「本当に治るもんだな」
通学していると、士郎が不思議そうに呟いた。深夜に〈キャスター〉によって連行され、柳洞寺で紆余曲折あって大怪我を負った士郎。背中側の右肩から肝臓付近まで大きく切り裂かれたのだが、僅か数時間で完治していることに驚いていた。
士郎自身が魔術に長けていないように、治癒魔術が使えないため何故治っているのか不思議そうだった。その理由として
別段隠しておかなければならないことでもなければ、教えなければならないということでもない。教えたら何故知っているのかと問われるだろう。切嗣が埋め込んだと言えばいいのだろうが、何故切嗣が俺ではなく自分に埋め込んだのかと聞いてくるはずだ。
その理由は俺にもわからない。命の尊さは変わらなかったと思う。あの時、俺と士郎は同じように怪我をして同じ場所で救われた。病院に入院している部屋も同じで、引き取られるときも同じだった。
『こんにちわ。君が士郎くんで君がフェルリ・ヘルメス・アンソニアムくんだね?』
隣合った病室のベッドで士郎と話していると、面会の予定もないのにある男が俺たちに話しかけきた。剃る時間がなかったのか。敢えてそのまま伸ばしたままにしているのか。みすぼらしい髭を生やした男は、やつれながらも穏やかな表情で話しかけてきた。
『おじさんは衛宮切嗣。色々と話はあるんだけど、率直に言うね?おじさんは魔法使いなんだ。施設に預けられるのと、まったく知らないおじさんに引き取られるのとどっちがいいかな?』
問いかけられて俺は士郎と視線を交わした。あの災害が起こってまだ数日。生き残った俺たちを利用して、身代金の要求をする余裕もないだろう。そんな意味合いで士郎に頷く。実際、俺はあの災害が起こる前に出会っていたから、そんな卑怯な真似をする人間でないと知っていた。
『もちろん、今すぐにというわけじゃないよ。ゆっくりと考えていいからね。じゃあおじさんはこれで...『待って』?』
俺は踵を返し始めた切嗣を引き止めた。同じ病室にいる子供たちの視線を感じながらも、足を止めて振り返った切嗣の眼を見て言った。
『おじさんと暮らしたい』
そう口にした時の切嗣の表情を俺は忘れない。自分を信じてくれる人の存在を、
それからの切嗣の行動は早く、数日後には孤児になりかけていた俺と士郎を養子縁組として迎え入れた。退院して切嗣に連れられ衛宮邸に入った。これから自分の家となる衛宮邸は、第三者目線からでしか見てこなかった俺にとって新鮮さに溢れていた。生活し慣れたロンドンの実家とは違って、この家は落ち着きがあって心から安心できた。派手さや装飾もない家だけれど、俺にとってそれがむしろ心地よかった。しきたりに従う必要もなく、口うるさい父親の機嫌を伺う必要もない。
それだけで心が解き放たれたような気がした。
「〈セイバー〉との契約に何かしらあったんだろうさ」
3人での暮らしの回想から意識を現実世界に戻す。士郎の言葉にそれらしく意味のあるように答えておく。
「泉世にもわからないのか?」
「許可もなく契約を知ろうとは思わないよ。それに形もないやつを見抜けるかってんだ」
「魔術が得意な泉世ならわかるだろ」
「生憎、そこまでは見えないのさ。俺に見えるのはあくまで〈世界の改変・影響を与える事象〉だけだ。つながりを感じることができても干渉はできない」
感じることと見えることの違いはかなりある。簡単に言えば、ニュアンスで伝えられても理解できないように、実体験したらわかるみたいな感じだ。ちょっとした違いだが、魔術では結構意味合いが大きい。わかる・わからないでは発動したときの効果が明らかに違う。
「難儀だな才能も」
「まったくもってその通り」
魔術の素養がある者とない者ではあるが、互いに意気投合して会話をできるのは、あの災害を乗り越えたからだろう。養父の育て方が2人に合っていたのも、理由の一つに重なるかもしれない。
「なあ、泉世。慎二のことは遠坂に話さなくていいのか?」
「言わない方が身のためだと思う。あんなんでも桜の兄だからな。余計に刺激を与えるのも考えものだ」
「協力関係にあるんだったら情報提供するべきだろ」
「遠坂がそれを知ったら何をするのかわからないだろ?」
2回目のやり取りではあるが普通に返しておく。なんだかんだ言って、慎二はあれでもそれなりに中身のある人間だ。性格は大嫌いだが、大切なものはきちんと守る存在なのは確かだ。実際、自身の安全を誰よりも優先したがるし。まあ、人間なら誰しも危機に陥ったらそうなるだろう。慎二は人一倍それが強い。それ故に自身を守るため、他人を犠牲にする節がある。そこを抜けば、まだ絡んでいても苦しくないのだけども。
なんだかんだ話しながら歩いていると、いつの間にか学校に着いていた。自宅からは20分ほどの場所にあるから、1人で歩いてるとそれなりに時間がかかる。だがこうして士郎と話しながら向かうと、不思議と数分しかかかっていないように感じる。
「「っ!」」
校門から敷地内に踏み込むと、生暖かい空気が俺たちを襲った。2日前に感じたものと同じだが、重みと圧力が倍以上になっている。一般生徒は何も変わらず往来しているが。
「...こりゃまた濃厚なことで」
「なんだよこれ...」
「普段通りにしとけ。誰にも分からないんだから、不自然な動きは余計な注目を浴びることになるぞ」
魔術師にしか感じられない魔力。それが学校の敷地内に大量に充満している。魔力に敏感な士郎はともかく、鋭敏な泉世が顔色ひとつ変えないのは流石である。魔力の感知が得意な魔術師は別段珍しいことではない。魔術師ならば魔力の感知ができるのは当然なのだから。だが泉世の場合は、その特異体質な影響で魔力が高濃度の場所に長時間居座ると体調に異変をきたす。一般生徒で言う風邪気味のような症状だ。
此処の場合は、それほどまでには至らなくとも不愉快には感じる。
「取り敢えずだ。教室に荷物置いたら慎二を探そう」
「来てなかったら終わりだけどな」
そして案の定、慎二は学校の何処を探しても見つからなかった。
「参ったわね。発動はされてなくとも強化されてるなんて」
そう忌々しそうに文句を垂れ流す凛。面倒くさいという表情をしている泉世。どう収集をつけるべきか迷っている士郎。
今は昼休み。凛によって屋上に呼び出された2人は、着いた途端そんな愚痴を聞かされる羽目になった。本当ならば2人が学校に来たときに話をしたかった凛だったが、2人が来る時間が遅かったので話せなかったのだ。かと言って2人が悪いわけでもない。結界が強化されているなどわかるはずもなく。学校に来てから知ったのだから文句を言われても仕方ない。
付け加えておくと、慎二を探すだけの時間があったのならば話ができただろう。だが2人が探している間に凛が会いに来たため、ズレが生じていたのだ。不幸なタイミングの悪さ故に、凛の機嫌は心底悪くなっていた。
「ズレが生じたことは水に流そう。問題はこの結界をどうするかだが。遠坂、〈アーチャー〉に頼めないか?」
「ごめん、今日は連れてきてないの。今日の深夜に衛宮くんを怪我させたから家に置いてきた。〈令呪〉で協力関係にある間は手を出すなって言っておいたし」
「そんなことに〈令呪〉を使わなくとも。残り2画で〈セイバー〉以外を倒すのは、ちょいと難しくないか?」
「正確には1画よ」
「...は?」
まさかのカミングアウトに泉世は言葉を失った。命令したのであれば、1画しか使わないはずだ。なのにもうひとつ減っているのはおかしい。
「…召喚した時に使っちゃったのよ。あんまりにも腹立ったから」
「うっかり発動はやめろって言ってるのに」
「う、うるさい!」
どうやら遠坂家特有の「うっかり」が発動していたらしい。曖昧な命令は〈令呪〉の無駄使いだというのに。〈令呪〉は絶対的な強制力を持つ強力な魔術だ。1度の〈聖杯戦争〉で3つしか使えないというのに、そんなことに使っていたとは勿体ないにもほどがあった。
「それよりどうする?慎二がいないならこの前にみたいに術式を無効化するか?」
「昼休みだしなぁ。大っぴらな行動は目立って仕方ない。かといって《認識阻害》を使うのも面倒だ」
《認識阻害》はその名の通り認識を誤魔化す術式だ。感覚を乱すのであって、肉体的な接触には効果を発揮しない。それどころか術式が壊されてしまう。破られればその場に突然3人が現れたように見える。そのため人が多いこの時間帯に使おうにも問題がありすぎた。
「この結界は誰が張ったのか知らないけど腹立つっての」
「...正直言うと、この結界を張ってるのは慎二なんだ」
「なんですって!?」
士郎と視線を交わしてから報告する。登校中に話さない方がいいと言ってはいたものの、黙っていられる空気ではなかった。その結果、凛は感情を爆発させた。
「朝会った時に絞めておけばよかった!」
「あいつに会ったのか?」
「『僕もマスターやらされてて困ってるんだ。仲間にならないか?』って言われたの。2人と組んでるから必要ないって言ったらどっかに行っちゃった」
話を聞いた限り、慎二は朝に学校で話してから姿を消したらしい。誰かが知っているかもしれないが、情報収集している間に昼休みが終わってしまいそうだ。
「慎二を探し出して結界を解除させよう。この感じは発動させる気満々だ」
「そうね。今すぐ探しに行きましょう」
屋上から降りようとした瞬間。下から突き上げるような振動が3人を襲った。どうにか転倒するのを防いでいると、禍々しい色の何かがそこら一帯から空へと伸びていく。学校の敷地内の中心に集まったそれは空に穴を開けた。人間が眼を開くように瞼を持ち上げる。血走った瞳はもはや人間性など皆無で獣そのものを映し出している。虹彩が肉食獣のように鋭く血に飢えているようにも見えた。階段を駆け下りると、昼間だというのに、校舎全体が薄暗く赤みを帯びて血塗れとも言える。
壁に寄り掛かるように立っている士郎の表情は辛そうだ。それもそのはず。この結界は人間の体内から魔力を吸い出すためのものなので、ただその場に立っているだけでは奪われていくだけだ。
「士郎、気をしっかりと持って体内で魔力を生成し続けろ。一度でも意識を失えばお前も死ぬぞ」
「気持ち悪いわね。強制的に魔力を奪われる感覚は絶対に慣れないというより慣れたくないわね」
「桜が心配だ」
屋上に近い階層には一年生のクラスがある。その下に二年生、さらに下に三年生という学年が上になるほど地面に近い構造だ。だから階段を一階層分下りると一年生の階に着く。3人は無言で頷きあって屋上から下りていく。
教室を覗いた2人は口元を横一線にし、1人は口元を両手で覆っていた。中では机に倒れている者、床に倒れこんでいる者、仰向けや俯せになっている者。心臓部分を抑えたりしているのは、呼吸が上手くできないが故で苦しいからだろう。痙攣をしているのはまだ体が生きている証だ。
奥で倒れていた桜を抱き上げた士郎は呼吸を測っていた。
「まだ呼吸はある。助かるぞ」
「士郎、すぐに教室から出ろ。お出ましだ」
士郎を呼んだ泉世は廊下を睨みつけていた。背を預けるように立つ凛の先にも、同じような骸骨らしき何かが床から這い出てきている。骨が剣を所持している様子は、人間に本能的な恐怖を呼び覚ます。原始的であって遥か昔から残る本能。肉体的にも精神的にも未熟な人間であれば、見ただけで腰を抜かして無残に殺されるだろう。
だが泉世と凛はその範疇に収まらない。魔術師として卓越した才能と知識を持ち合わせている2人は、この程度で恐れおののくことなどない。10年間もの間、死と隣り合わせの生活をしてきたのだからこの程度でも生温く感じてしまう。
「まったくなんて数の使い魔だよ。魔力は底なしなのか?」
「さっき吸い取った生命力を糧にして呼び出したんでしょうね。これだけ呼び出していたら、吸い取った量なんかすぐになくなるわ」
「下手したらまた吸い取られるわけか」
「可能性はあるでしょうね。慎二のことだからどこまでするかわからない」
教室からでてきた士郎を真ん中にして、廊下の左右から押し寄せてくる使い魔とにらみ合う。その数は数えるのが嫌になるほどだ。目視できる限りで50はくだらないだろう。これほどまでになれば、如何に卓越した魔術師の2人でも簡単には倒しきれない。真っ先に突撃してくる兵を泉世が拳と蹴りで粉砕し、凛が《ガンド》で撃ち抜いていく。それでも減少を超す勢いで増殖するため、3人は密着せざるおえなくなる。こうなると泉世は物理的な攻撃は出せないし、近くに2人がいるから凛も撃てない。
「〈セイバー〉を喚ぶ。このままじゃ全員斬られて終わりだ。遠坂は〈令呪〉を使って残り1画だし俺には2画残ってる」
「頼んだ」
「ああ。〈セイバー〉ぁぁ!」
願いを込めて士郎が〈セイバー〉を喚んだ。士郎の左手の〈令呪〉が1画消えて魔術陣が廊下の床に形成される。膨大な魔力の渦が発生して3人の髪を揺らす。だが風として揺らさず魔力が引き起こした見かけ上の変化。魔力の渦が凝縮して光となる。光は人の形を成して士郎が呼び寄せた〈セイバー〉となる。
この間にかかった時間はコンマ一秒にも満たない。まさに一瞬という言葉が似合うものだ。
現れた〈セイバー〉は3人に眼を向けることなく、目前の使い魔を斬り落としていく。50体もの使い魔を一瞬にして葬っていく姿に3人は魅了されていた。敵がいることも忘れてその剣技と立ち振る舞いに。
「マスター、状況はどうなっていますか?」
「サーヴァントに結界を張られた。学校から出られるかわからないし生徒を放っておけない」
「その気持ちはわかります。…この階にサーヴァントの気配を感じますがどうされますか?」
「結界の基点は一階から感じるけど?」
「結界の基点は一階でサーヴァント気配はこの階か。おかしな話だ」
結界を張っている間は、基本的にその場から離れることができない。離れると結界は意味をなさず消えるか、効力を大きく下げるかのどちらかだ。例外的に使用者本人がいなくとも継続できる結界もあるにはあるが、そういったものは小規模か燃費のいいものまたは強力なものだ。たとえば遠坂邸やアインツベルンの城、衛宮邸のように名家や魔術の一族は好んで使用する。
もしくはその土地を媒体としたが挙げられる。柳洞寺・冬木協会・冬木市民会館のような膨大な魔力が溜まる場所のことだ。限られた場所であり、魔力が溜まるが故に強力な結界を発動させることができる。
とはいえ、そういった結界は特別仕様なので今回の結界とは別件と言える。ここの結界は魔力を吸い取ることを目的としたものである以上、使用者が離れることはできないはずだ。
「遠坂、〈アーチャー〉はどうだ?あいつならもっとしっかりとした判断を下せるはずだ」
「呼びかけても応答しないのあいつ。たぶんこの結界は外部との関係を断つ代物よ。〈令呪〉を使わなくちゃあいつはたぶんこれない」
「そうなったら俺達で解決するしかないな。さてと、どうやら慎二はここで終わらせる気らしい。見ろ」
泉世の視線の先で使い魔が新たに床から現れていた。先程よりも数も多く、泉世の言葉は誇張でも嘘でもない。
「ここは俺と〈セイバー〉で抑える。2人で慎二を捕まえるか結界を解除してくれ」
「無茶言うな。お前も一緒に来るんだ」
「大勢で行ったらあいつの思うつぼだ。それにこれだけの使い魔がいてサーヴァントもいるとなれば、〈セイバー〉には少し荷が重いと思う。サーヴァントを〈セイバー〉に任せて俺が使い魔を倒す。それが確実な方法だ」
「危険ですが正しい判断かと。敵のサーヴァントの戦法がわからない以上、援護してくれる人がいるのは好都合です」
〈セイバー〉と誰が残るべきなのか。消去法で行けば間違いなく泉世になるのは容易に想像できる。凛は同盟関係であっても〈アーチャー〉のマスターだし、士郎に援護を頼むのは無理がある。《強化》しか扱えない士郎では〈セイバー〉の足を引っ張り、サーヴァントとの戦闘に集中させることができない。
泉世ならば使い魔を倒すどころか、サーヴァントを倒すための援護ができる。〈セイバー〉が泉世の意見に反対しなかったのはそれが理由だった。
「わかった、気をつけろよ2人とも。行くぞ遠坂」
「ああもう。わかったわよ」
2人が走り出したのを確認してから、俺はじりじりと距離を詰めてくる使い魔と相対する。剣を持っていたとしても切れ味はそれほどでもないだろう。どちらかといえば殴打に近い攻撃方法だと先ほどの動きから予測する。
「背中は任せる」
「
「…え?」
背後に現れた使い魔を〈セイバー〉に頼んだのだが、その返事は普段の声ではなかった。まるで
声をかけるタイミングを失った俺は、自分に襲い掛かってきた使い魔の剣を掴んで顔面に拳を叩き込んだ。爽快な打撃音と拳にくる反動に少しばかり口角を上げる。このように敵を粉砕するような戦いは一度もしたことがない。手に残っている感触は、いつも肉の微妙な柔らかさと鍛え上げられた筋肉の弾力性のある硬度だけ。
肉でもなく筋肉でもない骨の感触は、これまでにない高揚感を与えてくれる。まるで水を得た魚のような歓喜。次々に襲い掛かってくる使い魔を、10年に及ぶ鍛錬によって鍛え上げた拳と蹴りで迎え撃つ。人間の顔部分にあたる頭部を強打すると、使い魔はその肉体を空気に溶かしていく。
砕いたとはいえ、魔力によって形成された骨は残ることなく消えていった。眼に見えて減っていく使い魔だがどうもおかしい。これほどの数を無尽蔵に放出しても意味はないはずだ。出現させるならば数体を1体に集合させた使い魔を派遣したほうが有効だろうし。このまま排出させていても浪費以外の何物でもない。
「…時間稼ぎか?」
「どうでしょう。これだけの使い魔を放っているのは、疲弊するのを待っているとも考えられます」
独り言を呟いたが〈セイバー〉はそうとらなかったらしい。その返答は普段の〈セイバー〉だったので、先ほどのは気のせいと思い込むことにした。
「どういうことだ?」
「何故退いていくのでしょう」
俺達の目の前で使い魔が床に沈み込んでいく。まるで撤退を命じられたように潔く消えていくので不気味に見えた。
「気をつけろ〈セイバー〉。嫌な予感がする」
「同感です。これには最大限に近い警戒をするべきでしょう」
「そうだな…っ〈ライダー〉か!」
俺の目の前に現れたのは2日前に襲撃された〈ライダー〉だった。猪突猛進とばかりに突撃してくる。それを背後にいたはずの〈セイバー〉が迎え撃つ。鎖のついた短剣と視えない剣がぶつかり合う。その衝撃波は大したことはないが、その剣戟速度が異常だった。1秒間に10回もの斬り合いは互角だ。
「〈ライダー〉、貴様の目的は何だ!」
「…」
〈セイバー〉の問いかけにも応答しない。まるで機械のように命じられたことをこなすだけの存在。無表情で生気を全く感じない。気持ちの悪いほど静かな行動は、もはや亡霊のようにしか見えない。
「せあっ!」
鍔迫り合いから離れて着地したばかりの〈ライダー〉を、〈セイバー〉の視えない剣が貫いていた。しかし不思議なことにその傷口からは血しぶきが見えない。それどころか〈ライダー〉は痛みを感じさせない滑らかな動きで、〈セイバー〉に向かって身を乗り出す。と思えば、その姿が別のものへと変貌する。黒いフードを被った不気味な影のようなサーヴァント。見たことのない風貌とその雰囲気は、柳洞寺で感じたものと同じだ。つまりその影の正体は〈キャスター〉。
「汚れた手で〈セイバー〉に近づくな!」
《ガンド》を撃ち込んだ瞬間に〈キャスター〉が姿を崩しながら、〈セイバー〉の頬に触れた。
「
〈セイバー〉の怒号が廊下に響いた。しかもそれの声は俺が違和感を感じたものと同じだった。
「…〈キャスター〉の気配が消失しました。危険性はないと思われます」
「〈セイバー〉お前…いや、なんでもない。助かった礼を言う」
「当然のことをしたまでなので。それより泉世に怪我がなくて何よりです。では士郎たちと合流しましょう」
笑みを浮かべた〈セイバー〉に違和感を抱きながら、士郎たちがいるであろう下の階に下りて行った。
〈キャスター〉との交戦を終えて泉世と〈セイバー〉は、気を失っている生徒たちを運び出している2人と合流した。どうやら慎二は逃げ出した後のようだ。彼等を〈セイバー〉に任せて、3人はそれぞれが入手した情報を交換し合う。
「敵は〈キャスター〉だったのか。〈ライダー〉じゃなかったのは予想外だ」
「利用されたってところでしょうね。慎二の命令で結界を張った〈ライダー〉を不意打ちするなんて、性悪女を体現したようなもんよ」
やり方が気に食わないとばかりに、不満とストレスを〈キャスター〉にむけて吐きだしていた。その気持ちはわからなくはないため、泉世と士郎はなだめようとはせずに好きに言わせていた。余計に刺激したら面倒になりそうだと思っていたのだ。士郎の場合は、柳洞寺で〈アーチャー〉に「女の憤りは度し難い。動かない方が身のため」と言われていたのでそれを実践した結果だ。
「使い魔を操っていたのは〈キャスター〉の影だった。本体は柳洞寺から動いてないだろう。〈ライダー〉はどんな死に方だったんだ?」
「全身打撲みたいで首は一回転半ぐらいねじれてた」
「…妙だな」
「何が?」
凛の報告に泉世が難色を示した。どうやらその報告がお気に召さなかったらしく苦い顔をしながらつぶやいたのだ。その言葉にどういうことかわからない凛は、気になって問いかけた。
「もし〈キャスター〉が〈ライダー〉を騙し討ちしたなら、その傷跡は矛盾してる」
「泉世が言いたいのは、〈キャスター〉本人がやった可能性は低いってことか?」
「魔術による攻撃なら打撲なんてできない。質とかがあるなら話は別だけど士郎はどう思った?」
「正直言えば、〈キャスター〉の攻撃は目に見える痣をサーヴァントに付けられないと思う。マスターになら可能だろうけど相手はサーヴァントだ。簡単なことじゃない」
理屈のある説明に泉世と凛は納得する。実際、〈キャスター〉の魔術を眼にしている士郎が言うのだから疑いようはない。魔術に不慣れな士郎だからこそ気付ける点もあるだろう。慣れ親しんだ魔術師には気付けない基本的なものなどだ。
「〈ライダー〉の機動力は俺と士郎が一度眼にしてる。あれほど素早ければ〈キャスター〉の魔術では捉えきれないはずだ。教室という狭い空間でも楽には仕留められないだろうな。先にここへ侵入して罠にはめる以外には手段はない」
「じゃあ〈ライダー〉を倒したのは〈ランサー〉だっていうの?」
「可能性は低いだろうさ。あの結界は外部からの侵入は容易じゃないと思う。そうだろ〈
「「ええ!?」」
『そういうことだ凛』
空気から溶けるように現れた〈アーチャー〉に2人が驚愕する。マスターの凛さえ気付かなかったというのに泉世は気付いていた。気配察知に関しては泉世のほうが凛より頭一つ抜けているらしい。気配察知の能力は暗殺者として教育された理由もあったが、最大の理由は人間観察をしていたことで身についたことだろう。
従妹の仕打ちを目の当たりにした頃から周囲の視線を気にして育ったのだ。無意識のうちに本人が自覚する前に異次元の境地へ至っていてもおかしくはない。だからといって〈アサシン〉の気配遮断スキルを使われていてはどうしようもないが。
「いつ来たの?」
「ついさっきだ。
「ええ、十分よ。詳しい場所はわからないけどそれだけ魔力を感じたのなら、他のマスターやサーヴァントも知っているでしょうね」
「この混乱に乗じて行動を起こすかもしれんな。私は周囲の警戒をしようと思うのだが構わないか?」
「頼んだわ」
〈アーチャー〉が少しだけこの場に姿を現したことで、3人は少しばかりの安堵感を得た。サーヴァント1体がいるより2体いる方が安心なのは事実だ。それもマスターと信頼関係が成り立っているサーヴァントならば尚更だ。
「衛宮くんは〈セイバー〉を手伝ってあげて。私は泉世と少し話をするから」
「ああ、わかった」
素直に言うことを聞いた士郎は教室へと入っていった。人助けをしたいという気持ちもあったのだろうが、大半は魔術師ではない自分にはわからないことを話すのだろうと思った。疎遠感を感じなくもないが、それは仕方ないと士郎は割り切っていた。
「ねえ泉世、何であんたはあれを見ても動揺しなかったの?普通なら眼にしないでしょ」
「冷静でいれたわけじゃない。少なからず足はすくんだし気分は害された」
「でも私みたいに眼を逸らそうとしなかった」
「別に大したことじゃない。
「え、見慣れてる?」
言葉の意味が理解できない。そもそも言葉そのものが正しいのかと凛は自分の耳と脳を疑ってしまった。普通に日常を何気なく生活していれば口にしない言葉。口にすることも考えることもしない言葉を泉世は簡単に発した。それはどういう意味なのか。
聞くべきなのか聞かざるべきなのか。知りたいと思う気持ちと知りたくないという相反する感情が渦巻いて、まともな思考を邪魔しようとしてくる。まるで真剣に考え事をしているときに水を差されたような不快感も感じる。でも聞いた方がいいのではないかと思う自分の意見が強い。
「あんたの言う見慣れてるってのは、私の家に来る前の話?」
「いや、そんな過去の話じゃない。…10年前のあの日、俺は炎にのまれた街を独りで歩いてた。空気は乾燥して水もなく、見慣れた光景は瓦礫と化して当てもなく歩いてた。生き残ることができるなんて思わなかったし、生き延びてやるなんてこれっぽちも思わなかった。そう思ってしまったのも何十、何百もの死体を見てきたからだろうさ」
「じゃあ衛宮くんも…」
「そうだろうな。あの日のことを詳しく話したことはないからわからないけど」
鍛えていた筋肉が未だに残っているからなのか。手際よく〈セイバー〉に負けない速度で床に倒れている生徒を、廊下に出して寝かせている。人助けを自分の信念とでも思っているのかその動きに淀みが全く見られない。10人以上運び出しているというのにまったく疲れた様子を見せない。泉世は士郎を手伝いに教室へと入っていく。
「救急車は呼んだのか?」「いや、まだだ。遠坂が教会に連絡した方がいいって言ってた」「じゃあ俺が呼んでくるから後は頼んだ」「任せろ」
2人の仲睦まじい会話を聞いて凛の心は少しだけ軽くなった。完全に吹っ切れたわけではないが前向きに検討できるぐらいには回復したらしい。泉世に問いかけていた時より顔色は幾分か明るい。大きく息を吸い込んで吐き出した凜は、寝かした生徒たちの呼吸や脈を測っている士郎を手伝うために近づくのだった。
学園の生徒集団貧血は、化学薬品が漏れ出たためということで事態は収束した。そんな危険な物質を置いているわけがないと言いたがっている(化学分野の)先生方もいたのだが、警察に対して言えるような忍耐を持ち合わせている猛者は誰一人いなかった。責任が自分に押し付けれるかもしれないという不安もあったのだろう。ある意味ラッキーなことではあったが、世間的な評判は悪くなりそうだ。