Dear…【完結】   作:水音.

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【Side Story】 Shion Ⅳ ―紫苑Ⅳ―

 息もつかずに詰所に戻ると、そこには沙羅とは別にもうひとりの姿があった。

 その場にそぐわない人物の姿に自然と気が張りつめていくのを感じつつ、それを表には出さずに紫苑はふたりの間に割って入る。

 

「杉原……なんの用だ?」

 

 かつての同僚──杉原龍之介は沙羅に何事かを訊ねていたようだが、その表情は見るからに険しかった。

 慣れ慣れしく話しかけていてもそれはそれで不快だが、決して気分の良い話でないことは明らかだ。案の定彼は近寄ってきた紫苑を露骨に睨みつけた。

 

「君は私をばかにしているのか」

「なんの話だ」

「とぼけるな。うちの部隊への誘いを断ったそうじゃないか。貴様……何を思い上がっている」

 

 それを聞いた紫苑は思わず嘆息した。なるほど道理で腹を立てているわけだ。

 

「何も思い上がってなどいない。ただ俺には第三部隊のほうが肌に合っていると思っただけだ」

「それが思い上がりだと言っているんだ。貴様ごときに所属部隊を選ぶ権利があると思うな。上から転属命令が下ればその意のままに動く、それが部隊の駒たる隊員の務めだ」

 

 いつまでも第三部隊に留まる紫苑をこき下ろしていた杉原だ、その紫苑が既に第一部隊への誘いを受け、なおかつそれを断っていたと知り、さぞ面白くないのだろう。

 だが今更そんな文句をつけられても困る。自分はただ正直に第三部隊に留まりたいと言っただけだ。上層部も納得し、それで話は終わったのだから。

 

「なぜそうまでして第三部隊に執着する? 女がいるからか?」

「言葉を慎め。彼女は何も関係ない」

「はっ! あれだけ他人には無関心を貫いていた君がずいぶんな熱の上げようだな? 失望したぞ桐宮。たかが女ごときで──」

 

 キン──

 杉原が全てを言い終える前に紫苑は左手の親指で刀のつばを持ち上げた。右手を柄に運び、杉原をきつく見据える。

 

「紫苑! 何を……」

「俺のことならなんと言おうと構わん。だが彼女を侮辱することは赦さない。おまえに彼女を語る口はない」

 

 自分だけならまだしも、沙羅にまで侮蔑の言葉を投げかけるのなら見過ごせない。背後で沙羅が制止の声を上げたが、それには答えず紫苑は鋭い目線で杉原を射抜いた。

 

「やれるものならやってみろ。同胞への抜刀は極刑だぞ?」

「ならば試してみるか?」

 

 ぐ、と腰を屈めて抜刀体勢に入る。

 紫苑の本気の威圧にさすがの杉原も顔色を変えた。「調子に乗っていられるのも今のうちだ」と捨て台詞を残してその場を去っていく。

 杉原の後姿が路地の奥に消えたところで振り返ると、沙羅が脱力したように胸に手を当てていた。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない! あんな冗談やめてよ。心臓に悪い」

「すまない」

 

 刀を抜こうとしたのは決して冗談ではないのだが、それを胸の内にしまって紫苑は薄く笑った。

 

「不快な思いをさせて悪かったな。さてと──日が落ちる前に行くか」

「どこに?」

 

 きょとんと見上げてくる沙羅には目線を合わせずに、口元を綻ばせてゆっくりと歩き出す。

 

「……そろそろいい頃合いのはずだ」

 

 そう、ふたりの約束の場所へ。

 

 *

 

 日中の暖かな陽気も手伝って、平原に佇む一本桜は無数の花を散りばめていた。

 夕焼けを背景に鮮やかな薄桃色の花に彩られるその様は実に見事なもので。根元まで駆け寄った沙羅の喉から思わず感嘆の声がもれる。

 

「綺麗……! もう咲いてたんだ」

「ああ。今朝開花したばかりだ」

 

 そう告げると沙羅が不思議そうに振り返ったので、紫苑は慌てて付け加えた。

 

「今朝たまたまここを通ったら咲いているのが目についただけだ。昨日はまだ咲いていなかったから──いや、昨日も偶然通る機会があって……」

 

 自分は一体何を弁解しているのか。言えば言うほど墓穴を掘っているような気がして頭を抱えたくなったが、沙羅が「そっか」と嬉しそうに笑ったのでそれ以上考えるのはやめた。

 そうだ、もう誤魔化す必要などない。この想いを伝えるために、今日ここへ来たのだから。

 

「沙羅」

 

 沈みかけた夕日を背に、確かな決意とともに、その名を呼ぶ。

 

「おまえの闘う理由とはなんだ?」

「え……?」

「以前言っていたろう。大切なものを護るために闘っていると。おまえにとってその大切なものとはなんだ?」

 

 ずっと気になっていた。

 女ながらに刀を取り、その身が危険に晒されることも省みず戦場に立つ。

 何がそうまでして沙羅を突き動かすのかと。

 

「たくさんあり過ぎて一言じゃ言い表せないな。生まれ育ったこの町も大切だし、家族も友達も大切。もちろん、部隊のみんなもね」

 

 和らいだ表情で答えた沙羅は、後方に広がる街並みを振り返って目を細める。

 

「護るために闘うなんて矛盾してるかもしれないけど、争いの絶えない今の世の中じゃ力のない人たちはただ虐げられるだけでしょう? だから強くなりたいと思ったの。刀一本振るい続けることで護れるものがあるのなら、それがどんなに小さなものだとしても、私は闘いたい」

「おまえらしいな」

「紫苑は? どうして闘っているの?」

 

 くるりとこちらを向いた沙羅に問い返されて、紫苑は返事に窮した。

 

「俺は……」

 

 途端に重くなった口を少しずつ開く。

 

「俺は戦で家族を失った。まだ物心ついて間もない頃だ。……だからだろうな。ガキの頃からずっと戦を憎んでいた。防衛軍へ入隊志願したのはその復讐だ。おまえのように何かを護るためだのという大義は持ち合わせていない」

「そう? 家族を失った苦しみを知っているからこそ、自分と同じ境遇の人を作り出さないために闘っているんでしょう」

「そんなできた人間じゃない」

「ううん。ずっと見ていればわかる。紫苑は奪ったり傷つけたりするために刀を振るうような人じゃない」

 

 自分には過ぎた評価だ。そう思いつつも、沙羅が迷いなく言い放つのが嬉しかった。

 いつもそうだ。沙羅の言葉はいつだってまっすぐに、心の一番奥深くまですんなりと溶け込んでくる。

 時には強く、時には鋭く、けれどいつでも確かな優しさを持って。

 そしてその溶けた部分から心地よい温もりが生まれて全身に広がっていくのだ。

 それはこれまで出会ってきたどんな相手にも持ち得なかった感情。

 

「……どうだろうな。ただ今の俺に唯一護りたいものがあるとすれば、それは──」

 

 ざあっと一陣の風が吹き上がりふたりの頭上から桜の花弁を散りばめる。

 薄く微笑んだ紫苑は沙羅を見据えながら、告げた。

 

 

「……それはおまえだ、沙羅」

 

 

 

「……私って護られるほど弱い?」

「人の告白を茶化すな」

 

 かあっと沙羅の頬が桜色に染まる。さすがの彼女もここまで言えばとぼけようがないだろう。

 

「おまえの話を聞いてからずっと考えていた。俺にとって護りたいものとはなんなのか」

 

 自分は一体何のために闘っているのか。

 何を護るために刀を振るっているのか。

 

「……いくら考えても思い浮かばなかった。家も家族も失って孤独になった俺に、今更大切なものなどない。護るものなどあるはずがないと」

 

 大切なものがたくさんあり過ぎて一言では言い表せない、と言った沙羅に対して、自分はそのひとつすらも見出すことができないでいた。

 ──この想いに気づくまでは。

 

「だがそれもおまえといるうちに少しずつ変わった。初めて自分以外の存在を大切だと思った。……おまえを護りたいと思った」

 

 気づけば、目で追っていた。

 気づけば、声をかけていた。

 気づけば、微笑んでいた。

 気づけば、焦がれていた。

 

「ありがとう……」

 

 熱のこもった紫苑の言葉に、沙羅は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 既に太陽は地平線の果てに姿を消し、青白い月の光が地表を淡く照らしている。月光に包まれた沙羅の微笑みはより一層鮮やかで、無意識に見惚れそうになった紫苑はどうにか平静を装い首を傾げた。

 

「それは肯定と受け取っていいのか?」

「……それくらい察してよ」

「俺の勘違いでは困る」

 

 沙羅の表情を見れば勘違いなどしようもないのだが、どうしても確証を得たくて問いかけた。

 しばし返答に詰まっていた沙羅はやがて観念したようにふーっと息を吐き、首を縦に振る。

 

「……好き。私は紫苑のことが大好き、です」

「…………」

 

 どくん、と。

 心臓が跳ねた。

 

「な、なに」

「いや……そこまで言われるとは思ってなかった」

「なっ……」

 

 思わず本音をもらすと沙羅の頬が一気に紅潮した。

 いや、もちろんそういう類の返答を期待して訊ねたわけではあるが。

 なんというか、こう、面と向かって言われたときの破壊力は想像を遥かに超えていた。

 

「そっちが言えって言ったんじゃない! 何よその言い草は! もう知らないっ」

 

 泣きそうな顔になって背を向けた沙羅が愛しくてたまらない。取り繕わなくてはと思うのに、つい口元が緩んでしまう。

 

「悪かったよ……怒るな。おまえがあんまり嬉しいことを言うから驚いたんだ」

 

 そっと後ろから腕を回し、抱きしめた。

 拒まれるのではという不安もあったが、そのまま腕の中でじっとしている沙羅に安堵した。

 

 触れてみてわかる。目に映るよりもずっと華奢な身体。

 この小さな身体で、彼女は刀を振るおうと言うのだ。自分を取り囲むあらゆるものを護るために。

 

「沙羅」

 

 ならば俺は

 

 君を護りたい。

 

「俺におまえを護らせてくれ。これからずっと──」

 

 回した腕にゆっくりと力をこめて、紫苑は沙羅の耳元でそう呟いた。

 

 

 *

 

 春の夜風がそよそよと吹き抜けていく。

 桜の木に背をもたれて座り込む紫苑は、すぐ隣で同じように腰を下ろしている沙羅の横顔をじっと見つめていた。

 桜の枝の合間から射し込む月明かりは朧で、まるで夢の中にいるような感覚に陥る。ひょっとしたら今日のことは全て夢で、夜が明けてしまったら泡と消えてしまうのではないだろうか。

 そんな柄にもないことを考えていると唐突に高い声が降ってきた。

 

「──って紫苑、聞いてるの?」

「……ん? ああ……」

 

 空返事を返した紫苑に沙羅がむぅっと顔をしかめる。

 

「だから、工藤さんが相談に乗ってくれたって話! 私が紫苑のこと好きだって気づいてたみたいで、『絶対に上手くいくから頑張れ』って応援してくれたの。なんで気づかれたのかはわからないけど……」

「工藤が……そうか」

 

 しばし目線を落とした紫苑はふっと苦笑をこぼした。

 

「まったくあいつは……人が良すぎる」

 

 確かに沙羅のことはきっぱり諦めると言っていたが、そう簡単に割り切れるはずもない。まして自分は相談を持ちかけてきた彼に対して助力を拒んだのだ。わざわざお膳立てをする義理もないだろうに。

 人が良く、お節介な同僚に心から感謝した。

 

「どうかした?」

「いや」

 

 複雑な笑みを浮かべる紫苑を沙羅が不思議そうに見上げる。その視線から逃れるようにくしゃりと頭を撫でた。

 

「不思議なものだな。おまえを護ろうと思ったら、急に大切なものが増えた」

「例えば?」

「なにも沙羅ひとりを護ればいいわけじゃないだろう? おまえが大切に思ってるものも全て護ってやりたい」

 

 その言葉に沙羅は嬉しそうに「ありがとう」と顔を綻ばせる。

 

「それなら紫苑の大切なものは私が護ってあげるからね」

「だからそれがおまえだと言ってるだろう」

「う……じゃあ私はどうすればいいの?」

「そうだな……戦のときは安全な場所に避難してくれ」

「えー! 何それ! 嫌よそんなの。護り甲斐ない!」

 

 あからさまに不満をあらわにする沙羅に紫苑は思わず噴き出した。その様があまりに予想通りだったからだ。

 いくら腕が立つとはいえ、戦場に赴く以上常に生死の危機に晒されることは事実。戦線を離れ平穏な暮らしを送ってくれたらどんなにいいか。

 けれど沙羅がそれを受諾するはずもないことはわかりきっていた。

 

「……惚れた弱みか」

「何が?」

「いや」

 

 紫苑には沙羅の信念を覆すことも、強引に戦地から引き離すこともできない。身の危険も省みずに自ら刀を取り闘おうとする彼女だからこそ、自分は強く惹かれたのだから。

 ふぅ、と短い息を吐き出すと、紫苑は荷物の中から縦長の木箱を取り出して沙羅へと差し出した。

 

「何?」

「少し遅れたが……誕生日祝いだ」

「ええっ! 私に!?」

 

 驚愕する沙羅に「驚きすぎだろ」と呟いて木箱を手渡す。

 恐る恐る蓋を開けた沙羅はそこで再び言葉を失った。

 

「紫苑……この刀」

 

 刀鍛冶から受け取ったばかりの刀は、まるで吸い寄せられるように沙羅の右手にぴたりと収まった。

 

「じいさんに打たせた。久々に満足できる一本に仕上がったそうだ」

 

 鞘から抜き放たれた真新しい刀身が、月明かりを浴びる桜を映して淡い薄桃色に輝いている。数多くの刀鍛冶の作品に触れてきた紫苑の目から見てもそれは実に秀逸な一振りだった。

 

「……皮肉なものだな。護ってやるなんて豪語しておきながら、おまえに贈るものといったらこれしか思い浮かばなかった」

 

 自嘲の笑みをこぼして、紫苑は刀の柄をぎゅっと握りしめている沙羅を見つめる。

 

「何度も言うが俺はおまえに刀を振るってほしいわけじゃない。だが──何を言ってもおまえは闘うことをやめないだろう?」

「……うん、やめない。私だけ闘いから逃れて安穏と暮らすなんて落ち着かないもの」

 

 返ってきたのはやはり予想通りの答え。自分の願いとは正反対の。

 

「だろうな。それならせめて、おまえは自分の身の安全を一番に考えてほしい。俺もいつも傍にいてやれるわけじゃない。だから、そのときはこの刀で──」

 

 言いかけて唇を噛んだ。この刀でどうしろと言うのだろう。

 いくら綺麗事を並べようと、所詮刀など人を殺めるための道具に過ぎないのだ。

 それでも、沙羅なら。

 

「大丈夫。自分の身は自分で護るから。心配しないで」

「ああ……」

 

 この刀を人を護るための道具だと言うのだろう。

 力強く頷いた沙羅は、紫苑の手に自らの手を重ねるとふわりと笑った。

 

「それじゃあ私は、紫苑の笑顔を護るね」

「……どうやって?」

「私が隣にいれば笑顔になるでしょ?」

 

 満面の笑みでそう言い放たれてはもう笑うしかなかった。

 言い返す言葉もない。

 自分の笑顔の源は、紛れもなく彼女だ。

 

「言ったからには護り抜けよ」

「任せて」

 

 重ねられた小さな手を掴んで腕の中に引き寄せる。

 途端に跳ねる鼓動に思い知らされた。自分はこんなにも彼女に焦がれていたのかと。

 強く抱きしめたい衝動に駆られて、けれどそうすればこの華奢な身体を傷つけてしまいそうで、ぐっとこらえる。

 宝物に触れるようにそっと、優しく抱きしめた。

 

 

 俺は、君を護る。

 

 誰にも傷つけさせやしない。

 

 必ず護ってみせる。

 

 

 桜の枝の合間から射し込む月明かりが腕の中の沙羅の微笑みを照らして、紫苑は初めて愛しさの意味を知った。

 濃紫に輝く澄んだ瞳も、桜色に染まる頬も、緩い弧を描く唇も、何もかも。

 ただ、愛しい。

 

 全てを包み込むような朧月の祝福を受けながら、紫苑は瞼を閉じた沙羅にそっと唇を重ねた。

 自分の中に初めて芽生えた感情に揺るぎない誓いを立てて。

 

 

 

 ***

 




《Shion Ⅳ…紫苑Ⅳ》

 そしてようやく結ばれて。
 次話より紫苑の過去編、後編です。
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