士郎にとっては予想外の。泉世にとっては
「いろんな経緯があって、私はあなた達の家の近くを歩いてたわけ」
「いろんな経緯って。それを聞いてるんだが?」
「まあ、衛宮くんもマスターになったことだしね。話しておきましょうか」
そう言って士郎を見やる視線には、哀れみも同情も含まれていない。ただ情けないという想いが、士郎の身体に突き刺さっていた。本人は気づいていないようだが。
「近頃、昏睡事件とか殺人事件とか発生してるでしょ?知らないとは言わせないわよ」
「そりゃ知ってるさ。あれだけニュースで騒がれたり、学校で注意喚起受けてたら」
もちろん士郎や泉世を限定とした注意喚起ではない。2人が通う高校のみならず、町内かつ市内全域が警戒区域になっている。冬木市の中心部に住まう2人からすれば、無視しようとしてもできるものではない。何処からともなく噂や話し声が飛んでくるのだから、記憶にございませんでは信用ならない。というよりむしろ、これだけの被害が出ていながら気にしないというのは、人間として危険察知がなっていない。
まあ2人は一般人とは違う枠組みに組み込まれるから、あながち人間の危険察知がなっていないとは言えないが。
「なら話が早いわね。その事件の真相を探るべく私は動いていたの。放課後の学校を調べていたらあのサーヴァントに襲われた。そいつを追いかけてきたらあなた達が居たってわけよ。やましいことなど何一つないから信じて欲しいわ」
「補うとすれば、その事件解明をしていたのは遠坂だけじゃないんだがな。俺も夜な夜な抜け出しては捜査にでていた」
「...なるほど。いつも定時で起きている泉世が、ここ2週間ぐらい寝起きが悪かった理由がわかったよ」
ため息を吐きながら事態を飲み込もうとする士郎は、かなり苦しんでいるようだ。まあ、それもそのはずだろう。魔術師の端くれとはいえ、詳しく何も知らされていない士郎が今まさに巻き込まれていることを、簡単に理解できるはずもない。
「衛宮くん、自分がどんな立場にいるかわかってる?」
「...いいや。何一つ、一欠片さえもわからない」
「はぁ。ちょっと泉世、何にも話してなかったの?」
「そこで俺の登場かよ。何を話しておかなきゃならなかったのか、手取り足取り教えてもらいましょうかね」
「ええ、教えてあげますわよ。〈聖杯戦争〉ってものがなんなのかなんで黙ってたのよ」
講師風を吹かして叱る様子に、泉世はげんなりとした気分にならざるをえなかった。彼女の性格をよく知ってはいるものの、攻撃対象が自分となれば思わずにはいられなかった。
いや、今回はその性格を知っていたから余計にということもあったのかもしれない。
「反論させてもらうがいいか?」
「ええ、どうぞ。できるならね」
「では、言わせてもらおうか。〈聖杯戦争〉のことを教えていなかったことについてだが。士郎に教える必要がないと思っていたから、これまでの間説明しなかった。説明したところで、正統な魔術師の血を引いてるわけでもない士郎が信じると思うか?」
うぐっ、という言葉を聞き流して泉世は言葉を続ける。
「たとえ信じたとしても、現実に起きない限り納得はできないさ」
「泉世の言う通りだ。10年間共に暮らした泉世の言葉とはいえ、俺は信じられなかったと思う」
士郎の決定的な言葉に凛はふんっ、と顔を背けて自分の負けを認めようとはしなかった。その負けず嫌いな性格を知っているからか。泉世は特に気分を害した様子は見せず、あっけらかんとした様子で見ていた。
今回は性格を知っていたから、怒るということにはならなかったのだろう。
「まあいいわ。じゃあ、〈聖杯戦争〉が一体何なのかを泉世から...「却下する」はぁ!?」
「俺はしないって言ったんだ。その説明をするなら遠坂が適任だろう?」
そう言って立ち上がった泉世は居間を出ていこうとする。それを見て慌てて凛が止めに入った。
「ちょ、何処行くのよ」
「窓ガラスの修復やその他諸々の片付け。放っておけば誰かが怪我するかもしれないし、
「では私は彼の護衛に行って参ります。私のマスターというわけではありませんが、またサーヴァントに襲われないとは断定できませんから」
今の今まで空気に徹していた〈セイバー〉が、立ち上がって泉世の護衛を願い出た。サーヴァントならばマスターを守護しなければならない状況ではあるが、今の状態で凛が士郎を狙うということはないと判断した結果だった。
「頼むよ〈セイバー〉」
「はい」
居間を出ていった泉世を追いかけて、〈セイバー〉は2人に一礼してドアを閉めてから後を追った。それを見送った凛は士郎に、〈聖杯戦争〉がなんたるかを講義し始めるのだった。
部屋を出て庭先に向かう間、〈セイバー〉は一言も話さず俺の後ろをついてきている。その姿は騎士を守る護衛のようにも見えるが、本来なら彼女こそが騎士である。微塵も隙を見せず周囲を警戒している意思が、決して攻撃の前兆を逃さまいと睨む瞳に現れている。
サーヴァントとしてのプライドなのかな。マスターを死守するように、微動だにしない空気は少しばかり俺の心を揺らがせる。といっても不愉快というわけではなく、ましてや不快感があるわけでもない。
玄関から出て大きく回ってから、粉砕した窓ガラスが見える位置に立つ。窓ガラスは全面に、亀裂が蜘蛛の巣のように走っている。中心部分は大きく穴が開き、空気が流れ込むようになってしまっていた。
これほどの壊れ方をしていれば修理は不可能。業者に頼んで新しく設置してもらう必要がある。だがその場合は、事情説明をする必要があるため、簡単に頼めないのが難点だ。
もともと魔術を知らない人間に、「サーヴァントに襲われて、同居人を守るために窓を壊しました。」そんな話をしても信用して貰えないどころか、こちらが可笑しなことを言っていると思われるのが関の山だ。そうならないためにも、自分たちで修理可能なら、終わらせるのが魔術師というものだ。
まあ今回窓を壊したのが泉世なので、彼が自ら行うのは当然なのだが。〈ランサー〉を投げ飛ばしたことで、かなり広範囲に散らばったガラスの破片を、泉世は可能な限り自身の手で集め始めた。
1箇所に積み上げられたガラスに左手を向けながら、口の中で何かを高速詠唱すると、ガラスの破片が淡い翡翠色の光に覆われて浮かび上がった。1つずつが複雑な動きをしながら、窓枠に残っていたガラスへと戻っていく。すべてがはめこまれ、蜘蛛の巣状に広がっていた亀裂が元に戻ると、〈セイバー〉が一件落着のように足を進ませてきた。
「お見事です。これほどの魔術をその歳で行使できるのであれば、将来は高位の魔術師になれるかもしれませんね」
「それは嫌味か?俺は魔術が苦手な出来損ないの魔術師だぞ」
言葉遣いは好意的で無いものの、振り返った泉世の顔に笑みが浮かんでいるのを見ると、案外〈セイバー〉の言葉を気にしていないようだ。むしろ感情としては、好意的な返事なのではないだろうか。
「貴方の出生がどうであれ、その生き方がどうであれ、私には関係ありません。貴方は貴方であり何者にも染まらない。それが泉世という人間です」
「やけに高評価だな。敵同士だったというのに」
「確かに貴方はかつて私の敵でした。ですが貴方だけは、何があっても守らなければならないと思わされました。それが何による衝動なのか。こうして再び会うことになった今でもわかりません。貴方がこうして生きていることを知って、10年前の
そうだ。10年前のあの災害のさなか、俺は目の前にいる〈セイバー〉に助けられた。聖杯を失い、常世に存在できなくなると知っていながら、その身を呈して俺を救ってくれた。
でも俺は
「我は【騎士王】。聖杯の由るべに従い参上しました。我が剣は御身とともに。...と言えればいいのですが。何の因果か私の契約は貴方の相方ということになっています。私の最優先事項はマスターを守ること。貴方を守りたくとも、それだけはどうしても譲れないものになっています」
「〈セイバー〉が気にすることじゃないだろ。聖杯が選んだマスターが士郎だっただけで、俺はその士郎を守るのが役目だ。マスターを守る役目がサーヴァントなら、必然的に近くにいる。どうせ俺も士郎を守るんだから近くにいる。要するに〈セイバー〉は俺も守ることになるってわけだ」
「わかりました。貴方がそう言うのであればそれに従います。命令権はマスターですが、今は貴方の考えが何よりも尊重すべきだと、私の〈直感〉が言っています」
素直なサーヴァントでよかった。これが〈バーサーカー〉とかだったら、手に負えなくなってるところだ。まあ、〈縁〉としての触媒になったのが
「じゃあ、俺は庭の窪みとかを直すから監視よろしく」
「心得ました」
そう言って俺は庭にある大小含めて50個ほどの窪みを、魔術で1つずつ手作業で直していった。
そんな泉世の背中を〈セイバー〉が微笑ましそうに、そして愛しそうに見つめていた。それはまさに恋する乙女のように、好意を抱く相手を目で追ってしまうという風である。
泉世の左に刻まれた