翌朝、緊張のせいかあまり寝つけなかった紫苑の意識をはっきりと覚醒させたのは、けたたましい音で鳴り響く防衛軍の警鐘だった。
それも通常の招集ではない、全隊員に招集を告げる非常時の警鐘。紫苑の記憶上この警鐘が鳴らされたのは初めてのことだった。
すぐさま隊服に袖を通して家を飛び出す。詰所へ続く通りには防衛軍の隊員たちが続々と集っていた。皆状況が呑み込めていないのだろう、困惑した面持ちで周囲の様子を窺っている。
「──紫苑!」
辺りがざわめく中、凛と響いた声に振り返ると後方から沙羅が駆けてくるところだった。
「一体何が起きたの?」
「わからない。とにかく詰所へ急ぐぞ」
首を振ってそう告げる紫苑に、沙羅は取り乱すこともなく頷いてあとを追った。
*
詰所は駆けつけた隊員たちで騒然としていた。
第三部隊の全隊員が集まったのを確認すると、部隊長の萩谷が談義場で状況説明を始める。
「過激派の奴らが暴動を起こした。相手の先頭部隊はすでに下町を突破し、王都に迫る勢いだ」
「下町を突破? 馬鹿な、いくらなんでも早すぎる。町の自警団は何をしてるんだ」
隊員の間に動揺が走る中、紫苑が問うと萩谷は険しい面持ちのまま首を横に振った。
「自警団もすぐに出動したが半刻ともたなかった。いつもの暴動とは規模が違う。今は第一部隊が応戦中だ」
「第一部隊が……!?」
通常暴動が発生した場合、まず斥候部隊を出撃させるのが定石だ。それにより相手の戦力を把握し、それに適した対策を練る。
だが今回は防衛軍の主砲たる存在である第一部隊がすでに先陣を切って出撃しているというのだ。
戦況を分析している余裕がない。よってこちらの最大戦力で応戦せざるを得ない。それは今回の暴動がいかに深刻なものであるかを物語っている。
「つまりはそれだけの緊急事態だということだ。防衛軍は総員第一級戦闘配備につくよう命じられた。我らが第三部隊もこれより小隊編成を行いただちに鎮圧に向かう」
各隊員の表情がさっと険しくなる中、萩谷は部屋の中央に王都の見取り図を広げて戦術を伝え始めた。
主戦場となっているのは都の正門側。ここを落とせば反乱軍の町中への侵攻を許し、一般の住民にも甚大な被害が及ぶことになる。
従って小隊の三分の二を正門側へ振り分け、残る小隊は万が一に備え別働隊として裏門を守る。そこまで話して萩谷は目線を隣に預けた。
「──紫苑、沙羅。別動隊の指揮はおまえたちに任せてもいいか」
「ああ」
「わかりました」
ふたりが力強く頷いたのを確認して、萩谷は声高に号令を揚げる。
「総員戦闘準備! ただちに出撃だ!」
──ふたりの最後の闘いが、始まる。
*
紫苑と沙羅が率いる小隊はすぐさま都の裏門へと駆けつけた。
裏門前ではすでに第一部隊と反乱軍が一戦交えている。
「第三部隊四小隊、援護に参りました! 司令官はどなたですか?」
沙羅は司令官の代理を務める第一部隊の隊員に指示を仰ぐと、小隊を戦場の右翼へ展開するよう合図した。それに呼応した紫苑は先陣を切って反乱軍の中に斬り込んでいく。
相手は正当な戦闘訓練を受けた兵ではないだけに個々の技量は劣る。斬りかかってきた敵兵の刀を易々と受け止めて、紫苑は一撃で急所を突いた。
都の統治に不満があるのならば、このような手段に訴えなくても方法はあるだろうに。戦が生み出すのは栄光でも平穏でもない。憎しみだけだ。
わずかばかりの限られた者が勝利の余韻に陶酔し、自らの手で平穏を勝ち取ったのだと錯覚する。そんな大人たちの身勝手な振舞いによって虐げられるのは、いつだって力のない子供たちで。
親を失い、住む家を失った彼らはやがて世を憎むようになり、それが新たな戦の種となる。
この世に憎しみがはびこる限り、戦は永遠に終わらない。
今次々と倒れていく兵には妻子を持つ者も多くいるはず。
自分のように孤独を抱える子供が、また増える──……
やりきれなさに歯噛みして、更に踏み込もうとしたそのとき、だった。
「紫苑──!」
鳴り響く怒号と金属音の合間に沙羅の声を聞いたような気がした。
打ちかかってきたひとりを斬り伏せ、その後方の敵が怯んだ隙に声が響いた方向へ目をやる。
沙羅はすぐ傍にいた。
鋭利な矢にその細い肩を貫かれた状態で。
「……っ!?」
紫苑が声を上げる間もなく、沙羅はざっと前方へ走り込むと自らを射抜いた弓兵を一太刀で斬り伏せた。苦痛をこらえて矢を抜き去った左肩がみるみる赤く染まる。
「沙羅!」
「大丈夫、かすっただけ!」
心臓が鷲掴みにされる思いだったが、当の沙羅本人はこちらを振り返りもせず次の敵兵を迎え撃つ体勢に入っていた。
「それのどこがかすり傷だ。おまえは一旦下がれ!」
飛びかかってきたふたりを一瞬で蹴散らし、沙羅と打ち合っている敵を背後から斬り捨てた紫苑は彼女に撤退を促す。だが沙羅は「今下がるわけにはいかない」と頑として譲らなかった。
「……くそっ」
低く舌打ちをして刀を握る手に一層の力をこめる。
沙羅は紫苑と弓兵とを結ぶ直線上にいた。自ら矢の軌道に飛び込んだのだ。
紫苑を護るために。
できればすぐにでも後退させたい。しかしこの状況では何を言っても聞き入れないだろう。
そこからの紫苑の刀捌きには目を瞠るものがあった。鬼神の如く刀を振るい、次々と敵兵を斬り伏せていく。
そんな紫苑や沙羅ら第三部隊の活躍もあり防衛軍が優勢に転じ始めると、反乱軍は早々に退却ののろしを上げた。その引き際の良さに一瞬疑問を覚えた紫苑であったが、深く考えるよりも先に沙羅の元へと向かう。
「みんな、怪我はない? 負傷者は順番に救護班へ──」
「おまえこそ負傷者だろうが。……行くぞ」
辺りの隊員を気遣っている沙羅の腕を掴み、紫苑は足早に救護班の待機所へと向かうのだった。
*
沙羅の左肩の傷は深かったものの、幸い筋肉組織への損傷はなく傷口を数針縫合することで手当ては済んだ。
「だから大丈夫だって言ったでしょう? 心配性なんだから」
けろりとした顔で笑う沙羅の傍らで、包帯を巻き終えた救護班の女性が心配そうに顔を上げる。
「ですが、神経の一部が切断されています。……痛み止めを打つまでかなり痛んだんじゃないですか?」
「いえ! 大丈夫です」
あからさまに上擦った声で首を振る沙羅に紫苑は心の底からため息をこぼした。
「……だから無理をするなと言ってるだろう」
「無理じゃないよ。まだ闘えるもの」
──どこまで強がりなんだおまえは。
そう言いかけて呑み込んだ。
沙羅が平然とした顔を保っているのは、自分を思ってのことだと知っていたから。沙羅の怪我を自らの責任と考えているであろう紫苑が、これ以上負い目を感じないように。
「……紫苑?」
優しい呼び声が届く。
そうやっておまえは、自分がどれほど傷ついていようと俺のことばかり気遣うんだ。
自分の身は自分で護ると誓ったくせに。俺のためなら平気でその身を盾にするのか。
湧き上がる憤りは、沙羅ではなく自身に対して向けるべきものだとわかっていた。
俺がもっと注意を払っていれば沙羅が傷つくことはなかった。
強くならなければ。
沙羅を護れるように。
二度と沙羅が傷つかないように。
命を懸けても沙羅を護る、魂に掲げたその誓いを再び噛みしめて、紫苑は自らの拳に重ねられた沙羅の手を包み込んだ。
*
その後第一部隊の司令官から呼び出しを受けた紫苑は、自分もついていくと言ってきかない沙羅を渋々連れて本陣の天幕を訪れた。
司令官の記章を襟元に付けてふたりを迎えたのは、できれば二度と顔を合わせたくないと思っていた男。
「第三部隊と聞いてまさかとは思ったが、やはり君たちだったか」
肩をすくめる彼──杉原龍之介に、紫苑は感情を表に出すことなく戦況を尋ねる。
「斥候部隊の話では反乱軍はここからかなり離れて陣形を立て直しているようだ。次に本格的に攻め込む準備が整うまでにはまだ時間を要するだろう」
「そうか……」
「それはそうと、彼女は大丈夫かい? 先の闘いで負傷したそうじゃないか」
「お気遣いありがとうございます。かすり傷ですのでご心配には及びません」
小馬鹿にしたような口調の杉原に沙羅は固い面持ちで返したが、紫苑は胸中で安堵していた。次の進軍まで時間があるのなら沙羅を前線から下げて休ませることも十分に可能だ。
そう考えたのも束の間──
「お話し中失礼致します! 本隊より伝令が到着しました。司令官へ火急の報せとのことです」
「やれやれ、息つく暇もないな。──通せ」
「はっ」
慌ただしく天幕に駆け込んできた伝令がもたらしたのは思いも寄らぬ報せだった。
「杉原司令官へご報告申し上げます。現在本隊は正門前にて反乱軍と交戦中。戦線は維持しているものの相手の兵数が多く戦況は
「本隊がそこまで苦戦するとはな……。被害状況はどうなっている?」
「都内部への被害は食い止めているものの、防衛軍側の死傷者数は百名を超えました。また第三部隊の隊長が負傷し、部隊の指揮系統が乱れているとの情報も入っています」
「──!」
紫苑と沙羅は同時に息を呑んだ。
「萩谷さんが……!」
「部隊長の負傷は部隊の動揺を招く。それが統率の甘い部隊であれば尚更だ。第三部隊程度ではやむをえないだろうな」
こともなげに言い放つ杉原を沙羅はきつく睨みつけて反論しかけたが、それよりも早く紫苑が歩み出る。
「杉原、戯言を言っている暇はないはずだ。救援には俺が行こう」
「……いいだろう。幸いこちらは敵軍も退却したばかりだしな。──伝令、速やかに本隊へ戻って伝えろ。別動隊は第一・第三部隊より各二小隊ずつを援軍として派兵するとな」
「はっ。了解致しました」
踵を返した伝令に続いて、紫苑と沙羅も援軍の編成の為速やかに本陣の天幕をあとにした。
*
萩谷負傷の報せは少なからず第三部隊の隊員を動揺させていた。
「心配するのはあとにしろ。ここで気を揉んでいる暇はない。一番・二番小隊はただちに救援へ向かう準備を整えるんだ」
紫苑の一喝で我に返り、各々動き始める隊員たち。すると隣に立っていた沙羅がぎゅっと拳を握りしめてこちらを見上げた。
「……私も行く」
「だめだ」
その申し出を予測していた紫苑は即座に首を振る。
「もう手当はすんだもの。私だって闘える」
「おまえはここに残れ」
「紫苑!」
沙羅が険しい面持ちで主張しても紫苑は決して譲らなかった。
伝令の報告を聞いた時点で決めていた。沙羅はここに置いていこうと。
「……おまえの怪我を心配して言っているだけじゃない。ここに残る三番・四番小隊を指揮する者がいなくなるからだ。指揮官が揃って離れるわけにはいかないだろう?」
返答に詰まる沙羅とは目を合わせないようにして、手早く防具を装着していく。
「残りの小隊の指揮はおまえに任せる。一度退いたとはいえ、いつ攻めてこないとも限らない。布陣を組んで警戒は怠るな」
指揮官という立場を逆手にとってここに留まらせる口実を作った俺を、おまえはどう思うだろうか。
卑怯者と罵られても構わない。
それでも俺は、これ以上おまえを危険に晒したくない。
……おまえが傷つく姿を、見たくはない。
視界の隅で沙羅が肩を震わせていることに気づきながらも、紫苑はそちらを向くことができなかった。
「……気をつけて」
幾許かの沈黙ののち、きゅっと唇を引き結んでから顔を上げた沙羅はいつもの気丈な笑みを取り戻していた。それに頷きを返した紫苑はふと得体の知れない不安に駆られる。
妙な胸騒ぎがするのはなぜだろう。
向かう先は確かに逼迫した戦場だ。しかしそれは刀を抜いた瞬間から覚悟の上。恐れをなしているのではない。
ならばこの言いようのない悪寒は一体──
黙り込んでいるとその不安を感じ取ったのか目の前の沙羅が眉を潜めていた。それを見て紫苑は自信に満ちた表情を取り繕う。
考えても仕方がない。少なくとも沙羅はここにいる限り安全なはずだ。
自分に課せられた使命は、一刻も早く正門の闘いを沈静化し、再びこの地へ戻ってくること。
そしてそのときこそ──沙羅に伝えよう。
今年の桜も、来年の桜も、五十年後の桜も、ふたりで一緒に見届けたいと。
この先もずっと自分とともに歩んでほしいと。
「……必ず帰ってくる」
沙羅の頬に手を添えて、唇をなぞりながら誓った。
「……絶対よ?」
「ああ。約束する」
「うん……信じてる」
瞼を閉じた沙羅に深く口づける。
そして互いに目を合わせて微笑んだ。
これが最後の口づけになるとは知らぬまま。
もしもこのとき、少しでも君の言葉に耳を傾けていたら
君の傍から離れずにいたら
俺は君を失わずに済んだのだろうか──
本陣の屋上から見送る沙羅へ手を上げて、紫苑は仲間たちとともに正門へ向けて発った。
奇妙なほどに凪いだ風が辺りに生温く立ち込めていた。
***
《Never Forget You Ⅱ…君を忘れないⅡ》