大淀の手の者、巻雲と朝霜の襲撃により、私、若葉は死の寸前に追い込まれていた。自ら限界を超え、それでようやく朝霜と互角となったところで巻雲に撃たれ、さらには力の前借りの代償が発生。もうその場から動けないところにまで持っていかれてしまった。
姉も霰も撃たれ、攻撃は難しい。雷は気を失い、曙がそれを守ることに専念するしかなく、夕雲と風雲も消耗著しく動けないでいる。
絶体絶命というところで、私の前に立つのは、
朝霜にダメージらしきものが入っているようには見えなかったが、あまりに突然のことで受け身すら取れていなかった。三日月がこんなことをしてくるとは思っていなかったのだろうか。
「テメェ、何しやがる!」
当然睨みを利かせる朝霜だが、その瞬間に顔面に砲撃。紙一重で避けられてしまったが、避ける方向すら見越したかのように連射。全て顔面狙い。艦娘への嫌悪感を表に出した攻撃に見えてしまう。
それは棍棒で弾かれてしまう。実弾だったらどうなっていたか。一撃で即死だったかもしれない。
「コイツ……!」
「もー、朝霜何やってるのぉ」
巻雲もこれには黙っていられなかったようで、すぐさま三日月に砲撃。しかし、それも見越していたかのように紙一重で回避。
「んん? ちょぉっとおかしいですねぇ」
「とりあえずぶっ殺せばいいんだろ!」
さらに巻雲が砲撃、さらには朝霜もその砲撃を掻い潜りながら突撃。三日月はそれすらも回避した。
仲間の私がいうのはアレだが、明らかにおかしい。三日月は危機回避能力に長けており、攻撃の回避は五三駆の中でも特に得意な方である。だからといって、大淀クラスの2人の総攻撃、さらには近距離遠距離入り交じった攻撃ですら、ヒラリヒラリと回避するのは初めて見る。
霞んだ眼で、三日月を見た。チラリとこちらを見た表情は、いつになく無表情だった。さらには
左眼だけだった深海の輝きが両眼になっているということは、つまり三日月の姫のパーツがより身体を侵食したということだ。私の痣と同じように。
「三日月……!」
「守りますから、ジッとしててください」
声色は変わっていないが、感情が乗っていない。淡々と戦うだけのロボットのように、ただひたすらに攻撃を回避しながら的確なタイミングで巻雲と朝霜の顔面に砲撃を繰り出す。それが避けられたとしても、お構いなしに攻撃し続けていた。
「うーん、当たらないならいいです。他の人達先にやっちゃいましょう。朝霜、お願いねぇ」
あまりにも回避されるためか、よりによって夕雲の方へと主砲を向けた。姉だとしても一切の容赦がない。
今撃たれたら、まず間違いなく避けられない。それほど夕雲は消耗している。加えて、それを唯一守れそうな曙は雷の側で、夕雲からは少し遠い。
「バイバイです、夕雲姉様」
「……」
放とうとした瞬間、またもや予測していたかのように三日月が巻雲を蹴り飛ばしていた。誰もその行動が予測出来ず、体勢が崩れたことにより照準がズレる。夕雲は辛うじて直撃は免れたが、衝撃でさらにダメージを受けることになる。消耗した身体には辛いだろうが、我慢してもらう他ない。
「ちょっと朝霜! ちゃんと押さえておいてくれなきゃ!」
「知らねぇよ! 気付いたらそっち向かってたんだ!」
圧倒的なスピードを誇る朝霜ですら、理解が出来ていなかったらしい。正直、私にも今の三日月の動きは理解出来なかった。
もうこれはスピードとかそういうものではない。
「なんなんだコイツ!?」
「厄介ですねぇ。若葉ちゃんだけだったら朝霜だけでどうにでもなったんだけど」
実際そうだった。私でさえ、朝霜に傷一つ付けることが出来ていない。仲間達の力を借りても何も出来なかった。
それが、三日月に何かが起きてからは一転、2人を翻弄するまでになっている。未だに改装すらしていない三日月がだ。本当に何が起きているというのだ。
「若葉より面倒臭ぇ!」
回避から一転、三日月の動きを止めようと一気に突っ込んできた朝霜。一撃入れてしまえば終わりだとわかっているからこそ、水鉄砲のダメージを顧みず、ゼロ距離まで詰めてきた。
棍棒の一撃を貰ったら終わりだ。あまりにも重すぎるその攻撃を受けたら、肉も骨も内臓も、何もかも潰されてしまう。艤装でガードしても破壊されてしまうだろう。
「……」
当たり前のように、無言でそれを回避。さらには避けがてらこめかみに砲撃を一撃。砲口を突き付けた瞬間に回避されていたものの、朝霜は割と必死な顔をしていた。私では引き出せなかった顔だ。
代わりに、三日月から嫌な匂いも漂い始めた。濃くなった深海の匂いに紛れた、冷や汗の匂い。無理をしているからか、身体が耐えきれない動きをしているのかもしれない。
「っ……」
回避しつつ砲撃をしながら、急に鼻血を吹き出した。息も荒くなってくる。動きが鈍くなることはないが、無理をしているのが如実に表れる。
「おや、おやおやぁ、もしかして若葉ちゃんみたいにちょっと限界超えてた感じですかぁ? 時間切れってことですかねぇ?」
「んだよ、驚かせやがって。時間稼げば終わりってことじゃねぇか」
的確な砲撃でも、あちらはまだ無傷。所詮は水鉄砲ということか。
朝霜の言う通り、おそらく時間を稼がれれば終わり。三日月がこのまま続けていたら、三日月の身体がおかしくなる。下手をしたらリミッターを外された人形のように自沈してしまう。
「三日月……無理するな……!」
「動けない人は黙っててください」
冷たい返答。まるで施設に漂着した当初に戻ったようだった。完全に感情が失われている。
これはもしや、眼からの侵食が脳の方にも行ってしまったのではないか。私が喉を侵食されて声が変わったように、脳を侵食されて思考が変えられているのでは。
改装されてより根強く絡みついた私の深海の腕と違い、三日月はそれを見たことで改装を控えた。にもかかわらず、眼からの侵食にやられてしまっている。先程の叫び声はこれが原因なのかもしれない。
周りの仲間達が次々とやられる過剰すぎるストレスと負の感情。私と同じだ。負の力の覚醒には最適であるこの環境。それに三日月は呑まれてしまった。
「っあ」
三日月の脚が震えたのかわかった。冷や汗の匂いも大分強くなっている。私達8人がかりでどうにもならなかった相手を1人で相手取っているのだ。すぐに身体が壊れてしまってもおかしくない。
「終わりですかねぇ。意外と楽しかったですよぉ」
「あたいはウザかっただけだね。無駄に抵抗しやがってよぉ!」
体力は回復出来なかった。まだ身体は動かない。このままだと、目の前で三日月がやられてしまう。手も足も出ず、救うことも出来ず、仲間を失うことになる。
そんなのは嫌だ。限界を超えても勝てなかったが、それ以上の力を。救うための力が欲しい。
「動け……動けよ……!」
力が入らない。大淀と戦った時と同じだ。身体が全く動かない。気を抜くと意識を失ってしまいそうだった。
まただ。また勝てない。あれだけの暴挙をしておきながら、力を持っているせいで他者を虐げることに何の躊躇もない。なんであんな奴らに負けなくてはいけないのだ。間違っている。こんなのは。
こういう時こそ落ち着かなければ。何のための精神鍛錬だ。心を静かに、冷静に戦場を見れるようにしなくては。
「っぐっ」
三日月が再度鼻血を吹く。三日月も稼働限界だった。
「ったく、手間取らせやがってよぉ!」
忌々しそうに朝霜が棍棒を振りかぶった。ダメだ。これはダメだ。そのまま下されたら、三日月は脳天をかち割られて即死。回避出来る体力も残っていないはずだ。もう、万事休す。
「お待たせ。間に合ったね!」
朝霜の手から棍棒が無くなっていた。私の側には、瑞鳳が立っていた。矢を艦載機にしないことで、棍棒を直接撃ち抜いていた。
艦載機を飛ばし人形達を牽制しながらも、施設から徐々にこちらに来ていたのだ。すぐに来れなかったのは、当然施設に守るべき者がいるからだ。それともう一つ、どうしてもそこに来るまでに時間がかかる者がいたから。
「見つけた。見つけたぞ。桃色の髪、仲間の仇だ。忘れもしない!」
配下の脚を移植したことにより海上艦へと生まれ変わったリコも戦場に参上。巻雲の姿をその目に捉え、怒り狂い、全ての艦載機を巻雲にけしかけた。
「お前だけはここで絶対に殺す。部下の、仲間の、家族の仇だ」
「えぇ……なんでリコリス棲姫が生きてるんですかぁ。しかも陸上施設型がなんでここに」
そんな巻雲の発言は完全に無視して、数十機の艦載機が一斉に巻雲に対して急降下爆撃を繰り出した。
「ああもう! 計画が丸潰れですよぉ!」
「妹を虐めたの……あなただよね〜?」
爆撃を回避したところで、今度は巻雲の真横に文月。以前に垣間見えた、怒りに満ちた冷たい表情で脚を撃ち抜く。実弾故に容赦なく、巻雲も脚が破壊される……はずだった。そんな不意打ちでもしっかり回避している。何なのだあいつらは。
「人形はどうしたんだよ!」
「全部斬ったけど?」
朝霜の横には、刀を鞘に納めた神風が居合の構えで立っていた。
「貴女、速いのよね。なら勝負しましょうか。私も速さには自信があるのよ」
言っている間に袈裟斬りにするように抜刀。それすらも避ける朝霜だったが、武器を落とされたことで反撃が出来ない。徒手空拳は出来ない様子。
「この……!」
「お前も仇だぞ。生かして返すと思っているのか」
リコの足の裏が朝霜の顔面にめり込んでいた。さすが喧嘩慣れした姫。神風が斬り、それを避ける方向まで加味して、既に強烈な蹴りを繰り出していた。あれだけ苦手だった海上の航行も、怒りで乗り越えてしまった。
初めてダメージらしいダメージが入った。朝霜は蹴られたことで鼻血を吹き出し、遙か後方まで吹っ飛ばされる。私の脇腹のお返しをしてくれたと思おう。
「頑丈な奴だ」
「痛ぇ! テメェ、死に損ないがぁ!」
「ならば、これならどうだ」
巻雲にけしかけていた艦載機は、今度は一斉に朝霜の方へ飛ぶ。急降下爆撃の他にも、射撃や爆雷など、ありとあらゆる攻撃を繰り出し、朝霜を亡き者にしようと猛攻する。
殺してほしくないと事前に言っていたが、リコは止まらない。元々リコが殺す前に救出しろと念を押されていたのだ。私達が動けない以上、リコの独壇場となる。殺意も一切隠さない。
「私は他の連中とは違うぞ。お前らをカケラも残さず殺すためにここにいる。そもそもお前は全員に手を抜かれてるんだ。それに勝ってお山の大将気取りか? 程度が知れるな猿が」
「喧嘩売ってんのかテメェ!」
「先に売ったのはお前達だ。こちらは懇切丁寧に買い取っただけだが?」
リコの航空戦力はことごとく回避されていくが、武器を飛ばされた朝霜はリコに近付く事が難しくなり、途端に防戦一方となる。なるほど、朝霜は遠距離に弱いのか、持ち前の俊足を活かせないほどの圧倒的な火力の前には、回避に専念するしか無くなる。
逆に神風が少し困った様子だった。あの量の空爆を潜り抜けて、朝霜だけをしっかりやるのはなかなかに難しい。
「若葉……大丈夫?」
「山風か……正直かなりキツイ……身体が動かない」
「……肩、貸す」
私の救出として山風が来てくれた。今はその場からも動けなかったが、曳航してもらえそうだ。これで緊急時の撤退が出来る。限界を超えていた三日月の下にも、海風が駆けつけていた。江風と涼風は夕雲と風雲の下へ。曙は元より多少は動けたため、雷を回収して戦場から少し離れることが出来た。
「あたし達の妹を虐めたんだからぁ、それ相応の罰が必要だよね〜」
「睦月型なんて旧式のオンボロ駆逐艦じゃないですかぁ。巻雲達主力オブ主力の新鋭駆逐艦相手に何が出来るんですかぁ?」
「わかってないなお前は」
真後ろから長月が巻雲の後頭部を蹴っていた。同時に皐月と水無月も艤装の破壊に乗り出している。
それだけされても、少しつんのめるくらいで終わる辺りめちゃくちゃである。
「いったぁ!?」
「旧式とか関係ないんだよねボク達」
「君達とはさ、経験が違うのさ経験が!」
また圧倒的火力で二二駆を引き剥がそうとするが、真後ろの近距離にピッタリと張り付いた長月に翻弄されている。朝霜とは真逆で、巻雲は近距離に弱い。近付かれないようにするための乱射だったわけだ。
これで2人の弱点は掴めた。最初から私は、朝霜ではなく巻雲を相手しなくてはいけなかった。そうさせないために朝霜がぶつけられた可能性はあるが。曙では私より速さが足りなかったために近付くことが出来なかったわけだ。相性を完全に間違えていた。
「鬱陶しいですねぇ! って、なに……」
避けながらも通信を受けているような素振り。それでも隙を見せないことが恐ろしい。4人がかりさらには瑞鳳がそこにちょっかいをかけているというのに、結局無傷。
「はい、大体は、はい。了解です。朝霜ぉ、帰るよぉ!」
「あぁん!? ここまでされて帰れるかよ!」
「多勢に無勢だって!
「あー、それならいいや。こいつらの相手クソ面倒だから、一回仕切り直してぇ」
ここでまさかの撤退。私達としてはありがたいが、リコを筆頭とした援軍は不完全燃焼。撤退など許すはずもなく、攻撃をさらに強める。
「次は絶対殺す。お前らは確実に皆殺しだからな!」
「誰が逃がすか!」
「今回は引き分けってことでお願いしますねぇ」
2人揃って爆雷投下。相変わらず逃げ足だけはやたらと速く、水飛沫が止んだ時にはその姿を消していた。
あちらは引き分けと言っていたが、またしても敗北を喫してしまった。こんなもの、あちらの気まぐれで見逃してもらったようなものだ。多勢に無勢かもしれないが、やりようはいくらでもあったように見えた。
得た力を使い、私は全力で立ち向かった。それでも勝てない。一体どうすればいいのだ。
朝霜が棍棒を使うのは、海軍精神注入棒、いわゆるケツバットの印象が強いから。