Dear…【完結】   作:水音.

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第64話 Wishing Jewel ―夢見る石の願い事―

 虚圏特別調査隊──通称“特調隊”。

 虚圏内部の調査及び破面との平和的な関係の構築を目的とする新部隊を率いるのは、いまや瀞霊廷一の有名人と言っても過言ではない、十三番隊副隊長の草薙沙羅。

 発足から十日余りが過ぎたこの日も彼女は息つく暇もなく奔走していた。

 

「草薙隊長、指示があった虚圏の文献、書庫から借りてきました」

「ありがとう。あとで見るから執務室に置いてくれる?」

「わかりました」

 

 隊長と呼ばれることにまだ慣れないのか、気恥ずかしそうに笑みを浮かべて部下に答える。

 背面に桜の刺繍が施された真新しい隊長羽織は、動きやすさを重視する当人の希望で肩口部分から袖が切り落としてあった。左の肩から下に覗く死覇装には『十三』の文字と待雪草が刻まれた腕章が括られている。

 隊長羽織に副官証というちぐはぐな出で立ちが物語っている通り、彼女は隊長職と副隊長職の二足の草鞋(わらじ)を履く稀有な存在であった。

 

「沙羅ー? まだ休憩入ってないの?」

 

 そこにちょこんと顔を出したのは十番隊副隊長の松本乱菊。

 親友の来訪には特段気を張ることもなく、沙羅は手元の資料に目線を落としたまま頷きを返す。

 

「うん、あとこれだけ目を通してから」

「あんたお昼も食べてないでしょ。書類は逃げやしないんだからちゃっちゃと行ってきちゃいなさいよ」

「んー……もうちょっとだけ」

 

 そう言いつつもまるで席を立つ様子のない沙羅に乱菊が呆れていると、新たな来訪者が現れた。沙羅の同期でもある三番隊副隊長、吉良イヅルだ。

 

「草薙くん、今朝までの入隊志願者のリストまとめておいたよ」

「本当⁉ ありがとう吉良! すっごく助かる、今日中にはまとめないとって思ってたんだ」

 

 顔を輝かせた沙羅に数枚の資料を手渡しながら「そもそもさ」と吉良は続ける。

 

「こういう事務作業はどんどん周りに振っていいんだよ? こんな机仕事までやっていたら身体がいくつあっても足りないよ。それでなくても君は忙しいんだから」

「そうそう! 吉良の言う通り! こんなの下っ端に任せちゃえばいいのよ」

「松本さんはちょっと任せすぎなような……」

 

 すかさず眉を潜めた吉良に「なあに、あんたあたしに喧嘩売ってる?」と乱菊が詰め寄ると彼は慌てて首を横に振った。そんなやりとりに肩をすくめて沙羅は「あのね、乱菊」と口を開く。

 

「最初に言ったでしょ? 特調隊では席位は関係ないって。だから下っ端なんていないの」

「あー、そういえばそんなこと言ってたわね。あんたらしいっちゃらしいけど」

 

 沙羅のたっての希望により、特調隊では席位を設けず、所属する隊士は皆対等な立場であるとしている。席位や上下関係にとらわれず自由に意見を交わしてほしいという意向からである。

 あの双極の丘での演説の翌朝、特調隊の発足式において沙羅は集まった入隊志願者へ向けてその旨を明言していた。

 

「けど今にそうも言ってられなくなるわよ。見なさいよこの志願者の数」

 

 乱菊が顎先で示したのは吉良が作成した入隊志願者の一覧。そこには数枚に渡って隊士の氏名・所属先・略歴がびっしりと書き込まれている。その数はゆうに五十は超えるだろう。

 通常、護廷十三隊への入隊には筆記及び実技の試験が伴うが、特調隊への入隊はそもそも護廷隊士であることを前提としているため特別な条件はない。

 ただひとつ沙羅が入隊の条件として挙げたのは、「破面に対して真摯に向き合える人」それだけだ。

 入隊に際し簡単な面接はあるものの、あくまで志望者の意思を確認するためであり選考を目的としたものではない。ゆえに本人の希望ひとつで入隊は可能なのである。

 

「ありがたいことなんだけど、正直ここまで志願者が多いとは思わなかった」

 

 リストに目を通しながら沙羅はやや困り顔で本音を漏らした。

 特調隊はあくまで副業務に過ぎない。所属本隊での業務を主とした上で、その合間を縫って特調隊の業務をこなすほかないのだ。

 予算の割り当てもまだ不透明なので給与を上乗せできるわけでもない。つまり、個々の負担が増えるだけで所属するメリットは皆無と言ってもいい。

 そんな状況下では、いくら話題性があり簡単に入隊できるとはいえ、発足間もないうちから志願者が殺到するなど予測しようもなかった。

 

 *

 

「沙羅ちゃん! ──っと、いけない。五番隊副隊長雛森桃、草薙隊長への接見許可願います!」

「かしこまらなくていいってば。どうしたの?」

 

 唐突に室内に踏み込んできたかと思えば、慌てて敬礼する雛森に沙羅は苦笑を浮かべて先を促した。

 

「また入隊志願者の人が何人か隊舎前に集まってるの。今週はもう面接いっぱいだったよね? 名前と所属だけ聞いてまた今度来てもらえばいいかな」

「あら、言ったそばからまた増えた。沙羅ったら人気者ね~」

「感心してる場合じゃないですよ。ああ、またリストに追加しないと」

 

 茶化す乱菊とそれを諫める吉良の横で沙羅はうーんと抱え込む。

 沙羅にしてみればこれは完全なる誤算だ。もちろん嬉しい類の、ではあるけれど。

 

「今週はちょっと難しいかな……それにしてもどうしてこんなに志願者が?」

 

 ここにいる乱菊や吉良・雛森ら同期の仲間たちは、沙羅が頼まずとも協力してくれるであろうことは想像がついていた。また、ルキアや清音、仙太郎を筆頭に十三番隊の隊士たちも続々と名乗りを上げてくれた。

 ここだけの話浮竹からも志願を受けたのだが、さすがに直属の隊長を形式上とはいえ自身の配下に置くのも気が引け、それより何よりこれ以上の負担を強いてもしも体調に差し障ったらとの懸念から丁重に辞退した。

 浮竹は渋ったものの、その分沙羅の手が行き届かなくなるであろう十三番隊の業務を引き受けてもらうことで一応の納得を得ることはできた。

 それはそれとして。まさかこれといった接点のない一般の隊士からもこんなに志願が殺到するなんて。

 

「それだけみんな、あのときのあんたの台詞に心を打たれたってことよ」

「……そう、なのかな」

「そうだよ! あたしもね、沙羅ちゃんの言葉を聞いて、変わりたい、変わろうって思えたの。なんでかな……今までだったら絶対に無理って思ってたようなことでも、沙羅ちゃんが『変われる』って言ってくれたら本当にできそうな気がしたんだ」

 

 照れたように笑う雛森に、沙羅は目を細める。双極の丘で三千人の隊士を前に無我夢中で紡いだ言葉は、彼らの心にわずかなりとも響いたのだろうか。だとしたら素直に嬉しいと思う。

 

「沙羅は昔っから変なところで肝っ玉が据わってるからねぇ。一度決めたら意地でも譲らないんだもの、こっちが何言ったって聞きやしないんだから。ま、それに賛同して集まったのがここにいる面子だけどね」

「個々の力は微々たるものでも、それが積み重なれば時代をも動かす大きな流れになる。草薙くんならやってのけそうな気がするよ。僕はそう信じる」

 

 全幅の信頼を寄せてくれる仲間にどれほど励まされているか。とはいえ、この調子で果たして特調隊をまとめきれるのかという不安もよぎる。

 席位を設けずに横の繋がりを厚くしたいという想いは根底にあるものの、このまま所属する隊士が増えれば乱菊が指摘した通りそうも言っていられなくなる。大人数を統率するには縦割りの関係の構築が不可欠だ。人数が増えれば増えるほど、指揮系統が確立されていなければ隊として機能しなくなってしまう。

 ──私がもっとしっかりしないと。気心の知れた仲間だけじゃない。隊に所属する全ての隊士を率い、導く義務が、隊長にはあるのだから。

 

 

「沙羅ちゃん?」

 

 険しい面持ちで黙り込んでいると雛森が不安そうに覗き込んでいた。

 

「あ、ごめん。面接の予定だったよね。明日と明後日の日程をもうちょっと詰めるから大丈夫! 今週面接するから、就業後の時間を少し空けてもらうよう伝えて──いたっ!」

「こーら! あんた人の話聞いてた?」

 

 突然飛んできたデコピンに沙羅は首を縮こめた。

 

「何でもかんでもひとりで背負いこもうとするんじゃないわよ。何のためにあたしたちがいると思ってんの? もっと頼りなさいっての」

「乱菊……」

「面接はあたしが引き受けるわ。吉良、面接のスケジューリングよろしく。雛森、志願者には明日の終業後にここに来るよう言って」

 

 左腰に手を当てて矢継ぎ早に指示を出す乱菊に吉良と雛森が同時に頷く。

 

「了解です。松本さんの空き時間に合わせて面接の日程表組み直します」

「じゃあ志願者の人たちに伝えてきますね。あ、吉良くん、明日ならあたしも面接手伝えるから!」

「わかった。雛森くんにも割り振るよ。あとは──阿散井くんもどうせ暇だろうから適当に振っておくかな。みんなの予定を見てうまいこと組み立てるよ」

 

 言うが早いか行動に移る仲間の姿に呆気に取られていると、ぽんと乱菊の手が肩を叩いた。

 

「隊長はあんたなんだから。まずは自分のやりたいようにやってみなさいよ。それをフォローするのがあたしたちの役目なんだから」

「でもみんな自隊での仕事も忙しいだろうし」

「なーに水臭いこと言ってんのよ。そんなのはお互い様! 誰に強要されたわけでもないわ。みんなあんたの力になりたくて有志で集まってんだから、あてにしてもらわないと張り合いないでしょ」

「……うん」

「ま、あたしは自隊での机仕事が嫌で逃げてきてるんだけどね。こっちで忙しいって言っとけば誰かしらやってくれるし~」

 

 わざと茶化した物言いをするのも、俯いた自分を慮ってのこと。

 

「席位がないっていうのも、目新しい試みでいいんじゃない? 人数が増えてきたら情報伝達は所属本隊ごとにわけて連絡するようにすればどうにかなるだろうし。何か問題が起きたらそのときにまた考えればいいのよ」

 

 忌憚のない意見をぶつけつつも最後には必ず背中を押してくれる。彼女のそんな懐の厚さに沙羅はいつも救われる。

 

「ありがと」

 

 目を伏せてぽつりと呟けば、乱菊が微笑んだ気配が伝わった。

 

「さ! わかったらあんたはさっさと昼休憩行ってきなさい。ってもうお昼って時間でもないけど」

「……本当だ。いつの間に三時回っちゃったんだ」

「いっそ今日はもう上がっちゃえば?」

「いいの?」

 

 冗談で言ったつもりが、思わぬ返答に乱菊は目を瞬いた。生真面目な沙羅のこと、「そんなことできるわけないでしょ」と一蹴するだろうと思っていたのだが。

 しかしその疑問は続く台詞ですぐに解消された。

 

「ずっと現世に行きたかったんだ。なかなか行ける時間がなかったから。……少しだけ行ってきてもいいかな?」

 

 おずおずと訊ねる沙羅への返答など、考えるまでもなく決まっている。

 

「わかったわ。今日はもうこっちには戻らなくていいから、気をつけて行ってらっしゃい」

「──うん! ありがとう!」

 

 手早く身支度を整えた沙羅は乱菊に見送られて隊舎を後にすると、一度も立ち止まることなく穿界門をくぐり抜けていった。

 

 

 *

 

 暦は八月を迎え、現世は焼けつくような暑さに見舞われていた。

 空座町の片隅に降り立った沙羅は降り注ぐ真夏の日差しに目を細めながらぐるりと周囲を見渡す。

 遠目に映ったのはあの町外れの公園。今日も変わらず静かにそびえ立っている桜の巨木をしばし穏やかな眼差しで見つめてから、沙羅は踵を返して逆の方向へと飛び立った。

 恐らく乱菊は沙羅があの公園へ行きたがっているのだろうと悟って快く送り出したのだろう。しかし沙羅にはそれとは別の目的があった。

 

 向かった先は一軒の古びた駄菓子屋。

 店主の名を冠したその看板には『浦原商店』と彫り込まれていた。

 

「これはこれは。今をときめく噂の新隊長サンじゃないっスか」

 

 沙羅が店先に降りると同時に、まるで見越していたかのように引き戸が開く。

 帽子に甚平という普段通りの姿で現れた彼は、沙羅のすぐ目の前まで歩み寄るとにこりと笑みを浮かべた。

 

「おかえりなさい。草薙サン」

「浦原さん……」

「よく戻ってきてくれました、本当に」

 

 安堵の表情で告げる彼──浦原喜助は、沙羅を虚圏に送り出した影の協力者。

 

「ごめんなさい、もっと早くにお礼に伺うべきだったんですけど、遅くなってしまって」

「そんなのいいんです。こうして草薙サンが無事に戻ってきてくれたことが何よりなんスから。それに──お礼を言わなきゃならないのはアタシのほうです」

 

 言いながら帽子を取った浦原は沙羅に向けて深々と頭を下げた。

 

「藍染を止めただけじゃなく、崩玉まで破壊してくれたんですよね。……ありがとうございました」

「蒲原さん……頭を上げてください」

「正直、草薙サンが彼を連れて逃げ帰ってこれれば御の字だと思ってました。まさかあの藍染を倒してくるなんて、とんでもないひとだ」

 

 冗談めかした口調で続けるものの、顔を上げた浦原に笑みはない。

 

「崩玉にしろ藍染にしろ、元はと言えばアタシの責任です。藍染を止めるためならどんな犠牲も厭わないと覚悟を決めていました。決めたつもりで、いたんです。……そう、本当に覚悟していたならあのときアタシも一緒に行くべきだったんだ。なのに勝ち目がないと怖じ気づいて、より確実に藍染を追い詰める方策を固めるまではと理由づけて、草薙サンを見送った。……そして結局自分の手を一切汚すことなく、あなた方に全てを背負わせてしまった」

 

 胸に当てた帽子をぐしゃりと握り潰した彼の右手は、小刻みに震えていた。

 現役の隊長格をも凌ぐ情報網を有している浦原のことだ。虚圏での顛末はこと細かに知っているのだろう。

 沙羅がウルキオラと共に藍染に挑んだこと。ギンが藍染もろとも消滅したこと。そしてウルキオラが自らの命と引き換えに崩玉を破壊したことも──

 

「浦原さんが責任を感じる必要なんてありません。これは私たちが決めたこと。私たちが選んだ結果なんです」

 

 崩玉を造り出した張本人である浦原が自責の念に駆られるのは致し方のないことかもしれない。けれどそんなことを沙羅は望みはしない。そしてきっとウルキオラだって。

 

「それに藍染隊長を倒せたのは浦原さんのおかげでもあるんです」

「え──?」

「浦原さんから崩玉には意思があるって話を聞いて、私の卍解を使って崩玉の意思を解放してみようと思ったんです。卍解が通じるかどうかは賭けでしたけど──崩玉はちゃんと応えてくれました」

 

 藍染の胸の中央に埋め込まれた崩玉が、沙羅が振り下ろした夢幻桜花の切っ先に触れて薄桃色に輝いたあの瞬間を思い返す。

 

「藍染隊長の支配から解放された崩玉の中に残っていたのは、浦原さんの願いだったんだと思います。だから内部に溜め込んでいた膨大な霊力が溢れても、暴走することなく消滅した……それが生みの親である浦原さんの願いだったから」

 

 その根底にあったのは、魂の平穏を護りたいというごく純粋な願いひとつ。

 だから崩玉は甘んじて自らが破壊されることを受け入れたのだろう。ただひとり、破壊の衝撃を与えたウルキオラだけを飲み込んで。

 

 

「あ、そうだこれ」

 

 思い出したように声を上げると、沙羅は懐から小さな巾着袋を取り出した。

 中からコロンと転がり出てきたのはビー玉大の緋色の石。沙羅が虚圏に旅立つ際に浦原から受け取った魔霊石だった。

 

「お返しするのが遅くなってすみません」

「いいんスよ。この程度しかお役に立てなくて」

「何言ってるんですか。乱菊も私も、これのおかげで助かったんですよ」

「……なら良かった」

 

 幾分明るい表情になった浦原に沙羅もふわりと笑みを返す。

 

「調子はもういいんですか?」

「はい! この通りピンピンしてます」

「そう、ですか……」

 

 頷きながら浦原がわずかに言い淀んだのを沙羅は見逃さなかった。その反応で彼が何を訊ねようとしていたのかを察する。

 

「記憶のほうも大丈夫です。全部思い出しましたから」

「……忘却術をかけられてたんですよね? 解術してもらったんですか?」

「いえ。自力で思い出しました」

 

 けろりと言い放つと浦原は目を丸くして「本当にとんでもないひとだ」と苦笑を浮かべた。

 

「不躾なこと言いますが、草薙サンの記憶に部分的な欠如があると聞いたときは、このまま思い出さないほうがあなたにとっても幸せなのかもしれない──なんて思ったんです」

「……はい。彼もそう思って私の記憶を封じたみたいです」

「でも杞憂でしたね。あなたはアタシが思っているよりもずっと強い人だった。悲劇を嘆くでもなく途方に暮れるでもなく、ちゃんと前に進もうとしている」

「そんなことないです。思い出したときはこれでもかってくらい泣きましたよ」

 

 恥ずかしそうに肩をすくめて、沙羅は「でも」と続けた。

 

「支えてくれる仲間がいたから、ひとりじゃないってわかったから、前を向けました。彼が繋いでくれたこの命で、今度は私が彼の願いを繋ぎたいと思ったんです。生きている限り未来はあるし、未来がある限り希望はあるから──」

「素敵な言葉ッスね」

「うちの隊長の受け売りです」

 

 えへへ、とはにかむ沙羅の瞳にはその言葉の通り確かな希望が灯っていた。

 

 いくら情報通の浦原とはいえ、ウルキオラ・シファーという破面と沙羅がどのような経緯を辿って絆を深めてきたのかはわからない。だがそこに至るまでには壮絶な困難や葛藤があったであろうことは想像がつく。

 その度彼女は乗り越えてきたのだろう。どんなに手酷く打ちのめされても、運命に虐げられても、人知れず涙を流しながら何度も立ち上がってきたのだろう。

 

「やっぱり強いですよ、あなたは」

 

 湧き上がる様々な感情を乗せて浦原は呟いた。

 

「草薙サンにはまた大きな借りができちゃいましたね。ちょっとやそっとじゃ返しようがないですけど、アタシにできることがあったら遠慮なく言ってください。必ず力になります」

「本当ですか?」

「こう見えて律儀なんですよ?」

 

 適当な奴と思ってるでしょうけど、と下唇を尖らせた浦原にくすくすと笑いながら首を横に振って、沙羅は「それじゃあ」と口を開いた。

 

「早速お願いしてもいいですか? 浦原さんにしか頼めないことがあるんです」

 

 実のところこのタイミングで沙羅が浦原を訪ねたのにはもうひとつの理由があった。今まさに言わんとしていることがそれである。

 

「もちろん。何なりとどうぞ」

「実は──」

 

 *

 

「……なるほど。要するに虚圏への安全な経路を確保したい、てことですか」

「はい。特調隊の人数も揃ってきたので、体制が整い次第虚圏への調査遠征を始めるつもりでいます。ただ今の状態だと黒腔が虚圏のどこに繋がるか予測できないので、計画の立てようがなくて」

「そりゃそうッスよねぇ」

 

 沙羅が浦原に依頼したのは、尸魂界と虚圏を行き来するための経路として、安定した黒腔(ガルガンタ)を開通させることだった。

 

「黒腔の安定化にはいくつか方法があるんですけど──技術開発局には行きましたか? 涅サンならその辺り熱心に研究してると思うんで、アタシよりも詳しいかもしれませんよ」

「あ……はい。涅隊長にも相談はしたんですけど……」

「彼はなんて?」

「技術開発局内から直接黒腔を開いて、常に同濃度の霊子を供給し続けるようシステムを構築すれば、虚圏の特定地点に恒常的に繋がるよう保つことは可能だろうと仰ってました。それを特調隊に提供してもいいとは言って下さってるんですけど……その、協力するからには見返りが必要だと……」

「見返り……」

 

 はたと瞬きを零す浦原に沙羅は歯切れ悪く続ける。

 

「研究に役立つ情報を提供してくれればそれでいいと言われました。ただそのやり方が、虚圏で接触した破面に発信器を装着させる、というものだったので……」

「ああ──いかにも涅サンがやりそうだな」

「発信器なんて情報以前に警戒させてしまうだけですし、破面との信頼関係も築けなくなりそうなのでその場でお断りしました。『それなら破面が気づかないようにつければいい、小型の発信器もある』と食い下がられましたけど」

 

 ぐったりと肩を落とした沙羅に浦原は合点がいった。それで自分を頼ってきたのかと。

 

「特調隊の目的は破面を管理下に置くことではなくて、彼らと交流を深めることなんです。涅隊長にはそれがうまく伝わらなくて……というか、何度話しても聞く耳を持って頂けないというか……むしろ破面のことは研究対象としてしか見ていないような……」

 

 尻すぼみに小さくなる沙羅の吐露に浦原は「災難でしたね」と苦笑いした。この様子だと涅マユリにかなりしつこく言い寄られたのだろう。

 浦原とて研究者の端くれ。未だ謎が多い破面の生態をつぶさに観察したいというマユリの探求欲は理解できる。しかしこれから交流を深めようとする相手に対して、初見から発信器を取り付けようなど言語道断。

 科学者として非常に優秀な男ではあるが、そういった道徳的な観念が欠落しているのは百十年前と何も変わっていないようだと浦原は妙に納得した。

 

「わかりました。黒腔の件は任せて下さい」

「本当ですか⁉」

「言ったでしょう。必ず力になりますって。もっとも、草薙サンへの借りはまだまだこの程度じゃ返しきれませんけど」 

「……ありがとうございます!」

 

 帽子をかぶり直した浦原にバッと頭を下げて沙羅は安堵の笑みを浮かべた。

 

 

 *

 

「それじゃ、目途がついたらご連絡します。十日以内には準備できると思うんで」

「よろしくお願いします」

 

 深々とお辞儀する沙羅に「最後にひとつだけ」と浦原は切り出した。

 

「草薙サンは、崩玉はアタシの願いを叶えたんだと言っていましたよね。──でもそれは違うと思うんです」

「え?」

「もし崩玉が本当にアタシの願いを体現したのだとしたら、藍染を八つ裂きにしていたでしょう。魂魄ごと取り込んで封じ込めるなんてそんな生温いことはしません」

 

 藍染の最期とその際の崩玉の反応を聞いた浦原はこう考えていた。

 

「崩玉はあのとき、あなたの願いを叶えたんです。藍染でもアタシでもなく、誰より崩玉の心に寄り添おうとした草薙サン自身の願いを」

「私の……」

 

 沙羅の卍解を受け入れた崩玉は、夢幻桜花の刀身の色合い同様鮮やかな薄桃色に染まっていたという。あれは彼女の願いに応えようという崩玉の意思の現れだったのではないか。

 

「だとしたら崩玉は、あなたの想いに反するようなことはしないはずです。だからきっと、あなたが心から想っている相手も──」

 

 そこまで言いかけて浦原は口を噤んだ。

 何を軽率なことを口走っているのだろう。科学的根拠など何もない、ただの希望的観測に過ぎないというのに。そんな憶測で期待を持たせて彼女を元気づけるつもりでいるのか。

 

「……スミマセン。こんなの気休めにもなりませんね」

 

 帽子を目深に引き下げた浦原に、沙羅は穏やかな表情で首を振る。

 

「そんなことないです。ありがとうございます」

 

 浦原の想いは十分に伝わった。沙羅を案じてくれていることも、そしてウルキオラの無事を願ってくれていることも。

 

「私も信じてるんです、浦原さん」

 

 額に手をかざして空を仰ぐ。西の空に大きく傾いた太陽はようやくその日差しを弱め、夕暮れの街を色鮮やかに照らしている。

 

「彼とはきっとまた逢える。いつか必ず逢いに来てくれるって。だからそれまで自分にできる限りのことをして、驚かせてやるんです。私たちの願った未来は絵空事なんかじゃなくちゃんと実現できるんだってことを証明して、ウルキオラにも見せたい──」

 

 眩しさに瞳を細めた沙羅の長い髪を、黄昏と共に流れてきた風が優しく絡め取った。同時に舞い上がった純白の隊長羽織が夕日を受けて紅く染まる。凛としたその佇まいは就任間もない新米隊長にはとても見えなかった。

 

 その小柄な身体に押しつぶされんばかりの期待と責任を背負いながら、それでも決して立ち止まることなく彼女は己が道を突き進むのだろう。

 

 希望、それは願う未来。

 無限の希望を携えて沙羅は歩み出す。

 いつか再び彼とまみえる未来を信じて──

 

 

 ***

 

 




《Wishing Jewel……夢見る石の願い事》

 それは誰の願いだったのか。

◎2021.9.30でハーメルン投稿開始から2年が経ちました。長い間お付き合いくださっている読者の皆さま、ありがとうございます。
 Dear…も残すところ3話となりました。ぜひ最後まで見届けていただけると嬉しいです。
 また、完結を前に10/5付で活動報告をあげたのでよろしければご一読ください。おまけで沙羅の挿絵も載せています。

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