夜襲を耐え、身体を休ませた後に目が覚めたのは昼近く。私、若葉はあれだけ消耗していたはずだが、一眠りしたら身体はしっかり動くようになっていた。疲れも感じず、清々しい朝という感じ。昼だが。
隣を見ると、可愛らしい寝息を立てている三日月。表情からして、あちらにもぽいが出ているようだ。やはり夢の中に出てくるタイミングは私と同じ。こちらがシグと話すことが出来たのだから、三日月も同じことが起きる。
「ん……」
「おはよう三日月」
自然と三日月の頭を撫でていた。一眠りしてもこの感覚は変わらず、戦闘前よりも三日月のことが大事なものに見える。あまりこういう表現は良くないかもしれないが、誰よりも
勿論、姉妹は大切な人だし、この施設の者達はかけがえのない仲間だ。だが、三日月は別格。誰よりも失いたくない存在と感じられる。それが侵食によるものだとわかっていても、本能的に抗えない。
「おはようございまふ……」
「まだ眠いなら寝ているか?」
「いえ、起きます……」
などと言いながらも、左腕に顔を押し付けてくる。安心感に浸りたいのだろう。気持ちがわかるようになった私も、三日月の頬を撫でることで同じような安心感を得る。
このままだと時間の限りやってしまいそうなので、早々にキリをつけて2人して起きた。相変わらず浴衣ははだけ放題だが、もう気にもならない。
「私達はすぐに休んでしまいましたけど、治療の方はどうなったんでしょう……」
着替えながら心配そうに呟く三日月。今回の治療は心配になることがかなり多い。生死の境にある姉。洗脳を解かれる瑞鶴、如月、初霜。そして、私の夢の中でシグが治療は無理だと判断した翔鶴。それ以外に重傷も軽傷も様々。
特に姉の治療結果が気になる。おそらく修復材も使われた最善の治療を施されているとは思うが、やはり心配だ。
「すぐに見に行くか」
「そうですね。姉さんがどうなったか気になりますし」
夢で匙を投げられた翔鶴のことは飛鳥医師に伝えておきたい。着替えをすぐに終わらせ、部屋から出た途端、施設内で酷い音がした。物が倒れるような、大きい物がぶつかるような、この中では聞いてはいけないような音。
「な、何が起きたんです!?」
「すぐに行こう。多分医務室だ」
音の感じからして、ベッドが倒れるような音だった。寝かされていたものが落ちた音にも聞こえたため、急いでそちらの方へ向かうことにした。
医務室からは、耳を疑うような怒声と罵声。そして物が壊れるような酷い音。その発生源はすぐにわかる。特に片方、まだシロに喉を弄られていない、深海棲艦特有の反響したような声。
まだ誰も医務室に駆け付けていなかったようで、私と三日月が一番だったため、何も考えずに医務室に入った。
「おい、何をしてる!」
医務室に入ると案の定、赤城と翔鶴が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
一応は怪我人であるということで治療待ちとして医務室に寝かされていたらしく、よりによって隣同士にされた挙句、運が悪いことにほぼ同時のタイミングで目を覚ましてしまったらしい。目を覚まして隣を見たら、殺したいほど憎い相手。こうなっても無理はない。
まだ寝かされていたということは、この時間になっても飛鳥医師の手が空いていない。昨晩から今の時間までぶっ通しで処置を続けている。もうあれから半日近いというのに。
「アカギサン、シンデ、シンデヨォ!」
「死ぬのは貴女よ翔鶴……!」
一度眠っても心は落ち着かず、殺意は溢れに溢れている。艤装を装備していないため、格闘素人の2人の喧嘩は、見ていてなんというか悲しさまで感じる。
その医務室の端、既に治療が終わった姉が寝かされていることに気付いた。それに、透析中の初霜と、それが終わり昏睡状態を維持されている如月も。このままだと、この酷い喧嘩に巻き込まれる。飛鳥医師の処置は完璧で、修復材まで使われていたとしても、強い衝撃を受けたら傷口が開いたりしてしまうかもしれない。それだけは避けなければ。
「お前らやめろ!」
「若葉さん、邪魔しないで。これは私と翔鶴の問題です」
「ブガイシャハクチヲハサマナイデ!」
2人とも頭に血が上っているせいで話を全く聞いてくれない。まだ昨晩の喧嘩の傷のせいで全身ボロボロだというのに、自分の身体を顧みずに喧嘩をしてしまっているため、このまま続けたら最終的には2人ともダメになってしまうかもしれない。
残念ながらこの2人は大人な上に深海棲艦。艤装を持たない私の力では止めることはできない。言っても聞かない大人とか厄介過ぎる。これを止められるのは同等な力のリコや、常時艤装を装備している朝霜くらいだろう。しかし、リコは一晩の防衛を終えた後からは処置に参加しており、朝霜の力は生身に使うと怪我が多くなる可能性もあるので控えてもらうしかない。
だが、本当の救世主は、まったく違うところから現れる。
「やかましい! こっちは処置中だぞ!」
処置室から直通の扉が大きな音を立てて開き、そこから血塗れの飛鳥医師が現れる。現在は瑞鶴の処置中。今は胸を開いている真っ只中だったらしく、処置室の中もひどいことになっていた。
怪我人である2人が喧嘩している姿を見たことで、徹夜明けで頭が疲れている状態にトドメを刺され、堪忍袋の緒が切れたようだ。取っ組み合いをしている赤城と翔鶴の間に割って入るや否や、処置中の血塗れの手で顔面を掴み、ベッドに叩き付けるように寝かせた。
「患者は寝てろ」
「ちょっ、か、顔に血が……!?」
「ドイテ! アカギサンヲコロサナイト!」
赤城も翔鶴も抵抗するが、疲れて眼光が鋭くなってしまっている飛鳥医師の表情を見て動きを止める。私達もそれなりに付き合いは長いが、こんな表情の飛鳥医師は初めて見る。
「もう一度言うぞ。患者は寝てろ」
シロクロが勝手に出ていこうとした時とはまるで違う、無慈悲なドスを利かせた声を聞き、赤城と翔鶴が竦みあがるのがわかった。深海棲艦すらも押し黙る迫力が今の飛鳥医師にはあった。あまりの迫力に、赤城と翔鶴は無言でコクコクと頷くのみ。
「次やかましかったらその口を縫い付けるぞ」
それだけ吐き捨てた後、舌打ちをしながら処置室に戻っていく。一晩処置を手伝い続けている摩耶とセスが、苦笑しながら扉を閉めたのが印象的だった。
ああいう人がただただ静かに言うだけで、底知れぬ恐怖を感じる。深海棲艦となった2人が竦みあがるほどである。飛鳥医師なら赤城も翔鶴も本当に縫い付けてしまいそうだった。
さすがはこの施設の頂点に立つ者。相手が何であろうとも分け隔てなく接する。患者の治療を最優先にしているから、あれだけ強く出ることもあるのだ。
「……一時休戦よ」
「アトカラゼッタイコロシテヤルカラ」
殺意はそのままではあるが、飛鳥医師の威圧により動けなくなった赤城と翔鶴は、この時点で大人しくなってくれた。この2人が散らかした医務室は、駆けつけた私と三日月が片付ける羽目に。
「……はぁ、完全にとばっちりじゃないか」
「翔鶴が悪いの。ごめんなさいね2人とも」
「アカギサンノセイ」
寝ながらも睨み合い、一触即発ムード。三日月の表情がスンと無くなり、グニグニと頬を伸ばしたりして、わざと嫌味ったらしく赤城の顔の血を拭いてやった。そんな赤城を見てクスクス笑っている翔鶴が三日月の餌食になると、今度は赤城が嘲笑する。
「貴女方の喧嘩のせいで、如月姉さん達が傷付く可能性があったんです。反省してください」
「ココニネカシテイルコトガワルイノデハ?」
「屁理屈を捏ねるのなら、飛鳥先生に逐一報告させてもらいます。貴女達は深海棲艦だからか周りを見なすぎです」
飛鳥医師の名前が出た瞬間に黙ってしまった。無理矢理喧嘩を止められたのが余程トラウマになったのだろうか。よりによって非戦闘員、しかもただの人間が止めたのだ。意気消沈するのもわからなくはない。
しかし、どうやってもここの仲違いは解消出来そうにない。私と三日月とは正反対だ。
「なんじゃ……まったく、騒がしいのう……」
この騒ぎのせいで、治療された姉が目を覚ましてしまった。まだ少し身体を痛そうにしているものの、命に別状が無いことが確定したことが嬉しかった。
「姉さん! よかった……生きていてくれたか」
「お主が足掻けと言うたからのう。わらわも妹に刺されたくらいで死にとうないわ。つつ……じゃが、まだ胸が痛いようじゃ……修復材をケチられたかや」
「どうだろうな。でも、本当に良かった」
胸を押さえながらケラケラと笑う。痛みはあるのだろうが、元気そうで何よりである。
飛鳥医師がどういう処置をしたかは知らないが、深海の匂いがしなかったため、おそらく刺された肺への処置は高速修復材を使い、傷口の縫合には使わなかったのではないかと思う。それにしては処置時間が長かったようなので、後からちゃんと聞いておかなくてはいけない。
「若葉よ……改めて見ると、痣が拡がっておるのう。変わりないかえ?」
「少し変化してしまった。それは後から話すから、姉さんは休んでくれ。あいつらがやかましいなら黙らせるからな」
「うむ……そうさせてもらう。まだ少し眠いからのう……」
一度目を覚ましたが、まだ調子は良くないようなので眠ってもらうことにした。生きていれば話せる時間くらいいくらでも作ることが出来る。
「姉さんが寝るんだ。今度またやかましい小競り合いをしたら、若葉が容赦なく殴って寝かす」
三日月に続き私からも忠告。私如きで2人を抑え込めるだなんて思ってもいないが、今は黙っていてくれればいい。少なくとも全員の治療が終わるまでは大人しくしていろという話だ。
その後だったら好きにしてくれて構わない。ここから出ていくにしろ、ここに住み着くにしろ、それは当人の選択だ。だが、ここに住み着くのなら、飛鳥医師の決めたルールには従ってもらうのが当たり前のこと。人種も立場も関係無い。
「ならせめてベッドを離してもらえないかしら」
「カオモミタクナイワ」
「……それくらいはしてやる」
隣同士だから諍いが絶えないというのなら、多少の対策もしてやらなくては。なるべくうるさくならないようにベッドを動かし、部屋の真反対になるように配置したことで、2人はようやく静かになってくれる。
医務室の外を見ると、喧嘩の時の音を聞きつけた施設の者達が様子を見に来ていた。その中に朝霜の姿を見つけたのでちょいちょいと手招き。
「おう、どうしたよ」
「この深海空母達が喧嘩を始めるようなら、お前の力で容赦無く捻じ伏せていい。監視しておいてくれないか」
「あたいも怪我人なんだけど」
修復材のおかげで傷は無くなっているものの、大事をとって包帯が巻かれている朝霜。あまり激しい運動は出来ないのはわかっているが、今ここにいるメンバーでこの2人を止められるのは朝霜しかいない。
「なら私も監視役になるわ」
「加賀、怪我は大丈夫なのか」
「ええ、暁とろーに治療してもらったわ。修復材は使っていないけれど、安静にしていれば数日で治ると言われたの」
赤城の関係だからか、加賀も監視役を買って出てくれた。だが、少しだけ不安も。
「加賀が翔鶴をやるとかしないよな」
「……そう思われるのも仕方ないわね。でも、安心して。そんなことしないわ」
匂いからも翔鶴への殺意が無いことがわかる。瑞鶴を生かして捕らえた辺りからわかっていたが、加賀は赤城よりも先にこの施設に保護されたおかげで、考え方を変えてくれていた。赤城のことは止められないけど、自ら手を下すようなことはしない。
一度死んだ曙の話を聞いて目が泳いだことを思い出す。やはり加賀も艦娘、今はこうでも艦娘を殺すという行為には抵抗があるのだろう。それが今回の件で信念に変わっただけ。
「瑞鶴もそうだけど、生きていたらやり直しは出来るでしょう。私はそちらを選ぶわ。私にもまだ怨嗟の声は聞こえるけど、それに報いる分、他者を生かすわ」
「そうか、わかった。なら朝霜と一緒に監視を頼む」
椅子を持ってきて加賀は赤城の隣を、朝霜は翔鶴の隣を陣取る。これで動き出した瞬間にベッドに押さえ付けることが出来るだろう。
比較的危険なのは翔鶴の方だ。おそらく手を先にあげるのも翔鶴。そのため、より力が出る朝霜を配置した。容赦無く押さえ付けても問題ない。
「瑞鶴の処置が終わったら飛鳥医師が何かしら指示をしてくれると思う。その後はそれに従ってくれ」
これでようやく一安心。この2人は本来一緒の部屋にいてはいけないのだと思うが、今だけは仕方ない。
治療もそろそろ終わる。あれだけの量を半日で終わらせているあたり、飛鳥医師の手腕が改めて恐ろしい。
それが終われば、また次の戦いが始まる。
初春→如月→初霜→瑞鶴の順に処置しています。初春は処置完了。如月は透析も終了。初霜は透析中。瑞鶴は処置中となります。完成品のキューブ摘出については次回。