Dear…【完結】   作:水音.

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【Side Story】 Shion Ⅲ ―紫苑Ⅲ―

 翌朝、詰所に出勤した紫苑はすぐにある同僚の元へと向かった。

 

「工藤」

「おーっす紫苑」

 

 普段ならそれで終わるはずの会話。だがこちらを見据えたまま立ち止まっている紫苑に工藤は首を傾げた。

 

「ん? どうした?」

「……沙羅のことだが」

「沙羅?」

「悪いが俺は協力できない」

「へ……」

 

 目を丸くする工藤に罪悪感を募らせつつ告げる。

 

「昨日、沙羅を鍛冶屋に連れて行った」

 

 いくら沙羅本人が断りを入れたあとのこととはいえ、黙っているのは工藤を騙しているような気がしてならなかった。まして沙羅への感情を自覚した今となっては尚更。

 

「……すまない」

「別に俺に謝ることじゃねえだろ。俺の誘いを断っておまえの誘いに乗ったってことは、つまりまぁ……そういうことなんだろうし」

「いや……沙羅はおまえの誘いを仲間内での食事と勘違いしたようだ。金がないから断ったと言っていた」

 

 頭をかく工藤にそう言いながら、紫苑は自分が何を言わんとしているのか疑問に思った。これでは宣戦布告をしているのか励ましているのかわからない。

 が、紫苑が口を開く前に意表を突く情報が工藤からもたらされた。

 

「つーか、鍛冶屋に行った話ならさっき沙羅から聞いたし」

「……なんだって?」

 

 聞けば工藤は朝一番で沙羅から謝罪を受けたという。

 

『工藤さん! 昨日はせっかく誘ってくれたのにすみませんでした』

『いやいいよ、気にすんなって。いきなり誘った俺も悪かったし、沙羅にも予定があるもんな』

『いえ、予定はなかったんですけど……ちょっと今月ピンチで。あ、でも、昨日あのあと紫苑に鍛冶屋に連れて行ってもらったんです』

『紫苑に?』

『はい。研磨剤が切れちゃってて……いくら金欠でも研磨剤がないと刀の手入れもできないですもんね』

 

 情けなさそうに額をかく沙羅に、工藤は驚きの色を隠せなかった。

 

『紫苑から誘うなんて珍しいな』

『え? そうなんですか?』

『ああ。あいつは基本一匹狼だから、俺らが誘ってもまず来ることはねえのに。……沙羅とはよっぽど波長が合うのかもな』

『そうなのかな……素っ気ないのは相変わらずですけどね』

 

 口先ではそう茶化しながらも、沙羅が嬉しそうにしているのは明白だった。

 思わず見惚れてしまいそうな鮮やかな微笑み。けれどそれは自分ではない、他の男を想ってのものなのだ。

 

『じゃあ今度の食事会には紫苑も引っ張って連れて行きます! 給料日過ぎたらまた誘ってくださいね』

 

 花が咲きこぼれるような笑顔を浮かべて去っていく沙羅を思い返しながら、工藤は「あんな顔されちゃあなぁ……」と苦笑いを浮かべた。

 

「ま! そういうことだ、おまえが俺に謝る必要なんてねえんだって」

「だが……」

「俺だってな、あんな笑顔向けられて気づかねえほどばかじゃねえよ」

「……?」

 

 意味がわからず眉を潜めると、工藤は本気で驚いた表情を向けた。

 

「……は? 何? おまえ気づいてねえの? あんなにわかりやすいのに?」

 

 そして今度はまざまざと呆れた様子で。

 

「なんだよ、自分の気持ちに気づいたってだけかよ……ムカつくからお膳立てはしてやんねえぞ、俺はそこまでお人好しじゃねえ」

「……おい、さっきから何を」

「とにかく! 俺はもう沙羅のことはすっぱり諦めた! おまえがどうしようが関係ねえ、だから余計な気も遣うな! いいな!?」

 

 捲し立てるように言い放つと、工藤はふんっと鼻を鳴らして去っていった。

 同僚の剣幕に気圧された紫苑は頭に疑問符を浮かべていたが、彼の心遣いだけは痛いほどに感じられたので感謝の念とともにその背中を見送った。

 

 

 *

 

 平穏な日常が過ぎていく。そしてその時の流れに合わせるように、紫苑と沙羅がともに過ごす時間も自然と増えていった。

 それは日課の朝稽古のみならず、勤務中の空き時間であったり、仕事終わりの帰り道であったり。ゆっくりと、けれど確実に、ふたりはその距離を縮めていった。

 

 やがて彼らの出逢いから一月が過ぎた頃。

 もはやふたりの行きつけとなっていた刀鍛冶の店からの帰り道、紫苑は意を決して口火を切った。

 

「そうだ、沙羅」

「ん?」

「明後日の公休日は空いてるか? もし時間があれば──」

 

 沙羅を休日に誘うのはこれが初めてのことだった。跳ねる心臓を押さえて平静を装う。

 今日まで互いの理解を深めてきた中で、さすがに嫌われてはいないだろうという自負はあったのだが。

 

「あー……ごめん、明後日はだめなの。剣術学校時代の友達が誕生日のお祝いしてくれるって言うから」

「…………」

 

 自分の聞き違いでなければ、今、とんでもないことを聞いた気がする。

 

「……誕生日?」

「うん」

「誰の」

「私の」

 

 やはり聞き違いではない。ということは、だ。

 

「……いつ」

「だから、明後日」

 

 沙羅の誕生日がもう目前に迫っているというわけで。

 

「……なぜそれを早く言わない」

「え? いけなかった?」

 

 不思議そうに目を瞬いている沙羅に吐息をもらした。

 一応、沙羅への感情を自覚してからここまで、自分なりにではあるものの率直に好意を向けてきたつもりだったのだが。そして沙羅も少なからずそれを受け入れてくれているものと。

 とはいえ今更頭を抱えても仕方がない。残された時間は皆無に等しい。

 

「……鍛冶屋に忘れ物をした。ここで待ってろ」

「え? ちょっと、紫苑?」

 

 困惑する沙羅を置いてすぐさま踵を返す。

 こと女性関係に疎い紫苑に、気の利いた誕生日の贈り物など浮かぶはずもない。ただつい先程、刀鍛冶の店で沙羅が打ち上がったばかりの刀をきらきらとした瞳で見つめていたのを思い出しただけだ。

 それでも紫苑を走らせるには十分な動機だった。沙羅に贈るものといったらこれしか考えつかない。

 

「じいさん!」

 

 息も整えずに店内に駆け込むと、刀鍛冶は驚いた様子で目を瞬いた。

 

「どうした? 忘れ物でもしたか?」

「そうじゃない。仕事の依頼だ。大至急新しい刀を打ってくれ」

「また急な話じゃのう。大至急とはいつまでと思えばいい?」

 

 よっこいせと腰を上げた刀鍛冶は、白い顎ひげをなぞりながら店先まで出てくる。

 

「……待って一週間だ」

「これはまた無茶なことを。本気で言っておるのか?」

 

 提示している紫苑もそれがいかに無謀な条件かは理解していた。素材となる鋼から刀を打ち始めた場合、それが形になるまでには最低でも一月はかかる。

 けれどこちらにも譲れない事情がある。さすがに誕生日当日には間に合わないとしても、一月も遅れて渡すなど論外だろう。一日でも早く用意してもらわねばならない。

 

「じいさん、頼む。金ならいくらでも払う」

「そう言われてもなぁ……飾り用の刀を打てばいいわけではなかろう?」

「当然だ。実戦向きの最高の一振りを打ってほしい」

 

 そう真顔で言ってのけると刀鍛冶は呆れたように嘆息した。

 

「最高を一週間で、か。ずいぶんと無茶な注文をつけるもんじゃ」

「刀匠の腕が鳴るだろう?」

「調子に乗りおって。第一おまえさんの刀は直してやったばかりじゃろうが」

「……俺が使うんじゃない」

「はて、では誰が?」

 

 わざとらしく首を捻る刀鍛冶に紫苑は言葉に詰まった。恐らくはとうに見透かされているのであろうが、それを素直に認めればこの老人はまた面白がって揶揄を飛ばしてくるに違いない。

 

「……いいから打ってくれと言ってるんだ。これは正式な仕事の依頼だぞ」

「やれやれ。人遣いの荒い客じゃのう」

 

 口先では文句を垂れつつも、刀鍛冶はすぐに作業場に入り素材の鋼の物色を始めた。

 

「して、念込めはどうする?」

 

 その中から手頃なひとつを取り出し、紫苑を振り返って刀鍛冶が訊ねる。それは彼に新しい刀の依頼をしたときには必ず問われることだった。

 古くからの伝統を受け継ぐ鍛冶屋の間には『刀鍛冶の念込め』という言葉がある。優れた刀匠が強い念を込めて刀を打つことで、できあがった刀にもその魂が宿るという言い伝えだ。

 これまでは適当に「長く使えるように」だの「すぐ身体に馴染むように」だのと言っていた紫苑だが、今回ばかりは違った。それは驚くほど自然に口からこぼれた。

 

「斬る刀ではなく、護る刀であるように」

 

 大切なものを護るために闘うと言っていた沙羅が、この刀を振るうことでより多くのものを護れるように。

 その志を護れるように。

 そして他でもない沙羅自身を、護り抜く刀であるように。

 そこには紫苑の心からの願いが投影されていた。

 

「……よいじゃろう。その依頼、確かに引き受けた」

 

 唐突に無理難題を突きつけたにも関わらず、事情も訊かずに承諾してくれた刀鍛冶に紫苑は胸中で深く感謝した。

 そしてありったけの持ち合わせを前金として置き残すと、刀鍛冶への挨拶もそこそこに店をあとにし、沙羅の元へと急ぐのだった。

 

 *

 

「──すまない。待たせたな」

「ううん、それは大丈夫だけど。何を忘れたの?」

 

 息を切らして戻ると、街灯に寄りかかって待っていた沙羅が不思議そうに見上げてきた。

 

「ああ、じいさんに重要な依頼があったのを忘れていた。それより──明後日は都合が悪いんだったな。それ以外で空いてる日はないか?」

「仕事のあとならいつでも平気だけど」

「じゃあ金曜の夜だ。空けておけ」

 

 来週の金曜の夜。つまりちょうど一週間後。

 本当に一週間で刀が仕上がるのかという不安がないわけではないが、あの刀鍛冶の老人は一度引き受けた依頼の納期は絶対に守るということを紫苑は知っていた。

 裏を返せば、顧客の要望を満たせない可能性がある依頼は受けない。それが彼の仕事に対する意地であり誇りだ。

 

「はーい」と軽やかに頷いた沙羅は、きっとその日に自分が想いを告げようと決めていることなど予想もしていないだろう。

 赤い夕日を浴びながら屈託のない笑みを浮かべている沙羅を見て、紫苑は静かに覚悟を固めた。

 そして約束の金曜日──

 

 

 その日は見事な快晴だった。立ち昇る朝日を眩しそうに仰いだ紫苑は、大きく息を吸い込んで自宅をあとにする。

 詰所へと向かう道すがら、不意に紫苑の目に薄桃色の花がとまった。他でもない沙羅と花見の約束を交わしたあの桜の木だ。

 昨夜帰りがけに確認したときにはまだ一輪も花開いていなかった。つまりは今朝開花したばかりだということだ。

 

「……いいタイミングで咲いてくれたな」

 

 まるで自分の後押しをしてくれているかのような桜に、紫苑の頬も自然と綻ぶ。らしくない考えだが今はそう信じたい。

 小さな花から勇気を貰い詰所に向かった紫苑は、落ち着かない様子ながらもその日の任務に勤しんだ。そして普段よりも早く仕事を切り上げると急いで刀鍛冶の店へと向かった。

 

 

「おお、来たか」

 

 汗を滲ませて店内に飛び込んできた紫苑を、刀鍛冶の老人は待ち侘びた様子で出迎えた。

 

「完成したのか?」

「誰にものを言うておる。約束通り最高の一振りを打ってやったぞ」

 

 ほれ、と刀鍛冶が顎をしゃくった先の台座には、打ち上げられたばかりの真新しい刀が置かれている。

 すぐに手に取り確かめると、握りの部分が通常の刀よりも細めに打たれているのがわかった。重量も自分の刀と比較すると幾分軽い。腕力に劣る者であっても扱い易いような工夫が施されている。

 かといって刀身のバランスが損なわれることなく、刃はその切れ味を示すかのように鋭い銀色に輝いていた。

 

「……見事だな」

 

 刀に見入ったまま無意識に呟く。飾り気のない賞賛だが、紫苑にとっては最高の褒め言葉だ。それは刀鍛冶も理解しているだろう。

 そして口には出せないが沙羅に適した刀に打ち上げてくれたことにも胸中で感謝した。

 

「まったく、おかげでこの一週間は不眠不休じゃ。この貸しは高くつくからな」

「わかってるさ。この刀に見合うだけの報酬は支払う」

「ばかもん、刀の出来だけじゃないわい」

 

 そう告げた刀鍛冶は、まるで悪だくみをした子供のようにニヤリと口角を上げた。

 

「ふふふ……感謝せい。念込めのときにおまえさんの念とは別に特別な願掛けをしておいてやった」

「願掛け?」

「ああ。おまえさんの恋が成就するようにとな!」

 

 したり顔で胸を張る刀鍛冶に紫苑は絶句した。

 

「女心もろくにわかっとらんおまえさんのことじゃ、いまだに攻めあぐねてまごついておるのじゃろう? ここは人生の先輩として少しでも助けになればと思ってのう。なんなら女性の口説き方の手ほどきもしてやるが?」

「……っ余計なお世話だ!」

「はっはっは! からかい甲斐のある奴じゃ」

 

 珍しく動揺をあらわにする紫苑に腹を抱えて笑いながら、刀鍛冶は「用が済んだなら早く行け」とその背を押し出した。

 

「ああ、うまくいかなかったとしてもわしのせいにするなよ? 念を込めたとはいえ、叶わんものは叶わんからのう」

「……縁起でもないことを言うな」

 

 愉しそうに話す刀鍛冶を睨みつけた紫苑は、そのまま背を向けると刀を納めた木箱を小脇に抱えて駆け出した。

 恐らくは自分の姿が見えなくなるまで店先から見送っているであろう老人のことは振り返らずに、ただ背中越しに無言の感謝を告げて。

 

 これで準備は整った。あとは沙羅を迎えに行くだけだ。

 

 

 

 ***

 

 

 




《Shion Ⅲ…紫苑Ⅲ》

 告白の準備。
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