ウルキオラ解放の余波は虚夜宮の各所に及んでいた。
沙羅に代わって
「なんだ……?」
「おお……これは……」
葬討部隊の隊長であるルドボーンが恍惚とした表情で呟く。
「この霊圧は……ウルキオラ様!」
回廊の奥から放たれる霊圧は紛れもなくこの第4の宮の主のものだった。
「ウルキオラだと……? それって沙羅の──」
「貴方ごときが気安くウルキオラ様の名を口にしないでいただきたい」
反応した恋次に向けてルドボーンが放った葬討部隊の兵が襲いかかる。既に己の
「ウルキオラ様が解放なされたということは、殲滅すべき標的を定めたということ。もはやあの娘に生き延びる術はない」
「なんだと……!」
「恋次。安い挑発に乗るな」
飛びかかってきた兵を一刀してルキアが間に立つ。
「沙羅なら大丈夫だ」
宮の奥には確かに身の毛もよだつような強大な霊圧が存在するが、それとともに馴染みのある霊圧も感じ取れる。一点の曇りもない、清廉な沙羅の霊圧が。
何より彼女はあの志波海燕から副官証を託された者。十三番隊を照らす希望の花──待雪草を。
「私たちは私たちのなすべきことを全うすれば良い!」
シャンッと力強く袖白雪を地面に突き刺すと、刺した部分から氷が地を伝い木の根のように張り巡らされたルドボーンの下半身を一瞬にして凍りつかせた。
「これでもう動けまい」
「く……だが、私を倒したところで意味はない。貴方がたのような凡俗など、十刃にかかれば──」
その言葉を最期にルドボーンは完全に凍りついた。樹氷と化した枝先がパキパキと崩れ落ちていく。
ふう、と一息ついてルキアは斬魄刀を鞘に収めた。
「よし。私たちも先へ進もう」
「いや……刀を収めるのはまだ早いよ」
張り詰めた吉良の声に振り返ると、後方から新たな破面が近づいてくるところだった。やがてその姿をはっきりと視認したとき、ルキアは驚愕に目を見開いた。
「そんな……馬鹿な……」
*
一方、ギンと対面した乱菊は彼の態度に戸惑いを覚えていた。
目の前にいるのは尸魂界を裏切ったはずの男。副官である吉良を利用し、雛森・日番谷との同士討ちを謀り、藍染が目的の崩玉を入手した折には用済みとなったルキアを手にかけようとした。
疑う余地もない反逆者なのだ、この男は。なのに。
「どないしたん? ボクに訊きたいことがあるんやろ?」
飄々と首を傾げるその姿は、乱菊のよく知る幼馴染のもので。
「ギン、あんた……」
わからなくなる。
どれが本当のギンなのか。
「どうして藍染の下なんかについたのよ……?」
ようやく紡いだその声は、自分で思っていたよりもずっとか細いものだった。
思い出す。藍染の謀反が露見したあの双極の丘で、別れ際にギンが放った台詞。
『もうちょっと捕まっとっても良かったのに……』
『さいなら。乱菊』
『ごめんな』
あのときギンが見せた寂しげな表情がずっと頭から離れなかった。
何度消そうとしても、甦る。
知りたい。
あの言葉の意味を。その行動の真意を。
「それがボクにとって最良の選択やったからや」
正面から問いをぶつけた乱菊に、ギンは斜に構えたままそう答えた。
「説明になってないわ」
「なっとるやろ」
「仲間を裏切ることのどこが最良の選択なのよ。藍染についてあんたになんのメリットがあるっていうの?」
「乱菊には関係あらへん」
「関係……あるわよ!」
言葉少なに突き放そうとするギンにも乱菊は引かなかった。
いつも黙ってひとりでいなくなってしまうギン。
やがてふらりと戻って来ると、何事もなかったかのように笑って、そしてまた日常に溶け込んでいく。それがいつものパターン。
けれど今回は違う。
今この機を逃せば、ギンとはもうわかり合えない。ギンはきっと、二度と戻って来ない。そんな気がするから。
「関係あるわよ……あんたに関わることなら、どんな些細なことだって」
理由があるのなら話してほしい。
今度こそ正面から向き合って。
強い眼差しを向ける乱菊に、ギンは一度緩く嘆息してから顔を上げた。
「ボクの一番大切なモンを護るためや」
普段の悠々とした物言いではない。固く鋭い口調で。
「一番大切なもの……? 何よそれ」
「それは言えへん」
「じゃあ……あんたはその大切なものを護るためなら、仲間を裏切っても構わないって言うの? あんたを信じてた三番隊のコたちや、吉良や……あたしを裏切ることになっても!」
一際強い声で乱菊はギンを問い詰める。最後に自分の名を挙げたのは乱菊にとっては賭けだった。
せめて。せめて自分のことだけは裏切らないと言ってほしい。例え他の誰を裏切ろうとも、自分だけは違うと。
懇願にも似た表情の乱菊にギンはゆっくりと口を開いた。
「せや」
まるで死刑宣告を告げるような静かな声音で。
「それを護れるんやったら、他のモンがどうなろうと構へん」
薄く開いた瞳の奥に鋭い光が灯る。
「どうして……」
「言うたやろ」
「ボクにとって一番大切なモンだからや」
そう告げたギンは今までに見たこともないような顔をしていた。
途端に乱菊の胸を落胆が支配する。
これでわかってしまった。ギンは自分の意志で藍染に従っているのだ。何か──彼にとって決して譲れないものを護るために。
いっそ藍染に洗脳されていたならどんなに良かったか。
『ごめんな、ボクどうかしてたわ』
そう言って戻ってきてくれたなら。
「あたしは……」
閉じかけた唇を無理矢理押し開いた瞬間、ピンッと場の空気が張り詰めた。見るとギンが険しい面持ちで天を仰いでいる。
直後、辺りは黒い霊圧に包まれた。
「何これ……!」
降り注ぐ黒い霊圧の粒に、乱菊は咄嗟に斬魄刀の柄を握る。
「……ウルキオラやな」
「えっ?」
ギンの呟きを聞いて意識を研ぎ澄ますと、確かに覚えのある霊圧だった。
ウルキオラ──彼とは一度現世で対峙したことがある。自我を失い、愛する人を喰らおうと暴走していた哀しい破面。
だが、今感じられる霊圧はあのときよりも遥かに濃度を増しているにも関わらず、放出される霊力は一定を保っていた。決して荒ぶることなく、乱れることなく。波ひとつない穏やかな湖面のように整然と。
「ボクに任せぇ言うたのになァ……ま、しゃあないか。沙羅ちゃん通してもうたし」
嘆息交じりに頭を掻くギン。彼もまたウルキオラの霊圧から大凡の状況を察しているようだった。
「まさか解放までしよるとは思わへんかったけど。腹括ったんやろな」
憤るというよりは困った様子でギンが漏らす一方で、乱菊は安堵していた。
ウルキオラの霊圧の傍には沙羅の霊圧も感じられる。
「逢えたんだわ……」
たったひとりで尸魂界を飛び出し、決死の覚悟で虚圏まで乗り込んだ沙羅は、ようやく恋人との再会を果たすことができたのだと。
目頭が熱くなりそうなのを堪えて乱菊はギンに向き直った。
「これであの子の目的は済んだやろ。はよ行き」
「あんたはどうするのよ」
「ボク? ボクはひとまず藍染隊長んとこ戻るわ。侵入者をみすみす見逃したなんて言うたら怒られるやろなぁ」
先程までの会話などなかったかのように、いつもの冗談めかした口調で肩をすくめるギン。だが乱菊はその場を動こうとはしなかった。
「あたしの目的はまだ済んでないわ」
「話は終わったやろ」
「まだよ。あんな説明で納得できるわけないじゃない」
沙羅に負けてはいられない。
自分も前に、進みたい。
「ボクかて譲れへんのや。どない汚い手ェつこうても護らなあかん」
「だったらあたしだって手伝うわよ! あんたの大切なもの、あたしも一緒に護る。だからこれ以上藍染なんかに従わないで」
「それは無理や」
「どうして!」
見苦しくても、煙たがられても構わない。何もせずに待っているよりずっといい。
「あたしはあんたのお荷物じゃないわ。もう置いてけぼりはたくさんよ」
震える喉から気丈な声を絞り出すと初めてギンの表情に揺らぎが生じた。陰りを帯びた瞳でぽつりと呟く。
「あかん……。乱菊だけは巻き込まれへん。乱菊がここにおったら意味ないねん」
「意味ないってどういうことよ」
「全部済んだら話したる。まだ無理なんや。まだ足りひん。今のボクじゃ到底届かへん」
「わかんない……あんたの言ってること全然わかんないわよ!」
言葉巧みに並べ立て、相手を煙に巻くのはギンの常套手段だ。だが今ギンが吐露しているのは嘘偽りない彼の本音であるように乱菊には思えた。
だからこそ、その言葉の中身を掴めないのがもどかしい。もう少しでギンの真実に手が届くのに。
「それでええんや」
ふ、と瞳を細めてギンは笑った。
「わからんでええ」
ほんの一瞬垣間見えた素顔を覆い隠すように。
乱菊は泣き出したくなった。どんなに真正面からぶつかっていっても、ことごとくかわされてしまう。
ギンはすぐ目の前にいて、手を伸ばせば触れられる距離にいるはずなのに、遥か遠くの雲を掴もうとしているような虚しさばかりが押し寄せる。
やはり無駄なのだろうか。
もう諦めるべきなのだろうか。
こんなとき、沙羅だったら──
「ウルキオラと沙羅ちゃんの霊圧消えよったな。天蓋の上でも通ってるんやろ。はよあの子と合流して帰りや」
「……嫌よ」
「乱菊……」
首を振ってキッとギンを見据える。
「絶対に帰らない。あんたが話してくれるまで絶対諦めない!」
聞き分けのない子供みたいだ。けどそれでも構わない。
大人ぶって納得する振りなんかしても、前には一歩も進めない。
沙羅だったらきっとそう言う。
「それに……沙羅はすぐには戻って来ないかもしれないわ」
胸元に手を当てて、乱菊は沙羅から預かった魔霊石を確かめた。
帰るときは一緒だと誓った。沙羅が約束を破るとは思わない。けれど。
死神と破面を隔てる確執に誰よりも苦しんだ沙羅だからこそ、誰よりも強く願うだろう。こんな無為な闘いは一刻も早く終わらせたいと。
(沙羅……あたしは諦めない。これくらい、あんたの今までの苦しみに比べたらどうってことないもの。しっかりけじめつけて、尸魂界に帰ったらあんたと祝杯あげるのよ。だからどうか)
(あんたも無事に戻ってきて──……)
自ら茨の道に踏み込んでいった親友に想いを馳せながら、乱菊は静かに瞳を伏せた。
**
藍染惣右介を止める。
そう言い放った沙羅にウルキオラが異を唱えることはなかった。ただ一度ゆっくりと瞬きをして、そして再び沙羅を見据える。
「あの人の力は強大だ」
「でも対話が通じない相手じゃない」
ウルキオラが眉根を寄せたのを見て沙羅は付け加えた。
「説得できるなんて思ってないよ。ただ知りたいの。何のために闘いを続けているのか。藍染隊長ほどの力があればもっと違うやり方で虚圏を統治することもできたはずなのに」
「あの人の目的は王鍵を創成し、霊王を殺害すること。そして自らが天帝となることだろう。そのためならば手段は選ばない。そういう人だ」
双極の丘での出来事を思い出して沙羅は唇を引き結ぶ。
崩玉を得るために中央四十六室を抹殺してルキアの処刑を画策し、自らの死までも偽装した。それが今立ち向かおうとしている相手──藍染惣右介なのだ。
「それなら尚更止めないと。あの人を止めなきゃこの闘いは終わらない」
夢幻桜花を握り締めて顔を上げた。その目にもう迷いはなかった。
「……玉座の間は北だ」
沙羅の後方を示してウルキオラは翼を広げる。
元より止めるつもりなどなかった。止めても無駄なのはわかっていたし、どこかで沙羅ならばそう言うような気がしていた。
「玉座の上部の天蓋には強力な防護壁が張られている。一度地上に降りて突破するしかないな」
「わかった」
もしも沙羅がふたりで逃げたいと望んだなら、自分は他の何を切り捨ててでも彼女を連れて飛び去っただろうに。
この期に及んでそんな浅はかな期待を捨てきれないでいる自分にウルキオラはひっそりと自嘲の笑みを漏らした。
「行くぞ」
「うん」
下へ降りれば当然他の破面と遭遇する危険性も高まるだろう。だが目標を藍染に定めた以上、不必要な戦闘は避けたい。
どうか誰とも遭わずに済むように──
そんな沙羅の願いは、地上へ降りたその瞬間に激しい爆風によって吹き飛ばされたのだった。
*
一瞬の閃光の直後、熱風がふたりに襲いかかる。
(虚閃──!?)
沙羅は咄嗟に防御の鬼道を詠唱したが、それを発動するよりも早くウルキオラの翼が庇うように広げられ虚閃を弾き飛ばした。
黒煙の先にふたつの影が映し出される。ひとつは長く、ひとつは小さく。
「スタークか……」
煙の中から姿を見せた長身の男を捉えてウルキオラは呟いた。
「侵入者はっけーん!! スターク、あんたもたまにはいい読みすんじゃん!」
男の隣に佇む少女が得意げにこちらを指さす。仮面の左目部分から煙が上がっているところを見ると先程の虚閃はこの少女が放ったようだ。
「おいおい……まじかよ」
意気込む少女とは対照的に、スタークと呼ばれた男はけだるげに頭を掻いていた。
「まさか玉座の間には近づかねえだろうと思ってここを張ってたのに……なんでよりによってこんなとこ通ってんだよ」
「やっぱりサボるつもりだったのかよ!」
「痛てェッ! おいリリネット! ケツを蹴るな!」
「黙れぐうたら!」
リリネットの飛び蹴りから身を守りながらスタークがこちらを向いた。
「で、なんでウルキオラが一緒にいるんだ? それも解放までして」
悠長な口ぶりとは裏腹に険しい眼光でウルキオラを見据える。
それに対しウルキオラは黙ったまま沙羅の前に立った。意思を主張するにはそれで充分だった。
「説明するまでもないってか……。──なあ、死神さん」
スタークは視線をわずかにずらし、今度はウルキオラの後方に立っている沙羅を凝視した。
「あんたの目的はウルキオラだったんだろ? 目的は果たしたんだ、さっさと逃げればいいじゃねえか」
「え……」
「スタークあんたバカ!? 藍染サマに捕まえろって言われてんのに逃がしてどうすんだよ!」
「別に知らねえフリしてりゃいいだろ、めんどくせえ」
リリネットがギャンギャンと文句を垂れる一方で沙羅は戸惑っていた。すぐに臨戦態勢に入るのかと思いきや、彼は退却を促してきた。ひょっとしたらこの人も闘いなど望んでいないのではないか。
「あんたはもっと
逡巡する沙羅を現実に引き戻したのはリリネットの怒声だった。
「第1十刃……」
思わず顔を強張らせた沙羅に気づいたのか、リリネットはフンッと鼻を鳴らす。
「今更ビビったって遅いんだよ! 観念しな、あんたはもう逃げられない。このリリネット様が来たからには──」
「ウルキオラ……どうする?」
「ってあんた聞いてんの!?」
前に立つウルキオラの横顔を窺うと、彼は取り乱す様子もなくじっとスタークを見つめていた。暫しの沈黙の後おもむろに口を開く。
「そこをどけ。おまえに用はない」
「俺だって用はねえよ。このまま黙って消えてくれればな」
突き刺さるようなウルキオラの目線にもスタークは怯まない。
「この先にあるのは玉座の間だけだ。通る道を間違えてるんじゃないか?」
「そこに用があるんだ」
「へえ、何をしに? 許しを請いに行くようには見えねえが」
「……」
「藍染様を裏切るのか?」
ぴんと空気が張り詰める中、声を発したのは沙羅だった。
「藍染隊長と話がしたいんです」
ウルキオラの横から歩み出てスタークと向き合う。
「話? 今更何を話そうってんだ」
「もうこんな闘いは終わりにしたいんです」
「はぁ? あんた何言ってんの? 元はと言えばあんたが乗り込んできたからこんな騒ぎになってんじゃん!」
今にも飛びかかりそうなリリネットの首根っこを掴まえて、スタークは沙羅を見据える。真意を探るように。
「私の目的は確かにウルキオラを取り戻すことだったけど──ここに来てわかったことがあります。全ての破面が闘いを望んでいるわけじゃない。……あなたもそうなんじゃないですか?」
まっすぐにこちらを向く濃紫色の瞳には全くと言っていいほど敵意が感じられなかった。
「私だって同じです。本当は誰とも闘いたくない。破面だから敵だなんて決めつけたくない」
「そんなの嘘だ! どうせ死神なんてあたしたちを化け物としか思ってないくせに!」
「だからそれを変えたいの」
今度はリリネットに向き直り語りかける。
「破面にだってちゃんと心があって、意思がある。それを死神の皆に理解してもらうためにもまずは闘いを終わらせなきゃ」
「~~~っだったら! 死神が降伏すればいいだろ! そうすりゃ闘いなんてなくなるんだから!」
「うん。そうだね」
頷きを返すとリリネットがまるで狐につままれたような顔つきになったので、沙羅はふわりと笑って続けた。
「そうやってお互いの意見を主張して、少しずつ折り合いをつけていけばいいんだと思う。闘いじゃなくて対話で」
「そんなの……無理に決まってる。結局あたしたちが悪者扱いされるんだ!」
「だったらそれも変えていけばいい」
こともなげに言い放つと沙羅はリリネットの目線に合わせて屈み込んだ。
「最初から無理だなんて決めつけてたら永遠にわかり合えないよ。すぐに受け入れられなくてもいい。まずはお互いを理解することから始めればいいんだと思う。どっちが悪いとか、どっちが間違ってたとかじゃなくて、どうすれば争わないで済むのか。そうしないと闘いはいつまで経っても終わらない」
すっと胸の奥に沁み込んでくるような優しい声。それでもリリネットはぶんぶんと首を振った。
「でも……大勢の仲間が死神に殺された! そりゃあ確かに自分から襲いかかった奴らもいるだろうけど、何もしてないのにいきなり死神に斬り殺された破面だっていたんだ! あたしたちが死神と手を組んだら、そいつらの無念は誰が晴らすんだよ!」
「……うん。そうだよね……」
そこで初めて沙羅の顔が歪んだ。
破面の凶刃に倒れ、死んでいった仲間たちが脳裏をよぎる。
悔しかったろう。恐ろしかったろう。
その想いを辿った先にあるのはただひとつ。彼らを奪った相手に対する憎しみだ。そしてそれは破面とて同じこと。
「だからこそ……もうこんな思いを誰にもさせたくないの」
互いの憎しみを増長させるだけの闘い。その残酷な連鎖を断ち切るために。
「あんた……草薙沙羅、だったか」
「はい」
言葉を失ったリリネットの傍らで、それまで黙って耳を傾けていたスタークが口を開いた。
「死神の中にはあんたみたいな考えの奴も大勢いるのか?」
沙羅は一度目線を落としてから顔を上げる。
「まだ……多くはないかもしれません。でも私がウルキオラと逢って変わったように、皆もきっと変われる」
「どうしてそんなことが言える? あんたとウルキオラには特別な繋がりがあったってだけの話だろ。それが他の破面にも通用するとは思えねえ」
「できます。だって現にあなたと私は今こうして対話ができてる。力じゃなく、言葉で」
凛とした面持ちで見つめ返す沙羅からは確固とした意思が感じられた。
「ずいぶんと気丈なお嬢さんを掴まえたもんだな……ウルキオラ」
「ああ。俺も手を焼いている」
スタークが感嘆交じりに告げるとウルキオラはわずかに肩をすくめた。隣で「それどういう意味?」とむくれる沙羅に「いや」と苦笑を返す。
こんなに穏やかな表情を浮かべるウルキオラをスタークは知らない。それもまた彼女の影響によるものなのだろうか。
「……俺は藍染様に恩がある」
「あの人は俺たちに居場所を与えてくれた。仲間を与えてくれた。俺たちを孤独から救ってくれたんだ。ウルキオラ、おまえだってそうだろ?」
揺らぎそうになる心を、スタークは藍染への忠義を口に出すことで喰い止めようとした。
だがウルキオラは静かに首を横に振る。
「藍染様が俺たちに与えたのは居場所でも仲間でもない。ただの数字だ」
殺戮能力の高い順に与えられた一桁の数字。それは自身が主にとって特別な存在である証であり、十刃の誇り。虚夜宮に住まう破面は皆例外なくその数字の前にひれ伏すことになる。
だがそれが一体なんだというのだろう。力の序列として与えられただけの数字になんの意味があるというのだろう。
十刃など所詮その数字で一括りにされた集団に過ぎない。それを果たして仲間と呼べるのか。
「……仲間だと思ってたのは俺だけだってことかよ」
苦々しく顔を歪めたスタークにウルキオラは再度首を振った。
「そうは言っていない。俺が言いたいのは仲間を作ったのは藍染様ではなくおまえ自身だということだ」
偏屈で変わり者が多いとされる十刃。同志でありながらライバルでもある彼らには、互いへの思い遣りや協調性などないに等しい。しかしそれでもスタークにとっては対等に言葉を交わせる希少な存在だった。
そして、自分を慕って仕えてくれている多くの下級破面。彼らもまたスタークにとっては必要な仲間たち。
「力のみを求められるこの虚夜宮で、信頼を深め仲間と呼ぶに足る存在を築き上げたのはおまえ自身だろう」
十刃の会合で忌憚のない意見を交わしたり、休憩時にはリリネットや下仕えの破面たちと談笑したり。
それは決して藍染がもたらしたものではなかったのだから。
ウルキオラの論説をスタークは押し黙って聞いていた。隣のリリネットでさえも。
「おまえももう気づいているはずだ。藍染様にとって俺たちは都合よく動かせる手駒に過ぎない。不要となれば切り捨てればいいだけだからな。それでも忠義を貫いて尽くしたとして、藍染様が天に立ったその先におまえの望む未来はあるのか?」
淡々と、けれどはっきりと。射抜くような眼差しでウルキオラが問う。
「……俺は」
一切の誤魔化しも見過ごさないと言わんばかりに、追い立てる。
「俺はただ──」
「仲間が欲しかったんだよっ!」
躊躇うスタークを遮り声を上げたのはリリネットだった。
「あんたなんかにわかるもんか! ずーっとひとりぼっちで、寂しくて、仲間を作ろうと思っても近づいただけでみんなあたしたちの霊圧に押し潰されて消えちゃうんだ!」
「……あたしたち?」
「ああ……リリネットは元々俺の一部だったからな」
「あんたがあたしの一部だったんだろ!」
スタークに蹴りを入れてからリリネットは俯く。
「藍染様が何をしようとしてるかなんて、そんなのどうだっていい。ただ……一緒にいてくれる仲間が欲しかったんだよ……」
強すぎたが故の孤独。それに耐えかねて彼らは破面化の際に自らの魂魄をふたつに分けた。
そして尚も仲間を求め続けた。失われた心の渇きを癒すために。
苦渋の表情を浮かべるリリネットに沙羅は静かに歩み寄った。
「リリネット、だよね?」
「そうだけど……って触るな!」
伸ばした手が力いっぱいはねのけられる。それでも引き下がらずに。
「わかるよ。誰だってひとりは寂しいもの。ただ仲間を護りたいだけなんだよね」
「……」
「でもよく考えてみて。今ここで闘うことが本当に仲間を護ることになるの?」
「だってそれは……あんたが藍染様を倒すって言うから」
「私は闘いを終わらせたいだけ。藍染隊長を倒したいわけじゃないよ。綺麗事かもしれないけど、話し合いで解決できるものならそうしたい」
確かに綺麗事だ。けれどリリネットがそれを鼻で笑うことができなかったのは、向かい合う沙羅の顔があまりに真剣だったから。
揺れる眼差しでリリネットはスタークを見上げる。己の半身であるその男もまた、困惑した表情を浮かべていた。
「スターク。おまえの願いが仲間と平穏に暮らすことなら、闘うべき相手は俺たちじゃない」
「…………」
「何のために闘うのかをよく考えろ。おまえが護るべきはその仲間たちであって、藍染様でも虚夜宮でもない。今ここで俺たちが刃を合わせたところで誰も救われはしない」
「……そんなことはわかってる。だからさっさとその子連れて逃げてもらいてえんだよ。これ以上仲間内で揉めるのはごめんだ」
「俺はもう逃げない。藍染様さえ止めれば十刃同士で闘う必要もなくなる」
一際強い口調でそう宣言され、スタークは返す言葉を失った。
かつては感情のない石のようだと揶揄されていたウルキオラの面影はどこにもなく、頑なな意志を掲げて決意した男の顔がそこにはあった。
「ここは通してもらう」
一切の迷いも見せないウルキオラを前に、スタークはとうとう肩の力を抜いた。
***
《Reason…闘う理由》
何のために剣を取る?