大淀の襲撃を受けてから1週間、早朝に思わぬ漂流物が流れてきた。身体中が傷だらけで、深海棲艦の匂いを纏った呂500である。
朝のランニングをしようとした際に発見した私、若葉がそれを確認しようと出撃したが、意思と理性を失い、イロハ級の深海棲艦のようになってしまった呂500に襲われてしまった。曙の救援のおかげで何とか命を取らずに気を失わせることは出来たが、何が起きたのかさっぱりわからなかった。
目を覚ます前に昏睡させようと、すぐに施設に運び込む。その時には施設の者全員が目を覚ましており、飛鳥医師も準備万端だった。
「どうなっているんだ。呂500はあちらの姫だろう」
「わからない。だが、完全に理性が無かった。人語も介していなかったくらいだ」
すぐに処置室に運び込み、目を覚まさないように仕立て上げた。どうなっているかがわからないため、私の嗅覚、三日月の視覚に、姉とシロまで総動員の検査をすることとなった。まるで私の左腕の検査である。
その際に艤装を強引に外し、水着も脱がしたが、そこで驚くべきものを発見する。
「これは……何だ」
呂500の胸の中心。小さく手術痕のようなものがあった。無理矢理手を加えられたかのような傷で、何か
「そこが特に匂いが強い。何人もの匂いが混ざり合っているような……何だこれは」
「……私にもおかしなものに見えます。敵の大淀さんと近いけど……少し違う感じです」
三日月には得体の知れないものに見えるようだ。そこに、姉とシロも付け加えてきた。
「その者には良くないものが憑いておる。他の者とはまるで違う、混沌とした何かじゃ」
「……ハツハルの言う通り……この子はまずい。中が……めちゃくちゃ」
シロはその痣に触れながら話す。姉も遠目で見ているだけで不快感を示しているようだった。
私含めた4人の総意として、呂500は中身がおかしくされているというくらいしか見当がつかない。ここからは医学的な治療になる。
「必要最低限の処置、胸骨の洗浄だけはすぐに施す。皆を呼んできてくれ」
「了解」
少し久しぶりな施設総動員の処置。本来ならこれで洗脳は解けるはずだが、この呂500に関してはそれでもどうなるかわからない。処置をしたところで何も変わらないという可能性だってある。
それでもやらない道理はない。本来なら、大淀の下にいる艦娘全てを救うつもりで戦っているのだ。この呂500だって例外ではない。
すぐに人は集まり、処置に取り掛かる。だが、先に聞いておかなければならないことがあった。それは、曙にである。
「曙、コイツは救うぞ」
「なんで私に聞くのよ」
決まっているだろう。曙は呂500の手で一度命を失っているのだから。自分の命を奪った者を救うことを良しとするのかは、ちゃんと聞いておきたかった。嫌だと言われても当然治療するが、嫌なら処置に参加しない方向にする。
「……別にいいわよ。確かに私はコイツに一度殺されたわ。でもね、だからといってコイツの命を蔑ろにするほど小さい奴じゃないわよ」
「その言葉を聞いて安心した」
「嘗めんな」
曙も手際良く準備をしていく。精神状態は複雑だろうが、今は信じることにした。まずは呂500を治療しなくては。
3回目ともなると慣れたもので、胸骨の浄化は即座に行なわれる。だが、胸を開いた時点ですぐにおかしいことがわかった。
「見ただけで細胞がおかしいとわかる。艦娘の身体とは似て非なるものに変質している。どちらかといえば深海棲艦だ。こうなるとまるで
何かをされたことで、呂500の身体は内部から深海棲艦に変異してしまっているということだ。詳しく調査されたわけではないが、私の左腕を基点にした痣も同じようになっているのではないかと。
深海棲艦の細胞が胸骨を起点に血液に乗って身体の至る場所に転移し、それが脳に達したせいで理性をも失ったのではないかと飛鳥医師は分析する。この処置の後、レントゲンなども撮るつもりのようだが、まずは胸骨の浄化だ。
身体から切除された胸骨をすぐに受け取り、摩耶と共に洗浄。その間に腸骨から造血細胞を抽出し……といつもの流れで処置を進めていく。しかし、胸骨が今まで以上に汚染されており、洗浄に手間取ってしまった。
「凄まじい匂いがした。やっぱりここが起点だ」
「なら、洗浄したことでこれ以上の変化は抑えられるかもしれない。今までとはあまりに違いすぎるから、経過観察も重要になりそうだ」
私達が胸骨の浄化をしている間に、見ることが出来る範囲を調べたようだが、やはり艦娘とは別物だと判断した。
飛鳥医師は死骸の解剖もやっているし、シロクロの処置もこなしている。艦娘と深海棲艦の身体の違いはある程度わかるのだとか。それから鑑みても、今の呂500の体内は深海棲艦の方に近しいとのこと。
「胸骨が起点だから胸に痣が出来ていたんだろう。これをさらに放置していたらこの痣はもっと拡がっていたかもしれない」
私の腕の痣と同じものが出来てしまっていると見做してもよさそうである。
「今は匂いは?」
「洗浄したことで消えた。摩耶の方もだ」
「大分入念にやっといたぜ。確かに風雲のやってる時よりもかなり
中を抉るように、ほぼ削るかのような洗浄。おかげで本当に綺麗さっぱりとなった。そのせいで少しだけ脆くなりそうだったので、その補強もしっかり施してある。
飛鳥医師に渡すと即座に繋ぎ止めた。この辺りも手慣れたもの。呂500はあっという間に修復された。残されたのは縫合痕のみ。
「自爆装置がそもそも無かったのがありがたかった」
「ろーさんには元々仕込まれていませんでした。まともに戦闘をすること自体が少なかったので、指示系統と伝達役をメインにしていましたから」
その辺りは夕雲が詳しかった。流石、元々あちらにいただけある。
私達も多少はわかっていたことだが、呂500は海中から人形に指示を与えるため、ほぼ全ての戦場に出ていたらしい。私達へちょっかいを出してきたのは、相手をしていた夕雲や風雲が苦戦をしていたからだけで、本来はあまり戦場にすら現れないようなものらしい。
話しながらも透析の準備はされており、血を拭きながら医務室へ運ばれる。これで血液も浄化されれば多少は変わるかもしれないが、あまり期待はしていない。
「なら傷だらけな理由は何なんだろうか。戦場に出ていないとしたら、まさか」
「改造の際に付けられたのかと……」
部下で手駒である呂500を、どういうわけか大淀自身が痛めつけたということに他ならない。
痛めつけられる理由がわからない。こうなってしまったから廃棄されるためにやられたのか、それとも何か別の理由があるのか。別の理由なんて全く思い浮かばないのだが。
「……憶測だが、何かしらの改造により暴走した呂500を廃棄するために付けられた傷な気はする。それでも手がつけられなくてここまで流れてきたのか、大淀がここまで泳がせているのかはわからないが……」
飛鳥医師も同じ考えに至っているようだ。
これに関しては当然だが下呂大将や来栖提督にも連絡をしておく。必要とあらば新提督への連絡も必要だろう。監査翌日にとんでもないものを拾ったものである。
「今は透析の完了を待とう。皆、ありがとう、助かった」
考えていても仕方ない。ここは医療施設、原因が何であれ、治療を完了させることが最大の目的だ。呂500に何があったかなんぞ関係ないのである。
今はこのまま放置し、透析終了後、呂500を再確認することで治療そのものを終了とする。
透析完了は夕暮れを迎えたくらいのタイミングだった。それを見越して姉は鳳翔の訓練を早上がり。私も今日の作業はある程度のところで終わらせ、医務室に入った。
医務室に入った時点で、呂500に変化があることに気付く、深海棲艦の匂いはそのままであるが、薬の匂いは完全に無くなった。胸骨の洗浄は効いている。
「おかしな感覚は消えました。私が視えていたのは、胸骨の歪みなのかもしれません」
三日月も得体の知れないものが無くなったと話す。私と三日月はどちらかと言えば医学的な部分に関与するため、ここからは姉とシロの感覚的な部分の話。
「うぅむ……混沌とした何かは憑いたままじゃのう……」
「中身がめちゃくちゃなのは変わってないな……
私達とは違い、反応は渋いまま。身体としてはもうこれ以上悪くはならないが、これ以上良くもならないと考えるべきか。
ただでさえ、理性が無くなるくらいにまで壊れているのだ。姉の言う混沌とした何かに繋がり、シロの言う中身がめちゃくちゃが原因となっているのだろうか。
「気をつけた方がいい。わらわ達にはどうすることも出来ぬ」
「了解した。では、目を覚まさせる。拘束はしたままだ」
透析装置を外し、昏睡状態も解いている。胸の縫合痕はどうしても痛みが残ったままだが、これも時間が解決してくれること。
「呂500、目を覚ましてくれ」
「ン……」
今回は誰も関係者がいないため、飛鳥医師が呂500を起こす。昏睡状態を解いたことで目覚めやすくなるのか、今回もそれだけで目を覚ました。
治療を施したことで外見的な何かが元に戻っていることはなかった。瞳は相変わらず真っ赤。
「気分はどうだろうか。身体に不調はないか」
「ウゥ、アァアー……」
治療が出来たからといっても、理性が戻ってきたわけでは無さそうである。人語すら介さず、ただ呻くのみ。私達を見ても敵対心を持っていないように見えるが、これは治療の影響だろうか。
「シロの言っていたことはそういうことか……これだともう、大人しいイロハ級と変わりないじゃないか……」
「うん……上から下までめちゃくちゃ……壊れて戻らなくなってると思う……」
呂500は獰猛な
不治の病と言ってしまってもいい。手を尽くしても、飛鳥医師ですらこれ以上の治療は今は難しいだろう。
「どう治せと言うんだ……脳細胞が破壊されてしまったらもう……」
大きく溜息を吐き、自らの無力感に打ちひしがれてしまった。
私達の肌を治したりするのはいずれ出来るようになるだろう。今でも毎日のように研究を続け、少しずつ少しずつ前進を続けているのだが、こればっかりはどうしようもない。
「あら、ろーちゃんが目を覚ましたのね」
絶望感に支配された医務室に、雷が入ってきた。
「よかったわ、目が覚めて」
「アアー、ンゥ」
雷の方を向くも、やはり呻くだけの呂500。しかし、次の瞬間、私達は度肝を抜かれる。
「うん、この飛鳥先生がろーちゃんを治してくれたのよ。みんなもお手伝いしたの」
「ウゥー、ンィイ」
「胸が痛いのね。縫合した痕がまだ塞がってないから、ジッとしていた方がいいわ」
まさか、イロハ級の声が聞き取れる力がこんなところで役に立つとは思っても見なかった。
「い、雷、呂500が言っていることがわかるのか?」
「ええ、なんだか変な風に聞こえるんだけどね。あ、もしかしてこれ、深海棲艦の声が聞こえるアレ?」
「おそらく、な」
ある意味、呂500がイロハ級と大差ない状態にされているということが確定した瞬間でもある。
「私の力が役に立ってよかったわ。ろーちゃんとお話しできるのは私だけってことなのよね。なら、私が通訳してあげるわ!」
「助かる。僕の言葉が伝わるかはわからないが、呂500の意思がわかるのはありがたい」
「いいのいいの! 適材適所ってヤツよね! 私に頼って頼って!」
少なくとも、呂500が何を言いたいかがわかることはいいことだ。記憶の辺りがどうなっているかはわからないが、
呂500も雷には懐いているようだった。懐いているというよりは、別に周りのものに敵対心を持っていないという方が正しいか。今は処置後なのだから、ゆっくり休んでもらって痛みが無くなってから改めての方がいいだろう。
「雷、すまないが、呂500のことをよろしく頼む」
「任せて! 私がお世話するわね!」
久々の患者の世話だからか、ものすごい笑顔である。
「……もののけが落ち着いておる」
姉が驚愕の表情で呂500を見ていた。雷に頼れることで、呂500に憑いているという混沌とした何かは、途端に落ち着き始めたらしい。意思が伝わらないことに苛立っていたのかは定かではないが、悪いことがどんどん取り払われていることは喜ぶべきだ。
「雷よ、その者はお主でなくてはダメかもしれぬ」
「そうなの? ならもーっと頼ってくれていいのよ!」
より一層笑顔になる雷。本当に頼られるのが好きなようだ。
ここから大淀の真意が読めればいいのだが、まだまだ先は長そうである。何故呂500が捨てられてしまったのか、何をされてこんな獣になってしまったのか。まずはこの辺りがわかればいい。
獣ろーちゃん、雷の管理下に。見た目がペットと飼い主みたいになりそうで怖いです。