まだ目覚めたばかりではあるが、朝霜は過去を開き直ることが出来ていた。しかし、巻雲はまだ難しい様子。朝霜が早過ぎるというのもあるが、脳への侵食による障害が重いため、今は常に夕雲が付き従う形に。九二駆として出撃する際は、その隙間に朝霜が入る形になるか。
夜はまだ医務室で眠るつもりだったが、ほとんど痛みもないらしく、もう自室をあてがわれた。空き部屋は残り1つではあったが、2人までなら大丈夫。夕雲と風雲が部屋を分かれ、巻雲は夕雲と、朝霜は風雲と相部屋となる。
「夕雲姉様……ご迷惑おかけしますぅ……」
「いいんですよ巻雲さん。姉妹なんですから助け合わなくちゃ」
巻雲はまだ自分の身体を見ることが無理なため、目隠しをして夕雲に引かれて医務室を出ていく。こういう時にエレベーターがあって良かったとつくづく思う。
そして、朝霜はまだベッドから下りることも難しかった。変に力むと身体が壊れる可能性があった。適切な力加減を覚える、もしくは、摩耶が今絶賛作成中の普段使いの艤装が出来上がるまでは、慎重に慎重に動かなくてはいけない。
「すっげぇイライラする」
「仕方ないでしょ。ベッド壊すだけならまだしも、腕を壊してるんだから」
「へいへい……普通に歩けやしないかねぇ」
見ているだけで怖い。走り出そうとしたら床を抜きそうだし、その前に脚が折れるかもしれないしで、物凄くヒヤヒヤする。
「朝霜、そっちも大変……?」
「巻雲姉よりは楽なんじゃねぇかな」
さすが姉妹、こういう時でも声を掛け合う。特に巻雲は、自分の方がキツイのはわかっていても、しっかり気遣い。幼いイメージはあったが、19人姉妹の次女というのだから、夕雲に次いでしっかり者でもおかしくないわけだ。
「夕雲、風雲、後は頼んだ」
「はい。少しの間、九二駆としての活動はお休みさせてもらいます」
「ああ、足柄も羽黒も、その辺りは理解してくれている」
気負ってしまうかもしれないので、この辺りは巻雲には聞こえないように話した。目隠しをしている分、耳が良くなっていてもおかしくないが。
「摩耶の進捗は逐一聞いてくる。朝霜は期待して待っていてくれ」
「あいよー。全力出せるときが早く来てほしいねぇ」
艤装が出来たとしても、室内で全力はやめていただきたい。自分の身体が壊れなくなっただけで、施設は普通に破壊されてしまうのだから。
その日の夜、私は奇妙な夢を見た。
不思議な空間にいた。夜の海ではあるものの、私は艤装を付けずに立っている。なのに沈まない。その時点で、これは夢なんだと確信出来た。明晰夢というやつだ。
艦娘だって夢くらい見る。昨日起きたことを省みたり、まるで関係ないことを夢想したり。私も今まで夢を見たことが無いなんてことは無かった。だが、明晰夢を見るのは初めてである。
その暗い海の真ん中、ぼんやりと少女が立っているのがわかった。私と同じように艦娘なのだと思う。だが決定的に違う部分があった。
腿から下の一切が存在せず、代わりに断面を蓋するように艤装が展開されていた。脚があれば私と同じくらいか、それより少し大きいくらいの外見になるか。
白と黒で構成されたその少女は、それなりに長い髪を片側で括っていた。そこでピンと来た。姉が言っていた、私に憑いているというもののけと同じだと。つまり、艦娘ではなく深海棲艦。
「お前が駆逐棲姫か?」
尋ねてみた。ぼんやりと立っているその少女は、ニッコリ笑ってから首を縦に振った。
『大淀を倒すためなら、
こちらのことは認識してくれているようだった。それに、大淀の名前を出したということは、私達の敵をしっかりと理解しているということ。
憑いているのなら、私の戦闘もずっと見続けていただろう。それに、戦っている時に疼きと共に力を貸してくれるのは紛れもなくあの駆逐棲姫だ。理解していて当然か。
「お前は何で力を貸してくれるんだ」
『
駆逐棲姫もあの大淀にやられていたとは。共通の敵を倒すためだったと。さらには、駆逐棲姫は身体を失っているのだから、戦える私に力を貸してくれてもおかしくはないか。
『侵食しちゃってゴメンね。ちょっと渡し過ぎちゃった』
「……いや、構わない。助かっている」
まさか駆逐棲姫本人から謝られるとは思わなかった。私の左腕の侵食は、駆逐棲姫からしても想定外だったということか。むしろ、私が望んだ時に力を差し出してくれたというのか。
やはり私の腕は意思を残している。残留思念とでも言うべき小さな小さなものではあるが、それが私を後押ししてくれていた。助かってはいるが、これ以上になるかどうかは不安である。
『
「……お前の仇はちゃんと取る。見ていてくれ」
最後まで笑顔だった。夢という空間であるがために匂いを感じ取ることは出来なかったが、敵意は一切感じなかった。
私を侵食したことを本当に申し訳なさそうに謝っていたし、私をどうこうしてやろうという悪意も全く無かったように見えた。むしろ、単純思考になった三日月のような親近感を感じる。悪意ではなく好意を感じる。
『また話せると思うから』
「……そうか。なら、その時まで」
『うん。三日月ちゃんにもよろしくね』
笑顔で手を振り、海の奥へと消えていくように駆けて行った。
簡単な会話であったが、駆逐棲姫がどういう性格かはなんとなくわかった。あれはシロクロやセス、リコと同じように、戦いを好まないタイプの深海棲艦だ。それでも私に力を貸してくれるということは、大淀に対しては恨みを持っていると考えても良さそう。
駆逐棲姫と別れた瞬間、私は目を覚ますことになった。
もう日課のランニングの時間だった。いつもなら三日月を起こしつつサクッと起き上がる、もしくは既に三日月が起きているくらいのだが、今はそんな余裕が無かった。夢のことが頭から離れない。
「んぅ……ふぁあ……おはようございます……」
腕に頬擦りした後、小さく欠伸をして起きる。私の様子がおかしいと思ったか、キョトンとした目でこちらを覗いてきた。まだ薄暗いからか、やたら眼が光って見えた。
「どうかしましたか?」
「……夢を見たんだ」
三日月も他人事ではないため、着替えながら腕の本来の持ち主と話すことが出来たと話した。
夢の話なのだから、それだけ聞いても真実からは遠いと思う。だが、私はそれは真実だと思った。駆逐棲姫に聞くまで、彼女自身が大淀に殺された深海棲艦であるとは考えもしなかったからだ。
「駆逐棲姫と話したんですか!?」
「ああ……侵食したことを謝罪された」
何とも複雑な表情を浮かべる三日月。羨望の眼差しにも見えるが、驚きも大きい。匂いからはその2つの感情が感じ取れる。
「また会えるとも言われたな」
「なら、夢の中でなら何度も会えるということですね。……私も会ってみたいですね」
「三日月にもよろしくと言われたぞ」
パァッと明るい顔に。無表情ではあるが、喜んでいることがすぐにわかる。
だが、ここで少し疑問が出る。私に憑いているのは腕の持ち主である駆逐棲姫なのはわかった。なら、三日月に憑いているのは何者なのだろうか。
同じ駆逐棲姫のパーツを2人に分けて生命維持のために使わせてもらっているが、私にも三日月にも、よく似たもののけが憑いていると言っていた。同一人物が2人に分かれてしまったのか、それとも全く別のモノなのか。これはまた視てもらうしかないか。
「このことはみんなに話さなくちゃいけないな」
「そうですね。私も知りたいです」
着替え終わった途端にまた左腕に触れてくる。この腕を自分のものと錯覚する三日月にとって、私が夢の中で見た駆逐棲姫はどういう存在として認識されたのだろう。
朝食の場ですぐに反応があった。何も話していないのに、姉が私を見て少し驚く。
「若葉、何かあったのかえ?」
「……すごいな姉さんは。実は」
夢のことを説明した。話すうちにどんどん納得していき、そして徐々にニヤニヤしていく。
「もののけがの、昨日よりさらに上機嫌じゃ」
「どういう状態なんだ?」
「首に絡みついてニコニコしておる。なるほど、お主と話せたことに喜んでおったのか。好かれておるのう」
好かれているから気前良く力を貸してくれているのだろうか。その辺りはちゃんと話せていなかった。
私は力を借りる時は駆逐棲姫にお願いし、終わるときには礼を言う。そういうルーティンにしている。それが功を奏したのではというのが姉の分析。誠実に対応するものには、それ相応の見返りを与えるというのが駆逐棲姫の考え方なのかも。
常に感謝していることで、彼女には私は
「お主は男前じゃし、
「からかわないでくれ。若葉は歴とした女だ」
「わかっておるわ」
ケラケラと笑う姉。男前と言われるのは少し複雑である。褒め言葉なのだろうが。
「しっかし、夢枕に立つとは。わらわは表情しか読み取れんからのう」
「普通はあり得ないことなんだろうか」
「どうなんじゃろ。本来、深海棲艦の霊が憑くということ自体が稀じゃろうて。お主は特に繋がりが深いんじゃから、普通とは違うことが起きるのもおかしくはなかろう。お、手を振ってきたわ」
私の奥に向かって手を振り返す姉。本当に明るいようである。夢の中で私と話している時も、終始笑顔だった。これはおそらく元々の性格がこれなのだろう。
そういう意味では、駆逐棲姫の死体がここに流れてきてよかったと思えた。無念を晴らすことも出来るし、こういう形で交流も出来てしまったわけだから。
「この駆逐棲姫も大淀の被害者なんだそうだ」
「なんと……そこまで縁が深かったのかえ。ならば、力を貸してくれるのも頷けるのう。お主が力を付け、対抗出来るようになっていくのが嬉しいんじゃろう」
仇討ちのために利用されていると言ってしまうと聞こえが悪いが、目的が同じなのだから協力体制で進んでいくのが一番得策なのは誰だってわかることだ。それが温厚な深海棲艦だったとしたら、尚のこと手を借りたいし、手を貸したい。
「大事にするんじゃな」
「勿論。だが、何故突然話せるようになったのだろうか」
「……訓練したから……じゃないかな」
この話を聞いていたシロが会話に入ってくる。クロには全くわからないようだが、シロには私の現状が一応わかるようだ。いつもながら、シロの感覚には助けられてばかりだ。
「リミッターを外すの……私達の同胞の力を使ってるみたいだから……」
「ああ、そういうことね。ワカバ、その子の力使ってるんでしょ? なら、何回も使えば繋がりがどんどん強くなるわけだし、話せるようになってもおかしくないよ」
クロも理解した様子。つまり、この力を得れば得るほど、駆逐棲姫との繋がりが強くなるわけだ。
それは侵食が拡がっているのではないだろうか。そこだけは不安なので、シロに見てもらう。
「……大丈夫。前から変わってないよ……外は自分でわかると思うけど……中にも影響はない」
「そうか、安心した」
「もののけが困った顔をしておる。信用してやってくれ」
今までのことから、こういうことには過敏になってしまっているようだ。疑ってしまって申し訳ない。
「私も若葉さんと同じように話すことは出来るのでしょうか」
ここで三日月からの疑問。同じパーツを使っているのだから、似たようなことが起きても不思議ではない。ただでさえ侵食が脳に届いているわけだし、私よりも先に夢に出ていてもいいとは思うが。
「ふぅむ、そこは何とも言えんのう。そも、同じもののけが2人おることがよくわからん。似ておるだけで別人かもしれんしのう」
「その駆逐棲姫っていうのがどんな人か知らないけど、ワカバに力貸してくれるんだし、ミカヅキとも仲良くしてくれるよ。訓練頑張れば、繋がりが深くなるしね」
「なるほど、では、もっと頑張ります」
フンスと鼻息荒く意気込む。私に起こったことを自分にも起こしたいようだ。自分に力を貸してくれる者には、面と向かって礼が言いたいというのが三日月の考え方である。
「また何かあったら相談するがよい。わらわは何があってもお主の味方じゃからな」
「私達もね! と言っても姉貴にしか見えてないけど」
「……大切にしてくれてるから……応えてくれたんだよ。これからも大切にしてあげてね」
勿論だとも。私が生きていくためには必要なことだし、力を貸してくれるのだ。それに加え、友好的だとわかったのだから、大切にしない理由は一切ない。
これからも末永く付き合っていくことになるだろう。感謝を込めて、私は左腕を撫でた。
駆逐棲姫の正体はまた先の話で語ることになりますが、普通とは違うことはお分かりいただけるでしょう。