー、ひとつ確認しておく」

 

 そう前置いて口を開いたのは、それまで静観していたシャウロンだった。

 

「そいつが本当にウルキオラの女かどうかはこの際どうでもいい。間違いなく言えるのは、その女は我らにとっては『敵』、そして虚圏にとっては『侵入者』だということだ」

 

 すっと細められたシャウロンの目が沙羅を捉える。

 

「その女を擁護してウルキオラの元へ連れて行くということは、即ち藍染様に反することと同義。おまえはそれをわかって言っているのか?」

「だったらなんだよ」

 

 投げかけられた問いをグリムジョーは眉尻ひとつ動かすことなく肯定した。それを聞いた従属官たちの表情に動揺の色が映し出される。

 しばし沈黙が続き、口を開いたのはやはりシャウロンだった。

 

「……いや。おまえにその自覚があるのなら構わん」

 

 淡々と、けれど力強く言葉を紡ぐ。

 

「我々の王はおまえただひとりだ。臣は身命を賭して王の歩む道を守るのみ。おまえはおまえの思うまま、好きに進めばいい」

 

 動揺が走ったのはほんの一瞬。気づけば第6従属官(セスタ・フラシオン)たちは皆一様に迷いのない面持ちで主を見つめていた。

 

「……ハッ。どいつもこいつも──」

 

 渇いた笑いをこぼして、グリムジョーは部下に向き直る。そして、

 

「んなの当然だろうが。わかりきったこと言うんじゃねーよ」

 

 自信に満ちた口調で放てば従属官たちは「それもそうだな」と笑った。

 

 その光景を見守る沙羅は少なからず驚きを覚えていた。

 それと同時に胸の奥がじんわりと温まるような感覚も。

 

「何笑ってやがる」

「ううん。……信頼されてるんだね」

 

 振り返ったグリムジョーを見上げて、嬉しそうに口元を緩める。

 

「仲間なんていないって言ってたけど、素敵な仲間がいるじゃない」

「仲間じゃねえよ、手下だ」

「同じことでしょ」

「違げェよ」

「……グリムジョーって」

「あ?」

 

 目線だけ投げてよこしたグリムジョーに沙羅は何食わぬ顔で放った。

 

「よく石頭って言われない?」

「あァ!? おまえ殴られてえのか!」

「すっげェ、よくわかったな! 俺よくグリムジョーにそう言って殴られてんだ──ッてェ!!」

 

 ごすん、と鈍い音が響きディ・ロイが頭を押さえて(うずくま)る。その頭上では握り拳を作ったグリムジョーが般若(はんにゃ)のように目を吊り上がらせていた。

 

「くだらねえことほざいてんじゃねえ!」

「っつ~……グリムジョーって頭だけじゃなくて拳も石みてえなんだよなぁ」

「だ、大丈夫……? グリムジョー、暴力はよくないよ」

「だろ!? もっと言ってくれよ! 俺いっつもグリムジョーに殴られてばっかでさー」

「手を出す前に口で言ってくれればいいのにね」

「そうだ! 暴力反対! 石頭反対!」

「なに同調してんだよおまえら! つーか石頭じゃねえっつってんだろうが!」

「じゃあ意地っ張り? それとも天の邪鬼? 捻くれ者?」

「……ことごとく当てはまっているな」

「シャウロン! てめえまで乗っかってんじゃねえ!」

 

 もはやその場の状況も忘れてああだこうだとやり合っている第6十刃の主従。

 心を覆い隠す仮面も植えつけられた忠誠心もない、彼らの日常を彷彿とさせるその光景に、沙羅は自然と笑っていた。

 

 *

 

「で、これから俺たちはどう動きゃいいんだ? 派手に陽動でもするか?」

 

 パキパキと指を鳴らすエドラドにグリムジョーは「いや」と首を振った。

 

「おまえらはここで待ってりゃいい。いつも通り適当にやってろ」

「なんだよそれ、ずっりィ! ひとりでおいしいとこ総取りかよ!」

「落ち着け。また殴られるぞ」

 

 口を挟んだディ・ロイを(たしな)めて、一歩前に出たシャウロンがグリムジョーを見据える。

 

「それが我らの務めということか」

「……え? どういうことだよ?」

「この人数でぞろぞろと動けば否応にも人目を引く。我々は騒がず、動じず、この第6の宮が平時となんら変わりないと誰もが錯覚するよう振舞えと。そういうことなんだろう?」

 

 黙ったままのグリムジョーの言葉を代弁するかのようにシャウロンが告げれば、ディ・ロイや他の従属官たちは顔を見合わせてからニッと笑った。

 

「なんだ、そういうことかよ。それならそうとはっきり言えよな。務めはちゃーんと果たしてやるからさ!」

「そう言うおまえが一番心配なんだよ。ディ・ロイ、できるか?」

「あったりまえだろ! 任せとけって!」

「……そーかよ」

 

 両手を頭の裏で組んで鼻を鳴らしたディ・ロイに、グリムジョーは口の端を緩めて背を向けた。

 

「──じゃあ後は頼んだぜ。ちょっくら行ってくるわ」

「ああ。気をつけろよ」

「誰に向かってもの言ってんだよ。おまえらこそヘマすんじゃねえぞ」

 

 背中越しにひらひらと手を振ってその場を立ち去るグリムジョー。すぐにそのあとを追おうとして、沙羅は響いた呼び声に立ち止まった。

 

「あ……おい、おまえ!」

 

 恐らくは自分に向けられたものであろう呼びかけに、戸惑いを覚えながらも振り返る。声を発したのはディ・ロイだった。

 

「その……頑張れよ」

「え……?」

 

 目を丸くした沙羅にディ・ロイは照れ臭そうに鼻の頭をこすって。

 

「俺さ、死神ってもっとツンケンしてて近寄りがたくて、俺らのこと化け物扱いする奴らばっかだと思ってたんだ。でもおまえからは全然そういう感じしねえんだよな。今まで会った死神は気に喰わねえ奴しかいなかったけど、俺おまえみたいな死神は嫌いじゃないぜ」

 

 ニカッと歯を見せた笑顔は虚でも破面でもない、まだあどけない少年のものだった。

 

「……ディ・ロイはちょっと甘やかされるとすーぐ尻尾振って飛びつくんだよなァ。ヤミーのアホ犬よりひどいんじゃないか?」

「人を犬扱いすんなよ!」

「犬扱いじゃない。犬以下だって言ってんだ」

「あのなぁッ!」

 

 肩を怒らせてエドラドに喰ってかかるディ・ロイの背後で今度はイールフォルトがしげしげと呟く。

 

「素晴らしい順応性だ。さすが虚圏きっての単細胞なだけはあるな」

「イール! おまえそれ褒めてねえだろ!」

「おや、よく気づいたな兄弟。今度こそ褒めてやる」

「バカにしやがって~~!」

「エドラドもイールフォルトもそれぐらいにしておけ。あとでなだめるのが面倒だ」

「シャウロン……フォローになってないぞ」

 

 軽口を叩き合う姿はまるで実の兄弟のようで、傍観していた沙羅はくすくすと噴き出した。途端にバツの悪そうな顔を向けたディ・ロイに穏やかな笑みを浮かべて。

 

「変わらないよ。破面も、死神も」

「え?」

「誰だって楽しければ笑うし、哀しければ泣くし、大事なものを傷つけられれば怒ったりもする。それは破面でも死神でも同じでしょう? 私たちはただお互いのことを知らなすぎるだけだよ」

 

 一度足元に落とした目線を再び持ち上げる。

 

「おかしいと思わない? 相手のことをよく知りもしないのに、宿敵だとか闘うべきだとか」

 

 ディ・ロイを含め、その目線の先に立つ五人はじっと沙羅の話に耳を傾けていた。ウルキオラの恋人だというその死神が紡ぐ言葉には、自ずと聴き入ってしまうような不思議な引力があった。

 

「死神の中にも、破面を理解しようとしている人はちゃんといる。……どうかそれを忘れないで」

 

 彼らに向けてまっすぐに放った沙羅は、最後にふわりと笑みを残すと前方へ消えかけたグリムジョーの霊圧を辿って走り出した。

 従属官たちは誰一人言葉を発することなく、遠ざかっていく小柄な背中を見送っていた。

 

 *

 

「──ねえ」

「あ?」

 

 第6の宮の出口へと続く長い回廊をふたつの影が通り過ぎていく。

 グリムジョーの斜め後ろを走る沙羅は、その道中で思い切ったように問いかけた。

 

「ウルキオラにもいるの?」

「何が」

「だから、さっきの……従属官」

 

 戸惑いがちに告げられた単語に、グリムジョーはああ、と合点がいった。それでこいつ、さっきから黙りこくっていやがったのか。

 

「いると思うか? あいつに」

「……やっぱりいないんだ」

 

 返ってきたのは想定した通りの答えで、妙に納得したような、少し物哀しいような気分になる。十刃という地位を得ても尚、ウルキオラはずっと孤独だったのかと。

 

「ま、奴の従属官を志願してる破面は腐るほどいるけどな」

「え、そうなの? どうして?」

「知るかよ。ウルキオラは藍染に気に入られてるからな。奴に取り入れば出世の近道になるとでも思ってんじゃねえか」

 

 実際、虚夜宮に住まう破面の中でウルキオラの従属官に名乗りを上げる者は多かった。

 元々彼らにとって全破面の頂点に君臨する十刃は羨望と畏怖の念を抱くべき存在であるが、その中でもとりわけウルキオラは多くの支持を集めていた。

 グリムジョーの言う通り、ウルキオラが創造主・藍染から絶大な信頼を寄せられていることもひとつの要因ではある。が、何よりウルキオラ自身の気質──彼が物事を冷静に捉え、着実に任務を遂行する実力者であることに起因していた。

 また、偏屈で変わり者が多く、常として横暴な振る舞いが見受けられる十刃の中で、ウルキオラは知性が備わった常識人と認識されている。それもまた下々の者たちの信望を集める要因たり得たのだろう。

 ──無論、当の本人にはそのような自覚は皆無であり、仮に自覚したとしてもなんら興味のないことではあったのだが。

 

「そうなんだ……」

「俺に言わせりゃそんな骨抜きどもにまとわりつかれてもいい迷惑だけどな」

 

 肩をすくめたグリムジョーを沙羅はまじまじと見つめる。

 

「グリムジョーの従属官に志願する人はいないの?」

「あァ? 俺の従属官はさっきのあいつらだけだ。今更他の奴を入れる気なんざねえよ」

 

 沙羅はやっぱり、と胸中で呟いた。

 この第6十刃を筆頭にした先程の集団はどう見ても柄の悪い不良グループだ。そこにひよっこ破面が飛び込んだとしたら、パシリさながらにこき使われるのは容易に想像がついた。

 

「……納得」

「何が納得だよ」

「破面も人を選ぶんだなって」

「おい、どーゆー意味だそりゃ」

「そのままの意味だけど?」

 

 さっきの仕返しとばかりににんまりと笑みを向けると、グリムジョーは眉間に深々と皺を刻んでそっぽを向いた。

 

「けっ! あんな野郎のどこがいいんだか。俺はウルキオラの従属官になるぐらいなら死んだほうがましだぜ」

「はいはい、そうですねー」

「流してんじゃねえよ!」

 

 青筋を立てて拳を振り回したグリムジョー。しかしその表情は次の瞬間一変した。

 

 

「──おい、待て」

 

 ピタリと歩みを止め、上方を仰ぐ。ただならぬその様相に沙羅はすぐさま笑みを消して呼吸をひそめた。

 

「この感覚……くそっ、もう捉えやがったのか」

 

 グリムジョーが何を感じ取っているのか沙羅にはわからない。けれど焦燥を浮かべて歯噛みするその横顔を目の当たりにして、沙羅もまたぞわりと冷たい感覚が突き抜けるのを感じていた。

 

 

 *

 

「ウルキオラ、入ります」

 

 時を同じくして、ウルキオラは玉座の間へと足を踏み入れていた。

 中に他の破面の姿はなく、いつもは玉座に腰かけているはずの主は今は部屋の中央で扉に背を向ける形で立っている。

 

「やあウルキオラ。思ったより遅かったね」

 

 首だけ振り返った藍染は、目線でウルキオラに入室を促すと再び手元に視線を戻した。

 

「さすがのギンも君を捜すのは骨が折れたかな。どこへ行っていたんだ?」

「……天蓋の外へ。しばらく風に当たっていました」

「珍しいな。君が理由もなく自宮を離れるなんて」

「申し訳ありません」

 

 謝罪を口にしたウルキオラに藍染はふっと笑みをこぼす。

 

「謝ることはないさ。任務に就いている時間以外は自由にしていいと以前から言っているだろう。ただ君はあまり自宮を出ることがないから珍しいと思っただけだ」

 

 その口調は確かに咎めるものではなく、ウルキオラは無言で(こうべ)を垂れた。

 

「虚夜宮に侵入者が現れたと聞きましたが」

「侵入者か。建前上はそうなるのかもしれないが、そんな物々しい表現は彼女には適さないな」

「?」

「むしろ大切な客人と言うべきかな。とても可愛らしくて健気な、ね」

 

 ギンと同じ物言いをする藍染にウルキオラは困惑の色を深めた。

 あの狐男だけならまだしも、なぜ主までもがこんな不可解なことを言い出すのだろう。

 

 事の発端はあの任務だ。ウルキオラの内外で何かが狂い始めたのは、現世であの死神に会ってから──

 

「今ちょうど霊圧を捕捉したところだ。見てみるかい?」

 

 思考に割り入った声にウルキオラははっと顔を上げた。

 藍染の手元に目を向けると、普段は厳重に封印されているはずの石がまばゆい光を放っている。

 これまでに多くの破面を生み出し、今尚宿主に強大な力を与え続ける恐るべき霊力の塊──崩玉。そこに藍染が念を込めるとウルキオラの眼前にホログラムのような立体映像が浮かび上がった。

 

「……!」

 

 映し出された姿に息を呑む。

 

 虚圏には存在するはずのない漆黒の装束。

 薄茶色の長い髪。

 強い意思を宿した、濃紫の瞳。

 

 ……なぜ? 

 

 なぜこいつが虚圏にいる? 

 

 思わず口からこぼれたのは、

 

 

「草薙……沙羅」

 

 

 現世で対峙したあの日からずっと頭に焼きついて離れない、死神の名だった。

 

 

 

 ***

 

 




《Fraccion…付き従う者たち》

 チームセスタは基本みんな仲良し。

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