〈キャスター〉との戦闘を行った翌日、泉世たちは2組に分かれてデートすることになった。何故ダブルデートと言わなかったのか。それは〈セイバー〉の目的が関係していたのだった。
「〈セイバー〉と2人っきりの遠出はこれが初めてだな」
「はい、私もそれなりに興奮しています」
「それは見ていればわかるよ」
そう言う泉世の横顔はとても優しい。傍からは見目麗しい美男美女がデートしているようにも見える。泉世はまったく緊張していないが、〈セイバー〉はそわそわとして落ち着きがない。よく見れば頬は少し赤く、バスの椅子に座っているというのに、可能な限り泉世から距離を取ろうとしている。
デートにしては2人の距離が広いのは気のせいだろうか。そのことをわざわざ口にしない泉世だが、ある意味それが〈セイバー〉の心の余裕を奪っていた。
「泉世はその、緊張しないのですか?」
「何故?」
「いえ、その、こ、このようなことが初めてなので」
「もしかして〈セイバー〉は嫌だった?」
「そんなことありません!どちらかと言えば嬉し…あう////」
車内で大声を出してしまったことで、周囲から注目される〈セイバー〉。普段の彼女ならば意にも返さないのだが、今日だけはいつもと違っていた。金髪ということもあり外国人として注目される且つ、本人が美少女であることが余計に注目を誘っていた。
しばらくバスを乗り継ぎ目的地の停留所で降りた泉世だったが、〈セイバー〉がずっとこの調子なので落ち着ける場所を探すことにした。今朝のうちに凛が印刷していた観光案内図と今の場所を見比べていく。きっちりと把握した泉世は、未だ通常運転に戻れていない〈セイバー〉の手を引いて歩き始めた。普通に手を引いているだけのはずだが、〈セイバー〉の頬はさらに赤くなっていた。女性をリードするだけの行動は、〈セイバー〉の心を無意識のうちに削っていく。
表通りから一歩裏へ入った道は、人が通っているものの活気にあふれているわけではない。それなりに店が多く立ち並んでいるあたり、時間帯によっては表通りに負けないほどの人が入るのだろう。今の時間は昼前であるから、もう少ししたら店にも入りにくくなるかもしれない。
そこで泉世は〈セイバー〉の状態を無視して、一軒の喫茶店に入っていった。老舗というような雰囲気だが、観光案内図には開店してまだ半年ということらしい。オーナーの手腕がいいのか、それとも感性がそういう風にさせたのか。どちらにせよ落ち着きのある店を求めていた泉世にとっては、願ってもない店であった。
席に着いてから泉世はブレンドのブラックコーヒーを、〈セイバー〉は紅茶のストレートを頼む。マニュアル通りではなく客それぞれの雰囲気を感じ取って、それにあった接客をする店員にお礼を言って向き直る。
「〈セイバー〉、体調が優れないのか?そうだったら家に戻ったほうがいいぞ」
「いえ、お構いなく。…泉世はおかしいと思いませんでしたか?」
「何が?」
「今日いきなり逢引きをすることになったことにです」
そう言われて確かにと思い返す。昨日まで戦いに戦いを重ねていたから息抜きということも理解できる。だが何の連絡もなく誘われたのは不自然だった。
「確かに驚いて乗り気はなかったけど、〈セイバー〉が楽しみにしてそうだったから行くことにした」
「…実は私が凛に逢引きをしたいと言ったんです。直接言うのも恥ずかしく、口実を作ればいけるのではないかと思いました」
「だから遠坂と士郎をセットにしたのか。向こうは向こうで楽しむと思うけどな」
天真爛漫とは言わないが行動力のある凛なら、士郎を好き放題に振り回しそうだ。それに案外士郎も嫌ではないのではないかと第6感が告げている。夕方に合流することになっているからそれまでは自由行動だ。何処に行こうが何をしようが、泉世と〈セイバー〉のやりたいようにやるだけ。今は2人のことを考える必要はない。
「いつもの〈セイバー〉でいてくれよ。じゃないと俺も楽しむにも楽しめない」
「怒らないのですか?」
「そりゃまあ唐突すぎるとは思ったけど、そんなこと気にしないくらい楽しもう。〈聖杯戦争〉が起こってなかったと思うぐらいに」
「はい、泉世」
普段の調子を取り戻した〈セイバー〉は、緊張感の抜けた表情と声音で、カフェでの時間を満喫するのだった。
カフェでのひと時終えて、次に〈セイバー〉が泉世を連れてきたのは水族館だった。冬木市に隣接するこの市は、観光地として全国的に有名である。ドラマや映画の撮影地に選ばれることも多く、追っかけファンが家族や友人たちと旅行で訪れたりする。季節に合わせたイベントがあるため、年中いつでも観光地として足を延ばせる。
撮影地として選ばれるのには、他とは違った特徴があるからだ。それは撮影機材を持ち込むことが必要ないように行政が準備していたり、キャストの不足要因として地元住民が参加してくれたりする。住民はそういった外部からの刺激を欲している節がある。
「知識としては知っていましたが、直に眼にするのとは違いますね」
「百聞は一見に如かずっていうからな」
そこまで大きい水族館ではないが、来場数も非常に多く一帯の収入源にもなっている。その理由として国内初の内陸に位置する水族館で海水を用いた展示だからだ。一般的な水族館が海の近辺に位置するのは、海水を運ぶのが不便であり金銭的にも負担が大きいのもある。
淡水ならば河川から引けばいいが、海水は海からしか取り入れることはできない。塩を用いて水に溶かすことで海水は作り出せるが、濃度の問題もあるし海水には塩以外にもあらゆる物質が溶けている。飼育する魚類によっては温度と濃度が大きく異なる。
それを克服して飼育できているということが、その水族館にどれほどの技術力があるのかということかわかるだろう。そういうこともあって、全国的にも名を知られるようになったというわけだ。今回はそのことを〈セイバー〉が知っていたかどうかはわからないが。本人が楽しそうにしているなら、余計な一言を言うのは野暮だろう。
「あ、衛宮じゃん」
この水族館のメインスポットでもある大水槽を〈セイバー〉と泉世が眺めていると、芯のあるしっかりとした声が呼びかけた。声のした方へ振り向いた泉世の眼には、手を振りながら駆け寄ってくる知り合いの姿が映る。
「美綴、もう体調はいいのか?」
「お陰様で今は完治してるよ。治ったってのにまだ学校行かせてもらえなくて、駄々をこねたら水族館に連れてきてくれたんだ」
「なるほど」
美綴の後ろに眼を向けると、ご両親らしい男性と女性が軽くお辞儀をしていた。それに返事する形でお礼を返してから美綴に視線を戻す。制服姿と弓道着姿しか見てこなかった泉世にとって、美綴の私服は新鮮でついつい視線を外してしまう。普段からボーイッシュな雰囲気と口調をしているため、女性的な感覚で話してこなかったが、今は年頃ということもあり魅惑的にも見える。そういったことに耐性が高くない泉世からすれば眼に毒であった。
「何で視線逸らすんだよ。なんか悪いことしたって自覚あるの?」
「ないよ。お前にそんなことしたって知られたら生きていけない」
「なっ!?それどういう意味よ!」
「言葉通りだ」
「説明になってない!」
友人同士の口喧嘩を周囲の人間は、微笑ましそうに生暖かい視線を送っている。家族連れやカップル率の高いこういった場所では、友人同士の学生の男女が仲良くしている光景はあまり見られない。そういうこともあってかなりの注目を集めていた。だが当の本人たちは気付いていないのが現状だ。
「どうしてここに来てんの?カップルが来ることは多いけど、あいつと来る場所じゃないぞ」
「いつでも一緒ってわけじゃない」
美綴の言っているあいつとは士郎のことだ。養子同士ということもあって、周囲にはいつでも隣にいる熟年夫婦と揶揄されたりする。ごく少数ではあるが、2人を題材にしたBL本もつくられているとか。そしてまことしやかに崇拝していたり、そのように導こうとする悪人もいたりする。そして最悪なことに、桜がグループに入っているというのが驚きだ。もちろんそんなことを2人・凛・慎二・大河は知らない。
閑話休題
「じゃあ誰と…ちょっと待て衛宮!誰だその子は!」
「揺らすな…」
「説明も・と・む!」
泉世の服の襟元を掴んで大きく揺らしながら叫ぶ美綴に、泉世は説明が面倒くさいという顔をしている。時間が過ぎればすぎるほど揺れ幅は大きくなり、速度も上昇していく。「すごい筋力だな」と他人事のように評価している時点でもう手遅れかもしれない。
「あの、このままでは泉世が…」
「ん!?」
「ひっ」
止めに入った〈セイバー〉に睨みを利かせる美綴。その剣幕に押されて、あの〈セイバー〉が少しばかり気圧されている。まあ部長であり泉世を好き放題にしているあたり、それなりの威圧があったのかもしれない(適当)。
「…てかあんた誰?」
「え、私はその…」
「親父の親戚。親父を訪ねてきたみたいなんだけどもういなくてさ。門前払いも失礼だから観光スポットを案内してる」
大河に説明したのと同じように説明する。大河は切嗣が海外によく行っていたのを知っていたから、簡単に信じてくれた。外国で何をしていたかまでは知らないと思うが、〈セイバー〉も辻褄を合わせてくれたから切り抜けれた。だが美綴はそんなことを知らない。信じてもらえるかは泉世の口にかかっている。
「今頃?5年前でしょ亡くなったのは」
「俺もあまり聞いてなくてさ。訪ねてくるかもしれないから、その時は出迎えてくれって言われてたんだ」
「ふーん、そういうことね。てか私が誘ったときは断ったくせに」
「2人でなんて勘違いされるだろ」
「え、勘違いって何?何と勘違いされるの?」
「えーと、美綴さん?」
笑顔で迫られ敬語になる泉世。一歩ずつ後退っていく泉世に一歩ずつ近寄っていく美綴。それを呆然と見送る〈セイバー〉とその他の観光客。3つの陣形に分かれた大水槽前は、混沌とした空気で満たされている。それを気にしていないのは、誰も気付いてないからなのか楽しんでいるのか。どちらであっても、この場を通る人たちに迷惑がかかるのには変わりないのだが。
壁に背中がついたことで追い詰められた泉世を見て、美綴は至極楽しそうに深い笑みを浮かべている。まるで男の怖がっている顔を見て楽しむドSで悪女のようだ。実際はそのような性格ではないのだが。もしかしたら普段見せない泉世の表情が見れて、嗜虐心を擽られたのかもしれない。
「泉世、こっちです!」
「おわ!」
「あ、こら待て衛宮ぁ!」
スキをついて泉世の腕をつかんだ〈セイバー〉が人波の隙間をぬっていく。その動きについていく泉世も泉世なのだが。その動きについていけない美綴を見ると、間違いなく2人がおかしいのだろう。
「学校で追及するからなぁ!」
遠くから聞こえる言葉に泉世が大きくため息を吐いた。学校で会わないようにする方法を何通りか考えながら、〈セイバー〉に手を引かれるままに大水槽を後にするのだった。
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「ふぅ、間に合った」
「お疲れね泉世」
「まったくだ」
待ち合わせ時間に遅れかけた泉世と〈セイバー〉は、全力ダッシュで発射直前のバスに乗り込んだのがついさっき。椅子に座って安堵の息を吐き出した泉世に、凛が後ろから楽しそうに声をかけたのだ。美綴とは違う笑顔でからかい始める。
今の状況を楽しんでいるという同じ笑みでも、空気と人物が違うとここまで感想は異なるのかと思うほどだ。美綴はドSの悪女、凛ならば男心を擽る女性という感じだ。もちろんそのことを口にはしない泉世だが、凛のその行動に安心させられる。
水族館で出くわした美綴から逃げた泉世と〈セイバー〉は、ショップで少し買い物してから、大きめのショッピングセンターを見て回った。思った以上に面積も広く、店の数も多かったので飽きることはなかった。昼食としてジャンクフードを食べることになったのだが、それはまた別の話。
雨が強いらしく窓の外の景色は雨粒でほとんど見えない。よく見れば人通りもまったくない。これだけ降るとは誰も予想していなかったのだろう。建物内で雨宿りしているのか出歩いていないようだ。
「思っていた以上に雨が降ったな」
「天気予報じゃ通り雨だって言ってたのに。でもまあ夕方に降ってくれただけ良しとしましょう」
「そういえば遠坂はいつまでうちにいるんだ?これからの方針決めるとは言ってたけど」
「居心地がいいからしばらくいさせてもらうわ」
士郎が脱力して背もたれに寄り掛かる。同盟を組んでずっと一緒にいるとはいえ、意識しないわけにもいかないのだろう。それに食事の準備も多くなることから出費も重んでいる。文句を言いたいのは山々だが、別段来てほしくないわけでもない。
食卓の楽しみが増えるから来るなと言えないのだ。
「〈セイバー〉は何処に行っていたの?」
「泉世と水族館に行っていました。内陸に位置して、海水を利用した水族館というものに惹かれたので」
「そこなら小学生の頃に数回行った記憶があるわね。当時はその凄さを知らなかったけど今ならわかるかな。衛宮君は?」
「親父の身体が弱かったから、あまりそういうところには行ってないかな。行ったとしても夏祭りぐらいだ」
切嗣は泉世と士郎を救い出した時から身体が弱かった。〈聖杯戦争〉の頃から弱かったのではなく、終わってから極端にだ。その原因を泉世は知っている。いや、この4人の全員が知っているのだ。未だ以て原因不明の大火災の元凶。原因不明だと思っているのは言峰綺礼・泉世・〈セイバー〉・あの男を除いた大多数だが。大火災を引き起こした物質によって切嗣は呪われた。それでも切嗣は幸せそうな死に顔だったのを泉世は覚えている。
「ねぇ〈セイバー〉、その髪飾りはどうしたの?」
凛が〈サイバー〉の左耳あたりにつけられた、白に近い淡いサクラ色の髪飾りを見て聞いていた。
「い、いきなりなんですか凛。別にいいではないですか」
「はは〜ん、さては泉世に買ってもらったのね?」
「な、何故それを!?」
「〈セイバー〉はわかりやすいのよね~」
「…勝負あったなこりゃ」
楽しそうに〈セイバー〉をからかう凛を見て、士郎は〈セイバー〉の分が悪いと客観的に理解した。乗ったら気が済むまでやめないだろうと考えた士郎は、話に入ってこない泉世が気になっていた。いつもなら止めに入るはずだが、今だけはあまりにも静かすぎた。
「泉世、どうした黙りこくって」
「「泉世?」」
窓の外を鋭く睨む泉世の空気に全員が首を捻っている。
「…外の様子がおかしい」
「っ泉世、これは」
「…なるほどね」
「まさか…」
よく周囲を観察すればおかしことばかりだ。窓の外を見れば人影はおろか、自動車さえ走っていない。さらに言えば、車内にも人影がない。通路の先の鏡を見ると、運転席に座っているはずの運転手もいない。だというのにバスは何事もなく進んでいる。
明らかに異常事態だった。
「術中だろうな。いつはまった?」
「気付かれないように仕掛けたにしては完成度が高すぎる。〈キャスター〉の仕業ね」
「おわっ!」
突如、バスに衝撃が走って横倒しになった。運動法則に従って座席から吹き飛ばされた4人は、どうにか窓を破って外に出る。周辺は橋のような物体の残骸が散らばっており、まるで10年前の光景を思い起こす。だが火の手が上がってないところを見ると、ここはまだマシかもしれない。
上空を見上げれば、どんよりとした重たい雲の中心に穴が開いている。そこからは赤い鉄橋の上を走り去る多くの車と、通行人が見てとれる。どうやら異空間に閉じ込められてしまったらしい。
「〈アーチャー〉と繋がらない。また外界と遮断されてるみたい」
「結界か。どうやって脱出する?」
「中からは出る期待ができそうにもない。外部から破壊を頼むしかないかもな」
だがその策は実行不可能だ。4人が内側にいる時点で外部には誰もいない。いるとすれば〈アーチャー〉ぐらいだが、連絡がつかないため手助けしてもらうにもその手段がない。完全に手詰まりだった。
「気を付けてください。周囲に敵意を感じます」
「こいつら…」
「使い魔だな。見た目から察するに〈キャスター〉だろうさ」
水たまりから這い出てきた使い魔を、〈セイバー〉が剣で切り刻んでいく。凛も負けじと《ガンド》を発動させて撃ち抜いていく。士郎は攻撃を避けるだけになっているが…。
「これでは敵が増えるだけだ」
「嫌なこと思い出すなこいつらは」
切り刻んだことで形を保っていた水が、水滴となって周囲に飛び散る。だがその水滴は一定量が集まり、また新たな使い魔となって立ち上がる。敵を斬れば斬るほどその数は増えていく。まるで10年前の〈キャスター〉《真名》ジル・ド・レェを思わせる戦いだ。〈キャスター〉かぶりが偶然であっても、こうなっては悪夢ではないかと思えてくる。
『その通りよ。私の結界内で戦うだけ体力と魔力の無駄になる』
「趣味が悪いわね」
空気中から現れた〈キャスター〉に、凛の皮肉を含めた言葉と共に全員が敵意を向ける。
「あらあら、歓迎されるなんて嬉しいこと」
「誰があんたなんて歓迎するってのよ。これまでの行動を振り返ってみなさい。何処に親近感がわく部分があったのよ」
「五月蠅い小娘だこと。殺してしまおうかしら」
「させると思うか?」
《ガンド》を撃ち込みながら凛を背後に守る泉世が、真顔で〈キャスター〉を睨みつける。その表情は凛々しく、その美貌で女性を悩殺させかねないものだった。かといって〈キャスター〉が堕落するはずもなく、精密射撃ができない上空まで上昇して4人を見下ろす。
「あまり私を攻撃しない方が身のためよ〈アーチャー〉と〈セイバー〉の協力者」
「っ貴様!」
「藤姉!」
言葉の意味が分からず泉世が睨みつけていると、突如空中に1人の人間が〈キャスター〉のマントの内側から現れる。それは泉世と士郎にとって無視出来ない人物、藤村大河だった。攻撃しない方が身のためという言葉の真意は、怪我をしたくないという意味ではなく、大切な人間を巻き込むぞという脅し文句だった。
〈キャスター〉の左手からは魔術の糸が伸びており、それは大河の首に絡みついている。少しでも変な動きをすれば、絞め殺すと言っているのだ。容易には動けなくさせるけん制を含めた作戦に泉世が憤った。
「人質をとって何がしたい〈キャスター〉」
「貴方が余計なことをしなければ殺めるつもりはないわ。用事があるのは〈セイバー〉のマスターさんだけだから。坊や、貴方の魔術回路は特異で興味深いわ。研究材料に欲しいくらいよ。生きて手に入ればこれ以上の荒事はせずに、この人間も解放してあげる」
「俺の命だけで大勢が助かるのか?」
「衛宮君!?」
士郎の言葉はひどく感情を失ったものだった。まるで何もかも希望を失い、生きることに疲れた者ような声だ。今まで聞いたことのない言葉と声音に、凛はどうすればいいのかわからくなっていた。
「そう。貴方が私の人形になれば多くが救われる。柳洞寺で言ったのを覚えているかしら?貴方は『無関係な人間を巻き込みたくない』という思いでいると」
「五月蠅い!藤姉を放せ!」
「言うことを聞かないというのは、私と組むのを望まないということかしら?」
「そうだ。俺は人の命を軽く見ているような奴とは組まない。そういう奴を倒すために戦うって決めたんだ」
「〈聖杯〉を分けてあげると言ってもかしら?」
誘惑するように〈キャスター〉は甘い言葉をかけていく。人間は甘い言葉に惑わされやすい。裏があると分かっていても、欲望を我慢できずに頷いてしまう。特に〈聖杯戦争〉に参加している魔術師は、特にその傾向が強い。
〈聖杯〉を手に入れて己の願望を叶えるために戦っているのだ。分けてもらえると知れば、我を忘れて飛び込むことだろう。
「いらない」
「なんですって?」
「〈聖杯〉なんていらないって言ったんだ。〈聖杯〉がどうだろうと関係ない」
「あっはははははは。愉快ね貴方のその言葉には、憎しみがこもっているように聞こえるわ。何故そう思うかって?私は知っている貴方の過去を」
〈キャスター〉の言葉に返事をするでも行動を起こすでもなく、士郎は静かに瞳を向ける。それは話してみろとでも言っているように〈キャスター〉には見えた。
「10年前、貴方はあらゆるすべてのものを失った。過去の思い出を。家族と過ごしている日々を。未来の自分の姿を。炎の中で死を待つだけだった貴方は、衛宮切嗣という男に拾われた。次の〈聖杯戦争〉のためだけに養子にされ、魔術なんてものを押し付けられた。だから貴方は〈聖杯〉を憎んで〈聖杯〉を欲しない。だからこそ過去の清算をする権利がある。その〈聖杯〉は私の手にあるも同然ならば、考える必要はないでしょう?」
何故〈キャスター〉が士郎の過去を知っているのか気になるところだが、泉世はどうでもいいと思えた。他人がどのような方法で過去のことを知ろうと、どうでもいいことだ。それに〈キャスター〉の言っていることは間違いがある。士郎は決して自身の過去を呪ったりはしない。
「生憎だけど、士郎は過去のことをなかったことにはしない。過去を否定すれば、現在の関係はなかったことになるからだ」
「何故貴方が知ったような口を利くの?」
「俺も士郎と同じであの大災害を生き延びたからな。ついでに言えば、切嗣に拾われてのも同じだ。過去の清算は過去の自分の否定と同じ。今の自分があるのはかつての自分が過ちを犯し、それを償うことを理由にしているからだ」
「それに俺は無理矢理魔術師になったんじゃない。自ら望んで魔術師になったんだ。切嗣はむしろ俺を魔術師にはさせたくなかった。今の俺があるのは過去の俺の我儘なんだよ」
「交渉は決裂ね。なら貴方たちはここで消えてしまいなさい」
つまらないとばかりに〈キャスター〉が武器を召喚する。片手に握れる程度の長さの柄と稲妻のような形状の刃。作成に失敗したようにも見えるが、短刀から感じる言いようのない不気味さが、間違っていないと教えている。
「消えるつもりなんてない!」
「同感です!」
《跳躍》の術式を発動させた泉世が、一瞬にして〈キャスター〉に接近する。そして士郎と同じように《投影》したナイフで斬りかかった。だが間一髪で避けられてしまい、決定的なチャンスを逃してしまう。その場から飛んで移動した〈キャスター〉目掛けて、〈セイバー〉が剣を振り下ろす。
〈キャスター〉の糸の支えを失って大河が落下していくが、途中で泉世が抱き寄せて地面への衝突を防ぐ。泉世の狙いは〈キャスター〉本人ではなく、大河の救出だったのだ。あわよくば怪我をさせてけん制できればいいと考えていたが、そこまで事は上手く運ばなかった。だが第一の目的である大河の救出ができたので泉世は安堵の息を吐く。凛に大河を任せてからあとはどうにかして倒せばいいと思っていたのだが、泉世にとって予想外のことが起きた。
「やめてくれ〈セイバー〉!」
「なっ!」
何を考えたのか知らないが、士郎が交戦していた〈セイバー〉に向けて〈令呪〉を使用した。〈令呪〉は絶対命令権を前提としているため、いくら耐魔力の高い〈セイバー〉でも容易には抗えない。しかもその停止させられたタイミングが近距離戦闘であったならば、その停止は命取りとなる。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
「〈セイバー〉ぁぁぁ!」
動きが止まった瞬間を好機と見た〈キャスター〉が右手に持った剣を、〈セイバー〉の胸元に深々と突き刺した。それを防ぐべく、泉世もナイフを投げ込んだが使い魔によって呆気なく弾き飛ばされてしまう。膨大な魔力の渦が荒れ狂い、泉世と士郎を吹き飛ばした。
「ふふふふふふふふふ!これで〈セイバー〉は私のもの。その顔から察するにこの剣が何か知りたそうね。いいわ教えてあげる。〈宝具《
「あらゆる魔術を無効化だって?」
「ええ、サーヴァントとマスターの契約も基を辿れば魔術による契約。さあ〈セイバー〉、あの者どもを殺してしまいなさい」
サーヴァントを使い魔にするという行動は当たり前である。現にマスターとサーヴァントそういった関係性だからだ。だがサーヴァントがサーヴァントを使い魔にすることはしてはならない。そもそも〈キャスター〉はルールを破って〈アサシン〉を召喚している。
一度ルールを破ったならば二度破っても同じことだと考えているのだろうか。呆れて物も言えないとはこういうことを言うらしい。
「…断る!」
「〈令呪〉を以て命じるわ。まずは〈アーチャー〉のマスターから殺しなさい。男どもは耐え難い苦痛を与えてから、ジワジワと殺さなければならないから」
命令に逆らおうとする〈セイバー〉だが主の〈令呪〉に強制されては無理がある。顔を伏せて剣を構えた〈セイバー〉が一直線に凛へと接近した。剣が凛を貫くと思った瞬間、士郎の右肩を貫いていた。その行動は凛を守るだけでなく、〈セイバー〉にマスター以外を傷つけてほしくなかったからだ。
「馬鹿野郎!っまずいな囲まれた」
「数が多すぎるのよ!どうあっても逃がすつもりはないようね〈キャスター〉は」
背後を見れば、術式を解放している〈キャスター〉がいる。術式の数は6つで3発が外れても、残りで片付けられるということだろう。だが今の泉世と凛の状態では1発を防ぐので精いっぱいだ。オーバーキルするにも限度というものがある。
「このまま死んでしまいなさい!っ何?」
「何だこの音は」
金属を金属で叩くような甲高い音が上空から聞こえてくる。その音が何を意味しているのかわからず、〈キャスター〉と泉世は上を見上げた。するとガラスが割れるように破片となった結界の隙間をぬうように、紅い閃光が尾を引く何かが〈キャスター〉目掛けて飛来する。
追尾性能があるらしく、魔術を用いて滑空する〈キャスター〉を超える速度で接近し爆発した。爆炎を上げている間に、その張本人が落下しながら泉世や凛を包囲していた使い魔を同じ武器で射抜いていく。
「〈アーチャー〉…」
「遅い!」
「面目ない。結界を壊すのに手間取っていた。にしても助けてもらって第一声がそれか?凛。まあ別段気にもしていないが。それより内側に立てたならば壊すのは雑作もない」
文句を言いながらも、淡々とマスターを助けるための行動は疎かにしない。〈アーチャー〉が矢を放つと、外界を繋ぐ道が開けた。その道を泉世が士郎を担ぎ、凛が大河を背負って出て行く。その後ろを〈アーチャー〉が〈キャスター〉の攻撃を警戒しながら、脱出する。
5人が結界の外に出ると〈キャスター〉が解除したらしく、霧が立ち込めた雨日和ではなく至って普通の雨日和だ。〈キャスター〉の結界はバス停から働いていたようだが、結界の中心部分でもっとも強力だったのは橋の中心部分だったらしい。
「〈セイバー〉…」
〈令呪〉に抗っている〈セイバー〉を遠くに見ながら泉世が呟く。だがその声は届かず想いも伝わらない。〈キャスター〉の魔術によって転移する瞬間、泉世は見た。雨が流れている結果ではなく、別のものによって濡れている頬を。