Dear…【完結】   作:水音.

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第8話 Cold Rain ―冷たい雨―

 それは気配を感じとったというよりも勘に近かった。

 

 ただなんとなく、彼が傍にいる、そんな気がして。

 そして遠くへ離れて行ってしまうような、そんな気がして。

 恐る恐るその名を口にした。

 

「ウルキオラ…………?」

 

 先ほどまでと同じ。返答はない。

 だけど確かに──

 

「……ウルキオラ!」

 

 もう一度、今度は辺り構わず声をあげる。

 自分が捨てられた子犬のような声を出していることさえ気づかず、沙羅はおぼつかない足取りで公園を彷徨った。

 

「ウル……っ」

「……ここにいる」

 

 嗚咽混じりの声を遮って響いた声音に勢いよく振り返る。

 

 破面の象徴たる白装束に仮面。

 深く澄んだ翡翠の瞳。

 

 そこには間違いなく彼がいた。

 この二週間、ずっと胸に想い描いてやまなかった人が。

 

 

「あ…………久し、ぶり……」

「……ああ」

 

 あんなに会いたかったはずなのに、いざ目の前にするとなにから話せばいいのか。

 気持ちばかりがあふれてしまって言葉にならない。

 

 どうしよう、とその表情を窺ったところで沙羅は気づいた。ウルキオラがひどく辛そうに顔を歪めていることに。

 そこで初めて自分が今どんな顔をしているのかを思いだした。

 涙の跡を拭って、笑う。

 

「もう、水くさいな。そんなところに隠れてないで早く出てきてくれればよかったのに。……格好悪いとこ見せちゃったじゃない」

 

 ウルキオラがいつからこの場にいたのかはわからないけれど、身を潜めていたのはきっと気を遣ってのことだろうと沙羅は思った。

 桜の下、悲鳴にも似た泣き声をあげていた自分に。

 

 至極明るく言ったつもりだったが、それでもウルキオラの表情は硬く強張ったままだった。

 それどころか、赤く腫れあがった目で笑う沙羅にますます哀しそうに瞳を曇らせる。

 

「……どうしたんだ」

 

 わずかに掠れた声でウルキオラは問うた。

 こんなに弱々しく言葉を紡ぐ彼を沙羅は初めて見た。

 

 なんでもない、では納得しないだろうなと思う。

 一度唇を結んでからゆっくりと口を開く。

 

「……ちょっとね……辛いことがあったんだ」

 

 二週間前の任務のこと。

 あの天真爛漫な少女のこと。

 それらを震える声でウルキオラに話しながら、その中で沙羅は小さな嘘をついた。

 

 少女たちを襲い命を奪ったのは

『破面』ではなく、『虚』だと。

 

 それでなにが変わるわけでもないが、破面だと告げることはどうしても躊躇われた。

 遠回しに彼を責めることになってしまいそうで。

 そんな沙羅の話を、ウルキオラはじっと押し黙って聞いていた。

 

「私……護ってあげられなかった」

 

 自分があともう少し早く駆けつけていれば。

 二体もの十刃を打ち倒すことはできなくとも、隊士たちを連れて退却することは十分に可能だったかもしれない。

 菜月を……救うことができたかもしれない。

 

 思えば任務の前、少女は自分にこう問いかけたではないか。

「虚や破面に接触した場合はどうするべきか」と。

 それが今になって死を前にした菜月が密かに発してくれていた警鐘のように思えて、それにも関わらず警戒を怠った自分があまりに不甲斐なく、悔しかった。

 そんなことを今更悔やんだところでなにも戻ってはこない。頭ではわかっていても、自分を許すことはできなくて。

 

「護って……あげたかった──」

 

 自分でも驚くほどポロポロと言葉がこぼれた。

 胸の奥に閉じこめて誰にも言えなかったはずの言葉の数々が、彼の前では(せき)を切ったように溢れでた。

 

 そう、本当は

 ずっと誰かに聞いてもらいたかった。

 ずっと誰かの前で泣きたかった。

 そしてその誰かにあてはまる人物はたったひとりしかいなかった。

 

「……ウルキオラ……!」

 

 こらえきれず、その胸に額を押しあてた。ウルキオラはなにも言わずに受け止める。

 その温かさに安堵して、沙羅はただひたすらに泣いた。

 これまで誰の前でも見せられなかった涙を全て洗い流すかのように。

 

 

 亡くなった隊士たちの家族に話をしたときのこと。

「娘を返してくれ」と泣きながらすがりつかれたこと。

 なにを思い返しても涙があふれ、震えが止まらなかった。

 やがてその涙に呼応するかのように黒い雲に覆われた空からも雫が落ちた。

 

 ……ピシャン

 

 桜の葉を伝って落ちた雨雫が地を穿つ。

 降りだした雨は瞬く間に雨足を強め、ウルキオラはその雨から護るようにそっと沙羅の背に腕を回した。

 

 一体どれだけの間そうしていたのか。

 鳴りやまない雨音の中響く泣き声が、次第にすすり泣きに変わった頃。

 ウルキオラは小さな──本当に小さな声で、呟いた。

 

「……おまえが自分を責める必要はない」

 

 背中に回した腕に力を込めて。

 

「責められるべきは……おまえの仲間を手にかけた破面だ」

 

 いたわるように自分を抱くその温もりに包まれながら、沙羅はふと疑問を(いだ)いた。

 

 ……なぜ? 

 少女たちを殺したのは『虚』だと、自分はそう言ったはずなのに。

 それでも彼は『破面』と口にした。

 

「……沙羅」

 

 彼が自分の名を呼ぶこの声が好きだった。

 けれど今、なぜこんなにも胸が騒ぐのか。

 

 

「おまえの仲間を殺したのは」

 

 

 

 

 

「……俺だ」

 

 

 

 

 

 ひどく緩慢な動きで沙羅は顔をあげた。

 見上げた先の表情を確かめるように。

 

「……なに言ってるの?」

 

 聞き違いではない。それでも、今自分が耳にした言葉はあまりに理解しがたいものだった。

 

 前髪から流れ落ちる雫を拭いもせず、ウルキオラはまっすぐに沙羅を見つめ返している。

 苦しげに細められた翡翠の瞳で。

 

「そんなわけない……。あのとき現れたのは十刃だって……」

 

 首を振る沙羅の目の前で、彼の左手はゆっくりと自身の装束の胸元を開いていく。

 

 はだけた左胸。

 心臓の真上に刻まれた数字は

 

 

 ──『4』

 

 

 息を呑んだ。

 力の入らない手でその胸を押し返せば、背中に回されていた腕は呆気なく解かれた。

 

「……十刃……?」

 

 ガタガタと全身に震えが走る。

 それが雨に打たれているせいなのか、それとも体の奥底から湧きあがる言い知れぬ恐怖によるものなのか、自分でもわからずに。

 

「嘘……」

 

 ふらりと後方によろめけばその身を案じるように伸ばされた手を跳ねのけて。

 正否を問うように揺れる眼差しを向けるとその瞳はやはり苦しそうに歪んだ。

 

 嘘。

 そんなの嘘だ。

 もしも彼が今首を振って「冗談だ」と言ったなら、自分はそれでも信じるだろう。

性質(たち)の悪い冗談はやめて」と咎めながら。

 

「おまえによく似た……長い髪の娘だった」

 

 お願い。

 どうか嘘だと言って。

 

「最期に……おまえの名を呼んでいた──……」

 

 

 ──私、草薙副隊長のような強くて優秀な隊士になることが夢です! ──

 

 副隊長昇格の折、無邪気に言い放った少女の笑顔が、はっきりと甦った。

 

 

 

「どうして……」

 

 震える唇が小刻みにわなないた。

 

「どうして殺したの……っ!」

 

 喉を詰まらせて糾弾を浴びせる沙羅にウルキオラはぐっと唇を噛み締める。

 

 できることなら、彼女のこんな苦しそうな表情を見たくはない。

 けれど目を逸らすことは赦されない。これは自身の犯した罪の代償だ。

 

『主に与えられた命だから』

 

 そう口にするのは簡単だろう。

 けれどそんな理由で赦されるはずもないことは十分にわかっていた。

 

『本当は殺したくなかった』

『君を哀しませたくなかった』

『虚の本能に駆りたてられた』

 

 全部──全部自分に都合の良い言い訳ばかり。

 だから彼女には言えない。

 

「…………すまない」

 

 ただ、そう告げることしか、できない。

 

「すまない……?」

 

 ポタリ、と。沙羅の長い髪を伝った雨が大地に沈む。

 

「謝るぐらいならどうして殺したの……?」

 

 震える声は押し殺した激情を伴って放たれる。

 

「今更謝られたって……みんなはもういないのに」

 

 どれだけ願い、祈りをこめても

 決して手の届かない場所へ逝ってしまった。

 

「もう誰も帰ってこないのに──!」

 

 シャンッ

 

 抜刀音と同時、一歩で距離を詰めた。

 そして沙羅はその白い首めがけて迷うことなく斬魄刀を振り下ろした。

 

 

 

 春の雨は忘れかけた冬の寒さを思い起こさせるかのように冷たく降りそそいだ。

 斬魄刀の切っ先を、雨と共に赤い雫が伝い落ちていく。

 

「……なんで」

 

 斬魄刀の刃をその首筋にあてがったまま、沙羅は低く呻いた。

 

「なんで()けないのよ……」

 

 白い首元には薄く線が引かれ、その下から鮮やかな赤が滲む。

 

 本気だった。

 本気で斬るつもりだった。

 それは彼もわかっていた。

 

 鋼皮(イエロ)と呼ばれる十刃の肌を切り裂くほどの威圧をこめて振りおろした刀。

 しかしウルキオラは一歩たりともその場を退(しりぞ)かなかった。

 鋭い刃が首筋に触れ、その肌に食いこんでもなお。

 

「……おまえの好きなようにしろ。おまえに斬られるのなら、思い残すことはない」

 

 首筋に触れる冷たい刀身に顔を強張らせるでもなく、ウルキオラは淡々と語る。

 

 わからない。

 迷いのない瞳でそんな台詞を吐く彼がわからない。

 

「どうしてそんなこと言うの……。私を……騙してたんでしょ? 最初からこうするつもりで──」

「違う……」

「私に近づいたのも、全部……死神の動きを探るために……!」

「違う!」

「じゃあどうしてっ!」

 

 沙羅の前でウルキオラが声を荒げたのは初めてだった。

 だが今はそれすら気にとめない。ただ自分の感情を抑えつけるのに精一杯で。

 

「殺せばよかったのに……。みんなを斬ったように私のことも斬ればよかったのに!」

 

 そうすれば、この焼けただれるような胸の痛みを知ることもなかった。

 なのに。

 

「どうして……あんなに……」

 

 パシャン、と音を立てて斬魄刀が水溜まりに沈む。

 空いた掌で沙羅はゆっくりと顔を覆った。

 

 たくさん話を聞いてくれた。

 頷いて、笑いかけてくれた。

 温もりをくれた。

 

 決して相容れぬ相手だとわかっていても

 気づけば彼はいつも心の中にいた。

 

 決して叶わぬ想いだとわかっていても

 それでも、私は

 気づけば彼に焦がれていた──

 

 

 肩を震わせて俯く沙羅に、ウルキオラは掠れた声で呟いた。

 

「おまえは……本当になにも憶えていないのだな……」

 

 どこか寂しそうに

 ひどく哀しそうに

 

「自分のことも、この桜のことも……」

 

 怪訝そうに顔をあげる沙羅に、ウルキオラはひとつひとつを区切りながら静かな声色で続ける。

 

 ふたりの頭上で至るところから雨雫を散らす桜の大木はまるで泣いているようにも見えた。

 その雫が一粒、ウルキオラの頬に落ちた。

 

「俺がなぜ……おまえを殺せないのかも──」

 

 彼の仮面紋(エスティグマ)の上を伝い流れ、やがて雫は消えた。そこに涙のような跡を残して。

 

「どういうこと……?」

 

 沙羅が訊ねても、ウルキオラは瞳を伏せたまま答えない。ただ自嘲の笑みを浮かべて

 

「だが……これで良かったのかもしれない」

 

 雨に濡れた斬魄刀を拾いあげ、沙羅の冷たくかじかんだ手に握らせた。

 

 

「俺を殺せ」

 

 

 一切の感情を殺した無機質な声でウルキオラは告げた。

 

「……なにを……」

「俺は……きっとまたおまえを、おまえの仲間を傷つける」

 

 驚愕する沙羅に、翡翠に光る鋭い眼差しを向ける。

 

「今ここで俺を殺さなければ、この先もっと多くの仲間を失うことになるぞ」

 

 脅しにも似た口調でウルキオラは畳みかけた。だから殺せ、と。

 

 

 白い手に導かれ、斬魄刀の切っ先が4の数字の上に突きつけられる。

 沙羅がこのまま力をこめればたやすくその胸板を貫くことができるだろう。

 力をこめることができれば。

 

 カタカタと斬魄刀を握る右手が震えた。

 

 十刃を殺す。

 それは反乱を目論む藍染にとっては大きな損失となり、尸魂界にとっては大きな希望となるだろう。魂の平穏を護る護廷隊の副隊長としてこれ以上の働きはない。

 けれどそれは彼を──いつからか己の心の拠り所となったウルキオラを失うということを意味していた。

 

 

 沙羅の右手は力を失ったようにぶらんと垂れさがった。瞼を閉じていたウルキオラはその気配に目を開く。

 瞳に映った沙羅の頬をまた新しい涙が濡らしていた。

 

「ずるいよ……」

 

 ウルキオラが訝しげに目を細めると、沙羅はますます哀しそうに顔を歪めて

 

「自分は私のことを殺せないって言ったくせに、私には殺せだなんて……」

 

 ぎゅっと唇を噛みしめて、吐きだした。

 

「ウルキオラは……ずるい」

 

 沙羅のその言葉にウルキオラは苦しそうに視線を落とした。

 それは彼女に手ひどくなじられ、憎まれることよりも辛い言葉だったのかもしれない。

 

「すまない……」

 

 二度目となる謝罪の言葉は雨音にかき消されそうなほどに脆く、弱々しく紡がれた。

 ゆっくりと離れ、背を向ける。

 

「ウルキオラ……?」

 

 怯えるように自分を呼ぶ彼女に背中越しに告げた。

 

「おまえが俺を殺さないのなら……次に会ったときは俺たちは敵同士だ」

「……っ、ウルキオラ!」

 

 あとを追おうとした沙羅の動きは無言の威圧で制された。

 向けられた背中が「寄るな」と告げていた。

 

「二度とここへは来るな……」

 

 そう、せめて

 これ以上おまえの哀しむ顔を見ることのないように

 これ以上おまえを傷つけずに済むように

 

 

「……お別れだ、沙羅」

 

 

 決別を告げる声が静かに響き、沙羅は息を呑んだ。

 

「待って……」

 

 ズズズズ……

 

 虚圏へと繋がる黒腔がウルキオラの前に現れ、口を開く。

 白い影が闇の中に消えていく。

 

「ウルキオラ!」

 

 声の限り叫んでも彼が振り返ることはなかった。

 

「ウルキオラ────っ!!」

 

 未だ冷たい雨の降り止まない公園に、沙羅の悲痛な叫びだけが遠く木霊していた。

 

 

 ***

 




《Cold Rain…冷たい雨》

それは身を切り刻むような、冷たく哀しい雨。
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