施設に流れ着いた呂500の治療は完了したが、目を覚ましても人語だけは戻ってこなかった。雷のおかげである程度の意思だけは通訳してもらえるが、理性もあるかわからない状態。少なくとも雷には懐いているようで何よりである。
今は処置の傷を治してもらうとして、もう少し落ち着いた後に改めて話が聞ければいいと思う。何かを知っているかもわからないが。
こちらを襲ってくる素振りを見せなかったことと、雷の懇願により、呂500の拘束が解かれた。まだ縫合痕は痛みがあるので医務室から出てもらうわけにはいかないのだが、だからと言って身動き一つ取れないままにしておくのも可哀想。
「痛みが無くなるまではこの部屋よ。そうじゃないといざって時に治療出来ないしね」
「ウァー」
身体を起こす時も痛そうにしていた。やはり胸の縫合痕が痛むようである。
当然ながら、高速修復材は使わず自然回復に任せることになっている。今までの経験上、姉が1週間かからないくらいで痛みも無くなったため、呂500も同じくらいかかるだろうと思われる。
だが、見た目こそ艦娘ではあるが、中身は深海棲艦のようになってしまっているため、回復力もそれに準じている可能性はある。そうだとしたら、シロクロのようにものの1日で完治という場合まで視野に入る。
「あとは禁断症状か……薬は入れられていたんだよな?」
「勿論。今は匂いは取れているが」
胸骨の洗浄により、いつものように麻薬の影響は無くなっている。ということは、すぐにでも禁断症状が現れてもおかしくない。今の状態で幻覚と幻聴に苛まれるのはなかなかに辛い。
「ろーちゃん、大丈夫? 何かおかしなことはない?」
「アゥ? ンー……アィ」
雷が尋ね、少し考える仕草をするが、何事もないらしい。取り乱すこともなく、目の焦点が定まらなくなることもない。まるで何事もないような状態。これは本当に禁断症状が無いのでは。
そんなバカなと思ったが、そもそも身体が異常なのだから、そういうところにも異常があってもおかしくはない。この異常はありがたい異常ではあるが。
「……まさか、麻薬の成分すらも取り込んでこの身体になったということか?」
「どういうことだ」
「いや、麻薬の成分はリコの花だろう。それも、その花はリコの力が溢れた結果生えた花だ。ある意味、
言われてみれば。麻薬の成分である植物という認識しか無かったが、加工されているとはいえその力が残っている可能性は大いにある。さらには何者かの姫の体液まで注入されているのだ。
この身体になった時に、体内の深海棲艦の要素を取り込んでしまったと見ても割と説明がつく。体内から混ざり合っているのだから、外見には殆ど影響は無く、内部だけ深海棲艦になっていると言われれば納得だ。
とはいえ、まずどうやってこの身体になったかという問題があるが。麻薬のせいでなったとは到底思えない。なっているのなら、夕雲達はとうに深海棲艦になっているだろう。
やはり胸元の手術痕が原因か。夕雲達のような姫は麻薬を入れられて洗脳されていただけだが、呂500はそこにさらなる改造を施されているのはわかる。
「禁断症状が無いことは素直に喜ぼう。意思疎通が出来ない状態で、さらにそこに錯乱まで入ったら、抑え込むのが難しくなるからな」
「だな。今なら雷に任せ切れる」
その雷も、今は呂500に付きっきり。目が覚めたということで早速夕食を摂ってもらうことにしていた。医務室で食事というのもかなり久しぶりである。
翌日からは早速、呂500の具合を見ることに。雷が通訳をし、呂500の意思を私達にも伝えてくれる。
「痛みは大分引いたみたいよ」
「アゥアー」
まだ痛みは完全に無くなったわけではないが、動けないことは無いという段階に。これなら明日には完治だろう。深海棲艦の自然治癒能力はしっかり手に入れている模様。
今もしっかり身体を起こして私達に反応している。車椅子で移動することくらいは出来そうだ。
「君がされたことを話してもらいたいんだが、今は話せるだろうか」
飛鳥医師の言葉は理解出来ているようだ。薬の影響が無くなったことで、意思と理性が戻ってきているのは本当に良かった。目が覚めた途端暴れ出したりされたら困る。
「ンィ、イァアー」
「そうなんだ……ここに来れて良かったわ。ここならみんなが仲良くしてくれるからね」
呂500の言葉に、雷が悲しそうな表情で抱きしめた。呂500はそうされることで子供のような笑みを浮かべた。
「ろーちゃん、あっちですごく
「虐め……?」
「ええ。身体中の傷はそれでついたんだって」
その後も、雷通訳で呂500が話せることを話してもらった。決して無理はさせず、話したくないことは無言でもいいとして。あくまでも呂500は患者、これ以上の悪化は飛鳥医師が絶対に許さない。
呂500はあまり覚えていることが無いということを前提に話してくれた。なんでも、大淀以外にも誰かいたらしく、それに胸の手術をされたそうだ。そしてその後から、あちらの者全員から、身体中が傷付くほどの
理由もわからず、死にたいと思えるほど辛く、頭がおかしくなりそうとなったところで記憶が途切れているそうだ。気付いたらここで、胸の痛みを感じながら寝ていたと。
「アゥ、オァァ」
「……それくらいしか覚えていないんだって。誰に何をされたかは覚えてないみたいで」
漠然と虐められたという記憶だけが残っており、誰にやられたとかの記憶はもう朧気らしい。
「さっき雷も言ったが、僕らは君のことをそんな風に扱うことはない。ここで楽しく生きてもらいたいんだ」
「そうよ! ろーちゃんはここで一緒に楽しく生きましょ! 私にももっと頼っていいのよ!」
解放されたと考え、もう辛いこと無く生きていけばいい。あんなゲスのいる鎮守府から離れ、こちらで仲間達と伸び伸びと暮らせばいいのだ。
もし雷がいなければ意思疎通が出来ず、ここで拾われたとしても呂500は結局ダメになる可能性が高い。むしろ、どうせ何も知られないのだから、ここに流れ着いても痛くも痒くも無いとか考えていたのではなかろうか。
私の嗅覚に引き続き、雷の特殊な能力も大淀の盲点となったようである。これにより大淀が異質な存在であることが判明し、何をしているかがわかった。
「若葉、君は大淀の目の前で変化したんだったよな」
「ああ」
「……大淀は、
まさか、呂500を私と同じにしようとしたのか。
あの場にいたのだから、私の負の感情の増幅により痣が拡がった瞬間も見ていたはずだ。仲間がやられていき、おちょくられ、理性が無くなるほどの怒りと憎しみに呑み込まれた結果が今の私だ。
それを再現しようと、呂500に何らかの改造を施し、これでもかと痛めつけたのだろう。負の感情が増幅されるように。実際、記憶があやふやな呂500でも、虐められた、死にたいほど辛かったという感情だけは覚えているほどである。
その結果がコレだ。体内が深海棲艦へと変化し、意思と理性が失われて、ただの
「……アイツは艦娘を……命を何だと思ってるんだ」
呂500があまりにも可哀想だった。いいように使われ、洗脳されて姫にされ、何人もの仲間を捨て駒として利用させた挙句、最後は本人すら捨て駒になったようなものだ。
成功したなら戦力増強。今での姫よりも厄介な者として生まれ変わり、私達を更に苦しめていた。だが失敗したことで廃棄が決まったのだろう。ゴミのように捨てて今に至っている。
怒りが込み上げてくる。左腕が疼く。喉や頬にも熱が加わるような感覚がしたほどだ。
「本当だ。君達だけでない。僕も引導を渡したいくらいだ」
ギリッと飛鳥医師の歯軋りも聞こえた。身体の熱量が上がる、怒りの匂いが漂ってきた。
命を粗末にした自分を悔やみ、命を助けることに全てを捧げている飛鳥医師だ。自分の利益のために他人をゴミのように扱う大淀のやり方は、飛鳥医師にとっては地雷。ここまで怒っている姿は初めて見るかもしれない。
「呂500はここで幸せになってほしい。幸い、同じ境遇の夕雲達もいるし、何より意思がわかる雷がいる。ここでもやっていけるだろう」
そうでなくても、私達が幸せにしてあげなくてはいけない。勿論、私達自身も幸せになるのだ。
その後、呂500は精密検査に移された。今日は午前いっぱいで診られるところは全部診ようということらしい。
特に重点的に診るのは頭。今までここに運び込まれた者の中で、最も重症ともいえる言語障害。飛鳥医師の予想では、再改造を施された胸骨の影響で、脳に何かしらの問題、例えば
「CT検査が出来ればな……いや、今はここで出来る限りは全てやっていこう。雷、手伝ってくれ」
「勿論! 頼って頼って!」
そこはこの施設の最古参がしっかりとサポートするようである。流石。
一旦私はフリーとなった。検査のサポートも出来ないことは無いだろうが、それは雷に任せ切った方が、事が早く済むだろう。
その間に、今の乱れた心を落ち着けたかった。いくらなんでもあの仕打ちは酷すぎる。思い出すだけでも左腕が疼くほどに私は苛立っている。
「曙、釣りに行かないか」
「アンタから誘ってくるなんて珍しいわね」
心を落ち着けるなら、精神鍛錬をするのが一番だ。だが、1人でやると乱れそうだった。そのため、曙に付き合ってもらう。それに、曙にも話を聞いてもらいたかった。
殺されるという深すぎる因縁を持つ曙に。だから許してやれなんて口が裂けても言えない。曙はそれでも呂500のことを嫌っていいほどの仕打ちを受けている。飛鳥医師がいなければこの世にいないのだから。
海上、以前付き合ったポイントと同じ場所で、背中合わせに釣り糸を垂らす。
「わざわざ私を誘ったんだから、何かあるんでしょ」
「……呂500のことだ」
話し出しだけでも、左腕が震えた。話していく内に声も震えていた。今までの中でも3本の指に入るほどの理不尽。より深く、強く、大淀への憎しみが増加する原因となるもの。
曙も話を聞いていく内に海面が波打つ程に動揺していた。
自分を殺した相手がそこまで酷い仕打ちを受け今に至るわけだが、曙は施設の中では唯一、呂500のことを蔑むことが出来る、それに対して『ざまぁ見ろ』と言える立場にいる。そんな曙が、この話を聞いて何を思うか。
「……何よそれ」
「本人の口から、雷を通して聞いた話だ。憶測も混じっているし、呂500自体記憶があやふやらしいから、確定ではないが」
どうしても心は落ち着かない。魚は食いつくどころか、私達の心を読み取ったかのように餌すら食いに来ない。ただ海上に突っ立って、曙に説明するだけの時間になってしまっている。
少しだけ間を空けて、曙がポツリと溢す。
「いい気味じゃない。言葉も失って、しかも記憶があやふやって、もしかして私を殺したことすら忘れてるわけ?」
「……そうかもしれない」
「ふざけんじゃないわよ。面と向かって謝ってもらいたいわ。ボコボコにしたいのは私だっつーの」
海面の波は激しくなる一方。それに、激しい怒りと、困惑の匂い。どうしていいかわからないと言うのが、これでもかというほど伝わってくる。
また間が空く。曙は曙なりに考えて、答えを出した。
「……私がやりたかったことを奪ったクソ淀を許さない。ろーと同じ目に遭わせてやる。やめろと言ってもやめてやらない。ただしろーとは違う。確実に息の根を止めてやるわ。生まれたことを後悔させてやる」
「ああ」
それだけ話し、胸を掴む。深海棲艦の心臓と肺が、これでもかというほど脈打っているのだと思う。熱があるかのように少し荒い息を吐く。
私の腕と同じで負の感情で脈が上がる曙には、今の話はこれまで以上に反応するものなのだろう。曙から漂う深海の匂いが少し強まった。
「すまない。こんなところでこういう話は間違っていたか」
「遅かれ早かれ知ることになるんだから、何処で話そうが関係ないわよ。むしろ、いの一番に私に話してくれたのは感謝するわ」
結局、最後まで心を落ち着けることは出来ず、お互いに1匹も釣ることが出来ずに施設に戻ることになる。元々精神鍛錬のための行為だから、釣れないのは問題ではない。心の乱れが如実に表れている。
憎しみはより深くなった。許しがたい存在だったが、この件でそれは一層強くなる。
鬱々しくなってきましたが、ろーちゃんにはここから幸せになってもらいたいと思います。