家系の肩書きや教育方針に、うんざりするようになったのは何時からだったろうか。
家名さえ出せば、大抵の人物は恭しく頭を垂れる。何処に行こうがそれは付随してきて気分を害する代物だった。名家に恥じない技量を示すために幼い頃から英才教育を施され、それが普通だと思わせられた。もちろんそれが一種の洗脳であることはわかっていた。投げだせばどんな制裁を加えられるかを知っていたから、反抗しようとは思わなかった。
それを自分が受けたわけではない。父方の従妹が叔父や叔母から暴力を振るわれていたのを偶然見かけたのである。従妹は魔術師としての才能が幼いながらも高く、将来は約束されたものになると周囲は常々口にしていた。俺自身もそうなるだろうと予測していた。だが従妹はそんなことを望んでなどいなかった。魔術師ではなく、ただ1人の人間として人生を歩みたかった。だから魔術の鍛錬を全力で行わなかった。
つまり家名に泥を塗る行為をしたのだ。
父の妹が別の家に嫁いだとはいえ、実家の手中にあることに変わらないことを示さねばならない。名を馳せる名家ともなれば、多くの魔術師の家系を支配下に置くことは当然だ。互いに血縁関係を構築すれば結束力は高まる。だから何かがあれば、支配する家が制裁を下すことは可笑しなことではなかった。
そのことを一家が黙って見過ごすはずもなく、あらゆる制裁を下されたのは言うまでもない。数時間続く罵倒が行われた部屋から出てくる叔父や叔母を冷ややかに睨んだ後、近づいても反応を示さないほどにまで憔悴した従妹を介護した。取り敢えず風呂で気分を和らげてから、自室のベッドに寝かせてメイドたちに世話を頼んだ。自身の警護や身の回りの世話をする担い手は、個人的に契約した者たちに任せてある。
実家の執事やメイドであれば、彼女の世話を任すことはないし、断固拒否されるのが関の山だ。彼女の行為は期待を大きく裏切るものなのだから、見放されても仕方ない。だが個人的な契約がある彼ら彼女らならば、断られることは有り得ない。命令すれば嫌々ながらすることもあるだろうが、全員そのようなことを心中に抱いたり表情に表すことは無い。全員の忠誠は、主である俺にあるのだから。
500年続く由緒正しい家系である〈アンソニアム家〉は、各時代において
表面的には不可侵を互いにしているが、裏では記録に残らぬことを条件に、殺し合いが幾度となく繰り広げられている。それをやめさせようと会議の場を設けるのが、〈アンソニアム家〉の主な役割だ。
傍から見れば歴史ある名家というのに、そのようなことしかできないのかと思われるだろう。俺も最初の頃はそう思っていた。だが考え方を変えれば、その役割がどれだけ有意義なものなのかわかるはずだ。〈魔術協会〉と〈聖堂教会〉は昔から折り合いが悪く、論争は日常茶飯事。平和な日が年に数度あれば、その年は話題になるほどの有様だった。
その仲を取り持とうだなと一体誰が考える?前例がないから却下するのか?
馬鹿な。
そんなことが罷り通っているならば、世界は何一つ変わることなく悪化の一途をたどっていくことになる。誰かが何処かで前例が無くとも実行したからこそ、今の人類史があるのではないか。前例は覆すためにあると、某アニメのキャラが言っていたな。それはあながち間違っていない。
いや、むしろそれこそ正しいはずだ。
話を戻そう。
英才教育の中には、〈魔術協会〉と〈聖堂教会〉の違いを知った上で、これまでの大小様々な抗争を学んだ。大人気ない理由の争い、予測不能な原因が理由での争いなど。それらは多種多様にわたり十人十色のように溢れていた。とまあ、これほどまでに面倒な勉強をさせられれば嫌でもげんなりするさ。それは俺が《転生者》だったという原因もあったのだろうけども。それか自分自身が《転生前》と同じで、勉強を嫌っていたのもあるかもしれない。
そうして教育者がいる前では、それなりに真面目な姿勢を見せて、家名に恥じない成績を残し続けた。その傍らでは、従妹の精神疾患を癒すために旅行やリハビリなどを手伝っていた。その手伝いも決して嫌だったわけではない。むしろ誰かの役に立てるという喜びがあったから、嫌な顔をせずにいられたのだろう。だがそれはある意味一種の同情であったかもしれない。
望みを聞き入れられず、一方的に自分が悪いと罵られる人生など生きる希望も見いだせない。リハビリの手伝いは、自分自身の償いの意味も込められている。俺が《転生者》であることに加えて、周囲から天才と称されるほどの才能を持ち合わせていたから、従妹があのような目に遭ったのかもしれない。
俺が凡庸な才能であったならば、従妹が天才と称されてもう少しマシな境遇にいられたかもしれないと思ったりする。だがそれでも従妹は魔術師として生きる人生を望まないだろう。どちらであっても結局は、彼女にとって不幸な道を生きることになることに変わりなかったから。
リハビリをかねてのロンドンでのショッピングでは、毎度のように感謝と謝罪をされた。「助けてくれてありがとう。そしてごめんなさい」と。心の病は治るのに時間がかかる。もしかしたら一生治らないかもしれない。心の弱った従妹をこれ以上傷つけられなかった俺は、拒否するでも受け入れるでもなくただ自然と流した。誰かの役に立てることが嬉しい事だと素直に打ち明けた。誰にも言えなかった言葉を伝えられて、俺の心はとても軽くなった。呪縛から解放されたように。枷や重しを外した幸福感に似た何かを感じた。
それ以来魔術に精を出してからは、〈ロード〉と呼ばれる人達にも一目置かれる存在となった。1週間に一度、1人ずつであったものの、12人すべての〈ロード〉に講師をしてもらうこともあった。普通であれば、〈時計塔〉に入らなければ授業を受けることも出来ないことであるが、〈アンソニアム家〉のこれまでの功績が影響していたのだと思う。これまで誰一人として、〈魔術協会〉と〈聖堂教会〉の仲を取り持とうとした者は居なかったのだから、それを積極的に行おうとする家を野放しには出来ないだろう。
それに〈アンソニアム家〉も魔術師として名を馳せた者は、片手の数であるがいたこともある。それに歴史ある家を利用する輩はいくらでもいる。特に〈ロード〉を排出する12の家系からすれば、前例のない役を担っている名門は魅力的な餌である。
講師の中でも特に印象に残ったのは、
『魔術師は血統がすべてを決める。希少な《属性》を操る者ならばともかく、歴史の浅い一族などさしたる意味もない。故に、はっきりとここに示そう。魔術師は実力と才能がすべてだ。だから君はその両方を持ち合わせた者となるように、これからの鍛錬を怠らぬことだ』
...正直、貴方の考えは間違っていると言ってやりたがったが、俺は教えを乞う側であるから何も口にはできない。だから心の中で呪詛を100通りほどぶちまけてやった。...だがそれでもあいつは、魔術師の中でも生粋の魔術師だと認識させられたのを今でも思い出せる。骨の芯まで魔術師であることに誇りを持つ存在なのだと。
魔術師以外を見下す性格は、名門出身というせいもあるのだろうか。周囲の期待に応えるために、自分以外を実力で蹴り落として今の地位に至る。人間としては尊敬できないが、1人の魔術師としてはかなり尊敬できると俺も思う。ウェイバー・ベルベットの気持ちも少しだけわかる気がする。
産まれてから5年後のある日。〈聖堂教会〉から秘密の文書が〈アンソニアム家〉に届いた。宛先は〈アンソニアム家〉の当主である俺の父、そして次期当主である俺に対してだった。どうして俺に対して届くのかと疑問に思ったものだが、当然といえば当然なのかもしれない。何せ俺が〈アンソニアム家〉の次期当主であると、魔術師たちの世界に住む者は知っているからだ。それに12人の〈ロード〉から教育を受けているのだから。知らない者などたかが知れているだろう。余程のはみ出し者か物好きかのどちらかだと。
文書の送り主は、〈聖堂教会〉第八秘蹟会の司祭にして〈第三次聖杯戦争〉の監督役であった言峰璃正その人からだった。まあ正確には、言峰璃正を仲介役としたある人物からであったが。父に見るよう促された俺は、執事から受けとったペーパーナイフで高級な便箋を破り中身を読んでみた。
【この度、こちらの文を読んでいただけることに感謝致します。では単刀直入に申し上げる。〈アンソニアム家〉次期当主殿、〈第四次聖杯戦争〉へ参加して頂きたい。此度の〈聖杯戦争〉は、過去3度行われたものとは違い、平和に収まると考えられます。参加してくださることを切に願いまする。
〈聖堂教会〉第八秘蹟会司祭兼〈第四次聖杯戦争〉監督役 言峰璃正 】
なんとも端的で脈絡のない文書である。どう考えても、裏で何かを企んでいますよと言っているようにしか見えない。それは5歳にして、10代の魔術師を凌駕する俺でなくとも読み取っていたことだろう。
『父上、これは裏があるとしか考えられません』
『だろうな。〈聖杯戦争〉、〈万能の願望器〉を巡って争われる血塗られた戦い...か。噂によれば〈アーチボルト家〉9代目当主、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが参戦するなどと噂されていたな』
噂ではなく事実ですよ、なんて言えない。諜報専門部隊が噂でしか情報を手に入れられてないのに、何故俺が知っているのか聞かれたら不味い。「《転生者》だからでーす」なんて言えないし...。
『次期当主を、そのような危険極まりない場所に送り出せるわけなかろうに』
『行っていいなどと言うつもりはありませんが。現当主が赴くのであれば、次期当主が赴いても問題は無いと思われます』
『行くことを懸念しているわけではない。私が言いたいのは年齢だ。齢10にも満たない幼子が戦場に行く必要は無い』
母の疑問も一刀両断する父。厳格で色々と面倒な父ではあるが、決して家族に対して情がないわけじゃない。家族のことはもちろん大切にするし、俺への過保護さは周囲が若干引き気味になるほどだ。俺からすればありがた迷惑であることに違いないのだが。
『この機を逃せば、次はいつ現れるかわかりません。ならば行くしか手段はありません父上』
『命を危険に晒すつもりか?』
『魔術師にとって人生とは危険そのものです。安全な時などあるはずがありません』
こんな具合に俺の発言が物議を醸すのは当然だった。一族の重鎮を集合させた会議は、4時間にわたって続いた。最終的には、俺が〈第四次聖杯戦争〉に参加することを許可するという結論に至った。参戦するといっても、俺はマスターではないから観戦するだけだろうと考えていた。
だがまさか
「...案外寒いな」
深夜2時を過ぎた家の外は閑散としている。秋とはいえここまで冷え込むと、士郎が寒さを気にしてしまうのもわかる。
「早く行けばその分寒さに当たる時間は短くなるぞ」
今は新都にある教会へ徒歩で向かっている最中だ。士郎は行くことに反対したが、マスターとなった以上、命の危険は常に着いて回る。それに遠坂から〈聖杯戦争〉のことについて説明を受けていたとしても、経験しているしていないでは情報量に大きな差が見られる。
士郎が反対した理由としては、こんな夜更けに赴いては迷惑になるという至極真っ当な考えだった。考え方としては正しいが、生憎そこにいる神父は常識が通じるような相手ではない。常識を逸脱した言動や思考回路を持ち合わせていなければ、真っ当な会話を成り立たせることは不可能だ。その発言をしていると、自分も異常者だと言っているようなものだが。まあ、あながち間違っている訳でもないから気にしてはいないけども。
今は俺が士郎を連行しているが、本来ならば遠坂が士郎を教会に連れていく予定であったはずだ。だがその張本人は、もう既に顔を見せているということでさっさと帰ってしまった。帰り際にあいつのサーヴァントが、俺をそれとなく見てきたのだが気づかなかったことにしておいた。
そんな風に思考を回していたからなのか。気が付けば目の前には、大きな柵がそびえてその奥に教会が建っているのが見えた。深夜ということもあり、なかなかに風情を感じさせる雰囲気であったが、気にすることなく柵を押し開けて入っていく。
「あれ、〈セイバー〉は来ないのか?」
振り返ると、〈セイバー〉は敷地内に踏み入ろうとしていない。まるで拒絶反応を見せるかのように。
「なんか理由があるんだろうさ。今は士郎を会わせるのが先だ」
「〈セイバー〉が入りたがらない理由があるのか?」
「さあな。それは本人に聞かないとわからない」
実際、何故入ろうとしなかったのか俺は知らない。〈第四次聖杯戦争〉で、〈セイバー〉と言峰綺礼が相対した記憶はない。スキル〈直感〉によるものなのか、それとも生理的に受け付けない何かがあるのか。俺が考えるに教会近辺には、サーヴァント避けの術式が敷かれているのだと推測している。教会は〈聖杯戦争〉における唯一の中立地帯であるから、襲撃なんぞされたら困る。それは監督役を含めた敗北者たちの本音だろう。
「...ん?ほう、また奇怪な客人を連れてきたな。こんな時間に訪問とは、いささか礼儀がなっていないのではないかね?」
「あんたに礼儀なんて考えたこともないさ。それにこんな時間から礼拝なんて、頭のネジが何本か飛んでるんじゃないか?」
「フッ、まったくお前という奴は」
苦笑するような表情であるが本心はどうだか。こいつは口も頭も信用出来ない面倒な野郎だ。さらに言えば、暗殺者としての腕も立つから尚質が悪い。
「誰が奇怪だ!」
「そう怒るな少年。君からは魔術師としての才能を感じない。だがそれとなく魔術師の腕を持つから奇怪と言ったまでだ。決して君自身が奇怪と言ったわけではない」
「今日来たのは、あんたに士郎がマスターだってことを知らせるためだ。まあ、知らせなくとも知っていただろうけどな」
監督役ならば誰に令呪が宿ったかなどお見通しだ。使い魔にでも探索させれば案外数時間で集まってしまう。名目は士郎のことを知ってもらうことだが、それを素直に受け入れるだろうか。
「令呪が宿った以上、君は殺し殺される側の人間になった。どんなことがあろうと、この殺し合いからは逃れられん。2つの方法を除いてはな」
「2つの方法?」
「死かマスターとしての地位を返上するか...だ。前者は〈聖杯戦争〉において特に珍しいものではない。むしろないことがない。後者もこれまで4度あった中でも、誰一人としていない。前代未聞のマスター返上者になるのか。戦いを望み、〈万能の願望器〉を得るのか。それは君自身が選ぶのだ」
士郎にとっての願いは〈正義の味方〉になること。自分以外が救われることを望んでいる。それを叶えるためには、聖杯を手に入れるしか方法はない。だがそのためには争いをくぐり抜けなければならない。
人を殺して自分の手で得るしかない。
「かつてある男がいた。その男は魔術師でありながら魔術師らしからぬ男だった。魔術師でありながら魔術師を殺す。そしてその殺し方も歪だった。魔術ではなく銃を用いて殺す。あの男ほど魔術師ではない魔術師を見たことがない。その名を衛宮切嗣という。覚えがあるはずだ」
「...戦うさ。俺はマスターとして戦う。〈聖杯戦争〉という馬鹿げた争いを終わらせるためにな!」
そう言って教会を出ていこうとする。怒りに任せた行動であるが間違っていない。
「喜べ少年、君の願いはようやく叶う。取り繕う必要は無い。君の葛藤は人間としてとても正しい」
名言言ってくれたな。こいつは発する言葉それぞれが名言として残ってしまうのが腹立つ。どうせ呆気なく情けなくさよならするんだろうけどな。
「で、私に何か用かね?」
「1つ聞きたい。1体のサーヴァントを
「...そのようなことは聞いたことがない。何故なら1人のマスターに1体のサーヴァント、これが〈聖杯戦争〉における崩れぬ摂理だからだ。何故それを問うた?」
無言で左手の甲を見せつける。それを見た言峰の顔が珍しく驚愕に染められる。といっても、それは油断なく観察していたから気づけたのであって、気にしていなければわからない程度だった。
「...ふむ、お前が
「まさかそんなことないさ。そもそもこの令呪は士郎と同じ紋様だ。俺が8人目なら令呪の紋様は異なって、別のサーヴァントが召喚されているはずだ。それに〈聖杯戦争〉は、7人のマスターと7体の英霊による争いだ。8人目と8体目なんぞ現れるはずがない」
「何事にも例外はある...と言いたいところだがその考えは正しかろう。〈聖杯〉を作り上げたアインツベルンならばともかく。御三家でもない一族に、書き換えるほどの魔術を行使できるはずもない」
つまり、この状況にはお手上げってことだ。まあ、俺だって鼻から答えを求めていたわけではない。仮説でもヒントでも見つかればいいと思っていただけだからだ。そこまで考えたところで、とてつもない轟音と衝撃が教会を襲った。この尋常ならざる魔力と圧迫感。
「くっ、事後処理が...」
いや、待て。それ今言うのか?てかそれネタだろ?シリアスモードが台無しじゃないか。
「どうやら〈バーサーカー〉とアインツベルンの娘が仕掛けてきたようだ。早く行かねばあの少年は死ぬぞ」
「だろうな。あんまり〈聖杯戦争〉に首を突っ込むことのないように頼むよ」
「もちろん私は参加などしない。監督役という責任があるのでな」
どうだか。言峰璃正のように誰かと結託しているならば、俺はお前を討つ。どんな卑怯な手を使ってでもな。さあて、久方ぶりに魔術を全力で叩き込むことにするか。俺は教会の扉を開けて、今まさに刃を交えている〈セイバー〉と〈バーサーカー〉の戦闘に、単身で介入するのだった。