Dear…【完結】   作:水音.

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第9話 Don’t Die Away ―君、死すること勿れ―

「──沙羅!?」

 

 穿界門(せんかいもん)をくぐり抜け瀞霊廷(せいれいてい)に戻った沙羅に真っ先に気づいたのはルキアだった。

 恐らくは沙羅を案じて待っていたのであろう彼女は、その姿を見るなり血相を変えて駆けよってきた。

 

「ずぶ濡れではないか! だから早く帰ってこいと言ったのに──!」

 

 少しでも雨を払おうと手持ちのハンカチを持って手を伸ばしたルキアは、そこで動きを止める。

 

「沙羅……?」

 

 頬を濡らしているのは雨ではなかった。

 真っ赤に泣き腫らした瞼の下で、濃紫の瞳はいまだ新しい雫をあふれさせていた。

 

「ごめん……ルキア。ごめん……」

 

 そう言いながらもたれかかってくる沙羅を両手で受けとめる。その身はカタカタと小刻みに震えていた。

 

 こんなに弱りきった沙羅を見たことはない。その様子はただ隊士たちの死を悼んで泣いているだけではないような気がした。

 それでも「なにがあった」と問えば彼女はまた「なんでもない」と笑うのだろうか。

 そんな仮初めの笑顔を浮かべさせるのは嫌でただ背中をさすった。すると次第に震えは大きくなり、沙羅は声をもらして泣いた。

 

「ごめん……ごめんね……」

 

 うわ言のように繰り返す沙羅をなだめて、濡れた顔を拭いてやる。だがハンカチ一枚ではそれにも限界があった。

 

「沙羅……このままでは風邪をひく。隊舎へ戻ろう。この時間なら皆はもういないはずだ」

 

 日はとうに暮れ辺りは薄闇に包まれていた。任に就いていた隊士たちももう隊舎を出て帰宅している頃合いだろう。

 涙のおさまらない沙羅に言い聞かせるようにそう告げて、ルキアは冷えきった手を握りしめながら隊舎へと急いだ。

 

 

 *

 

「……大丈夫か?」

 

 大方の予想通り隊舎には誰の姿もなく、替えの死覇装に着替えた沙羅は心配顔で覗きこむルキアにこくんと頷いた。

 

「平気。……ごめんね、驚かせちゃって」

 

 少し落ち着きを取り戻したのか、力ないながらも沙羅は笑ってみせる。赤く泣き腫らした瞳はそのままに。

 

「……待ってろ、今なにか温かい飲み物を持ってくる」

「うん……ありがとう」

 

 胸が詰まりそうになる想いを必死に抑えてルキアは腰をあげた。逃げるように給湯室に入り、押しとどめていた息をゆっくりと吐きだす。

 

 つい先程まで泣き暮れていた者が、どうしてああも穏やかに笑えるのか。その答えをルキアは知っていた。

 沙羅は事の詳細を自分に話す気はないのだ。だから心配をかけまいと平気な振りをする。

 ふう、ともう一度大きく息をついてルキアはやかんを火にかけた。

 

 昔からそうだ。沙羅は決して人に弱みを見せない。

 それは心を開かないだとか距離を置いているだとかそういう意味では全くなく、なによりも相手のことを優先してしまうため。

 

 人の心の機微に敏感な沙羅は仲間の悩みや苦しみにいち早く気づく。そんな仲間を慰めたり、励ましたりしているうちに、自分自身の悩みについてはなおざりになってしまう。そして周りにいる仲間たちもまた、いつも明るく笑いかけてくれる彼女がまさかそんな苦しみを抱えているだなんて疑いもしない。

 自ら望んでそうなるように仕向ける──そういう娘なのだ、沙羅は。

 

 

「……沙羅、コーヒー淹れ──」

 

 ウサギのチャッピー柄のマグカップを手に戻ってきたルキアは、ソファーの上で丸くなっている姿に声をひそめた。

 気配を殺して近づけば沙羅はすうすうと寝息を立てて眠っている。

 ほっと表情を和らげて、起こさないように毛布をかけてやりながらルキアは呟いた。

 

「たまには甘えてもいいんだぞ、沙羅……」

 

 

 *

 

 その夢を見たのは久しぶりだった。

 

 

『沙羅……』

 

 ああ、また。この声。

 以前と変わらぬ哀しみに満ちた呼び声に胸が痛くなる。

 

 もうやめて。

 

 聞きたくない。

 

 必死に耳を抑えようともがくも、指一本動かせない身ではそれすら適わない。

 だがいつもならただ名前を繰り返すばかりの呼び声がその日は少し違った。

 

 

『死ぬな……沙羅……』

 

 ……え……? 

 

『また俺を……ひとりにするのか? 俺を置いて逝くのか……?』

 

 死ぬ? 

 置いて逝く? 

 なにを言ってるの……? 

 

『おまえと逢えて、やっと……やっと護るものができたのに……』

 

 悲痛な声に、心臓を抉りとられたような感覚に襲われる。

 

 イタイ

 イタイ

 

 胸ガイタイ

 息ガ苦シイ──! 

 

『沙羅────っ!!』

 

 その叫びで目が覚めた。

 

 

「はっ……はぁっ……」

 

 白い天井が視界に映り、冷や汗が額を伝い首筋まで流れ落ちる。

 緊張から解かれた心臓はバクバクと脈打っていた。

 

「夢……」

 

 そっと胸に手をあてる。

 大丈夫……もう苦しくない。

 

 安堵の息をもらし、沙羅は夢の中で自分を呼んでいた人に想いを馳せた。

 

 声しか聞こえない。

 顔すらわからない。

 けれどとても。

 とても大切な人だった──

 

 夢の中とは別の痛みが胸を襲い顔をしかめながら、沙羅はふと目覚めた直後から渦巻いていた違和感の正体に気づいた。

 

「……どこ? ここ」

 

 見覚えのない白い天井。首を巡らすと、これまた見覚えのない殺風景な部屋。

 たった今まで横になっていた寝台から怖々と体を起こしながら、沙羅は扉一枚隔てた先からひとつの気配が近づくのを感じた。

ガラリと扉が開かれ、身構える沙羅の前に現れたのは。

 

「お、目が覚めたのか。気分はどうだ?」

「隊長!?」

 

 他でもない上官の姿に沙羅は目を丸くする。

 

「どうしたんですか? あまり出歩くと体に(さわ)りますよ」

「おいおい。今の自分の状態をわかってて言ってるのか?」

 

 浮竹が苦笑混じりにもらした台詞に、沙羅はようやく今の自分の出で立ちに意識を向けた。

 首周りが広めに取られた白い布地の上下。これは負傷して総合救護詰所に運ばれた隊士が身につける、いわゆる患者服だ。更に見覚えのない部屋の隅には点滴台が置かれ、独特の薬品の香りがした。

 つまり、ここは言うまでもなく。

 

「救護詰所? なんで私こんなところに?」

「こらこら暴れるな。まだ病みあがりなんだから」

「……え?」

 

 ぽかんと浮竹を見上げると彼はますます苦笑いを濃くした。

 

「憶えていないのか? おまえ昨日隊舎で熱出して倒れたんだよ」

「ええっ! 私がですか?」

「ああ。朽木が血相変えて飛びこんできたときは驚いたよ。疲れて眠ったのかと思ったら急に苦しそうに呻きだして、何度揺すっても目を覚まさないと。それですぐに隊舎に行ったんだが、おまえすごい熱が出てて昏睡状態でな。慌ててここに連れてきたってわけだ」

 

 浮竹の話を沙羅は呆気に取られて聞いていた。

 まさか自分がそんなことになっていようとは思いもしなかった。体調が悪いことすらなんの自覚もなかったのに。

 

「心配するな、卯ノ花隊長に聞いたらただの過労だって話だ。数日休めば問題ないそうだ。……もう少し自分の体を労わってやれ」

 

 そう浮竹のいつもの優しい笑顔で言われて、沙羅はほっと息をついた。

 突然意識を失うぐらいだからよほどの重病だったのかと懸念したが、どうやらその心配はないようだ。実際手足を動かしてみても、倒れたなんて嘘のように全身すこぶる快調だった。

 

「すみませんでした……ご心配をおかけして」

 

 いまいち実感が湧かないながらも頭をさげると、浮竹は目尻をゆるめる。

 

「いいさ。それよりも早く朽木に知らせてやらないとな」

「ルキアはどこに?」

「一旦家に帰らせた。あいつときたら昨晩からずっとおまえに付きっきりで、ろくに睡眠も取っていないようだったからな」

「そうだったんですか……」

 

 ルキアは昨夜の自分の涙を知っている。きっと並々ならぬ気苦労をかけたに違いない。

 きゅっと布団を握り締めて俯く沙羅の頭上で、浮竹は「それに……」と続けた。

 

「謝らなければならないのは俺のほうだ」

「……え?」

「ここ最近おまえには負担をかけすぎた。倒れるほど無理をしていたのに、それに気づいてやれなかった……これは俺の責任だ」

 

 悔しそうに顔を歪める浮竹に沙羅は慌てて首を振る。

 

「隊長のせいなんかじゃありません! 私の自己管理が行き届かなかっただけです」

 

 浮竹が責められるべき点などひとつとしてない。

 全て自分の弱さが招いた結果だ。

 そう、全て。

 

「隊長……私は自分が許せないんです。隊はおろか、我が身ひとつ満足に管理できず……こうして周りに迷惑をかけてばかりで」

 

 この二週間、ずっと考え続けていた。

 隊士を護れなかった自分が、果たして副隊長の座に居座っていいのだろうか。副隊長を務める資格などないのではないか、と。

 

 考えて、悩み続けて、それでも明確な結論を出せなかったその問いの答えが、皮肉にも自らが倒れるという醜態によって眼前に突きつけられる。

 

「私……副隊長を降ります」

 

 今の脆い自分では、隊を護れるだけの力をつける前に隊を滅ぼしかねない。いくつもの葛藤の末に導きだした苦渋の決断だった。

 

 

「悪いがそれは認められない」

 

 即座に響いた浮竹の返答に沙羅は耳を疑った。

 

「……なぜですか」

「先の一件で隊士たちは動揺している。破面への復讐に燃える者、恐怖に駆られる者──今の十三番隊はバラバラだ。ここでおまえを失えば、隊の統率は更に大きく乱れることになるだろう。責任者として看過できない」

「でも!」

「隊士たちにこれ以上の不安を与えるわけにはいかない」

 

 浮竹が厳しい眼差しで放った台詞に言葉を失った。

 その通りだ。就任したばかりの副隊長の辞職は隊士たちに大きな動揺を与えるだろう。一体この隊はどうなってしまうのか、と。

 

 情けなさに下唇を噛む。

 自分では責任を取ったつもりでも、結局はそれもただの甘えでしかない。

 

 自分はなんと弱いのか。

 だけどその背に背負うものはあまりに大きい。

 逃げることも許されない。

 

「……すみません、隊長。今言ったことは忘れてください」

 

 どれだけの葛藤をやりすごしたのか、顔をあげた沙羅はカラリとした笑顔を浮かべた。

 

「久しぶりに熱なんて出たから弱気になってたみたいです。副隊長がこんな調子じゃ示しがつきませんよね。しっかりしないと!」

 

 ぱん、と両手で頬を張って笑ってみせる沙羅に合わせて、浮竹も表情を和らげる。

 

「さて、休んだ分早く取り返さなくちゃ。今日はバリバリ働きますよ!」

「こら、調子に乗るな。一応まだ病人なんだからな」

「大丈夫です。もうピンピンしてますから」

 

 ぐるぐると肩を回してみせると浮竹は呆れ顔で嘆息した。

 

「さっき言ったことをもう忘れたのか? もう少し自分の体を労れ。とにかく、おまえは今週いっぱいは休暇だ。隊舎に出てきたらただじゃおかないぞ」

 

 脅し文句のように告げられ沙羅は渋々頷いた。

 本当に不調を訴える部分はどこにもないのだが、これ以上文句をつけると倍になって小言が返ってきそうだ。それもまた浮竹が自分の身を案じるからこそ、なのだが。

 

「じゃあまた来るからな。くれぐれも安静にするんだぞ」

 

 やたらと低い声音で告げられた最後の台詞にはーいと苦笑しながら、沙羅は浮竹の背中を見送った。

 

 

 *

 

 救護詰所を出た浮竹は、沙羅の病棟を見上げるとひっそりと溜め息をもらした。

 

 浮竹とて沙羅の気持ちは痛いほどにわかっていた。

 あの心優しい娘が仲間の死に心を痛めないわけがない。ましてやその惨劇は彼女が指揮を執る任務の最中に起こってしまったのだ。その抑えようのない怒りと哀しみは彼女自身に向けられるであろうことは容易に想像がついた。

 

 そう、気づいていた。

 隊士たちを励まし、笑いかけながらも、その笑顔の中に暗い影があることに。

 実際、倒れた沙羅の容体を四番隊隊長である卯ノ花烈に診てもらったとき、彼女は「過労」という診断の他にもうひとつの可能性を告げたのだ。

「精神的衰弱」と。

 

 自責の念に駆られながらも隊士を支えなければならない副隊長という肩書は、彼女にどれ程の負担を強いていたのか。

 だが自分はそれを知りながら見て見ぬ振りをした。

 今沙羅が副隊長を辞するようなことがあれば、それこそ隊は大きな支えを失って揺らぐだろう。消沈する隊士たちに活力を与え、再び元の団結力を取り戻すためにはどうあっても沙羅の存在が必要なのだ。それも、副隊長という隊を先導する立場として。

 

『隊士たちにこれ以上の不安を与えるわけにはいかない』

 彼女の思いやりを逆手に取った卑怯な言い方だった。こう言えば沙羅は断れないだろうと。

 その思惑は見事に功を奏し、沙羅は笑って辞意を撤回した。

 そうなるように──仕向けた。

 

「最低な上官だな、俺は……」

 

 うわ言のように呟いて、浮竹は自嘲の笑みをこぼした。

 

 

 *

 

 一方、浮竹が去った病室にひとり残された沙羅はぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。

 

 昨日とは打って変わって快晴が広がる空。

 昨夜からの記憶が途切れていることも手伝って、今の沙羅には昨日の出来事がまるで夢のように思えた。

 

 でも。

 夢じゃない。

 

 ウルキオラが十刃だったことも。

 隊士たちを殺した仇であることも。

 自分に別れを告げて去っていったことも。

 

 なにもかも、夢じゃない。

 

 思い返すと涙があふれそうでぶんぶんと首を振った。

 だめだ、今は考えたくない。

 無理に逸らした思考の中で「夢」という単語だけが残る。

 

「そうだ……あの夢」

 

 浮竹の登場に驚きすっかり忘れていた。

 夢の中、自分の名を呼ぶあの声の主は「死ぬな」と言っていた。

 哀しそうに……「置いて逝くな」と。

 

 途端胸に走った激痛。 あのとき、自分は本当に死んでしまうのだと思った。

 あのあと夢の中の私は一体どうなってしまったんだろう。

 あのまま死んでしまったのかな。

『彼』を残して。

 

 そう思うとどうしようもなくいたたまれなくなった。

『彼』はあんなにも私を必要としてくれていたのに。

 結局置き去りにしてしまったんだ。

 

 そのとき、ほんの一瞬だけ『彼』の姿が脳裏をかすめた。

 

 ……知っている。

 私はあなたを知っている。

 

 だが、記憶を手繰る沙羅に再び睡魔が忍び寄る。

 それに抗う間もなく沙羅は眠りに落ちた。

 今度こそ夢のない、静かな眠りの中へ。

 

 

 ***

 




《Don’t Die Away…君、死すること勿れ(君、辞すること勿れ)》

「死ぬな」「辞めるな」沙羅を追いつめていくふたつの言葉。
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