新提督の監査に付き合う私、若葉。1つ目の難関である、友好的な深海棲艦に関しては、直に見てもらったことにより事なきを得た。
あちらも多少は理解しているとはいえ、そのものを見て態度を変える可能性だってあったが、今の段階では保留とし、大本営に持ち帰り検討するとしてもらえた。
「医療設備と工廠以外だと、あとは居住スペースになります」
「医療施設としての監査は終わったが、本来所属するはずのない艦娘が、どう生活しているかは確認しておきたい」
プライベートな場所になるものの、清廉潔白であることを示すためにはそういうところも見せておかねばならないらしい。何も私室を1つ1つ確認していくというわけではないようだが、ここにある設備、食堂や談話室などは確認するとのこと。
「その前に、事前の知識として入れておいてもらいたいことが」
「何か?」
「うちの三日月は、本当にデリケートな子です。なので、先にお伝えしておきます」
次は2つ目の難関、三日月。私以上に外見に出てしまっている三日月を見たとき、新提督がどういう反応をするか。もしも、三日月のコンプレックスに触れるような物言いをした場合、この施設全体で新提督を糾弾する可能性がある。
なるべく穏便に済ませたいが、それは新提督次第。三日月だって、長くここに滞在して心を強くしている。私達は三日月を信じているが、初対面の新提督を相手にした場合、どうなるかわからない。
三日月がどういう艦娘であるかを説明すると、新提督の表情が見る見るうちに変化していく。いろいろな感情が交錯していたが、一番強いのはやはり怒り。子供の顔に大きな傷がついている実情が、どうにも許せないようである。
やはり新提督は子供好きの優しい性格だ。立場と表情から誤解されやすいのだろう。最初に瑞鳳が言っていた通り、警戒するような人ではないのかもしれない。
「ここ最近は鳴りを潜めていますが、久しぶりの初対面の人間ですから、以前のような反応をしてしまうかもしれません。ですが、それが心の傷というものです。それだけは理解してもらえれば」
「了解した。わざわざ悪い部分を引き出したいわけではない。ありのままを見なくては平等ではないからな」
その辺りは理解してもらえて嬉しい。新提督は誠実な監察官だ。
居住スペースと言っても、普通の鎮守府よりも規模が小さめな食堂や談話室があるくらい。今のところ2階が全て私達の私室になっているため、監査は1階止まりとなる。
「あ、監査の人ね! 片付けてる最中だけど、どうぞどうぞ!」
食堂では、夕食の仕込みをもう始めている雷の姿が。さらに、昼食の片付けとして食堂を掃除している三日月まで。ある意味都合が良く、ある意味都合が悪い、最高で最悪なタイミング。
チラリと三日月を見たが、何食わぬ顔で雷に向き直す。無視したわけではなく、今は触れないようにしてくれた。聞いていた以上の外見の変化だったのだろう、表情は変えていなかったが驚きが匂いで伝わってきた。
「……ここの食堂は雷が?」
「ええ。料理出来る子少ないし、ずっと私がやってきたんだもの」
「そうか……鎮守府ではないから間宮もいないのか」
普通の鎮守府には、食堂担当の艦娘、給糧艦の間宮と伊良湖が派遣させられるのだが、当然この施設は鎮守府ではないのでいない。食事の用意も、部屋の掃除も、全てここにいるものでどうにかしている。
そういう環境を新提督は知らないらしい。それはそうだ、何処を探しても艦娘がこういう形で働いている施設というのは無いだろう。
「飛鳥医師、君は艦娘に雑用を押し付けているのか?」
「それは違うわ監査の人。私がやりたいからやってるの。先生は研究、私達は家事、それで全部回ってるのよ」
それに、飛鳥医師にこの辺りをやらせたら余計に汚れてしまうので、研究に没頭してもらった方がいいのは確かである。それは飛鳥医師の名誉のために言わなかったが、よく知っている下呂大将は後ろで微笑むのみ。
雷の言う通り、私達は自分から進んで仕事をしている。住まわせてもらっているのだから、多少なり貢献しなくては。あのリコですら、定期的に戦闘機を飛ばすことで近海の様子を確認しているくらいだ。残りの時間は施設の周りに咲き始めた彼岸花の世話だが。
「そうか。すまなかった」
「いえ、そう思われても仕方ないです」
「監査って疑うことがお仕事なんでしょ? それくらい理解してるわ」
などと雷が新提督と話をしている間に、足音も立てず三日月が私の陰へ。やはり初対面の人間は難しい様子。久しぶりに私が三日月の盾となるため、さりげなく姿を隠すように移動した。
半分は人間への嫌悪感。大本営所属の提督という役職にも良くない感情を持っている。ただでさえ新提督の言動次第では施設が傾くのだから、三日月としては嫌悪感の方が強めか。
もう半分は顔を見られた時の反応に対する恐怖心。コンプレックスを刺激されることが何よりも怖い。つい最近、大淀に刺激されたせいで過敏になってしまっているのだろう。
「三日月」
名前を呼ばれたことでビクンと震える。そして私の腕をこれでもかと掴む。手が震えている。嫌悪感と恐怖で左目から感情が漏れ出し、ビカビカ輝いてしまっている。
「君のことは聞いている。監察官として、私は君からも話を聞きたい」
「……何もお話しするようなことはありません」
カラカラの喉で絞り出した言葉は、拒絶。
当初の三日月に戻ってしまったようだった。顔を伏せ、私を盾にして、目も合わせずを徹底している。毛布とかあったら被って身を隠すほどだろう。あの時のように暴れ出さないだけマシか。
「そうか、なら仕方ない。飛鳥医師、次に行こうか」
「はい」
三日月にはそれ以上触れず、監査を続ける。ほんの少しだけ、悲しそうな目をしたのは見逃さなかった。
今の三日月には少々荷が重い。来栖提督や下呂大将のような、
「三日月、若葉は監査に付き合う。また後から」
「……」
手を離さない。ここには雷もいるものの、やはり一番安心できるのは私の側らしい。これではこれ以上監査に付き合うことは出来ない。
「すまない、若葉はここに残る。監査を続けてくれ」
ここまで来れば、もう新提督は大丈夫だろう。常に匂いを嗅ぎ続け、監査に裏がないことは大体わかった。敵か味方かは何とも言えないが、少なくとも今すぐ私達が被害を被ることはないだろう。
あとは飛鳥医師に任せ、私は三日月の側にいることにした。そもそも私がついていく必要は無いのだから。
「……三日月、監察官はもういない」
まだ顔を上げられない。手の震えも止まらない。
ほんの少しの涙の匂い。焦りから来る手汗の匂い。嫌悪感と恐怖の中に、罪悪感も混ざっていた。拒絶してしまったことを悔やんでいるが、新提督相手には止められなかったようだ。
それは私達は全員わかっていること。三日月の心の病はそれほどまでに大きい。
この三日月の気配をどこからか感じたのか、浮き輪が3体総動員で食堂に駆けつけた。不安定な時こそ、三日月にはよく効くアニマルセラピー。1体は首へ、もう2体は両腕にしがみつく。これで少しでも落ち着けばいいのだが。
「大丈夫か? 辛いなら部屋に行くか?」
「お水いる? 気持ち悪かったら吐いていいのよ?」
顔面蒼白で今にも吐きそうな顔だったため、私と雷で介抱する。食堂であるが故に座ってもらうしか休む方法が無いのだが、やらないよりはマシ。背中を摩りながら落ち着くのを待った。
浮き輪は今度は前側に回り込み抱きしめられる場所へ。より癒される場所で三日月のために行動する。ここ最近は霰や夕雲の下にも行っていたが、今だけは三日月の独占。
「落ち着いて深呼吸だ。大丈夫、今は若葉達しかいない」
「ひっ……ふぅ……う……」
雷の用意した水を飲んで一息つく。顔色はまだ悪いが、先程よりは落ち着いたようだ。もう近くに新提督がいないとわかり、顔を上げた。今にも泣きそうな表情。
「私、ダメでした……あの人には嫌な気持ちしか出ませんでした……」
「大丈夫だ。若葉はわかってる」
浮き輪達と共に、三日月に温もりを与えるために背中側から抱きしめる。浮き輪も三日月を慰めるように頭を撫でたり腕を撫でたりしていた。手どころか身体中が震え、今にも崩れそう。
「あの人はあの人の仕事をこなしているだけなんだ。それに、不器用な人でな。真意とは違うように受け取られてしまうことが多いらしい」
「そうだとしても……そうだとしても、あの人の一存でこの施設が壊される可能性はあるんですよね……そう思ったら……拒絶しか出来ませんでした……」
震える手で浮き輪を抱きしめながら、か細い声で独白していく。
「やっぱり……私は弱いです。そんな弱い自分が大嫌いです……」
「三日月、そんなに自分を卑下するな。三日月は前より強くなっているさ」
「そうよ! 三日月は弱くなんてないわ! 私達が保証する!」
前から感情を抑え込むことなく、新提督に向かっていただろう。発狂し、叫んでいただろう。それをせず、自分の意思を発信できただけでも充分な成長だ。自分を抑えることが出来るのは強さである。
三日月は弱くない。大淀との戦いの時だって、私のように理性を失わずに懸命に戦っていたではないか。
「新提督が苦手なのは仕方ないことだ。若葉も苦手だからな。さっき、若葉の首の痣を見た時に、若葉的には少し嫌な目で見られたんだ。すぐに誤解だとわかったんだけどな」
先程のことも話しておく。私も嫌なことがあったのだから落ち着こうというわけではないが、辛さは共存していければと思う。
とはいえ私の出来事は、既に新提督の不器用さ故の誤解とわかっていることだ。本来の新提督がどんな人かは大体わかっている。
「三日月、曙の時にも言ったがもう一度言うぞ。最初は若葉の側にいればいい。ゆっくり、ゆっくり踏み出そう」
「……はい……若葉さん……一緒に歩いてください……こんな弱い私は迷惑かもしれませんが……」
「迷惑だなんて思わないさ。三日月は心の傷が他より深いだけ」
長くここにいても根深いものはすぐには治らないだろう。それでも、強くなろうとしているだけで充分だ。そうやって来栖提督にも自分から歩み寄れたし、あちらの鎮守府でも嫌な思いはせずに済んだのだから。
「私もいるわ! もーっと頼ってもいいのよ!」
「……雷さんも……ありがとうございます……」
これだけ根深いトラウマなのだ。もっとみんなを頼ればいい。この施設には三日月を見捨てるような者は誰もいない。人間も、艦娘も、深海棲艦もだ。仲間意識が特別強いこの施設でなら、三日月はもっと強くなれる。
しばらくして監査は終わったようで、最後にもう一度だけ食堂に立ち寄った新提督。あちらもわだかまりを残したまま帰投するのは嫌なのかもしれない。
その頃には、三日月は充分に落ち着いていた。顔色も良くなり、私にしがみつくようなこともしていない。
だが、新提督の姿が見えた瞬間に私の後ろに回り込む。やはり目を見て話すことは出来なそうだ。むしろ話せるかどうか。
「三日月、安心してほしい。今日の監査はこれで終わりだ」
新提督が話すが、三日月は反応しない。
「だが、数日もしないうちにここに来る。ここの監査は最重要事項だ。定期的に実施しなければ、大本営は納得しない」
それは私も理解している。ただでさえ深海棲艦が滞在している施設なのだ、毎日でも監査を入れたいところだろう。あわよくば手綱を握りたいと考えるのだってわかる。
「監察官として、この施設は現状維持が最適だと思っている。しかし、深海棲艦を保護しているという事実は変わらない。保護監視下に置き、万が一のことが起こらないようにするのが適切だろう」
現状維持を推してくれているのはありがたい。早急に潰すでもなく、過剰に斡旋するでもなく、今のままで。私達としてはそれが一番ありがたい。襲撃に備えることを許してさえくれれば、私達は何も求めていない。
「……ここからは私情だ。監査とは関係ない。大本営所属でも監察官でもない、一個人として、君に話をしたい」
私の背に隠れる三日月に近付くわけでもないが、離れすぎていない位置でしゃがみ、視線を合わせる。三日月はあちらを見ていないが、誠意が現れている。
「監察官として贔屓は出来ないが、ただの人間としてなら、私は君のことを尊重したい。さぞかし辛い思いをしたのだと思う。今もしているのだろう。私の存在が君を苦しめているのも理解しているつもりだ」
ツラツラと話す新提督は、今だけは隠していた本心も曝け出せているように思えた。監察官ではなく、一個人としての新提督の意思が見える。
余計なことを話さないように口数を減らしていたせいで、あらぬ誤解を生み続けていたのだと思うと、新提督は少し不憫だ。だが、立場が立場だけに口出しも出来ず、悪役を自ら受け入れるしかないのだろう。
「本心を言うのなら、私は君と仲良くしたい。無理だとわかっていても、言葉にはしたかった。それだけだ」
最後まで三日月は顔を合わせることが出来なかったが、新提督の本心を知ることが出来たのは大きい。子供好きに悪い人はいない。
「……ズルイです。それで拒絶したら、私の方が悪者になるじゃないですか」
「そ、そんなつもりで言ったわけじゃないぞ。私は君を尊重しようと」
「そういうところですよ。私のダメなところが悪目立ちするじゃないですか」
悪態をつきながらも、三日月は私の陰から少しだけ姿を現した。普通とは違う髪と肌を、新提督に曝け出した。それに対して新提督は反応しない。それが最善とわかっている。
「これは先生にも言った言葉です。私を信じさせてください。貴女が信用に足る人物なのか、私に……見せてください」
「了解した。今はそれで充分だ」
一歩前進。三日月もやはり強くなっている。
監査はこれで終了。今のところは保留な部分も多いが、掴みとしては良かったのだと思う。新提督がこの施設についてどう捉えているかは理解出来た。
三日月はどうしても人間相手だと難しい状態です。それほどまでに心の傷が根深い。大淀のせいだとわかっても、人間に内通者がいるのだから、感情は変わらないでしょう。