Dear…【完結】   作:水音.

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最終話 Dear… ―親愛なる貴方へ―

 親愛なる貴方へ。

 長い長い冬が明け、尸魂界にも春が訪れました。

 溢れる新緑にはいくつもの蕾が芽吹き、もうじき色鮮やかな花を咲かせるでしょう。

 貴方が好きだと言ったあの花も、きっと。

 

 ねえ、貴方は憶えていますか? 

 

 町外れの公園。

 一本だけ高く伸びた桜の木。

 木の葉を揺らす春風。

 

 私は今でも鮮明に憶えているよ。

 

 貴方と出逢ったあの日のことを、まるで昨日のことのように、はっきりと──

 

 

 *

 

 どこまでも続く桜並木を追想とともにゆっくりと歩いた。

 ところ狭しと咲き乱れるそのさまに現世のあの桜の姿が重なる。沙羅にとっての始まりの場所。

 紫苑と想いを通わせたのも、ウルキオラと出逢ったのも、再び結ばれたのも、全てあの桜の下で。しかし思い返してみれば、彼と桜の花を眺めたのは数えるほどしかない。

 

『花を愛でる趣味はないが──おまえとなら見ていて飽きないだろうな』

『じゃあこの桜が満開になったらお花見しよう? 約束ね』

 

 そう笑いかけたとき、急に目線を外して『気が向いたらな』と告げたウルキオラの穏やかな横顔が遠く霞む。

 

 来年もふたりで一緒に──

 想い合う恋人たちにはごくありふれたささやかな願いを、一度も果たすことなくまた離れてしまった。

 

 心からの誓いも、他愛のない約束も

 願えば願うほどにもろく崩れて、指の隙間からこぼれ落ちていって

 

『それじゃあ私は、紫苑の笑顔を護るね』

『……どうやって?』

『私が隣にいれば笑顔になるでしょ?』

 

『そのあと少し時間を空けておけ。話がある』

『わかった。じゃあまた明日ね』

 

 百年の月日が流れても、叶わぬまま。

 

『一緒に探そう? 二人で……探そう?』

『ずっと一人にしてごめんね。……だけどもう離れないから』

 

『俺は……おまえの傍にいてもいいのか……?』

『もう二度と離したくない……』

『二度とおまえを……失いたくない。沙羅……』

『いつか……ずっと先になるかもしれないけど、死神と破面が和解できたとしたら。──そのときは尸魂界に来てくれる?』

 

 幾多の葛藤を乗り越えて再び結ばれても

 

『……不思議ですね、君たちは。まるで曾祖父のことを知っているかのようだ』

『またいつか行こうね』

『ああ』

 

『絶対に助ける。だから、待ってて』

『そしたら……今度こそ一緒に生きよう?』

 

『私は死なないし、ウルキオラも死なせない。そのために行くんだから』

『儂は──そうじゃの。戻って来たときにお主の惚れた男の話でも聞かせてもらおうかの』

『そうですね。でも口で説明するより直接会ったほうが早いと思います。だから今度は、二人で来ます』

 

 果たせぬ約束ばかりが降り積もっていく。

 

『俺の傍にいてくれ』

『もうどこにも行かないでね』

 

『最後の夜に言おうとしたことは?』

『言うべきときがきたら言う』

『それまで待っていろ』

 

『私は……もうどんなことがあってもウルキオラから離れないって決めた。ずっと一緒にいるって約束したじゃない!』

『心配しなくていい。次に目覚めたときには……全て終わっている』

 

『生きて、笑って……幸せになってほしい。二度もおまえを死なせたくはない……』

『お願い……私も一緒に……』

 

『きっとまた逢える』

『次は敵同士じゃなく、あの頃のように、誰にも邪魔されない立場で』

 

『……愛してる』

 

 

 寄せては返る波のように

 波間にたゆたう泡沫の夢のように

 果たせなかった約束の数々が浮かんではまた消えて

 あとに残るのはどうしようもない寂しさだけ。

 

「……逢いたいな」

 

 胸の内に抱えきれずにあふれだした寂しさが、言葉へと形を変えて唇からするりと抜け落ちた。

 瞳を閉ざせばすぐに浮かび上がる面影。触れようと手を伸ばして、でも届かなくて、瞼を開くと消えている。そんなあがきを何度繰り返しただろう。

 

『いつか必ず迎えに行くから、それまで泣かずに待っていろ』

 

 彼が残したその言葉を信じていないわけじゃない。

 いつかきっとまた逢える。その日のために、私は私にできる限りのことをする。私たちが願ってやまなかった未来が一日でも早く訪れるように。

 そう胸に刻んではいるけれど。

 

「やっぱり……逢いたくなるよ」

 

 辺り一面を薄桃色に染めて咲き乱れる桜は、易々と沙羅の心を震わせる。

 

 ねえウルキオラ。

 

 あなたは今、どこにいるの。

 なにを想っているの。

 

 私はあなたへの想いに足を捕らわれて、うまく歩き出せそうにないよ。

 

 どんなに走り続けても

 どんなに突き進んでも

 結局はこの場所から一歩も踏み出せていないんじゃないかって、そんな不安がぐるぐると頭を掠める。

 

 ねえ、あなたは憶えてる? 

 

 初めて出逢った日。

 

 初めて微笑みを見せた日。

 

 初めて名前を呼んだ日。

 

 初めて泣いた日。

 

 初めて刀を抜いた日。

 

 初めて触れ合った日。

 

 初めて結ばれた日。

 

 目が眩むほどきらきらと輝いて、胸がつぶれそうなほど愛しくて、私のすべてを捕らえて離さないあの日々を。

 

 あなたは

 

 あなたは

 

 

「貴方は、憶えて、いますか……?」

 

 

 

 

 

 

「…………忘れたことなど、ない」

 

 

 

 

 

 

 空から声が響いた気がして、顔をあげた。

 いつの間にかつきあたりまで来ていたらしい。延々と続いているように見えた並木道の奥には、一本だけ高く伸びた桜の木が佇んでいた。

 がっしりと太い幹は垂直に天へ向かっていて先が見えないほど。まるでその桜だけ百年も前からそこにあったかのように。

 

 この桜が応えてくれたのだろうか。そんな突拍子もない考えを巡らせるくらい、鼓膜を震わせた残響がくっきりと残っていて。

 

「……だれ?」

 

 額に手をかざして花々の隙間から射し込む陽の光に目を細めていると、懐から場違いな電子音が鳴り響いた。慌てて霊圧装置を取り出して沙羅は画面に釘づけになる。

 白く発光する霊圧反応が表示されていたのは、画面の中央、つまりこの場所に他ならなかった。

 

 ざあっとつむじ風がすりぬけ絡めとられた髪が悪戯に宙に舞う。それを押さえることもせず沙羅はただ一点を見つめていた。眼前にそびえ立つ桜の大木の頂上近く、太い枝に腰かけてかすかに揺らぐ黒い影を。

 

 徐々に逆光に慣れていく瞳がその輪郭を捉える。

 細身の体躯に、さらりとなびく漆黒の髪。

 まっすぐにこちらを見つめる双眸はまるで──

 

 まるで翡翠の宝石のよう。

 

 

 言葉が、出ない。

 夢を見ているのだろうか。

 色鮮やかに咲き誇る桜が見せる幻だろうか。

 ひとつ瞬きをこぼせば、いつものようにまた消えてしまうのか。

 

 脈打つ心臓を押さえながら沙羅は祈るように見上げる。

 夢でも幻でもいい。

 どうかこのまま、もう少しだけ。

 

 すると影はおもむろに身体を起こし、軽い身のこなしで枝から飛び降りた。風圧で黒い前髪が踊り、着地の衝撃でかすかな砂塵が舞う。

 あと数歩寄れば触れられる。そんな至近距離に、確かな実体を持って、彼はいた。

 

 

「……夢じゃない?」

 

 切望していたはずなのに、いざ目の前に現れるとまともな言葉が浮かんでこない。

 

「ああ」

 

 それに返る声もまた、沙羅の記憶に刻まれた声色そのままで。

 

「本当に?」

「ずいぶんと疑い深くなったな」

 

 ふ、と浮かんだ静かな微笑みも、優しい眼差しも、そのままで。

 

「なら自分で確かめてみろ」

 

 広げられた両腕に迷うことなく飛び込んだ。

 

「……ウルキオラ」

「沙羅」

 

 彼の口から自分の名が紡がれるのが嬉しくてたまらなかったことを思い出した。

 大切な宝物を愛でるように呼ばれるたびに、胸の奥が熱くなって、どうしようもなく高鳴って。心地よく響くその低い声が、背中に回した腕から伝わる温もりが、胸板に寄せた頬に響く鼓動が教えてくれる。

 

「本物だ……」

 

 仮面はない。仮面紋(エスティグマ)もない。

 だけど、だけど間違えるわけがない。

 

「……ウルキオラ……っ!」

 

 喉の奥から絞りだすように呼んで、沙羅はウルキオラの胸に顔をうずめた。

 

 これが彼との

 三度目の出逢いだった──

 

 

 

「忘却術は破られたようだな」

 

 確かめるように沙羅の頬をなでながらウルキオラが言う。

 

「当たり前でしょ……あんな術なんかで、ウルキオラのことを忘れられるわけない」

 

 少し怒ったような口調で、けれど頬をなぞる手に抗うそぶりもなく沙羅は答えた。

 

「あれからどれくらい経った?」

「もうじき三年、かな」

「三年か……そういえば髪が伸びたな」

 

 頬を離れた手がすっと薄茶色の髪の一房をすくいあげる。慈しむように唇を寄せ、指先に絡めとる。

 

「ずっと待ってたんだからね」

「前は百年かかったんだ。三年で逢えれば上々だろう?」

「……バカキオラ」

「ババ沙羅」

 

 挑発するようなウルキオラの視線に文句をもらせばすかさずお決まりの応酬が続いた。

 それが嬉しい。こんな取るに足らないやりとりが、ただただ嬉しい。

 

「この羽織は?」

「驚いた? 私隊長になったの。虚圏特別調査隊っていってね、虚圏の研究をしながら、破面とも少しずつ新しい関係を築いてる。隊士も百人以上いるんだから!」

 

 誇らしげに隊長羽織を翻してみせると、ウルキオラは瞳を和ませた。

 

「……そうか。がんばったんだな」

 

 彼には知りようもないはずのこの三年の努力や苦労を、なにもかも読みとられているような気がして沙羅は思わず顔を逸らした。そうでもしないとずっとこらえていたものが決壊しそうで。

 

「全部憶えてるの?」

「大体はな。崩玉を破壊するときの記憶が最後だが」

「どうやってここに?」

「……そこははっきりしない。長い間眠っていたような気もするし、どこか遠い場所から歩いてきたような気もする。ただ──」

 

 一旦言葉を飲み込んだウルキオラは、記憶を辿るように目を伏せた。

 

「誰かに……導かれたのは、なんとなく憶えている」

「誰か?」

 

 それが誰なのかはわからないが、と付け加えてウルキオラは沙羅の左肩に目線を落とした。

 隊長羽織に袖を通しながらもその細い肩にはいまだ待雪草を冠する副官証が括られており、彼女が初めて身に着けた日と違わぬまばゆい輝きを放っている。

 

「もしかして、崩玉が叶えてくれたのかな」

「……そうかもしれないな」

「いつ目覚めたの?」

「明確に意識が戻ったのはついさっきだ。この桜を見てすぐにおまえの顔が浮かんだ」

 

 頭上の桜を振り仰ぐウルキオラを柔らかな木漏れ日が照らした。

 沙羅の脳裏に残る面影と寸分たがわぬ横顔。なのになぜだろう、以前よりも大人びて見えるのは。

 ひょっとしたら彼は、沙羅よりもずっと長い時間を経てここへ辿り着いたのかもしれない。それこそ永劫とも呼べる時を。

 

「俺から迎えに行くつもりだったのに、先を越されたな」

 

 向き直ったウルキオラの表情があまりに優しくて沙羅は目頭が熱くなるのを感じた。

 どれだけの想いを貫いてここまで来てくれたのだろう。見知らぬ世界に、たったひとりで。

 

「私が……黙って待ってるとでも思った?」

 

 わざと気丈な物言いをして目線を落とした。こみあげたそれには気づかないふりをして。

 するとウルキオラの手が伸びてきてぐいっと頭を引き寄せられた。

 

「わっ! なに?」

「……」

 

 再び腕の中に閉じ込められて身じろぎするも、ウルキオラは答えない。ただ骨ばった手でぽん、と沙羅の頭をなでた。

 

「──っ」

 

 たったそれだけではりつめていた糸がぷつんと音を立てて切れる。

 

 いつか彼が迎えに来るその日まで泣かずに待つと決めた。

 それが彼の願いだったから。

 

 だけど

 

 だけどもう、逢えたから。

 

「も……泣いても、い……?」

 

 掠れた声で呟けば、腕に一層力をこめたウルキオラが頷いた。

 

「……ああ」

 

 視界が歪んでみるみる涙があふれる。この三年間ひた隠しにしてきた寂しさや苦しさを押し流すように。

 

「逢いたかった……っ!」

 

 待ち焦がれた温もりの中で沙羅は声をあげて泣いた。

 

 

 *

 

 どれだけの時間そうしていたのだろう。ウルキオラにすがりつきながら三年分の涙は流したような気がする。

 

「ごめん。いっぱい泣いて」

 

 鼻をすすった沙羅はばつが悪そうに顔をあげた。

 その表情が先程とは比べ物にならないほど晴れ晴れとしているのを見て、ウルキオラの瞳は安堵に和む。

 

「我慢されるよりずっといい。俺の前で隠す必要はないだろう」

「……うん」

 

 照れくさそうに目腫れてない? と顔を押さえる沙羅。その横顔を吸い込まれるように見つめながら、ウルキオラは拳に力をこめた。

 

「……沙羅」

「ん?」

「すまない」

 

 驚いて振り向く沙羅の瞳をまっすぐにとらえて続ける。

 

「俺の自分本位な判断で、おまえにつらい思いをさせた」

 

 沙羅を護りたいがためにひとり置いていったことも、記憶を消したことも、結果的には彼女を手酷く傷つけただけだった。

 万一沙羅が記憶を取り戻すことがあっても悲観に暮れることのないようにと言い残した言葉さえ、彼女から泣き場所を奪って苦しませたのだろう。

 何度も離れて、何度も傷つけて、どれだけ苦しませたかしれない。

 

「もう終わりにしよう」

「え……?」

 

 顔をこわばらせた沙羅にゆっくりと歩み寄る。

 長い長い道のりの果てに、ウルキオラが辿り着いた唯一の答え。

 

「これで最後だ」

 

 別れを告げるのも

 再会を遂げるのも

 これで最後にしよう

 

 そして

 

 

「ともに生きよう」

 

 

 今度こそ、ふたり離れることのないように──

 

 

 

 ざあっと吹き抜けた風が桜の花弁を散らしてふたりを包むように降り注いだ。

 沙羅は声を失って立ち尽くしている。

 

「……やっと言えた」

 

 万感の想いを滲ませてウルキオラは吐息をもらした。将来を誓うこの一言を告げるのにこんなにも長い時間をかけることになるなんて、あの頃の紫苑には思いも寄らなかっただろう。

 人間のときにも、破面のときにも言えなかった言葉を、百年以上もかけてやっと。

 この先どんな困難が待ち受けていようと、ふたりで乗り越えていこうと。哀しみも喜びも分かちあってふたりで生きていこうと。

 そう君に伝えたかった。あの日からずっと。

 

「ふたりで生きよう、沙羅」

 

 もう一度、今度は左手を差しのべて告げると、沙羅はくしゃりと顔を歪めた。

 

「私と……一緒に来てくれる?」

「どこへでも」

「死神になるんだよ? それでもいいの?」

「おまえとともに生きられるのなら、何にでもなってやる」

 

 ためらいなく言い放ったウルキオラに、枯れ果てたと思った涙の最後の一粒が沙羅の頬を伝って落ちた。

 ずっと欲しかった言葉が、待ち焦がれた願いが、触れたかった手が目の前にある。

 

「私も……あなたと、生きたい。これから先もずっと」

 

 伸ばされた左手に自身の右手を重ねて、沙羅は満面の笑みで頷いた。

 

 

 *

 

 その後ウルキオラを連れて勇真と千歳の家へと戻った沙羅。最初こそ驚嘆していたふたりも、嬉しそうにはにかむ沙羅を見てすぐに理解し手放しでウルキオラを歓迎した。

 

「しっかし沙羅に恋人がいたとはなー。道理で顔つきが変わったと思ったぜ」

「さっきは隊長の貫禄がどうとか言ってたくせに」

「うるせーな、それはそれだろ。で、ウルキオラ──だったよな? 沙羅とはどうやって知り合ったんだ?」

「どうやって……? 元は同僚だったのがきっかけだな」

 

 勇真に詰め寄られたウルキオラは沙羅を窺いながらそう答える。

 

「同僚? んじゃウルキオラも死神なのか!」

「いや──昔の同僚だ。……死神にはこれからなる予定だが」

「昔? っていつだよ?」

「ちょっと勇真、食いつきすぎ! ウルキオラさん困ってるでしょ! まあ話はあとでたっぷり聞くとして、まずはご飯にしましょうよ。ウルキオラさんもいっぱい食べてね?」

 

 会話に割り込んだ千歳がてきぱきと食卓の準備をしていく。食器を並べていた沙羅は次々に運ばれる料理に目を輝かせた。

 

「わー! 美味しそう! あっワラビの天ぷら! ボウナのお浸しもある!」

「ふふっ、沙羅の好きな山菜ばっかりでしょ?」

 

 得意げに笑う千歳のエプロンの裾を勇真がくいっと引っ張った。

 

「おい、大丈夫なんだろうな? 俺はともかく沙羅やウルキオラにまで変なモン食わすなよ?」

「あんたねえ! 変なモンとはなによ!」

「前に山菜と間違えて毒草摘んできただろーが! 危うく死にかけたんだぞ!」

「死にかけたなんて大袈裟なのよ! ちょっとお腹壊しただけでしょ!」

「おまえな……三日三晩腹を下し続けた俺の苦しみを……!」

 

 火花を散らすふたりには構わず、沙羅は心配そうにウルキオラを覗き込む。

 

「騒がしくてごめんね。いつもこんな感じなの」

「いや。賑やかでいいな、おまえの家族は」

 

 遠巻きに眺めつつもどこか楽しそうなウルキオラにほっとして、沙羅は「ほら、せっかくのご馳走が冷めちゃう」とふたりを諫めて席についた。

 千歳の山菜料理に舌鼓を打ちながら四人で囲む食卓には笑顔が絶えず、昔話も交えながら大いに盛り上がった。

 

「本当に良かったね、沙羅。そんな大恋愛の末に結ばれるなんて素敵! 運命の相手って感じよねー」

 

 両手で頬杖をついてうっとりとする千歳はしきりに「いいなぁ」とぼやいている。それを見ていた沙羅が勇真に視線を送ると、彼はぐっとつまってしばらく目を泳がせたあと、意を決したように立ちあがった。

 

「ち、千歳!」

「きゃっ!? いきなりなによ!」

 

 突如足元にひざまずいた勇真に千歳は声を裏返らせて驚いている。だが次の瞬間、それよりもさらに意表を突く言葉を勇真が叫び、千歳は真っ赤になって口を覆った。

 少しの間を置いて千歳が頷くと、「よっしゃー!」とガッツポーズする勇真とともに沙羅も抱きついてふたりを祝福した。

 幸福に包まれた夜が更けていった。

 

 それから二日ほど勇真と千歳の家で過ごしてから、沙羅とウルキオラは瀞霊廷へ向かうべく旅立った。

 別れを惜しむふたりにまた帰ってくるからと約束して沙羅は「ね?」とウルキオラを仰ぐ。めいっぱい手を振るふたつの影が見えなくなったところで、ウルキオラはぼそりと呟いた。

 

「……いい家族だな」

 

 沙羅は嬉しそうに目を細めてウルキオラの手に指を絡める。

 

「また来年もあの桜を見にこようね」

 

 祈るように見上げると、重なる指に力がこもってぎゅっと握り締められた。

 

「そうだな。また帰ってこよう、ふたりで」

 

 今度はもう果たせない約束なんかじゃない。

 来年も、必ず。

 

 *

 

 瀞霊廷に近づくにつれ、さすがのウルキオラも緊張を隠せないようだった。

 

「いきなり俺を連れていって大丈夫なのか。突然十刃と瓜二つの男が現れたら騒然とするだろう」

「大丈夫、私がちゃんと話を通すから」

 

 勝気に頷いたものの、沙羅にも不安がないわけではない。破面であったときの面影を色濃く残すウルキオラを護廷十三隊に引き入れることで、彼に不快な思いをさせてしまったら。

 けれど少なくとも三年前とは違う。ほとんどの死神が破面に対して恐怖や憎悪しか抱いていなかったあの頃とは違うと、自信を持って言える。

 それがこの三年間沙羅が必死になって積み上げてきた成果のひとつだから。

 仮にウルキオラに敵意を向ける人がいたとしても──私が必ず護ってみせる。

 

「まずはうちの隊長に会いにいこう? 話せば絶対にわかってくれる人だから」

 

 決意を灯して瀞霊廷の門をくぐった沙羅だがそこには意外な人物が待ち受けていた。

 

 

「おかえり、沙羅」

「え──隊長!?」

 

 長い白髪を視界に捉えて沙羅は心底驚いた。

 

「こんなところでなにしてるんですか!?」

「茶屋での休息がてら可愛い部下の出迎えに来ただけだよ」

 

 にこにこと笑って悪びれずに話す浮竹は、そのまま隣のウルキオラへと目線を移す。

 

「スカウトは成功したようだな」

「……お初にお目にかかります」

 

 すっと頭を下げるウルキオラに浮竹は優しく目を細める。

 

「会えて嬉しいよ。ウルキオラ──と呼んでいいのかな?」

「──っ!」

 

 沙羅とウルキオラは同時に息を飲んだ。

 

「……知っていたんですか? それで私に──」

「確証があったわけじゃないけどな。モニターが感知した霊圧を分析したら技術開発局に残っていた彼のデータとよく似ていたから、ひょっとしたらと思ったんだよ」

 

 軽い調子でそう言って浮竹は朗らかに笑った。

 かつての十刃に酷似した霊圧反応。普通なら危険分子と判断されても致し方ないだろう。だが浮竹から注がれる眼差しには警戒や偏見のかけらもない。

 

「ここへ来たということは、死神になる意思があると解釈していいのかい?」

「……いいんですか? 俺が死神になっても」

 

 浮竹の問いにしばしの沈黙を置いてからウルキオラは目線をあげる。

 

「もちろん。君なら死神と破面の争いがいかに無益なものか、よくわかっているだろう。沙羅の頑張りで破面との関係はだいぶ進展してはいるが、対処すべき問題もいまだ多くある。死神となって沙羅を傍で支えてやってほしい」

「隊長……」

「本来なら俺がしっかり支えてやるべきなんだが、不甲斐ない隊長でね」

「なに言ってるんですか!」

 

 自虐的に笑う浮竹に必死に首を振る沙羅を見て、ふたりを結ぶ絆の強さを知る。沙羅が自慢の隊長だと誇らしげに話していた理由がわかったような気がした。

 

「沙羅の力になれるのなら、異論はありません」

 

 淡々と、だが真摯な面持ちで告げたウルキオラに浮竹は満足げに頷いた。

 

「決まりだな。ウルキオラ、君を心から歓迎する。ようこそ護廷十三隊へ」

 

 目の前に差し出された自分よりも一回り大きな手を、ウルキオラは力強く握り返した。

 

 *

 

 浮竹に連れられたウルキオラと沙羅は一番隊の隊舎へと向かい、総隊長・山本元柳斎重國の元を訪ねた。

 

「──以上の事由により、十三番隊隊長の名において、ウルキオラ・シファーの護廷十三隊への入隊を許可したく存じます」

「同じく、虚圏特別調査隊隊長として、彼の入隊を希望します」

「……ふむ」

 

 浮竹と沙羅の宣言を受け、元柳斎は眼前にひざまずくウルキオラを見据えながら顎ひげをなでている。

 

「霊力は規定値を大幅に上回っており、なおかつ隊長二名の推薦もある。入隊条件は十分に満たしておるな」

「では──」

「しかし、この者の入隊が隊士に与える影響は大きい。その影響力を鑑みれば入隊の条件を慣例通りとするのはいささか浅薄じゃろう」

「っ!」

 

 沙羅が反論しようと腰を浮かせるのを浮竹が腕を伸ばして制した。

 

「ならば全隊長へ彼の入隊賛否を問いましょう。それで賛成多数となれば問題ありませんよね?」

 

 総隊長相手に強気に話を進める浮竹に沙羅は呆気にとられる。いくら元柳斎の諫言をかわすためとはいえ、全ての隊長に賛否を問うとは大きく出すぎではないか。それで反対多数にでもなってしまったらウルキオラは。

 

「うむ。さすれば入隊を咎める理由はない」

「ではすぐに決を採りましょう」

 

 沙羅の心配をよそに話はとんとん拍子で進んでいく。

 こうなってしまっては仕方がない、どうにかして賛成してもらえるよう各隊の隊長にかけあうしかないだろう。隊首会が開かれるまでには数日はかかるはず。それまでに──

 沙羅が必死に思案していると元柳斎がどんっと杖で床を打ち鳴らした。それを合図に側近の隊士が元柳斎の背後の扉を押し開ける。

 顔をあげた沙羅の目に映ったのは幾重にもたなびく白い隊長羽織だった。

 

 二番隊隊長・砕蜂。

 三番隊新隊長・吉良イヅル。

 四番隊隊長・卯ノ花烈。

 五番隊新隊長・阿散井恋次。

 六番隊隊長・朽木白哉。

 七番隊隊長・狛村左陣。

 八番隊隊長・京楽春水。

 九番隊新隊長・檜佐木修兵。

 十番隊隊長・日番谷冬獅郎。

 十一番隊隊長・更木剣八。

 十二番隊隊長・涅マユリ。

 

 一番隊の隊舎最奥の会談場には、護廷十三隊を代表する11名の隊長の面々が悠然と立ち並んでいた。

 

「え……」

 

 そうそうたる顔ぶれに絶句する沙羅。後ろでは同じようにウルキオラも唖然としている。

 そんなふたりをよそに中央に立っていた京楽がぱん、と手を叩いた。

 

「そんじゃ、早速決を採ろうじゃないの。元第4十刃という異例の経歴をもつ超新星、ウルキオラ・シファーくんの入隊に賛成の人は手をあげて~」

 

 間延びした声から一拍置いて、いくつかの手があがる。その数はひとり、またひとりと次第に増えて。

「別に認めたわけではないからな」とそっぽを向いている砕蜂や「実に興味深いヨ……」と目をらんらんとさせているマユリなど反応はさまざまだが、いつの間にか11人全員の手があがっていた。

 声も出ないまま沙羅が振り返ると、そこには誰よりもまっすぐに腕を伸ばす浮竹の姿が。驚くべきことに浮竹はあらかじめ元柳斎はもとより、護廷十三隊の各隊長への根回しをすませていたのだ。

 してやったりとでも言いたげに笑う浮竹に、沙羅は「やられた」と観念するほかなかった。

 

 ああ、やっぱりこの人には、一生敵わない──

 

「ほら、沙羅ちゃんも隊長なんだから参加して」

 

 京楽に促された沙羅は、熱くなった目頭を隠すように腕をあげた。

 

「満場一致だねぇ、山じい」

「よかろう。彼の入隊を許可する。ウルキオラ・シファー、ここへ」

「──はい」

 

 静かに立ち上がり元柳斎の足元で再びひざまずくウルキオラ。

 

「本日より護廷十三隊の一員として、尸魂界のため、魂の安寧のために尽くしてもらう。よいな?」

「寛大なお心遣いに感謝します。罪深き身ではありますが、尸魂界のため、虚圏のため、すべての魂の安寧のため……そして草薙沙羅のために、全身全霊を捧げることを誓います」

 

 一般の隊士ならば顔もあげられないであろう元柳斎の重圧の前に、ウルキオラはよどみなく言い放った。

 

「組織の一員となる以上特定の隊士への過剰な肩入れは……」

「まあまあ山じい、堅苦しいことはなしなし! そんなんだから頑固じじいとか言われちゃうんだよー」

「言っとるのはおまえじゃろうが! まったく、近頃の若者は風紀が乱れて……」

 

 ぶつくさとぼやく元柳斎の小言は完全に聞こえないふりをして、京楽が沙羅に一本の刀を手渡す。

 

「ほい、沙羅ちゃんから渡してあげな」

 

 沙羅が両手で受け取ったのはなんの変哲もないごくありふれた形状の刀。それを丁寧に抱きかかえると沙羅はウルキオラに歩み寄った。

 

「これがウルキオラの斬魄刀だよ。浅打って言って今は普通の刀なんだけど、使い込んでいくうちに魂が刀に宿ってウルキオラだけの斬魄刀になるの」

 

 差し出されるまま手に取った刀をウルキオラは不思議そうに眺める。

 柄を握ってそっと鞘から抜き放つ。確かに普通の刀だ。慣れ親しんだ感触ではあるものの、特別な感覚はまるでない。この刀にもいずれ沙羅の夢幻桜花のように自分だけの斬魄刀の化身が宿るのだろうか。

 

 刀身を鞘におさめたウルキオラは斬魄刀を腰紐にくくりつけた。

 護ろう。この刀で沙羅を。そしてふたりの未来を。

 静かな決意を宿したウルキオラに、個性豊かな隊長陣から矢継ぎ早に質問が飛び交うなどその場は大いに沸き、全隊長同席のもと執り行われた異例の入隊の儀は締めくくられた。

 

 その後、案内を任された沙羅がウルキオラを伴ってまず向かったのは特別調査隊の本拠地だった。

 隊舎の入口をくぐったその先には乱菊が待ち構えていたように立っていた。

 

「おかえり、沙羅」

「ただいま、乱菊」

 

 それ以上の言葉を発することもなく、沙羅は乱菊と数秒間見つめ合い、互いに微笑む。すべてを知った上で送り出してくれたであろう親友に今の想いを伝えるにはそれで十分だった。

 

「久しぶりね。ってあたしのこと憶えてるかしら?」

「ああ。あのときは世話になった」

 

 次いでウルキオラへと目線を移した乱菊は彼の頭のてっぺんからつま先までを物珍しそうに見つめる。

 破面の象徴であった仮面は跡形もなく、まるで白い陶器のようだった肌も今はごく普通の健康的な色合いだ。しかしその特徴的な瞳の色と面差しは間違いなくあのときの破面の青年のものだった。

 

「転生したっていうか、面影そのままって感じねぇ」

 

 無遠慮に言ってのける乱菊に少しも嫌悪感が湧かないのは、既にウルキオラも彼女の人となりを知っているからだろう。

 

「沙羅! 帰ってきたのだな!」

「おかえりなさい沙羅ちゃん」

 

 そこに声を聞きつけたルキアや雛森らを始めとする特調隊のメンバーがわらわらと集まり、さらに先刻までの隊首会の場にもいた恋次や吉良たちも加わってその場は一気に賑やかになった。

 皆の注目を浴びるウルキオラは沙羅に促され簡単な自己紹介をして頭をさげる。沙羅を慕って集まった顔ぶれが大半の特調隊の面々は元より気が良い者ばかりで、ウルキオラが特調隊の活動にも参加したい旨を告げると喜んで喝采を送った。

 

「それで? 所属は何番隊なの?」

「ああ、それは──」

「へへっ。そりゃあもちろん優秀な隊長のもとに預けられたんだよな? ウルキオラ」

 

 乱菊の問いに口を開きかけたウルキオラを押しのけるようにして、恋次が得意げに鼻の頭をこする。

 それに「はあ」と生返事を返すウルキオラと恋次とを交互に見やって、周囲の仲間たちは一様に同情の面持ちを浮かべた。

 

「うわ、よりによって五番隊? 可哀想」

「恋次の下に配属するとは総隊長も酷なことをなさる……」

「みんな言いすぎだよ! 阿散井くん五番隊の隊長に就任してからすごく頑張ってるんだよ?」

「そういう雛森くんは今月づけで四番隊への転属希望を出したんだろう?」

「そ、それは、今後のために治療系の鬼道の勉強がしたくって、別に阿散井くんが要領悪くてまったく書類仕事できないからとかそんな理由じゃ……!」

「雛森ーフォローになってないわよー」

 

 雛森が墓穴を掘ったことにより一同はますますウルキオラへの同情の色を濃くした。

 

「……五番隊は新進気鋭の活気に満ち溢れた隊だと言っていなかったか?」

「えっ」

 

 猜疑心がこもったウルキオラの目に沙羅は肩をびくつかせる。

 

「ものは言いようねー。そりゃあ隊長がこんな調子なんだから隊内はいつもてんやわんやでしょ。それを活気に満ちてると言うならそうかもね」

「ちょ、乱菊さん! そんな言い方ないっすよ!」

「ごめんね。十三番隊に配属してもらえないか総隊長に頼んでみたんだけど、今五番隊が深刻な人手不足らしくて仕方なかったの……」

「おい沙羅、なんでおまえまで申し訳なさそうにしてんだよ!?」

 

 取りつくろったり青筋を立てたりとせわしない恋次であったが「とにかく!」と勢いよくウルキオラを振り返る。

 

「外野の言うことは気にすんな! おまえの面倒はこの俺が隊長としてしっかり見てやるからな」

「……お世話になります。阿散井隊長」

「おう、任せとけ」

 

 幸か不幸か表情を読みとりにくいため、不信感をあらわにしているウルキオラに気づく様子もなく恋次は気分よさそうに胸を張っている。

 

「あーだめだめ、恋次はおだてるとすぐ調子に乗るから。こんなやつイレズミマユゲでいいのよ」

「だから変なこと吹き込まないでくださいって! うちの隊士に示しがつかないじゃないすか」

「もともと阿散井くんに示しなんてないような気もするけど」

「吉良、てめーは黙ってろ」

「ではこれからよろしく頼む、イカサママユゲ」

「微妙に違げェし!! おまえ絶対わざとだろ!?」

 

 締めあげようとする恋次の腕を易々とかいくぐってふっと表情を和らげるウルキオラ。すっかり仲間の輪に溶けこんでいるその姿を、沙羅はどこか夢心地で見つめていた。

 それはかつて何度も願ったこと。

 いつも支えてくれるかけがえのない仲間たちに、ウルキオラを会わせることができたら。敵ではなく、大切な存在として紹介できたらどんなに幸せだろうかと。

 夢にまで見た光景が目の前に広がっている。

 

 だけどもう夢なんかじゃない。

 彼は確かにここにいて、死神の一員となって、仲間に受け入れられて。

 そして

 

「沙羅」

 

 私の傍にいてくれる。

 私を見て、名を呼んで、微笑んでくれる。

 

 いまだ慣れない幸福をぎこちなく抱きしめて沙羅は顔を綻ばせた。

 

 

 *

 

 入隊の騒ぎもおさまってきた頃、沙羅とウルキオラはふたりで現世を訪れた。

 

「わあ……見てウルキオラ! 満開!」

 

 町外れの公園の桜はちょうど見頃を迎えていた。

 ひとたび風が吹けばシャワーのように降りそそぐ色づいた花びらを、沙羅は全身で浴びながらくるくるとはしゃぐ。

 

「春蘭の桜も美しかったが、やはりここの桜は格別だな」

 

 そんな沙羅の姿を見守っていたウルキオラも感慨深く桜に見入っている。

 

「……実を言うとね、この三年間ここにはほとんど来てなかったの」

 

 ゆっくりと桜に歩み寄りながら沙羅は告げた。

 

「思い出が深すぎて戻ってこられなくなりそうな気がして」

 

 一歩地面を踏みしめるたびに、いくつもの瞬間が甦る。根元まで近づくと幹に刻まれた古い傷が目に入った。

 

「けど、やっぱりここが私の原点なんだと思う。ここから始めないと、きっとどこにも進めない」

 

 この跡も、かつて沙羅と紫苑が精一杯に生きた大切な証だ。

 

「だから今日は一緒に来られてよかった」

 

 幹に触れた沙羅は穏やかな表情でウルキオラを振り返った。

 

 初めて出逢ったとき、あなたは人間で、私も人間で。

 まるでそれが自然の摂理であるかのように私たちは惹かれ合った。

 人を愛する喜びと痛みを知った。

 

 二度目にここで出逢ったとき、あなたは破面で、私は死神で。

 生きる世界も置かれた環境も何もかもが対照的な私たちは、それでも惹かれ合った。

 それが自然の摂理に反していたとしてもこみあげる愛しさを抑えることはできなかった。

 

 そうして二度の出逢いと別れを経て、迎えた三度目の出逢い──

 死神となったあなたが今、こうして目の前にいる。

 

「……俺にとってもここは原点だ」

 

 沙羅の瞳とまっすぐに向き合い、ウルキオラも口を開く。

 

「ここで紫苑として初めておまえに告白して、刀を贈ったあの日から──おまえとともに生きることが俺の夢だった」

 

 今よりもひと回り小さかった桜の下で、沙羅に想いを告げたときのことを鮮明に思い出す。

 

「護るどころか傷つけてばかりだったけどな」

「護ってくれたよ。ウルキオラがいたから私は前を向けた」

「俺にとってもおまえの存在が支えだった。……百年前からずっと」

 

 そこまで言って顔をあげたウルキオラの髪に桜の花びらが一枚、ふわりと落ちる。

 

「ここまでずいぶん遠回りしたな」

「でも、無駄じゃなかったよね」

「そうだな」

 

 頷くウルキオラに沙羅はくすりと笑って手を伸ばした。

 髪についていた花びらを取ってそっと宙に放す。風に乗って飛んでいく桜を見送っているとウルキオラに腕を引かれた。

 見つめ合う瞳に映るのは互いの姿だけ。

 

「俺は死神としては駆けだしで沙羅の足元にも及ばない。問題を起こす気はないが、この先おまえに苦労をかけることも多くあるだろう。それでも俺はもう二度とおまえから離れないし、離すつもりもない」

 

 沙羅の頬に手を添えて告げるそれは、まるで生涯の宣誓のように。

 

「俺のせいで傷つくことがあったとしたら、ひとりで抱えないで話してほしい。必ず護ってみせる。たとえ哀しませることがあったとしても、ひとりで泣かせはしない。それ以上に笑わせてやる。沙羅……おまえを愛してる」

 

 何度離れても、姿形を変えても、この想いだけは消えなかった。

 

 魂が 君を 貴方を 求めていた。

 

 そしてようやく手に入れた。

 

 

「今日も明日も百年後も。ふたりでともに生きていこう」

 

 

 視界いっぱいに映るウルキオラが涙で歪む前に沙羅は瞼を閉じた。

 両の瞼に優しく触れた薄い唇が、額、こめかみ、頬と滑るようにおりていく。

 やがて辿りついた桜色の唇に、最初はついばむようにそっと。二度目は溶けあうように深く。空気を求めて離れるその間さえ惜しむかのように、何度も何度も重ねあった。

 

 柔らかな風が吹き、色鮮やかな花が降る。

 百年もの昔からふたりを見守りつづけてきた桜が、嬉しそうに枝先を揺らし祝福の花弁を宙に舞い放っていた。

 

 出逢いと別れを繰り返したこの場所で、ふたり最後の誓いを立てよう。

 

 

「貴方は憶えていますか?」

 

「君を忘れたことなどない」

 

 

 親愛なる貴方へ

 

 

 

 Dear……

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

【↓人間時代】

 

【挿絵表示】

 

 

【↓死神時代】

 

【挿絵表示】

 

 

【↓エンディング】

 

【挿絵表示】

 

 




 最後までお読みくださりありがとうございました。
 結末を見届けての感想など、ひとことでも聞かせていただけると喜びます。
 このあとは異様に長いあとがき(ネタバレ全開)となります。ここまできたんだし最後まで付き合ってやるかという寛大な方はどうぞお進みください。





《あとがきという名の全てを曝け出す場所》
 ハーメルン版Dear…を最後までお読みくださりありがとうございました。
 この作品を書き始めたのは2008年。自サイトにてのんびりと連載を続け、ようやく完結を迎えたのは2019年のことでした。足かけ11年。間違いなく私の人生最長の物語です。
 そして完結を機にハーメルンへの投稿を開始。最初の頃はほとんど反応もなく、ハーメルンでは場違いだったろうか……と不安もよぎりましたが、「ひとりでもいい、誰かの心に触れることができたら」と投稿を続けました。
 あれから二年半。胸が熱くなるような感想や評価コメントから溢れるほどの励みをいただきながら、ついにハーメルンでも最終話をお届けすることができました。
 終盤に更新が失速してしまい、続きを楽しみにしてくださる方々をお待たせしてしまいましたが、全ては挿絵と同時に最終話をUPするためでした。
 ずっと書きたかった文章に、ずっと描きたかった絵を添えて。これが今の私の創作の全てかなと。ここまで見守ってくださった読者の皆さん、本当にありがとうございました。

【Dear…誕生まで】
 ここからはDear…の誕生秘話に触れます。
 BLEACHを読んでいるうちにウルキオラを好きになり、彼の話を書きたいと思うようになったことがもちろんきっかけではあるのですが、当初はどんなストーリーにするかずいぶんと頭を悩ませました。
 というのも、ウルキオラを相手とするとそれに身近なヒロインも破面とするのが自然で、破面同士ではどうにも幸せな恋愛というのが想像できなくて。
 虚夜宮という閉塞的な空間の中でひっそりと育まれる恋模様……ってなんか暗い予感しかしない! 絶対藍染様の邪魔入りそうだし!! かといってむりやりラブコメ調にするのもあまり現実味がないというか、世界観が崩れてしまいそうで。それに、ウルキオラを書きたい気持ちはもちろん強かったのですが、そもそも私は護廷十三隊の死神の個性的な面々が好きだったので。ウルキオラとその死神たちが仲良しな話を書けたら楽しいのになぁ……と考えていました。

 ウルキオラとヒロインの幸せな恋愛を書きたい。そしてウルキオラを死神メンバーと友好的に絡ませたい。
 「じゃあヒロインは死神で、ウルキオラにも死神になってもらえばいいんじゃない?」というなんとも短絡的な発想に辿り着いたのでした。
 とはいえ「このお話はウルキオラ死神設定です!」なんて前置きひとつで書いたところで、読者の方は「え、なにそれ?」と置いてけぼり状態になるだろうし。自己満足の作品に他ならないとしても、できれば読者の方にも共感して読んでもらいたい。だからウルキオラが死神となることを自然と受け入れられるような前置きが必要だと考えました。
 
 ここまで書けばおわかりだと思います。つまりDear…は、死神となったウルキオラを書きたいがために必死に考えた、長い長い序章だったのです。

 ウルキオラが死神になる前の話。彼が死神になりたいと強く願うようになる話。そこにはやはり死神のヒロインが不可欠で。
 じゃあ破面と死神という敵同士のふたりが、どんなきっかけで立場を超えて惹かれ合っていくのか。そこを膨らませていくうちに更に過去の物語を考えるようになり、紫苑という存在が生まれました。
 そうして紫苑が、ウルキオラが、沙羅が、どんどん息づいていきました。
 ただの前置きとしてではなく、ふたりが歩んだ物語を最初から丁寧に書いていきたい。そんな思いを抱くようになりました。
 そうしてDear…は始まりました。

【原作からの変更点】
 ウルキオラが死神になる、というゴールは最初から決まっていたものの、執筆当初は原作もまだ破面編の途中で明らかになっていないことも多くあって。
 ギンは本当に藍染側の人間なのかとか、他にも死神側に裏切り者がいるんじゃないか、とか。なるべくなら原作と矛盾した展開にはならないようにしたいと思っていたので、ギンを書くときには黒でも白でもなくグレーっぽく書くなど気を遣いつつ、「でもどうか白であってほしい! きっとなにか理由があるはず!」と思っていたので、ギンが藍染を裏切ったときには歓喜でした!
 その後すぐに散ってしまったことは今だに哀しいけれど……もう少しギンがしてきたことの意味があってほしかったなぁ……。その歯がゆさもあって、Dear…においてはギンは藍染を倒して崩玉を破壊するための重要な役回りを担ってもらいました。
 彼の最期についても、藍染とともに消滅はしたけれど、希望を奪ったつもりはなくて。前を向いて生きる乱菊がとびきりの笑顔を見せてくれるようなそんな未来が、いつの日か訪れるんじゃないかなとひっそり考えています。

 その他にも原作の連載中に一部では浮竹が黒幕なんじゃないか、なんて考察もあったりして。それだけはどうか避けてほしい!と思っていました。
 だって浮竹が黒幕だったら沙羅の根底から覆されちゃうよ……真っ黒な上官にいいように操られていたとかカオスすぎる。幸い浮竹隊長は最後まで素敵な隊長だったので安心したけど。

 とまあ試行錯誤しながら書き続けてきましたが、どうしても原作と乖離せざるをえなかったのが最終話での護廷十三隊の各隊長メンバー。
 原作だと終盤では隊長の顔ぶれがかなり様変わりしてしまって……そこに合わせようとするのは無理がありました。というか、できなかった。
 だって私が書きたかったのは賑やかな死神たちの一員としての日々を送るウルキオラと沙羅で。各隊長との絡みも書きたかったもののひとつ。そこに浮竹がいないんじゃ意味がない。山じいや卯ノ花さんや剣八、個性豊かな隊長たちがいないんじゃ張り合いがない。
 なので矛盾を承知で貫きました。仮面の軍勢が空気でごめんなさい!(彼らもキャラとしては大好き) あくまでDear…の世界では、という解釈で受け入れていただければと思います。
 恋次が五番隊の新隊長とか完全に独自設定だしね……。無鉄砲な隊長の補佐として奔走するウルキオラの苦労なんかも書けたら面白そうだなーなんて考えています。

【これから書きたいもの】
 ウルキオラと沙羅はこれまで、日常の中でゆっくりと幸せを噛みしめる――という時間がほとんどありませんでした。人間の頃は結ばれて間もなく死別してしまったし、破面と死神になってからはつかず離れずを繰り返していたので。
 だからふたりにはこれから、日常のささやかな幸せを感じながら過ごしていってほしい。今まで離れていた時間を埋めるように、ずっとずっと。
 ときには傍にいるからこその衝突や、小さなすれ違いもあるでしょう。そんな普通の恋人同士には当たり前にあるであろう日常を、ふたりで歩んでいってほしい。それがDear…を書き始める前から、書き終えた今となっても変わらずに私の中にある願いです。
 だから、Dear…はこれで終わるけれど、ふたりの物語は決して終わりではない。

“貴方は憶えていますか?”
“君を忘れたことなどない”

 遠く離れた親愛なる人への想いを紡ぐ物語が《Dear…》
 そしてここから始まるのは

“ずっと傍にいてくれますか?”
“二度と君を離しはしない”
 
 大切な人とともに歩む日々の物語《Near…》

 私が一番始めに「書きたい」と思った、死神たちののんびりほのぼのスローライフ……とかラブコメとかシリアスとか諸々を好きなように書いていくつもりです。
 ありがたいことに連載が終盤に向かうにつれて「早く結末を知りたいけれど、終わってしまうのは寂しい」といったご意見もいただけたりして。なので、これからの二人をもっと見たいと願ってくださる方がいるなら、こちらこそぜひとも見守ってください!! という気持ちです。
 ただ物語的にはDear…を読破した方向けの話になるので、どのように公開していくかが悩みどころ……あらすじに記載して通常公開するか、お気に入り限定・パスワード公開・チラ裏等にするか。
 また現状創作意欲が絵>文章に傾いている状態なので、中途半端に始めるよりはある程度書き溜めてから公開したほうがよいのか……それならいっそpixivに一本化するか……考え中です。

【崩玉の真実】
 さて、伏線として散りばめたものはすべて回収しているつもりですが、あとでNear…を書くときに活かせるであろう布石は物語中にいくつか残してあります。それらはおいおい明かしていくとして、ひとつだけ先にネタばらしを。
 64話で浦原が沙羅に「崩玉はあのとき、あなたの願いを叶えたんです」と言うシーンがあります。崩玉は浦原の願いを受けて藍染を消滅させた、という沙羅の推測を否定する形で。
 実はこれはどちらもミスリードで、崩玉が叶えたのは浦原の願いでも沙羅の願いでもありません。崩玉は破壊されるその間際、誰より強い願いを抱えながらも自らと一緒に消滅することを選んだ人物――ウルキオラの願いを叶えました。
『叶うことならもう一度 おまえとふたりであの花を見たかったな――』
 59話『Happiness』のラストシーンで、そんな想いとともに消えていったウルキオラ。愛する人と生きる未来がほしい。それが消えゆく彼の何よりの願いだったのかもしれません。
 最終話で春蘭の桜の上にウルキオラがいたのは、物語上の既定路線と言われてしまえばそれまでですが、崩玉に願いが届いたがゆえの必然の結末として受け入れてもらえればと思います。ウルキオラがあそこに辿り着くまでの経緯も後ほど最後の番外編としてUPします。

【イメージソング】
 以前自サイトでDear…のアンケートを取った際に一番驚いたのが、皆さんがたくさんのイメージソングをあげてくださったことでした。
 中でも多かったのが、BLEACHアニメのEDテーマだった「さくらびと」で、次いで同じくEDの「桜日和」や薄桜鬼の「君ノ記憶」をあげていただきました。
 特にさくらびとは歌詞といい曲の雰囲気といい本当にDear…のイメージそのもので。何度リピートしたかわかりません。君ノ記憶は62話『Memories』のテーマソングのようなもので、ここの前後を書くときにずっと聴いていました。そのほかにもほんっとうにたくさんの歌を教えてもらって、どれも一通りは聴いたのですが、「これもいい!」「あれもいい!」状態で、創作意欲を高めるために聴くつもりが一度聴き始めたらなかなか止まらないというループにハマっていました。
 で、私の中でも連載当初からのイメージソングというのがありまして。最後なのでそちらも明かしておきますね。
 Mr.Childrenの「花の匂い」という歌です。歌詞がそのまま沙羅からウルキオラ(紫苑)への想いを表現していて、当初からラストシーンはこの曲のイメージと重ねて考えていました。
 もうひとつ、紫苑のイメージソングとして過去編時代によく聴いていたのが、スキマスイッチの「マリンスノウ」です。沙羅を想いながら虚に堕ちていく紫苑の心境とだぶって、胸が痛くなりながらも彼の苦しみはこんなものじゃなかったはず、と何度も聴いていました。
 
【最後だけど、最後じゃない】
 さて、あとがきという長さではなくなりつつあるのでそろそろ終わりにしなければ。
 ハーメルンでの投稿を始めてから約二年半。感想や評価コメントにどれだけ励まされたかわかりません。一度のみならず、二度三度、そしてそれ以上に感想をくださる方もいました。Twitterで更新のお知らせをすると嬉しい反応をくださる方もいました。その全てに支えられ、ここまで投稿を続けることができました。
 今後どのように更新していけるかはまだ不透明ですが、Dear…はいつでもここで皆さんをお待ちしています。またウルキオラに逢いたい、紫苑に逢いたい、沙羅に逢いたい……そう思ったときにはいつでも逢いにきてください。そして今度は新しい物語で彼らとともに皆さんをお出迎えできたらいいなと思います。

 最後です。同じ言葉でしか伝えられませんが、ここまで見届けてくださり本当にありがとうございました!
 完結を迎えての感想・ご意見・評価などございましたらお気軽にお寄せください。


 ここまで本当にありがとう。

 親愛なるあなたへ。

 2022.3.25 水音
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