初代勇者な賢者と嫁な女神、ハッピーエンドの後に新米勇者の仲間になる   作:ケツアゴ

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閑話 堕ちた英雄とハシビロコウの苦悩

 落ちて行く落ちて行く、奈落の底に落ちて行く。突如開いた大穴に飲み込まれたウェイロンは成す術無く重力に身を任せるのみであった。

 

「……無駄な事が好きですねぇ。自分自身が被害を受けた訳でもないのに私に何度も突っかかって来ていましたし」

 

 落下中、伸びて来た岩壁は彼を縛る拘束具となって腕の動きを封じ、曲がりくねった穴とデコボコした岩壁によって何度も何度も体を打ち付けられた彼の肉体の損傷は激しい。元より戦士の為のそれでない服、今の肉体の本来の持ち主だった少女の服も所々が破けて哀れな様子になる中、本人は至って平然と呑気に呟くばかり。

 

「いやいや、そう言わないでやってくれ。私達は先代魔王の得た記憶を受け継いで誕生する。明確さは個人差があるがね。まあ、彼女は気にするタイプなのさ」

 

 そんな彼の耳に届いたのは少女の声であり、目に入った光景は壁に出現した少女の口。映し出された映像が移動する様に彼の動きを追って壁を移動する。そんな口から投げ掛けられた言葉にウェイロンも質問を投げ掛けた。

 

「彼女は、ですか。貴女は気にしていないので?」

 

「え? 何で私が気にすると思ったのかか分からない」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

 最初から分かっていた、そんな風に言いたそうな口調で呟いたウェイロンの肉体が腐って行く。未だ死んでからさほど時間が経過していないにも関わらず、長時間暑い場所に放置した肉の様にジュクジュクに腐り落ちて肉片をまき散らし、服もボロボロと崩れて行った。最後は骨だけとなった所で壁に激突して砕け散り、小さな羽虫が散らばる骨片に混じって飛び出し、そのまま絶命する。虫も同様に一瞬で腐ってこの世から消え去った。

 

 

「いやー、死ぬのって何度経験しても慣れませんねぇ」

 

 遠く離れた地、グリエーンとは全く違う別世界の城の一室で椅子にもたれかかって目を閉じていたウェイロンは急に目を開き、相変わらずのヘラヘラとした心の内を見せない軽薄な笑みを浮かべながら立ち上がる。窓から外を見れば潮の香りと共に慌ただしい音や人ならざる存在の怒号が響いて来た。

 

「……」

 

 糸の様に細い目で見詰める先には重い石材を積んだ荷車を必死に引いて荒れた地面を進む老若男女の姿。ぼろ切れ同然の服を着て窶れた人達を見張り、倒れた者に怒りを向けるのはモンスターだ。そんな光景を無言で見詰めていたウェイロンは窓から離れると煙管を咥えて火を付け、そのまま紫煙を吐き出す。

 

「私も堕ちましたねぇ。いえ、元よりこれが私の一族の有るべき姿なのでしょうが。日陰者が日の光に憧れて滑稽な道化の姿を晒していた、それだけなのでしょう。だから彼女も……」

 

 其処で言葉を切ったウェイロンは静かに煙管を置くと数度頭を振り、再び椅子に凭れる。そんな彼の姿を壁際で黙って見ていた少女は物怖じした様子で近付いて行った。

 

「あ、あの、ウェイロン君。ご飯の時間だけれど食べる? 私、持って来るよ?」

 

 緑の髪を短く切り揃えメイド服を着た小柄な少女……小柄な体型に合わせた服の下で胸は窮屈そうにしている。は少し期待した様子で上目遣いにウェイロンを見る。その言葉に彼は肩を竦め両手を左右に広げて口を開いた。

 

「この身は既に頬を撫でる風の感触も、口に広がる芳醇なワインの味も感じませんが……」

 

「え? ご、ごめん! 私、知らなくって……」

 

 ウェイロンの返答に慌て出す少女だが、その肩に優しく置かれた手に気付くなり顔が赤くなるが、それは緊張の為では無いのだろう。彼女が見上げたウェイロンの顔は優しい笑みを浮かべていた。

 

「ですが、習慣は大切にしたい。ご一緒にどうですかぁ?」

 

「う、うん! 直ぐに持って来るね!」

 

 ウキウキしているのが傍目にも丸分かりな軽い足取りで出て行こうとし、途中で扉に頭をぶつけて涙目になりながら出て行った少女の姿をジッと見ていたウェイロンは静かに、そして昔を懐かしむ様に呟く。

 

「声も顔も瓜二つ。胸は……さて置き、中身はだいぶ違いますねぇ」

 

 軽く溜め息を吐いた彼は本棚から一冊取り出して開く。それは三代目勇者シドーの冒険を描いた物語。但しシドーの名前だけは念入りに塗り潰され、挿し絵も彼の所は黒く塗られてしまっていた。

 

 

「よ! お前、まーだ彼奴の使用人みたいな事をやってんだな」

 

美風(みかぜ)ちゃん……」

 

 呼び止められた事で二人分の食事を乗せたカートを押す少女の足が止まる。窓枠に座って少し不満そうにしながらも、目の前の少女には親しみを向けている黄色い癖毛の少女、美風は窓枠から飛び降りるとカートの上の料理に手を伸ばし、その手を軽く叩かれて止める。

 

「ケチケチするなって、飛鳥(あすか)ぁ。ちょっと摘まみ食いしても良いだろ? どうせあの野郎は食事なんか要らないんだからよ」

 

「今から一緒に食べるの! もう、美風ちゃんったら……」

 

「あんなのの何処が良いんだか。クレタ様だって凄く嫌ってるし……あーはいはい、友達でも恋愛には口出しするなってか。……あまり期待するなよ。お前が辛いだけなんだからよ」

 

 少し怒った様子の少女、飛鳥の顔を見てこれ以上は無駄だと思ったのか引き下がった飛鳥は窓枠に足を掛け、飛び出す前に再び顔を向けて忠告するなり飛び降りる。突如吹き荒れた突風に乗った美風はそのまま空の彼方へと消えて行き、その姿を見送っていた飛鳥は拳を握り締めながら呟いた。

 

「……大丈夫だもん。魔族の世界が来たら私を報酬に貰うって約束してたんだから……」

 

 それは偶然聞こえた会話だった。直属の上司であり慕っている相手であるクレタとウェイロンが何を話しているか聞き耳を立てた彼女の耳に届いたのだ。ウェイロンが自分を欲していると。立ち聞きを叱られるのが嫌なので友人二人にも秘密だが、彼女にとって本当に嬉しい事だった。

 

「えへへ。ウェディングドレスと白無垢のどっちが良いかなぁ」

 

 彼女は幸せな未来を思い浮かべ、恋心を向ける男の元へと急ぐ。その真意など知る由も無く……。

 

 

 

「おやおや、これは随分と大規模な。……今までの相手は異形となる代償を支払って力を得たが、今回も例に漏れずか?」

 

 戦場に突如開いた大穴、それを宙に浮かぶ透明の足場から見下ろしながら鳥トンは呟く。今までゲルダと戦った相手は精神を犯し尊厳を剥奪されたと耳にしている彼は誇り高い戦士であるクレタがどうなっているか想像するだけで笑いが込み上げる。

 

「生ビールを大ジョッキで欲しい所だな」

 

「職務中でしょう、我慢なさい。……私も今すぐ帰りたいのですけどね」

 

「ケチくさいな、小皺が増えるぞ」

 

「毒入りならば直ぐにご用意しますよ? ……それは兎も角、私達の仕事は平和的方法での戦争の停止の筈。丁度良い機会ですし、前から気になっていたのでお二人がアンノウンに従う理由をお聞かせ下さい」

 

 グレー兎の問い掛けに黒子と鳥トンは顔を見合わせる。口を開いたのは鳥トンの方。黒子は頑なに喋らないという理由も有るが、元より彼はお喋りが好きらしい。

 

「……そうだな、先に黒子が従う理由について話そう。……ある日照り続きの年の事、必死に雨を降らせて欲しいと願う村人達の願いを叶え、キャンディーを降り注がせた。水の方の雨だと訂正すれば水飴を降らせた。これが彼がアンノウンに付き従う理由だ」

 

「顔を凄い勢いで振っていますが?」

 

「冗談だ。私も彼がアンノウンに従う理由は知らん。一度も話さないからな、彼は。その理由は聞いた事が有るが……私は幼少の頃から苦悩していたのだ」

 

「おや、急に話が変わりましたね。……では、続きをどうぞ」

 

 帰りたいが帰れないのか暇らしいグレー兎は鳥トンの昔語りに耳を傾ける。それは少し奇妙な出会いの物語であった。

 

 

 

 

 

「主よ、どうかこの者の魂を導きたまえ」

 

 とある世界のとある国、更にとある田舎町の一角に存在する小さな教会で葬儀が行われていた。弔われているのは若い男、結婚間近で愛し愛された女を残して逝った彼の死因は事故死……少なくても公への説明はそうなっている。自殺が禁忌とされている宗教の信者であった彼やその家族が偽装した可能性もあり、年若い神父には公への発表の内容以上については何も伝えていない。

 

「……」

 

 静かに祈りを捧げる神父の耳に息子を失って悲しむ母親の泣き声が聞こえて来る。彼女は生まれたばかりの娘を失っており、その子が育っていれば男の婚約者と同じ年齢だっただろう。彼女と息子は死んだ赤子の誕生日にはプレゼントを共に用意する程に仲が良い家族であった。

 

 故に悲しむその姿は痛ましく、何度似た光景を目にしても慣れる事は無い。彼は葬儀を執り行う時に感じる物を堪えるのが辛く、葬儀の仕事が嫌いだった。それでも周囲の者が望み、彼が敬虔な信者だったが故に神父を辞める事は選ばない。少しずつ破綻の足音が近付いていた。

 

(本当に事故なのだろうか? しかし、自殺する理由は思い付かん。あれは流石に動機にはならんだろうしな)

 

 神父にとって男は見知らぬ仲ではない。狭い田舎町なだけでなく、幼い頃はよく遊んだ仲なのだ。薄々様子のおかしさから疑念を持っていたが遺族相手に聞く事はせず、決して口外せぬ懺悔室で男から聞かされた話を思い出していた。

 

 

 

「神父様、私は大きな過ちを犯しました。婚姻を結ぶ前に恋人と肉体関係を持ってしまったのです。はしたない行動であり、家族はそれを知れば恥じるでしょう。特に交際を強く反対している彼女の母などは……」

 

「教典にはこの様な教えがある」

 

 貞操について厳しい戒律がある宗教の教えに背いたと懺悔する旧友に対し、神父は神の教えの引用で励ます。これを契機に男は恋人にプロポーズをして結婚式の日取りも決まっていた。だが、男は死んで悲しみが残される。葬儀も終わり、友人を一人失った男は自室で一人震えていた。

 

 

「……クッ、ククククク、クハハハハハ!!」

 

 悲しみに暮れる人々の顔、絶望に支配された空気、それが何よりも愉快だと彼は感じていたのだ。葬儀の最中は笑いを堪えるのに必死で非常に辛かった。響き渡る心の底からの笑い、満たされる程の幸福感。続いて心を支配するのは途轍もない自己嫌悪。

 

「私は、私はどうして此処まで邪悪なのだ……」

 

 神父が己の本性、他者の不幸や絶望に歓喜する事に気が付いたのは幼い頃。母の葬儀で悲しむ父の姿が面白くて堪らなかったのだ。それは成長に連れて倫理観や信仰心を身に付ける事で苦悩を呼び寄せた。彼は人並みの善良さ……いや、強い信仰心によって人以上に善行を尊ぶ彼にとって自分を悍ましく感じさせる物であり、自殺が禁忌でなければ十歳になるより前に彼は自らを罰していただろう。

 

 この日も彼は苦悩し、神に自分の悪性を消して欲しいと願う。神の声が聞こえる事は無く、願いも叶わない。数日後、懺悔室に現れたのは死んだ男の婚約者の母親だった」

 

 

「私が、私が彼を殺してしまったのです! 彼の死んだ妹は本当は私の子供だと教えなければ……」

 

 彼女の話を要約するとこうだ。医者の話を聞いて生まれた娘が長くない事を聞いた彼女は同じ頃に生まれた別の子供とすり替えてしまった。偶然が重なった上にマトモな精神状態でなかった事から起きてしまった事件は彼女の胸の内に秘められ、永久に語られない筈だった。娘が血の繋がった実の兄を恋人として紹介するまでは。

 

 その後に何が起こったか、それは語るまでも無いだろう。この次の日、彼女が事故死したと聞かされたが神父は真実を悟っていた。悲しみによって引き起こされた更なる悲劇。遺された者達は愛する家族が命を絶った理由など分からない。神父にとってそれが心の底から愉快であり、更なる自己嫌悪に悩まされる理由だ。葬儀を終えて神に祈りを捧げても苦悩は晴れない。

 

「……腹が減ったな。もう夜か」

 

 神に救済を求めて祈り始めたのが日の出前であり、既に日が沈んでいて周囲は夜闇に包まれている。途端に空腹感に襲われた時、耳に入ったのはチャルメラの音色だった。この辺りでは夜に鳴らす者など普段は居らず、興味を引かれて見てみれば屋台だ。それも暖簾を見れば彼の好物である担々麺。食べに向かわない理由は無い。直ぐに屋台を呼び止め注文しながらもぶり返した自己嫌悪に悩まされていた時、目の前に担々麺が差し出される。

 

「はい、お待ち!」

 

「いただきます……これは!」

 

 割り箸を割り、麺を啜る。彼の肉体を衝撃が突き抜けた。モチモチした食感の太い縮れ麺に絡むのは濃厚な魚介系スープ。練りゴマは香ばしく、多めに使われた唐辛子などの香辛料は汗が吹き出る程に辛味を口の中に叩き込むが、水を飲みたく無い程の旨味も広がって行く。ミンチ肉もどうやら牛や豚ではない味わいだ。

 

「店主、このミンチの材料は?」

 

「鮪さ。マグロ節の出汁のスープにマグロのミンチ、これがうちの屋台の拘りだからね。……替え玉とご飯、どっちが良い?」

 

 気が付けば麺を全て食べきり、スープも三割ほど飲んでしまっている。この様な時間に食べ過ぎるのは体に悪いと彼は知っている。だが、舌と胃袋が訴えて来ているのだ。スープに炭水化物をぶち込んで流し込めと。

 

「お代わりと白米を頂こう」

 

 結局、担々麺と白米を二杯ずつ食べ切った。少し後悔もあるがそれ以上の満腹感と幸福感が体を満たし、同時に頭が冴えて来た。彼の苦悩をどうすれば解決出来るのか判明したのだ。正に天啓、彼の長年の悩みは担々麺によって消え去った。

 

 

「店主、助かった……パンダ?」

 

「イエス! アイアム喋るパンダ!」

 

 屋台に入った時は苦悩で、食べている時は担々麺に夢中で気が付かなかったが、屋台の店主はパンダのキグルミだった。胸に『喋るパンダ』と書いた名札を付けている。

 

「……そうか、喋るパンダなら仕方が無いな。そんな事よりも聞いてくれ。人の不幸を楽しむ事に苦悩するならば、不幸にして良い相手を選んで心を満たせば問題が無かったのだ。この担々麺を食べた事で閃いた」

 

「ふふふ、頭が良くなる成分が沢山含まれているからね。……それよりも僕に協力しない? キグルミを着て僕に従うなら不幸にしても問題ゼロの悪党退治の場を用意しよう」

 

「了承だ、マイロード」

 

 二人は固い握手を結び、神父は住み慣れた教会から姿を消した。この日より名を捨て、ハシビロコウのキグルミを身に纏った男、鳥トンとして思う存分愉快な光景を見る事になったのであった。

 

 

 

 

 

「今でもあの担々麺、『一度食べただけではそんなに効果出ない魚介担々』の味は忘れられない。主は気紛れだから滅多に作ってくれぬのが今の苦悩の理由だな」

 

「いや、担々麺で頭が冴えたのではなかったのですか?」

 

 グレー兎が静かに呟く中、遙か彼方より赤と青の二つの光が穴に向かって飛来した。

 


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