Dear…【完結】   作:水音.

72 / 87
第54話 Sunset ―落陽―

 第4の宮の中枢部でルドボーンを倒したルキアたちは、新たな破面部隊の襲撃を受けていた。

 

「くそっ! おいルキア! どうなってやがる⁉ あいつはまじで志波副隊長なのか⁉」

 

 複数の破面の攻撃を蛇尾丸(ざびまる)で捌きながら恋次が声を上げる。

 だが呼びかけられたルキアに応える余裕はなかった。訊ねられるまでもなく、ルキア自身が誰より自問していた。目の前に立つこの男は本当に彼なのかと。

 そう、大勢の破面を引き連れてルキアたちの前に立ちはだかったのは、かつての十三番隊副隊長、志波海燕だった。

 

「海燕殿……⁉」

「久しぶりだな、朽木」

 

 白装束に身を包み、突如として現れた彼は自身を『第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)、アーロニーロ・アルルエリ』と名乗った。そして愕然とするルキアにニカッと白い歯を見せて、再会を喜ぶ言葉を投げかけてきたのだ。

 その口調、その仕草、そして何よりその温かい雰囲気に。ルキアはすっかり彼が海燕であると信じ込みそうになった。促されるままに駆け寄ったところで彼が突き出した刀の切っ先が頬をかすめるまでは。

 

 

「随分と腕を上げたな」

「海燕殿……これは一体……」

 

 頬から血を流し、状況を把握しきれていない様子のルキアにアーロニーロは海燕の笑みを浮かべたまま続ける。

 

「そんな不安そうな顔すんなよ、別に取って喰おうってわけじゃねえ。俺としてもおまえを殺すのは忍びねえからな。素直に降伏すれば他の奴らにも手を出さないよう命じる」

「降伏……?」

「そうだ。今すぐ刀を捨てて降伏しろ。そうすりゃおまえたちの身の安全が保障されるよう俺が藍染様に取り計らってやる」

「ふざけんな! 誰がそんなことするか!」

 

 恋次が堪えかねて反発すると、アーロニーロは短く鼻を鳴らした。

 

「そうか。なら仕方ねえな」

 

 彼が片手を上げると同時に後方に控えていた破面の集団が襲いかかってくる。恋次・吉良・雛森がすかさず応戦する一方で、海燕と向き合ったままのルキアは判断を下しかねていた。

 

 どうして。

 外見も、話し方も、全てが海燕殿なのに。

 

「水天逆巻け──捩花」

 

 彼がくるりと斬魄刀を回転させると、それは見覚えのある三叉の槍へと形を変えた。

 そう、この斬魄刀だって、間違いなく海燕殿のもの。

 なのになぜ。なぜこの人は、私にその切っ先を向けるのだろう──……

 

 

 錯乱するルキアはアーロニーロが振りかざす槍撃から身を守るので精一杯だった。恋次たちもまた他の破面の相手で手が塞がっており、ルキアを援護する余裕もない。

 繰り出される攻撃はどれもよく見知った海燕の技だ。何度沙羅とともに彼の稽古を受け、その圧倒的な技術を目の当たりにしてきたことか。

 

 そうだ。沙羅。沙羅だったら、この状況をどう受け止める──? 

 

「沙羅はどこに向かった?」

 

 激しい連撃の合間、まさに今思い起こしていた友の名を口にしたアーロニーロにルキアはハッと我に返った。

 

「沙羅に会って……どうするつもりですか」

「どうするってそりゃおまえ──数十年ぶりの再会だぜ? 積もる話もあるだろうが。それに今はあいつが十三番隊の副隊長なんだろ? 先輩として色々アドバイスしてやらねえとな」

 

 もっともらしい台詞を並べ立ててふんぞり返るその様は、ルキアの知る海燕そのもので。

 

「もちろんおまえともゆっくり話したいと思ってる。今はとりあえず刀を収めて、俺の指示に従え」

 

 もしも本当に彼だったら、沙羅はどれだけ喜ぶだろう。

 

『海燕先輩! 一本お願いします!』

 

 自分同様に彼を心から慕い、彼のようになりたいと常にその後ろ姿を追いかけてきた沙羅は。

 

 袖白雪(そでのしらゆき)を握るルキアの手から次第に力が抜ける。それを見たアーロニーロは薄く笑みを浮かべると柔らかな声音でルキアに語りかけた。

 

「そうだ。それでいい。なあ朽木、沙羅はどこだ? 急がねえとあいつも破面に襲われてるかもしれねえ」

「……沙羅は……」

「ルキア!」

「朽木さん!」

 

 遠くで恋次たちが叫ぶ声が聞こえる。だが耳では聞こえていても、それはルキアの意識までは届かなかった。

 このときルキアの頭の中で響いていたのは。

 

『──俺たちの体は魂魄そのものだ。死ねばいずれ体は塵となり、尸魂界を容作る霊子になる。そのとき心はどこへ行く?』

『心は、仲間に預けて行くんだ』

『仲間に預ければ、心はそいつの中で生き続ける』

 

 敬愛し続けた彼が、かつて自分に言って聞かせた言葉。そして──

 

『私たちが前を向いて生きること。それが海燕先輩の一番の願いだよ』

 

 彼を失ったあと、悲観に暮れていた自分に沙羅が投げかけた言葉──……

 

 

「朽木、ぼけっとしてねえで早く沙羅の居場所を──」

 

 パンッ! 

 アーロニーロが伸ばした手をルキアは無言で振り払った。

 

「朽木?」

「沙羅は……」

 

 俯いた前髪の隙間から覗く瞳に鋭い眼光が灯る。

 

「沙羅は今、大切な人を護るために闘っている。たったひとりで、命を懸けて」

「……」

「私は沙羅のおかげで前に進めた。絶望から抜け出すことができた。だから今度は……私が沙羅の進むべき道を護る!」

 

 揺るぎない決意を滲ませて袖白雪を構え直したルキアを、アーロニーロはつまらなそうに見下ろしていた。

 

「つまり──沙羅の居場所を言う気はねえと?」

「そういうことだ」

 

 はーっと深い溜め息とともにアーロニーロが瞼を伏せる。数秒ののち、再びルキアを捉えたその目にはもはや海燕の面影は残されていなかった。

 

「他の奴に先を越されるわけにはいかねえんだよ。あいつを突き出せば好きなだけ褒美をくれるって藍染様が言ってたからな」

 

 ニィ、と歪められた口元。そこに浮かび上がるのは獣じみた狂気と欲望。

 

「それが貴様の狙いか……」

「仕方ねえだろ、藍染様の命令なんだ。うまくいけば十刃の階級も引き上げてもらえるかもしれねえ。ああ、安心しろ。ちゃんと首が繋がった状態で連れてくるように言われてるからな。殺しゃしねえよ」

 

 悪びれなく言ってのけるアーロニーロにルキアは呼吸を整えて向かい合う。

 

「……貴様と闘うのが私で良かった」

 

 本性が見えてしまえば、なぜあんなにも惑わされたのか不思議なくらいルキアの胸中は落ち着き払っていた。

 

 こいつは海燕殿ではない。どれほど外見を取り繕おうとも、海燕殿にはなり得ない。

 そこに彼の心はないのだから。

 

 覚悟を固めるように一度唇を引き結ぶと、ルキアは斬魄刀を振り上げて声高に言い放った。

 

「貴様ごときを沙羅に会わせるわけにはいかぬ。沙羅の邪魔はさせぬ! ──舞え! 袖白雪!!」

 

 *

 

 闘いは熾烈を極めた。

 ルキアが繰り出す技はことごとく読まれ弾かれる。手の内を熟知しているのはお互い様のはず。それでも自分を遥かに凌ぐ技術と反応で圧倒してくるアーロニーロに、あれから数十年と経った今でも彼との間にはこんなにも力の差があるのかと思い知る。

 

 やはり私では彼に勝てないのか。

 怖気づきそうになるのをルキアは友の顔を思い浮かべることで食い止めた。

 十三番隊の象徴である待雪草を海燕から託された人物。その左肩に力強く希望の花を咲かせる、あの心優しくも勇敢な副隊長の姿を。

 

 惑わされるな。

 奴は海燕殿の技をそのまま体現しているだけに過ぎない。

 そして私は──もうあの頃の私ではない! 

 

 

「参の舞──」

 

白刀(しらふね)

 

 

 シャリン……

 ルキアが渾身の力を振り絞って突き出した袖白雪の刀身の延長上に、大気中の水分から形成された氷の刃が現れ、アーロニーロの額を深々と貫いた。

 

「なん……だと……」

 

 驚愕に目を見開いたアーロニーロの身体が崩れ去っていく。海燕の容姿はみるみる変貌し、やがて凍りついた二つのボール大の顔だけがそこには残された。

 

「苦シイ! 苦シイヨ! 死ニタクナイ! 嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダッ……!!」

 

 断末魔の叫びを上げて悶えるアーロニーロの本体は、パキンと割れるとそのまま動かなくなった。同時にルキアは力尽きたように膝をついた。

 

「海燕殿……」

 

 肩で呼吸を整えながら、いまだ震えの止まらぬ右手を上からそっと押さえつける。

 最後に繰り出した参の舞・白刀は、海燕亡きあとルキアが沙羅と稽古を重ねる中で生み出したものだった。

 前を向いて生きろと諭してくれた沙羅に応えるべく、必死に修行を続けて会得した技。ルキアにとっては過去の自分と決別した証であり、また沙羅との絆を示すものでもある。

 

「本当の貴方なら……わかってくれますよね」

 

 そう、彼なら

 きっと笑って頷いてくれるだろう。

 

「沙羅は貴方を超える副隊長になったのだと……」

 

 いつも十三番隊の皆を照らしてくれた、あの太陽のような笑顔で。

 

 

 *

 

 同刻、玉座の間ではついに刀を抜いた藍染との闘いが始まっていた。

 

 キィンッ! 

 沙羅が背後から振り下ろした一撃を藍染は振り向きもせず刀身で受け止める。そのまま沙羅の身体ごと薙ぎ払おうとしたところで、ウルキオラが放った光の槍がそれを阻んだ。

 すかさず沙羅は距離を取り鬼道の詠唱を始める。そして藍染と組み合っていたウルキオラが飛び立った瞬間、練り上げた鬼道を解放した。

 

「破道の六十三、雷吼炮(らいこうほう)!」

 

 雷を帯びた激しい熱弾が藍染に襲いかかる。

 数秒後、白煙の中から現れた藍染には目立った外傷こそないものの、彼は感心したような笑みを浮かべていた。

 

「──見事な連携だ。さすがは心を通わせる者同士といったところか」

 

 沙羅とウルキオラが共同戦線を張るのは初めてのことだったが、ふたりの呼吸はぴたりと噛み合い無駄のない連携を見せていた。

 何も不思議なことではない。百年前は毎朝のように手合わせをし、互いの呼吸を汲み取っていたふたりだ。こと戦場においては最大の理解者であり最高のパートナーであると言える。

 

 一旦距離を取ってからウルキオラに目線を送り、沙羅が再び斬り込もうとしたときだった。

 

「ウルキオラ?」

 

 ウルキオラの表情にわずかな動揺が走ったのを見て取り沙羅は動きを止めた。

 

「……へえ、そうか。君の仲間たちも随分と奮闘したようだ」

 

 虚空を見上げる藍染に沙羅が眉をひそめているとウルキオラが静かに告げる。

 

「アーロニーロが死んだ」

「……!」

「おまえの仲間は無事だ。まだ他の破面は残っているが、アーロニーロを失ったからには早々に引き上げるだろう」

 

 つまりはルキアたちが打ち勝ったと。

 思わず安堵の息を漏らしたものの、すぐに口元を引き締めて沙羅は藍染へと向き直った。

 

 ひとまず仲間の無事は確認できた。だがそれも一時のこと。この男を倒さない限りまた同じような争いが何度も繰り返されるだろう。

 終わらせてみせる。今ここで。

 夢幻桜花を強く握り直した沙羅は再び藍染へと斬りかかっていった。

 

 *

 

 藍染の強さはやはり他の隊長格のそれとは一線を画していた。

 沙羅とウルキオラの隙のない連続攻撃をことごとく受け流し、時折様子見のように反撃を繰り出してくる。

 遊ばれている。わざとそう気づかせるような闘い方をする藍染に沙羅は焦燥を覚えた。

 こうして直接刃を交えていても、力の底が知れない。相手がどこまで本気を出しているのかすらわからない。闘いの中に身を置く者にとって、力量差が読めない相手を前にするというのは耐えがたい恐怖だった。

 

 それでも、ひとりじゃない。

 自分を追い越して藍染へ向かっていくウルキオラの背中を見つめ、そして左肩の副官証に籠められた仲間たちの想いを感じながら沙羅は地を蹴る。

 

 どんなに強い相手でも。

 どんなに力の差があっても。

 負けるわけにはいかない。

 絶対に、諦めない! 

 

 渾身の力を籠めた沙羅の一撃は紙一重のところでかわされたが、その隙を狙ってウルキオラが突き出した槍が藍染の肩を掠めた。

 

「本当に見事だよ、ウルキオラ」

 

 肩口が裂けた装束に目線を落として藍染が呟く。

 

「君がここまでの成長を遂げるとは予想だにしなかった。私に逆らうには相当な精神力が要るだろう? 以前の君には考えられなかったことだ。愛する者のために、振りかかる恐怖をものともせずこの私に牙を剥く──その意志の強さには感服するよ」

 

 言葉とともに振り下ろされた藍染の刀を受け止めて、ウルキオラは口を開いた。

 

「以前の俺には何もなかった。今の俺には護るべきものがある」

「護るものがあれば強くなれると?」

「あなたには理解できないだろうがな」

 

 言いながら黒翼の鋭い先端で藍染の背後を狙う。しかしそれは容易くかわされた。

 

「残念だがそれは思い違いだ。人が最も強くなるのは何かを護るときじゃない」

 

 ウルキオラから距離を取ると、藍染は一瞬にして鬼道を練り上げ後方から飛びかかってきた沙羅に向けて放った。

 

「──っ!」

「沙羅!」

 

 爆炎に包まれ吹き飛ばされる沙羅。それに気を取られたウルキオラの背後に藍染の凶刃が迫る。

 

「自身の欲望を満たすときだよ」

 

 冷笑を浮かべた藍染は、辛うじて翼で防いだウルキオラに対し続けざまに剣撃を繰り出した。

 解放したウルキオラのスピードは十刃の中でも一、二を争うものだが、藍染は更にそれを凌駕する速さで圧倒してくる。

 

「くっ……」

「欲求が強ければ強いほど、それは確固たる目標となり行動にも現れる。君たちのように『護るために闘う』というのは言葉の響きはさぞ美しいが、命を懸ける目的として掲げるにはあまりにも脆弱だ。その証拠に──ほら」

 

 防戦一方のウルキオラを大きく薙ぎ払うと、藍染は姿を消した。霊圧を追って上方を見上げたウルキオラは目を見開く。

 

「護るべきものとやらを盾に取られたらどうだい? 君はたちまち目的を失い、闘いを挑むことすらできなくなる」

 

 その手にはぐったりとうなだれる沙羅が掴み上げられていた。

 

「護るものなど我が身ひとつで充分。それをわざわざ他にも作るなど自ら弱点を露呈しているようなものだ。愚かだと思わないか?」

 

 先程受けた鬼道で負傷したのか、沙羅は意識が混濁した様子で藍染に吊り上げられるままになっていた。その姿を見つめることしかできないウルキオラは藍染に鋭い視線を送る。

 

「だからあなたは……自分以外の誰も信用せずに切り捨ててきたのか」

「その言い方は心外だな。君にもそれなりの信頼は置いていたつもりだよ。裏切られても痛手は受けない程度に、ね」

「それは信頼とは言わない。俺の利用価値を値踏みしていただけだろう」

「穿った見方をすればそうなるのかな。まあ否定はしないさ。君は私にとって利用価値のある存在だった、だから重宝していた。それは事実だからね。──それで、君はこの状況をどうする?」

 

 薄く笑みを浮かべた藍染は愉しそうにウルキオラを見下ろした。

 

「……沙羅を放せ」

「君が解放を解けば放してやってもいい。従わなければ殺すまでだ」

 

 藍染が腕に力を籠めると沙羅は苦しそうに身悶えた。ぐ、と唇を噛んだウルキオラの額を冷汗が伝う。

 

「さあ、君の選択を聞かせてもらおうか。愛する者のために私に許しを乞うか、それとも信念を貫いて彼女とふたり華々しく散るか」

「…………」

「これでわかっただろう? 護るべき存在など、高みを目指す者にとっては足枷にしかならない。真の強さを得るのは孤独などものともせずに我が道を突き進む者。そうして生き残った者こそが勝者となる」

 

 悠然と告げる藍染にウルキオラは瞼を伏せた。

 

「ああ……よくわかった」

 

 力が抜けたウルキオラの手から光の槍が消滅する。

 それを見た藍染の頬に笑みが走った、その瞬間。

 

「あなたには一生理解できないのだろう」

 

 消滅したと思われた槍は藍染の背後に再形成されていた。その喉元に狙いを定め襲いかかる。

 

「……これで隙を突いたつもりか?」

 

 藍染が後方を一瞥して身体を逸らした一瞬のうちにウルキオラは突進する。そして宙吊りにされている沙羅へ向けて手を伸ばした。

 

「こんな子供騙しで──」

 

 一笑に伏した藍染はそこで言葉を止めた。ウルキオラの手には先程避けた光の槍が握り締められていた。

 

「……⁉」

 

 ズン……

 ウルキオラの手から伸びた槍は、捉われた沙羅の胸部を一直線に貫いていた。眩い光を放つ槍は沙羅の胸板を貫通し、その後ろに立つ藍染にまで及んでいる。

 

「かは……っ」

 

 痛みに顔を歪めて吐血する沙羅。

 だがその鮮血が玉座の間の床を赤く染めることはなかった。恨めしそうにウルキオラを見つめながら、彼女の身体は光に包まれやがて消えた。

 

「……なぜ気づいた?」

「言ったはずだ。俺はもうあなたの傀儡じゃない」

 

 淡々と答えるウルキオラに藍染のこめかみがわずかに動く。沙羅を掴んでいたはずのその手には、彼の斬魄刀である鏡花水月が握られていた。

 

「完全催眠を解いたというのか? そんなことが──」

 

 言いかけた藍染がさっと身を引く。半拍遅れてまさにその場所に巨大な熱量の塊が飛び込んできた。

 軌道を辿った先には、やや離れた場所からこちらに向けて右手を突き出し構えている沙羅の姿が。

 

「大丈夫か?」

「うん。ちょっと解除するのに手間取ったけど」

 

 隣に降り立ったウルキオラに頷きを返した沙羅は、所々擦り傷を負ってはいるものの胸板を貫かれた痕跡は見当たらなかった。

 先程藍染の鬼道で吹き飛ばされた沙羅は同時に放たれた上級縛道によってその場に拘束されていたのだ。対象者を害する効力こそないもののそれ故に緊縛性が強く、沙羅は抜け出すのに手こずっていた。

 藍染はその間に鏡花水月を使って沙羅を捉えたように見せかけ、先にウルキオラを籠絡せしめんと目論んだ。

 

「驚いたよ。まさかウルキオラが完全催眠から解放されていたとはね。今の攻撃は予想外だった」

 

 鏡花水月を下ろし、ふたりに向き直る藍染。

 彼の言葉通り、ウルキオラは沙羅の卍解を受けたことにより既に鏡花水月の催眠からは解かれていた。

 

「だが──惜しかったな」

 

 ウルキオラの一撃は確かに藍染に届いてはいたが、それは彼が袖を通している白装束を少しばかり切り裂いたに過ぎなかった。

 はだけた胸元を正し、藍染は余裕の笑みを浮かべる。その姿をウルキオラと沙羅は険しい面持ちで凝視していた。

 

 藍染がウルキオラを蹂躙するのに完全催眠を利用するであろうことは容易に想定できた。沙羅とウルキオラはそれを逆手に取ろうと画策したのだ。

 重要なのは完全催眠にかかっていると見せかけること。藍染にそう思い込ませることができれば、彼が完全催眠を行使した際に必ず隙が生じる。その瞬間を突けば藍染に一撃を加えることも充分に可能だと。

 

「一体どうやって催眠を解いた? 君にそんな力があったとは思えないが」

 

 ウルキオラへ向けて言いかけた藍染は途中で目線を沙羅へと移した。

 

「草薙沙羅……君の能力か」

 

 沙羅の手の中で薄桃色に色づいている夢幻桜花を見据え、目を細める藍染。全て見透かされそうなその眼差しに沙羅は一歩あとずさる。

 

「まさか私にとって最大の脅威となりうる能力を、君が有することになろうとは。皮肉な巡り合わせだ」

 

 自嘲するように瞳を伏せた藍染は再びまっすぐに沙羅を射抜いた。

 

「面白い。尚更君が欲しくなった」

 

 藍染が放った霊圧の波動が辺り一帯の空気を震わせる。その重苦しさに顔を歪める沙羅とウルキオラに鼻でせせら笑って。

 

「どうした? 早くかかってくるといい。鏡花水月を封じることで私に勝てると思っているのならな。それとも──君たちにとっては今の一撃が切り札だったのかな」

 

 そう、この手法が通用するのは一度きり。真っ向から藍染と闘うのなら、この唯一の好機で彼に深手を負わせる他ない。だが沙羅とウルキオラにはそれよりも優先すべきことがあった。

 先程のウルキオラの攻撃によって切り裂かれた藍染の胸元。ほんの一瞬ではあるが、肌蹴た彼の胸の中心部に神秘的な輝きを放つ石が埋め込まれているのをふたりは確かに見ていた。

 あれこそが尸魂界と虚圏の運命を大きく歪ませることとなった禁忌の物質──崩玉。

 

『まず為すべきは崩玉の所在を確認すること』

 

 ここへ来る前、沙羅はウルキオラ・グリムジョーとともに対藍染への必須条件としてそう掲げていた。それをクリアしなければ作戦の全てが無為になると。

 

 自分を落ち着かせるように息を吐いて、沙羅はウルキオラへと目線を送る。同じようにこちらに目を向けたウルキオラは瞼の動きだけで小さな頷きを返した。

 それを見て沙羅はぐっと右手に力を籠めた。手の中で脈打っている夢幻桜花の鼓動を確かめながら。

 

 これで崩玉がある場所は明らかになった。

 あとはかすかな希望に賭けるのみ──

 

 

 ***

 




《Sunset…落陽》

 偽りの陽よ、氷雪の大地へ沈め。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。