物心がついた時、初めに見た景色はお父さんが連れ去られる瞬間だった。周りには柄の悪そうな男が沢山いた。
それっきりお父さんは帰ってこなかった。家にはお母さんと自分だけの生活が7年続き、わたしを生かすために仕事と家事を休み無く行った。お母さんの笑った顔を見たことなんて、それから1度もなかった。
この街で女の、それも子連れにまともに仕事なんて見つかるわけがない。そんなことに気付いたのは、お母さんが病床に臥せってからだった。この街は黒の街、ブラックシティと言われている。街の中心には高層ビルが立ち並びスーツを着ている人達には顔に生気がなく、ただ歯車のように働く、ということを聞いたことがある。わたし達が住んでいるのは街の端っこの今にも崩れそうなひび割れたコンクリートのアパートだ。
お母さんは肉体労働というものをしているらしい。何の仕事をしているかは教えてくれないが、まるではぐらかすように頭を撫でてくれる。それが気持ち良くてお母さんに抱き着く。その時だけお母さんは幸せそうな顔をする。いつもの顔に比べれば、だが。
お母さんを布団に連れていき、寝かせる。わたしは自分の無力さに嘆いた。何故お母さんが病気になるまで働きつづけたか、わたしのせいだ。わかっていた。わたしの存在がお母さんの重荷になっていたんだ。
布団に寝ながら、お母さんはわたしに、お父さんの話を聞かせた。いつもははぐらかしたりするけど今日はしなかった。お父さんは探偵をしていて、ブラックシティでは結構有名だったそうだ。ブラックシティでは人が行方不明になる事件が多発し、お父さんはその調査をしていたらしい。ある日手掛かりを掴んだのと攫われたのは同時だった。攫った人達は金で雇われた暴走族で、それを雇ったのは偉い人らしい。
わたしは、それが誰なのか知りたかったけれど、お母さんは教えてくれなかった。
次第に母は吐き気でトイレによく行くようになった。病院に行こうにもお金が無い。わたしが働こうとしたが子供が出来る仕事なんてこの街にはない。
次第に迫りくる絶望と終わりに私たちは目を瞑った。そんな時にドアをノックする音が聞こえた。
「ちょっとでてくるね」
わたしは立ち上がり、玄関のドアを開ける。
「お届け物で〜す。こちらユキ様で間違いありませんか〜」
開いたドアからは、男の人が、大きなダンボール箱を持っていた。
「…わたしがユキです。」
サインをしながら答えるとわたしの両手に大きなダンボール箱が渡された。
「ありがとうございま〜す」
足早に去っていく配達員を見送り、大きな荷物に重心を取られながら
部屋に持ち込む。
「お母さん、これは?」
家に配達員が来るなんて初めてのことだ。
「ゴホッ…開けてみて」
母に促されダンボール箱を開けると、お嬢様がよく着る黒色の長いスカート、白いフリルがあしらわれたブラウス。リボンは鮮やかな赤色を映し、私の長い茶髪によく合いそうな桜を象ったピン留めが目に付いた。
「お母さん…?すっごく可愛い…!!でも、どうして…?」
「ユキももう10歳なんだから、オシャレの一つや二つしないとね」
わたしでもわかる。これはオシャレな一つや二つで収まりきらないぐらいの品物だと。
「お母さん、ちょっとずつ貯金して、ユキに似合う最高の服、買っちゃった」
満足げな顔をしたお母さん。熱いものが込み上げてくる。
「おっ、おがあさん…」
目から涙が溢れ止まらない。お母さんがわたしのために買ってくれたすごく大切な物。私だけの宝物。嬉しい。肩が震え、涙で頬を濡らすわたしにおかあさんはそっと寄り添い、抱きしめてくれる。
「うふふ、もう、ユキは泣き虫ね」
「だってぇぇ、だってぇぇえ!」
お母さんは泣き止むまでわたしを抱きしめ続けてくれた。
「でも、驚くのはこれからよ!」
そうだ、まだダンボール箱の中にはものが入っている!
「これがカバンでしょ、靴に時計に着替え!」
「そしてこれ!」
お母さんの手の中には1枚のカードがあった。
「グスッ。なあにこれ?」
「これはね、あなたのトレーナーカードよ」
「トレーナーカード…?…ええっ!?」
わたしのトレーナーカード!? どうして?いつの間に?写真もちゃんと付いてるし…
「10歳になったら、誰でもポケモントレーナーになれる」
本で読んだことがある。たしかに、10歳になるとポケモンを携帯することが許される。
「もちろん、私の娘もね」
あっけらかんと言うが、何故トレーナースクールがあるのかを考えて欲しい。それは、ポケモンを飼育するだけに留まらず、ポケモンに対する深い知識、習性、性格、様々な事を習うはずだ。
なぜ学ぶか。それは命に関わるからだ。ポケモンは知能が高い生物だが、火を吐いたり、ビームを出したり、地面を割ったりする…らしい。残念だけど人間はそれらの脅威に真っ向から立ち向かえないし、攻撃を受けて無事なわけがない。特にサイドンのつのドリルなんて受けた日には間違いなく風穴が空くだろう。
話がそれてしまったけれど、ポケモンとはそういう存在だ。やろうと思えば、インド象も倒せる、らしいとどこかおかしな本を読んだ。
だからこそ、慎重に考えなければならない。知識がない子供がポケモンを扱うことを。さらにわたしは野宿やサバイバルの経験がない。10歳になったらポケモントレーナーになれる。とはいえ、精神も体も知識も未熟な人間が旅に出た、次の日野生のポケモンに襲われ命を落とす。なんて事が頻繁に起こる。だからこそポケモンスクールがあり、学ぶ。そして満を持して出発するというわけだ。
お母さんが知らないわけがない。なら、なにか目的があるはずだ。それらの危険性よりも大事なことが。
「どうして、わたしに。」
短く紡がれた言葉にお母さんは、
「旅の楽しさを知って欲しいからよ」
と答えた。うそだ。そんな理由じゃない。なら、そんな目をするわけがない。
「本当のことを言って欲しい、お母さん」
お母さんは1度目を瞑り、わたしに答える。
「そうね、ユキももう大人だもの。ちゃんと話さないとね」
ごくりと唾を飲み込む。
「あなたにね、強くなってほしいの」
そう、初めからわかっていたことだ。このことは。この環境を招いたのは他ならぬ自らの弱さ。あの時、暴走族を退ける力があれば、ブラックシティの片隅でゴミのように暮らすことはなかっただろう。だからお母さんはわたしに強くなってほしいんだ。と理解した。
ポケモンを持っていれば抑止力になる。一昔流行ったポケモンブームだ。いや、一昔なんかじゃない。昔から戦争にポケモンが使われたことがある。ポケモンは人間とは比べ物にならない力を持っている。だからそんなポケモンを従えるポケモントレーナーはどんな場所でも重宝される。例えば工事現場。ここにカイリキーを持つトレーナーがいれば人間なんてほぼ必要がない。カイリキーに勝てる人間なんていない。あの、暴走族も倒せただろう。
「強さは自分を守る盾」
「旅で何者にも負けない強さを手に入れて欲しいの」
「それがお母さんの願い」
話終えたお母さんの目は静かだった。そして、わたしもそう思った。
この世界で誰よりも強くなれば、襲われなくなる。襲ってきても撃退できる。そして、取り返せる。
「…わかった」
わたしは覚悟した。
「わたし、強くなるよ」
もう誰も泣かせない。
「誰にも負けない」
理不尽に抗う術を得る。
「私がこの世界で1番強くなる」
そして奪われた物は取り返す。
「だから待ってて」
わたしにとってポケモントレーナーは強さこそ全て。
「お母さんもお父さんも全部元に戻す」
「そして、皆で笑ってあったかいごはんが食べられるように」
「わたし、強くなるよ」
泣いていた少女はもういない。いや、微かに腫らした目を擦り固く決意する。
いま、1人の少女がイッシュ地方に産声を上げた。
ポケモンがいないのに旅に出ようなんてたまげたなぁ。どこの初代主人公かな?
金さえあればなんでも揉み消せる。