巻雲と朝霜の治療は完了し、あとは目を覚ますのを待つのみとなった。うまくタイミングを合わせ、翌朝に2人とも起きるように調整している。
同時に起こすことで、2人とも錯乱して暴れ出すことも懸念されたが、いくら体内が深海棲艦へと変質してしまっているとしても、艤装を持っていないのだから押さえ付けることは出来るだろう。いざという時のために、艤装が小さいシロクロと呂500も付近で待機することにしている。
「正直、不安です。巻雲さんは少し繊細なところがありますので……今までの記憶に押し潰されてしまうかもしれません」
「だね。朝霜はさておき、巻雲姉は厳しいかも」
姉妹が揃って心配するのは、巻雲の今後。あの戦闘の時、朝霜は元々とはそこまで変化が無かったらしいが、巻雲は豹変と言っても過言では無いほどの変化だったそうだ。荒っぽい朝霜なら乗り越えられるが、優しい巻雲だと厳しいと感じているようだ。
実際、根が優しければ優しいほど、あの記憶はいろいろな部分を蝕むだろう。どうせなら呂500のように記憶を失っていた方が、今後の生活が辛く感じることはないのかもしれない。
「姉が支えてあげてほしい。僕は治すまでしか出来ないからな」
「はい、勿論。夕雲が支えてみせます」
こういうことは姉妹に任せるのが一番だろう。カウンセリングが出来る雷や姉でもいいとは思うが、適しているのは実の姉妹。2人もここはもうそれなりに長い。カウンセリングをするくらいの心の余裕は出来ているはずだ。
最後の仕上げは明日の朝。今まで以上に時間がかかった2人の治療も、ようやく終わることになる。
一晩明け、朝の医務室。私、若葉と三日月も現場へ。いつもの確認組は治療後は必ず相席をすることになっている。それだけ私達の感覚は飛鳥医師に信用されているということだ。
医務室自体が広くなったからいいものの、今は随分と多くなったものである。2人の患者の周りに、医師が1人と艦娘8人。さらに何かあった時に癒しが必要かもとして浮き輪3体も待機。それなりの場所は必要なため、修復の際に妖精が大きく造り直してくれたのが功を奏している。
「視覚の点から、問題無いと判断します。胸骨の洗浄で得体の知れない何かは取り払われました。ろーさんと同じです」
「嗅覚の点から、あの酷い匂いは失われたと判断する。全体的に深海棲艦の匂いはするが、呂500と同程度にまでは落ち込んでいる」
昨日までとは雲泥の差であった。透析の甲斐があり、匂いは大分薄れていた。胸骨や腸骨から漂う強烈な匂いはもう感じず、ただ深海の匂いだけ。呂500と同じだ。
「ふぅむ、もののけは同じじゃが、おとなしいのう」
「うん……溶け合ってるのはあまり変わってないけど……荒っぽくない……かな」
姉とシロの反応も比較的良好。呂500と同じように、今は大人しいようである。元々入っていたキューブを摘出し、供養として火葬したことで大人しくなったのかも知れない。昨日の行ないは間違っていなかったと考えよう。
まずは巻雲から起こすこととなった。年功序列とかそういうのではなく、先に難しそうな方を終わらせておこうと考えたからである。
呂500の時とは少し変え、拘束はしていない状態で夕雲が目覚めさせる。
「巻雲さん、朝ですよ。起きてください」
風雲の時と同じように、優しく肩を叩く。決して焦らず、それでも少しだけ警戒して。
風雲の時と大きく違うのは、見た目は巻雲でも中身が大きく違う可能性があるということ。匂いからして薬の効果は無くなっているように思えるが、そんなこと関係なしに洗脳が行き届いている可能性も無くはない。
「巻雲さん……」
「んん、ふぁぁ……よく寝ましたぁ……」
呑気な声。まるで今までのことを全て忘れてしまったかのように、欠伸をしながら目を覚ます。泥沼のような瞳では無く、澄んだ眼をしていた。
夕雲の方を見ると、ニヘラと笑っておもむろに近くに手を伸ばす。戦闘中もかけていた眼鏡を探しているのだろう。夕雲がそれを手渡した。
「巻雲さん……何も……覚えていないんですか?」
「何のことですかぁ? 巻雲はぁ……巻雲は……あれ……」
寝ぼけていた頭がハッキリとしてきたか、だんだんと記憶が鮮明になってきたようだった。表情が険しくなっていき、焦点が定まらなくなる。
当初の風雲のように、起きた直後は今までのことを残酷な夢物語か何かと勘違いしていたようではあったが、夕雲と風雲の表情や、普通と違う姿の私と三日月が視界に入ったことで、それが現実であると察していく。
「巻雲は……え、あんな、あんなこと……」
「巻雲さん、落ち着いて」
「ゆ、夕雲姉様、巻雲は、巻雲は……ひっ!?」
突然自分の手を見て眼を見開く。当然、巻雲の身体は綺麗にしてある。風呂に入れることは出来ないが、全身を拭くくらいはしておいた。見た目だけなら何の変化もない綺麗な艦娘である。
それが、自分の身体を見て錯乱し始めた。呂500と同じなら、麻薬の成分も取り込んでしまっているため、禁断症状もないはず。幻覚と幻聴とは無縁のはずだ。
「巻雲さん!?」
「ひっ、手が、手が血塗れ、身体がぁ! 血塗れですぅ!」
私達にはそのようには見えない。クスリとは関係なく幻覚を見ていることになる。禁断症状とは違い、周期的に見るのでは無く、常にそう見えてしまっている。これは侵食により脳に障害が出来ているか精神的なものだ。
今までやらされてきたことが可視化されてしまっているのだろう。何人もの命の上に立っていた完成品であった事実が、
やはり、体内の深海化の影響で心が壊れていた。胸骨に加えて腸骨で作られた血液までもが脳にまで回っているのだから、影響がないわけない。呂500は記憶と言語障害、巻雲は治らない幻覚。
「巻雲さん、大丈夫、大丈夫です。貴女の身体は綺麗なものです」
「触らないでぇ! 姉様に、血がついちゃう! だめ、だめ!」
ジタバタと暴れられるが、夕雲はそんなこと気にせず巻雲を抱きしめていた。落ち着けるように、背中を撫でながら耳元で慰めの言葉をかけ続ける。それで見えなくなれば御の字だが、禁断症状とは段違いの壊れ方。常に見え続けるという脳障害の一種だ。
呂500の時に、飛鳥医師は深海棲艦の細胞が癌のように転移していると言っていた。呂500は失敗作故に身体がめちゃくちゃにされた結果、脳が歪に侵食されてしまったのだと思っていたが、巻雲の脳にも同じことが起きているのかも知れない。最初からそうだったが、キューブのおかげで制御出来ていただけだったのかも。
「姉様、ダメですぅ、巻雲は汚いのにぃ……」
「巻雲さんは汚くなんてありません。落ち着いて、息をしましょう」
雷とも姉とも違うカウンセリング。子供をあやすように撫でながら、落ち着かせるように囁く。実の姉妹だからこそ有効な、親身になった落ち着かせ方。
一瞬でも暴れたため、潜水艦3人が止めようか迷ったようだが、夕雲のおかげで暴れることは無くなっている。だが、まだ息は荒く、目の焦点はブレブレのため、浮き輪3体が夕雲の背中の上に鎮座。いつでも癒せるように待機。
「ほら、夕雲には何もついていないでしょう。巻雲さんは汚くなんてありません。綺麗な綺麗な、夕雲の妹です」
ずっと抱きしめながら落ち着くのを待つが、巻雲の幻覚は一過性のものではない。何をやっても常に見え続けている。
ならば、素肌が隠れれば見えなくなるかもしれない。今は前開きの検査着なので、どうしても肌がそれなりに多く見えてしまう。三日月のようにどこもかしこも隠すくらい、いや、それ以上でないとダメかも。
「先生、巻雲さんは夕雲が慰めておきますので、朝霜さんをお願いします」
「あ、ああ、よろしく頼む。こちらは風雲、君に」
「ええ」
巻雲はそう簡単に落ち着くとは思えなかった。そのため、そこは夕雲に任せ、先に進めることとした。
今度は風雲が朝霜の隣に立ち、肩を揺する。少し強めではあるが、許容範囲内。
「朝霜、起きて」
「んぁ? あぁ……誰だよ……もう少し寝かせてくれよなぁ……」
こちらも呑気なものである。同じように、今までのことを絵空事か何かと思っているのだろう。そのまま開き直れればいいが、そうはいかない。何かしら侵食の影響があるはずだ。
開いた目は虚ではなく、巻雲と同じように澄んだ眼。洗脳はしっかり解けている。
「ん、んん? おーぅ風雲姉、なんか久しぶりだねぇ。元気してた?」
「呑気なものね……何も覚えてないの?」
「覚えてって……あ、お前、黒い痣の若葉……それに光る瞳の三日月……」
巻雲と同様、私達を見たことで反応する。特異な存在が現実にいるというだけで、今まで見てきたものが夢ではないということを如実に表していた。
「じゃ、じゃあ、アレは、夢じゃ……ねぇってことかよ……」
「……ええ。助かってよかったわ」
「へ、へへ、嘘だろ、じゃああたいは、艦娘なのに艦娘殺して喜んでるようなクズってことかよ……」
あまりにも現実味が無さすぎて、逆に笑えてきているようだった。今までやらされたことは、巻雲と同様に覚えているようだ。だが、そのせいで壊れそうなほどに心にダメージを受けている。
朝霜も艦娘、やんちゃではあるが根は正しい心を持った者。間違ったことをやらされていた記憶が、思考を蝕む。深海の侵食が何処に繋がっているかわからないが、少なくとも朝霜は自分で自分を壊しかねない状態。
「巻雲姉……巻雲姉はどうなったんだ」
風雲が顎で巻雲の方を指す。幻覚による血塗れの身体を忌避し、夕雲の胸の中でワンワン泣いていた。どれだけ泣いても、何をやっても、身体中の血は取れない。夕雲が撫でてやっても、消えることは一生無い。
「んだよコレ……何なんだよ!」
「朝霜、落ち着いて」
「落ち着いてられっかよ! あたいは巻雲姉と一緒にクズみたいなことやってきたんだぞ! クソがぁ!」
憤りをぶつけるように、ベッドの柵を殴りつけた。
瞬間、柵がバキバキに折れ曲がってしまった。
「……は?」
「待て、朝霜。試しにでいい、その柵のパイプを全力で握ってみてくれ。ゆっくりでいい。痛かったらやめること」
今のを見た飛鳥医師がすかさず割り込む。抑えようと動き出した風雲も、その光景を見て動きを止め、言葉を失ってしまっている。
飛鳥医師が何者かはわかっていないようだったが、言われるがままに折れ曲がった柵のパイプを握った。まるで粘土を握るかのように、パイプが握り潰されてしまった。
「な、何だよ、これ……」
「呂500は記憶障害と言語障害……巻雲は幻視……朝霜は力加減の欠如だ。本来出しちゃいけないほどに力が出てしまっている。リミッターが外れてしまっているんだ」
朝霜の深海化の影響は、身体の耐久力を超えた力が出てしまうこと。今はまだ耐えられているが、やりすぎると朝霜の身体が確実に壊れてしまう。現に、柵を破壊したことで腕から血が流れていた。柵につけられた傷じゃない。
戦闘中には艤装をつけているため気にならなかったが、あんな出力は到底おかしな話だった。艤装無しの出力が壊れていないと出ないような力だ。
「朝霜、とにかく全力は出すんじゃない。君の身体が壊れてしまう」
「は、はは、あたいはもうバケモノってことかよ。ふざけんな……ふざけんな!」
またもや力加減無しの拳。我を失って暴れそうになったため、控えていた呂500がその拳を受け止める。艤装を装備しているおかげで何とかなっているが、あんな拳を生身で受けたらひとたまりもない。
むしろ朝霜の場合は、あの深海の艤装で身体への負担を減らしていたのかもしれない。そうでなければ、戦闘中に壊れていてもおかしくないからだ。艤装を失ったことで拘束が外れてしまっているようなもの。
「離せ! 離せよ! こんなバケモノ生かしておくなよ!」
「バケモノなんかじゃない! 朝霜は朝霜でしょ!」
今近付くのは危ないのは承知で、風雲も朝霜に抱きついた。夕雲のようにあやすことは出来ないが、温もりを与えることは出来る。
少しして、暴れる力が無くなってきたのか、呂500が朝霜から離れた。朝霜は風雲に対して何をするでもなく、手をダランと垂らし、ただただ風雲の温もりを感じているだけだった。
「何なんだよコレ……あたいが何したって言うんだよ……」
「私達もそうだった。ここには同じ境遇の子が沢山いる。だから……今は落ち着いて」
ただ起こすだけで、ここまで壮絶なことになるとは思わなかった。巻雲は泣き崩れ、朝霜も茫然としている。『完成』の末路は、こうも残酷だった。
ここからはメンタルケアに注力していくことになる。巻雲は終わらない幻覚に耐えられるようにする必要があるし、朝霜は常に手加減をしながらの生活を強いられた。
これからこんなことになる者がどんどん増えていく。ケアしきれるかもわからない。だからこそ、早く終わらせなくては。
巻雲の障害はある意味、沙耶の唄です。