その道のりは長く、白く、果てしなく遠く
どれだけ走っても決して目指す場所には辿り着けないような、そんな気がした。
「──い……」
「おい!」
ガッと横から腕を掴まれ、沙羅の足は強制的に動きを止めた。
「何?」
首だけ振り返るとグリムジョーが眉間に皺を寄せてこちらを睨みつけている。
「バカが、焦り過ぎなんだよ。こんなとこでへばったらどうしようもねえだろ」
「へばってなん……っ」
反射的に口をついて出た言葉は息が続かず尻切れになった。そこで初めて、沙羅は自分が呼吸も定まらないほど走り詰めていたのだと自覚した。
「だからバカだっつってんだよ」
沙羅の腕を解放して、グリムジョーは渇いた吐息を漏らす。
ふたりが向かう先には古びた石柱と白い壁が延々と続くだけ。走っても走っても、視界に映し出される景観は変わらない。
まるで同じ場所をぐるぐると回っているかのような感覚が余計に沙羅の焦燥を煽っていた。
「だって……」
沙羅を駆り立てるのは自身が十刃の標的にされたという恐怖心ではない。
藍染は自分の目的がウルキオラであることを見抜いている。先程はウルキオラを第4の宮で待機させていると語っていたが、その言葉が必ずしも信用に足るとは限らない。
もしもウルキオラを遠ざけられたら──
否、それ以前に、ウルキオラが危害を加えられるようなことになってしまったら──
「だってじゃねえよバカ」
「バカって言い過ぎ!」
沙羅の懸念をグリムジョーはばっさりと切り捨てた。肩を怒らせている沙羅のことなどまるで気にも留めない様子で続ける。
「考えりゃすぐにわかるだろうが。藍染はこの状況を愉しんでんだよ」
「愉しんでる?」
「おまえひとり虚夜宮に侵入したところで、奴には痛くも痒くもねえ。だからおまえを泳がせてる。むしろ珍しい客に喜んでんじゃねえか?」
先程
『待っているよ、沙羅』
期待を含んだ声色は決して偽りではないのだろう。現に彼は配下の十刃に沙羅の侵入を明かしたものの、「殺せ」とは命じなかった。
ただの気まぐれかもしれない。あるいは沙羅に揺さぶりをかけるための方便かもしれない。
いずれにしろ言えるのは、藍染には今の状況を愉しむだけの余裕があるということ。
「わかったか? その気になればいつでも始末できんだ。わざわざ自分から動くまでもねえだろ」
「……」
「ましてやそのためにウルキオラに手を出すなんてありえねえ。奴は藍染にとっちゃ都合のいい操り人形だからな」
苛立ちを滲ませた口調でグリムジョーは続けざまに言い放つ。
「おまえがそうやって焦れば焦るほど、藍染の思う壺ってワケだ」
それがあまりに的を射ていて、沙羅は緩く嘆息した。
悔しいがグリムジョーの言う通りだ。こんな状態でウルキオラを奪還できる気でいるのなら、思い上がりも甚だしい。
戦況が逼迫しているときこそ平常心を欠いてはならない。十三番隊の副隊長としていつも隊士達に説いてきたはずなのに、そんな初歩的な心構えさえ忘れていた自分が情けなくなった。
(……違う。忘れてたわけじゃない)
霊術院時代から徹底的に教え込まれてきた戦術の基礎は、今の沙羅の根幹をなすもの。死神の心得など皆無の状態から着実に積み上げてきたそれは、一時の気の迷いや動揺で崩れることはない。そう、わかってはいるのだが──
(わかっていても……抑えられない)
頭では理解していても、身体が言うことを聞かない。一秒でも早く、一歩でも近くへと、沙羅の全身を駆り立てる。
(だめだ、落ち着かなきゃ)
焦りを鎮めようと拳に力をこめたが、逆に身体中の血液の流れがドクドクと速まったような気がした。自分が冷静さを欠いているのだと嫌でも痛感させられる。
(……こんなとき)
(こんなとき、私はいつもどうしてたんだっけ──)
握った拳はそのままに、沙羅は瞼を伏せた。視界が鎖された分聴覚がすっと冴え渡りクリアになる。
『息を吸え』
特段意識して思い浮かべたわけじゃない。けれどその声は驚くほど自然に沙羅の中に響いた。とても懐かしく、沙羅にとって何よりも頼りがいのある声が。
『思いっきり息を吸うんだ。これ以上吸えねえってぐらい、思いっきりな! そこまで吸ったらあとは吐き出すしかねえ。そうするとな、息と一緒に肩の力も抜けるんだよ。な?』
太陽のような眩しい笑顔で彼は得意げにそう言った。
あれは──そう。十三番隊に入隊して初めて任務を任され、ガチガチに緊張していた私に海燕先輩がかけてくれた言葉だ。
(ああ、そうか)
無意識のうちに左肩に手を寄せる。求める感触が見当たらず、瞼を開いたところで尸魂界の自室に置いてきたことを思い出した。
寂しさを覚えつつ、それでも沙羅は心細いとは思わなかった。だって彼の声はこんなにも鮮明に甦る。この身体の中に、息づいている。
(ひとりじゃないんですよね。私は)
突然動きを止めると、沙羅は大きく息を吸い込んだ。
胸を広げて限界まで吸い続けて、そのまま数秒息を止めたかと思うと、ぷはぁっと一気に吐き出す。
「っはぁ……ホントだ。肩の力抜けた」
「……何やってんだおまえ?」
怪訝な顔で見下ろしてくるグリムジョーに沙羅はにこりと笑みを浮かべて、背筋を伸ばした。
「ありがとう。もう大丈夫」
「はァ? どこが大丈──」
どうせ口先だけの虚勢だろうと眉をしかめたグリムジョーは、そこで言葉を呑み込んだ。向かい合った沙羅の表情が妙に落ち着き払っているのを見て取ったからだ。
ほんの一瞬前までウルキオラの元へ行くことしか頭にないと言わんばかりに焦燥していたくせに、たった一度呼吸をしただけでもう冷静さを取り戻している。闘いに挑む者が持つべき覚悟を、瞳にくっきりと灯している。
「おまえって、素直すぎるっつーか……バカ正直だよな」
「……何が何でもバカを付けたいみたいね。まあいいわ、早く行こう! 焦るのと急ぐのは別でしょ?」
感心を裏返したグリムジョーの皮肉にあえて軽口を叩いて、沙羅は再び走り出した。
*
「──あいつはどんな人間だった?」
それからしばらく進んだところでグリムジョーが唐突に呟いた。沙羅は首を傾げようとして、すぐにその意味に気づく。
「どんなって言われても……根本的なところは変わってないと思うけど」
「冗談だろ? あんな無愛想な人間がいるかよ」
「無愛想って言うならグリムジョーのほうがよっぽど──なんでもない」
横から鋭い視線が突き刺さるのを感じて沙羅は口を噤んだ。代わりにふわりと目を細めて続ける。
「確かに愛想があるとは言えないけど、さりげなく周りに気を遣ってたり、一歩引いたところから冷静に状況を見極めたり、そういうことができる人だったと思うよ」
ともに第三部隊に所属していた頃の紫苑を思い返しながら。
「あと、普段は無口なのに、自分が興味ある話になると急に饒舌になったりね」
沙羅が笑みをこぼしながら告げると、グリムジョーは神妙な面持ちを浮かべた。
「……そうか」
「あいつは破面になっても……人間の頃と変わってねえのか」
小さな呟きだったが、沙羅の耳にははっきりと届いた。
振り仰いだグリムジョーの表情は相変わらずのしかめっ面で、感情の機微までは読み取れない。しかし沙羅には彼がウルキオラを羨んでいるように感じられた。
きっとグリムジョーは──否、彼に限らずこの虚圏に生息する多くの破面は、己が人間だった頃の記憶など有していないだろう。
自分の過去を知りたいと願う。それは虚から破面となり心を取り戻した彼らにとって、当然の欲求なのかもしれない。
「……私は」
速度を緩めながらグリムジョーを見上げる。
「過去を知ることよりも、自分が願う未来のために生きることのほうが大切だと思うよ」
綺麗事かもしれない。
過去の記憶を取り戻したからこそ、そんなことが言えるのかもしれない。
事実、紫苑と過ごした百年前の日々の思い出は、今の沙羅を支えるかけがえのない記憶だ。
けれど。
きっと過去の記憶がなかったとしても、自分はウルキオラを愛していたと思うから。
きっと彼との未来を望んでいたと思うから。
全ての生ある者にとって、本当の希望を与えるのは、過去ではなく未来だ。
「…………」
沙羅の言葉にグリムジョーは否定も肯定も発しなかった。ただ一度、わずかに水浅葱の髪が揺れたのを見て、沙羅はふっと瞳を和ませた。
──直後。
「──っ!」
グリムジョーと沙羅は同時に跳びすさった。
その瞬間、たった今までふたりが立っていた場所に巨大な鎌が突き刺さる。三日月を背中合わせにつなげたような、特殊な形状の大鎌が。
即座に抜刀体制に入りながら沙羅は鎌の軌道を目線で辿った。
薄暗い回廊の奥、その先に立っていたのは。
「チッ、はずしたか。つまんねえ」
低く舌打ちをした上背のある細身の男。よくよく目を凝らせばその左目は眼帯で覆われている。
「ノイトラ……!」
鼻に皺を寄せて睨みつけるグリムジョーを沙羅は無言で見つめた。
同じだ。先程ザエルアポロに遭遇したときの表情と。
いや、或いはそれ以上に──
「聞いたぜェ? のこのことウルキオラに会いに来た死神ってのはてめえだろ?」
鎖を引いて鎌を手中に収めた男は、沙羅を視界の中心に捉えるとニタリと右目を細めた。
「何のために会いに来た? 護廷十三隊の副隊長ともあろう女が」
「私はもう副隊長じゃありません」
「おい。こんなクズまともに相手する必要はねえ」
片手を挙げて沙羅を制するグリムジョーにノイトラは鼻で笑った。
「
「関係ねえだろ。てめえに用はねえっつってんだ。さっさと自宮に戻れよ」
「ハッ! 何いきがってやがる。女の前だからって調子こいてんのか?」
「んだと?」
「……!」
挑発するようにノイトラが舌なめずりをした瞬間、沙羅の瞳ははっきりとそれを捉えた。長い舌の上に刻まれた『5』の刻印を。
背筋をかけのぼるように緊張が走る。予想はしていたが、やはりこの男はグリムジョーよりも更に上の階級を誇る十刃だった。
「まあいい。それよりザエルアポロがやられたらしいじゃねえか。てめえの仕業か?」
「だったらなんだよ。オトモダチの仇討ちでもしようってのか?」
「だーれがオトモダチだ。科学者気取りの変態がいなくなってせいせいしたぜ。むしろ礼を言いたいぐらいだ」
「てめえに礼を言われる筋合いはねえよ。そもそも奴をやったのは俺じゃねえ」
「……へェ」
すっと細められたノイトラの視線がグリムジョーから沙羅へと移る。隙のない構えを取っている沙羅の姿を中心に映すと、彼はニィと口元を歪めた。
「まさか女にやられるとはな。ザエルアポロも堕ちたもんだぜ」
「……見逃してはもらえませんか」
「そいつは無理な相談だな。第一俺が見逃しても他の十刃が放っとかねえよ。てめえをとっつかまえりゃ数字を上げてくれるって話だからな」
「ハッ。てめえも所詮は藍染の飼い犬か」
大鎌を肩に担ぎながら話すノイトラにグリムジョーは嘲笑を浴びせた。
「飼い犬? 俺をウルキオラと一緒にすんじゃねえよ」
「立派な忠犬じゃねえか。藍染の命が下れば尻尾振って言いなりになんだろ」
「俺はあくまで俺のために動いてんだよ。頭の足りねェてめえには理解できねえだろうがな」
「弱虫の言い訳にしか聞こえねえな」
──ガシャン!
グリムジョーとの応酬を断ち切るようにノイトラが勢いよく鎌を地面に突き立てる。
「おしゃべりはここまでにしようぜ。死神の女と
好戦的な眼差しで沙羅を見つめ、彼は薄ら笑いを浮かべた。
「殺しちゃいけねえってのが面倒だが、多少遊ぶ程度なら問題ねえだろ? 楽しませてくれよ」
「……」
夢幻桜花の柄を握る沙羅の手に力が入る。まだ戦闘態勢に入ったわけでもないのに、ビリビリと霊圧の震えが伝わってくる。
相手はグリムジョーよりも階級が上の男だ。真っ向からぶつかるよりは、自分の卍解能力を以て眠らせたほうが勝機は見込める。
「グリムジョー、ここは私が──」
「待て」
沙羅が踏み出すよりも早く、それを制したグリムジョーが前に出た。
先程のザエルアポロのときとは逆の構図になる。
「おまえは先に行け」
「え……!?」
今度は沙羅が驚く番だった。
「何言っ──」
「おまえのあの卍解、そう何度も連発できるもんじゃねえだろ」
続くグリムジョーの指摘に言葉を失う。
ザエルアポロに卍解を発動した瞬間、沙羅はかなりの霊力がこそぎ取られたのを感じていた。それでも疲労は一切見せずに振舞っていたつもりなのだが、彼には見抜かれていたらしい。
「ここをまっすぐ突き抜けりゃウルキオラの宮まではすぐだ。あとはおまえひとりでも行ける」
「だからって!」
「早くしろ! こんなとこで油売ってる暇ねえんだよ。じきに他の十刃共も集まってくる。ウルキオラに会う前に捕まりてえのか!」
「……っ」
躊躇する沙羅にグリムジョーの容赦ない檄が飛ぶ。
するとその一部始終を傍観していたノイトラが耐えかねた様子で笑い出した。
「ハッ! てめえ頭イカれたんじゃねえのか?」
「あァ?」
「この女のために盾になるってのか? なんでてめえがそこまでする必要がある。こいつは死神だぞ! 俺たちの敵だろうが!」
そうかもな、とグリムジョーは思った。
恋人のために虚圏まで乗り込んできたという沙羅をイカれているとばかり思っていたが、自分もそう大差ないのかもしれない。
なぜ自分は敵であるこの女にここまで肩入れしているのか。単に藍染の思惑通りに動くのが癪ならば、あのまま放っておけばよかっただけの話だ。
だが。
「イカれてようがなんだろうが、俺と闘り合って後悔するのはてめえだぜ」
今グリムジョーが最も許せないのは、自分たちを駒同然に扱う藍染であり、そしてその操り人形に成り下がっているウルキオラだった。
一度はあんなにも強い意思を灯した瞳で自分を射抜いた癖に、その意思をいとも簡単に藍染に明け渡した男に腹が立った。てめえの信念はそんなものかと。
「格好よく啖呵切ったところ悪りィが、俺が用あんのはてめえじゃねえ。その女だ。せっかく獲物を見つけたってのに逃してたまるかよ。──テスラ!」
ノイトラがその名を発すると同時に、背後からひとりの青年が姿を現した。主とは対照的に右目に眼帯をした彼の従属官。
「まずはこいつをぶちのめす。おまえはそれまでその女を足止めしてろ。いいか、殺すなよ」
「はい」
テスラと呼ばれた黄土色の髪の青年は、ノイトラの命令にすぐさま頷くと沙羅の前方へと移動した。
「クソが……!」
ノイトラとテスラを一瞥してグリムジョーは舌打ちする。ノイトラひとりなら対等に渡り合う自信はあったが、相手がふたりでは勝手が違う。
隣に立つ沙羅は既に臨戦態勢に入っていた。こうなったらやはりグリムジョーと共闘して切り抜けるほかないだろう。
グリムジョーとノイトラ、沙羅とテスラ、向かい合う二組の間でチリチリと熱を帯びた霊圧が交錯する。
「……仕方ねえ。やるぞ」
グリムジョーの言葉を皮切りに沙羅が刀を抜こうとした瞬間、だった。
「なんだぁ? ずいぶん困ってるみてぇじゃねーか、グリムジョー!」
背後から響いた声にグリムジョーは瞠目した。
振り返らなくともわかる、自分にとって最も慣れ親しんだ霊圧。
「おまえら、なんでここに……!」
そこには自宮での待機を命じたはずの、彼の五人の従属官が立っていた。
「念のため言っておくが、我々はおまえの言いつけどおり自宮を守っていた。……最初はな」
呆気に取られるグリムジョーの怒声が響く前にと、シャウロンが口火を切る。
「ところがおまえが行ってしばらく経ってから、他の十刃が先を争うようにおまえを捜しに宮を訪れてな」
「ありゃあまさに血眼って感じだったよなー。グリムジョーがいないとわかったら奴らすぐに行っちまうしよ」
「そうか……やっぱ他の十刃も動いてんだな」
渋い顔をするグリムジョーにシャウロンは頷きを返す。
「あのまま空の自宮を守るよりも、おまえにこの事態を報告する方が重要であると我々は判断した。それでおまえの霊圧を追ってきたというわけだ」
「そしたらちょうどノイトラと闘り合うとこなんだもんなぁ! こういうのを天の助けって言うんじゃねえ?」
「自分で言うものではないがな」
「ま、とにかくノイトラを足止めすりゃあいいんだろ? 早く行けよ。数はこっちが勝ってんだ、そう簡単には通しゃしねえよ」
得意げに鼻の頭をこするディ・ロイをイールフォルトがいつものようにこき下ろし、その横からエドラドとナキームがぱきぱきと指を鳴らしながら歩み出てくるのをグリムジョーは首を振って制した。
「……いや。こいつはおまえらの手に負える相手じゃねえ」
「なんだよ、それじゃ俺らが来た意味が──」
「だが」
エドラドの声を遮って、グリムジョーは自身の従属官たちを振り返る。
「奴の従属官の相手はできるな?」
沙羅の正面に立ったままこちらの様子を窺っているテスラを顎先で示すと、従属官たちはすぐにニッと笑みを浮かべて頷いた。
「当然だ。あんな奴、すぐに捻り潰してやるよ」
言うが早いか、エドラド、ディ・ロイ、ナキームの三人は沙羅とテスラの間に
その成り行きを唖然として見守っていた沙羅だったが、そこでグリムジョーの視線に気づいた。
最早言葉を発することもない。目線だけで彼は先へ進むことを促していた。
「……グリムジョー」
なんとも言えない想いが湧き起こるのを感じながら沙羅はグリムジョーを見つめ返す。
「くだらないこと言うなって怒られるかもしれないけど」
「なら言うな」
興味ないと言わんばかりに顔を逸らしたグリムジョーに、小さくありがとうと呟いた。聴こえたかもしれないし、聴こえなかったかもしれない。
どちらでもいい。伝えたい想いは間違いなく届いただろう。
「気をつけてね。……みんなも」
「余計なお世話だ。おまえこそ気ィ抜いてその辺の雑魚どもにやられんなよ。せっかく俺がここまで手ェ貸してやったんだ」
「本当に素直じゃないね」
「うるせえよ、さっさと行け」
そこまで交わせばもう言葉は不要だった。夢幻桜花の柄から手を離し、沙羅は瞬歩の体勢に入る。
すかさずテスラが進路を塞ごうとするが、彼の前方はエドラドとディ・ロイに阻まれた。
「おっと。おまえの相手は俺らだぜ?」
「……くっ! ノイトラ様、申し訳ありません」
「チッ……ゴミクズどもがちょろちょろと」
ノイトラとテスラが動きあぐねているのを確認して、最後にもう一度グリムジョーと従属官たちを見遣ってから、沙羅は力強く地を蹴った。
*
沙羅の霊圧が遠ざかったのを見届けると、シャウロンがぼそりと呟いた。
「……面白いこともあるものだな」
「ああ。ホント変わった奴だぜ」
「おまえのことを言ったつもりだが? グリムジョー」
「あ?」
片眉を上げたグリムジョーにシャウロンは瞼を伏せる。
「まさかおまえが死神に手を貸すとはな。正直今でも信じられん」
「面倒に巻き込んで悪かったよ。もう小言はたくさんだ」
「咎めているわけではない。言ったろう、おまえは好きに進めばいいと。それに……おまえの気持ちもわからんでもないからな」
そこまで告げてグリムジョーに視線を戻すと、シャウロンは静かに微笑んだ。
「わけもなく手を貸してやりたくなる──そんな不思議な娘だったな。あの死神は」
「……ただのバカだろ」
素っ気なく吐き捨てたグリムジョーだったが、その双眸は沙羅が消えた回廊へと向いていた。
彼女が呟いた「ありがとう」はまだ耳の奥に残っている。
どうしてあの女は。
敵である自分に対して、怒りも憎しみもなく、仲間を殺された恨み言のひとつもなく。
あんな笑顔を向けることができるのだろう。
自分で言った「ただのバカ」をその理由として当てはめるには些か無理があった。
「……変な奴」
その横顔にわずかに滲んだ笑みに気づいたのは、恐らく隣に立つシャウロンだけだ。ともすれば当の本人さえも自覚していなかったかもしれない。
ゆっくりと正面を向いたグリムジョーは力強い声で放った。
「行くぞ、おまえら」
*
遥か後方で巨大な霊圧同士が衝突しているのを感じながら、それでも沙羅はひたすらに先を急いだ。
迷いがないと言えば嘘になる。だが、戻ったところでなんの解決にもならない。
彼らがなんのために力を貸してくれているのか──それをわかっているからこそ、今はただ進むしかない。
後ろ髪を引かれる思いを振り払い、沙羅はぎゅっと拳を握りしめた。
グリムジョー。
あなたは「戯言だ」と笑うかもしれないけど
私はやっぱり、破面と死神は和解できると思う。
だってあなたは、あなたたちはこんなにも、仲間を想う心を持っている。
何者にも囚われない、揺るぎない信念を持っている。
それは、私たち死神が胸に掲げているものと、なんら変わりないものなのだから。
いつか、遠い未来かもしれないけれど、破面と死神が互いに手を取り合える日はきっと来る。
それをあなたにも信じてほしい。
その目で見届けてほしい。
だから、どうかそれまで
「死なないでね……絶対」
小さな呟きにありったけの想いを乗せて、沙羅は一層瞬歩のスピードを速めた。
第4の宮はもう目前まで迫っていた。
***
《Touch and Go…一触即発》
志さえ同じなら、きっと手を取り合える。